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2018年03月26日(Mon)
平昌パラリンピックブログ6 メダリスト凱旋トークショー
「挑戦する闘志、あきらめない心で獲得した10個のメダル」

平昌冬季パラリンピックのメダリスト4選手が20日、日本財団パラリンピックサポートセンター(パラサポ)が主催し、東京・赤坂の日本財団ビルで開かれた「メダリスト凱旋トークショー」に出席した。パラサポのメールマガジンで応募した約100人のファンにメダルを披露、見事な成績を収めた大会の印象と今後への思いを語った。

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メダリスト凱旋トークショー。左から、森井大輝選手、成田緑夢選手、新田佳浩選手、村岡桃佳選手



開会式を終えたのは18日夜。翌19日に帰国した後は挨拶まわりにテレビ出演など、身体の休まる暇もない。それでも4人とも元気な姿で笑顔を振りまいた。
会場を笑いに包んだのは、金メダル1個を含む5つのメダル(銀2、銅2)を首から下げたアルペンスキーの早稲田大学3年生の村岡桃佳。首からさげたメダルの重みに、「ちょっと首が痛い」と訴えた。5つのメダルは無造作にポーチに入れて持ち帰ったという。
「日本に帰って安心しますね。漢字がある。ひらがながある。字が読める」
長かった平昌での生活にちょっと疲れていたのかもしれない。ほかの3選手も村岡の言葉に口元を緩めてうなづいた。

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村岡桃佳選手



アルペンスキーの森井大輝(トヨタ自動車)は金メダルを目指したものの、またもわずかな差で2位に終わり、これで4大会連続銀メダル。「シルバーコレクターといわれてきたので、払拭する大会だったが…次も銀メダルを目指して…ではなく3人の持っているメダルにしたい」といささか自虐をこめ、早くも次回に向けて抱負をのべた。

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森井大輝選手



一方、スノーボードで金1、銅1の成田緑夢(近畿医療専門学校)は、「僕の中では最高の大会にできた」と振り返った。「メダルが取れて、怪我をしている人や落ち込んでいる人の光になれたんじゃないかな」。成田の言葉は、4選手共通の思いだったかもしれない。

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成田緑夢選手



金メダルにこだわり続けた37歳、新田佳浩(日立ソリューションズ)はふたりの子どもたちのために頑張ったという。「最初の銀メダルのとき、次男は『なんで2番なの』って聞いてきて、長男は『頑張ったね』といってくれた。まだ会っていないけれど、ふたりに金メダルをかけてやりたい」。すでに優しい父親の顔がそこにあった

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新田佳浩選手



ロンドンオリンピック新体操で主将を務めた田中琴乃さんとフジテレビの川野良子アナウンサーの司会で始ったトークショーでは、競技の模様を振り返った。金メダルをとったスノボードのバンクドスラロームについて成田は、「常に挑戦」する姿勢を失わなかったことを強調。最終3レース目も、1、2レースで大きくリードしており、「そのままいけば勝てる」と思いつつ、難しい第5ターンであえて最短距離にこだわったという。「本来はU字ターンで滑るところですが、リスクはあるけれどタイムが削れるV字ターンにした」と攻めの姿勢を失わなかった。ちなみに「こける確率は60%」だったという。
成田はまた、競技中に独り言をいうクセ≠披露。「雪質をみて、『ここはぐちゃぐちゃ』『ここはいける』とつぶやきながら」滑っていた。また、レース前にはその日のテーマをあげ、「それをクリアできればOK」とつぶやいているという。そんな成田にはレースを楽しむという別次元の発想がのぞく。

「1レース、1レース楽しかった」と話す森井は、1度しかできないコースのインスペクションの重要さについて語った。「下見は1時間ほどかけて、ゆっくり滑ります。どこに何があるか、どこで攻めるか。メモをとりながらコースを覚えていきます。目をつぶって頭の中にイメージできるくらい」にまで意識を高めておかなければならない。そして、次は頭のなかでのバーチャル滑走である。「スタートバーを切って、ゴールして電光掲示板を見てガッツポーズする」ところまでイメージするのだという。

アルペンやスノーボードには重要だろう。もちろん、クロスカントリーでもどのコースを取るかで記録がまったく違ってくる。新田は金メダルをとった10キロクラシカル、スタートしてすぐ転倒してしまった。
「スタート前、出た瞬間柔らかいところがあるから、そこに入ると止まってしまうと言われていたのに、無様なことになってしまって…」。膝にすり傷を負ったが、「やれることを出し切らなきゃ」と気持ちを切り替え、立て直した。その後は「『自分ならできる、自分ならできる』と自分を奮い立たせて」走った。その結果が2大会ぶりの金メダルだ。

村岡にはルーティンがある。いや、ルーティンではなく、クセか。スタート前、ゴーグルをいじるのである。いや、ゴーグルがフィットしていないのではない。ぴたりあったものをメーカーから提供してもらっている。それでもスタート前になると、必ずいじる。
「なぜか不安になるんです。緊張してしまって、それでメッチャさわっているんです」
「『これで良し』という思いでスタートしたことがない」と村岡はいう。しかし、あの平昌での堂々とした滑りを見ている限り、信じられないのだが…。

用具といえば、成田は左と右でブーツの形が違う。左はギブスのように固定している。いろいろ試行錯誤の末の対策である。森井は「チーム森井」という40人ほどのサポート・スタッフがいる。かつてF1にも挑戦したトヨタ自動車に所属、F1のように専門スタッフが支えているのだ。2年半かけてチェアのフレームを軽量化し、新幹線のような形状に仕上がっている。「身体の左右差が大きい」村岡は、不利をカバーするため、シートにこだわる。また、自ら体幹を鍛えるトレーニングを早稲田に入学後から続け、左右差の克服につとめる。

大会直前、大事なスキー板を折ってしまったのが新田だ。急遽、新しい板を導入、雪質に合ったワックスを選ぶためのワックスマンや気象情報を調べるウエザーニュースのスタッフなど、新たな出会いが金メダルにつながったと秘話を話してくれた。

新しい出会いといえば、6大会連続出場のベテラン新田と初出場、成田は選手村の宿舎が同室だった。新田によれば「初めて違う競技の選手と同室」であり、そこに夏季のリオデジャネイロ・パラリンピック陸上競技走り幅跳び銅メダリストで今大会スノーボードに出場した山本篤と3人1部屋。新たな出会いは、それぞれにいい刺激になったという。

18日の最終日、閉会式でも旗手を務めた村岡は自室に戻ると、帰国に備えて荷造りを始めた。そこに23時ごろ、山本から「部屋に来るよう呼び出し」がかかった。「何か怒られるのかと思って恐る恐る扉からのぞく」と、「メダルをもって来い」との話。スリッパもはかず、裸足のまま彼らの部屋に行くと10個のメダルを集めてユーチューブに乗せるとの話だった。「ほんとに何があるのか、怖かった」という村岡に、発案者の成田は平謝り。成田曰く「メダルの感動を伝えたかった」そうだ。アスリートたちの茶目っ気と日本で期待し応援してくれたファンのためにという思いが伝わってくる話ではないか。

さて、この4人の選手たち、まだ、気は早いかもしれないが、2022年に控える北京大会にはどのような思いでいるだろうか。
森井はすでに「次は(ほかの)3人が持っている色のメダル」を目指すと宣言。「アルペンは強い日本チームとして臨みたい」と話す一方で、「ウオータースポーツにチャレンジしたい」と東京への夢を語った。
「いまは、この喜びに少しの間だけ浸っていたい。身体をリフレッシュして新たな挑戦をしたい」という成田。村岡は「いままでは上の選手を追いかけていく挑戦者の立場でしたが、今回、ちょっと成績を残しすぎたので…」と笑いをとり、「これで応援してくれる人も増えたと思うので、今後はこれをプレッシャーではなく、力に変えていきたい。今後も挑戦者の気持ちで」と意気込みを述べた。
「みんな北京を見据えてすごい」と話す新田は、「まだ止めないけど、平昌の前、何度も倒れて、『もう嫌だ』と思うくらいトレーニングしてきた。これを4年間続けるのは嫌でしようがない」としばしの休養宣言。もっとも、「スキーが楽しくて仕方がないというエネルギーがわいたときにはもっと強くなっていると思う」との言葉も飛び出し、41歳での北京挑戦への思いものぞかせた。

パラサポの山脇康会長は4人のメダリストをこんな言葉でねぎらった。「厳しい自然条件のなかで、入念に準備し、全力で戦ってきた強い意志、あきらめない心がこの成績につながった」と。

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メダリスト凱旋トークショーの様子





● 日本財団パラリンピックサポートセンター






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