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2017年12月27日(Wed)
「今年一番印象に残ったこと」
2017年の取材体験を振り返って
ブログ執筆チームから


日本財団コミュニケーション部は今年もブログ「ソーシャルイノベーション探訪」で、日本財団をはじめ社会課題の解決に努力するNPOやボランティアの活動を伝えてきた。間もなく2017(平成29)年を締めくくるに当たり、ブログ執筆チームの筆者2人が「今年一番印象に残ったこと」を、あくまで個人的な見解として振り返える。


< フリースクール体験者に社会で通用する教育改革のヒントを探る! >

11月中旬の「日本財団ソーシャルイノベーションフォーラム2017」で「変わる社会 変わる教育」というタイトルの分科会が開かれ、フリースクールで学んだ中高生4人が特別参加し、大人の参加者と丁々発止のやり取りをして反響を呼んだ。3日間のフォーラム期間中、シンポジウムと23の分科会が行われ、このうちシンポジウムと3つの分科会で教育について論じていて、議論の大半が教育の現状を憂えたものだった。では、どう変えたらいいのか。そのヒントを中高生4人の最年長であるS君(高3)のインタビューから探ってみた。

分科会で発言する中高生4人と市川力先生(右から2人目)

分科会で発言する中高生4人と市川力先生(右から2人目)


フリースクールというと、不登校の生徒が対象と思われがちだが、S君が6年間通った東京都杉並区のスクールはそうではなかった。彼は中野区で、サラリーマンの家庭に生まれた。小学校に入学する時、私立校を何校か受験したが全て不合格だった。たまたま知人から杉並区でフリースクールを開いている市川力先生の話を聞き、親と一緒に面会した。校長を務める市川先生は「日本の教育は間違っている。学校で生徒は座って授業を聞くだけだ。学校を出て、いざ社会人になると、学校で学んだことが通用しない。我々はコミュニケーション能力を高めるなど、社会が求める教育をやっている」と力説した。父親は最初反対だったが、「とにかく市川先生に託してみよう」と入学を決めた。

市川校長のフリースクールは、マンションの中にあり、5部屋を借りて授業をしていた。生徒は学校に入るとまず、大きな畳部屋に集まり、先生と生徒全員で「情報交換会」を開いた。市川校長がまず身の回りで起きた話題などを取り上げ、その後、生徒が自由に発言した。授業は公立校とほぼ同じだったが、週3日、「テーマ学習」という特別授業が2時限あり、学年ごとに生徒がテーマを決めて全員で取り組んだ。「駄菓子屋を開いてみよう」では、菓子メーカーから品物を購入し、スクールの前で駄菓子屋を開いて実際に販売した。売り上げを伸ばすために宣伝したり、企業に売れている商品を聞きに行ったりした。

S君は「先生はアドバイスしてくれるが、肝心なところは生徒に任せていた。そのため自分たちで決めなければならず、発想力や問題解決能力が養われた」と話した。市川校長が常日ごろ、生徒たちに話していたのは「野の学び」の重要性だった。月に1回程度、遠出をして遊んだり、農家の手伝いをしたりして野外学習を楽しんだ。校長はそれを「広々とした視野を持つための教育」と位置づけていた。

S君がフリースクールでの教育が普通の学校教育と違うことを実感したのは、フリースクールを卒業し、私立の中高一貫校に入学した時だった。第一に、座って先生の講義を聞くだけの授業が退屈で、違和感を受けた。第二に、フリースクールの時と同様、先生にタメ口をきいたら、担任から親と一緒に呼び出しを受け、注意された。結局、中高一貫校の授業に慣れるのに1年近くかかったという。

S君は今年10月、私立薬科大のAO入試を受け、一発で合格した。「AO入試の小論文では、フリースクールの経験を交えて書いた。市川校長の教育理念のお陰で合格できたと思う。フリースクール入学はある意味では賭けだったが、成功した」と、S君は振り返る。文科省も社会の要請に応え、2020年から大学の入試改革に踏み切り、授業も大きく変える方針だ。市川校長はそれを先取りしてフリースクールを続けてきた。政府はもっと教育の多様性を認め、大胆な教育改革を速やかに実施すべきだろう。(K)


< 強く記憶に残った言葉3つ! >

<あなたのまちづくり><みんなのいのち><子ども・若者の未来><豊かな文化><海の未来><人間の安全保障><世界の絆>−こうした日本財団のさまざまな分野の取り組みを取材してきた中から、紙幅の関係で今年記憶に残った言葉を3つ紹介して、ひとまず今年の最後としたい。

大川小学校跡で次女を失った佐藤敏郎さんの説明を聞く様子

大川小学校跡で次女を失った佐藤敏郎さんの説明を聞く様子


「どんな災害がこようと、その時どんな判断があろうと、あってはならないことだった」「救ってほしかった命、救うべき命、救うことができた命だった」

東日本大震災の津波で、宮城県石巻市の大川小学校6年だった次女を失った元女川第一中学校防災主幹教諭の佐藤敏郎さんの発言。日本財団、東京大学海洋教育促進研究センター、笹川平和財団海洋政策研究所が2月、復興が進む宮城県女川町などで実施した「防災の視点から海洋教育を考える」と題した「先生のための海の学びの旅」。多くの犠牲者を出した大川小学校の現場視察に同行した佐藤さんは、津波が同校を襲った際の状況や子どもたちが逃げた方向を詳細に説明し上記のように訴えた。寒風が吹きすさぶなか聞いたこの言葉は、私の胸を強く揺さぶった。

「よくよく考えてみると過去は変えられないが、未来は変えられる。まして環境で人は育つ、という部分がたくさんある。私も多くの人に目をかけてもらい支えられてきた。おかげで今がある。経営も人の教育も、マラソンではなく駅伝だ。社会が彼らを当たり前に受け入れる時代が必ずやってくる」

少年院や刑務所を出た人に働く場と住居を提供する日本財団の「職親プロジェクト」がスタートして2月末で丸4年がたった。活動が5年目に入ったのを機に、受け入れ企業の草分け的存在である、お好み焼店チェーン「千房」(本社・大阪)の中井政嗣社長に3月、現状やこれまでの取り組み、期待や展望などを聞いた。その時の中井社長の信念から。

「花は枯れてこそ花ですが、やっぱり最初のピュアな気持ちを忘れないよう、花を資源として考え、花の命の大切さを発信していきたい」「メンバーの雇用を守っていくことが一番大切なこと。妥協なく売り上げを上げていこうと思う。健常な人も障害のある人も、当たり前に解け込んで働けるようなお花屋さんを目指している。お涙ちょうだいの営業活動はするつもりはない。本当に商品価値、サービスの価値で、お客様に来ていただけるような場所を目指したい」

障害のあるスタッフが中心となって働くフラワーショップを東京・原宿エリアに日本財団と共同で開設した「ローランズグループ」の福寿満希・代表。障害者就労支援に全力を挙げる思いや目標を5月にインタビューした時の言葉から。(H)







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