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2017年10月06日(Fri)
今年度末の来館者、予想超える3万人に
自治会会長、教科書に差別の歴史記載を希望
笹川会長、草津の重監房資料館訪問


WHO(世界保健機関)のハンセン病制圧大使を務める笹川陽平・日本財団会長が10月5日、群馬県草津町の国立療養所「栗生楽泉園」を訪問、同園に隣接して2014年に開設された「重監房資料館」などを視察した。日本財団は昨年4月から同資料館と東京都東村山市の「国立ハンセン病資料館」の管理運営を厚生労働省から受託しており、その挨拶を兼ねた訪問。当初、年間4000〜5000人と予想された来館者は既に2万6000人に達し、今年度末には3万人を突破する見通し。関係者によると、中高校生や一般の団体客が増えているほか、群馬弁護士会や法務省の新人研修など法曹関係者の来館も目立ち、悲惨なハンセン病の歴史に対する理解が確実に広がりつつあるようだ。

重監房資料館全景

重監房資料館全景


笹川会長はこの日、栗生楽泉園入所者自治会の藤田三四郎会長とも懇談、「子どもにハンセン病の歴史を伝えるためにも教科書に載せる必要がある」との藤田会長の問い掛けに「時間が掛かるが実現に向け頑張らなければならない」とエールを送った。

藤田三四郎会長(左側2人目)ら関係者とも懇談

藤田三四郎会長(左側2人目)ら関係者とも懇談


今回の訪問では、大正初期にイギリス聖公会の宣教師として来日、草津・湯ノ沢地区で暮らす多くのハンセン病患者の救済に向け、同地区に教会や病院、生活ホーム、学校などを建設、「かあさま」と慕われたコンウォール・リー女史の「リーかあさま記念館」や、現在78人が入所する栗生楽泉園の各施設を訪れ、1194柱の遺骨が納められた納骨堂にも参拝、献花した。

実寸大の監房内部 驚くほど狭く暗い

実寸大の監房内部 驚くほど狭く暗い

資料館が建設された「重監房」は1938年に建てられ47年まで使われた。「特別病室」の名が付けられているものの、治療とは無縁の懲罰施設として使われた。全国各地のハンセン病療養所には「監房」と呼ばれる監禁所が設けられていたが、特に反抗的な患者を全国の療養所から集め、さらに重い罰を課したことから重監房と呼ばれ、9年間に93人が収監され、うち23人が亡くなった。

重監房の跡地は、栗生楽泉園の正門を入ってまもなくの脇道を進んだところにあり、一部屋4.5畳ほどの木造平屋建ての監房が8室あったとされる。使用を取り止めた後、放置され、建物も倒壊したが、その後、跡地は整備され、玄関付近には一昨年、栗生楽泉園入所者自治会が建てた「重監房跡」の碑もある。



整備された重監房跡地

整備された重監房跡地


重監房資料館には実寸の大きさで再現した重監房2室のほか、出土遺物の実物展示、再現映像、ハンセン病に関する歴史パネルなどが用意され、「特別病室」の表札が掛かった重監房に入ると、部屋は厚いコンクリート壁で覆われ、実際以上に狭く感じられ、明り取りの窓も小さく室内は暗い。

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この建物では特別法廷も開かれた


室内には薄い布団と毛布しかなく、標高1100メートル、真冬の冷え込みはマイナス15度を超す極寒の環境の中、食事も制限され、患者が置かれた過酷な環境が容易に想像できる。「『患者懲戒検束規定』では『監禁期間は最長2箇月』とされていたが、実際には1年以上、留め置かれた患者もいたようで、その過酷さは想像を絶する」(北原誠・重監房資料館主任研究員)。栗生楽泉園の入所者の平均年齢は現在、86.7歳。ハンセン病患者に対する差別の実態を、どう引き継いでいくか、今後の課題となる。



● ハンセン病〜病気と差別をなくすために〜(日本財団公式ウェブサイト)


タグ:重監房資料館
カテゴリ:健康・福祉







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