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2017年09月27日(Wed)
フィリピン残留2世2人が一時帰国
親族ら関係者と喜びの対面
ともに那覇家裁が1カ月で就籍を許可


就籍手続きで日本国籍を取得したフィリピン残留日本人2世2人が9月26日、父の出身地である沖縄に一時帰国し、那覇空港で会見に臨んだ。2人は今春、那覇家庭裁判所に就籍申し立てを行い、いずれも約1カ月、異例の早さで就籍が認められ、会見では初めて父の故郷を訪れた喜びを語った。

会見に臨む仲地リカルドさん=右=と岸本ヤス子さん

会見に臨む仲地リカルドさん(左)と岸本ヤス子さん


2人はフィリピンパラワン州に住む仲地リカルドさん(83)と同バシラン州の岸本ヤス子さん(80)。リカルドさんの父・仲地平次郎さんは沖縄県・本部町の出身。1922年にフィリピンに渡り現地女性と結婚、漁業に従事したが、大戦で日本軍に協力、ゲリラに殺害され、リカルドさんは母と妹とともにクリヨン島で避難生活を送った。

那覇空港には多数の報道陣が詰め掛けた

那覇空港には多数の報道陣が詰め掛けた


昨年、日本財団とともに残留2世の国籍回復事業に取り組む「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」(PNLSC)の調査で、フィリピン国立公文書館に保管されていた両親の婚姻記録が見つかり、今年2月、那覇家裁に就籍の申し立てを行い、翌月、認められた。この日は、おいに当たる仲地宗和さんら関係者約20人が花束などを手に空港で出迎え、喜びの対面をした。

記者会見でヤス子さんは古い家族写真を披露した

記者会見でヤス子さんは古い家族写真を披露した


一方、ヤス子さんの父・岸本伊祐さんは名護市出身で1917年にフィリピンに渡り、結婚して8人の子をもうけたが、日本軍とともに行動し消息を絶った。ヤス子さんが出生5カ月後に受けたキリスト教の洗礼記録の父親欄に「I. KISHIMOTO」の名が残され、これを手掛かりに調べた結果、フィリピンへの渡航記録や米軍捕虜として日本に強制送還された引揚者名簿に伊祐さんの名前が見つかった。

空港では「歓迎」の幕も

空港では「歓迎」の幕も


5月にやはり那覇就籍に就籍を申し立て、翌月、許可された。いとこに当たる関係者がハワイに住んでいることが分かったが、強制送還後の伊祐さんの足取りがはっきりせず、沖縄での親族の存在は確認されていない。

2人はこの日、那覇空港内で記者会見。リカルドさんは「仲地と言う名でつながっている多くの人に会えたことが何よりも嬉しい」と語り、ヤス子さんは「日本国籍が取れ抱えていた多くの問題が吹き飛んだような気持ちです。母は『戦争がなければよかった』とよく言っていました。でも、今はたくさんの方に支えられ幸せです」と笑顔を見せた。

リカルドさんは27日、本部町にある仲地家の墓や親せき宅を訪問、岸本さんは伊祐さんが学んだ名護小学校や近くにある岸本家の旧宅跡を訪ねるほか、28日はリカルドさんが避難生活を送ったクリヨン島がかつてハンセン病患者の“隔離の島”だった関係で名護市の国立ハンセン病療養所・沖縄愛楽園を訪問、29日には沖縄県庁に翁長雄志知事を表敬訪問し30日にフィリピンに戻る予定。

就籍手続きによる国籍取得では、これまでに202人のフィリピン残留2世が日本国籍を取得し、現在、10人が父親の出身地である可能性が高い7都県の家裁に申し立てを行っている。202人の父親の出身地は沖縄県が45人と最も多く、PNLSCによると、なお900人近い残留2世が日本国籍を取得できないまま無国籍状態で暮らしている。



● フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC) ウェブサイト







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