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2017年09月12日(Tue)
アートの多様性について考えよう!
障害者芸術支援フォーラム開催
「アートは本来自由であるはず」


「障害者芸術支援フォーラム〜アートの多様性について考える〜」が9月9日、東京・六本木の六本木ヒルズ・ハリウッドプラザで開かれた。日本財団の主催、障害者芸術支援フォーラム実行委員会の共催。10月13日から港区南青山のスパイラルガーデンで開催する[日本財団DIVERSITY IN THE ARTS企画展]ミュージアム・オブ・トゥギャザー展を前に、美術界、福祉界の専門家らが障害者アートのあり方をめぐり、白熱の議論を展開した。

1回目のシンポジウムの出席者。(左から)山下、今中、東、中津川、服部の各氏

1回目のシンポジウムの出席者。(左から)山下、今中、東、中津川、服部の各氏


会場のハリウッドプラザには、若者を中心に約600人が参加、合計3時間近いシンポジウムのやり取りを熱心に聞いていた。

最初に主催者側から、日本財団の竹村利道・国内事業開発チームリーダーがあいさつした。竹村氏は今年度からアートの多様性を追求する「DIVERSITY IN THE ARTS」プロジェクトをスタートさせたと紹介し、「多彩多様な障害者アートの世界を横断的に社会に広く伝えて行きたい」と述べた。続けて竹村氏は、このプロジェクトを各方面に報告したところ、美術界や福祉界から「アール・ブリュット(生の芸術の意味の仏語)の本来の意味を間違えて伝えたのは日本財団ではないか」「日本財団が障害のある人のアート活動を、全てアール・ブリュットと呼ばないといけないような空気を作った」などの批判を受けたという。これに対し、竹村氏は「アール・ブリュットがアート活動の一分野として可能性を感じて積極的に助成してきたが、それ以外の活動に対しても積極的に支援した」と反論した。ただ、「アール・ブリュットの本来の意味には、障害者アートという文脈もカテゴリーもないので、真摯に反省しなければならない部分があるかもしれない」と述べ、今一度、本来の意味に立ち返ってしっかり考えていきたいと「再起動」を明言した。

冒頭、あいさつする竹村チームリーダー

冒頭、あいさつする竹村チームリーダー


この後、障害者アートや現代アートに詳しい服部正・甲南大学文学部准教授が「障害者芸術支援とアール・ブリュット」と題して基調講演を行った。服部氏は昭和時代の貼り絵画家として知られる山下清を取り上げ、アート・ブリュットであるかどうかを検討。この言葉を生み出した仏人のジャン・デュビュッフェは障害の有無に関係なく、同時代のアートの中で飛び切り優れたアートを賞賛する概念として考えていたと指摘し、山下は知的障害者で作品のレベルはすごいが、美術の教育を受けていて、「アール・ブリュットではない」と断言した。そのうえで、「今の日本で、アール・ブリュットが障害者の創作活動の代名詞として使用されているのは間違いだ」と明言した。

続いて、「日本のアール・ブリュットとは?」と題するシンポジウムが開かれ、服部准教授、やまなみ工房の山下完和施設長、今中博之・社会福祉法人素王会理事長がシンポジストとして参加、モデレーターを美術家の中津川浩章氏、コーディネーターを女優で一般社団法人Get in touch代表の東ちづるさんが務めた。

東さんは「全国でアール・ブリュットの名前が使われている」と問題提起すると、今中理事長は「アール・ブリュットというと障害者アートと見ている人が多い。もっと概念整理を行うべきだが、厚労省が旗を揚げるから我々もやる、というところが増えている」と述べた。

一方、やまなみ工房の山下施設長は「行政がアール・ブリュットを推進しているといわれ、ウチもそうですねといわれる。ウチは個人の名前で出展し、作品は主催者に選んでいただいている」と説明した。服部准教授は、2010年から翌年に掛けてパリの美術館で日本の障害者らがつくった約800点の作品を展示した「アール・ブリュット・ジャポネ展」が予想以上の評判を呼び、その後、日本でアール・ブリュットが定着したと紹介。「障害者の美術と捉えられ、限定的なものになってはいけない」と述べた。

この後、「障害者の多様なアート活動の展開を考える」と題して第二のシンポジウムが開かれた。シンポジストはアウトサイダー・キュレーターの櫛野展正氏、斎藤誠一・社会福祉法人グロー法人本部職員、杉本志乃・株式会社FOSTER代表、作家の田口ランディさん、ビッグアイアーツ・エグゼクティブプロデュサーの5人。モデレーターとコーディネーターは第1回と変わらず。

第二のシンポジウムの出席者。(左から)鈴木、杉本、東、中津川、斎藤、田口、櫛野の各氏

第二のシンポジウムの出席者。(左から)鈴木、杉本、東、中津川、斎藤、田口、櫛野の各氏


斎藤氏はアール・ブリュット・ジャポネ展の日本事務局を担当した経験を踏まえ、「当時は滋賀県が応援してくれた。全国で障害のある人が支持を得るためには、自治体の応援が必要だと思う」と述べた。櫛野氏は「アール・ブリュットという言葉はできるだけ使わない。負の側面が入ってくる。私は意図的にアウトサイダー・アートという名前を使っている。社会のアウトサイダーでなく、美術のアウトサイダーという意味だ」と強調した。

また、東さんは「アートのコンクールが増えているが、アートと福祉の両輪のバランスをとらないといけない」と問題提起。中津川氏は「コンクールではクオリティが高いものと、作家の生活が分かるものも入れることにしている」と応じた。

櫛野氏は「今の障害者の芸術は知的障害の人の作品が中心になっている。しかし、言葉のコミュニケーションがなかなか難しい。笑顔を見せても、本当は泣いているのかも知れない。アート業界は障害のある人の人生を背負い込むことになるので、よく考えて欲しい」と警鐘を鳴らした。また、斎藤氏は「評価される機会の平等はあるべきだが、結果の平等まで求めることはない」と釘を刺した。

中津川氏は「展覧会への関心は増えているが、横のつながりがない。行政が入るとゆがんでくるという懸念がある。どういう観点が評価されたのかを追跡できるようになっていれば良い」と指摘した。杉本さんは「他人に渡って作品が後世に残っていく面が強いので、ご理解願いたい」と、アート業界の立場から理解を求めた。

会場の一角では、イラストレーターがあいさつやシンポジウムの発言を絵で記録していくグラフィック・レコーディングが行われ、多くの参加者が見入っていた。

発言を模造紙に絵画化していくイラストレーター

発言を模造紙に絵画化していくイラストレーター




● 日本財団DIVERSITY IN THE ARTS







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