「AKB48」や「乃木坂46」にいそうな、おしゃれさん。耳にピアス、右手指にはきれいにネイルをほどこし、屈託なく笑う。
もともとラグビー選手である。ラガーマンだった父の影響で5歳からラグビーに没頭。先天性左全手指欠損症でありながら、「特別扱いはしない」という両親の方針のもと、健常者、男子にも負けずにプレーしてきた。
「負けず嫌い」は上達も早かった。
普段は服やメイクにも気を遣う20歳の女の子
152センチと小柄だが、鋭いタックルと右手1本の正確なパスを武器に、日体桜華高校時代は主にスクラムハーフとして活躍。15人制U18関東選抜女子代表として国際大会も経験した。日本体育大学ラグビー部に進むと、2015年8月、長野・菅平で行われた「第1回ピンクリボンカップ」でフランカーとして優勝に導き、MVPに選ばれた。
日体大ラグビー部時代も活躍
いうなれば女子ラグビー期待の星である。それが、なぜスキーなのだろう。
「突然、野村一路先生(日体大生涯スポーツ研究室教授)から『パラリンピックの競技をやってみないか』といわれたのが、きっかけです。そのときにはラグビー部にもすでに話が届いていたようで…」
大学1年冬の話である。それですぐ、スキーをやることになった。
「野村先生は『何やりたい?』とおっしゃったので、スキーならやったことがあったので、私から『スキーがやりたい』と話したんです。そうしたらとんとん拍子に進んで…」
野村教授は元SAJD理事長。本堂の身体能力に早くから着目し、選手層の薄いパラリンピック競技、それもスキーへの転進≠考えていたのだろう。人を怖がらず、タックルにいく心の強さは高速系の大回転に欠かせない。素早く重心を移し、ステップを踏む動きは技術系にもってこい。すぐにも、平昌パラリンピックを目指しますとなった?
「いえ、最初は『今から?』という感じですよ。私もラグビーをやっていて、『今から始めてもパラリンピックに出られるわけなんてない』『そんな甘い世界じゃない』って分かります。それに、ラグビーをやりたくて日体大に入ったわけですから…」
スキーレース中の本堂選手
前向きで、負けず嫌い。そんな性格がスキーに進ませた。そして、ラグビー部の古賀千尋女子監督も背中を押してくれた。
「両親は一切、何か言ったりはしません。私の挑戦を見守ってくれています」
そんな本堂が、スマートフォンのケースに納めている宝物≠みせてくれた。昨夏、初海外遠征したニュージーランドのスキー場(トレブル)のリフト券である。
「私の原点なんです」
競技スキーヤーとして、「初心忘るべからず」の思いが込められている。幼い日、やはりラグビーを始めた弟とともに、近所の公園で父が蹴った楕円球を追いかけ、タックルしながら奪い合って上達していったように、スキーの原点を大切にしているのだ。
本堂は1本ストックで滑る。左手に400グラムの重りをつけてバランスをとる。それでも、右まわりで膨らんでしまう。その技術の取得を課題に挙げた。
「もっと鋭く回らないと、世界では通用しません。上手になりたいんです…」
ラグビーで育った20歳の次世代星は、目下、スキーに夢中なのである。
1本のストックでレースに臨む
本堂杏実(ほんどう・あんみ)
1997年1月2日、埼玉県所沢生まれ。東京の日体桜華高経て日本体育大学3年在学中。体育教員資格を目指している。ラグビーでは18歳以下の日本選抜。趣味はネイルとサンリオのキキララグッズ収集。152センチ、55キロ。
2020年東京パラリンピックを控え、日本財団では世界レベルでの活躍が期待できる選手を対象に創設した「日本財団パラアスリート奨学金」制度に基づき、今春からパラアスリートへの奨学金給付を始めました。障害者スポーツ教育に実績のある日本体育大学の学生、大学院生ら19人が給付を受け、実力向上に励んでいます。このコーナーではそうした奨学生たちの活動などを随時紹介し、パラ競技とパラアスリートへの理解を深め、支援の輪を広げるとともに、2020年東京パラリンピックへの機運を高めていきます。