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2017年07月27日(Thu)
就籍手続きで日本国籍取得200人に
2006年から12年で
なお900人、急がれる国の対応


新たに戸籍を作り国籍を取得する「就籍」手続きで日本国籍を手にしたフィリピン残留日本人2世が7月27日までに200人に達した。残留2世の多くは終戦の混乱で無国籍状態に置かれ、2004年以降、計261人が家庭裁判所に就籍の申し立て(16人は死亡に伴い取り下げ)をしている。ほぼ4人に3人が念願の「日本人の証」を取得したことになるが、日本国籍を求める残留2世はなお900人近くに上っている。戦後70年以上を経て平均年齢78歳と高齢化も進んでおり、改めて国の前向きな対応が求められる事態となった。

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表:就籍許可 年次別推移


200人目となったのは、フィリピン・マニラ市に住む赤嶺オーロラハルコさん(78)。6月16日に那覇家庭裁判所に就籍の申し立てを行い、7月21日、これを認める審判が出され、このほど関係者に決定文が送達された。オーロラさんは1939年に沖縄出身の赤嶺亀さんとフィリピン人の母の第10子と生まれた。赤嶺さんは日本軍と行動を共にし、戦後、3男の良一さんとともに日本に強制送還された。

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200人達成を発表する前田晃・日本財団専務理事(左)と猪俣典弘・PNLSC事務局長


赤嶺さん夫婦は計12人の子宝に恵まれたが、母は1944年、兄弟姉妹のうち10人も相次いで他界し、赤嶺さんも1946年に亡くなった。残されたオーロラさんは、その後連絡が取れた良一さんを頼って来日した経験もあり、申し立てからわずか1ヶ月余、異例の速さで就籍を認める審判が出た。

就籍は2006年の2人を皮切りに、年によって増減があるが、2013〜2015の3年間には計94人が認められ、今年11人目のオーロラさんで200人となった。内訳は女性127人、男性73人。就籍が認められた時点の平均年齢は75.9歳、最高齢は94歳。父親の出身地が不明の40人を除くと、沖縄が45人でトップ、以下、広島27人、熊本26人、福島10人などとなっている。

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質問に答える大岩直子弁護士


残留2世に関する調査は、終戦から半世紀以上経た1995年に外務省が初めて実施。約3500人の存在が確認され、うち約1000人は父親の戸籍に本人の名前が掲載されていたことなどから日本国籍を取得、連絡先などが判明しなかった約1000人を除く1500人が、日本人を父に持ちながら日本国籍を取得できず無国籍状態となった。高齢化が進み、400〜500人が既に故人となったと見られ、日本財団とともに国籍取得を支援しているフィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)では残る900人前後が日本国籍の取得を希望している、と見ている。

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200人目となった赤嶺オーロラハルコさん(左)


これに対し現在、8人の審理が家裁に係属、近く約50人が就籍の申し立てを予定しているほか、証拠関係が比較的豊富な約500人について申し立てを検討している。残留2世の陳述書作成に在フィリピン日本大使館員が立会い署名するほか、就籍の申立先を父親の出身地に近い地域の家庭裁判所にするなど対応が進んでいるが、関係者の高齢化が進む中、現在のペースで問題を解決するのは不可能。

これを受け日本財団の笹川陽平会長は「一人でも多くの残留2世が生存中に日本人の証を取得されるためにも司法だけでなく国を挙げて対応を急ぐ必要がある」、PNLSCの河合弘之代表も「就籍許可者が200人に達したことは最大の成果であり、限りない喜び」としながらも「最後の一人まで国籍を取るべく、日本財団、フィリピン日系人連合会とともに尽力する」とのコメントをそれぞれ発表した。



● フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC) ウェブサイト
タグ:フィリピン残留日本人
カテゴリ:世界







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