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志は満たすべからず 楽しみは極るべからず

満たせないほどの大志があり、
楽しみを極めないだけの慎み深さをもつのは
なかなか、大変なことだ…と、思いますね…。

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わし


いまのネタ
今月のしょぼい更新
ぼろぼろの図書館がよい[2007年03月09日(金)]
 最近学生諸氏が就職活動などで勉強会ができないでいる。来週ぐらいはやりたいものである。その一方で、新しい職場が追加されたが手の出しようがない。自分で勝手にやっていいクラスならどうとでもするのだが、決まった内容のテキストを使ううえに機械まで使うとか。三科目もあるのに20日を過ぎるまでなぁ〜んにもできない。

 そういうときはどうするかというと、おきまりのパターンだが自分の勉強を必死こいてする。で、ずっと部屋にいることになるので、結構運動不足の上にちょっと引きこもった気持になる。これはあまり良くない。考えもまとまらないし、文章も書けない。体力も落ちるから集中力もなくなる。それは前回書いたこととつながっている。

 そこで、昨日ちょっと欠けている資料を探しに図書館に行った。所属の事務室の方に用事があり、研究室図書館で調べものをして本を一冊借りた。その後大学図書館に行ったが5時過ぎだったのにもう閉まっていた。何でだろうと思い、外の掲示板を見ると蔵書点検。で、確認して今日また出かけていった。そうしたらちゃんとあいていたが、調べたい資料は取り出せない、印刷はできない、貸し出しもしていない…。だったら閉めとけ〜!o(`△´)と怒りたくなった。結局週明けにならないと閲覧も、貸し出しも、複写もできない…。来週ちょっといないんだけどなぁ〜。それにあわせて資料が欲しかったんだけどなぁ〜。(T_T)



 実は、三月の給料で二か月暮らさなければならないため、緊縮財政で暮らしている。そうなると、いつもなら電車に乗って大学に行くのだが片道250円を節約するために歩いて行くまたは帰ってくる。まぁ、単純直線距離で四キロぐらいあるかと思うが、歩く、あるく、歩くのだ!ただし、往復はしない。どっちかだけ歩く。
 最近このパターンが多い。貧乏な分だけ自分の足で節約せつやく。しかし、こんな風に敢えて自分ででかけるぞ〜と出かけていった図書館通いに限っての不発弾を放ってしまって正直、ぼろぼろな気分である。



 図書館に行くとき、あらかじめ図書館の書籍検索をしてから目星を付けていく。そうするとその棚の周辺には検索に引っかからなかった面白いものが出てくる。しかも、背表紙にタイトルが書けない程薄い冊子などがちょこんと一緒に立っているのでそれを手にしてめくってみたいすると、面白いものが多い。おそらく知っていれば探し出すだろうが、「こんな事件あったのか…」といったような何かの事件の被告になった人のための支援団体が作った冊子などがあって、調べている占領期の資料の隙間にあったりする。それが意外にも報道で「犯人視」されて有罪判決を受けた人のものであったりすると、興味津々で図書館の床にどっかり座り込んでしまう。親切なラインは、踏み台が置いてあるのでそれを椅子代わりにすわるのだが、ないと構わず座り込む。そうしながらいろんな本をあさって楽しんだりする。だから図書館に行くとかる〜く1時間2時間過ごしてしまうので、時間に余裕を持って出かけていかないと閉館時間(大学の図書館は夜遅くまで開いているので気にしなくてもいいが研究室図書館は17時まで)になって係員の人に「閉館時間なんですけど〜。」と迷惑そうにされてしまう(笑) 迷惑そうにされるのは院生時代に比べたらかなりあたりが柔らかくなってきて「あの〜、すいませ〜ん、閉館時間ですので…」と。時間を守らなくてはいけないのは、院生だろうが教職員だろうが同じです。ま、確かに柔らかくいっていただけるとありがたい。

Posted by さんちん at 17:49 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

とうとう三月になってしまった。[2007年03月04日(日)]
 二月から三月という時期は、非常勤になると全て自分の時間になる。もともと全て自分の時間なのだが、自分の脳や心の中に埋没していく時間という意味での自分の時間である。すると、これまで振り返ることのできなかったいろいろに気がつくことになり、欝とした気分になる。
 そんなときは、一面考え事を巡らすには最適な場合があり、テーマについてごじゃごじゃと脳神経のシナプスを動かしまくる時がある。まとまらない考えをまとまらないなりに形にはめてみたり、バラバラのままバラ売りのようにあちこち違うところにくっつけてみたりする。モノになるような事はほとんど自分には無理だからたいした期待もしないが、やはり性分かなと思う。なんとか小さくてもショボくても形にならないかなぁ。くどい文章がクセだから、スッキリまとめてみたい。できるかどうか、やってみなくちゃわからない。なんにせよ、やっぱりやってみるしかないな。
…これが脳神経のシナプスを動かしまくる、私の脳内の姿である…
 これが内なる自分の活動要因だとすると、外からの要因というか要素もちゃんとある。そのバランスは、とれているから気がつくのではなくて、多分、見つけ出すことでバランスをとっていると思う。



 去年秋にようやく一本の原稿が書けて、一つの壁に手をかけた。まだ登りはじめたばかりの壁だ。そして、ようやく、そして久しぶりに、本当に久しぶりに本来の目的範囲である占領期の資料をひもときはじめた。正直、つらいものである。本来の計画で進めばこんなところにとどまっているはずではなかった。
 それでも自分はまだここにいて、どこにもいけないのだからやるしかない。集めた資料に再度いちからチェックを入れはじめると、まだ院生だったころに必死に詰め込んだ情報がかなり頭から消えていると痛感した。だんだん作業が過去に追い付いてきて、あれこれ目を通していると、我ながら一通り文献は入手してはあるとびっくりした。どっからこんなもの見付けてきたのか?と思うものや、まだ目を通していないものがやまほどある。



 今更なのかも知れないが上をみても下を見てもキリがない気がして途方に暮れそうになる。やめてしまえばそこで終り。ここから先に行くにも越えなければならない山や壁がある。だったら上でも下でもなくて、ココをみて目の前のコレから始めるしかないように思えた。内なる何かがここで少し…心臓が脈動とでもいおうか、内なる何かが動き始める、そんな兆しを見せ始めたと思ってもらいたい。
 私には、わりと知り合いが多い。しかし、知り合いと友人は大きく異なる場合があり、友人はそれほど多くないと思う。友人や仲間はこれまたそれぞれ互いに接点は何のに、なんだか不思議な人が多い。みんな何か不思議な人だ。友や仲間というのは面白いことに、滅多にあわなくてもあった瞬間に、前にあった時間との間の時間を跳躍する。あわなかった間の長い時間を全部吸収してくれる。たまに会う友人は時に厳しい意見をくれる。わかっていてもなんだかどうにもしようとしない、自分を引きずり戻して目の前に置き直してくれる。自分でなんとかしなくちゃどうにもならないのだと剥き出しに見せてくれる。毎回へこまされるが、実は一番ありがたく、そして友人も辛いのかもしれないが必要と腹をくくっていってくれたと感じる。
 そういえば、そんな仲間は長い付き合いになってるな…。割りと…いい仲間いるではないか…自分には。
 切磋琢磨してきた仲間は、ありがたい。

Posted by さんちん at 14:07 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

匂いおこせよ梅の花…[2007年02月16日(金)]
 今日は久しぶりに大学に行ってきた。勉強会なぞをしたのだが、あまりいい感じに進まずちょっと不首尾な感じ。何となく楽しそうでなかったのが残念。メディアの基礎的な教科書の第一章をまず自分が担当してやってみたが、難しかったかなぁ…でも、基本的なことだからはしょることもできず淡々と進めたのでよけいに…いらんことをいろいろいうてしまいました。

 大学は…九州の某有名藩邸の跡にあるためか、四季折々の花と香を楽しむことができる。いま梅が赤、白、緋、しだれなど、色々楽しめる。ここのところ風が強いので今日はダメだったが、昨年は本当にキャンパスには梅の甘酸っぱい香が立ちこめて何ともおいしい空気を楽しむことができた。

 東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ 

…でしたっけ。古今和歌集には本当にたくさん梅をうたった和歌がある。1980年代頃に「カラー」という白いラッパ型の花が流行ったように、当時梅は中国から輸入した、貴族の流行の花だったのも一つの理由であり、明後日が旧正月であるということからこの時期咲く花としては、正月の花という象徴的なものでもあり新年を祝う歌に織り込まれることが多い。



 月夜にはそれともみえず 梅の花 香をたずねてぞ知るべかりける

 京都御苑のなかはいつでも散歩できるがまぁ安全のためには夜間に一人で行くのを咲けた方がいいかも知れないが、夜になってから御苑の中をどうしても歩いて通過することになった時に、梅林から何ともいえずいい香りが夜の静寂を伴って漂ってきたことで、ちょっと心細さが和らいだことがある。

 自宅の庭にも紅白の梅としだれがある。先週帰ったときに少しずつ咲き始めていた。まだ母が元気だった頃、どこから来るのか住宅街なのに我が家の庭にウグイスがよくきて唄う練習をしていた。あのウグイスのうたにちゃんとなるにはずいぶんと練習をしなくてはダメなのだ。良い声でうたえるようになるまで、母は自宅で家の仕事をしながら今日はまだまだだったとか、だいぶうまくなったとか教えてくれたものである。メジロなどの小さな鳥が我が家の庭には良く来るが、最近ウグイスの話は聞いてないなぁ。来ていても母がいないから聞いている人がいないのかも知れない。今年もウグイスは来るだろうか。風が強い今年は、香がウグイスに届かないかも知れない。

 花の香を 風のたよりにたぐへてぞ 鶯さそふしるべには遣る

Posted by さんちん at 18:45 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(8) | トラックバック(0)

東山へ散歩に[2006年12月11日(月)]
 昨日の朝、時々メールをやりとりする友達から「お茶しにいきませんか?」とメールが来たので、朝寝していた自分は少し遅れて「いいよ〜」と返事をした。ホントに近くでお茶を飲むんだと思っていたが、昨日はとてもいい天気だった。四条通に出てみると八坂神社の方がとてもきれいに見えたので、「あっちまでいってみっか?」ということに。

 京のぶらぶら歩きは人混みという川の流れの中に身を置くようなもの。今年は特に冬の訪れが遅いのでまだ山の木々は色とりどりである。だから日曜日の観光客はめちゃめちゃ多い。

 四条通を東へ東へ。ちょと寺町へ寄り道したがとてもじゃないがどうにもならないぐらいの人混みで出てきた。で、河原町を下ってもう一回四条に戻る。そして鴨川を渡り、祇園を通り過ぎ…。八坂神社に入る。入ったが別に何ということもなく、円山公園に流れてゆき、芋棒の店の前の広場にケージに閉じ込められた「猛犬」くんを横目に知恩院へ。昨日放送の『ラストサムライ』の撮影をしたというすごい階段を上り、友人と一番上でぜぇぜぇ?ってほどでもなかったが、「帰りは女坂で帰ろう」と。

 知恩院も実は閉門間近だったのでするりと中に入り、あちこち覗いて降りて帰ってきた。そしてまた「猛犬」君の横を通ってうろうろ。あれ?また「猛犬」君の横に戻ってきたがな(笑)地元人間の友人も、実際観光地をぶらぶらすることなどないので「いい雰囲気やね〜」いいながら再び「猛犬」君の横にでたときはびっくりした。

 そして、どっちいこうか?ってなったので、八坂神社を北に行こうと提案。清水寺方面である。ぶらぶら。高台寺の当たりで「ねねの道」の前に来たらお坊さんが歩いていたので後頭部を拝みながら登ってみたくなった(笑)高台寺のどでかい石仏?を横目に小径を降りていくところで八坂の塔か?ってなのを見たので、ぱちりと一枚。奥の方にかすかに京都タワーと西本願寺の御影堂修復の巨大な建物が見える。



 で、ココで、そうだ!なのである。ワシ等は「おちゃしませんか?」で出てきたのである。なんかそろそろお腹に入れたいぞ。しかし、なんもない。境内の茶店も引かれたが、とりあえず降りた。で…清水さんにいく方の道でどっちに行くか悩んだときに、ちょっと迷って、もうちょっと北に向かおうということに。その入り口。
 実はそこ二寧坂。そこには…前に一度よったことがあるが反対側から来たので気がつかなかったが「いちせん」というお店がある。ここはちょっと前に関西の番組MBSの「ちちんぷいぷい」で取り上げられたことがある。前回はお昼の御膳をいただいたのでデザートまで楽しまなかったが、今回の友人は、意外にも無類の甘い物好きらしい。そこで食べたパフェにものすごい感動している。写真採れば良かった。抹茶アイス、黒蜜アイス、バニラアイス、くずきり持ち、栗、あんこ、そして器の底に抹茶プリンが密かに隠れている。結構な量だがこれ本当においしかった。



 そして、「いちせん」は、おそばもおいしい。そしてそして、実は「おじゃこ」がうまい。京都のお総菜「じゃこ山椒」だが、ここでは変わり種がたくさん。その中でも「ちちんぷいぷい」で取り上げられた「にんにく唐辛子入りじゃこ」香ばしさがあって、ぴりっと感があって、そして甘辛い。ご飯にも、パスタにも、実は冷や奴にもあう。



 敢えていうが、辻利も小石もちゃんと味わった上で、「いちせん」のパフェはお勧めである。いろいろある。そしてボリュームがある。そしてうまい。感動がある。そして、「にんにくおじゃこ」を是非どうぞ。

Posted by さんちん at 12:24 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(2) | トラックバック(0)

休日なんだな…[2006年11月23日(木)]
 貧乏な非常勤は、なぜか「月曜は避けて欲しい」と言われていたので、月曜日は仕事を入れていない。だから月曜の休日は別に特別ではないのだが…こんな風に真ん中あたりでお休みが来るとちょっとありがたい。大した量の仕事をしているわけではないのですが、やっぱりたまにはぐったりするときもある。風邪を引いても、体調が悪くても、前の晩に徹夜しても、やっぱり学生の顔を見に行きたくなるので休講はほとんどしたことがない。学生には迷惑な話である。

 実は25日から学祭期間に入り、29日は創立記念日でお休みである。ただ…金曜日は通常の講義があるので朝起きるの大変だぞ〜。
 
 ただ、こうしてお休みが入ると、ちょっと普段読んでいる時間のなかった専門書を集中的に読んだり、資料用に録画してあるドキュメンタリーなどをだらだら見たりできる。そうすると次になにしようかな…というちょっとした頭の整理もできたりする。



 正直、今まで自分の時間を自分を活かすためには使ってこれなかったと思うふしが多々ある。で、ちょっとゴタゴタっとしたのだが、とうとう気持は吹っ切れた。それからこっち、「よし。やったろやないか!」と思える、心の力みたいなものが湧いてきているように思える。
 ところが、これまでお休みの日は、ほんとうになぁ〜〜〜〜んにもする気がわかず、じっと机に向かっているだけになっていた。実際に全く仕事が進んだ気がしなかった。それがどんどん積み重なって、どんどん悪い方向へと気持が向いて行く。そしてどんどん自分を追いつめていく。これがかれこれずーっと続いていた。
 
 別に何かを乗り越えたというわけでもないだろうが、なんだか自分らしさってなんだろうな〜と思うようになった。んで、あ、自分って自分で作ってるんじゃないんだなと思う一方で、せっかく作ってきた自分が死んでるなぁ〜と思った。性格だから仕方がないものもあるが、問題があるなら俎上にのっけてみて、解決方法を考えたらいいじゃないかという、ある種の風通しの良さが、自分らしいスタイルでもあったのだが、それが「トラブルメーカー」的な面としてとらえられることがたまにあったりしたことで、問題のあることを直そうとすることは、いけないことなのだろうかと悩んだり、イヤなものをイヤと言うことが罪になるのではないかと思う場面に何度も何度もあうことで、どんどん風通しの悪い自分になっていた。



 ちょっと、荒っぽいやり方だったが、一つ自分の中での風通しの良さを取り戻したのかも知れないな。これも、いつも近くにいてくれる仲間のおかげと思う。「近く」ってのは別に物理的に近いことではない。メールをくださったり、ブログにコメントを入れてくださったり、電話をくれたり、いきなり部屋に遊びに来たりする、いろんな人がいて、自分がいるなと思った。

 うつむいてると、たくさん歩いてきた靴の汚れがよく見える。これも見るべき自分の姿。でも、もっと見なくちゃいけないのは映っていないと思いがちな、空に映る自分の姿。背筋をしゃんと伸ばして、まっすぐ前を見て、自分の歩幅で歩く、自分だなと。母に言われたことがある。「いばるというのは“威張る”のではなくて“胃張る”」正しい姿勢でいれば、自ずと見えてくるものが違ってくる、心の姿勢もすがすがしいものになるんだということ。良い姿勢で、良い心。そうすると自然と「優しい」人が集まってくるものなんだな。「優しい」人は、実はとっても厳しい人でもあるということ。信頼は1秒で失えるから。でも信頼を勝ち得るにはなかなか大変なもの。頑張らなくちゃいけないけれど、これは決してつらくない。間違ったことしないでいいから。

 お休みの朝を迎える前に、ちょっと書き留めてから寝ようと思ったので、こんなに遅くまで起きていることになった。…これから、ゆっくり朝まで寝ます。

Posted by さんちん at 01:58 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(2) | トラックバック(0)

週末は色々勉強になった[2006年11月15日(水)]
 実はムリヤリだったのだが…というかほぼ脅迫されたように出席を承諾したのだが、週末には、かれこれ70回以上続いている学術会議が行われ、下っ端ながら参加させていただいた。最初はちょっといや〜な気持だったのだが終わってみて思う事は色々と収穫もあってちょっと満足度も高かったということ。

 ふた月以上前にメールが来た。「11月に◎◎のフォーラムをやるのだが、でたいかでたくないか返事をください」とのこと。本当はもっと色々書いてあったうえに、「否」といえばおそらく相当危険な状態に陥る可能性が大を敏感に感じとれる文面だった。期限が切られていたので、「それまでには返事をします」と返事をとりあえず送ったが、「でるのか?でないのか?」としつこく問い合わせがくり返しやってくる。それでも自分のスケジュールの判断ができずぎりぎりまで引き延ばして「諾」といった。

 それから講義の準備があるわ、自分の論文の書き上げに時間がかかっているわ、自宅の方でもいろいろあるわで充分な準備ができず、直前までアワアワしていた。しかも金土日と三日間も、毎日8時間、昼食をはさんで延々と行われる。20人程の発題者と討論者がいる。いろんなタイプの人がいて、いろんな分野の人がいた。金曜日は講義を二コマすませてからの参加だったので最後の1時間半程しか参加できなかったが、何となく支離滅裂のような感じがした。
 土日は朝からばっちり参加したが…自分が漠然と考えていた事などに大きな確信を得る部分もあり、一方でまだまだ考えが浅いなぁと自分で思う事もあった。更に、今回は自分の専門分野との絡みでのテーマだったので、自分の分野において、今は先生との関係はあまりよくないのだが、先生の下で学んだことについて改めて感謝したいと思った事もあった。

 ただ、全体を通して思った事は、参加されていた方々のほとんどがそれぞれの分野の第一線で活躍されている方であって、それぞれに立ち位置がちがう人たちであったという事もあったのだと思うが…お互いに豆鉄砲のばらまき撃ちをしあうだけで、自分で考えなければどこに「発展性」を見出していくのか、議論した事をどうやってこれからの社会に生活に人に活かしていけるレベルにまで持ち上げていくのかという点において、明確な提言なりが聞き取る事ができなかった。疑問はたくさんあるのは当然であり、多数の人間がいるのであれば異論が出るのは当たり前である。しかし、限られた時間においてどこまでの発展性を見出していけるのか、互いに努力しなくてはいけなかったのではないかと思うと、ちょっとそういう協力体制ではなかったなと思った。おもしろい意見がたくさん出た、そこに収穫を得るものなのか、こうした会議に出る事はめったにないので自分ではどこに決着点を見つけたらいいのかわからなかった。
 
 たくさんの人に出会えて、たくさんの新しい考え方を見たり聞いたりすることができ、新しい発見もあり、今まで考えていた事に修正を加えたり、確認を取ったりする事にもなった。たった一言、いいたくていえなかった言葉…。「共生社会」という言葉。この言葉を全体に対して投げかけたらもしかしたら、ぎゅっとまとまりを得たのかもしれないと、今さらながら思う次第である。

Posted by さんちん at 18:04 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(9) | トラックバック(0)

ちっちゃい事が気になった。[2006年11月05日(日)]
 金曜日は、仕事が終わると気散じに四条通から河原町までをぶらぶら歩く事がある。錦市場の通りを歩いて行く事もあるのだが、いつもにぎわっているので、歩くのが速い自分としては逆に疲れる事もある。とはいえ、教壇に立っているだけの毎日で、人混みにはいるのも結構いろんな意味での気分転換になる。
 
 そこで、気になった事があった。カバンである。最近ではとても若いお嬢さんお坊ちゃんたちもブランドものの高級バッグをお持ちである。欧米ではLVは年輩の方のブランドなのだが、最近でか〜い店が四条通に店舗を構えている。まぁいい。問題はそこではなくてカバンの…口?蓋?である。ステキなバッグを持っているひとがたくさん歩いている。身なりも皆さんおしゃれを楽しんでいらっしゃるようである。
 しかし、カバンの口が開いたままである。あきっぱなしである。ファスナーだとカバンの口がこんな感じになっている。( ̄〜 ̄) フラップの場合だと( ̄□ ̄)とか( ̄△ ̄)。なんとな〜く、たったそれだけでだらしな〜い感じに見えるのだが…。

 昨日も日中ちょっと出かける用があったのだが、やはりそういう人が男女を問わず多い気がした。安全の面でも、身だしなみの面でも気にしていただけるといいなぁと思った次第。

Posted by さんちん at 13:56 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(8) | トラックバック(0)

季節の便り[2006年10月26日(木)]
 先週自宅に帰って、自宅のIT革命に奔走したのだが、その合間に姉と二人で歩いて夕食の買い物に行った。姉は二人共だが、茶道も華道も煎茶道も相当にお稽古を積んだ人たちで、頭の回転も速いためか、どんどん上の方に行った優れた人たちである。だから、花や木の知識が豊富である。

 歩いての買い物は、行きと帰りでルートを変えてあるく。この姉は犬も大好きで、何処にどんな犬が居て、どの犬がハンサムで、どの犬が愛嬌があっておもしろいとか、ご近所の「犬データバンク」があるらしい。おもしろい人である。犬データバンクに沿って、あちこちの犬を見ながら帰ってくる途中、「あ、」と行って指を指した先には白い花が咲いていた。「なんですかぃ?」と聞くと、「これ、お茶の花だよ」と教えてくれた。「へ〜っ。初めて見たような気がする」と行って、深い緑の葉の中に咲く、ちいさな白い花はしべの黄色も鮮やかでかわいらしい花である。そして、その横には茶色っぽい「ころっ」とした実がなっていた。「お茶のみだね〜」と。「お茶飲み?」と手でお茶を飲む仕草をしたら「ちがう〜!お茶の“実”だよ(笑)」と。

 そこで、人のうちの垣根になっているお茶の木の花と実を携帯のカメラで取り始めた。ところがちょっとどうも管理が悪いのか虫食いだわ、虫の巣だらけで白い蜘蛛の巣の細かいのだらけだわ、なかなか苦労した。 

 あれ?うちにもお茶の木あるじゃない…そこから離れて少し経ってから自分で気がついた(笑)…つまり、初めて見る花ではない…と言うことである。( ̄▽ ̄;

 うちのお茶の木は父がヒマを見ては消毒をしたり枝を払ったりしているため、きれいなものだった。日当たりが悪いので最近はお茶を摘む事もないが、そういえば、子どもの頃はよく新芽を摘んだものである。お茶の花は…秋なんだね…。いい年にならないと、こういった事ってのは余り感動しないものかと…ちょっと思ったりする。
 初夏に咲くみかんの花、夏に見る栗の花、柿の花、秋のお茶の花、冬はなんだろうね。冬の終わりがけに大学の構内は梅の花が一面に香る。これはえもいわれぬやわらかい春の兆し。
 梅は例外だが目立たない花で季節を感じるものとっても楽しい事である。
 金木犀の花はとっくに済んだが、今は多分普通の木犀の花が咲いている。白いつぶつぶの花が大学の近くに咲いていて、甘酸っぱい爽やかな香りが漂っている。10月も末になってきたのに、上着のいらないこの温かさの中でも、木々は自然の巡りを敏感にとらえているんだなと、ちょと思った。

ちなみにこの柿は10月の初頭にとったもの。既に腹におさまっている。
秋の味覚は健康にいいのである。

Posted by さんちん at 17:42 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(2) | トラックバック(0)

あさがお[2006年09月13日(水)]
 今年は夏の来るのがちょっと遅かったせいだろうか。八月に我が家の朝顔はあまり咲かなかった。週末自宅に帰っていたのだが、朝起きると庭の朝顔がたくさん咲いていた。実はこの朝顔、種は今年2月末に九十三で他界した母方の祖母の自慢の畑からわけてもらったものである。それを父と姉たちが自宅の庭で育てて毎年種を取っている。ちょっとずつでもいいから、何か残していけるってすごいなと、祖母のことを改めて思った。

 そういえば、昨日は父方の祖母の命日だった。この祖母は85になるちょっと前に他界。当時、自分はメリケンにいて試合の遠征中だった。連絡をもらってもかえるに帰れず、四十九日も来られず、年末に帰宅して納骨に立ち会っただけだった。実はこの祖母と自分は本当に顔がよく似ている。ずぼらさとか、仕事のあいまいさとか部屋の汚さとか似ている(笑)結構似ているから、何となく抵抗がある。いいところだけ真似しよう。悪いところ、いやだったところは自分にもそのままあると思って自分を戒めよう。

 対照的な祖母二人、色々なことをこの二人から学んでいこうと、今さらながら思った。

Posted by さんちん at 10:48 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(2) | トラックバック(0)

伊豫の国紀行:内子座[2006年09月06日(水)]

内子座の入場券


 船長先生のお誘いで、松山に行ってきた。…といっても八月のこと。松山には既に2〜3度訪れたことがあったので、実際にこれ以上どこで遊ぼうか?というのもあったが、今回は船長先生が内子に連れて行ってくださった。…相変わらず他力本願な旅行が多いな。

 内子の町は、愛媛県喜多郡内子町にあり町ぐるみで何かと昔のものを保存しており、町のあちこちに史料館のようなものがたくさんあった。ドライブついでに午後からぶらぶらするには最適なところだと思った。その日は台風の影響もあり、いきなりバケツをひっくり返したような雨も降ったが、まぁ、傘さしてぶらぶら…。町の人もとても気さくで話しかけたらすぐににこにこ返事を返してくれる。メダカの増やし方に奮闘したおばちゃんの話を聞いた(笑)



 色々見るところがあったので、それらのことはぼちぼち記録するとして、やっぱりまず、内子座の話。芝居小屋…といえば京都南座、名古屋御園座…東京は…歌舞伎座?そんな感じで、内子座。歌舞伎の演劇場である。とはいえ、とっても小さな演劇場で、昔ながらの…といった感じだった。
 入り口は( ̄0 ̄?おや?というくらい質素なもの。「そこの路地曲がったトコ」ぐらいの場所で、入り口にちょっとのぼりが立っていた。履き物を脱いでスリッパに履き替えると、これまで、これからの歌舞伎の興行やお芝居の興行のポスターなどがかかっている。頭上に、歌舞伎ではおなじみの、鳴神、暫、助六などの額絵がかかっていた。「金も名誉もなかりけり」の助六のその身上は…ちょっと身近なものであって、なのに恋に、人情に生きるその姿はちょっと好きだった。

  


 中に入ってみると、目に飛び込んでくるのはやはり舞台と背景の松。現代の劇場を思っていくとまず違和感があるのは枡席。相撲を国技館などで見たことがあれば似たものがあるが、ちゃんとした木枠で、狭い通路も何となく昔の人の動きの奥ゆかしさというのが感じられる。

 舞台にはちゃんと仕掛けがいくつもあって、スッポンも、せり上がりも回り舞台もあった。時代劇などでも時々大奥のお女中が芝居見物をするときなどに座る桟敷席というものあり、二回の正面である、大向(おおむこう)も立派な作りだった。
 舞台の下を奈落といい、奈落の底に突き落とされた…という奈落と同じらしいが、あまり証明もなかったので真っ暗だった。ホントに奈落の底か?とおもえる暗さ。石を積んで頑丈な土台ができておりそこに回り舞台の仕掛けがあったり、スッポンなどの仕掛けがある。舞台裏から奈落にはいると花道の下を通って花道の裏手にでる。

 なかなかステキな芝居小屋だった。ここなら、きっと本職の歌舞伎も見栄えのすることだろう。いつか本物のお芝居を観てみたいと思う、楽しいくつろぎの時間をもたらしてくれそうないい場所だった。

Posted by さんちん at 14:46 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(9) | トラックバック(0)

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