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志は満たすべからず 楽しみは極るべからず

満たせないほどの大志があり、
楽しみを極めないだけの慎み深さをもつのは
なかなか、大変なことだ…と、思いますね…。

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わし


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うし君がエイズ検査?[2006年07月26日(水)]
 ぱぺっとまぺっとのうし君が公共広告機構(AC)の広報にでている。AIDS検査の広報である。検査には匿名で無料、そして検査結果も本人以外には伝えないという内容を伝えたものである。

 ところで、公共広告機構は…別に政府の機関でも何でもない。民報、大企業によって構成されている。骨髄バンク、臓器提供ドナーカード、違法薬物、いじめ、その他数々の社会問題などを意見広告のかたちで数多く流している。悪いことではないが、ときどきあまりバランスが良くないなと思うものがあるから要注意の場合がある。

 ACは名前を聞く上では行政機関の一部かと思うがそうでもない。かえる君がAIDSの検査に来なかったということは…どういうことなんだろう。うし君の場合…ちょっとだけ…BSEの検査では?と思った。

Posted by さんちん at 17:50 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(6) | トラックバック(0)

魂の還る雨[2006年07月19日(水)]
 一月ぶりに中越の小千谷、塩谷地区にお邪魔させていただいた。悩みながら不安にまみれながらの再訪であった。京都を出る朝はむしろ青空が見えたのであまり何も考えず出かけていった。列車が日本海に向かうにつれて雨脚はきつくなり、横風に揺られた。ちょっと乗り物に弱い自分としてはきつ〜い旅である。長岡に着くと落雷で小千谷に向かう電車は止まってしまった。迎えに来てくださる福さんが長岡まで足を運んでくださり、ひろっていただいた。助かった。(-。-) ほっ。
 だんだんと雨がきつくなってきた。そしてとうとう本格的に降り出した。



(『新潟日報』2006年7月17日1面)

 今回塩谷にお邪魔したのは、中越地震で命を落とした3人の子供達の慰霊塔開眼式に参加させていただくためだった。何も知らない自分がお邪魔していいのかとおもったが、いのちの尊さを感じる人間が一人多いことを咎められることはなかろうと思い、出かける決意をした。前夜の迎え火を被害にあった子どもの一人のお家跡で焚いた。本当に何も知らない自分が悔しいと思った。一生懸命雨と戦って迎え火を焚いていたおじさんが、その子の父親で、その場所がその家族の住んでいた場所だとは知らなかった。そして、そのおじさんは意外な人物の息子であったと知ってますます無知なる己を恥じることになった。知らぬが仏ではなく、知らぬが罪であった。その罰は心に残ることに変えられた。
 しばらく迎え火を焚くことに参加したがあまりの寒さに体の芯が冷えてきてあえなく退散した。その後、差し入れられた色々な食べ物をいただきながら皆さんとおしゃべりをした。温かい、暖かい場所に癒された気持で一杯だった。庵で一晩過ごした。
 翌朝、慰霊塔開眼式参列した。関わりのあまり深くない自分なので、できるだけ後ろの方に立っていた。しかし、実際に行けば本当に悲しい気持で一杯になった。自分の献花の順番が来たとき、何ともいえず切ない気持になった。母を先に見送ることになった祖母の顔を思い出した。



 翌日まで庵で静かな時間を過ごした。牛のおじさん所へ遊びに行って、隆正君という牛の食事を拝見。その食べっぷりには命のすばらしさを感じる。インドで牛が聖なる生き物であるのはこんな気持かなと思うほど、塩谷の牛には威厳がある。物言わぬその威厳は、物言う生き物にはかなわないのである。

 慰霊塔の式典のあいだ、やわらかい雨が降り、そしてだんだんと強くなった。その時ふと思い出した。何で読んだのか忘れてしまったが、「亡くした命は煙と一緒に天に昇る。そして、雨になってその土地に還ってくる。そして更なる命をつなぐのだ。」という一説があった。3人の子供達がそっと降りてくる、そしてだんだんしっかり降りてくる。そんな雨だったのかなと今さらながら思った。命の雨は強い。雨に当たった自分は、すっかり熱を出して寝込んでいるのである。お父さん、お母さんの心が通じた雨だったのだろうか。私には支えきれない心の弱さも感じた。それだけ、私もがんばれるという心の強さを得たいとつくづく思った。人との出会いで個は作られるのである。
 迷惑小僧は心から皆さんに感謝である。<(_ "_)>

Posted by さんちん at 14:07 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

久々に仕事した(笑)[2006年06月19日(月)]
 薄給の中、自宅に帰るのもなかなか大変である。何でもないのに時間におされているので、うまく時間がとれずに帰宅したのは一ヶ月ぶりでもある。父に新潟に行ってきた話をしたら、「大切なことやな」と理解を示してくれた。もちろん、何をしてきたのかとか、どんな人にあったのかとかも話した。その勢いで、「うちで仕事手伝ったのが役に立ったよ」といったのが運の尽き。「うちの薪割りはまだすんでないぞ」と。まぁ、そうなるだろうと思い、覚悟していたので準備もしてあったし、帰宅後すぐに作業に入った。土曜日は、仕事を始めたら1時間ほどで雨。後は薪小屋の片づけをちょっとした。日曜日は姉が花の苗を植えるので、買い物に行くまで2時間ほどあり、ずっと割り続けた。

 薪割りは経験された方には、何でこんな事書いてンの?ってなテーマである。まぁ、いいんです。書きたいから書いたんだし。体調崩して試合前なのに稽古できていないから、筋トレの代わりにやったんです。

 時代劇に出てくる薪割りは、実は、とても割りやすい木ばかりで、実際にはあんな風にはいかない。節があれば絶対にまっすぐ割れないし、どんなに力を入れても歯が立たないのが現実である。住宅を壊したりした柱はそれほど面倒ではないが、丸太はなかなか能力と技術がいる。なれたらむしろ簡単でもある。

 この丸太は、直径40p弱。これを割るには、いきなり真ん中から割っても絶対に無理。お相撲さんならできるかな。でも、きっと斧の方が傷む(笑) 木は裏から。日の当たらない方から割ると割りやすい。竹はもとから。これも根本の方から。これが薪割りの原則だそうだ。誰から教えてもらったんだろう?小さいときに教わったので覚えていない。父か母か…。母だったようなきがする。

 なので、外側をはぎ取るようにいた削りにする。もちろん狙ってそこに刃を立てる。これをどんどん回しながら板状のものをたくさん作る。

 最後の方になると真ん中だけになるので、これを4〜6に割る。板状になったものは斧または薄目のものは鉈で割る。そうすると、丸太一個で、だいたい竹箕に一杯分ができる。太いのは枕に、細いのやクズは、焚き付けや追い焚きに。それぞれ役割がある。

 『魔女の宅急便』で、魔女のキキが薪のオーブンの使う場面がある。あの仕事の手順は正しい。ちょっとだけ疑問があるとすれば、あれほどの大きな薪に枝の小さな火が簡単に燃え移るかということだけ。ちゃんと乾いた、角のしっかりしたものであれば可能であるから、その辺は許容範囲。

 土曜日の分はたいしたことはなかったが、二日で割った分はこれだけ。太陽光温水器を使う夏場はこれだけあれば、半月から20日はある。冬場だと2週間あるかないか。だから、冬場の方が自宅に帰る回数を増やさないと、父上の腰が痛くなる。結局、腰を揉むのはσ( ̄_ ̄)の仕事。同じである。

Posted by さんちん at 23:25 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

朋遠方より来たるあり。[2006年05月03日(水)]
 ようやく連休になった。…とおもったら、もう半分終わったが…
何年ぶりだろう…3年ぶりぐらいかとおもうが、もっと長いかもしれない。いちばんつきあいの長い友人が遊びに来てくれた。前にも感じたが、本当に「友人」と呼べる人は、どれだけ間に時間があっても、まるで昨日もあったような感じがする。

 電子メールでやりとりすることは時々あるが、それもお互い余りに無沙汰がつづいたか、何か伝えたいことや、聞いて欲しいことがある時にだけで、でなければめったに連絡を取ることもない。だが、なぜかいつも、「そろそろ…」と思うと連絡が来たりする。互いに文明の利器を持ちながら、使うことがなかったのも不思議である。

 以前に学生たちとお昼ご飯を食べながら、携帯でのメールの話をしたが、彼女たちは「思いついたら直ぐにメールします」といっていた。私自身もそうした傾向はあるものの、時に思うことがある。あわない時間、言葉を交わさない時間、そんな時間を大切にできるから、友を大切に思うことができるのではないかと。だんだんとすることが多くなって、思ったように連絡が取れない時間が増えるにつれて、そう思うことがある。学生にそんな話をしたことがあるが、四回生になって就活で仲間と会えなくなってしまう経験を持つと、この意味がわかるようである。たった一年で彼ら・彼女らは、人の暮らしの中にある人との交わりの価値観が大きく変わるものであると…ちょと歳を感じる。( ̄_ ̄;

 で、友人との話だが、話し始めたら話題がつきないのだが、なんだか最近自分から話すことに特に健康管理の話が多いなと…感じて、また歳を感じる…( ̄△ ̄; ここ数年で何度も体調を崩して苦しい思いをしたためよけいなのかもしれない。友人もやはり日々の激務でだいぶ身体の具合を悪くしているようで、色々と話題は弾んだ。

 今回、京都に来たのに京都観光はしなかった。いつでもできることはしなくてもいい。今回、敢えて選んだのが比叡山だった。このあたりも今年は春の訪れが大変遅く、大学の構内の桜もまだ咲いていたほどだった。にもかかわらず、あまりにも早歩きの日々が続いて、ゆっくり愛でる事も出来なかった。友人との連絡でのなかに、「桜を見ることもなかった」とあったので、ふと思い出し、比叡山の桜は一月遅れだからまだ見られるはずだと、調べてみたら、桜祭りをやっているという。なので、友人を強引に誘ってみた。

 京都市内のど真ん中から出かけると、かなり時間がかかるのかなと思っていたが、意外や意外一時間ちょっとで到着してしまったのである。一番の見頃だったのは、ケーブル電車とロープウェイの間の広場で、山頂は色の淡い桜が多かった。桜祭りの場所は、八重桜の多いところだったが、全く咲いていなかった。今年の春はどれほど遅いかよくわかる。おそらく、今週末ぐらいが見頃ではないだろうか。

 おそらく昔はうっそうとした山林の中に寺社が建っていたのだろうと思う。現在ではどこをふり返ってもドライブウェイに車の走るのを見ることになる。最近の流行だと、『陰陽師』に、時折比叡山の話も出てくる。その景色を想像するには現在の比叡山はあまりにも宗教離れした、そして開放的な場所となっている。しかし、平安の頃、人がどれほどの労苦を強いられて、奉仕してこの壮大な寺社ができたのかと思うと、感慨深い。そこにこめられたたくさんの人の平安を願う心がどれほど強いものだったろうか。

 寺社の一角に、何とも甘酸っぱい薫りを漂わせるお宮があった。密教のお寺の敷地内に何でお宮があるのかは、謎が多いが…しかし、八重の緋梅が満開だった。梅は平安時代の初期頃に、中国からもたらされて貴族の間で大流行したものである。菅原道真をまつった北野天満宮や太宰府天満宮も梅にまつわる話も多い。花といえば桜だが、やはり梅を愛する和の心は何とも優雅なものである。凛としてかぐわしい。そして可憐でやわらかい。同じ梅なのに中国や韓国の描き方とはまた異なった梅の絵もまたすばらしい。

     梅の香を袖にうつしてとどめてば
             春はすぐともかたみならまし
                              

 なんとものんびりとした一日だった。あちこち歩き回って、たくさんの果てしない階段を上って、そして山間にぽつりと咲く桜の一木を遠くに眺めたり、琵琶湖を遠望したり、芽吹き始めた薄緑色の葉をぼんやりと光らせる山の木々が何ともやわらかい空気を作り上げていて心地よかった。寒くなく、暑くなく、最高の日和だった。
 春の山々は本当に、やわらかい色合いで好きである。友人も私も日頃からやたらと急ぎ足の毎日なので、どこを見ても気持ちのよい呼吸で過ごせた。

 比叡山にはガーデンミュージアムというのもあり、延暦寺の厖大な広さの中にある和の美しさとはうってかわって、西洋的な鮮やかさで春を彩っていた。たぶん、アネモネの花だと思うが、こんなにも花弁が多いのものは初めて見た。なので、一枚携帯電話のカメラで写真に納めてきた。現在この写真が待ち受け画面になっている。白い携帯電話機にこの写真はなかなか鮮やかで美しい。

 今は亡き母が、その昔「我が家の子女は男女を問わず習いなさい」と茶道、華道、煎茶道、書道を幼い頃から仕込まれた。そのおかげで、花が好きである。花のある、緑のある生活はとてもよい。おすすめする。植物を室内におくだけでどれほど部屋の空気がきれいになったように感じるか。そして、水をやるその心遣いで生き物に対する思いやりも生まれる。
 実は友人は花のビジネスに関わる仕事をている。京都に到着するなり花屋に入り、鉢植えを買った。みやげの代わりだといって、私の部屋に置いていってくれた。粋な心遣いである。

 師曰く、朋遠方より来たるあり。またよろこばしからずや。
連休の残りの一部は家族への奉仕に、そして講義の準備と論文でも書くかなぁ…

Posted by さんちん at 11:11 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

異世界へ突入して五日目[2006年04月08日(土)]
 祖母の四十九日から一週間がたった。
風邪を再び引いたことは前回記したが、
後で読んでみると何を書いているのか
自分でもよくわからない内容でおもしろい。

 この風邪を引いて、不思議な世界に
突入した状態になって五日たっている。
味覚と嗅覚が完全に麻痺している。
自炊しているので、食事を自分で作るが
見た目だけでの料理となる。味見をしても
さっぱりわからないし、臭いがわからないので
煮詰まり具合は目だけで判断することになる。
 こうなると、私もBSで楽しませてもらった
韓国のドラマ「大長今」で主人公が味覚を失った
あのシーンを思い出す。本当にあの状態だ。
ただし、彼女は嗅覚はあったのではないだろうか?

 街のど真ん中に住んでいると、いちばん不快なのは
臭いである。車の排気、歩き煙草、ゴミ、食べ物屋の
ちょっと調和の悪い換気扇からの臭い…。過剰な香水…
 そして、それを消そうと努力しているのか、不必要に
たくさん焚かれているお香のかおりとか…。
結構鼻が利く方なので、敏感になる。
 が…今回、多少重だるいからだをしばいて仕事に出ると、
気がつくのは臭いがしないことである。
不快な臭いがしないのはむしろ嬉しいが、
有害なものを吸い込んでいるという自覚すら失っては
大変怖いものだと感じた。

 この一方で、改めて、臭いと味は一体なのだと
思い知らされた。

 朝、朝食をいただくにあたり、果物の香がわからない。
ヨーグルトに入れる蜂蜜の味がわからない。
食後にコーヒーを入れるが、コーヒーの味も薫りもない。
のどが痛いとおもい、のど飴を口に入れるが、
味も風味も何もない。

 五感、あってこそ…と己の五日間の感覚的な貧しさに
だんだん悲しい気持を持たざるを得なくなっている。
薫り豊かなコーヒーが飲みたい。
口に広がるチョコレートの甘さを恋しいと思う。
毎日食べる特製野菜スープは今回はおいしくできているのか
それすらわからない…。

 目の見えない方、耳の聞こえない方、その他
色々な不自由を感じている方、そんな方々の世界の
ほんの隙間を覗いたようなものなのだろうか。
食べることに…感覚がないとはつらいものである…。
昨日、ようやくいつものお医者さんに診てもらった。
治りかけなのでたいして深刻なものではないようだが
しかし、早くお薬が功を奏してもらいたいものである。
チョコレートの芳醇な甘さよ…我が元に戻れ…。

Posted by さんちん at 10:50 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(2) | トラックバック(0)

免疫力の低下かな?[2006年04月06日(木)]
また、風邪を引いた。 ( ̄ii ̄) 大変な状態である。
ちょと前に、胃炎がひどくなって医者にいった。
その流れか、腸の具合もいまいちで、あ〜なんかやな感じ〜と
思っていたのだが、案の定であった。

祖母の四十九日があった。何となく祖母の死は実感が湧かない。
また、その辺からひょいひょい出てきそうである。
とにかく元気で、忍耐強くて、明るくて、素直な、そして賢い祖母であった。
で、その法事の前々日に大雪が降った。
ここ京都でもちらちらと小雪が舞う寒さであった。
寒暖の差が激しいときには、気をつけていたのだが、
法事の日は山の方の家だから寒いだろうと思ったがぽかぽか日和で
祖母の慈愛を感じるほどであった。
が、そこに油断があったらしい。子供達と遊んだのも、一つの原因かも知れない。
とにかく、あっという間に具合が悪くなってきた。
あっという間にのどが痛み出して晴れてきた。そして、鼻の奥が痛み出した。
しかし…ここまでの症状でいつもなら8度ぐらいの熱が出るのに
出てこない…逆につらいものである。

月曜日の稽古は休んだが、今日は数日のうちに欧州に帰国してしまう
友人が稽古に来てくれるとのことだったので、微熱をおして稽古に行った。
今頃またまた熱が出てきたのでそろそろ、休むことにするが…
友人とは段も同じで、おそらく腕前も五分五分。若い分だけあちらの方が
強いと思う。( ̄▽ ̄;
向かい合うまでは熱で身体も重いしだるいし呼吸も続かなかった。
ちょっと汗をかいたので少し楽になったが、向かい合って立ち上がったとたんに
ボルテージは一気に…。自分で自分の身体からゆらゆら〜っと何かが
立ち上っていく感じがあったのが怖い(笑)
お互いがめいっぱいの所での稽古を楽しむことができた。
本当に楽しかった。今日の所は、3(面、面、胴)−1(小手)で、
自分が分がよかったが、取られた小手は完璧なタイミングで決められたので、
ちょっと…稽古不足を恥じ入るばかりである。
楽しかった…これが最高の稽古である。真剣に向かい合ってお互いが鎬を削って
そして、向上して行く。これは本当に楽しいことだと久しぶりの稽古だったが感じた。
いやぁ…剣道って、本当にすばらしいですねぇ…と、どっかの映画監督・評論家みたいに
言葉を残して、これで休むことにする。

おまけは、祖母のうちの前の土手にあった土筆の林である。
お寂し山のニョロニョロはきっと、ここに原点があったのではないかと
思わず、確信しかけた景色であった。

Posted by さんちん at 00:27 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(1) | トラックバック(0)

好奇心と礼[2006年03月25日(土)]
 週一回は書くぞ〜と意気込んでいたが、なかなかそうもいかないようである。

 今日は「好奇心と礼」、と題したが、これはちょっと前のできごとから
連想したものであって、直接タイトルと関係ないかも知れない。
多くの場合、タイトルを最後に決めるのであるが、今日は先に書いた。

 先日、ちょとしたきっかけで、京都ではちょ〜有名な剣道の先生お二人と
お昼ご飯を一緒にする機会があった。
子供の頃稽古をしていたが、十数年あいて、2000年から再開したのだが、
このお二人のうちの片方の先生は雲の上の先生と思っていたために、
なかなかお近づきにはなれなかった。
K先生とN先生と申し上げておこう。K先生とはまだ稽古を始めたばかりの
数年前から、面識もあり、名前も覚えていただいているのは本当にありがたい。

 ただ、どちらの先生も段位も低く、稽古歴も浅く、どこの青二才…と
最初は思っておられたようである。しかし、話を聞きながら、こちらも
勝手にいいたいことをいっていると、結構興味を持っていただけたらしく、
職業(フリーターではあるが…)がばれると、先生方の目もちょっと変わった。
ばれたきっかけは、自分の所属の館長にお誘いいただいた昼食だったので、
年内に、正規で職場が決まるかも知れないという話をしたからであって
「え、どこの会社で働いているの?」という所から、ばれた(笑)

 まさに、“ばれた”感じである(笑)
この後先生方の私に対する好奇心は増したといえる。
まだ、プロとはいえない自分ではあるが、自分の仕事や目指すものに
誇りを持っている者として、先生方は見てくださったのである。
先生方は長年剣道で、さまざまな人と出会い、指導に心を砕かれ、
かつ、気さくにも若い人から年配の人、初心者から熟達した人まで
幅広く交流をされご自身を磨いてこられたというのが、細かい仕草にも
見て取れるのである。
 わたしの中に、何かしら見出してくださるとお話は突然くだけた
大変おもしろくも興味深いものへと変わっていった。
その中で、「本物の人ほど気さくである」という話で、
「中途半端にえらくなってるヤツほど威張るんだ…」という話題。
これは、実体験からも、納得のいくものであり、そうした人の「礼」は
大変横柄な、他人を見下す目を持って応対する場合がある。
一方で、上を見るときには慇懃な態度を大げさなまでにとる。
そうなのではないということで、笑いながらの話ではあったが
大変おもしろかった。

 そして、「小さいことをおろそかにしない」心がけということも
私自身が普段学生たちにいうことでもあり、先生方も同じように
指導されているのだということがわかってとてもためになった。
何に対しても興味を持って好奇心を失わず自分を拡げるように
つとめることは人を大きく、そしてやさしくしてくれる上でとても
良いことであると私は考える。
 ただし、大切なのはその時々の自分の「誠意」であり、
遊びであっても、勝負であっても忘れてはならないのは、
相手がいて初めて成るものであるということへの「礼」である。
「おはようございます」がちゃんといえない学生は面接で失敗する。
「ありがとうございます」がいえない大人は、人生を狭くする。
己を誇ることは他人に誇ることではなくて、自分の中で誇ることである、
自分は他人が形成するものである。自分が形成するものではない。
すべての人には、表に出ていないだけで何かしらすばらしいところが
あるのだと、常に心に留めておくべきことがあるのではないかという
ありがたい話を、むか〜し、聞いたことを、お二人とお話しする上で
思い出すことができた。
やっぱり、すごいなぁと思う。いろいろな大切なことを、こうした先生は
話しているだけで引き出してくださるのだなぁと感じる。
ありがたいことである。
「好奇心と礼」は絶やしてはいけないわたしの中の要素として
磨いていきたいものだなと、現在の時点でそう思った。

Posted by さんちん at 13:10 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(4) | トラックバック(0)

リンゴ屋さん[2006年03月16日(木)]
寒くなり始めた頃から時々見かける。
真っ赤な上下で帽子も赤。…別の人を思い起こすが…
そして、トラックには山のリンゴ。
3個100円でその場で現金売りをしている。
これが市内でもかなり人通りの多い大通りである。
しかし、見かけたことのあるのはいつも夜。
おじさんたちが道行く人に声をかける。
一度だけ買うことができたが、ちゃんとしたいいリンゴで
スーパーで買うものよりも良いものが安い。
今日また見つけた。買おうと思ったが、もう店じまいしていた。
おじさんと目があったので近寄っていったが、
雨まじりの夜のことで、時間もかなり遅かったため、
互いに目があったまますれ違った。
声かけようかなと思ったがやめてしまった。
ちょっと残念。もしかすると今年最後のリンゴ屋さんも知れない。
私は毎朝ではないがかなり頻繁に朝からリンゴを食べる。
果物を食べることが多いので、安くておいしいのはありがたい。
ちょっと、怪しげなそのリンゴ屋さんはどこから来るのだろう?
車のナンバーとか見ておけば良かったかなと今さら思う。
また来るだろうか、真っ赤っかな衣装のリンゴ屋さん。
今度は買うぞ。リンゴはおいしい。身体にもいいのだ!

Posted by さんちん at 22:50 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(4) | トラックバック(0)

禁止はつらい…[2006年03月10日(金)]
二年ぶりにとんでもない胃炎になった…らしい。
らしい…というのは、いつもの胃腸科の先生が診察はしてくださったのだが
診察結果は全く教えてくれなかったから…らしい。
らしい…は、更に、もらったお薬から判断して、胃炎…らしい。
稽古の後に部屋に戻って思いっきり胃液を戻してしまったので、
一晩苦しんでから朝診察してもらいました。
そして、今まで以上に痛いところが増えてしまい、
お薬の内容も変わってしまった。だいぶひどいのかなぁ…
その性かも知れませんが、バスに乗ると、絶対ほぼ100%酔って吐きそうになります。
薬のせいなのか、胃炎のせいなのかはわかりません。
電車でもなるときがあります。最低です…健康第一です。

で、タイトルに戻りますが、禁止されたものがあります。
1.酒
2.肉類など消化に時間のかかるもの
3.甘いものなど胸焼けを誘発する可能性のあるもの
あとは細々気をつけるものがあるのですが…
1.は別に気にならない。貧乏人はめったに酒なんぞ飲めません。
2.最近ちゅーねんになったせいで肉が余分に付きやすいので、
いい機会なのでこれで少し精進生活して身体を元にもどすべ。
さいてーなのが3.ですね。
ものすごい甘い物好きで、これが本当につらい。
チョコレートのない日はない。
エクレアを食べない週はない。
酒はなくても甘いものが欲しいのである。
更に、やたらとお茶やら中国茶やらコーヒーやらを飲みながら仕事をするので
甘いものとセットである。お茶だけではつらい〜。(T▽T)
甘いものが欲しい〜。(T▽T)
思うに、甘いものは…中毒性があるのではないかと、信じます。
ですが、ないとつらいです。ホントに…
で、ちょっと食べてしまってまた胃が痛くなった… .・゚゚⌒(T○T)⌒゚゚・.
いつまでこの生活が続くのだろうか…

Posted by さんちん at 00:00 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(6) | トラックバック(0)

非科学的なものは?[2006年03月04日(土)]
非科学的なものは?…と、タイトルを振ってから
では、科学ってなんなのか?ということになる。

科学という言葉は、おそらくかなり偏った理解をもって
言葉として定着しているので、なかなか説明が困難である。

英語の科学はラテン語から来ているが、サイエンス Science。
この語源はそもそも、英語で言うところのknowとかKnowledgeの
意味があるという。つまりサイエンスは正確には科学ではなくて
知識である必要がある。
また、科学という言葉もそもそも、「百科の学」という意味があり、
科は科目の科であるという。
そこで、厳密な区分として一般的に科学として理解されているのが、
「自然科学」という区分に属するものである。
理科の実験などもそのうちで、1+1=2の様な、
自然の中にあるものを理解するというものであったり、
自然の中のものから新しいものを法則的に生みだすことを見出す
そういったものである。新造人間キャシャーンの世界でもある(笑)

そうではないものをなんというか、これを「社会科学」という。
人間が作り上げたシステムや習慣や、その他色々のものを
考え出したり、発展させたり、取りやめたり、そんなことをするために
調査したり、検証したり、する。
これには法則性は多少あっても、常に100%同じ結果を生みだすとは
限らないのが自然科学とは大きな違いである。
H2+O=水ができる。これはわたしがやろうと、他の人がやろうと
実験道具と環境が同じであればほぼ可能であることがいえる。
では…
映画「タイタニック」+「杉並区に住む20代の独身女性」=?である。
全員が涙するだろうか?全員がロマンチックな恋にうっとりするだろうか?
ここに参加した女性たちがすべて違った要素を持っているが為に
全く同じ人を集めて同じ実験をしても結果は異なる。
同じことを同じように再現できないのが社会科学である。

最近、テレビで占いもどきというか、まじないもどきのようなものを見かける。
それじたいは、個人対個人の関係であれば、誰かがとやかく言う必要はない。
お互いの了解のもとに行われていると考えることができるからである。
でも、どうだろう?「〜しないと死ぬ」とかいうのはあっていいのだろうか?
不況の世の中が続き、毎年何千人もの働き盛りの人達が自殺している。
どうしたらいいのかわからなくなって、つかめる藁すらなくなったと感じて
命を自ら断つ人がいるのである。
テレビは不特定多数の老若男女が見るものである。
ある程度の普遍性と実証が可能でないものは、社会的な不安を煽るし、
不安を抱えて苦しむ人達を追いつめることにもつながる。
確かに救う場合もあるかも知れないが、おそらくそれは万に一つの偶然と
思った方がいいといえないだろうか?

以前、重度の脳障害を持った人がすばらしい作家であるということが話題になった。
そして、その人はある治療法を実施していると紹介された。
しかし、その治療法は医学的に証明されてはおらず、その障害を持った人が
本当に文章を作っていたのかという少なくともなんらかの
専門家による検証が必要であったのに、それもないまま紹介された。

多角的に社会を画面に運んでくる必要は確かにあるが、
娯楽番組で社会不安を煽るようなものは極力避けるべきである。
マス・メディアがなければもはや、社会は成立しないところまで来ている現在、
メディア産業といわれていても、それに従事する人々の責任は大きい。
だから、たくさんのくだらない番組を作る必要はなく、
数は少なくても、不特定多数の人のために、よりよい社会とはどんなものなのか、
その議論のための場を提供し、社会が人々が望むよりよい方向に
向かうにはどうしたらいいのか、そのために、教育、教養、報道、娯楽など多様な
番組を作り出す必要があるのではないだろうか。
こうしたことは、本当はメディア企業内部からわき上がってくることが望ましい。
しかし、そうはいかないのが現実であって、これはやはりメディアを生活の中で
利用している視聴者である私たちから発信して要求していかなければならない
必要な行動の一つかなと思った。

Posted by さんちん at 13:18 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(4) | トラックバック(0)

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さんちん
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