ようやく連休になった。…とおもったら、もう半分終わったが…
何年ぶりだろう…3年ぶりぐらいかとおもうが、もっと長いかもしれない。いちばんつきあいの長い友人が遊びに来てくれた。前にも感じたが、本当に「友人」と呼べる人は、どれだけ間に時間があっても、まるで昨日もあったような感じがする。
電子メールでやりとりすることは時々あるが、それもお互い余りに無沙汰がつづいたか、何か伝えたいことや、聞いて欲しいことがある時にだけで、でなければめったに連絡を取ることもない。だが、なぜかいつも、「そろそろ…」と思うと連絡が来たりする。互いに文明の利器を持ちながら、使うことがなかったのも不思議である。
以前に学生たちとお昼ご飯を食べながら、携帯でのメールの話をしたが、彼女たちは「思いついたら直ぐにメールします」といっていた。私自身もそうした傾向はあるものの、時に思うことがある。あわない時間、言葉を交わさない時間、そんな時間を大切にできるから、友を大切に思うことができるのではないかと。だんだんとすることが多くなって、思ったように連絡が取れない時間が増えるにつれて、そう思うことがある。学生にそんな話をしたことがあるが、四回生になって就活で仲間と会えなくなってしまう経験を持つと、この意味がわかるようである。たった一年で彼ら・彼女らは、人の暮らしの中にある人との交わりの価値観が大きく変わるものであると…ちょと歳を感じる。( ̄_ ̄;
で、友人との話だが、話し始めたら話題がつきないのだが、なんだか最近自分から話すことに特に健康管理の話が多いなと…感じて、また歳を感じる…( ̄△ ̄; ここ数年で何度も体調を崩して苦しい思いをしたためよけいなのかもしれない。友人もやはり日々の激務でだいぶ身体の具合を悪くしているようで、色々と話題は弾んだ。
今回、京都に来たのに京都観光はしなかった。いつでもできることはしなくてもいい。今回、敢えて選んだのが比叡山だった。このあたりも今年は春の訪れが大変遅く、大学の構内の桜もまだ咲いていたほどだった。にもかかわらず、あまりにも早歩きの日々が続いて、ゆっくり愛でる事も出来なかった。友人との連絡でのなかに、「桜を見ることもなかった」とあったので、ふと思い出し、比叡山の桜は一月遅れだからまだ見られるはずだと、調べてみたら、桜祭りをやっているという。なので、友人を強引に誘ってみた。
京都市内のど真ん中から出かけると、かなり時間がかかるのかなと思っていたが、意外や意外一時間ちょっとで到着してしまったのである。一番の見頃だったのは、ケーブル電車とロープウェイの間の広場で、山頂は色の淡い桜が多かった。桜祭りの場所は、八重桜の多いところだったが、全く咲いていなかった。今年の春はどれほど遅いかよくわかる。おそらく、今週末ぐらいが見頃ではないだろうか。

おそらく昔はうっそうとした山林の中に寺社が建っていたのだろうと思う。現在ではどこをふり返ってもドライブウェイに車の走るのを見ることになる。最近の流行だと、『陰陽師』に、時折比叡山の話も出てくる。その景色を想像するには現在の比叡山はあまりにも宗教離れした、そして開放的な場所となっている。しかし、平安の頃、人がどれほどの労苦を強いられて、奉仕してこの壮大な寺社ができたのかと思うと、感慨深い。そこにこめられたたくさんの人の平安を願う心がどれほど強いものだったろうか。
寺社の一角に、何とも甘酸っぱい薫りを漂わせるお宮があった。密教のお寺の敷地内に何でお宮があるのかは、謎が多いが…しかし、八重の緋梅が満開だった。梅は平安時代の初期頃に、中国からもたらされて貴族の間で大流行したものである。菅原道真をまつった北野天満宮や太宰府天満宮も梅にまつわる話も多い。花といえば桜だが、やはり梅を愛する和の心は何とも優雅なものである。凛としてかぐわしい。そして可憐でやわらかい。同じ梅なのに中国や韓国の描き方とはまた異なった梅の絵もまたすばらしい。
梅の香を袖にうつしてとどめてば
春はすぐともかたみならまし
なんとものんびりとした一日だった。あちこち歩き回って、たくさんの果てしない階段を上って、そして山間にぽつりと咲く桜の一木を遠くに眺めたり、琵琶湖を遠望したり、芽吹き始めた薄緑色の葉をぼんやりと光らせる山の木々が何ともやわらかい空気を作り上げていて心地よかった。寒くなく、暑くなく、最高の日和だった。
春の山々は本当に、やわらかい色合いで好きである。友人も私も日頃からやたらと急ぎ足の毎日なので、どこを見ても気持ちのよい呼吸で過ごせた。

比叡山にはガーデンミュージアムというのもあり、延暦寺の厖大な広さの中にある和の美しさとはうってかわって、西洋的な鮮やかさで春を彩っていた。たぶん、アネモネの花だと思うが、こんなにも花弁が多いのものは初めて見た。なので、一枚携帯電話のカメラで写真に納めてきた。現在この写真が待ち受け画面になっている。白い携帯電話機にこの写真はなかなか鮮やかで美しい。
今は亡き母が、その昔「我が家の子女は男女を問わず習いなさい」と茶道、華道、煎茶道、書道を幼い頃から仕込まれた。そのおかげで、花が好きである。花のある、緑のある生活はとてもよい。おすすめする。植物を室内におくだけでどれほど部屋の空気がきれいになったように感じるか。そして、水をやるその心遣いで生き物に対する思いやりも生まれる。
実は友人は花のビジネスに関わる仕事をている。京都に到着するなり花屋に入り、鉢植えを買った。みやげの代わりだといって、私の部屋に置いていってくれた。粋な心遣いである。
師曰く、朋遠方より来たるあり。またよろこばしからずや。
連休の残りの一部は家族への奉仕に、そして講義の準備と論文でも書くかなぁ…