二十年選手と共に[2006年09月24日(Sun)]
今使っている面は、二番目の姉が剣道でとてもいい成績を残し続けて大舞台を目指した頃に母が姉のために仕立てたものである。母が仕立てたといってももちろん本職に作ってもらうわけだが…。せっかく作っても1年ちょっとで姉は稽古をやめてしまった。別の道にどっぷりはまり今でもそれを続けている。 そして、何組もの防具は自宅の納戸?にゴロゴロと置かれたまま年月が過ぎた。自分も中学だけで稽古をやめてしまった。

2000年、ミレニアムイベントはないだろうかな〜と思ったのが発端で稽古を再開。15年はあいてしまった。段位を持っていなかったので、何となくずっと気になっていたというのもある。きっかけが欲しかった。しかしなかった。ということで、きっかけとしてミレニアムイベントである。
2000年5月7日、京都の名門?M覚寺道場に入門。素振りや足さばきからやり直して8月に初段審査に合格した。初段審査に合格して思った。「これが?」と。物足りなさを感じることしきりである。この審査の時、N嶋先輩が防具の話をしてくれた。「見せ方も大事やで。ええ防具があるならその方がいい。稽古着ももっと慣れてきたら試合用や審査用がある方がいい」と。それで、この古くなっているが眠ったままの母の作った防具を思い出した。本当に続けるのか不安そうな母に「このまま置いておいてもどんどんぼろぼろになるだけだから」と適当な理由で自宅から持ってきたこの防具。それ以来ずっと一緒に稽古をしてきた。1年か2年前、とうとう面金を止めている革が割れてしまいとてもこれ以上使うのは危険な状態になった。教えてもらった職人さんの所に直接持っていくと、「とても古い道具ですし、直すのにかかるお金と比べるともったいないですよ」と最初はいわれてしまった。他の先輩にもそういわれた。「安いのなら2〜3万で買えるのに」と。でも、何となくこの面は自分にとってちょっと特別だったので、もう一度職人さんの所に行って「やっぱり直してください。この道具は全部柄もそろっているので。」といい、ちょっと眉をしかめた職人さんも引き受けてくれた。そうして面は再生したのである。今では面金はチタンなど軽量の金属でできている。なのにこの面は旧型なので「鉄」であり、非常に重い。そのことも職人さんには指摘された。それでも自分にとっては大事なものだから、と。既に防具として生まれて二十年を超えているのだから。自分よりも選手歴は長いのがこの防具である。


稽古再開から今年7年目に入った。恐るべき時の流れの早さである。精神的な揺らぎの多い自分でもずっと続けてこられたのは道場の気風のおかげであった。試合に出るのも皆さんが後押ししてくださった。審査の時もいつも応援してくださった。わからなければ教えてくれた。いまでも何かあれば声をかけてくださる。
なのに結果が残せない。本当につらいなぁと思う。今年の大会も、絶対に勝てないという試合でもなかったのかもしれないのに、つまらないところで足が止まってしまった。そこでやられた。先生が審判をされるコートでの試合だったから審判が終わって上がってこられた後から挨拶に行った。いつもなら「頑張ったな」とか「惜しかったな」だった。それで終わるかなと思ったら今回は「何をしてんねんな。」が第一声でびっくりした。「前に出て行ったと思ったらつまらんところで下がって打つ。こればっかりでちっとも攻めてない。足幅も広いし前に向かっていってないやろ」と。厳しい指導をいただいた。他の皆さんからも結構厳しい指摘をいただいた。いつもだったらふにゃっと笑ってオシマイだった人からも「なにしてんの〜!」と。だから本当に悔しかった。後から知って悔しさ倍増だった。皆さんがちょっとだけでも期待してくれていたのかなと、初めて知ったことに悔しかった。個人戦でもチームってあるんだなと正直に初めて実感した。

(左が現在使用中の博多屋さんの小手。右がオリジナルの小手。姉のサイズなので小さくて指がつまるので今は使用していない)
二十年選手と共に六年稽古した。なのにまだまだだ。十数年の袋の中の生活から自分に引きずり出されたこの老練の選手もやっぱりいたみには勝てない。自分でできる範囲で修理したり、時には専門の職人さんに助けてもらう。持っていくたびに「これは直せない」というのも少しずつでてくる。だからこの老練の戦士がすこし休めるように、仕事がちゃんと落ち着いたら、もう一組新たな相棒となる自分の防具が欲しいなと思う。

再開した日を今さらふり返ってみて思った。自分がメリケンに旅立った出発の日も1990年5月7日だったなぁ。

2000年、ミレニアムイベントはないだろうかな〜と思ったのが発端で稽古を再開。15年はあいてしまった。段位を持っていなかったので、何となくずっと気になっていたというのもある。きっかけが欲しかった。しかしなかった。ということで、きっかけとしてミレニアムイベントである。
2000年5月7日、京都の名門?M覚寺道場に入門。素振りや足さばきからやり直して8月に初段審査に合格した。初段審査に合格して思った。「これが?」と。物足りなさを感じることしきりである。この審査の時、N嶋先輩が防具の話をしてくれた。「見せ方も大事やで。ええ防具があるならその方がいい。稽古着ももっと慣れてきたら試合用や審査用がある方がいい」と。それで、この古くなっているが眠ったままの母の作った防具を思い出した。本当に続けるのか不安そうな母に「このまま置いておいてもどんどんぼろぼろになるだけだから」と適当な理由で自宅から持ってきたこの防具。それ以来ずっと一緒に稽古をしてきた。1年か2年前、とうとう面金を止めている革が割れてしまいとてもこれ以上使うのは危険な状態になった。教えてもらった職人さんの所に直接持っていくと、「とても古い道具ですし、直すのにかかるお金と比べるともったいないですよ」と最初はいわれてしまった。他の先輩にもそういわれた。「安いのなら2〜3万で買えるのに」と。でも、何となくこの面は自分にとってちょっと特別だったので、もう一度職人さんの所に行って「やっぱり直してください。この道具は全部柄もそろっているので。」といい、ちょっと眉をしかめた職人さんも引き受けてくれた。そうして面は再生したのである。今では面金はチタンなど軽量の金属でできている。なのにこの面は旧型なので「鉄」であり、非常に重い。そのことも職人さんには指摘された。それでも自分にとっては大事なものだから、と。既に防具として生まれて二十年を超えているのだから。自分よりも選手歴は長いのがこの防具である。

(名前は一応ご勘弁を(笑))

(これが胴の内側。60本の竹胴)
稽古再開から今年7年目に入った。恐るべき時の流れの早さである。精神的な揺らぎの多い自分でもずっと続けてこられたのは道場の気風のおかげであった。試合に出るのも皆さんが後押ししてくださった。審査の時もいつも応援してくださった。わからなければ教えてくれた。いまでも何かあれば声をかけてくださる。
なのに結果が残せない。本当につらいなぁと思う。今年の大会も、絶対に勝てないという試合でもなかったのかもしれないのに、つまらないところで足が止まってしまった。そこでやられた。先生が審判をされるコートでの試合だったから審判が終わって上がってこられた後から挨拶に行った。いつもなら「頑張ったな」とか「惜しかったな」だった。それで終わるかなと思ったら今回は「何をしてんねんな。」が第一声でびっくりした。「前に出て行ったと思ったらつまらんところで下がって打つ。こればっかりでちっとも攻めてない。足幅も広いし前に向かっていってないやろ」と。厳しい指導をいただいた。他の皆さんからも結構厳しい指摘をいただいた。いつもだったらふにゃっと笑ってオシマイだった人からも「なにしてんの〜!」と。だから本当に悔しかった。後から知って悔しさ倍増だった。皆さんがちょっとだけでも期待してくれていたのかなと、初めて知ったことに悔しかった。個人戦でもチームってあるんだなと正直に初めて実感した。

(左が現在使用中の博多屋さんの小手。右がオリジナルの小手。姉のサイズなので小さくて指がつまるので今は使用していない)
二十年選手と共に六年稽古した。なのにまだまだだ。十数年の袋の中の生活から自分に引きずり出されたこの老練の選手もやっぱりいたみには勝てない。自分でできる範囲で修理したり、時には専門の職人さんに助けてもらう。持っていくたびに「これは直せない」というのも少しずつでてくる。だからこの老練の戦士がすこし休めるように、仕事がちゃんと落ち着いたら、もう一組新たな相棒となる自分の防具が欲しいなと思う。

再開した日を今さらふり返ってみて思った。自分がメリケンに旅立った出発の日も1990年5月7日だったなぁ。
Posted by さんちん at 19:04 | 稽古など… | この記事のURL | コメント(6) | トラックバック(0)



