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志は満たすべからず 楽しみは極るべからず

満たせないほどの大志があり、
楽しみを極めないだけの慎み深さをもつのは
なかなか、大変なことだ…と、思いますね…。
わし


いまのネタ
今月のしょぼい更新
このサイトや関連サイトで使われている絵はすべて「さんちん」「茄子爺」の作品であり著作権があります。無断で「商用」の一部に「使われているのを発見しました。固くお断りいたします。
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七転び八起き[2008年11月17日(月)]
 あれこれ書こうと思っていたのだが、やっぱりやめた。昨日、1年半ぶりに審査を受けた。結果は不合格で、これは初太刀をまともに喰らった時点でわかったことだ。

 初めての審査から、半年後に再挑戦を誓って稽古を積んだつもりで、不覚にもケガ、手術、リハビリ…と1年を費やしてしまい、まともに稽古ができるようになって3ヶ月。それでも必死にがんばったつもりだったが、その「自分なりにがんばった”つもり”」は自分の力を正しく認識していなかったことを明らかにした。

 細かいことはもう、書かないことにした。言葉にすると自分の中にあるあれこれが空虚と化してしまいそうだから。

 わかったことがたくさんあった。「妙薬口に苦し」今回の審査は自分にとってまさに苦い妙薬であり、「慢心は萬難のもと」だと。

 不合格の理由は一つや二つではなかったはず。考えられるだけの脳みそを、別のところで鍛えてきたせいか、どんどんその悪い部分が見えてきた。最大の問題は「慢心」ではないかと。

 さて…これでも意外と後悔はしていない。反省はしている。三ヶ月後になるか、半年後になるか、一年後になるかまだわからないが、いつでも真摯に向き合いたいと思った。


 

Posted by さんちん at 10:43 | 稽古など… | この記事のURL | コメント(2) | トラックバック(0)

人種という…【めりけん草紙:番外編】[2008年11月05日(水)]
 自分がめりけんにいたのは1990年頃からだったが、この時期はG.ブッシュ氏の最後の年だったと記憶している。このブッシュ氏は先代の方である。湾岸戦争が始まった年でもあった。サンクス・ギビング(感謝祭)にノックスビルに出かけた時、T先生の息子さんトムの寮に行った。そうすると、そこには戦闘服?らしきものや大きなリュックがおいてあり、軍人特有の皮のブーツがおいてあった。寮の部屋にはトム以外の誰もいなかったが、ルームメイトたちは皆サンクス・ギビングのために自宅に戻っていた。最後の感謝祭になるかもしれないから。

 「ノックスビルという街」にも確か書いたと思うが、ここは白人が圧倒的であり、人種差別が日常的に存在する。今これを書いている机の横で流れている大統領選挙のゆくえも、ニュー・ヨークタイムズ紙でもテネシー州は赤色に染まっている。これはマケイン支持が確定した証拠だ。テネシー州といえば、アル・ゴア氏が州知事を務めたこともある青の州であり、近年は確固たる赤の州である。自分が住んでいたメンフィスでは黒人層、有色人種層が非常に多いため、ある種の中堅都市としては青色に染まるかと思った。事実、クリントン/ゴア政権の時には青だったはずである。ところが今回は赤が圧倒的であった。

 メンフィスに住んでいた頃、日常生活の様々で人種の差別を感じないで暮らせることは少なかった。大学では、白人の学生の友達はほとんどできないままで、ラテンアメリカの友人たちと過ごすことが多かった。運動部に入っても、すべてのメンバー(黒人の選手も一人)が監督からユニフォームやシューズを受け取っても、自分が呼ばれることはなく、一着分余っているのに「もういないね」とあからさまにいわれた。ほとんどの地元出身の学生が何も言わない中で、シカゴや大都市部で育ったメンバーが自分のことを忘れてはいけないと監督にいってくれたことがある。彼らには人種の壁は薄い。

 英語学校に行っている時、白人の先生が黒人のような赤ちゃんをだっこして学校に来た。そのときはよくわからなかったが、先生の配偶者は黒人だった。びっくりした反面、アメリカはすごいなと感じた。ところが、この先生のことを「信じられない」と陰口を言うアメリカン神野白人のアルバイトの学生がいたのを知っている。もちろん先生も知っていたが、「あぁ、気にしなくていいよ。私はそんなことをいう人をいちいち気にしてはいないから。私は自分の家族を愛しているからね」と。
 日本人の友人と買い物に行けば、少し離れて警備員がついて回り、スーパーで買い物に行けば、自分が手人とった商品は店頭から一時的に引き下げられる。「有色人種のさわったものを私は間違って買いたくない」と白人の老人が言うのである。白人の店員が両肩を上げながら「やれやれ」という顔をして自分のさわったものをかごに入れて店頭から持ち去った。
 これが自分の体験した1990年代のアメリカ南部の姿である。ところがセント・ルイスに移るとこうした体験は一度もなかった。アパートのソフトボールチームに入らないかと誘われた。同じアパートの住人である、黒人の弁護士、イタリア系の警察官、自分でゲイだといってそれをネタにしながら笑いをとる男性美容師、ヒスパニック系の女子大学生、韓国系三世の医学部生…駐車場管理のおじさんに、メインテナンスのお兄さん、みんな一緒に楽しんだ。

 数日前、アメリカのニュースを見ているとやはり「黒人大統領には抵抗がある」とはっきり言う白人もいれば、「オバマでは私は増税の対象だから」と人種ではなく政策で答える黒人男性もいた。一方で黒人の多くがオバマ支持を示す中で「アメリカは、変わらないといけない時期になったと僕は思う」とはっきりと答える白人の若い男女が何人も映し出されていた。今、オバマ大統領が誕生するということが報じられている。さて、これからどうなることだろう。アメリカでは今でも「暗殺」などという旧社会の暴力行為が普通に横行する。先進国にしてはお粗末な話だが、これも実際に懸念されている。たとえ3日でもいいからアメリカが変わっていく姿を見てみたいと思いつつ、己の属する国家の姿のなんと怠慢で脆弱なことかと帰国して10年目の今を思う。

Posted by さんちん at 13:17 | めりけん草子 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

お写真追加 〈奈良〉[2008年10月20日(月)]


《これが志津屋のカルネ》




《ショーケースの中のたわわちゃん》


これのどこが、奈良の写真なのかは不明。



《法隆寺の回廊:エンタシスの柱が美しい》




《薬師寺伽藍:写真は編集してあります》



《興福寺:国宝館に行く方角から。》


夕方になってしまってあまりきれいに撮影できていない所もあるが、いつもベストショットではないところが旅の写真のいいところでもある。

ちなみにカルネは、本日撮影。

Posted by さんちん at 13:20 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(2) | トラックバック(0)

奈良がおもしろい[2008年10月19日(日)]
 9月下旬の日曜日、お友達に誘われて奈良に行った。かなりの雷雨で、高松塚古墳、法隆寺を中心に奈良市内を駆け足で。何となく、心残りの奈良になってしまった。京都に住んでいると、日本の文化ってこんなモノかと思ってしまうが、実は奈良に行ってみて「ここに起源有り」と感じた。


本当に何年ぶりかにいった法隆寺は雷雨の中


 自宅に帰って「行き当たりばったり旅行」の友?である、姉1号に奈良に行った話をしたら、「私も行きたい」という。それで、この前の連休、姉は丁度仕事が5連休になったので、土日月と三日にわたって京都まで遊びに来た。一日目は午後に到着だったので、京都の老舗?志津屋でお昼を食べ、バスで…清水寺へ(笑)京都観光のメッカの一つである。ところが、以外にも「当たり前すぎ」て、行ってないねぇ…という話に。行ってみると、特別にご本尊を見ることができるとわかって、余分にお金を払っても並ぶ甲斐があった、ご本尊を拝見。素晴らしい…。ちょっとびっくりだったのは…仏様の目が「きら〜ん☆」としていること。ガラス?と思ったが、水晶だそうな。素晴らしい。薄暗がりでは、あれは本当に迫力がある。


清水寺に向かって歩いていくと見つけたヤツ…あやしい…


 そして…早歩きで…あわてて「三十三間堂」まで歩く。割と近いので、わざわざバスで行く必要はない。ここも姉は久しぶりである。時間がぎりぎりだったので、じっくり見ている暇はなかったが、それでもあの数には圧倒された。あれだけの仏様に「じぃ〜っ」と見られて、後ろめたいことがある人はきっと…つらいだろうなと思ったりした(笑)


閉館ぎりぎりだったのでものすごい早さで扉が閉められていった


 奈良である。翌日は朝珍しく早起きして出かける。ここで「行き当たりばったり」の悪い癖が(笑)道路地図が古いため、「京奈和道路」がまだ書いていない。が…前回お友達「もも姉さん」に連れて行ってもらった時に確かその道路をとったぞ!と、カーナビの道路設定をしたにもかかわらずナビ無視で走行(笑)ナビの指示に翻弄されつつ、やっぱり京奈和道路でいこうと車である意味「道なき道?」を邁進(笑)そして、1時間以上のロスをしながら、京奈和道路に乗っかると、ナビはひたすら道路を降りて一般道を走れと指示する。「やかましわぁ〜い」と「るねっさぁ〜んす」のまねをしながら、奈良にナビの予測よりも30分以上早く到着。そして、まず法隆寺に。

 法隆寺の中にはいるまでに、姉が「棟梁のうちが近くにあるよ」といい、ならばせめてお玄関だけでも…と西の里に向かった。ここでいう「棟梁」とは二人が共通で「すごい人だなぁ〜」と尊敬する薬師寺の塔を作った「西岡常一」棟梁のこと。もうお亡くなりになったとのことだが、姉はずいぶん前に来た時にあまりに近くにあったため、場所を覚えており、連れて行ってくれた。
 この日は斑鳩神社のお祭りだったらしく御神輿があちこちで出されていた。


雨の日ではない塔の同じ姿


 特別拝観も含めてとにかくじっくり全部見てきた。残念ながら金堂は修復中。…なのに、釈迦三尊像は講堂に移動してあり、仏様グループの前に仏様グループが並ぶという、不思議な世界を見ることができた(笑)そして、何より、金堂で見るよりも間近で、しかも日の光を割と近く浴びているので依りはっきりと見られるというありがたい、拝観でもあった。日本史の資料集で見るより…いいですねぇ…。

 中宮寺にも足を伸ばす。すぐ隣だから。ここにも、資料集にある「中宮寺半跏思惟像」がある。たぶん、本堂にあったのはレプリカだが、広隆寺の「半跏思惟像」とあわせて両方見ることができた。


鑑真和上のお墓への道にある景色


 その後、唐招提寺と薬師寺に。唐招提寺の駐車場に止めて、先に薬師寺に歩いていった。ここでの誤算は…薬師寺に裏から入ったため一回外まで行って、改めて入り直さなくてはいけなかったこと。それでも一度は通りすがりに東の塔と西の塔を横目にみてはいたが、白鳳時代はかくありなむとばかりの迫力は、新たに作り直されたりした部分もありながら、極彩色の装飾も含めて荘厳なり、である。東塔が白鳳時代の建築である一方、西岡棟梁の西塔は1528年(享禄元年)に消失して依頼の再建である。時代的にいうと、毛利元就が家督を継いでまもなくといったあたり。この頃の戦火で焼けてしまったようである。非常に、興味深い。ついでにいえば、コルテスがアステカ王国を征服して、インドのムガル帝国が建国されたのもこのあたりの10年ほどのこと。
 玄奘三蔵院伽藍にも丁度秋期の一般公開となっていて、平山郁夫さんの絵を見ることができた。

 唐招提寺は入ってすぐの金堂が修復中で見ることができなかった。とはいえ、何ともいえない厳しさと柔らかさの両立したお寺だなと感じる。弘法大師空海が、遣唐使の最後の留学生(るがくしょう)として唐に渡る前にここに来たという話が何かに書いてあったと記憶する。(時代はずいぶん異なるが)ここで、梵語か漢語かを習ったとかなんとか。だからこの鑑真和上の失明に至までの渡和するすさまじいばかりの願いの強さのようなもの、そして密教を修めんとする空海の信念、そういったものが現実、当時ここにあって、きらめいていたのかと思えば、それはそれはただの昔話ではないという実感を伴う。
 唐招提寺も特別拝観があって、これまたものすごい時代を感じる発掘された仏像などもたくさんあった。

 この時点ですでにだいぶ時間が経っていた。そこで、奈良公演の方に向かっていくことに。時間があれば、東大寺または正倉院など…とおもったが、つくのが4時頃になるため、時間制限なしで外からでも見られる興福寺に。とはいえ、国宝館に間に合ったので、500円で入館。正直、国宝が見られるところとしては意外と質素というか粗末なケースにあれこれ入っていて、阿修羅像もなんだかあっけらかんとした感じで飾られていた。そうそう、あの、仏頭もあって、最初見た時には「あれ?なんかで見たことが…」とおもったが、これこそまさに白鳳文化の象徴の一つとして資料集に載っていたあれであると思い至った時にはびっくりした。

 奈良といえば、来年が平城京遷都1300年祭にあたり、れいの「せんと」君で物議を醸したあれがある。なので、あちこちが工事中だったり修復中だったりする。極彩色になれていない今の私たちが、あの当時を忍ぶには、すすけた、色のはげ落ちた、時代を思わせるあの仏像や建物によるが、当時の迫力を知るにはある種極彩色の復元もあってもいいのかなと感じる。来年の方がおもしろいと思うが、今年ならではのおもしろさもあった。

 次回は室生寺と長谷寺だね…と姉と話しながら同じ道をナビを入れずに京都に戻った。

Posted by さんちん at 23:06 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

秋分の日を過ぎて…[2008年09月24日(水)]
一般社会人の皆様には大変失礼な話なんですが…
秋分の日ぐらいでだいたい夏休みが終わります。
さんちんも終わった感じです。



今週末から講義が始まります。
非常勤講師は、講義休暇期間にはいると自分の研究の
時間になるのですが、今年はそれすらできないままに
なってしまったので…
11月目標の論文はまた延びるのかなぁ…イヤだなぁ…
って思っております。
この夏は…いつもの夏よりもしんどくて、
とても身体がいうことをきかない日が多くて
大変でした…。すぐに熱出したりしてますし。

昨日は毎年恒例の「京都社会人剣道大会」でした。
今年は出場はしませんでした。
何せ昨年これで大けがして手術したんで、
今年は厄落としにやめておきました。
これが終わると秋学期が始まります。



調子悪い中でもこの夏はあちこち行きました。
めりけんも行きました。
京都に遊びに来たいろんな人を連れて京都市内を
あちこち観光し…
先日は雷雨の中でしたが奈良へ。
奈良はもっとゆっくりみたいと思いました。
奈良は本当に…京都と違う何かがありました。
また行こう…。

さて、講義の準備を本格的にしようと思います。


Posted by さんちん at 15:52 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(8) | トラックバック(0)

日々愚行。[2008年09月02日(火)]
 最近テレビのニュースだけではなく、主要国の新聞をウェブ版で見るとほとんどがアメリカの大統領選挙の話題が大きな議題になっている。昨日は日本の首相が突然?の辞任表明をされたが、トップレベルで扱っていたのは国際的なアクセスレベルの高いニューヨークタイムズぐらいだったろうか。



 まず、アメリカの大統領選挙だが、共和党のマッケイン上院議員が大統領候補の正式指名を党からえるめどがつき、副大統領候補も明らかになった。その副大統領候補が驚きのニュースとして世界中を駆けめぐったわけである。40代の女性だから…であるという点で。しかもそれが非常に保守的な共和党政権からの候補だからだ。自分の場合はちょっとうがった見方をしているかもしれない。「アラスカ」だからという点がなぜ充分に注目されないのかとても気になっている。
 共和党政権の最大の政策はエネルギー政策である。イラク戦争は「石油のために行われたのではない」といっている時点で「エネルギーのため」であることは明らかである。ところがそのエネルギー戦争が国際的にも国内的にも非常に大きな桎梏となっている。切り札を切ったつもりが手枷足枷になってしまったのだ。それを打開するにはどうしたらいいのか…という点に注目したい。アラスカにある。アラスカの自然保護区の下には大量の石油や天然ガスが眠っているという。しかし、そこは自然保護区であり採掘は国家的な規制がかかっているのだ。アラスカを代表できる人物が政権の中にいれば、それは何か一つの打開策を見いだすことにつながるであろうし、すでに見いだしているから、アラスカの旗頭を持ってきたという事がいえるのかもしれない。日本ではほとんどの人は見ることのないドキュメンタリー番組をひたすら記録してまとめて視聴していると、アラスカのエネルギー資源と自然破壊は密接な関係があるが、ドキュメンタリードラマなどでも、アメリカの最後の手段はアラスカの資源である。きっかけを作るためにあるのではないかと思えてならない。

 彼女の場合は、アラスカ出身というだけではなく、当然ながら女性であり、息子がイラク戦争に派兵されるのであり、子だくさんであり、配偶者は漁師であり、それがエネルギーの欠乏で最も打撃を受ける職種であることは日本でも明らかである。
 ニューヨークタイムズに掲載された彼女のアラスカ知事の執務室は…お世辞にも趣味がいいとはいえない。ソファにはアラスカのクマの頭のついた毛皮(まるでクマの開き)がかけられ、コーヒーテーブルにはどでかいタカアシがにのこれまた気味の悪い剥製?がおいてある。「in her Alaskan Decor...」(彼女のアラスカ風の…)という見出しが写真についていたが…たとえば想像してみると、最近日本で最も有名な知事の知事室に生産品として販売促進活動をしている鶏や豚の剥製が飾ってあるのと同じである。狩猟がまだ社会的に重要視される保守的な社会層にはとても品格のある?ものかもしれないが…。
 執務室批判は別に意味はない。ただ、古典的アメリカ文化を継承しているのかもしれないと感じざるを得ないのである。南部に長く住んでいるとその傾向が肌で感じられる。アメリカの古典的保守はというのはある種原理主義的なものを持っている。「白人」以外はすでにアメリカ人ではないのではないかと感じられる言動にふれることは圧倒的に多い。己の信仰する宗教の己の通う教会に入っていないものは異端であり、間違った信仰の元にあると考える。
 現在アメリカの有色人種(特に黒人系・アフリカ系)のイスラム教への改宗は無視できないほどのレベルに至っていると、今は亡き宗教社会学の教授が言っていた。なのにアメリカの敵は…となっているわけだ。こうした矛盾をはらみ、その矛盾に目を向けないで、海の外、州の外、地域の外、生け垣の外の世界を見ようともしない国民が半数以上いるというのが彼の国である。国民の7割はパスポートを持っていないのだから。なのに、一人で数カ国語を話し、世界中を旅する事をする人もアメリカには多い。

 シュワルツェネッガー知事は認められるが、オバマ議員はだめなのだろうか?オバマ議員の母はアメリカ人である。アメリカでは、両親がアメリカ人でなくてもアメリカで生まれると国籍を取得する権利が生じ、自動的に大統領に立候補する権利が生まれる。シュワルツェネッガー知事にはその権利はない。彼はオーストリア出身だからだ。アメリカ国民になれば議員になったり、国家的な仕事はできるが大統領にはなれない。日本ではよく「アメリカ発の黒人大統領」という言い方をするが、黒人社会・アフリカ系アメリカ人社会から見れば彼は肌の色こそ黒人風だが、半分は白人であり、いわゆる生粋のアメリカ黒人社会のメンバーとは言い難いという考え方が未だに根強い。ただ、一つの突破口になると目されているのは事実だろう。
 女性であること、黒人であること、アメリカが世界でも最先端を行く人権の保護の社会的な動きを持つ中で、おもしろいことにこうした要素が今でも大きく取り上げられている。実際、近年は発展途上国や社会的混乱の続く地域ほど女性大統領・女性首相が多く生まれている。サッチャー元首相のあと、女性の社会的進出の幅は大きく広がったのではないかと思うが、ドイツのメルケル首相以外、先進国・西側諸国ではほとんど女性がトップに立つことはない。リベリアのジョンソン・サーリーフ氏はアフリカで初めての女性大統領である。南米でも夫婦で大統領を継承したケースまである。そして、シングルマザーの大統領もいる。フィリピンはアロヨ氏が有名で、パキスタンではブット元首相が命を落とした。
 アメリカにいた頃、「黒人で女性であるということは、スタートラインが黒人の男性よりも後ろにあるのと同じだ」といった同級生がいた。心に密かに思った疑問は「ならば白人女性と黒人男性はどっちが前にあるのか」という疑問である。我が国ではどうであろう。葉っぱの乗る先がたぬきからきつねに変わるだけだろうか。それとも別のキャラクターが登場するのだろうか。

Posted by さんちん at 13:13 | つれづれなるままに… | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

ノックスビルという街【めりけん草子:外伝】[2008年08月06日(水)]

 ノックスビルはテネシー州の東の方にある。音楽の街メンフィスは…数年前に前首相が世界中にみっともない姿を疲労したエルビス・プレスリーの邸宅兼博物館がある街だがそこからは車で6〜7時間ほどかかる。ちなみに、州都ナシュビルはカントリー音楽の聖地であり、これまた音楽の街でもある。アパラチア山脈の山と山の間にある広い谷間にある街で横に長い。なので街の背骨になる道路が一本ずっと延びている左右に街が広がっている。
 
 高速道路であるHWY(ハイウェイ)40で東西がつながっているテネシー州では、テネシー州立大学のメインキャンパスがある。アメリカンフットボールの好きな人は知っているかもしれないが、テネシー州立大学のノックスビル校のフットボールチームは全国レベルでの強さを誇る。たとえば、映画「フォレストガンプ」がアラバマ大学のフットボールチームに入って対戦した相手がこのテネシー州立大学のチームだった。



 ご老公は1978年と83年頃に二度この街に来ている。自分は1990年、92年、94年、2004年など数回訪れたことがある。規模は小さい。ところが近年この街には多数の日本人が住んでいる。それは、オークリッジという街が近くにあるためだ。このオークリッジは日本に落とされた二つの原爆が開発された街で、国家秘密裏に建設され長い間地図にも載っていない街だった。そこに現在様々なエネルギー開発の拠点が集結し、日本企業もたくさん進出している。そのため、空港があるノックスビルはいろいろな面での拠点となっているのだ。

 とはいっても、はっきり言って特におもしろいものがあるところではない。巨大なショッピングモールがあるという以外、正直退屈な田舎の町である。日本企業の影響か、待ちの中には数々の和食店・または日本風の店(鉄板焼きステーキ店など)があり食事にはそれほど困るところではないが、観光に行って何かあるというわけではない。行楽地としてグレート・スモーキーマウンテンといってアメリカで一番訪れる人の多い高原の行楽地が来るまで2時間ほどのところにある。山の奥から常にどこからともなく小川が流れ出て、そこで水遊びをする人もあり。キャンプをする人もあり。バンガローに泊まることもできるので、自然の中で楽しむことができる。緑の深いこの風光明媚なこの地がドライブして出かけられる距離にある東海岸の人々には好まれるのかもしれない。
 実はこの素晴らしい景色も、やはり「自動車道」が整備され、排気ガスががんがんはき出されながらずっと人々の来訪を維持してきた。それを自然は「守られてきた」かといえばそうでもない気がするが、それは日本でも同じである。
 アメリカの矛盾はすでに日本に強く浸透しているのが、こんな自然の中で楽しむ行楽地にすら見られるのだから、50年先の私たちの生活はどうなるのだろう。ノックスビルに数日滞在して、T先生との時間を楽しみながら、この自然観光地をみてふと思った。

Posted by さんちん at 20:59 | めりけん草子 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

長〜い旅路の〜♪【めりけん草子:外伝】[2008年08月05日(火)]
 和国から謎の旅人が見送り、旅立ち、桑港(これがどこかわかる人は結構年配か歴史マニアか雑学マニアか?)に到着。即乗り換えて、シンシナティ、そしてノックスビルへ。やっとの事でたどり着き、正直くたくたである。ましてうちのご老公は疲れたことだろう。とはいえ、時差ボケのひどいご老公は割としゃっきりしていた。飛行機の中でだいぶ意識不明になっていたので少し元気なのではないだろうか。ちなみに我が家のご老公は70を越えている。風貌は磯野家の隣人、作家の伊佐坂ナンブツ氏に似ている。自宅でも着物を着る点も同じである。


〈T先生のうちの庭に生えていたキノコ〉…(笑)


 最近めりけん国内では飛行機乗るとやたらケチくさいことをいう。とにかく経済が悪いので、すべてが有料化されているのだ。一応、簡単なお菓子(非常においしくない)と飲み物(やたらダイエット系がある)は無料だが、食事は全面的に有料でその場で現金払いで買う。ビジネスクラス以上はそういう変化は全くないが、エコノミークラスに乗ると6時間以上の旅であっても食事は自分で支払って買うことになる。ほとんどが$6ぐらい。これまでは自動的に配布されたヘッドホンも、$2で購入しなくてはいけない。普通のヘッドホンジャックと同じなので、自前のでも使えるから普段使わなくても音楽機器を持ち歩いているといいかもしれない。今回は不幸にもそういうものを持っていかなかったので、買うのも面倒だし音なしで映像をぼんやり眺めていた。お酒は以前から有料だが、現在は毛布や枕すらないのだ。お願いすると持ってきてくれる場合もあるが「ない」と却下されることの方が多い。つまりチケット代は全部ガソリンにいっているということ。


〈T先生のノックスビルのご自宅〉


 桑港からシンシナティへの長旅では、特にこうしたケチくさいのが目立った。それ以上に3人がけの座席の窓側がご老公、自分が真ん中なのはいいのだが一番通路側に若い女性が座っていた。若いというだけで、幅はご老公と自分を足した以上の大きさ。この人は我々が機内に入った時点ですでにプラスチック・バッグに入れたクラッカーをぼりぼり食べまくり、ランチボックスの販売が始まれば次々と食べまくり、出される飲み物という飲み物はことごとく「ダイエット系」で飲んでいた。…だったら飲むなよ…っと思ったのは自分だけだろうか(笑)

 とりあえず、テネシー州の東にある街、ノックスビルに到着した。T先生が待っていてくれた。去年は自宅に来てくださったので、久しぶりという感じがしないところもあったが、しかし自分にとっては2番目の母親のような人である。とてもあえてうれしい気持ちでいっぱいだった。


〈T先生(左)とご老公(右)〉
〈Getlinberg にて〉

Posted by さんちん at 15:20 | めりけん草子 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

ポケモン列車にゆられて【めりけん草子:外伝】[2008年08月04日(月)]
 今日から4年ぶりのめりけん訪問である。4年前は怪獣ギャオス姉と二人で、もう一人の兄弟をついでに訪ねる旅だった。テネシー州ノックスビルという町に、前にお世話になったT先生が引っ越しされたため、本来の目的はT先生ご夫妻に会いに行くことだった。
 今回の旅は父上との二人旅である。こんな事が起こるのだと驚きである。そして今回の旅の最大の目的はT先生の墓参である。姉と訪れた翌年T先生は以前から患っておられた病が悪化し他界された。あのときあれほどお元気だったため信じがたいものがあった。その2年前に我が母が病で他界したため、T先生の奥様(同じくT先生と自分は呼んでいる)が先年墓参にきてくださった。なので今度はお礼の墓参?というおかしな形だが、父がやはり行かねばなるまいと心に強く決めて旅を決意したため、お供に選ばれたのである。

 加えて、生まれてこの方会ったことの記憶のない従兄弟がめりけんで企業戦士をしているとのことで、父上は会いに行きたいそうだ。



 T先生のお孫さんはアメリカの子供のご多分に漏れず、(英語の発音で)「ぽきもん」が好きである。そこでいつも「ぽきもん」ものをお持ちする。ということでその準備も万端である。



 ということで、4年ぶりのメリケンに、謎の旅人の暖かい?視線に見送られながらいって参ります。

Posted by さんちん at 11:29 | めりけん草子 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

祭りの季節[2008年07月02日(水)]
 気がつけば今年も7月がやってきて、また騒がしくなってきた。日本を代表する祭りの一つ、「祇園祭」が始まろうとしている。祭りの準備・お囃子のお稽古は年中継続して行われているが実質7月にはいるとどこも山や鉾をたてるための準備に取りかかる。


船鉾の鳳凰


 昨日、朔日で仕事から戻ると近くの町内でお囃子が響いていた。世に言う「こんちきちん」である。どうもこれ、町内ごとで違うらしい。鉾町に住み始めて5年、ようやく違いがわかってきた。それぞれに美しい音色が聞ける。

 大家さんの家族も、一家をあげての祭りの参加で、祖父・父・息子は皆お囃子をしているし、行列の先頭を歩いたり、鉾の上で演奏をしたりする。町内の人は「職場に雇われる時に、必ず最初に祇園祭の1週間は休ませてもらいますからねとほぼ脅迫的に承諾してもらうのよ」と笑って話してくれたことがある。それがこの町に住む人の祭りへの姿勢なのだろうなと思った。


鉾の柱を縄で固定


 伝統を受け継ぐ多くのものには女性に対する差別的な風習が残っている。たとえば有名なのが大相撲では女性は土俵にあがれない。各地の祭りで女性が担ぎ手にになったり、騎手になったり、旗手になったりすることはない。女性の大工は大屋根の一番上に乗ってはいけない。
 祇園祭も同様で、お稚児さんは男の子である。引き手もお囃子も、鉾の前後に扇子を持って乗る四人も若い衆も男の人である。巡航では女性は引き手にはなれない。

 それでも町の人は女性の気合いの入れ方も男性のそれと変わらない。1週間仕事を休んでも、準備に汗を流し、町の会所などで演奏されるお囃子には女性も参加する。祭りの間は皆がちまきを売ったりお守りを売ったりする。女の子は皆浴衣で「ちまきどうどすかぁ〜」などとかわいい声で通りゆく人に声をかける。お母さんたちは交代でちまき売りやお守りなどの鉾町独自の商品の管理をし、子供たちの食事の支度をしたりする。それぞれに「役割分担」がしっかりされているところには本当に歴史を感じる。そして、こんな町の中でも地域社会の結束を見る。


会所で「こんちきちん」


 男女の差別的な問題も、きっと改善されるところもあるだろう。祭りを楽しむのに男も女もないのだから。まして…祭りの花、浴衣はは女性の見せ場である。最近はやりのレースをふんだんに盛り込んだも若い世代も目立つ一方で、伝統的な染めの上等なものをしゃらりと着こなしている粋な熟成世代もたくさんいる。着崩れしてしまう若い世代の男浴衣に対して、これまた上等な一重や浴衣を粋に着こなして、ちょっとだけ小物でおしゃれした渋い男性もたくさん見かける。


船鉾

 
 いろんな意味で「和をもって尊しとなす」ような気がする。日本的に助け合い、和める何かがあるのが日本の祭りの「和美」、祭りの後の「さび」かなぁなんて、たまにブログ記事をまじめに書いてみて、しょーもない戯れ言葉をしてしまった。

Posted by さんちん at 15:09 | ワシの庵で… | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

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お言葉
さんちん
七転び八起き (11/17)
谷ヤン
七転び八起き (11/17)
さんちん
お写真追加 〈奈良〉 (10/23)
さんちん
秋分の日を過ぎて… (10/19)
さんちん
秋分の日を過ぎて… (10/18)
せんちょー
秋分の日を過ぎて… (10/18)
さんちん
秋分の日を過ぎて… (10/04)
柳に風
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種類別のネタ
リンク集
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