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【お知らせ】
テレビ東京世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝〜」に 代表名知の現地の活動紹介されました
放送局:テレビ東京
番組名:「世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝〜」
日時: 2015年6月15日(月)
詳しくは こちらです
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バングラデシュへミャンマー系の先住民族を訪ねる 第3回 マハムニ母子寮へ立ち寄る [2016年12月28日(Wed)]

ネーカウンラー(お元気ですか)。MFCGボランティア会員の鈴木一登と申します。普段は栃木県の回復期リハビリテーション病院で作業療法士として働いています。

週替わりでMFCGとミャンマーにまつわる話題を書き綴っている当ブログですが、私は数回にわけてチッタゴン丘陵(ミャンマー系の少数民族が暮らすバングラデシュ東部の丘陵地帯)を訪れた話を書いています。

「バングラデシュへミャンマー系の先住民族を訪ねる 第2回」の内容

       ※

マハムニ母子寮の門をくぐると、さまざまな年齢の子どもたちが20人くらい走り回っているのが見えました。子どもたちの向こう側には、コンクリートでできた二階建ての古びた建物が見えました。

子どもたちのほうへ向かって歩いていくと、彼らはすぐに私に気づき、ボール遊びをやめて駆け寄ってきました。ベンガル人の子もいればモンゴロイド系の子もいました。

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そして私を見るなり、みんなが両手をあわせ次々に「こんにちは!」「こんにちは!」と日本語でいいました。私も急いで「こんにちは!」「こんにちは!」とあいさつを返していると、二階建ての建物からベンガル人の男が出てきました。

私はまず彼に自己紹介をしてから、マハムニへ来た理由などを説明しました。彼は喜んでマハムニ母子寮のあちこちを案内してくれて、子どもたちの日々の暮らしについて教えてくれました。

マハムニ母子寮は、もともとはバングラデシュがパキスタンから独立する際の戦争で寡婦となった女性とその子どもたちを救済するために、ワタナベ・テンジョウさんという日本人のお坊さんが1976年に設立した施設とのこと(イスラム教国であるバングラデシュでは、寡婦となった女性がひとりで子どもを育てることはとても難しいそうです)

現在では100人以上の子どもたちがここで暮らしており、みな親がいない孤児であり、ここで暮らしながら近所の学校に通っているとのこと。子ども達の生活費や学費は、日本の仏教関係者からの寄付金でまかなわれているとのことでした。

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住職の部屋の壁には、ふたりのお坊さんの写真がありました。ひとりは赤い袈裟(ミャンマーのお坊さんが着ている袈裟)を着ており、もうひとりは黄色い袈裟(タイのお坊さんが着ている袈裟)を着ていました。黄色い袈裟を着たお坊さんの写真の額縁には、まだ新しい白黒の帯が掛けられており、その人(福井さん)が最近亡くなったことを示していました。

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そして(2008年)現在は日本人の管理者がいないため、ベンガル人である彼が住職に替わってマハムニ母子寮を管理しているが、日本の仏教界とのコネクションが希薄になってしまったため、寄付金が集まりにくく運営にも苦労しているということも教えてくれました。

赤い袈裟を着ているお坊さんがマハムニ母子寮を設立した渡辺天城(テンジョウ)さんというかたでした。中庭にはテンジョウさんの石像があり簡単な略歴も記されていました。

マハムニ母子寮をくまなく案内してもらっているうちに、陽が傾いてきていました。小さい子どもたちはまだ庭で遊んでいましたが、すこし年長の女の子たちはチャパティを焼いたりゆで卵をゆでたりして夕ご飯のしたくをはじめていました。

その男性はここで一緒にごはんを食べて、泊まっていったらいいと提案してくれましたが、宿に荷物をぜんぶ置いてきていたこともあり、後ろ髪をひかれる思いでマハムニをあとにしました。

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再びパハルトリまで歩き、通りかかったバスに乗ってすっかり暗くなったチッタゴンの喧噪の中に帰ってくると、半日前にマハムニで過ごしていた時間が夢のように感じられました。

私が次に向かったのは、マハムニ母子寮の存在を教えてくれた謎のベンガル語ペラペラ男がひと足先に向かっているバンドルボンです。バンドルボンはミャンマー人の親戚ともいえるマルマ族が多く住む村として知られています。

 次の回へ続きます。





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Posted by 鈴木 at 23:39
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