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私の師匠 〜 予告編 〜[2013年10月31日(Thu)]

Music Dialogueアーティスティック・ディレクターの大山平一郎氏は、数多くの伝説的な演奏家から習ったり、一緒に弾いたりという経験があることから、そのような方たちについてのお話やエピソードをお願いしたところ、少しずつ続けて書いていただけることになりました。まずは予告編から…。

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今年の3月に実行委員会として発足しました“Music Dialogue”ですが、皆様からの御支援と御協力により、伝い歩きではありますが、前に向かって少しずつ進み始めたように思います。これからも宜しくお願い申し上げます。 

さて、これから「私の師匠」と題しまして、ここまで私を導いてくださった多くの師匠についてのお話を、このブログ上で皆様に御紹介させていただきたいと思います。

5歳の時にヴァイオリンを習い始めたのですが、楽器を弾くことや音楽に対してあまり関心がなかった私が、今このように皆様の前で演奏をさせていただけるようになったのは、大勢の方々の支えがあったからです。まずは先生方が最高の指導をしてくださったこと。そして両親の熱意。それから、優しく私を護ってくれた演奏家仲間の皆さんのおかげです。

最近(この年頃)になって気づいたのですが、自分が創り出す演奏は、やはり幼い頃に聴いていたレコードや、師事した先生方の演奏から多大な影響を受けていると云う事です。

音楽演奏術は伝統芸術。師から弟子への口授。その弟子からまたその後輩へと伝授されていきます。それは、あたかも一筋の水の流れが、あとに大河になるのと同じように、一つの演奏解釈、そしてそれを支える演奏技巧が生み出され、それが代々受け継がれていくのです。演奏家のまたの肩書きは再現芸術家。京都から始まる私の人生が、どの様にして演奏の職人に・・・・。 

次回は私の最初の先生からご紹介したいと思います。

(大山 平一郎)

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大山 平一郎(指揮者・ヴィオラ奏者)

Ooyama_Heiichiro_va.jpg


京都生まれ。東儀祐二教授にヴァイオリンを師事。後に桐朋学園で、江藤俊哉、鷲見三郎、斎藤秀雄各教授に師事。1966年日本音楽コンクール、ヴァイオリン部門で入賞。1968年、英国に渡り、ニーマン、プリース、ダート各教授に学びギルドホール音楽学校を卒業。1970年には米国インディアナ大学でプリムローズ、リッチ、ギンゴールド、シュタルケル、プレスラー各教授に師事。この間BBCベートーヴェン・室内楽コンクール、カールフレッシュ国際ヴァイオリン・コンクールに入賞。英国領事館音楽奨学金を日本人として初めて受賞。インディアナ大学コンクールではヴァイオリン、ヴィオラ両部門で同時優勝を果たした。1972年、マルボロ音楽祭にヴィオリストとして参加後、数多くの国際音楽祭に招待され、また著名な音楽家とも共演する。これまでにカザルス・フェスティバル、ブレッシャ・ベルガモ音楽祭(イタリア)、クフモ国際音楽祭(フィンランド)、沖縄ムーン・ビーチ音楽祭、キャラモアー室内楽音楽祭、室内楽ノースウェスト、サンタフェ室内楽音楽祭、サラソタ音楽祭に参加。また共演した演奏家は、チョン・ミョンフン、リン・ハレル、ギドン・クレーメル、ラドゥ・ルプー、ミッシャ・マイスキー、アンドレ・プレヴィン、アイザック・スターン、ピンカス・ズーカーマン、ジェシー・ノーマン、今井信子、岩崎洸、園田高弘、竹澤恭子、豊嶋泰嗣、らがいる。

1973年、カリフォルニア大学助教授に就任、翌年ニューヨーク国際ヤング・コンサート・アーティスト賞を受賞。1979年にカルロ・マリア・ジュリーニの率いるロサンジェルス・フィルハーモニックの首席ヴィオラ奏者に任命された後、指揮の勉強を始める。1981年にクロスロード学校弦楽合奏団の指揮者となる。1982年にサンタ・バーバラ室内オーケストラ、1985年にはノースウエスト室内オーケストラの音楽監督兼指揮者になる。1986年ラホイヤ室内楽音楽祭の芸術監督に就任する。同年、ロサンジェルス・フィルハーモニックを指揮、翌年アンドレ・プレヴィンに、同楽団の副指揮者に任命され、定期コンサート、ハリウッドボール、青少年ロサンジェルス交響楽団夏季トレーニング・オーケストラを指揮する。    

その後、ヨーロッパでは 1990年、オペラ・リヨン(仏)、ロイヤル・フィルハ−モニック管弦楽団(英)を指揮。その後、客演指揮者として、ボルティモア響(米)、ブランデンブルク響(独)、ハレ管弦楽団(英)、ロサンジェルス室内オーケストラ、ミルウォーキー室内オーケストラ、ニューメキシコ・シンフォニー、オハイオ室内オーケストラ、ロイヤルアカデミー・シンフォニエッタ(英)、ニューヨーク室内オーケストラ、サンフランシスコ響、サンディエゴ響などと共演。日本では1991年に京都市交響楽団を指揮してデビュー。以降読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー、東京都交響楽団、札幌交響楽団など、数多くのオーケストラを指揮している。

1991年にはロサンジェルス日米交響楽団の音楽監督兼指揮者に就任、翌年には同交響楽団と日本演奏旅行をする。1992年にはサンタフェ室内音楽祭の芸術監督に、また1993年にはニューヨーク州のカユガ室内オーケストラの指揮者兼音楽監督に就任。1973年から2003年までカリフォルニア大学教授、1999年から5年間、九州交響楽団の常任指揮者、2004年から2008年まで大阪シンフォニカー交響楽団(現、大阪交響楽団)ミュージック・アドヴァイザー及び首席指揮者、2007年から2009年までながさき音楽祭音楽監督を歴任。

レコーディングはコロムビア、フィリップス、ノンサッチ、RCA、ステレオ・ファイルとで行っている。特に、日本エヴィカでリリースしたピアニスト・故園田高弘氏と九州交響楽団との「ベートーヴェン“ピアノ協奏曲”全集」とブラームスピアノ協奏曲第一番のCDは高く評価されている。2005年に福岡市文化賞、2008年にはミュージックアドヴァイザー・首席指揮者を務めた大阪シンフォニカー交響楽団が文化庁“芸術祭優秀賞”を受賞。

現在、米国のサンタ・バーバラ室内管弦楽団 音楽監督兼常任指揮者。CHANEL Pygmalion Days Special Concert Series アーティスティック・ディレクター。1990年より世界各国のオーケストラ・音楽祭にて客演。