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性的指向・性同一性の実在性[2023年02月23日(Thu)]
維摩経は大乗仏教の経典の一つです。
そのなかで、男と女は実在しない、と述べられています。
しかし、この文脈での男と女は、物質的な身体的な性別についての
言及ではなく、心の中にある男女の概念について言及しています。
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したがって、維摩経における男女が架空のものであるからと言っているから
と言って、異性愛や同性愛、性的指向や性同一性、あるいは性的少数者などが
すべて架空のものか、と言うとそうではありません。

これらは個人が自分自身を認識する上での身体的、性的、そして心理的な
特徴や嗜好に関する実在の要素だと言えます。
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ただし、これらの概念が社会的に構築されたものには違いなく、
異なる文化や時代によって異なるのは事実です。

したがって、これらの概念に過度にとらわれることなく、個人は自分自身を
自由に表現できる社会を目指すことが重要ですし、そもそも
仏教では一切の存在が縁起によって成り立つんだとしています。一人の人間も
その人自身を取り巻く無数の条件や縁起によって成り立っているのです。
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いくら個人の自由だから、と言って好き勝手なことをして、
多様性だ、と言うのは考えものです、

次回は、社会秩序と多様性についてです。

上田地優
改めて、兎角亀毛[2019年11月11日(Mon)]
行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまる事なし。
(方丈記より)

変わらないように見えていても、
この世に変化しないものなんて、ありません。
苦しかったことも、つらかったことも、
いつの間にか気にならなくなっている。
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シャカリキになって、世の中の価値観を変えよう、と叫んでみたところで
腕づくで人の考えを変えようとしても、
無駄なこと。

あるがままに、あるがままに、
時がたてば、そんなもの、自然と変わっているんだからね、


今や、ほとんど死語になりつつある心の性と身体の性が一致しない性同一性障害。またたくまにトランスジェンダーという横文字に置き換わった感がある。最近は、Xジェンダーとかジェンダーなんとか、などさまざまな言葉が行き交っている。ただ言葉が歩き回っている。

そういう、横文字を使っている本人さんたちはいいけれど、周りの人たちがほとんど理解できないことには一切お構いなしのようで、あまりにも身勝手と言えば身勝手。

そもそも、魂と身体に性というものがあって、それがホルモンなどの異常かなにかで捻じれている現象を性同一性障害と呼び、欧米、とくに北米西ヨーロッパでは精神疾患とされたのである。
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そのホルモンであるが、18世紀末にヨーロッパの生物学者らが、性ホルモンの存在を発見したのである。性ホルモンの発見によって、男と女の秘密がわかった、と言って大騒ぎになったという。

たしかに、性ホルモンは男性を筋骨隆々とさせ、男らしい体つきにするし、女性を丸みを帯びた女性らしい体つきにする。でも、その小さじ一杯分あるかどうかに過ぎない性ホルモンがどうして男らしい行動、女らしい行動をとらせるのかは全くわかっていない。

まったくわかっていないのに、例えば、女性ホルモン剤を飲めば女性になれると思い込んで、一生懸命飲んでいる人もいるが、たしかにハード面ではそうなっても、ソフト面までホルモン剤が整備するわけではない。無明、つまり愚か者である。

要するに、こころと身体の性と言ってみたところで、それは兎角亀毛。言葉だけあって実体がないということ。そりゃあ、さん学者や医者たちは「心にも身体にも性というものがある」と言うが、それは兎に角、亀の甲羅に毛があるんだ、と言っているに等しい。性なんて手に取って見せることできますか?ペニスは泌尿器ですよね、本来は。

心にも身体にも性がなければ、一致も不一致も論ずることは不可能であり、もし仮に、こころと身体の性の一致、不一致が存在するとすれば、それは大いなるこじ付けというものである。それこそ、兎角亀毛。

ただ、いろいろな個性をもった人がいろいろといる、ということ。たとえ、わたしは「男でも女でもないXジェンダーです、」と言ってもたところで、それも兎角亀毛である。

冷静になって、静かに座って、考えてみれば、性同一性障害もLGBTも、要するに、言葉遊び、ごっこ遊び、ということ。
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男も女も心も体も性も、言葉にすぎないということだ。言葉だけあって、実体がないから、男にも女にも自由になれるのである。

いい加減に気がつこうよ。





男色と男尊女卑(1)[2019年11月01日(Fri)]
終生独身だった男色好きの哲学者プラトンは、若いころ、コリントスのイストミア競技祭でレスリング選手として活躍していた時期があったそうだ。

本名をアリストクレスと言った彼のその立派な体格からプラトン(肩幅の広いという意味)というニックネームが与えられたのだという。

プラトンは「若者が栄えある同性の愛人を持ち、愛人が栄えある美少年を持つことほど大いなる恵みはあるまい」と常日頃語り、もっともすばらしいことは「17〜8歳の若者を全裸で格闘技させる光景である」と豪語した。そして、老後は美しい青年に介抱されつつ息を引き取りたいと願っていたのである。
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もともと、プラトニック・ラブとはプラトン風の愛ということで、それは男性どうしの気高い情愛関係を指していたのだ。

ストア学派の開祖ゼノンは生涯女性に触れることがなかったが、無類の美男子好きだった。彼は最初から女色は無視して男性のみを愛したのである。

そのゼノンの後継者でボクシング選手のクレアンテスは第二のヘラクレスと呼ばれていた。若者たちを見世物に連れていったところ、風のせいで上衣がめくれあがって下着をつけない彼のたくましい裸体が観衆の目に留まった。時ならぬハプニングに、美にうるさいギリシャ市民たちは万雷の拍手喝さいを彼に送ったという。

プラトン、ストア学派以外の哲学派も、こぞって男色を重んじているのである。もちろんアリストテレスも例外ではない。

つまり、古代ギリシアにおいては、師弟関係は、常に愛する者と愛される者との関係にあったのだ。それはアリストテレスやプラトン、ゼノンのような哲学者だけでなく、下層の人々の間でも男色はごく一般的だったのである。


ようするに、西洋文明のルーツでもある古代ギリシア文化はきわめてホモエロティックな世界の上に築かれていたのである。
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ギリシアからヘレニズム・ローマ時代にかけて、きわめて男尊女卑が激しかった時代である。

男どうしのセックスなら、生理の穢れも妊娠の心配もなく、肛門に挿入されるので便秘にならず、浣腸の心配もなく、そのうえ、性病にならない、という迷信もあったそうで、反対に、女性とセックスをすると痛風になったり、痔になったり、老化の原因になったりすると警告した医者いたそうだ。

男色のほうが女色より優れている、だから男色が古代ギリシャやローマで隆盛を極めた理由は男尊女卑の考え方にあったのかもしれない。
兎角亀毛[2019年10月31日(Thu)]
兎角亀毛(とかくきもう)とは「名ばかりで実体がない」という意味である。

兎の角、亀の毛という言葉はあるが、実際に兎には角はないし、亀には毛が生えていない。
名ばかりで実体がないことで、それを仏教では仮名(かみょう)という。
言葉の本質はそういうものである。
言葉によって、わたしたちの思惟や妄想で概念が形成され、やがて実体化するのだ。
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以前、横浜であった心理学者たちの集まりで、ジェンダーを表す言葉が200以上もあるということを聞いたことがある。そして、いわゆるトランスジェンダー、トランスセクシャルらに対するケアーのマニュアルの巻末には200以上の用語解説が載せてあった。

またある時、Xジェンダーと自称する大学教授は講演のなかで、性科学は日進月歩で、ジェンダーに関する用語は常に更新されていると得意げに語り、LGBTと呼ばれる性的マイノリティーは日本には13人に一人なんです、2020年に東京でオリンピックが開催されるころには、世界中からLGBTが集まってきます、と語っていた。

たとえば、ジェンダー、トランスジェンダー、トランスセクシャル、LGBTも要するに仮名(かみょう)である。言葉はあるけど実体がないのである。概念なのである。

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さてある人からLGBTの運動は盛り上がりましたね、と言われたが、どこが盛り上がっているのだ、と言いたい。盛り上がっているのは東京周辺の、しかも国会周辺だけで、それ以外はどこも盛り上がっていないではないか。風は吹いていないのだ。自分たちの周辺だけをみて勝手に盛り上がっていると妄想しているに過ぎない。

13人に一人、最近では11人に一人の割合で、LGBTがいると言うが、それも怪しい数字である。数字も仮名(かみょう)。数字に実体はないのだ。

それこそ、東京などの首都圏でネット環境のある人たちで、20〜59歳の人たち限定でやれば、そのくらいの数字は出るだろう。しかしサンプルを日本全国津々浦々、年齢層ももっと広げて、ネットができる環境にある人限定ではなく、面接方式で調査したら、どんな数字が出るだろうか?いわゆる心の性と身体の性が一致しない性同一性障害の人は約4万人いるというが・・・。

そして、データを取る方は、いかにものをLGBTに売ろうかを目的にした市場調査のつもり。データを取られる方はどういうつもりなのか?LGBT市場調査と知って答えていたのか?たぶん、なにもかんがえてないだろう。そして、そういうデータを何も考えずに大本営発表の如く、報道するマスゴミ・・・。性同一性障害の人たちの数は実際に治療を求めてきた人たちの数である。LGBTの調査と性同一性障害の人たちの調査は質が異なるのである。

結局、LGBTの啓発活動している人たちは知識があって頭がよく論理的に話す人が多い。彼ら彼女らは、LGBTという横文字を使って、トランスジェンダーとかトランスセクシャルとかXジェンダーと言ったカタカナを駆使し、おまけに諸外国のケースや数字を使って、論理的に観念的に語り、LGBTについての啓発をしているつもりなのだが、しかし、講演を聞いている人たちは、シャワーのように浴びられた抽象的な言葉に戸惑い、消化できないまま、訳の分からない言葉だけを頭に詰め込まれて、聞き終わった瞬間、なにを聞いたのかわからないままで、酸欠状態で疲れ切って会場を後にするのである。

あとで、まわりから、どんな話でしたか、と聞かれて「兎に角があって、亀の毛で作ったコートがあるそうな」と答えるのである。




重ね着症候群[2019年10月30日(Wed)]
魚の中で、性転換をする魚がいます。
性転換するのは魚本人の意思ではなく、本能的にそうするんでしょうね。
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メスとして生きたほうが有利だと判断すれば、自動的に性転換のスイッチが入って、
性転換する魚の体内には精巣細胞と卵巣細胞の両方が格納されているので、精巣が卵巣、卵巣が精巣に変化して、それで完了。魚は身体の構造が簡単なので、性転換は非常に簡単に済んでしまう。

で、人の体内にも男性ホルモンと女性ホルモンの両方があって、胎児期の初期のころには精巣細胞と卵巣細胞の両方があります。進化の跡です。両性具有だったことの思いでと魚だったころの記憶。

嘘だと思うなら、その道の詳しい人に聞いてみるか、自分で勉強しなさい。

だけど、魚と異なり爬虫類や哺乳類は身体の構造が複雑なので、パッパッと性転換はできません。しかし、自分にとってメスとして生きたほうが有利だと、脳のどこかの部位が判断した場合、身体の部位は別として、行動面で変化が出てくるのかもしれません。

おそらく、それは自分自身が生存していく上で、危機的な状況が発生したときに、無意識のレベルで(精神的な)性転換がおこっているのかもしれない。

その危機的な状況とは、いろいろと考えられます。

心の性と身体の性が一致しない性同一性障害の原因が、ホルモンの異常とか脳の性差がどうのこうのではなく、そもそも性同一性障害は精神科医たちがお金儲けのために勝手に作り出した言葉なんで、男なのに女性として、女なのに男性として生きたいと思い、実行するのは、自分自身の生存にかかわる危機的な状況を切り抜けるため、方便なのでしょう。
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わかりやすくいうと、なにかの出来事が引き金となって、自分は女として生きたほうが有利だとか、男として生きたほうが有利だと、脳が判断したために、俗にいう心と身体の性の不一致がおこったのではないか、とわたしは思う。

多かれ少なかれ、性同一性障害と言われている人たちにとっての心の性と身体の性の不一致はあくまでも表に見える現象で、その人たちの心の奥底には、無意識のレベルで解決されていない重要な問題があって、それが、本当の原因かもしれない。

ようするに、重ね着症候群と言って、表に見えている現象は仮の姿で、本当の原因は一番下に隠されているということです。

だって、脳に性差があるということがわかっていても、どうして、オスがメス、メスがオスのような行動をとることがあるのかということは絶対に人間にはわからないのです。

それが自然の不思議なのです。

つれづれなるままに[2019年10月30日(Wed)]
むかし、性転換する魚のことがかかれている本をよく読んだ。
例えば、そのクループからメスがいなくなり、オスだけになったとき、
そのなかのオスがメスに性転換、あるいはその反対にメスだけになったグループで、もっとも大きいメスがオスに性転換するとか。
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種族を守るため、自分たちの遺伝子を残すための戦略でもあり、ある意味自己防衛本能の一環なのかもしれない。実際のところ、クマノミなどの性転換する魚たちに聞いてみないとわからないが・・・、しかし、自分にとってメスとして生きたほうが有利なのか不利なのか、無意識のレベルで判断するに違いない。

そういう性転換、無意識のレベルで、脳のある部分からの指令で起こるのであろう。だが、魚まではそれでいいのだが、爬虫類や哺乳類では身体の仕組みが複雑で、魚のようにはいかない。

人の脳には、生物が地球に現れてからのすべての歴史が書き込まれているらしい。脳の古い部分に、すべての生き物たちの遺伝情報らしきものが埋め込まれているのだと言う。

その理屈からすると、哺乳類も魚のように、無意識のレベルでオスからメス、メスからオスへと性転換する能力も書き込まれているはずだ。

極端な話、性別とは何か?と問われて「これこれしかじかである」と明快に答えることができる学者はいないであろう。みんな、自分の都合のよいように推論を並べて偉そうに言っているにすぎない。

オスとメスを隔てるものは性器ではない。あそこに性器という言葉をつけたのは人間である。もともとそういう言葉、記号は自然界には存在しないのだ。なにがオスとメスを隔てているのか、それも誰にも分らないのであろう。ホルモンが隔てる。それは笑い話だ。

精神科医らは、それこそ、わかったようなわからないような理屈をこねているが、彼らがわかっているのは限定的なものである。あくまでも仮説である。

オスからメス、メスからオスへと性を転換するのは厳しい環境のなかを生き抜く一つの防衛本能であるとしたら、たとえば、人間のオスがメスのように、あるいは人間のメスがオスとして暮らし、生活するというのは、ある意味、生存戦略のひとつであり、防衛本能なのかもしれない。

それは精神疾患とか、俗にいう性同一性障害などではない。

生物としての生き残りをかけた生存戦略とでも言えよう。

つまり、性そのものが、無意識のレベルで機能する本能的な欲求なのだから、そういう性転換も無意識のレベルで選択されるのである。

自分は女性として生きたほうが有利だと脳が判断すれば、脳はそのように指示を出し、実行するのである。

要するにそういうことである。
男色・女色、へだてなきもの(1)[2019年10月20日(Sun)]
我が国の男色文化は徳川時代に全盛期を迎えた。
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徳川時代における我が国の(男性間)同性愛の習慣は、それまでの寺院の習慣、武士の習慣、そして男性が圧倒的に多い大都市の発生によって促された町人の習慣が融合してできたものである。

徳川時代、男女の肉体関係を否定する仏教と家の存続と子孫繁栄を重視する儒教、神道、国学などの知的な風潮があったものの、しかし、男性間のセックスに対する強い嫌悪、敵意はほとんどなかった。

歴史の中で、男色は宮廷、寺院、封建支配体制といったエリートたちに役立つように形成され、宮廷や寺院などで、権力を握る男たちは、稚児に、戦陣や武家屋敷などで権力を握る男たちは下男や従者に、そして、人の関係を金が媒介するようになると、新たに権力を握った町人階級の男たちは、稚児でもなく、下男や従者とは異なる性的な欲望の対象を産みだした。
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それは、一定の時間と現金を出せば買える性的なサービスである。
一定の時間と金さえ出せば買える相手との関係では、ふつうの男女関係にあるような感情的な束縛があるわけではなく、また拒絶されることもない。

徳川時代の男色は基本的には男女両性愛の一部分であり、年長者と若者、上位者と下位者、主人と召使の関係を映し出すものであった。
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