性的指向・性同一性の実在性[2023年02月23日(Thu)]
維摩経は大乗仏教の経典の一つです。
そのなかで、男と女は実在しない、と述べられています。
しかし、この文脈での男と女は、物質的な身体的な性別についての
言及ではなく、心の中にある男女の概念について言及しています。
したがって、維摩経における男女が架空のものであるからと言っているから
と言って、異性愛や同性愛、性的指向や性同一性、あるいは性的少数者などが
すべて架空のものか、と言うとそうではありません。
これらは個人が自分自身を認識する上での身体的、性的、そして心理的な
特徴や嗜好に関する実在の要素だと言えます。
ただし、これらの概念が社会的に構築されたものには違いなく、
異なる文化や時代によって異なるのは事実です。
したがって、これらの概念に過度にとらわれることなく、個人は自分自身を
自由に表現できる社会を目指すことが重要ですし、そもそも
仏教では一切の存在が縁起によって成り立つんだとしています。一人の人間も
その人自身を取り巻く無数の条件や縁起によって成り立っているのです。
いくら個人の自由だから、と言って好き勝手なことをして、
多様性だ、と言うのは考えものです、
次回は、社会秩序と多様性についてです。
上田地優
そのなかで、男と女は実在しない、と述べられています。
しかし、この文脈での男と女は、物質的な身体的な性別についての
言及ではなく、心の中にある男女の概念について言及しています。
したがって、維摩経における男女が架空のものであるからと言っているから
と言って、異性愛や同性愛、性的指向や性同一性、あるいは性的少数者などが
すべて架空のものか、と言うとそうではありません。
これらは個人が自分自身を認識する上での身体的、性的、そして心理的な
特徴や嗜好に関する実在の要素だと言えます。
ただし、これらの概念が社会的に構築されたものには違いなく、
異なる文化や時代によって異なるのは事実です。
したがって、これらの概念に過度にとらわれることなく、個人は自分自身を
自由に表現できる社会を目指すことが重要ですし、そもそも
仏教では一切の存在が縁起によって成り立つんだとしています。一人の人間も
その人自身を取り巻く無数の条件や縁起によって成り立っているのです。
いくら個人の自由だから、と言って好き勝手なことをして、
多様性だ、と言うのは考えものです、
次回は、社会秩序と多様性についてです。
上田地優
Posted by
tsukuyomi
at 22:02
| 男色・女色、へだてなきもの
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