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無明(むみょう)[2019年01月24日(Thu)]
人の裸体そのものは綺麗なものでも猥褻なものでもない。乳房が猥褻なものと決めたのは、言うまでもなく、人間が勝手に決めたことである。
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島根県の県議会議員が「性別適合手術を済ませていない者が女風呂で髭を沿っていたら、女性は驚く」と公の場で発言した。一部の正義感の強い?トランスジェンダーは「そんなに女風呂に入りたいのか」と言ってきた。性別適合手術を課したのは女性の安全を守るためだ、というが、いったい、なにが危険でなにが安全なのか?

逆に言うと、女風呂に入りたいから、性別適合手術まで受けた、という解釈もできる。
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この世のあらゆるものごと、現象に、最初から、浄いとか汚いとか、神聖だとか不浄であるとか、正しいとかあやまっているとか、優秀であるとか劣っているとか、美しいとか醜いとか、猥褻であるとかないとか、男であるとか女であるとか、そういう分別はもともとないのである。そういう分別をするのは人間の計らいである。

生じることもなければ、滅することもなく、
増えることも減ることもなく、
浄いものもなければ不浄のものもなく
ただ、一時的に、かりそめの姿で存在しているにすぎないのだ、
諸行無常なのである。

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「これこれしかじかなのは、かくかくしかじかなのかもしれない」と思うのは、人間のかってな妄想である。

それを口に出すものは、愚か者である。

あるがままに、ものごとを見る智慧がない、のである。
つまり、無明ということなのである。
Posted by murasakishikibu at 05:01 | エッセイ〜ちひろのひとりごと〜 | この記事のURL
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