サッカーワールドカップ南アフリカ大会が終了しました。
4級審判員の資格更新をしなかった私ですが、ワールドカップの審判で、『審判もサッカーの一部である』ということについて感じたことを思いつくままに書き留めておこうと思います。
印象に残ったのは、イングランド−ドイツ戦のゴール判定。
ビデオ再生では、ボールはクロスバーをたたきインゴールにバウンドした後、回転のかかったボールはゴールの外に跳ね、インゴールと認められませんでした。
私も、2度、同じような場面に遭遇したことがあります。
両方とも、息子が小学生の時の試合です。
ともに、味方選手のシュートがクロスバーにあたり下に跳ねるという、イングランド−ドイツ戦と同じシーンでした。
一つは微妙な判定で、敵ゴール近くで見ていた私は、ノーゴールと見ましたが、コーチ、選手は納得できずにいました。
二つ目は、我々ベンチから見ても(やはり敵ゴールサイドでした)確実にインゴールでしたが、副審のジャッジが不明確で、主審にゴールは認めれれませんでした。
二つ目のケースは、コーチが試合後に主審と副審、第4審判に確認したところ、インゴールであったことが確認されましたが、主審から謝罪はありましたが、判定が覆ることはなく、敗戦となりました。
これらのケースでコーチが言ったのは、
『副審にゴールの判定を確認するよう、選手は主審にアピールをしたか』
『審判も間違えることはある。それを引きずらずに試合をできたか』
ということだったと思います。
ビデオ判定やゴールライン審判の導入などの議論もあるようです。
しかし、個人的には、スポーツは紳士的であるべきで、審判にわからなければ、反則や自分有利な判断はよしとする考えにつながるようで、基本的には反対です。
私はテニス愛好家で、今でも市民レベルの大会に参加することがありますが、基本的には審判のいないセルフジャッジで試合をします。
その場合、私が教わってきたのは、微妙で自信がない場合は相手有利に判定する、ということです。
スポーツは相手選手を尊敬することで成り立つのだと思います。その前提で、公正な立場での審判がいるわけです。
もちろん、公正な審判のためには、審判技術だけではなく、両チーム、サポーターの信頼を得るに足る人間性も備えなくてはならないと思います。
これは大変難しいことですが、難しいからと言ってビデオ判定などになっていますと、スポーツが単に勝敗を決するためのゲームになってしまいそうな気がします。