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修了&終了 そして・・・ [2012年04月27日(Fri)]


こんにちはー 研修生のFです。 

わたくし恥ずかしながらブログ初登場なんですが・・・(・∀・)

本日付で まつえ・まちづくり塾 研修生の研修を修了致します(`・ω・´)ゞ

僅か約九ヶ月間でしたが、
まち塾関係の方々をはじめ沢山の人達に支えられて、無事終了にできたのだと思っています。



             皆様たいへんお世話になりました!

             本当にありがとうございました。



 
( ゚д゚)ハッ!
・・・ってこれじゃあもうみなさんとは会えない流れみたいな感じではないかぁぁぁ(T_T;)
 
いやいやいや(゚∀゚)自分なりにですが今後もまち塾には関わっていくつもりですよー!
♪〜(´ε` )

ということで 有難う御座いました&今後ともヨロシクお願いしまーす m(__)m

でした。\(^o^)/

 
 















研修終了にあたり [2012年04月25日(Wed)]
研修生のHです。
昨年8月より始まりました研修も、今週27日をもって終えることとなりました。


始まった当初携わったのは、
・新大橋商店街に関すること
・「奥出雲町わがとこワークショップ」の準備
・先ごろ終了した「だんだん傘」
でした。

写真:旧米田旅館

新大橋・伊勢宮町にある旧米江旅館にはめこまれたプレート



もうひとりの研修生Fさんとともに、現地調査に出たり、島根県立図書館に通ったり、傘を配置したりしました。
昨夏も暑さきびしく、外に出るだけで大汗をかいたと記憶しています。

稲田姫像2.JPG

JR出雲横田駅横にある稲田姫像



松江市中心市街地や奥出雲町のまちあるきをお手伝いしたり、松江市内の狛犬探検に参加する機会も得ました。
自分が知っている「つもり」のところ、何気なく通っていたところに、思わぬ発見がいくつもありました。

CIMG2038.JPG

松江市石橋町でのまちあるき


i000 morihiko.JPG

春日神社の狛犬


ワークショップというものを数回実地でお手伝いし、自らも参加しました。
いろいろのアイデアや発見が出てきて、それを成果物として文字化・図表化していく過程は、慣れない面がありながらも、楽しい作業でした。

DSCF1462.jpg

奥出雲町佐白地区での「わがとこワークショップ」



NPOの知識を得るための講習会・セミナーにも多く参加しました。
短時間にして内容が詰まっているためか、終わるころにはクタクタになっていることが多かったように思います。


最後の仕事も、奥出雲町に関することでした。
今まで縁のなかった地域・分野に多くかかわり、新しい知見を得ることができました。
今後もこのまち・地域と人のつながりという問題意識を持ちながら、地域づくりに少しでもかかわっていきたいと思っております。

この9か月でお会いできましたみなさまに、心より感謝を申し上げます。
最後に、
「別るるや 夢一筋の 天の川」(夏目漱石)


【H】
「白潟歴史まち歩き楽会」田中瑩一先生ご講演 [2012年02月17日(Fri)]
研修生のHです。
遅いご報告となって恐縮ですが、先月1月20日(金)、松江市市民活動センター(スティックビル)において、島根大学名誉教授・田中瑩一(えいいち)先生の講演会が開かれ、行ってまいりました。



田中先生は国語科教育法や民話研究で、いくつもの業績を残してこられました。
その一方、島根大学ご在学中、山陰日日新聞(現・日本海新聞)の連載『松江八百八町 町内物語』の執筆に参加なさいました。


『松江八百八町 町内物語』は全三巻立てで単行本化されたものの、すでに絶版。連載当時(昭和20年代後半〜30年代前半)の『山陰日日新聞』のバックナンバーも、島根県立図書館にありません。さいわい、新聞の本社があった米子市立図書館に所蔵されていましたが、経年変化と当時の紙事情の悪さもあり、慎重にページをめくらないと破れてしまう状態だったそうです。

それでも全連載を複写し、その中から精選する形で近く復刻するとのことです。その序文原稿を田中先生みずから朗読の上、そのころのエピソード・思い出をいろいろお話になりました。


また「余話」として、明治時代の国語科教科書「松声文集」(しょうせいぶんしゅう)の講義をしていただきました。
高校時代の古文・漢文の知識がよみがえってきますが、私は古文が苦手でしたので、どこまで頭に入ったでしょう。それでもテストなど気にせず、古文や漢文に親しむのは、とてもいいことだと思いました。

田中先生のお話で興味深かったのは、この教科書を使った学校教師たちの優秀さでした。明治時代、向学心旺盛で立身出世を夢見ても、進学や上京には大変なお金がかかりました。地元にとどまり、小学校や中学校の教師となった例も多かったようです。息子を上の学校にやるために、家産を傾けてしまったらしいという例もお聞きしました。


情報・学習機会の格差著しかった時代のことを、私たちはどう受け止めたらいいのでしょう。
学ぶことと生きること(=生き方・生活・人生 etc.)について、ずっと考えている私です。

【H】
新年を寿ぎ [2012年01月05日(Thu)]

新年おめでとうございます。



年初早々、こちらは雪に見舞われました。
去年の大雪を体験しておりますと、「まだこれくらいなら」とも思えます。
しかし油断はなりませんので、お足もと等、どうぞお気をつけください。


旧年の年頭と年末とで、これほどモノの捉え方・考え方が変わったことは、なかったでしょう。
いろいろあっても、あえて心の潤いを失わない知恵と工夫を持てたらと思います。

こみ上げて来る幸せの初笑(稲畑汀子)

みなさまにとりまして、平らかなる一年となりますように。


【H】
奥出雲雪路行 [2011年12月27日(Tue)]
研修生のHです。
文字どおりのクリスマス寒波となり、大変な週末となりました。
今日の松江市内も、車道は走れるものの、歩道は雪が残ったまま、カチカチになっておりました。
おケガなどなさいませんよう、お気をつけくださいませ。



さて昨日、来月開催予定のシンポジウムの打ち合わせのため、塾のメンバー四人で奥出雲町役場仁多庁舎へお伺いしました。

松江からの近道は山道のため、山の間を縫う国道314号線がよいだろうと判断。
国道9号・54号・314号線と迂回することにしました。


ところが――
まず国道9号で自然渋滞に巻き込まれてしまいました。
来待駅前あたりまで、なかなか進みません。

54号線を無事通り、さらに314号へと進みますと――
轍が固くなり、そのとおりにしか進めません。
下のほうを擦ってしまうのでは、という心配もありながら、ゆっくり進み、無事到着。


奥出雲町では打ち合わせのほか、井上勝博・奥出雲町長へのご挨拶、会場の下見などを行いました。
しかし終わるころには――




雪はずんずん積もっていきます。
帰りの車内からは、信号機がうまく見えません。
少しスリップもしましたが、とにかくゆっくり走りました。



もと来た道を無事戻り、松江に着くころには、すっかり暗くなっておりました。
奥出雲から帰ってきた者からすると、松江の雪はまだ、はるかに少ないように思えました。
奥出雲町の担当の方に、今回の雪の具合をお尋ねすると、まだ序の口とのことでした。


行き帰りの車中で、私は鈴木牧之の『北越雪譜』のことを思いましていました。



越後魚沼地方の雪にまつわる話をおさめた、「雪の民俗学」といってもよい、江戸時代の古典です。
雪の中に生きる人びとの姿は、便利になった現代も、案外そう変わっていないのかもしれません。



みなさま方の温かいご支援とご協力のおかげをもちまして、塾も今年一年、さまざまな催しを行うことができました。
まことにありがとうございました。
来年も何とぞ、よろしくお願いを申し上げます。

どうぞ、よいお年をお迎えくださいませ。


【H】
白潟・寺町、社寺エトセトラ [2011年12月08日(Thu)]
研修生のHです。
11月28日午後、松江市白潟公民館さん主催のまちあるきに参加いたしました。

今回案内人をお務めになったのは、堀江一夫さん。
「白潟歴史まち歩き楽会」会員であり、当塾の会員でもいらっしゃいます。



白潟公民館を出発し、南下。
まず白潟天満宮を訪れました。
はじめて聞くことが多く、うなづくばかりでした。



ここから北上し、南寺町を歩きます。
さまざまな宗派のお寺が並んでいます。
かつて寺町には26か寺ありました(戦時中の建物疎開により、現在は25か寺)。
松江城を築いた堀尾氏に従い、それまでの居城だった月山富田城下から移ったお寺もあります。

ここにお寺が集まっているのには、理由があります。
近世の城下町づくりで、ここは防御の拠点とされました。
人や物資を集積するのに、お寺は重要な施設だったのです。

そんなお寺のひとつ、日蓮宗常教寺
門をくぐると日蓮像があり、しばし見上げてしまいました。



さらに北へ歩きます。
風流堂さんの前で、堀江さんのお話。
看板の真ん中の「流」のつくりの上(なべぶた)に、点がありません。
これは間違いではなく、昔からこう書くのだそうです。
(ご興味ある方は、下の写真や、風流堂さんのホームページをご覧ください。)



ここからさらに北を歩き、売布神社で解散となりました。
結構歩きましたが、興味の尽きないひとときでした。

最後に私の一枚を。
寺町の細い路地にある防火器具庫。
このまちの歴史を、こんなところにも感じます。




(H)
北堀から石橋をあるく [2011年11月29日(Tue)]
研修生のHです。
秋から冬への移り変わりの時期、いかがお過ごしでしょうか。

11月10日、松江中心部のまちあるきに同行いたしました。
集合場所は松江歴史館。
ここから北へ向かいます。



塩見縄手から県知事公舎のある横道に入り、坂を登っていくと、明々庵という茶室があります。
松平不昧公以来の由緒あるお茶室で、ここからの松江城の眺めがよいとのこと。
今回はその案内板を背に、その逸話などを聞き、縁深き三英堂さんの和菓子増鏡をいただきました。



ここから坂を越えますと、石橋町に出ます。
通りに面した石川屋さんに入ってみました。
今回の参加者は奥様方とあって、やはりお魚やお惣菜については「主婦の目」をお持ちでした。



さらに足をのばして、森山醤油店さんを訪れました。
ベンガラ色の壁が、ひときわ目をひきます。



特別に醤油を醸造する木桶を見学させていただきました。
手間暇をかけた香りがたちこめています。
私事になりますが、小さいころ、家の近くに醤油屋さんがありました。
その近くで遊んだときの香りと記憶が、急によみがえってきました。



石橋町には昔ながらのお店がいくつもあります。
参加者のみなさんも、いろいろな「発見」をなさって、お帰りになったようでした。



(H)
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