仮説の論証 [2012年06月16日(Sat)]
人は迷うとき、すぐに答えがほしくなる。
古代から西洋でも東洋でも、混乱期に「こうすべきだ」と胸を張って主張できる為政者は、 たとえその主張が異常なものであっても民衆の信頼を集めるものだ。 それほど、人間は弱いのだろうか。 「決まらない」「わからない」という状況に対する不安な気持ちに どれだけ耐えられるかが、その人の成すことの大きさを表しているような気がする。 私はまだまだだ。 どうしても、安易なおとしどころにすぐにいきたがる。 お金の力は大きい。 それは、この仕事をするまでは知らなかった。 うまく使えば人に勇気を与え、明日への生きる活力を与え、新たなつながりを生む。 使い方を間違えば、そこに残る状況は悲惨だ。 私は今、あることで悩んでいて、時間がどんどん経っていくことに焦りを感じている。 もっと効率よく業務をさばければ、こちらに時間を割けるのに・・・と思いつつ、 時間をかければ納得のいく答えが出るのかと言われれば、そうでもない気がする。 そこで、どうしても答えが早くほしいと思っている自分がいる。 それは、支援先の人たちのためではなく、自分のためだとわかって、 なおさら嫌な気分になる。 悪循環だ。 でも、先日、私なんかよりも何倍も経験のある専門家の方が 同じようなことで悩んでいるということが分かった。 正直、ちょっと驚いて、そして、当たり前だよなと思い直した。 今まで経験したことのないものにぶち当たったとき、 何がベストな方法なのかなんて、誰もわからないはずだ。 大事なのは、何がベストな方法なのかを導き出すために、 どれだけ苦労したかじゃないだろうか。 どれだけ情報を集め、ヒアリングを行い、意見を練って、仮説を立てては崩す という作業をしたか。 それを繰り返すことで、ベストな答えに近づくんじゃないか。 まぁ当たり前のことなんだけど、身に染みて感じている。 苦しいけど、もう少しこの状況に浸かっていてもいいかな・・・と思っている。 |