ペルー初訪問
[2011年06月23日(Thu)]
霧に煙る“砂漠の街”リマ
交通混乱は高度成長の象徴か
6月中旬、ペルーを訪れた。南米訪問は初めて。ペルー観光を代表するマチュピチュやクスコ、ティティカカ湖を訪れたわけでもなく、ほんの数日間、首都リマに滞在したに過ぎない。それでも驚きの連続だった。冬の到来を前に霧に覆われた街は予想以上に寒く、身がすくむほどに強引な車の流れは高度成長期を迎えた途上国特有の活気のようにも思えた。
▼土埃と寒さ
ガイドブックなどによるとペルーは128万平方q、世界20位、日本の3倍を超す国土を持つ。南北に長い地形のこの国は、太平洋岸に面するコスタ、アンデス山脈が連なるシエラ、アマゾン川流域のセルバの3地域に大別される。リマがあるコスタは海岸線から30〜50キロの地域の砂漠地帯。5月に「インカの涙」と呼ばれるわずかな雨が降るが、年間を通じ降雨はほとんどない。夏期(11〜4月)は晴天が続くが、冬(7〜8月)はルーアと呼ばれる霧が空を覆い曇天が続く。

訪問に当たりWebで調べると、6月の気温は16〜23度。夏服で出かけたが、深夜、到着した空港は肌寒く、出迎えてくれた日系人協会関係者はオーバーコートにマフラー姿だった。霧が重く立ち込め、5日間の滞在中、2日目に一瞬、薄日が差した以外、太陽を見ることはなかった。樹木の葉っぱにも土埃が積もり、海岸線沿いの新市街ミラフローレス地区などを除けば、街全体が暗く温度以上に寒々としたイメージ。碧い空を背景にしたマチュピチなど観光ポスターを見慣れたせいか、最後まで違和感が付きまとった。
街の郊外には丘とも見える奇妙な岩山がいくつか点在する。遠目には黒みがかった砂山のようにも見え草木はない。中腹に赤い屋根の小屋がびっしりと並ぶ岩山もあり、案内してくれた日系人ルイス嵩原さんは「全部、不法占拠。砂っぽく見えても実際は岩盤で崩れ落ちる心配もなく、増える一方だ」という。
樹木のない“ハゲ山”は中国、韓国やモンゴルでもみた。かつてレバノン杉が群生していた中東にも同じような光景があった。青銅器や鉄器の生産のため樹木を大量に伐採したり、農耕地用に開墾した結果、表土が風で奪われ砂漠化したのが原因だった。リマの岩山にも遠い昔には樹木があったのではないかー。そんな思いが強く、何度か同じ質問をしたが、誰もが「この地域は昔から雨がふらない。だから山には木も何もない」と語った。
▼驚きの交通事情
道路の混雑と強引な運転にも驚いた。かつて見たインドのデリーやコルカタ、バンコク、プノンペン、ビエンチャンなどの交通事情もすごかった。道路の混雑度だけなら北京や上海、ソウルの方が上を行くかもしれない。インドのようにクラクションを鳴らしっぱなしというわけでもないが、リマの場合は前へ前へと突進する強引さにおいてほかの都市を上回る。例えば交差点。前がつかえていれば通常は青信号であっても交差点に入るのは見合わせる。しかし、この街では構わず交差点に突進する。結果、信号が変わると、青信号の車を妨害する形になり、交差点内は身動きとれぬ混乱に落ち込む。
通訳をしてくれた青年は理知的で滅多に興奮することもないタイプと見受けたが、いざ運転となるとまるで別人。激しいハンドルさばきで、わずかな隙間にも強引に突入し、後部座席にいた自分も何度かシートにへばりついた。帰途、ロサンゼルスに立ち寄り、車線に沿って整然と流れる車列を見てホッとする気さえした。考えてみると、日本でも東京オリンピックを前にした成長期、強引な運転をするタクシーを外国人が“神風タクシー”と評した時代があった。一見、無秩序に見える途上国の道路事情も冷静に見ればインフラ整備が車の激増に追いついていないのが原因だが、停滞から発展期に移行する時代の熱気のような気がする。
× × ×
▼政治家の潔さ
今回の出張はリマにある日系人移民100周年記念病院の増築工事が日本財団の支援で完了し、この竣工式を取材するのが目的。混迷する政局報道は6月12日に出発する際、菅首相が6月末にも退陣するのではないかとの憶測が専らだった。しかし10日後に帰国してみれば政治は相変わらずの空白状態。国会会期の70日間延長も決まり、首相の退陣は早くて8月というムードに包まれている。
政治が停滞し東日本大震災の復興が遅れる中、これでは外国から絶賛された被災者の忍耐も切れる。大震災という危機を新しい国づくりのスタートとするチャンスも遠のく。
竣工式にはペルーのガルシア大統領が飛び入りで出席し、先の大戦でペルー政府が行った日系人の強制収容に対し大統領として初めて公式に謝罪、「許してほしい」と頭を下げた。7月の退陣を前に、5年後の大統領選をにらんだパフォーマンスとの評価もあるが、今も国内に様々な議論がある問題に対する思い切った決断には潔さも感じられた。
菅首相の態度が単なる居座りなのか、日本の再生に向けてなお秘策があるのか、知らない。しかし、この3ヵ月、何ら有効な手を打てずに終わり、野党どころか与党からも退陣を求める声が溢れる現状を踏まえれば、今首相としてなすべきは、東日本大震災という国難に立ち向かうための超党派の復興内閣を立ち上げ潔く退陣することに尽きる。本人は歴史の名を残すことを意識していると報道されている。ならば、このまま居座りを続ければ歴史には“汚名”しか残らないことを知るべきだ。(了)
交通混乱は高度成長の象徴か
6月中旬、ペルーを訪れた。南米訪問は初めて。ペルー観光を代表するマチュピチュやクスコ、ティティカカ湖を訪れたわけでもなく、ほんの数日間、首都リマに滞在したに過ぎない。それでも驚きの連続だった。冬の到来を前に霧に覆われた街は予想以上に寒く、身がすくむほどに強引な車の流れは高度成長期を迎えた途上国特有の活気のようにも思えた。
▼土埃と寒さ
ガイドブックなどによるとペルーは128万平方q、世界20位、日本の3倍を超す国土を持つ。南北に長い地形のこの国は、太平洋岸に面するコスタ、アンデス山脈が連なるシエラ、アマゾン川流域のセルバの3地域に大別される。リマがあるコスタは海岸線から30〜50キロの地域の砂漠地帯。5月に「インカの涙」と呼ばれるわずかな雨が降るが、年間を通じ降雨はほとんどない。夏期(11〜4月)は晴天が続くが、冬(7〜8月)はルーアと呼ばれる霧が空を覆い曇天が続く。

リマ旧市街の街並み
訪問に当たりWebで調べると、6月の気温は16〜23度。夏服で出かけたが、深夜、到着した空港は肌寒く、出迎えてくれた日系人協会関係者はオーバーコートにマフラー姿だった。霧が重く立ち込め、5日間の滞在中、2日目に一瞬、薄日が差した以外、太陽を見ることはなかった。樹木の葉っぱにも土埃が積もり、海岸線沿いの新市街ミラフローレス地区などを除けば、街全体が暗く温度以上に寒々としたイメージ。碧い空を背景にしたマチュピチなど観光ポスターを見慣れたせいか、最後まで違和感が付きまとった。
街の郊外には丘とも見える奇妙な岩山がいくつか点在する。遠目には黒みがかった砂山のようにも見え草木はない。中腹に赤い屋根の小屋がびっしりと並ぶ岩山もあり、案内してくれた日系人ルイス嵩原さんは「全部、不法占拠。砂っぽく見えても実際は岩盤で崩れ落ちる心配もなく、増える一方だ」という。
樹木のない“ハゲ山”は中国、韓国やモンゴルでもみた。かつてレバノン杉が群生していた中東にも同じような光景があった。青銅器や鉄器の生産のため樹木を大量に伐採したり、農耕地用に開墾した結果、表土が風で奪われ砂漠化したのが原因だった。リマの岩山にも遠い昔には樹木があったのではないかー。そんな思いが強く、何度か同じ質問をしたが、誰もが「この地域は昔から雨がふらない。だから山には木も何もない」と語った。
▼驚きの交通事情
道路の混雑と強引な運転にも驚いた。かつて見たインドのデリーやコルカタ、バンコク、プノンペン、ビエンチャンなどの交通事情もすごかった。道路の混雑度だけなら北京や上海、ソウルの方が上を行くかもしれない。インドのようにクラクションを鳴らしっぱなしというわけでもないが、リマの場合は前へ前へと突進する強引さにおいてほかの都市を上回る。例えば交差点。前がつかえていれば通常は青信号であっても交差点に入るのは見合わせる。しかし、この街では構わず交差点に突進する。結果、信号が変わると、青信号の車を妨害する形になり、交差点内は身動きとれぬ混乱に落ち込む。
通訳をしてくれた青年は理知的で滅多に興奮することもないタイプと見受けたが、いざ運転となるとまるで別人。激しいハンドルさばきで、わずかな隙間にも強引に突入し、後部座席にいた自分も何度かシートにへばりついた。帰途、ロサンゼルスに立ち寄り、車線に沿って整然と流れる車列を見てホッとする気さえした。考えてみると、日本でも東京オリンピックを前にした成長期、強引な運転をするタクシーを外国人が“神風タクシー”と評した時代があった。一見、無秩序に見える途上国の道路事情も冷静に見ればインフラ整備が車の激増に追いついていないのが原因だが、停滞から発展期に移行する時代の熱気のような気がする。
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▼政治家の潔さ
今回の出張はリマにある日系人移民100周年記念病院の増築工事が日本財団の支援で完了し、この竣工式を取材するのが目的。混迷する政局報道は6月12日に出発する際、菅首相が6月末にも退陣するのではないかとの憶測が専らだった。しかし10日後に帰国してみれば政治は相変わらずの空白状態。国会会期の70日間延長も決まり、首相の退陣は早くて8月というムードに包まれている。
政治が停滞し東日本大震災の復興が遅れる中、これでは外国から絶賛された被災者の忍耐も切れる。大震災という危機を新しい国づくりのスタートとするチャンスも遠のく。
竣工式にはペルーのガルシア大統領が飛び入りで出席し、先の大戦でペルー政府が行った日系人の強制収容に対し大統領として初めて公式に謝罪、「許してほしい」と頭を下げた。7月の退陣を前に、5年後の大統領選をにらんだパフォーマンスとの評価もあるが、今も国内に様々な議論がある問題に対する思い切った決断には潔さも感じられた。
菅首相の態度が単なる居座りなのか、日本の再生に向けてなお秘策があるのか、知らない。しかし、この3ヵ月、何ら有効な手を打てずに終わり、野党どころか与党からも退陣を求める声が溢れる現状を踏まえれば、今首相としてなすべきは、東日本大震災という国難に立ち向かうための超党派の復興内閣を立ち上げ潔く退陣することに尽きる。本人は歴史の名を残すことを意識していると報道されている。ならば、このまま居座りを続ければ歴史には“汚名”しか残らないことを知るべきだ。(了)




