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四季折々の雑記

 05年夏まで在籍したマスコミの世界は極力、主観を排した客観報道を原則とした。しかし真の意味で「客観」を実現するのは報道の現場に限らず難しい。ブログと言うには程遠いが、忘れない程度に自分の想い、時に意見をささやかに書いていくつもりです。


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半世紀振りの小豆島 [2013年04月26日(Fri)]
こだわりの樽醸造
醤油の島 小豆島

4月中旬、小豆島を訪れた。高校の修学旅行以来だから実に半世紀振りということになる。島の人口は3万1000人。ピークの1947年には6万2000人だったというから50年で半減した計算になる。2050年には江戸時代初期の2万人まで落ち込むとの予測もあるそうだ。

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店頭に展示されている大きな杉樽

豊富な海の幸、名勝・寒霞渓など観光資源に恵まれ、気候も温暖な瀬戸内の島で何故?―と考えるのは旅行者の感傷かもしれない。しかし島では昔ながらの醤油造りが今も活気を見せ、木樽を使った醤油製造の国内最大の産地という。勝手な感想を言えば、日本食ブームの中、醤油は 今後“世界のソース”として間違いなく需要が高まる。オリーブや素麺も加え、小豆島復興の牽引車となるよう期待する。

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寒霞渓から見た瀬戸内海

小豆島の醤油造りは400年の歴史を持ち、最盛期には400軒もの蔵があった。現在は約20軒。そのうちのひとつ「ヤマロク醤油」を訪ねると、もろみを熟成させる蔵を見せてくれた。中には60もの杉樽がびっしりと並ぶ。直径2・3b、高さ2b。容量は32石(5800g)といい、150年から200年近くも使われた樽の表面には白っぽい粉が厚く重なっている。醤油の発酵にかかわる微生物で樽だけでなく柱など蔵全体に棲みついているという。

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島内には千枚田も

大樽は味噌、日本酒造りでも使われ、現在残っているのは全国で3000〜4000本。そのうちの1000本が小豆島にあるという。樽はかつて小豆島でも作られていたが、現在は大阪・堺市に「製桶所」が1社残るのみ。このままでは最高の「醸造容器」」である杉樽が姿を消し、樽醸造は不可能となる。このためヤマロク醤油では昨年、地元の大工さんを含め3人が製桶所に弟子入りし、新しい樽を3本完成させた。

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もろみの島宿真里

醤油造りは近代化が進み、多くは金属製のタンクが使われ、杉樽を使った醤油は1%に満たないという。その分、価格も高いが、味噌や酒なども加え「桶仕込みこそ本物」の信念でこれを守る関係者の熱意もあって全国的にブ−ムを呼んでいるようだ。
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映画「二十四の瞳」の舞台でもある

宿泊した「もろみの島宿真里」では料理とともに「諸味たれ」、「二弾熟成」、「生あげ」、「淡口生揚(うすくちきあげ)」の4種類の醤油が出された。醤油造りの工程などを説明した説明書には、地元「正金醤油」が真里の料理に合わせ独自の銘柄に仕立てた、と書かれており、きめ細かいサービスに感心した。

そういえば食事の際、料理の載せる“おつくり台”の表面に細かい水滴が付いており、意味を問うと、料亭の玄関先などで目にする「打ち水」をイメージしているとのこと。料理だけでなく、全体に細かい気遣いが溢れ、申し分のない雰囲気。いつまでも大切にしてほしいー。そんな思いを持って島を後にした。(了)
煙霧と北京の空 [2013年03月13日(Wed)]
これが「煙霧」か!
それにつけても北京の空は・・


気温が20度を超えた3月10日午後、陽気に誘われて横浜市青葉区の自宅近くを散歩していると、強い風とともに黄土色のモヤが空いっぱいに広がり、目にも痛み感じた。前日から黄砂の飛来が報道され、朝から霞がかかったような空模様だったが、風が収まり空が落ち着きを取り戻すまで約1時間、太陽は光を失い300−400b先が霞んで見えた。寒冷前線の通過によって土やチリが舞い上がる「煙霧」現象と言うが、驚きの声を上げ、慌てて口にハンカチを当てる歩行者や親子連れも目につき、自身も初の体験にいささか驚いた。

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空に黄土色のもやが急速に広がった
花火と爆竹

同じ意味で2月24日から26日まで訪れた北京の空も尋常ではなかった。北京空港から市内に向かう車から見ると、空も両側の林も薄い墨絵のようなモノトーンの世界。白や黒のマスク姿も目立ち、天候が曇りなのか、晴れなのか、にわかに判別がつけ難い状況だった。

加えて到着した24日は中国の旧正月・春節の最終日「元宵節」。夜になるとに市内のいたる所で花火が上がり爆竹が鳴らされた。深刻な大気汚染を前に当局は自粛を呼び掛けたというが、宿泊したホテルの23階から見ると、北京市内で数百、数千ヵ所と思われるほどあちこちで、それも結構大きな花火が打ち上げられ、窓を開けると強い硝煙臭と爆竹の音が深夜まで続いた。

翌日のニュースでは、問題化しているPM2・5(微笑粒子状物質)が1立方b当たりの1日平均値で500マイクログラムを超えた都市もあったと報道されていた。日本の基準は35マイクログラム以下。北京では250マイクログラム超の日が、月のうち半分を占めるというから人の健康上も危険水域をはるかに越えている。

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しばらくすると太陽の光も消えた


1984年秋と記憶するが、初めて中国を訪れた際、北京の街にはネオンもほとんどなく、暗闇のような大通りを濃紺の作業服姿の自転車部隊が黙々と走り、一夜明けると北京の空は抜けるような青さだった。あれから約30年、街は別世界に生まれ変わり、この国は世界第2の経済大国になった。その見返りが大気や水の深刻な汚染であり、高度成長期の日本の失敗をこの国も歩んでいるように見える。

半端ではないウランバートルの汚染
そう言えば3年ほど前に訪れたモンゴルの首都・ウランバートルの大気汚染も半端ではなかった。人口が100万人を突破した草原都市は人口急増に伴う石炭火力発電、小型ボイラーでの生石炭燃焼、さらに冬場、ゲル居住区で使われるストーブ燃料も加わって大気汚染は極めて深刻な状態にある。その後、モンゴルの国会議員団が訪日、環境対策で四日市を訪問した際、ウランバートルの大気汚染は四日市公害の全盛時よりはるかに深刻と指摘され、一行が衝撃を受けていたのを記憶する。

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曇りなのか晴れなのか スモッグが立ち込める北京市内


その後、モンゴル政府は日本政府に協力を要請。現在はJICAが同市の「大気汚染対策能力強化プロジェクト」に取り組んでいる。北京でも関係者は「大気汚染源の6割は工場、3割は自動車、そして1割が家庭」とした上で、「内陸部の工場を沿岸部に移し汚染物質の半分を洋上に拡散する意見もあるが、元(発生源)を断たないと駄目」、「日本の公害防止技術に学ぶ点が多いが、(尖閣諸島問題で日中両国が対立する)今の状況ではそれも難しい・・」と困惑の表情を見せた。

反日カードにも限界
中国では都市部と農村部の格差や役人による汚職の蔓延など大衆の不満が膨れ上がっているが、このままでは環境汚染こそ政権を揺さぶる最大のテーマになろう。人民の目を外に逸らす“反日カード”にも限界がある。公害対策を進める上で日本の協力が欠かせない。中国政府もそんなことは百も承知のはずだ。

PM2・5は黄砂と同様、偏西風に乗って日本に飛来し、中国での大気汚染防止は日本の大気汚染防止にもなる。日本国民、中国人民双方が協力の意義を確認できた時、協力は軌道に乗り、高止まりの「嫌中」、「反日」が軟化する可能性も出てくる。(了)

国会同意人事 [2013年02月13日(Wed)]
「事前報道ルール」を楯にする愚
あまりに大きい国民の目線とのズレ


政治に対する国民の不信は、政治家が「党の明日」、「自分の明日」を大切にし過ぎ、「この国の明日」をどうしたいのか、見えてこない点に一番の原因があると、かねて指摘してきた。政府が2月8日、衆参両院の議院運営委員会の理事会に提示した公正取引委員会委員長など14機関41人の国会同意人事に対する民主党の拒否は、まさにその典型であろう。

公取委員長人事が国会提示に先立ち一部新聞で報道され、事前に報道された人事案は認めないとする「事前報道ルール」に触れるのだという。参院民主党の輿石東議員会長が強硬に主張し、民主党は提示を拒否して理事会を退席した。話も聞かずに門前払いする対応に戸惑いを見せる民主党議員もいたと報道されている。

▼事前報道はむしろ歓迎すべき

言うまでもなく政治は国民のためにある。ならば事前報道ルールは国民にとって果たして意味があるのかー。ルールは2007年、当時の西岡武夫・参院議院運営委員長が主導して作られた。「政府がマスコミに候補者名を故意に漏らし、国民に既成事実と思わせることで野党の反対の無力化を図るのを防ぐ」のが主旨という。

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練習帆船「海王丸」でマストに登る練習生(1・12 有明埠頭)

しかし、この理屈は何かおかしい。同意人事には誰もが注目する重要人事がいくつもある。国民にとって重要なのは、その任に相応しい人が選ばれるか否かであって、一部のマスコミが事前に報道したか否かは全く別の問題である。相応しい候補者であるか知るためにも事前報道はむしろ歓迎すべきで、事前報道によって反対が無力化するような野党なら政党として存在する価値はない。

目前には金融政策、デフレ対策で注目される日銀総裁人事も控えている。マスコミがこうした人事の取材で手を抜くことはないし、事前報道は今後も間違いなく続く。その都度、事前報道ルールを持ち出していたのでは混乱以外、得るところはないし、ルールが故意に情報を流し人事案をつぶすことに悪用される危険性を心配した方が余程、理にかなっている。事前報道ルールは既に多くのメディアで指摘されているように即刻廃止されるべきで、これ以上、触れない。

むしろ、ここでは国会同意人事制度そのものについて一言、注文を付けたい。制度は本来、行政に属する行政機関の人事権について、国会が同意しない限り任命できない行政のポストをいくつか作ることで、行政と立法の相互チェックを機能させるのが狙い。わが国に限らず、例えば米国は閣僚の任命について上院、英国は会計検査院長などの人事について下院の同意を必要とする。ただし日本は、衆参両院それぞれの同意を必要と定め、法案のように衆院の優先規定はない。

結果、衆参両院の多数派が異なる“ねじれ国会”が発生すると、政争の具に使われ決められない政治の象徴となっている。過去に日銀総裁など重要人事が一時空席になる事態も発生しており、これぞ議会政治の形骸化と言うしかない。当該の人事に反対なら正面からその非を争うべきであり、国民もそれを求めている。「事前報道ルール」を楯にした反対は姑息であり、愚かな選択である。民主党の評価を落としても上げることはない。

▼いっそ衆院だけの同意でOKとしたら

そうでなくとも良識の府たる参院がその機能、存在感を失って久しい。現状を前にすれば、衆参両院より衆院だけの同意で足りるとした方が余程、合理的で、根拠法の関係部分を改定すれば済む。「それでは政権党の思いのままになる」との批判も出ようが、すべき議論を放棄したまま、反対のための反対に終始し、何も決まらない現状よりはマシである。

国民が求めているのは、豊かで不安のないこの国の明日である。乱暴に言えば、政党や一政治家の明日がどうなろうと、どうでもいい話である。それほど政治に対する国民の目線は冷めている。政界には間違いなく優秀な人材が多数いる。欠けているのは一歩、踏み出す勇気と覚悟である。(了)
尖閣諸島領有権 [2013年01月11日(Fri)]
尖閣・棚上げ論は有効か?
両国関係を袋小路に追い込むな


尖閣諸島問題の「棚上げ」について肯定論と否定論が入り乱れている。個人としては肯定論に賛成したい。これ以外に事態を打開する糸口は見えてこないからだ。しかし中国側に、この受け皿がなければ肯定論は成り立たず、この点の関しても楽観論と悲観論が交錯している。「棚上げ論」が成立する余地はあるのかー。日中両国の新政権には、尖閣問題で両国関係が引き返すことのできない袋小路に追い込むような愚は避けてほしいと思う。

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棚上げ論は1978年、日中平和友好条約の批准書取り交わしのため来日した最高指導者ケ小平氏が日本記者クラブの講演で「中日国交正常化の際も、双方はこの問題に触れないということを約束した。こういう問題は一時棚上げにしてもかまわないと思います。10年棚上げにしてもかまいません」と質問に答えたのが始まり。「次の世代は、きっと我々より賢くなるでしょう。その時は必ずや、お互いに皆が受け入れられる良い方法を見つけることができるでしょう」とも述べた。

しかし棚上げが平和友好条約に盛り込まれることはなく、専門家の見方も分かれる。「条約には盛り込まれなかったが、当時は政治も世論も認めていた」として棚上げを日中間の了解事項とする立場と、「1972年の日中国交正常化の際、当時の周恩来首相は棚上げに言及していない。(ケ小平発言は)彼が一方的に言った言葉にすぎない」と合意を否定する見解だ。これに対し中国政府は72年の正常化交渉と78年の友好条約締結交渉を通じて棚上げが日中間で約束された、と主張している。

個人的には、当時、交渉に関わった日本の政治家には「中国が棚上げと言う以上、日本が実効支配している現状は肯定されることになり、ならば特段の主権行為をしない方が国益にもなる」といった判断があったのではないかと推測する。当時は日中友好促進ムードの盛り上がりもあり、ケ小平発言が好意的に受け取られた、といった面もあろう。こうした判断が、その後の不作為につながり、いびつな現状を招く結果になったのも否定できない。

しかし中国は1992年、「領海法及び隣接区域法」を定め、一方的に尖閣諸島を中国領とした。最近は「日清戦争を通じて日本が尖閣諸島を掠め取った」と主張し、政府船や航空機による日本の領海・領空侵犯を繰り返している。経済大国に発展するにつれ、かつて日本を含む列強に植民地状態に置かれた屈辱の歴史の裏返しとしての偏狭なナショナリズムも急速に高まっている。

こうした中で、「棚上げが約束された」と主張する当の中国に、なお棚上げ論を受け入れる容力があるのかー。中国政府が、深刻な貧富の格差、政治家・役人の腐敗と汚職に対する大衆の怒りをかわすには、沸騰するナショナリズムを利用して不満の矛先を外に向けるしかなく、最早、棚上げ論で全体をまとめるのは不可能、といった悲観的見方が日本側には強いように感じる。棚上げを言いつつ露骨に覇権を拡大する南シナ海での中国の動きを前に「棚上げは領有権の拡大に向けた中国の常套手段」とこの国の「口蜜腹剣」を警戒する声も。「ひとたび棚上げに応ずれば、中国は“日本が領有権を捨てた”と一方的に主張する」といった指摘も根強く、「棚上げ論は今も有効」といった楽観的見方は、中国の恫喝的な態度に対する反発もあってか、影が薄い。双方のナショナリズムがぶつかり合い、事態を平和裏に解決するのは至難の業のようにも見える。

しかし考えてみれば、いくら双方が張り合っても、ともに得はない。現状を現状のままに棚上げし、漁業、海底資源を共同利用するしか解決策はなく将来も見えてこない。戦略的互恵関係が築けて初めて、東アジア情勢は安定し、ともに大きな利益を得ることができる。

打開策がないまま、いたずらに対立をエスカレートするのは最悪の選択肢であり、特に中国には国際的にも納得が得られる冷静な対応を求めたい。中国には中国の国内事情があるのは誰もが知っているし、強硬派の一方に冷静な解明派もいる。冷静な対応こそ「大国・中国」に相応しい。反中、反日感情だけが一方的に膨れ上がる現状は、あまりに危険である。(了)
総選挙 番外編 評価されるべき野田前首相の覚悟 [2012年12月29日(Sat)]
分裂は自然の成り行き
強すぎた“選挙目当て”の臭い
評価されるべき野田前首相の覚悟


前回、その危うさを指摘した「日本未来の党」が結党わずか1ヶ月で分裂した。代表人事をめぐる対立というより、嘉田由紀子・滋賀県知事と小沢一郎氏では目標、政治に対する考えが違いすぎ、割れるべくして割れたということであろう。同党に投票した約300万の有権者に失礼、といった批判もあるようだが、同党はもともと総選挙目当てのにわか新党。異質な者同士が同居する不自然な状態が解消されたのは、むしろ自然の成り行きである。

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晩秋の奈良・興福寺

分裂(分党)に伴い小沢氏ら衆参両院の15人は党名を「生活の党」に変更、嘉田知事は離党し、あらためて「日本未来の党」を立ち上げ再出発するという。小沢氏が再び、「壊し屋」として政局の表舞台に登場することはなかろうし、国益より私益が優先されるような政治には終止符を打たなければならない。嘉田知事に関しては、「卒原発」の主張に直ちに賛同することはできないが、再生可能エネルギーの開発や省エネ社会は目指すべきひとつの方向であり、今後も息の長い活動を期待したい。

それにしても小沢、嘉田両氏にとって今回の選挙結果はあまりに無残であった。議席は公示前の6分の1、9議席まで激減した。福島原発事故で国民の多くが原発に不安を持ちながら、「10年で卒原発を実現する」との公約を信用しなかった、ということである。

脱原発には代替エネルギーをどう確保するか、当面、火力発電でしのぐとすればコスト増に伴う産業、とりわけ中小企業への影響やCO2の増加による地球温暖化、さらに原力供給が不安定になった場合、産業だけでなく高齢者世帯や医療現場への悪影響をどうするのかー課題はあまりに多く、有権者の多くは脱原発を理解しながらも、それを実現する道筋が見えないが故に悩んでいる、というのが現状である。

そうした状態で工程表など具体策を示すことなく、いきなり「10年」と言っても誰も信用しないばかりか、“票目当ての臭い”が強すぎ、かえって白ける結果にもなる。「日本未来の党」は「国民の生活が第一」と合流しない方が国民の共感を得たのではないか。合流は反原発の盛り上がりにも水を差したような気がする。

いつも同じことを言うようだが、今、政治家に求められるのは、この国の明日にかける覚悟だと思う。国民が喜ぶことより、聞きたくないことを責任を持って言う勇気である。今回、民主党は惨敗したが、誰もが避けて通りたい消費税引き上げに真正面から取り組んだ野田前首相の政治姿勢は、高く評価されていい。敗因は、財源の裏付けがないまま掲げたマニフェストの破たん、小沢氏らによる一連の揺さぶりと党内不一致、鳩山、菅両元首相の2代にわたる失政にこそ求められるべきである。

野田前首相と嘉田知事に託する思いは大きく異なるが、ともに今後の日本の政治に欠くことができない人材であり、引き続きの活躍を期待する。(了)
嘉田新党に思う [2012年12月07日(Fri)]

“誤った選択” ? 日本未来の党
小沢氏との連携に違和感


嘉田由紀子・滋賀県知事が新党「日本未来の党」を旗揚げし代表に就任にした。「国民の生活が第一」を解党して合流した小沢一郎氏と事前にどのような話があったのか、報道を見てもよく分からないし、未来の党を小沢氏の「傀儡」と決め付けるつもりもない。ただし政治に向き合う二人の姿勢は全く違う。嘉田氏にとって小沢氏との合流は “誤った選択”ではなかったかー。

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三陸海岸の絶景

嘉田氏には2009年2月、お会いしたことがある。日本財団の支援で2004年に滋賀県近江八幡市にオープンした「ボーダレス・アートミュージアムNO―MA」を笹川陽平会長が視察、この後、京都新聞社による嘉田―笹川対談が予定され、関連取材で同行した際、たまたま知事車に同乗して1時間ほど話をうかがった。琵琶湖畔を走りながら、琵琶湖の環境保全、農村の社会的機能を維持し後世に伝えていく必要性を言葉を選びながら話す姿に、政治家より学者の生真面目さを強く感じた記憶がある。

選挙では「卒原発」を掲げるが、原発の危険性と原発に頼らない社会の実現を訴える素朴さこそ、この人の持ち味と思う。そうでなくとも原発の廃止は代替エネルギーの確保、LNG(液化天然ガス)や原油使用量の増加に伴う地球温暖化への影響、さらに発電コストの上昇と産業への影響―など関連する難問を解決して初めて実現する。脱原発社会を目指す流れは正しいが、その実現には時間が掛る。

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岩上には鳥の巣も

嘉田氏は「10年後」を目途とするとしているが、そのための具体的な工程表ができているとは思えないし、嘉田氏が果たすべきは、脱原発社会の実現に向けた息の長い語り部の役割ではないかー。選挙目当てに「不可能」な公約をするのは、嘉田氏に似合わないし、リアクションも大きくマイナスでしかない。恐らく嘉田氏自身も迷うところがあったのではないかー。年明け解散を予測した見込み違いがあったとはいえ、未来の党の旗揚げ自体が拙速との印象をぬぐえない。

対する小沢氏。以前にも書いたと思うが、現役時代、田中角栄元首相が五億円の受託収賄罪に問われたロッキード裁判の取材を長く担当し、足繁く公判を傍聴する小沢氏の姿をしばしば見掛けた。休廷時間に法廷前廊下でわれわれ司法担当記者と短い会話を交わしたこともあったように記憶する。

個人的印象を言えば、当時の小沢氏には、自民党の若きリーダーとして「明日の日本」にかける“さわやかさ”“政治家としての覚悟”があった。残念ながら「壊し屋」の異名をとる現在の小沢氏には、その面影がない。聞けば小沢氏にとって未来の党への所属は7党目という。政治家として“ことをなす”には“数と力”が必要とはいえ、現在の小沢氏は「国の明日」より「党の明日」「自分の明日」を優先させているとしか思えない。

未来の党への合流も、原発廃止を今回の選挙の“売りの争点”と見た上で、嘉田氏という“顔”を取り込むことで第3極の形成を図ったということであろう。「日本未来の党」には「国民の生活が第一」のほか、「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」、「みどりの風」も合流し、計61人の衆院議員が所属する形となっている。これらのメンバーは「10年で卒原発」をどこまで信じているのか、聞いてみたい気がする。

1月の就任時から嘉田氏との連携を打ち出してきた越直美・大津市長は、嘉田氏による未来の党の旗揚げを「県民として評価する」としながら、一方で「(小沢氏は)手を替え品を替え政党を替え、長年都合のいいことを言って、いろいろな問題を先送りにした。国民をだましてきた人と一緒になるのは残念だ」と不信を露わにした。

未来の党からは比例単独10人を含め121人が立候補した。選挙結果がどう出るか、予測がつかないが、仮に大きく伸び悩むことになれば、有権者が小沢氏との合流に違和感を持ち、違和感故に“卒原発のスローガン”も率直に受け入れなかった、ことをいみする。嘉田氏は「国民の求める政治を実現するために小沢さんの力を使わせていただきたい」と傀儡批判に反論している。選挙後、2人の関係がどうなるか、注目したい。(了)
衆院解散ー総選挙 [2012年11月23日(Fri)]
趣味の世界に生きてこそ
鳩山元首相引退に思う


鳩山由紀夫元首相が政界引退を表明した。首相退陣後、かねての公約であった引退を反故にしたような豹変はもうあるまい。現実と夢想の区別がつかないまま“ルービー(気が変)”とまで形容された言動の軽さは冷厳な政治の世界には向かない。“宇宙人”と形容されたこの人の個性は、名門政治家の家系を忘れ、豊かな資産を基に趣味の世界に生きてこそ初めて生きる。

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トルコ・エフェスの野外大劇場

元首相は21日、選挙区(北海道9区)・苫小牧市で行われた会見で、「私の主張を貫くと公認されないことを知った」と引退理由を語った。消費税増税や環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)など重要政策での意見割れが国民の不興を買う民主党としては、党を純化して支持率を回復するためにも党の方針に従うよう“踏み絵”を求めざるを得ない。元首相といえども、党方針に反対する鳩山氏を公認するのは難しく、北海道9区で自民党候補に比べ劣勢にあり、公認を得られなければ比例復活も難しい鳩山氏にとって、残された選択肢は引退しかなかった。

振り返ってみれば、鳩山氏にとって祖父・鳩山一郎氏が提唱した「友愛」を冷徹な政治の世界でどう活かすべきか、十分に理解することなく、ムード的に政治信条としたところに最初の誤りがあったのではないかー。首相就任直後、沖縄・普天間基地移設問題でオバマ米大統領に「トラスト・ミー」と解決を約束し、一方で沖縄県民には「県外移設」を約束した。地元の納得や米側の同意が得られた新たな受け入れ先が、全くないにもかかわらずである。結果、日米関係はヒビ割れ、沖縄の本土不信だけが増幅した。

誰からも「良く思われたい」といった幼さ、人の良ささえ感じる。これでは政治の世界に通用しないし、無責任であり、軽すぎる。戦後の歴代首相を総括する場合、何事もなさなかった首相は何人も指摘されようが、この国にとって存在そのものがマイナスでしかなかった首相は鳩山氏に尽きるのではないかー。言い過ぎと批判されるかもしれないが、どう考えても政界は鳩山氏にとって最も不似合いな空間だった。
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パムッカレの石灰棚

首相退任後の行動も、政府の中止要請を無視して強行した核開発疑惑さなかのイラン訪問、首相官邸前の原発再稼動反対集会への参加など、どれを見ても元首相の行動としては場当たり的であり、熟慮の後がうかがえない。衝動的な思いつきと言うか、何とも軽いのだ。

一連の鳩山語録を見ると「確かに私は愚かな首相かもしれない」、「トップの首相が大バカ者であれば、そんな国は持つわけはない」といった言葉が続き、菅直人、小沢一郎両氏が争った2年前の民主党代表戦では双方の調整に入った挙句に失敗、「ボクはいったい何だったんでしょうね」とまで漏らしている。

あまりに正直と言うしかなく、むしろ愛すべきキャラクターとさえ思う。繰り返し言えば、鳩山氏が政治家を志したのは本人や周囲の選択ミスだったのではないか。なのに国民が自民党長期政権に飽きた偶然のハザマで首相の座にまで上り詰めてしまった。皮肉と言うしかない。鳩山氏の個性が生きるのは、権謀術策とは無縁の、奇抜で非現実的な発想も尊重される世界であろう。多芸な人と聞く。余計なお世話かもしれないが、芸術や趣味の世界こそ、向いているのではないか。確か祖父・鳩山一郎氏も晩年はバラの栽培を趣味にした。(了)

旅の思い [2012年11月15日(Thu)]
トルコ人は商売上手!
あふれる日本語、きめ細かい演出


11月初旬、旅行社が募集したトルコ・ツアーに夫婦で参加した。イスタンブールからエーゲ海沿いに進みトロイ、エフェス、パムッカレ、ヒエラポリスなどを見学、さらに近年、若者を中心に人口増加が著しい内陸の街・コンヤを経て奇岩で有名な中央アナトリア地方のカッパドキアを訪問、イスタンブールに戻る計8日間の周遊。8000年近くにわたる文明の興亡が堆積した名所・旧跡に対する感動とは別に、行く先々で展開されるトルコ石や絨毯など特産品の圧倒的な売り込みと“商売上手なトルコ人”にほとほと脱帽した。

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イスタンブールの夕焼け

Webなどによると、トルコを訪れる観光客は現在、約3千万人。全体の4分の1近くを占めるドイツを中心にEU各国、さらにロシアなど近隣国の観光客が大半を占め、日本人客は2002年時点で9万人。その後、かなり増加していると見られるが、全体で見ればさしたる数字ではない。一行のガイドを務めてくれたアルベルさん(36)によると、ガイドの数もドイツ語約1万人に対し日本語は約500人(本人は双方の国家資格を保有)に留まるという。

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今も発掘が続くトロイ遺跡

なのにツアーの行く先々では、ごく普通の土産物店も含めほぼ100%、日本語で声を掛けてくる。仕事で20ヶ国近くを訪問しているが、これほどまでに日本語が飛び交う旅行を経験したことはない。もちろんツアーを企画した日本の旅行会社が、日本語の話せるスタッフがいるホテルや販売店と契約しているといった事情もあろう。

それにしても、感覚的にはやはり日本語が多すぎるように思う。各国の観光客で混雑するイスタンブールのバザールを歩いても「見るだけでいいから、ちょっと入って」「安くするから」と四方から日本語が飛び交い、つたない英語で「どこで日本語を覚えたの」と聞くと、「日本人なら日本語で話して」と切り返してくる始末。“値引き交渉”もすべて日本語。もともと一定の値引きを前提に価格が設定されていると思うが、分かりやすさと何がしかを値引きできた“達成感”が、日本人観光客の自己満足と購買意欲の高揚にもつながっているようだ。

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犬ものんびり戯れる

トルコ石や毛皮商品、絨毯販売の大型専門店となると、さらに手がこんでいる。大型バスで店に向かう途中、ガイド役のアルベルさんが、その伝統や品質の素晴らしさ、イスタンブールのバザールや外国のショップで売られる品物との違いなどを学者はだしの口調で滔々と述べ、催眠商法とまでは言わないが、店に着いた頃には「折角トルコまで来たのだから何か買って帰るか!」といった気分にもなる。

店に入ってからもすごい。例えば毛皮店。まずはステージ付きの建物に一行を案内し、専属モデルがファッションショー。途中、客をステージに誘い、応じた客には“いざ買い物”の段階で「ショーに協力していただいたから特別割引をさせてもらう」とささやく。「パリや東京なら30万円」と説明された品が、「なんだかんだ」と交渉しているうちに3分に1近くに。店を出ると次のツアー客を乗せたバスが店先に控えており、同じ“セレモニー“が繰り返されるようだ。

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広大なヒエラポリス遺跡

さらに上を行くのが絨毯店。ツアー一行が案内された大部屋に落ち着くとまずはチャイで歓迎。店長らしき男性が流暢な日本語で歓迎のあいさつをした後、トルコ絨毯の歴史を説明。繭玉からの生糸つむぎ、織り子による実演、記念撮影と続き、気分が盛り上がったところで絨毯をオープン。どこにいたのか十数人の男性が次々に登場して絨毯を広げ、「トルコの絨毯は空も飛ぶ」の掛け声で、器用に絨毯を宙に回す従業員も。「トルコの絨毯は世界一」「子々孫々まで100年は使える」といった手の込んだ演出に「何か買わないと・・」といった気分も出てくるから不思議だ。

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雨上がりのボスフォラス海峡

世界遺産など観光スポットや専門店で中国人や韓国人の一行に会うことは滅多になく、念のため絨毯専門店の店長に聞くと、「中国人や韓国人は日本人と色合いなど好みが違い、別の場所に専門店を用意している。でも日本のお客さんが一番」と持ち上げた。

“商売熱心”は専門店に限ったことではない。観光バスを降りた時、トルコ伝統の魔よけナザール・ポンジューを「20個で1000円」で売っていた街頭の売り子は、帰り際、何事もなかったように「40個1000円。ここが一番安いよ」と声を張り上げていた。

ツアーを終わってみれば、一行23人の大半がそれなりの買い物をしていた。トルコ人の商売上手にほとほと感心するばかり。背後には格安ツアーを可能にする業界内部のシステムもあろう。帰国後、トルコ事情に詳しい友人に聞くと、それでもトルコ石や毛皮商品、絨毯は価格に見合うだけの品質の高さがある、とのこと。それを聞いて何故か一安心した。

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トルコは親日国として知られる。関連して今も語られるのが、オスマントルコが派遣したエルトゥールル号の座礁・沈没事故(1890年)とイラン・イラク戦争の最中の1985年に起きた邦人の救出劇。

エ号は紀伊半島南端の和歌山県・串本沖で台風に遭遇して沈没、地元村民が総出で救助活動に当たり、なけなしの食糧や衣類で重傷者を介護した結果、乗組員69人(残る587人は死亡)が助かり、日本海軍の軍艦でイスタンブールまで送り届けられた。邦人救出劇は、エ号事故のほぼ100年後。215人の邦人がイランに取り残され、危険を理由に日本航空が救援機の派遣を拒否、自衛隊法の制約で自衛隊機の派遣もままならぬ中、トルコ政府が救援機を派遣し“エ号に対する恩返し”として大きく報じられた。アルベルさんによると、エ号事故は現在も教科書に載っているという。

今回のツアーでは、もうひとつ驚くことがあった。トルコとの関係では2010年、筆者がアドバイザーをしている日本財団がトルコ建国の父アタチュルク初代大統領の像を新潟県柏崎市から串本に運んだことがある。新潟県柏崎市のテーマパークがトルコ政府から提供を受けたものの閉園に伴い放置され、対応に苦慮していた駐日トルコ大使館に日本財団が支援を申し出てエ号遭難記念碑のある串本に運んだ。何かの機会にこの話をすると、アルベルさんは、この事実を知っていたばかりか、その後、日本を訪問した折、串本に出向きアタチュルク像を見てきたと言うのだ。「除幕式には小生も出席した」と付け加えると、笑顔で握手を求めた。(了)

中国反日デモ [2012年11月01日(Thu)]
どこまでが反政府なのか?
先の見えぬ日中関係


中国の反日デモに関する報道を見ながら、いつも感じる疑問がある。報道の多くは、デモは反日の形を取っているものの、その実は共産党政権に対する不満の表明の性格が強い、というのだ。だとすれば反日デモのどこまでが反政府であり、どこが反日なのかー。

いくつかの報道によれば、反日デモの中心は農村から都市部に出て働く農民工だという。中国独特の農村戸籍に縛られ、都市戸籍を持つ都市部の住民に比べ、不利な条件で働き、生活する。その数2億人といわれ、彼らの低賃金が“世界の工場・中国”を支える源となっている。壁となっている戸籍制度を廃止すれば、都市部への農村人口流入が爆発し、中国社会は自壊しかねない。

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奈良・興福寺の紅葉

となると農村戸籍は維持するしかなく、10億人を超す農村と約3億人が住む都市部の格差は埋まらない。党幹部や役人の腐敗も拡大している。中国では年収1億円を超す高額所得者が200万人を超えたと報道されているが、この数字を見ただけでも、共産主義の理念に程遠い中国社会の歪みが透けて見える。

農村や農民工の不満は膨張し、中国政府は不満の矛先が自身に向けられるのを避けるため国民の目線を国外に逸らさざるを得ず、「内向きでもの言わぬ」日本は今後も格好の不満のハケ口となる。たまたま今回は、日本政府による尖閣諸島の国有化が標的となっているが、今後も歴史問題などを口実にした日本攻撃は間違いなく続く。

しかも政府が国民を扇動し、時には官製デモを仕掛けるという。尖閣問題で言えば、野田・民主党政権が国有化に踏み切ったのは、東京都が購入し実効支配を強化した場合に起きる混乱を避け、平穏に維持管理するのが狙いであり、中国政府もそんなことは当然知っている。にもかかわらず「(尖閣は)日本が盗んだ」などと、およそ一国の発言としては不似合いな表現で日本攻撃を続けているのも、政権に対する厳しい国民の目線を意識した結果という。

デモでは毛沢東の肖像を掲げる姿も見られる。「格差が拡大する中で、等しく貧しかった毛沢東時代の方がまだましだった、と政府を批判するメッセージだ」との解説を聞くと成程とも思うが、「デモの本質は政府批判」を実感するのは難しい。

中国近代化の父・孫文は中国社会を「一盤散砂」と評した。国家という器に収まっているものの固まりがなく、権力が強く握っているうちはともかく、いったん力が緩めばバラバラに散る、と言う意味だ。そうでなくとも13億もの人民を一つにまとめていくのは、もともと無理がある。

となると、尖閣問題一つとっても解決の糸口を見つけるのは容易ではない。双方の政権が変わった時が一つのタイミング、といった指摘もあるが、日本には「政治の劣化」、「決められない政治」といった外交以前の問題もある。日本国民が納得し、中国側が同意するような打開策を打ち出せるとも思えない。

そんな中で、国民は訳が分からないままイラ立ちを募らせ、2012年4月の日中共同世論調査では、日本人の84・3%、中国人の64・5%が相手に良くない印象を抱いている。「隣国関係は難しい」とは言え、あまりに異常な数字である。日本政府が尖閣諸島を国有化した9月以降、数字はさらにアップしているようだ。

同じ調査で日中両国の約80%は「両国関係は大切だ」と答え、関係改善の必要性を認めている。事実、東アジアの大国である日本と中国が手を結べば、双方がその利益を享受できるばかりか、東アジアだけでなく世界の平和にも貢献できる。

互いに両国関係の重要性を理解しながら何故、改善できないのかー。世界第2の経済大国になった中国に海洋覇権の野望があるのも間違いないし、急激に頭をもたげてきた華夷思想の存在もあろう。日本側には先の戦争に対する過度の贖罪意識から、主張すべきを言わず、かえって誤解を招いている面もある。

もう少し胸襟を開いて前向きの話ができないものかー。暴論を承知であえて言えば、政治家は国に限らず自分を大切にしすぎる。口で「国の明日」を言いながら、その実、「自分の明日」しか考えないのでは、実のある対話は成り立たない。先が見えない日中関係の現状を見ながら、そんな愚痴も言いたくなる。(了)

尖閣、竹島 [2012年09月20日(Thu)]
“沈黙”は相手国にもマイナス
不作為が招いた窮地


領土問題をめぐり鬱陶しい日々が続いている。北方4島も竹島も尖閣諸島も日本の固有の領土であることに間違いないし、ここでその正当性を論ずるつもりはない。言いたいのは日本が、いずれについても「日本領土であるのは明らか」とするのみで、不法占拠を排除する、あるいは実効支配を強化する何らの手立ても打たず、結果として、この不作為が現在の窮地を招いている点だ。

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背景には戦前の歴史に対する過度の贖罪意識や必要以上に相手の立場を考慮する“配慮外交”がある。しかし「自己主張がすべて」の国際政治・外交の中で“もの言わぬ外交”がどのような結果をもたらすか。積極的な反論をしなかった結果、独断的な先方の言い分が真実味を帯び、一方的な攻勢にさらされる結果を招いてきた。これでは正常な二国間関係は成り立たず、長い目で見れば日本だけでなく相手国にとっても不幸な話である。

いわゆる「慰安婦問題」で宮沢喜一内閣時代の1993年に出された河野洋平官房長官(当時)談話は、その最たるものだ。日本政府が集めた約230点の公文書に軍の強制を裏付ける証拠がなかったにもかかわらず、これを認め、65年の日韓基本条約とその付属協定で決着済みとされた補償問題が振り出しに戻る結果となった。

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竹島への強行上陸を正当化するに当たり李明博・韓国大統領が使った論理を突き詰めれば「日本軍国主義が慰安婦を強制連行したのと同様、竹島も1910年の韓半島併合に先立ち韓国から強奪した」ということであろう。河野氏に言わせれば「日本の誠意を相手に伝えるために必要な談話だった」ということかもしれないが、強制連行を裏付ける証拠として談話が独り歩きしている現状を見れば、そうした弁明は通らない。

韓国の指導者にとっても、当の日本が強制連行を認めた以上、何らかの補償を取らない限り国民の納得は得られず、こちらも難しい立場に立たされる。結論を言えば、河野氏にどのような判断があったにせよ、将来への影響を見通すだけの能力がなかったと言うしかない。

尖閣諸島に関しても同様である。今回の騒動の中で中国側からは「日清戦争で奪われた島を取り返せ」といった主張が強く出た。尖閣諸島の帰属を歴史問題に転嫁する点で、「竹島を日本が強奪した」とする韓国側主張と同じ土俵に立つ。「日本は侵略者、中国、韓国はその被害者」の図式に乗せれば、贖罪意識・自虐史観にとらわれる日本から有効な反論はなく、同盟国米国といえども、かつて日本軍国主義と戦った歴史から日本を支持しにくい、との計算であろう。

現に一連の騒動では、韓国、中国とも、さかんに「軍国主義」の言葉で日本を批判する。しかし現実には中韓両国の指導者とも、世界でも稀有なほど「国を守る気概」が希薄な日本の現状を百も承知している。有効な反論がないことを見越した決め付けでしかない。なのに、すべき主張、反論をしないが故に、「南京事件の犠牲者30万人」、「慰安婦20万人を日本が強制連行した」といった、およそ歴史的事実とかけ離れた話が独り歩きする。

戦後67年、配慮外交や沈黙がマイナスの効果しか生まないことを、いい加減に反省する必要がある。相手国の強引で一方的な主張だけがまかり通ったのでは「戦略的な互恵関係」も「未来志向の二国間関係」も成り立たず、反日教育や愛国教育に踊らされる人民にとっても得るところははい。

習近平・中国国家副主席は訪中したパネッタ米国防長官に日本政府の尖閣国有化について「日本の一部政治勢力は(歴史を)反省せず、茶番を演出した」と語るとともに、「日本軍国主義は米国を含むアジア太平洋国家に大きな傷を与えた」と半世紀以上も前への歴史回帰を語り掛けている。

個人的には、尖閣諸島の帰属を棚上げしたまま周辺海域の資源を共同で有効活用する道があってもいいのではないかと思う。政府の尖閣国有化も、東京都の購入による混乱を避け、従来通り静かに実効支配していくのが狙いであり、中国の指導者もこの点は理解しているはずだ。いたずらに反日を煽る姿勢が“それこそ茶番”にならないようのぞむ。(了)
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