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四季折々の雑記

 05年夏まで在籍したマスコミの世界は極力、主観を排した客観報道を原則とした。しかし真の意味で「客観」を実現するのは報道の現場に限らず難しい。ブログと言うには程遠いが、忘れない程度に自分の想い、時に意見をささやかに書いていくつもりです。


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両陛下の前で涙した比残留2世の無念 [2016年02月05日(Fri)]

国籍のない2世も「日系人」として出席
早期解決困難なら明確な理由説明を


 国交正常化60周年を記念してフィリピンを訪問された天皇・皇后両陛下は1月28日、「フィリピン残留2世」と懇談され、2世の多くが感激の涙を流した。代表として懇談したフィリピン日系人連合会のカルロス寺岡前会長(85)もその一人。「夢のような身に余る光栄」と語るとともに、懸案の日本国籍取得問題について、「これを機会に日本政府には1日も早く早期解決に動いてほしい」と求めている。

 日系人連合会は両陛下のフィリピン訪問に合わせ日系人全国大会を召集、「両陛下にひと目お会いしたい」と懇談を求めていた。当初、予定に入っていなかったが、天皇陛下の強い意向で宿舎のホテルでの懇談が実現、最初、寺岡氏やイネス・マリャリ会長ら連合会代表5人、次いで2世81人が両陛下にお会いした。

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日の丸の小旗を持って両陛下との懇談を待つフィリピン残留2世


 両陛下は出席者一人ひとりと言葉を交わされ、天皇陛下は最後に「戦争中はずいぶん苦労も多かったと思いますが、それぞれの社会において良い市民として活躍して今日に至っていることを大変うれしく、誇らしく思っています」と述べられた。

 日本財団は残留2世の国籍取得に取り組む「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」(PNLSC)を支援している。この関係で寺岡氏とは何度かお会いする機会があり、懇談後、電話すると、天皇陛下は「戦争中は苦労をされましたね」、皇后陛下は「日系人のお世話をよろしくお願いします」と寺岡氏に声を掛けられ、「戦争中のことだから仕方がありません」とお答えしたという。

 さらに「夢にまで見た父にようやく会えたとでもいうのでしょうか。涙が出て止まりませんでした」、「日本人として生きてきたことに間違いはなかった。これからも日本人であることを誇りに生きて行きたい」などと感激を語った。

 残留2世は日本人の父親とフィリピン人の母親の間に生まれ、日本の敗戦後、母ともに現地に取り残され、フィリピン社会の激しい反日感情の中、ゲリラの攻撃にさらされてきた。多くは70歳代後半を迎え、PNLSCによると現在も1199人、懇談に出席した86人でみると、うち36人が日本国籍を取得できないまま無国籍状態にある。

 このため家庭裁判所で新たに戸籍を作り日本国籍を取得する就籍の申し立てを東京家庭裁判所にしているが、日本人の父親の身元が判明しない、あるいは父親の身元が分かっても戦後の逃走の中で写真や資料を捨て親子関係を裏付ける証拠がない、などの理由で難航しており、就籍による日本国籍の取得は168人にとどまっている。

 今回の両陛下懇談で特に思うのは、86人は日本国籍の有無に関係なく「日系人」として出席した。日本国籍のない36人も国籍所有者と同じ立場での出席が認められたわけで、そうであるならば、無国籍状態にある残留2世の国籍取得は加速される必要がある。これ以上、解決が長引けば、形の上で「国家意思の分裂」という問題も出てきかねないからだ。

 法律的な問題点や歴史的経過、残留2世が置かれた悲惨な状況に関しては本ブログを含め、いろんな機会に指摘してきた。今回は、これ以上繰り返さないが、残留2世は既に後期高齢者の域に達しており、両陛下の前で号泣した2世たちの気持ちは1日も早く汲み取られる必要がある。

フィリピン日系人協会は昨年7月、2万8千人の署名を添え安倍晋三首相に早期解決を求め、安倍首相も「政府としてしっかりと協力させていただきたい」と答えた。仮に早急な解決策が取れないのであれば、せめてその理由を残留2世たちに分かるように説明する必要がある。(了)

関連記事:http://blog.canpan.info/nfkouhou/archive/487
     http://blog.canpan.info/miyazaki/archive/125
最終合意、冷静で柔軟な対応を [2016年01月07日(Thu)]

共同文書見送りが招いた混乱
朴大統領の決断を見守るべきi


 昨年末の日韓外相会談で“最終合意”した慰安婦問題の先行きに不透明感が漂っている。合意は正式な共同文書にされておらず、内容の詳細も明らかにされていない。「口約束で拘束力は弱い」との懸念を裏付けるように、日本政府の10億円拠出についても日本の岸田文雄外相と韓国の尹炳世外相の解釈の違いが表面化している。

焦点の一つがソウル日本使館前に設置された少女像(慰安婦像)の撤去問題。岸田外相は「適切に移設されると認識している」としているが、共同会見で「努力する」とした尹外相は、その後、「民間が自発的に設置したもので、政府がどうこう指示できる事案ではない」と語っている。尹外相の説明でいけば“撤去はあくまで努力目標”にとどまり、「撤去が10億円拠出の前提」とする日本側との差は大きい。

合意内容の文書化を見送ったのに伴う“食い違い”ともいえるが、背景には韓国の歴代政権がともすれば国内世論に流され、政権が交代する度に慰安婦問題が再燃してきた経過に対する日本側の不信感がある。文書化は国内世論の動向を懸念する韓国側の要請で見送られたと報じられているが、このままでは双方の認識の差が埋まらぬまま「新たな火だね」として、「問題は最終的かつ不可逆的に解決される」とした歴史的合意を無にする恐れさえある。

 しかし共同文書がないとはいえ、共同会見の模様は世界に報道され、「合意内容の履行が日韓摩擦の緩和につながる」、「日米韓の協力に向けた障壁が取り除かれる」と歓迎した米政府の言葉を待つまでもなく、世界は日韓両政府、とりわけ韓国政府がどのように最終合意の実現に向け約束を守るか、注目している。

朴大統領は就任以来、慰安婦問題解決を政権の最大の外交テーマに掲げ、“告げ口外交”などと揶揄されながらも一貫して「被害者が受け入れ可能で、国民が納得できる解決策」を日本に求め、ともすれば韓国でタカ派の烙印を押されている安倍晋三首相と最終合意に踏み切った。

「あいまいで不完全な合意」、「被害者と国民を裏切った外交的談合」などとする野党や「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺身協)の反発は当然、予想された結果であり、それを承知で「日韓関係改善と大局的見地から、被害者も国民も今回の合意を理解してほしい」と呼び掛ける朴大統領の姿勢に、従来とは違う「覚悟」をあえて読み取りたく思う。

今回の合意は慰安婦問題に終止符を打つ最後の機会となると思う。ここで破綻すれば、両国民の間に「反日」、「嫌韓」がさらに深く沈殿し、日韓関係の修復、未来志向の構築は遠い将来まで不可能となる。新年早々の北朝鮮による核開発を見るまでもなく、東アジアには日韓が手を携えて対応すべき喫緊の課題は多く、当の韓国にとっても、植民地統治に由来する「反日」に過度にこだわり続けるのは、この国の将来にとって好ましいとは思えない。

過去の歴史を見ると、歴代大統領の多くが就任に当たり「日本政府に物質的要求はしない」、「今後、過去の問題は出さない」などと言明したが、結局、国内世論に流され、態度を翻さざるを得なかった。これでは国と国の約束、外交は成り立たず、不毛な両国関係が続いてきた。

韓国の政権にとって、韓国司法や米国内の韓国人団体のハードルもある。2011年、韓国憲法裁判所は日韓請求権協定をめぐる訴訟で「慰安婦の個人請求権の有無の解釈に争いがあり、韓国政府が解決の努力をしないのは違憲」との趣旨の判断を示し、当時の李明博大統領が一転して対日強硬策に転じた。米国内の韓国人団体の動きも強硬で、国務省のマーク・トナー副報道官が合意をきっかけに少女像設置活動の自制を要請したが、かえって反発が強まっているとも報じられている。

 日本側に目を転ずれば、譲歩の繰り返しが問題を解決するどころか、かえって事態を悪化させてきた経過もある。こうした悪循環を断ち切るためにも、今回の合意で確認されたように、互いが非難、批判することを自制し、冷静かつ柔軟に対応することで事態を打開してほしく思う。

現状認識の甘さを指摘されるだろうが、信頼関係の構築は過去に対する過度のこだわりより前向き思考こそ必要である。そんな思いをこめ、慰安婦問題決着に向けた今後の双方の動きを見守りたく思う。(了)
将来にも有効な打開策 なし得るか? [2015年12月25日(Fri)]

日韓のトゲ 慰安婦問題
50年の節目の外相会談に期待


日韓両国の懸案である慰安婦問題で詰めの協議をするため岸田外相が安倍首相の指示を受け、年内にも訪韓するという。背景には、朴槿恵韓国大統領に対する名誉毀損罪に問われた産経新聞前ソウル支局長の無罪判決=確定=や韓国憲法裁判所が1965年の日韓請求権協定の違憲性の確認を求めた訴えを却下したことから、慰安婦問題を協議する環境が整いつつある、との判断があるようだ。

日韓友好のトゲとなってきた慰安婦問題の解決は誰もが望むところだ。しかし韓国の政権が変わるごとに、あるいは同じ政権でも任期半ばで対応が変わった過去の経過を見れば、どのような解決策も将来の不安は残る。日韓条約制定50年の節目に何とか抜本的な解決策が打ち出せないものか、交渉の行方に注目したい。

12月に出された2つの司法判断を前に気になる点がある。まず産経新聞前ソウル支局長を無罪としたソウル中央地裁判決。判決内容は詳細に報道されており省略するが、大統領は選挙で選ばれる公人中の公人である。しかも問題となったコラムは2014年4月に起きたセウォル号沈没事故当日の大統領の行動に関する記事である。

国の最高責任者である大統領に事故がどう報告され、どのような指示がなされたか、国民には知る権利があり、記事の公共性・公益性は当然、認められる。刑事責任を問うこと自体が無謀、無罪判決は当然だった。

不可解だったのは、裁判長が判決に先立って外務省から提出されたという「量刑参考資料」を読み上げた点だ。「日本側が両国関係の発展という見地から強力に善処を要請している」、「日本側の要請を真剣に考慮する必要がある」といった内容だったと報道されている。冷え切った日韓関係の打開に向け両政府の交渉が続けられており、背景には当然、そういう動きがあったであろう。

しかし行政から独立しているはずの司法が、判決に先立ち法廷で朗読する意味は何なのか。政府の要請があったが判決には何の影響もなかった、と強調するためなのか、それとも逆なのか。あるいは、この裁判の特殊性をあらためて国民に印象付けるのが狙いなのかー。疑問は尽きない。

韓国の名誉毀損は、被害者が処罰を望まない意思を示した場合、公訴自体が無効となる「反意思不罰罪」と規定されている。仮に朴大統領がその旨、表明すれば裁判は消滅し、国際社会が「韓国の報道の自由」を懸念・批判する事態も避けられた。しかも強大な権力を持つ大統領には、「記事の記述は虚偽」と公的に説明する機会はいくらでもある。

前述の政府提出文書に関しても、大統領府は当然、承知の上と思われる。にもかかわらず大統領が沈黙する背景には、傍からはうかがい知れない特殊な事情のあるのであろう。

一方、韓国憲法裁判所の却下判決。1965年の日韓条約とともに締結された日韓請求権協定では日本が韓国に有償、無償で計5億jの経済協力を約束、植民地支配で生じた被害や損失を請求する権利は「完全かつ最終的に解決された」と明記されている。

訴えを起こしたのは戦時中、日本政府に軍属として徴用された男性の遺族。韓国政府による支援金の増額を求める中で「協定は財産権の侵害に当たる」として違憲の確認を求めた。これに対し憲法裁は「協定が違憲か否かは原告の請求に影響しない」などとして事実上の門前払いにした。

意外だったのは、ここでも憲法裁が判決理由とは別に「報道機関向け資料」と称する文書を出し、「判決は協定の条項が『合憲』だと判断したわけではない」とわざわざ断った点だ。長年、日本の司法現場を取材したが、判決は裁判官が法廷で述べた内容がすべてであり、日本の裁判でこのような文書が出されることはない。

憲法裁の資料は、ソウル中央地裁が読み上げた外務省提出文書と同様、司法が政府とは別の立場に立ち、いつでも独自の判断を出す用意があることを宣言したと言えなくもない。

日韓請求権協定をめぐる流れを振り返ると、「完全かつ最終的に解決された」との双方の確認は2005年、当時の廬武鉉政権が「元慰安婦、原爆被害者、サハリン残留韓国人の請求権は失われていない」と判断、2012年には韓国の最高裁が戦時中に強制徴用された韓国人元労働者らの個人請求権も消滅していないとし、ソウル高裁や釜山高裁が日本企業に賠償を命ずる判決を出している。

協定に伴って支払われた莫大な経済協力費は、朴大統領の父親の朴正煕大統領がインフラ整備など社会投資に使い、「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を実現した。国と国の間で「完全かつ最終的に解決された」と確認し合った以上、それをどう使い個人補償をどうするかは韓国の国内問題と解釈するのが普通で、「解決済み」とする日本政府の対応が間違っているとは思わない。

慰安婦問題でお詫びと反省を表明した河野談話などにより、事態が複雑化した面はあるが、新たな解決策を模索するとしても、この一線は守られる必要がある。そうでなければ国と国の約束事は成り立たない。

同時に新たな解決策がまとまった場合は、これを最終解決とする担保を双方で確保することだ。再び見直しが問題になるようであれば、「嫌韓」、「反日」ばかりが膨らみ、解決の道は一層遠のく。いささかの危うさも感じながら、日韓条約50年を機に、新たな日韓友好がスタートすることを望まずにはいられない。(了)
エネルギー資源 日ロ協力はどこまで可能か! [2015年11月24日(Tue)]
日本に「勇気ある決断」を促す
国際会議で訪日のプーチン大統領側近


過日、ロシア最大の国営石油会社「ロスネフチ」会長でプーチン大統領の側近中の側近、事実上のNO2ともいわれるイーゴリ・セーチン氏の講演を聞いた。この中でセーチン氏は「われわれは既に様々なプロジェクトを日本に投げ掛けている。日本は今こそ勇気ある決断をすべきだ」とシベリア開発などに対する日本への期待を強く表明。来年以降に延期されたプーチン大統領の訪日に関しても「日ロ間にはたくさんの問題があるが、実現すればロシアと日本は戦略的パートナーの基礎を築くことができる」と早期実現の必要性を語った。

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講演するイーゴリ・セーチン氏

 日本滞在中、誰と会見したのか、定かな情報はないが、セーチン氏がシベリアの石油や天然ガスなど天然資源の売り込み先、さらに開発のパートナーとして、日本に熱い視線を注いでいることは素人目にも十分、実感できた。

 セーチン氏は11月6日、日本財団の姉妹財団、笹川平和財団・海洋政策研究所が開催した「日露間のエネルギー協力に関する国際会議」で基調講演、その後のパネルディスカッションにも上田隆之・経済産業審議官らとともに出席した。会場となった平和財団国際会議場に駐日ロシア大使館関係者らと現れ、詰め掛けた日本の企業関係者らと握手した後、「日露エネルギー協力の将来」のテーマで約20分間講演した。メモを見ながら話す声は低く、 “豪放”なイメージを持っていただけに意外な感じも受けた。

 公演ではまず油価が暴落している現状について、価格が高いシュールガスの競争力が低下する結果を招いている、とするとともに、「油価は5、6年で元に戻る」との見通しを披露、エネルギー資源の90%を中東に頼る日本について「ロシアに対する関心は依然低い。もっと投資が増えてもいいのではないか」と疑問を呈した。

その上で日ロ間の距離的な近さやロシアの豊富な資源と日本のハイテクが結びついた場合の強みなどを強調、「現在、東シベリアのエネルギー資源の大半は中国に行っているが、今後、原油、天然ガスとも生産量が大きく拡大する。日本向けを大幅に増やしたい」、「日本の企業に資本参加してもらい、両国のエネルギーブリッジを軸に日ロ関係を強化したい」、「今、決断しても実現するのは5,6年先。急いでほしい」などと語った。

サハリン(樺太)に火力発電所を建設、海底ケーブルで北海道に輸出する“電力構想”に関し「法が未整備で現時点では無理だが、将来、実現すれば北海道の経済発展、環境負荷の削減につながる」といった発言も。

全体に日本の前向きで早急な対応を強く促す内容で、上田審議官もエネルギー資源の調達先を多様化するのが今後の日本の課題とした上で、「遅くなっても、しないよりまし」とのロシアの諺を引用、「エネルギー大国・ロシアは日本にとって欠くことのできないパートナー」と語った。

筆者はエネルギー問題や日ロ関係に不案内だが、何事も一極に集中する傾向が強い日本の安全保障にはかねて危機感を持っている。政治、経済など国のあらゆる中枢機能が首都圏に集中している現状はどう考えても危険である。狭い地域に人口の4分の1が集中する現状は、防衛上は言うまでもなく、ひとたび大地震による大津波や巨大台風に伴う大高波に襲われれば国の機能全体がマヒする。

エネルギーも然り。かつてこの国は、連合国側の対日包囲網によるエネルギー不足を打開するため戦争の道を選び国を崩壊させた。安定的に資源を確保する態勢の確立こそ敗戦から得た教訓であったはずだ。シベリアや北極海に眠る膨大な資源利用が現実性を増す中で、エネルギー安全保障も当然、見直されていい。

確かに日ロ間には北方4島返還などいくつかの難問がある。乱暴に言えば、戦後70年間、「4島一括返還」を求める日本と「領土問題は存在しない」というロシアの主張が噛み合わぬまま推移してきた。

国と国との交渉、特に領土問題のような、国の主権にかかわる問題を一挙に解決するのは難しい。個人としては、4島が日本の領土であるとの主張を堅持しつつ、まずは2島返還を実現、段階的に解決を図るのが現実的な選択肢と考える。一括返還にこだわり続ければ、その分、解決の道は遠のくと思う。

中東から輸入には距離だけでなく、マラッカ海峡を中心にした海賊問題、さらに最近は海洋覇権に向けた中国の動きなど新たな問題もある。再生可能エネルギーの開発などに積極的に取り組むは当然として、資源の確保先の分散・多様化は最早、避けて通れないテーマだ。

セーチン氏は講演で日本の資金、技術に対する期待をきわめて率直に語った。ウクライナ問題でのヨーロッパ諸国との対立、エネルギー価格の下落に加え、中国への売却でも買い叩かれている面があると聞く。そうした事情を抜きにしても、シベリアや北極海のエネルギー資源が日本にとって不可欠となる時代が遠からず来ると思う。しばし、政府の対応に注目したい。(了)
歴史のわだかまり、どう解消? [2015年10月27日(Tue)]

日本で楽観、中国で悲観増える
韓国に根強い“戦勝国願望”


笹川平和財団・日中友好基金が10月20日に開催した講演会「中国の現状と課題」で現代中国人の日本感について講演者の一人は、「近代化の面において中国に前向きな影響を与えた国家であると同時に、世界の国の中で中国に最大の苦痛をもたらした国として複雑で矛盾した感情と認識を持っている」と指摘した。

先の大戦で「損害と苦痛を与えられた国」故の感情といえ、相前後して言論NPOと中国国際出版集団が発表した2015年の日中共同世論調査でも、日本では「日中関係が進展するにつれ歴史問題は徐々に解決する」との楽観的認識が30%近くまで上昇しているのに対し、中国では逆に「歴史問題が解決しなければ、中日関係は発展しない」と考える人が前年の30%強から半数近くまで急増している実態が浮き彫りになった。

やや性格は異なるが、9月3日に中国・北京で行われた「抗日戦争勝利70周年」式典に出席した朴槿恵韓国大統領の動きも、歴史面から見ると理解しやすいような気がする。朴大統領の式典出席に関しては、中韓貿易の拡大や北朝鮮に対する中国の影響力、中国から大きな脅威・影響を受けてきた韓国の歴史的・地政学的立場から解説する向きが多いように思う。

それ自体に異論はないが、式典の狙いは、第2次大戦で抗日戦争を主導したのは蒋介石率いる国民党という歴史的事実に対し、「中国共産党こそ、その主役だった」とアピールする点にあり、抗日戦争との関係では韓国も似た立場にある。

韓国は大戦後のサンフランシスコ講和条約に戦勝国としての参加を望んだが認められなかった。日本と戦った実績がないというのが理由のようだが、大手紙に掲載された木村幹・神戸大教授の解説によると、韓国は日本の植民地時代に上海に樹立された「大韓民国臨時政府」の国名を引き継いでおり、「戦勝国」を建前としている。

となると大統領の式典出席は、「韓国も戦勝国」のメッセージを国際社会に送るのが狙いであり、歴史に対する国民の不満の解消にもつながる。こう解釈した方が、同盟国・米国の反対を押し切ってまで強硬出席した大統領の行動は理解しやすいように思う。結果、歴史問題を軸にした中韓両国の共闘、日本攻撃は今後、一段とエスカレートすると見るのが自然。冒頭の日本感を披露した上海師範大学人文学院の簫功秦教授も「日本に対する疑念と不信感が解消されるまでには長い年月が必要」と指摘している。

日本に関する議論に幅があるのもこのためだ。例えば2年前、韓国で出版された「日本は今、何を考えているか」の中国語版出版記念会に関連して10月初旬、北京で開催された専門家懇談会。本は韓国・延世大学の文正仁教授ら2人が日本の有識者14人に日本の戦略構想や外交戦略、安全保障などについてインタビューした結果をまとめ、韓国でも評判になったという。

14人には山口昇・防衛大学教授や元朝日新聞主筆の船橋洋一氏、政策研究大学院大学の白石隆学長ら多彩な識者が名を連ね、中国語版の出版は日本の観点を知ってもらう上でも意味がある。日本財団の関連団体が中国語版の出版を支援した経過もあり筆者もオブザーバーの形で出席した。

しかし関連して行われた専門家懇談会は、わが国の一連の安全保障法制が可決された直後ということもあったのだろうか、安倍晋三首相の8・15談話を「戦争を反省していない」、「慰安婦問題を他人事のように論じている」と非難、「日本は戦後の国際秩序を変えようとしている」などの日本批判が吹き出す展開となった。

一方、冒頭の「中国の現状と課題」の講演会では、中国の研究者が「日本は世界の国の中で中国に最大の苦痛をもたらした」、「(日清戦争と日中戦争の)2度にわたり中国の近代化を止めた」など厳しい指摘をする一方、「日本の支援によって中国の近代化が実現した」、「中国は、日本社会が軍国主義から離れている現実を知るべきだ」など冷静な意見や「互いが相手を知るためにも交流を増やすべきだ」、「双方の安定的発展こそ双方の利益」といった前向きの提案も出された。

日中共同世論調査結果でも、中国では日本を「軍国主義」とみる人が46%と前年に比べ10%近く上昇、軍事的脅威を感ずる国・地域に関しても日本が81・8%と米国を抜き1位に跳ね上がっている半面で日本人の58%、中国人の47%は平和的な共存共栄を望んでいる。

簫教授は今後の中国について@ナショナリズムが弱まり、日本に対する過剰な反応が徐徐に解消されるA双方の矛盾か解消できないまま相互不信が深まり、摩擦・衝突にまでエスカレートするーの二つの可能性を指摘、「現実は後者の可能性がますます高くなっている」と警告した。

どの国にも、その国の立場があり、様々に対立する多様な意見がある。歴史に対するわだかまりを解消するのは容易ではない。打開策のない現状に戸惑うばかりだが、少なくとも歴史問題を中心に各国で高揚するナショナリズムが、日中韓3国の将来に「有益な何か」を生み出す可能性がないことだけは、はっきりしている。(了)
日本人は本当に内向きか? [2015年09月24日(Thu)]
海外でも大きな活躍
カンボジアでも期待と信頼
教育、伝統医療の普及に


 若者、時に日本人の内向き志向がしばしば話題となる。確かに海外の大学へ留学する学生は減り、企業の海外赴任希望者も減少傾向にあるようだ。しかし社会貢献活動ひとつをとってもアフリカからアジア各国まで、あらゆる地域で日本人が活躍している。数字の変化は日本、さらに国際社会の急速な環境変化が一番の原因であり、一概に「内向き志向」と決め付けるのは早計ではないかー。

9月上旬に訪れたカンボジア王国でも、伝統的なクメールの絹織物や焼きもの(陶器)の復活・育成に取り組む人や、カンボジア土産として有名なクッキーの生産・販売会社を軌道に乗せ、さらに農業育成を目指す起業家まで多くの人が活躍し地元民から熱い期待と信頼を得ている。日本財団の支援事業に関連して、そのうちの2人に話を聞いた。

▼田中千草さん「ポル・ポトのせいにしているだけでは何も変わらない」

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ひとりは世界遺産アンコールワットの観光拠点シェムリアップで非営利団体「アナコット・カンボジア」の代表を務める田中千草さん。2007年、JICA(国際協力機構)の海外青年協力隊員として地元の小学校に赴任、2年後、帰国したが、同僚教師や父兄から復帰を求める1万人以上の署名が寄せられ、今度は個人として赴任。現在、学校運営を手伝う傍らアナコット・カンボジアを立ち上げた。

カンボジアでは1975年に誕生したポル・ポト政権、さらにその後の内戦を通じ800万人の人口のうち200万人が命を失った。ポル・ポト政権は原始共産主義。「知識は人々に格差をもたらす」として教師や医者、学生らを弾圧し知識人の約60%が粛清されたといわれる。

カンボジアには1万を超す公立学校があるが、小中学校の教師のレベル、教えることに対する意欲は低く、教育の貧困が新たな貧困を生む悪循環が続き、子供の人身売買も後を絶たない。夫のDVや借金取りから逃れる家族らを保護するとともに貧しい子供たちの教育を支援し、少しでも子供たちのアナコット(未来)を切り拓くのが田中さんの目標。現在は日本財団の支援で活動拠点となるシェルターづくりを進めている。

子供たちからも「チィー」の愛称で慕われ、バイク姿を見かねた出身地北海道の運送会社社長から贈られた中古のランドクルーザーで飛び回り、日本での講演料などを活動資金に充てる。安倍首相の昭恵夫人を通じて、田中さんの献身的な活動を知ったオバマ米大統領のミシェル夫人も今春、カンボジアを訪問した際、「女性の誇り」と激励した。

 インタビューを申し込むと、世話をしている子供2人を連れて現れ、「日本で5年間、教員をし、見てきたような顔をして外国のことを話すのが嫌で海外青年協力隊に参加した」と動機を説明。「カンボジアは人の心が暖かく人間関係も近い。困っている人が目の前にいれば誰でも助けようと思う」としながらも「ポル・ポトのせいにしているだけでは何ごとも変えられない」とカンボジアの人たちにも厳しい注文を付けた。

 父と兄は教員。弟はNGOで活動する。現在37歳。「カンボジアと結婚ですか」と聞くと「アハハ・・」と笑った。

▼高田忠典さん「地雷の国から薬草の国へ」

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 もうひとりはカンボジア保健省伝統医療局、カンボジア伝統医療師(クル・クメール)協会(CaTHA)のアドバイザーを務める高田忠典さん。1972年、長崎市の生まれ。上京して鍼灸師、柔道整復師の資格を取り、2003年から4年間、ブータンの国立伝統医学院に勤務、さらに日本の伝統医療科学大学院で学び08年からカンボジアで活動する。妻子は現在もブータンで暮らす。
 
 被爆地・長崎の出身として、ポル・ポト時代、さらに内戦を通じ、伝統文化、地域社会が破壊尽くされたカンボジアに平和を再構築するのが夢。日本財団の支援で伝統医療局が08年から進めたクル・クメールの研修を指導し、342人のクル・クメールから成るCaTHAのネットワークを完成させた。

 ポル・ポト時代には教師と同様、医師も徹底的に粛清され、クル・クメールが何とか医療を支えた。カンボジアには2000種類を超す薬草が自生しており、それぞれの地域、クル・クメールの家に伝統薬の製法が伝わり、慢性疾患を中心に治療に使われてきた。1978年、旧ソ連のアルマ・アタで開催されたWHO(世界保健機関)の国際会議で伝統医療の重要性が見直されて以来、途上国のプライマリー・ヘルス・ケアだけでなく、近年は医療費の膨張に直面する先進国でも、比較的価格が安い伝統医療の活用が増える傾向にある。

 高田さんによると、カンボジアではポル・ポト政権の粛清で近代医療が崩壊した分、他のASEAN諸国より伝統医療が濃厚に残され、薬草も豊富でプノンペンには生薬の問屋もある。カンボジア政府は近代医療を中心に医療体制を整備する意向ともいわれるが、深刻な医師や医療施設の不足を解消するには伝統医療の活用が欠かせない。

 カンボジアでは今も地雷の撤去が続く。CaTHAのネットワークを生かし、「地雷の国から薬草の国へ」が実現することが、内戦で疲弊したこの国を健康にし、ひいては平和の建設につながる。高田さんは、そんな思いを込め、小学校など各地に薬草園をつくり、伝統医療の普及を目指している。(了)
ミャンマーと南機関 [2015年08月30日(Sun)]

「国軍は恩を感じている」
今回も鈴木大佐の墓参り

「日本ミャンマー将官級交流プログラム」(日本財団主催)で来日したミャンマー国軍の将官9人が8月25日、昨年の第1陣と同様、静岡県浜松市を訪れ、旧日本軍の特務機関「南機関」の機関長だった鈴木敬司大佐(最終階級・陸軍少将)の墓参りをし、団長のアウン・チョウ・ゾー少将は墓参の理由を「鈴木大佐はミャンマー独立に貢献された。ミャンマー国軍は尊敬し、恩を感じている」と語った。

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鈴木大佐の墓参をするアウン・チョウ・ゾー少将

 「21世紀構想懇談会」は安倍晋三首相の戦後70年談話に先立って公表した報告書で、戦後の多くのアジアの国の独立と戦前の日本の関係について「(日本の)多くの意思決定は自存自衛のために行われたのであって、アジア解放のために、決断したことはほとんどない」と指摘した。

 多くの国の独立が民族運動の高まりと戦争によって宗主国の圧倒的な力が低下した結果、達成されたのは間違いない。先の戦争を「侵略」とした上で「国策として日本がアジア解放のために戦ったと主張することは正確ではない」という報告書の指摘にも異論はない。

しかし、かの戦争に一片の「大儀」もなかったとなると、日本人だけで310万人にも上った犠牲者は一体、何だったのかー。多くの人が戦争を否定し、「侵略」の位置付けを肯定しながらも、いまだに、こだわりを捨てきれないのは、そのためだ。

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大草山頂上に立つビルマゆかりの碑

南機関に対するミャンマー国軍の評価を、ミャンマー国民や政府と内戦を続けてきた少数民族がどこまで共有しているか、といった別の問題もあるが、それでもなお一行の墓参やゾー少将の言葉に快さを感じるのは、こんな心理が影響しているのかもしれない。

一行は25日、航空自衛隊浜松基地を訪問した後、浜名湖を望む舘山寺大草山の頂上に立つ「ビルマゆかりに碑」と鈴木大佐の墓を訪れた。「昭和四十九年五月十二日」付けの碑文には「ビルマ国民に建国の父と仰がれるオンサン将軍が去る昭和十五年わが国に亡命して当地出身の鈴木敬司陸軍少将と共に祖国独立運動の秘策を練ったこのゆかりの地に建てられた・・」とある。

資料によると、南機関は東南アジアへの勢力拡大を図る旧日本軍と英国からの独立を目指すビルマ(現ミャンマー)の思惑が結び付く中で誕生した。鈴木大佐はオンサン将軍(後に「建国の父」と呼ばれるアウン・サン将軍、アウン・サン・スー・チー氏の父親)らビルマの独立運動家30人を脱出させ浜松で態勢を固めた上、1941年、タイ・バンコクで「ビルマ独立義勇軍」(BIA)を立ち上げ、43年8月には首都ラングーン(現ヤンゴン)を陥落させ独立を宣言した。

独立をめぐり日本軍との間に亀裂を生ずる中、南機関は最後までBIAに肩入れしたとされ、ミャンマー国軍が「独立に貢献した」というのは、南機関のこうした行動を念頭に置いた話かもしれない。現にビルマの33回目の独立記念日に当たる81年1月、ビルマ政府は独立に貢献した日本人7人にアウン・サン勲章を贈っているが、鈴木大佐未亡人を含め全員が南機関関係者だった。

ゆかりの碑や鈴木大佐の墓は昨年9月に訪日したミン・アウン・フライン国軍総司令官も訪れ、古くはネ・ウイン元大統領も訪日のたびに元南機関の関係者と旧交を温めていたとされる。ミャンマー国軍には多くの日本の軍歌が今も引き継がれ、3月のミャンマー国軍記念日(3月)のパレードでは「軍艦マーチ」も演奏されるという。一行によると、音楽だけでなく、「ハンゴウ」(飯盒)、「モウイッカイ」(もう1回)といった日本語も使われているそうだ。

ミャンマーの人口は現在、約5300万人。135に上る民族が住み、6割以上をビルマ族が占める。植民地時代は英国の分割統治で山岳の少数民族が軍や警察を握りビルマ族を抑え込んだとされ、そのしこりが今も続く内戦の一因になったといわれる。日本に対する評価、さらには訪問の度に実感する「対日好感度」にも、われわれが知り得ない複雑な面があるのかもしれない。そんなことを考えながら、11月の総選挙を注目したい。(了)

遅れる比残留2世の国籍取得 [2015年07月30日(Thu)]

われわれは“棄民か”と思ったことも
日系人連合会・カルロス前会長に聞く


フィリピン残留日系人2世の国籍取得問題で7月下旬、フィリピン日系人会の代表7人が来日、安倍晋三首相に早期解決を求める要望書を日系人ら約2万8000人の署名簿を添えて提出、安倍首相は「日本人としてのアイデンティティーを取得したいという思いは当然で、政府としても、しっかりと協力させていただきたい」と答えた。残留2世の平均年齢は既に76歳、“日本人の証”を求める彼らの願いは時間との戦いでもあり、戦争が国の名で行われた以上、それに伴う被害も国の名で回復される必要がある。一行の代表を務めたフィリピン日系人連合会のカルロス寺岡前会長(84)に国籍取得にかける思いを聞いた。

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「一時も早く全員に日本国籍を!」と訴えるカルロス寺岡前会長

―フィリピンに取り残された日系人について厚生省(現・厚生労働省)が初めて調査を行ったのは戦後40年近く経た1980年代後半、何故、これほど長い空白があったのでしょうか?

「日本人と名乗れる雰囲気はなかった」

現地に在住した日本人の多くは日本軍に軍属として徴用され死亡、生き残った人も米軍捕虜として収容された後、日本に強制送還されました。日本軍の敗色が濃くなる中、残された母と子(残留2世)の多くは、敗走する日本軍とともに山中を逃避行し、多くが米軍の空爆などで命を失ったのです。私も母や妹、弟ら8人で逃げ、途中で母ら5人が命を落としました。
反日感情が渦巻く中、「敵国人の子」としてゲリラの攻撃対象にもなり、誰もが日本名や父親との関係を示す写真や資料を捨て、日本人であることを隠してひたすら生きてきたのです。私自身は生き残った妹といったん父の出身地である山口県に戻りましたが、父の戸籍に自分や妹の名はなく日本国籍がないまま7年後、フィリピンに戻りました。
60年代にミンダナオ島のダバオに初の日系人会が結成されました。それまでは日本人と名乗れるような雰囲気ではなかったのです。そんな中で80年代に初めて厚生省が現地調査しました。どういう調査をしたのか、今でも知りません。後日、「フィリピンに取り残された日系人はいない」との結論になったと聞き、「われわれは日本政府からも見捨てられた“棄民”なのだ」とつくづく思いました。


―95年には外務省もフィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)や日系人会に委託する形で調査に乗り出していますが?

「希望すれば日本に帰れた、というのはあまりに無責任」

戦後半世紀を経て、さすがにフィリピンの反日感情も和らいでいました。日系人会も10ヵ所以上で立ち上がり連合会もできました。その中で多くの残留2世が無国籍状態で悲惨な生活を強いられていることが次第に明らかとなり、あらためて調査する必要が出てきたのでしょう。56年7月の日比平和条約の締結で国交が回復しており、「希望すれば日本に帰れた」などという声もあるようですが、残留日系人が置かれた悲惨な状況を知らない、あまりに無責任な意見です。

―その調査の結果として外務省はフィリピン残留2世の総数を3545人、うち父親の身元が判明し日本国籍を取得した2世は1058人(311人は既に死亡)、父親は分かっているものの戸籍に2世の名が登載されていない、などの理由で国籍を取得できてない人1676人(同759人)、父親が日本人であることは分かっているが、その戸籍の所在が分からない2世811人(同529人)としていますが、この数字をどう見ますか?

「新しい証拠の発掘は不可能」

実質的な調査はPNLSCと日系人会が行っており、数字はこれまでに把握できた結果ということになりますが、個人的には、離島などに残されたままの残留2世や日本人であることを名乗り出ない2世もまだいると思います。いずれにしても残留2世の半数弱(1599人)が故人となり、父親が日本人と判明しながら国籍取得の夢を果たせないまま亡くなった残留2世も1288人に上っています。一刻も早く、国籍取得を加速させていただきたい。2006年以降217人が、新たに戸籍を設け日本国籍を取得する「就籍」の申し立てを東京家庭裁判所に行い157人が日本国籍を取得していますが、このままではとても間に合いません。日本人の証拠を自ら捨てざるを得なかった経過や70年の歳月の流れを前にすれば、これから新しい証拠を発掘するのは最早、不可能です。


―同じように終戦の混乱の中で現地に取り残された中国残留孤児の場合は、日中両国政府が協力して孤児名簿を作成、名簿に登載された孤児の就籍の審判を加速し、既に1250人が日本国籍を取得、帰国後も中国残留邦人支援法などで手厚い支援が行われています。中国残留孤児は国策により満蒙開拓団などに送り込まれた両親とも日本人の子、父親が自己意思でフィリピンに渡り現地の女性と結婚してできた残留2世とは立場が違うといった指摘もあるようですが、どう思いますか?

「父の国と母の国の戦い」

フィリピン移民は、1903年にルソン島の山岳地帯の道路建設の契約労働者として3000人近い日本人が移住したのが始まりで、その後、ダバオを中心にした麻農園の開拓などで移民が増え、最盛期には全体で3万人、ダバオには2万人の日本人町も形成され豊かな生活をしていました。戦争ですべてが崩壊したのです。逃亡生活の中で教育を受ける機会もなく、長い間、どん底の生活を余儀なくされています。どちらも戦争の犠牲者であり、残留2世は父親だけが日本人という指摘も父系主義を採った当時の国籍法から、本人の国籍問題には何の影響もありません。それに残留2世にとって、あの戦争は父の国と母の国の戦いでした。その分、生き延びるのも大変だったのです。

―日本国籍を取得できていない残留2世の多くは長い間、無国籍状態にあるようですが、日常生活に支障はないのですか?

「日常生活は一種の“なり済まし”」

残留2世の子や孫はフィリピンで生まれフィリピン国籍を持っています。従って家族の中で残留2世だけが無国籍ということになりますが、日常生活では一種の“なり済まし”ということになるでしょうか、収入があれば税金を支払い、政府のサービスも受け、選挙で投票もできます。ただしパスポートの取得は無国籍では難しく、晴れて日本国籍を取得すると、これまで70年間、無国籍のまま違法に滞在したということで罰金問題も出てくるようです。現に日本国籍を取得して母国を訪問しようとしたところ300万円を超す罰金の支払いを求められた残留2世もいます。それこそ長年、問題を放置した結果であり、残留2世に求められてもできない相談です。日比両政府の間で早急に解決していただきたい。

―今回の訪日で安倍首相も協力を約束し、外務省も現在、PNLSC、日系人会に委託して進めている「フィリピン残留日系人2世名簿」の作成に当たり、今後は在フィリピン大使館員を調査に立ち会わせ、就籍の審判では名簿とともに調査に立ち会った旨を証明する書類を提出するとしています。家裁の裁判官が、これを持って“中国残留孤児と同様、日本政府が残留2世の身元を保証した”と解釈すれば、就籍の審判が加速する可能性も期待できる。この点をどう受け止めていますか?

「誰もが日本人として死にたいと願っています」

これまではPNLSCや日本財団の支援がほぼすべてでした。今回、安倍首相に直接、会っていただき、日本政府も積極的に対応していただけるのではないかと希望を膨らませています。フィリピンに帰国して同胞にもその旨、報告したい。日本人を父親として生を受けながら、日本国籍を取得できていない人は、判明しているだけでも1199人に上ります。誰もが日本人の血を誇りに思い、日本人として死にたいと願っています。残された時間は多くありません。日本での3世、4世の就労にも影響します。対応を急いでいただくよう切にお願いします。

[カルロス寺岡氏]
1930年12月、山口県・大島町出身の日本人男性とフィリピン人の母の3男としてルソン島のバギオで生まれた。父は大戦が始まる4ヵ月前、結核で死亡。その後、長兄は日本軍憲兵隊に、次兄はフィリピンゲリラに殺害され、バギオが陥落した45年4月、14歳で母と妹2人に弟、叔母と2人のいとこの計8人で日本軍の後を追ってルソン島の山中に逃げた。
5ヶ月に及ぶ逃避行の中で母と妹、弟、叔母、いとこの5人が米軍の砲弾などに倒れた。生き残った3人が戦争終結後の9月、米軍捕虜収容所に収容され、妹のマリエさんといったん日本に渡った後、21歳でフィリピンに戻り、98年、マリエさんとともに、ようやく日本国籍を取得した。1998年から12年間、フィリピン日系人連合会会長、95年から15年間、在バギオの名誉総領事も務めた。 (宮崎正)


比残留2世国籍取得問題(日本財団ブログ)
講演会「中国の現状と課題」 [2015年06月22日(Mon)]
過度の被害者意識捨て尊厳獲得を
根強く残る100年の屈辱


共産党一党支配の中国にも当然、多様な意見がある。1840年のアヘン戦争以降、約100年間の屈辱の歴史に対する過激な被害者意識が、今後の中国の発展に足かせになりかねない、といった指摘もそのひとつだ。5月末、東京・赤坂の日本財団ビルで行われた講演会「中国の現状と課題」でも、中国の若手研究者が同様の立場から「(中国は)怨恨、被害者意識を捨てない限り尊厳は得られない」と述べ注目された。

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大国が大国たり得るには、各国から信用され尊敬される “品格”が必要である。国際社会は、躍進する中国の経済力や軍事力を認めつつも、強引な外交姿勢を前に、この国が今後、どこまで国際社会のリーダーになり得るか、不安と期待の眼差しで見守っている。

過度の愛国心や被害者意識は国内の不満をそらすため政権によって利用されてきた面もある。経済格差が拡大し国民の不満が高まる中で、一層肥大化する可能性も否定できない。若手研究者のような冷静な意見こそ、この国には必要ではないかー。今後の日中関係を占う意味でも注目に値する。

講演会は笹川平和財団笹川日中友好基金と中国の共識傳媒集団(周志興総裁)が共催した。「中国の政治外交、経済、社会分野などで活躍し、政策決定や世論形成にも影響力を持つ」中国人若手研究者4人が講演に立ち、「被害者意識」に関しては北京外交学院世界政治研究センターの施展主任が「“一帯一路”戦略と中国の世界歴史責任」の演題で取り上げた。

この中で施主任は中国政府が経済、外交政策の柱とする現代版シルクロード・一帯一路 に言及する形で、中国が国を越えた普遍的価値である「公共財」を世界に提供するには何が必要か、述べた。慎重な言い回しを筆者なりに解釈すれば、中国が国際社会の尊厳を得るには、狭いナショナリズムから国を越えて地域の安定や発展に貢献する世界主義へシフトすることが不可欠。そのためにもまずは中国社会に内在する被害者意識を捨てる必要がある、といった論旨だったと思う。

戦後70年、中国は世界第2位の経済力と強大な軍事力を備え、十分、世界の大国となった。そうした中で「この国が長い歴史の中で世界の中心であった」というプライドが膨らみ、一方でアヘン戦争から約1世紀間、欧米諸国や日本に侵略された歴史を屈辱と捉える「被害者意識」が強まっているのだという。

習近平国家主席が掲げる「中華民族の偉大な復興」に刺激された愛国主義の高揚、全体の収入水準は上がっているものの所得分配の不平等さを示す指標であるジニ係数が「慢性的暴動の危険がある」0・5を超えたともいわれる格差拡大に対する不満が影響しているのかもしれない。

しかし、これでは世界のリーダーに相応しい品格を身に付けることは難しい。施主任は「中国が被害者意識を捨て責任ある影響力を行使しよりよい国際環境を手に入れることが中国の利益になる」とするとともに、中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)に関しても「もう一つの“炉”ではなく、アメリカと協力して正義の世界秩序となり、国際経済貿易の新しい秩序を推進することにある」としている。

Webを検索すると、同様の意見は2010年10月、中国共産党機関紙・人民日報系の国際情報紙「環球時報」にも掲載されていた。中国人民大学国際関係学院・東昇副教授の寄稿「過激な被害者意識は国の復興を防げる」がそれで、「今の中国に国が滅ぼされるという危機感も焦燥感もない。それなのに100年前の国辱が植え付けた『被害者意識』だけは根強く残っている。・・台頭する大国として列強と心穏やかに肩を並べるには相応しくない」などとしている。

政権内部にもこうした意見が根強くあるとみられ、中国人の友人によると、過度な愛国主義や被害者意識を中国の今後にマイナスと見る意見は近年、増える傾向にあるという。

何度か中国を訪れ、政府に近い関係者と話す機会もあった。日本を“加害者”と見る歴史認識の中で、日本人として、同じ考えを声高に問うのを差し控える気分があったが、無用な遠慮だったかもしれない。(了)
五輪禁煙対策をめぐって [2015年05月29日(Fri)]

条例制定見送りは責任逃れか!
たばこ千円の笹川会長が批判


 「東京オリンピック・パラリンピックに向けて受動喫煙防止法を実現する議員連盟」(尾辻秀久会長)の会合が5月28日開かれ、たばこ千円運動を提唱した日本財団の笹川陽平会長が講演すると聞き傍聴した。この中で笹川会長は、「受動喫煙の防止は国が法律でやるべし」として都としての条例制定に消極的な姿勢を打ち出した舛添要一知事の姿勢を「責任逃れ」と厳しく批判した。

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左から松沢成文・議連幹事長、笹川会長、尾辻会長=参院議員会館で

 同議員連盟は昨年11月、かつての「禁煙推進議員連盟」を発展解消して結成され、現在、超党派の議員約60人が所属。強制力を持って屋内の公共的空間の禁煙もしくは完全分煙を義務化する受動喫煙防止法を3年以内に議員立法で制定する、としている。

 笹川会長の講演は情報収集の一環として行われ、舛添知事が打ち出した受動喫煙防止条例見送りについて意見を述べた。知事方針は5月22日の定例記者会見で明らかにされ、舛添知事はその理由を「国全体で検討して法律を決めないと各地域ばらばらになる」、「条例というより法律で」と説明したと報じられている。

 条例化について舛添知事は昨年夏、テレビ番組で「是非やりたい」と述べ、有識者による検討会も設置しており、姿勢を後退させたと指摘する報道もある。これに対し笹川会長は責任逃れとするとともに「これではリスクを取らない指導者ということになりかねない」と述べた。

 笹川会長が厳しい批判をする背景には、国際オリンピック委員会(IOC)が1988年、健康の祭典であるオリンピックからたばこを排除する方針を打ち出し、たばこ産業のスポンサーシップを拒否するとともに会場の内外を禁煙を実施、2010年には世界保健機関(WHO)との間で、たばこのない五輪を目指す合意文書を交わした経過がある。

 これを受け04年のアテネ五輪以降、冬季大会も含め、すべての開催都市が罰則付きの法や条例、州法で禁煙対策を実施、来年のリオデジャネイロ、18年の平昌も既に同様の対応を打ち出している。

 換言すれば、東京が2020年大会の招致に名乗りを挙げた時点で、日本は禁煙対策の強化を国際的に公約したことになり、招致に成功した以上、ホスト国として禁煙対策を強化する当然の責務を負う。まずは開催都市・東京が率先して受動喫煙防止条例を制定するのが自然な流れということになる。

 笹川会長の「責任逃れ」発言にはこんな背景があり、現実に条例を制定した後、法を整備しても特段の支障はない。現に神奈川県では罰則規定を盛り込んだ受動喫煙防止条例が制定されている。

 さらに日本は世界で19番目にたばこの規制に関するWHOの枠組み条約(FCTC)を批准しているが、3月、議員連盟で講演したWHO生活習慣病予防局長のダグラス・ベッチャー博士は日本を「衛生面、健康面で優れた尊敬できる国」としながらも、「たばこ災害からの国民の保護が不十分」と指摘した。国際社会の中で全体的な取り組みが遅れている現状もある。

 国立がん研究センターなどが実施した都民アンケートでは、都民の約4分の3が罰則付きの条例や法律を含め何らかの規制が必要と答えている。五輪招致が猪瀬直樹前知事時代に決まった事案であるとしても行政上は当然、継承されなければならない。

 条例制定を見送るというのなら、舛添知事は国際的にも国内的にも、もっと納得のいく説明をする責任があるのではないかー。(了)
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