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四季折々の雑記

 05年夏まで在籍したマスコミの世界は極力、主観を排した客観報道を原則とした。しかし真の意味で「客観」を実現するのは報道の現場に限らず難しい。ブログと言うには程遠いが、忘れない程度に自分の想い、時に意見をささやかに書いていくつもりです。


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講演会「中国の現状と課題」 [2015年06月22日(Mon)]
過度の被害者意識捨て尊厳獲得を
根強く残る100年の屈辱


共産党一党支配の中国にも当然、多様な意見がある。1840年のアヘン戦争以降、約100年間の屈辱の歴史に対する過激な被害者意識が、今後の中国の発展に足かせになりかねない、といった指摘もそのひとつだ。5月末、東京・赤坂の日本財団ビルで行われた講演会「中国の現状と課題」でも、中国の若手研究者が同様の立場から「(中国は)怨恨、被害者意識を捨てない限り尊厳は得られない」と述べ注目された。

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大国が大国たり得るには、各国から信用され尊敬される “品格”が必要である。国際社会は、躍進する中国の経済力や軍事力を認めつつも、強引な外交姿勢を前に、この国が今後、どこまで国際社会のリーダーになり得るか、不安と期待の眼差しで見守っている。

過度の愛国心や被害者意識は国内の不満をそらすため政権によって利用されてきた面もある。経済格差が拡大し国民の不満が高まる中で、一層肥大化する可能性も否定できない。若手研究者のような冷静な意見こそ、この国には必要ではないかー。今後の日中関係を占う意味でも注目に値する。

講演会は笹川平和財団笹川日中友好基金と中国の共識傳媒集団(周志興総裁)が共催した。「中国の政治外交、経済、社会分野などで活躍し、政策決定や世論形成にも影響力を持つ」中国人若手研究者4人が講演に立ち、「被害者意識」に関しては北京外交学院世界政治研究センターの施展主任が「“一帯一路”戦略と中国の世界歴史責任」の演題で取り上げた。

この中で施主任は中国政府が経済、外交政策の柱とする現代版シルクロード・一帯一路 に言及する形で、中国が国を越えた普遍的価値である「公共財」を世界に提供するには何が必要か、述べた。慎重な言い回しを筆者なりに解釈すれば、中国が国際社会の尊厳を得るには、狭いナショナリズムから国を越えて地域の安定や発展に貢献する世界主義へシフトすることが不可欠。そのためにもまずは中国社会に内在する被害者意識を捨てる必要がある、といった論旨だったと思う。

戦後70年、中国は世界第2位の経済力と強大な軍事力を備え、十分、世界の大国となった。そうした中で「この国が長い歴史の中で世界の中心であった」というプライドが膨らみ、一方でアヘン戦争から約1世紀間、欧米諸国や日本に侵略された歴史を屈辱と捉える「被害者意識」が強まっているのだという。

習近平国家主席が掲げる「中華民族の偉大な復興」に刺激された愛国主義の高揚、全体の収入水準は上がっているものの所得分配の不平等さを示す指標であるジニ係数が「慢性的暴動の危険がある」0・5を超えたともいわれる格差拡大に対する不満が影響しているのかもしれない。

しかし、これでは世界のリーダーに相応しい品格を身に付けることは難しい。施主任は「中国が被害者意識を捨て責任ある影響力を行使しよりよい国際環境を手に入れることが中国の利益になる」とするとともに、中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)に関しても「もう一つの“炉”ではなく、アメリカと協力して正義の世界秩序となり、国際経済貿易の新しい秩序を推進することにある」としている。

Webを検索すると、同様の意見は2010年10月、中国共産党機関紙・人民日報系の国際情報紙「環球時報」にも掲載されていた。中国人民大学国際関係学院・東昇副教授の寄稿「過激な被害者意識は国の復興を防げる」がそれで、「今の中国に国が滅ぼされるという危機感も焦燥感もない。それなのに100年前の国辱が植え付けた『被害者意識』だけは根強く残っている。・・台頭する大国として列強と心穏やかに肩を並べるには相応しくない」などとしている。

政権内部にもこうした意見が根強くあるとみられ、中国人の友人によると、過度な愛国主義や被害者意識を中国の今後にマイナスと見る意見は近年、増える傾向にあるという。

何度か中国を訪れ、政府に近い関係者と話す機会もあった。日本を“加害者”と見る歴史認識の中で、日本人として、同じ考えを声高に問うのを差し控える気分があったが、無用な遠慮だったかもしれない。(了)
五輪禁煙対策をめぐって [2015年05月29日(Fri)]

条例制定見送りは責任逃れか!
たばこ千円の笹川会長が批判


 「東京オリンピック・パラリンピックに向けて受動喫煙防止法を実現する議員連盟」(尾辻秀久会長)の会合が5月28日開かれ、たばこ千円運動を提唱した日本財団の笹川陽平会長が講演すると聞き傍聴した。この中で笹川会長は、「受動喫煙の防止は国が法律でやるべし」として都としての条例制定に消極的な姿勢を打ち出した舛添要一知事の姿勢を「責任逃れ」と厳しく批判した。

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左から松沢成文・議連幹事長、笹川会長、尾辻会長=参院議員会館で

 同議員連盟は昨年11月、かつての「禁煙推進議員連盟」を発展解消して結成され、現在、超党派の議員約60人が所属。強制力を持って屋内の公共的空間の禁煙もしくは完全分煙を義務化する受動喫煙防止法を3年以内に議員立法で制定する、としている。

 笹川会長の講演は情報収集の一環として行われ、舛添知事が打ち出した受動喫煙防止条例見送りについて意見を述べた。知事方針は5月22日の定例記者会見で明らかにされ、舛添知事はその理由を「国全体で検討して法律を決めないと各地域ばらばらになる」、「条例というより法律で」と説明したと報じられている。

 条例化について舛添知事は昨年夏、テレビ番組で「是非やりたい」と述べ、有識者による検討会も設置しており、姿勢を後退させたと指摘する報道もある。これに対し笹川会長は責任逃れとするとともに「これではリスクを取らない指導者ということになりかねない」と述べた。

 笹川会長が厳しい批判をする背景には、国際オリンピック委員会(IOC)が1988年、健康の祭典であるオリンピックからたばこを排除する方針を打ち出し、たばこ産業のスポンサーシップを拒否するとともに会場の内外を禁煙を実施、2010年には世界保健機関(WHO)との間で、たばこのない五輪を目指す合意文書を交わした経過がある。

 これを受け04年のアテネ五輪以降、冬季大会も含め、すべての開催都市が罰則付きの法や条例、州法で禁煙対策を実施、来年のリオデジャネイロ、18年の平昌も既に同様の対応を打ち出している。

 換言すれば、東京が2020年大会の招致に名乗りを挙げた時点で、日本は禁煙対策の強化を国際的に公約したことになり、招致に成功した以上、ホスト国として禁煙対策を強化する当然の責務を負う。まずは開催都市・東京が率先して受動喫煙防止条例を制定するのが自然な流れということになる。

 笹川会長の「責任逃れ」発言にはこんな背景があり、現実に条例を制定した後、法を整備しても特段の支障はない。現に神奈川県では罰則規定を盛り込んだ受動喫煙防止条例が制定されている。

 さらに日本は世界で19番目にたばこの規制に関するWHOの枠組み条約(FCTC)を批准しているが、3月、議員連盟で講演したWHO生活習慣病予防局長のダグラス・ベッチャー博士は日本を「衛生面、健康面で優れた尊敬できる国」としながらも、「たばこ災害からの国民の保護が不十分」と指摘した。国際社会の中で全体的な取り組みが遅れている現状もある。

 国立がん研究センターなどが実施した都民アンケートでは、都民の約4分の3が罰則付きの条例や法律を含め何らかの規制が必要と答えている。五輪招致が猪瀬直樹前知事時代に決まった事案であるとしても行政上は当然、継承されなければならない。

 条例制定を見送るというのなら、舛添知事は国際的にも国内的にも、もっと納得のいく説明をする責任があるのではないかー。(了)
「養子の日」(4月4日)に思う [2015年04月23日(Thu)]

衝撃の生い立ち サヘル・ローズさん
特別養子縁組 SIBにも期待


 特別養子縁組の普及に向け4月に開催された企画で強く印象に残った点がふたつある。ひとつは「養子の日」の4月4日、日本財団などが東京・渋谷で開催したイベント「すべての赤ちゃんに温かい家庭を」でイラン出身の女優サヘル・ローズさんが語った「母と子」の壮烈な人生。もう一つはソーシャル・インパクト・ボンド(SIB)を活用して養子縁組の促進を目指す日本財団と神奈川県横須賀市のパイロット事業=4月15日に調印=に対する期待だ。

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「養子の日」のイベントで講演するサヘル・ローズさん

 まずサヘルさんの生い立ち。2008年に出版されたサヘルさんの自叙伝「戦場から女優へ」や多彩な女優・タレント活動をめぐるWeb上の関連記事などで「知る人ぞ知る」話のようだが、関連記事で本人が「もしかしたら、これは作り話じゃないの、と思われる方がいるかもしれない」と語っているように、初めて聞いた筆者には驚きであり衝撃であった。

▼母となる女性との奇跡の出会い

 当日の本人のスピーチなどを基に再現すると、サヘルさんの「これまで」は概略、以下のようになる。

 イラン・イラク戦争さなかの1989年、サヘルさんが住んでいたイラク国境近くの村はイラク軍の空爆を受け、土を塗り固めて乾燥させただけの生家は全壊、一緒に住んでいた両親と11人の兄姉は全員死亡し、瓦礫の下で奇跡的に生き延びたサヘルさんは爆撃から4日後、テヘランから駆け付けた救助隊に救出された。

瓦礫の中から、わずかにのぞくサヘルさんの小さな手に気付いたのが、救助隊にボランティアとして参加していたテヘラン大学生フローラ・ジャスミンさん、後にサヘルさんの母となる女性だった。4歳で孤児院へ。当時の名はナイゲス。孤児院では週1回、孤児たちが、きれいな服を着て一列に並び、大人の面接を受けた。「養子にするための一種のオーディション。皆がライバルで、取り残されるとペットショップで売れ残った心境だった」(サヘルさん)。

3年間、引き取り手がなかったが、7歳の時、孤児院のテレビコマーシャルに出演する機会があり、これを見たフローラさんがサヘルさんに気付き孤児院に。フローラさんに向かって「お母さん」と呼ぶサヘルさんを見て、引き取る決意を固めた。しかしフローラさんの実家は身分が高く「家柄に傷がつく」と勘当され、苦難の生活が始まる。

婚約者が日本にいたことからフローラさんは8歳になったサヘルさんを連れ日本に。しかし婚約者との生活は程なく破たんし二人は一時期ホームレスの生活も。赤貧の生活の中で試食コーナーの食べ歩き、サヘルさんは入学先の埼玉県の小学校でいじめも体験した。

見かねた小学校の給食担当の女性が食事の提供やアパートを紹介し、フローラさんもイラン人が経営するペルシャ絨毯の会社に職を得て苦しいながらも次第に生活も安定、サヘルさんも都立高校に進み、タレントとしてラジオやテレビでの活躍の場を広げた。

空爆で一人取り残されたサヘルさんに生年月日や本名の記憶はなく、「サヘル・ローズ」はフローラさんの命名、アラビア語で「砂漠のバラ」といった意味という。イランでは子供の引き取りを認める条件の一つに「子どもを産めない」の1項があり、フローラさんがサヘルさんの引き取りに当たり闇の病院で “子供を産めない体”になったことをサヘルさんは18歳になって初めて知る。

「私がいなかったら母は普通の結婚をして家族を持っただろう。母の人生を台無しにした」、「彼女のお陰で私の今がある」、「母と出会って夢を持つことができた」―講演のスピーチでもサヘルさんの口から「母」に対する感謝の言葉が何回も出た。

 当のフローラさんはその後、両親との関係も修復し、年に一度はイランにも帰国、「多くの人が助けてくれた日本で最期を迎えたい」とも語っているという。サヘルさんの夢はイランでの児童養護施設「サヘルの家」の建設とオスカー賞を受賞して母に手渡すことだという。

▼“お帰り”と言ってくれる人がいる幸せ

 一方、SIBは2010年に英国で開発され、民間投資を活用して社会課題に取り組み、一定の成果が挙がれば行政が投資家に利子を付けて事業費を償還する仕組み。現在、米国やカナダ、オーストラリア、韓国などで取り組まれているが、歴史が浅く、具体的な成果の報告例はまだないようだ。尽きるところ、民の活力を利用して良質なサービスを実現する一方で、国や自治体の負担の軽減を図る手法と理解する。

今回は日本財団が資金を提供し、養子縁組に取り組む一般社団法人が来春までに計4件の特別養子縁組の実現を目指す。現実にSIBの手法でこうした問題の解決が可能か、実験的に取り組むのが狙い。広く軌道に乗れば、「公」の財政が悪化する中、社会課題の新しい解決法になると期待する。

優良な投資家と事業の実施主体となる団体の確保がカギとなろうが、特に後者は近年、日本でも確実に活動団体が増えている。特別養子縁組に限って言えば、日本では乳児院と社会養護施設で3万人を超す子供が暮らし、一方で養子縁組を求める夫婦が1万組も存在する。

乳児院や児童養護施設の職員が日々、努力しているのは理解するが、子供が「母」の元で暮らすのが何よりも幸せであるのは言うまでもない。ましてサヘルさんが生まれた中東では複雑な政治情勢の中、サヘルさんと同様、あるいはそれ以上に過酷な運命に翻弄されている子供たちが多数いる。

 サヘルさんは「家に帰った時“お帰り”と言ってくれる母がいる幸せ」との表現で母の存在の大きさを語っている。サヘルさんの夢の実現とともに、特別養子縁組の分野でも、SIBの手法が確実に成果を上げる日を期待したい。(了)
フィリピン残留2世 国籍問題 [2015年03月29日(Sun)]
何故、国は動かないのか!
戦後70年、時間との戦い


何故、解決に向け国が動かないのか、理解し難い戦後処理問題のひとつにフィリピン残留2世の国籍問題がある。新聞、雑誌も含め、これまで何度か書いてきたが、3月30日には「日本・フィリピン友好議員連盟」(小坂憲次会長)が親族対面で来日中の残留2世から話を聞く場も設けられている。あらためて国に前向きの対応を求めたい。

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(チェリーさんの身元判明の手掛かりとなった両親の結婚写真。父親の戸籍にチェリーさんの名はなく、日本国籍取得には就籍手続きが必要となる)

残留2世の国籍問題は、慰安婦問題や南京事件のように“真実”をめぐる争いがあるわけではなく、2世が本来的に日本国籍を持つのもはっきりしている。しかし父親の日本戸籍に2世の名前が登載されているような場合を除き、日本国籍を取得できるのは、家庭裁判所に新たに戸籍をつくる「就籍」の審判を申し立て、これが認められた場合に限られる。仮に父親の身元が判明しても、審判では親子関係を裏付ける客観的証拠がなければ認められない。

フィリピン政府と協議を

戦後、現地に取り残された2世と母は「敵国人の妻」、「敵国人の子」として時にゲリラの襲撃目標にもなり、逃亡生活の中で夫婦関係や親子関係を裏付ける結婚証明書や出生証明書を自ら捨て去ってきた経過もある。戦後半世紀以上も“忘れ去られた存在”であった2世たちに戦後70年を経た現在、新しい証拠の提出を求めるのは無理の強制にほかならない。

参考となる解決法として、敗戦の混乱の中で同様に現地に取り残された「中国残留孤児」のケースがある。政府は日中国交回復の高まりを受けた1974年、孤児問題の早期解決に向け中国政府と口上書を交わすとともに「中国残留邦人支援法」などを整備、就籍の申し立てを受けた家庭裁判所も中国政府が作成した孤児名簿に登載された孤児の就籍に前向きに取り組み、既に1300人余の孤児が日本国籍を取得している。

残留2世の場合も近年、フィリピン政府が現地日系人会の調査などを通じ父親が日本人と確認された2世について「認証証書」を発行している。残留2世に関しても支援法を整備するなり、政府がフィリピン政府と協議して認証証書を活用し就籍を加速させる方法が当然、検討される必要がある。

国が何故、そこに踏み込まないのか。一部には中国残留孤児と残留2世の違いを指摘する向きもある。前者が満蒙開拓団など国策によって旧満州地域(中国東北部)に渡った両親ともに日本人の子供であるのに対し、後者は自由意志でフィリピンに移住した日本人男性と現地女性の間にできた子供であり、同列には論じられないというわけだ。

しかし、ともに戦争が生んだ悲劇であり、当時、日本、フィリピンとも国籍法は父系主義を採っており、父親が日本人である以上、その子は当然、日本国籍を持つ。フィリピンは7000を超す島からなり実態把握が遅れたといった面もあるようだが、外務省が最初の調査に乗り出したのは1993年、既に終戦から48年も経ており、当然、資料も散逸し記憶も風化している。

▼3500人の名簿

国籍取得を支援する「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」(PNLSC)の最新の調査結果によると、これまでに残留2世と確認されたのは3545人。既に1599人は死亡しており、生存は809人、残る1137人の生死は不明で現在も調査中だ。

2664人の身元が判明しているが、881人が未判明。父親の戸籍に名前があった2世や東京家裁で就籍が認められた147人を含め計1058人が日本国籍を取得、2283人は父親の名前などが分かったものの戸籍に本人の名前はなく国籍は得られていない。残る204人は父親が日本人と判っているが、その手掛かりは得られていないという。

こうした状況からPNLSCでは当面、身元が判明しながら裏付け証拠がなく国籍が取得できていない917人と身元が全く分からない282人の調査を急ぐ必要があるとしている。しかし、このうちの140人とは連絡が取れていないのが現状で、全体的な情報不足が問題解決を遅らせてきた一因でもある。

加えて残留2世はフィリピン国籍も持たず無国籍状態。フィリピンでの生活は「非正規滞在」に当たり、日本国籍を取得できた場合は、それに対する罰金という新たな問題も発生する。こうした問題は国が前面に立ち、両政府間で解決するしかない。

3545人に関してはPNLSCが現地日系人会の協力などを得て「名簿」作成を進めている。日比両政府が中国残留孤児と同様、「名簿」登載者を残留2世と認め、その上で訪日調査など肉親探しを進めれば、問題解決も前進する。

この度、熊本市の親族と対面したチェリー・トゴウ(都甲)・ラフォルスさんは75歳。戦後70年を迎え残留2世は老境にあり、「日本人の証」を求める彼らの願いは時間との戦いになっている。

これまで2世の国籍回復は、PNLSCとこれを支援する日本財団を中心に民間で進められてきた。しかし、「民の力」には限りがある。問題の性質からも、国が前向きに取り組まない限り、2世たちの生存中の解決は難しいし、そうした理屈は誰が見ても明らかだ。仮に正面から取り組むことができないのなら、少なくとも、その理由は公的にも明らかにされなければならない。(了)


”薄幸”の女性と川端康成 [2015年02月26日(Thu)]
笹川良一との少年時代
ハンセン病がつなぐ不思議な運命

 東京都内で1月末に開催された講演会「文芸で見るハンセン病」を傍聴して気になっていたことがある。「川端康成に支えられた作家」のサブタイトルが付された講演会は、自身のハンセン病体験を基に「いのちの初夜」を書いた北條民雄とノーベル文学賞作家川端康成の関係がメーンテーマとなった。

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1月30日に開催された「文芸で見るハンセン病」パンフ

北條は「いのちの初夜」が雑誌「文学界」に発表された翌年(1937年)、24歳で夭逝するが、川端は文学界への発表だけでなく、北條の死後も全集の出版に奔走し、ノンフィクション「火花」で北條の生涯を描いた作家高山文彦氏は、川端の姿を「異常なまでの尽力」と表現した。

話はやや外れるが、川端康成と日本船舶振興会(現・日本財団)初代会長の笹川良一は大阪府三島郡豊川村(現在は箕面市と茨木市に分村合併)の尋常高等小学校の同級生だった。工藤美代子氏の「悪名の棺 笹川良一伝」(幻冬舎)などによると、川端は1899年、大阪府大阪市北区此花町に生まれた。2歳の時に開業医だった父・栄吉、3歳の時に母・ゲンが亡くなり、祖父・三八郎と祖母・カネとともに原籍地の大阪府三島郡豊川村に移り1906年、豊川尋常高等小学校(現・茨木市立豊川小学校)に入学した。

 笹川家は豊川村の西に位置する小野原、川端家は東の宿久庄にあり、「両家の距離は約1里で、ほぼ中間に小学校があるという位置関係」(「悪名の棺」)だったが、良一の父・鶴吉と三八郎が碁敵として親交があり、笹川良一と川端康成も頻繁に行き来し、川端が旧制茨木中学校(現大阪府立茨木高校)を卒業するまで親しい関係が続いたようだ。

 ここで登場するのが笹川良一とハンセン病との出会い。3男の笹川陽平・日本財団会長は著書で以下のように記している。
「父は、生家の近くに住む、ある美しい娘さんに思いを寄せていた。父の初恋だったようだ。その娘さんがある日とつぜん、失踪してしまった。噂によれば、『ハンセン病にかかった』というのが失踪の理由であった」、「このことに、若き日の父は大きな衝撃と同時に、怒りを覚えたようだ。・・こうして、青年だった父の胸に『いつか、きっとハンセン病をやっつけてやる』という決心が生まれた」(幻冬舎「残心」)。

「父の子供時代、家の近くにライの患者がいる家がありました。その家には美しい娘さんがいましたが、好きな人と結婚できず、悲嘆にくれて行方不明になりました。それを見て父は、『大きくなったらライをやっつけなくてはならない』と決心したのです」(「知恵ある者は知恵で躓く」クレスト社)。

 「父の子供時代」というのが何歳の時で、当時「美しい娘さん」がどの程度の歳か、同じ話が記載されている他の著作を見てもはっきりしないが、「好きな人と結婚できず」の記述からも10歳ぐらいは歳上で、笹川良一が抱いていたのは「初恋」というより、美しい年上の女性に対する「憧れ」に近い想いだったのではないか。

 一方「美しい娘さん」と川端康成の関係は一切触れられていない。しかし川端康成と笹川良一との交遊や狭い地域社会を考えれば、川端もこの女性の存在を知っていたと考えるのが自然だ。川端康成は両親に続いて小学校時代に祖母、姉を亡くし、15歳の時には祖父三八郎も亡くなり“孤児”となった。

「ひよわで感受性の強い子どもだった」(佐藤誠三郎著「笹川良一研究」・中央公論社)川端康成が孤独な日々の中で美しい娘さんの“薄幸”に傷つき、その後も永く“悲しい思い出”として記憶の中に持ち続けたのではないか。

 川端康成は北條民雄の他にも多くの若手作家を育てており、一連の「尽力」はもちろん北條の才能にほれ込んだのが一番のきっかけであろう。しかし高山氏が言うように異常なまでの支援の裏には、そんな関係もあったような気がしてならない。

 となると「美しい娘さん」は、一方で笹川良一を世界のハンセン病の制圧に走らせ、他方で川端康成を通じハンセン病作家・北條民雄を大成させたことになり、3者の関係に不思議な運命さえ感じる。

 笹川良一と川端康成は高等小学校卒業後、別々の道を歩み離れ離なれとなるが、戦後、交流を復活、「残心」には「(二人の間で)ハンセン病に関することや、・・ひょっとしたら、なつかしい故郷の話とともに、とつぜん行方不明となった父の初恋の女性のことも話題になったであろう」と記されている。

 「美しい娘さん」に対する川端康成の思いはあくまで筆者の想像である。しかし十分にあり得た話と考えている。(了)
ハンセン病差別を思う [2015年01月31日(Sat)]
今や“多くの病気の中のひとつ”
ハンセン病 差別を後世の教訓に


 「世界ハンセン病の日」(1月最終日曜日・25日)に合わせ、国際シンポジウムや写真展、街頭キャンペーンなど多彩な催しが展開された。今回は偏見・差別の撤廃を訴える10回目のグローバル・アピールが東京で発表されたこともあって国内の関心も高く、天皇、皇后両陛下も28日、アピール宣言式典に出席した内外の回復者を御所に招き懇談されるなど異例の対応をされた。

▼両陛下、回復者とご懇談

 進行すると末梢神経や皮膚が冒され、手足の指や顔面が変形するハンセン病は有史以来、「業病」などとして恐れられてきた。しかし1980年代、3つの薬を併用する新しい治療法(MDT)が開発されたことで、「不治の病」から「治る病気」となり、世界で約1600万人の患者が回復、現在の患者数は20万人前後と推定されている。日本では全国13カ所の国立療養所で1750人前後の回復者が暮らすが、新たな患者の報告例はないようだ。

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       立ハンセン病療養所、大島青松園(香川県)=「世界ハンセン病の日」関連企画、
       富永夏子写真展「ハンセン病を考えることは人間を考えること」から。「あの島か
       ら出ることが許されないとしたら、あなたはどうしますか?」のコメントを付し、
       偏見・差別の実態を問い掛けている。

 早期に発見すれば完全に治癒し、その限りでハンセン病は今や「多くの病気の中のひとつ」に過ぎない。にもかかわらず、回復後も「元患者」として引き続き差別続くところにハンセン病の特殊性があり、患者が最も多いインドでは回復者やその家族が結婚や教育、就職などで依然、深刻な差別を受けている。

 ハンセン病は長い時間をかけて症状が進行し、指や顔に変形をもたらし、視力を奪う。MDTの開発まで有効な治療法はなく、有史以来、染み付いた恐怖に加え、近世、各国が採った隔離政策が余計、偏見を加速した。明治時代に隔離政策が始まった日本は大正初期にハンセン病患者への優生手術、いわゆる断種も始まり、昭和に入っても「無らい県運動」の名の下、人口中絶の対象にハンセン病を明記した優生保護法が成立するなど、1996年に「らい予防法」が廃止されるまで徹底した根絶策がとられた。

 「治る病気」、「多くの病気の中のひとつ」となった現在も深刻な差別が続く現状は、人類が引き継いできた「負の遺産」の根深さを示す。ハンセン病に対する偏見・差別は、社会のあらゆるところに存在する偏見・差別の原点でもある。患者・回復者が受けてきた悲惨な歴史は、あらゆる差別をなくすための教訓として人々に共有され、後世に引き継がれた時、ようやく意義を持つ。

 式典関連のシンポジウムでも「悲惨な歴史は人類が持つ偏見をなくすための財産」、「ウネスコの世界記憶遺産として広く後世に伝えるべきだ」といった声が出席者から出された。その通りだと思う。未知の病気は今後も必ず登場し、治療法が確立しなければ人類はパニックに陥り、新たな差別を生む。最近のエボラ熱騒ぎも、そのひとつであろう。何千年にも及んだハンセン病差別から、人類が学ぶべき教訓は多い。

 それにしても両陛下の手厚いご対応は関係者にも驚きだったようだ。両陛下はこれまでも全国立療養所を訪問されるなどハンセン病に強い関心を持たれ、世界ハンセン病の日に先立つ13日には、WHO(世界保健機関)のハンセン病制圧大使を務め、今回のグローバル・アピール宣言式典を主催した笹川陽平日本財団会長から直接、ハンセン病の現状などについて、ご進講を受けられた。

 28日には国内や米国、フィリッピン、インドネシアなどから式典に出席した内外の回復者8人を御所に招かれ、一人ひとりと握手し、励ましの言葉を掛けられた。全員が「前向きに生きていく力をいただいた」、「自分の国では有り得ない事態」などと感動を語り、インドのハンセン病回復者協会(APAL)のヴァガヴァタリ・ナルサッパ会長は「これまで家族からも社会からも手を握られることはなかった。両陛下から握手してもらった瞬間、すべての痛みが消えた」と感激の表情を浮かべた。

 筆者は記者時代も皇室を担当した経験はなく、近年の皇室情勢にも疎い。しかし今回は、皇室が持つ重みとでもいうのだろうか、形容しがたい存在感を垣間見る思いがした。(了)

江戸の香り [2014年12月26日(Fri)]
全国に意義が共有されてこそ!
勢いづく江戸城天主再建


 江戸城天守再建を目指す動きが2020年の東京五輪開催決定で勢いづいている。アドバイザーをしている日本財団の笹川陽平会長が4年ほど前、産経新聞の「正論」で同じ提案をした経過があり、筆者も本ブログでロマンあふれる計画として歓迎する意見を述べたことがある。

そんな経過もあって今月、東京都内で開かれた会合で認定NPO法人「江戸城天守を再建する会」の太田資暁会長と同席する機会があり、建設の意義を広く全国で共有するためにも、「観光大国を目指す日本の新しいシンボル」のほかに「新しい時代を切り開く伝統技術の集大成」を前面に押し出し、完成目標も2020年にこだわることなく“東京五輪後の新しい国家目標“とするのは如何か、個人の意見としてお伝えした。

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江戸城天主再建について語る太田資暁会長
(12月20日、都内で開催された「探見」読者望年会で)

世界の大都市には英国のバッキンガム宮殿、パリのルーブル美術館、北京の紫禁城など国のシンボルとなる歴史的建造物があり、ベルリンでも第2次大戦中の空爆で廃墟となった王宮の復元工事が始まっている。江戸城天守閣が再建されれば日本を代表する観光資源になるのは間違いない。

 しかし日本は今、1000兆円を超す借金に伴う国家財政の悪化、世界に先駆けた超高齢化社会への移行に伴う医療・社会保障費の急増、少子化による人口減少といった難問を抱え、ともすれば国全体が内向き、縮み思考にある。

とりわけ地域社会崩壊の危機に直面する地方からはかねて「公共投資やインフラ整備が首都圏に偏重している」といった不満が出ており、江戸城天守閣の再建に対しても “またしても東京か”といった反発が出かねない。国のシンボルとするには、地方もその利益を実感できる何かが必要だ。

再建する会の構想では、3代将軍家光が1638年に完成させた5層6階の「寛永度天守」を木造で忠実に再現するとしている。戦後、各地に再建された鉄筋コンクリート造りの城の劣化が問題となる中、法隆寺など伝統建造物を見るまでもなく、木造建築の耐用年数が鉄筋より優れているのは間違いないようで、この選択は正しい。

東日本大震災で深刻な被害が出た各地の神社仏閣の修復で明らかになったように伝統建築の技術を伝える匠は急速に減っており、天守閣再建となれば全国から専門家が集まり、結果的に最高の技術が集約される。外壁から内装までさまざまな工芸技術も当然、保存対象となる。

資源枯渇時代を迎え、社会は均質な商品の大量生産から個性を持った商品が尊重される時代に移る。高度な日本の伝統技術は間違いなく新しい時代を支える力となる。江戸城天守閣の再建は未来を切り拓く意味を持ち、その利益は全国に及ぶ。観光のシンボルとしての価値も上がり、国際的な学術会議の格好な場所にもなる。楽天的といわれるかもしれないが、江戸城再建にそんな夢を託している。

このほか天守閣建設が予定される皇居東御苑の台座(天守台)の大きさや歴史文化財としての扱い、皇居西ノ丸との位置関係、木造建築について3階建てまでしか認めていない建築基準法との調整など課題は多い。特に1657年の明暦の大火で寛永度天守が焼失した後、加賀藩が修復したとされる現在の台座は高さ11b、東西41b、南北45bの大きさで、城の設計図ともいえる建地割図に「高さ14b」と記述されていることなどから「この上に果たして45bの巨城が建てられるのか」といった声もある。

多くの専門家が研究されており、そうした議論を通じて天守閣再建に対する関心が一層、高まるよう期待する。再建する会では「建設費350億円、東京五輪開催に合わせ完成」を目標とされているようだが、伝統文化の集大成として完成させるには恐らく1000億円は掛かる。趣旨からいって建設費は浄財(寄付)で賄われるべきで、完成目標ももう少し遅らせ「東 京五輪後の新しい国民の目標」と位置付ける選択肢もあるのではないか。

国際社会は今、世界に先駆けて超高齢化社会が深化する日本がどのような新しい社会をつくるか注目している。江戸城天守閣の再建は、運びように行っては新しい時代の社会モデルを担う一つとなるような気さえしている。(了)

冷え込む日中関係の中で [2014年11月28日(Fri)]
冷静で多様な意見こそ将来の財産
冷え込む日中関係の陰で


 中国・北京のアジア太平洋経済協力会議(APEC)で実現した安倍晋三首相と習近平国家主席の初の首脳会談で習国家主席が見せた不愛想な表情がひとしきり話題となった。日本国民は不快感を覚え、国際社会も慣行を無視した会議主催国の態度に「?」を付けた。

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団体戦で優勝した洛陽外国語学院チーム

 二人の相性が悪かった可能性もあるが、安倍首相を「危険な軍国主義者」などと批判して会談を拒否してきた習国家主席としては、「気が進まないが会談」であることを最大限、国民向けに演出する必要があったのだろう。

各種調査で「嫌中」、「反日」ばかりが目立ち極限まで冷え込んだ日中関係も、尽きるところは、こうした政治の現実が集積した結果であろう。しかし言論NPOが9月に公表した日中共同世論調査結果で日本人の8割、中国人の7割は現状を「望ましくない」、「改善が必要」と指摘した。政治とは別に冷静な意見が存在するのも間違いのない現実である。

▼盛り上がる高倉健さん追悼
 
11月下旬、北京を訪れ、俳優・高倉健さんの訃報に対する異例とも言える追悼報道や22、23の両日、北京大学で開催された日本知識クイズ大会での日本に対する中国の若者の強い関心を見るにつけ、あらためてそんな思いを強くした。
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2日間にわたって予選、決勝を行った

 高倉さんの訃報は11月18日、国営テレビが速報し、テレビが追悼番組を組んだほか、10ページ近い大特集を組んだ新聞もあり、中国版ツイッターには「友情を持って中国に接した」、「神様のような男性だった」などの書き込みが溢れ、中国外交部の報道官も記者会見で「日中の文化交流に重要な貢献をした」と死を悼んだ。

 1970年代に大ヒットした高倉さん主演の「君よ憤怒の河を渡れ」は文化大革命後、中国で初めて公開された外国映画。高倉さんは改革開放初期世代のアイドル的存在となり、当時、この映画を見た人は「女性にとっても男性にとっても理想の人物像だった」と語り、APやAFPの北京電もこうした中国の反応を驚きを持って伝えた。

▼日本知識大会に89大学参加

 一方、クイズ大会は1999年から中国の大学への日本図書寄贈プロジャクトに取り組んでいる「日本科学協会」(大島美恵子会長)が中国青年報社などの協賛を得て各大学と共催しており正式名称は笹川杯全国大学日本知識大会。10回目に当たる今回は、これまで最多の89大学が参加、日本の歴史や地理、文化、芸能など幅広い分野の知識を争った。

 日本の森林率や皇族の選挙権など難問が多く、図書寄贈プロジェクトで最多の36万冊の寄贈を受け、5000人が日本語を学ぶ旧満州・遼寧省の大連外国語大学では、学内にクイズ大会に備えた研究会もある。学生にとって日本知識を身に付けることは、大連に進出している日本企業に就職する近道でもあるようだ。

 大会を見学した韓国・延世大学の金基正、金世振両教授も「韓国でこうした大会を実施するのは難しい」としながらも、“知日家”を育てるには「Good Ideaだ」と企画に関心を示した。会場の学生からも「政治とは別に若い世代で民間交流を進めたい」、「小さい時からアニメを通じて日本に親しみを持っている」、「友好こそ互いの国の利益になる」など前向きの声が多く聞かれた。

 中国には全体で約2300を超す4年制以上の本科大学と3年制以下の専科大学があり、506大学に日本語学科が設けられており、24万人が日本語を専攻する。専門学校や課外活動も含めると日本語を学ぶ若者は世界でも断トツの約68万人に上る。

 現在の大学生は1990年代に強化された反日愛国教育の影響を色濃く受ける。国と国の関係が政治・外交の大きな影響を受けるのは、どの時代も同じで、グローバル化がその動きを加速している。

そうした中で両国関係を冷静に見つめる多様な意見、もちろん日本にもそうした目線を持った若者は多数いる。こうした“財産”をじっくり育てていく以外、両国の友好に道を拓く方法はないのではないかー。北京を訪れ、そんな思いを強くした。(了)
産経前支局長に起訴を想う [2014年10月15日(Wed)]
「日本だから起訴は許される」?
理解に苦しむソウル前支局長在宅起訴


 産経新聞の前ソウル支局長が同社のウェブサイトに掲載したコラムで朴槿恵・韓国大統領の名誉を毀損したとして10月8日、情報通信網法違反の罪でソウル中央地検から在宅起訴された。「報道の自由の侵害」とする国際社会の反発など、どう見ても失う部分が大きく、大統領や大統領府、さらには韓国の検察当局にどのような判断があったのか、理解に苦しむ。問題点は多岐にわたるが、この一点に絞り感想を述べたい。

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ススキの彼方に初冠雪した富士山がかすんで見えた(於:中央高速・双葉SA)

情報通信網法の内容を把握していないが、名誉棄損罪の扱いは日韓でかなり違うようだ。日本の場合は親告罪であり、本人の告訴がなければ公訴を提起できない。本人の意思と無関係に訴追した場合、本人の名誉が一層、傷つく事態が起こり得るのと、告訴の有無にかかわらず起訴可能となれば名誉棄損罪そのものが恣意的に運用される危険性が出てくるーなどを考慮した結果と思われる。

これに対し韓国では第3者の告発でも捜査・起訴は可能で、今回も市民団体の告発を受ける形で捜査が始まった。もちろん本人の意に反した起訴は難しく、朴大統領が「処罰を望まない」と意思表示すれば起訴はなかったと思われるが、結果を見れば、そうした事実はなかったことになる。

名誉棄損でまず問題となるのは記事の公益性。コラムは前支局長が、セウォル号転覆事故当日(4月16日)の朴槿恵大統領の“空白の7時間”について、朝鮮日報に掲載されたコラムを引用する形で日本の読者向けに日本語で書いた。

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安曇野の道の駅では見事な菊の鉢植えが店頭に並んでいた

大統領は国民投票で選ばれた公人であり、国のリーダーとして大きな権限を持つ。その判断・言動はその国の明日を左右し、その分、プライバシーも制約される。日本の新聞が、首相の動静を分刻みで掲載するのも、こうした判断だ。まして今回は大事故の当日、どのような経過で大統領に報告が上がり、それによって事態がどう動いたのか、大惨事を解明する焦点の一つであり、記事には当然、公益性がある。

加えて国際社会は近年、名誉棄損の処罰規定を規制・廃止する方向にある。起訴に踏み切れば内外から強い反発・批判が出ることは、大統領府や検察当局も十分、想定していたはずだ。しかし結果を見ると、この点をどう判断したのか、現在もはっきりしない。

「政治的案件であり、起訴するかどうかの判断は検察の手を離れた」、「韓国の検察当局が大統領のメンツを立てる政治的判断をした」といった一連の報道を見ると、起訴は大統領本人あるいは大統領府の強い意向と見るのが自然のようでもある。

この場合、日本新聞協会や日本ペンクラブ、日本政府、さらには国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)、韓国に取材拠点を多く「ソウル外信記者クラブ」の批判は当然、想定内として、国連や米国政府が「報道の自由を尊重する側に立つ」として韓国政府に批判的立場をとるのも冷静に考えれば予想できたはずだ。

表現・報道の自由は民主主義社会の基本的価値であり、もともと大統領の個人的名誉と同列に論ずる性格のものではないからだ。当の韓国国内からも「名誉棄損を免責する流れに逆行する」、「時代的錯誤による世論統制の試み」、「国際的恥辱」といった厳しい反応が出ている。これも、ある意味、予想の範囲内だったと思う。

韓国には「大統領に対する冒涜」を「大統領を選んだ国民に対する冒涜」と捉える意見があると聞く。確かに自国のリーダーが外国から悪く言われるのは気分がいいものではない。しかし、そうした考えは結局、政権に対する国内批判の封じ込めを正当化する危険性を持つ。

日韓関係は冷え込む中、前支局長起訴の背後に「相手が日本だから許される」といった読みがあったとすれば、日韓双方にとってこれ以上の “不幸”はない。そろそろ冷静に話し合う時ではないかー。あらためて、そんな思いを強くする。(了)
揺れる朝日 誤報の取り消しと撤回 [2014年09月15日(Mon)]
やはり重い朝日の責任

訂正の遅れ―世論の分裂と右傾化招く


8月5、6日の慰安婦報道検証記事の掲載以降、激しい批判にさらされていた朝日新聞社が9月11日、新たに福島原発事故に関連して政府事故調査・検証委員会が故吉田昌郎・第一原発所長に対し行った聴取結果書(吉田調書)に関する記事も撤回し、木村伊量社長が謝罪した。メディアは普段、社会の問題点を指摘し、私人、公人、法人を問わず厳しく批判する。しかし逆に受け身になった場合は、極めて弱い。それは筆者が在籍した共同通信をはじめマスコミ各社に間違いなく共通する。それにしても今回の“朝日の混乱”は度を越しているのではないかー。

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20数年振りのソウルの街並みは大きく変わっていた

双方の記事の問題点はともかく、一連の流れを見て際立つのは、一貫性のなさというか、振幅の大きさだ。慰安婦報道の検証では「慰安婦を強制連行した」とする故吉田清治氏の証言(以下、吉田証言)を取り消したが、この証言が韓国による日本攻撃を加速させ、日本が世界の批判を招くきっかけとなったのは間違いない。20年以上放置し、「虚偽」であったとして関係記事16本を取り消すとしながら、具体的にどの記事か明らかにせず、謝罪も釈明もしないのでは通らない。

強い批判が当然、予想され、事前にあらゆる事態を想定し、可能な限り備えるのがリスクマネージメントのイロハであり、朝日の関係者は当然そんなことは知っている。そうでなくとも過去の報道を取り消すのは、自らに“死を宣言”するに等しく、関係者内部で激しい議論が戦わされたはずである。しかし、検証記事を掲載した8月5、6両日から、しばらくの対応を見ていると、そうした気配は不思議なほど感じられない。

検証作業は事の性格上、「少数のトップグループ」により進められたと想像され、遅すぎたとはいえ、検証実施・公表を決めた木村社長の決断は評価されていい。しかし週刊誌の広告掲載拒否、批判記事を載せた他紙や雑誌への抗議、池上彰氏の連載コラム「新聞ななめ読み」の掲載見送りなど当初の強気の対応と、一転して抗議取り下げ、謝罪、コラム掲載と続いたその後の対応は、あまりに振幅が大きすぎる。内部に大きな意見割れがあったことをうかがわせる。

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いつの間にかベランダには秋の花が

世論の反発を過小に評価していた可能性もある。撤回された吉田調書に関する「誤報」も、かつて英紙タイムズが「フクシマの50人」としてメルトダウンに立ち向かう勇気と責任感が讃えた原発所員が、「9割が命令に違反して撤退した」との誤報されたことで一転して「恥ずべき物語」(英紙タイムズ)、「日本版セウォル号」(ソウル新聞)と非難される結果となった。「朝日は日本を貶めた」とする批判と怒りが噴出したのは自然の成り行きと言っていい。

個人的な感想を言えば、一連の誤報の背景には、朝日の恣意というより、民主国家の報道原則である「客観報道」、「権力を監視・チェックするのがメディアの役割」といった気負い、さらには先の大戦の反省から、戦争や軍隊だけでなく、ともすれば「国益」といった言葉や「戦前」をすべて否定的にとらえる戦後マスコミの風潮もあるようにも思う。

客観報道を例にとれば、読者に客観的事実を提供し、その是非、さらには何が真実なのか、最終的な判断を読者に委ねるのを原則とする。しかし事件や事故、政局、外交にしろ、今回のような報告書にしろ、膨大な事実・データのうち、どの部分を中心に伝えるか、その選択は記者の判断で行われる。客観報道というものの現実には主観が記事を大きく左右する。

撤回された吉田調書の報道では、記者に反原発の意識が多分にあり、これが調書の読み取りを狂わせた可能性もあるが、記事に盛り込む事実を選択する過程で、記者には記事をより面白く、見出しを少しでも大きくしたい、という意識が働く。それが“優秀な記者”の尺度にもなっている。

乱暴に言えば同じ事案について結論・イメージが正反対の記事を作るのも可能で、仮に「記事に問題あり」とされた場合も、数字や固有名詞など明らかな事実に反する場合は別として、メディアが容易に訂正に応じないのも、こうした点にある。訂正は当然、「真実の報道」を看板に掲げるメディアの信用低下にもつながる。まして今回のような記事の取り消し、撤回は“自らの死”を招く恐れすらある。この辺りにも朝日の対応が遅れた一因があり、半面、朝日のような事態に落ち込む危険性は、どの社にも内在している。

最後に記事内容に関し、ひと言。慰安婦問題に関し朝日は吉田証言取り消し後も「慰安婦問題は消すことのできない歴史的事実」としている。個人的にその点は異存がない。しかし、朝日が吉田証言を取り上げ、長期間、放置したことで、本来どの戦争でも存在したであろう慰安婦問題が、こと日本に関する限り、国の関与という際立った悪質性を帯びることになり、慰安婦像が建設される結果にもなっている。

筆者はもともと慰安婦問題が戦争に伴う「女性の悲劇」、「女性の人権に対する侵害」である以上、それを防ぐためには戦争を防止するしかなく、先の大戦を起こし、平和憲法を持つ日本には、その先頭に立つ責任と資格がある、と考えてきた。しかし朝日の慰安婦報道により議論が「国の関与」の有無に特化され、これを巡る対立がともすれば世論の分裂、右傾化を引き起こし、本来あるべき議論が片隅に追いやられる結果になったのは残念でならない。その意味でも吉田証言の取り消しを長く怠った朝日の責任はやはり重いと言わざるを得ない。(了)
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