• もっと見る

2012年02月18日

典型



今年の冬は、本当に典型的な冬でした。

でしたって、まだ冬の最中ですけどホントに寒かった−20℃を下回った日が何日あったか5,6日ではきかないくらいあった。

おかげで家はなんども排水管が凍って氷解に大変でした。

でも、氷が解けて貫通したときの爽快感はありますけどね。


達成感!!


これは、なんとも言えない。

寒い冬の副産物。



また、今年の冬は気温だけじゃなく雪も多かったなぁ。

家の屋根にはまだ5.60センチ雪が積もって屋根裏の梁がしなってひびがはいってる。

家は大丈夫かな!!



それでも、まだ、この辺の雪は可愛いもンですか。

テレビのニュースで見たけど新潟なんかの豪雪地帯は雪の重みで家が潰れたりしてますもんね。



お気の毒です。。。



あれに比べれば、まだ、家なんか・・・。



二月も半ばを過ぎてもう少しの辛抱ですね。

やれやれ・・・。




高村光太郎詩集。


「典型」

今日も愚直な雪がふり

小屋はつんぼのように黙りこむ。

小屋にいるのは一つの典型。

一つの愚劣の典型だ。

三代を貫く特殊国の

特殊の倫理に鍛えられて、

内に反逆の鷲の翼を抱きながら

いたましい強引の爪をといで

みずから風切の自力をへし折り

六十年の鉄の網に蓋われて、

端坐粛服。

まことをつくして唯一の倫理に生きた

降りやまぬ雪のように愚直な生きもの。

今放たれて翼を伸ばし、

かなしいおのれの真実を見て、

三列の羽さへ失い、

服に暗録の盲点をちらつかせ、

四方の壁の崩れた廃墟に

それでも静かに息をして

ただ前方の広漠に向かうという

そういう一つの愚劣の典型。

典型を容れる山の小屋、

小屋を埋める愚直な雪、

雪はふらねばならぬように降り、

一切をかぶせて降りにふる。



精神力の逞しさ。

わたしは、見習いたいです。。。

2012年02月17日

ダイエット報告2


きょんさんコメントありがとうゴザイマス。

えのき氷よさそうですね。

メニューに加えてみようかな。



しばらくお会いしていないですものね。お子さんも大分大きくなったんじゃないですか?

また、いつかお会いしたいですね。

芝居も観て下さい。



ロングブレスは身体に力を入れて行なうので男性向きかも知れません。

今のところ楽しくやってます。

次の報告は月末。

76kgが目標です。






2012年02月15日

ダイエット報告。

  



ロングブレスと腹筋腕立て・・・


たべ物は、


豆腐。キムチ。納豆。千切り野菜。

最近の夕食。

炭水化物は昼の弁当で少しのご飯を食べる。

あっ、朝は五枚切りの食パン一枚。

マーガリンとイチゴジャムは結構たっぷりつけます。

こんな感じで2週間。



現在の体重。

77.3kg

マイナス1.7kg

おかげ様で順調です。

2012年02月13日

ノートルダムのせむし男





「ノートルダムのせむし男」

ビクトル・ユーゴー


舞台は荒んだ15世紀のパリ。教会の持つ権限が、弾圧と排除を生み出す時代の物語。

ノートルダム大聖堂の前に、一人の醜い赤ん坊が捨てられていた。彼は大聖堂の副司教、フロロ(Frollo)に拾われ、カジモド(Quasimodo)という名をもらう。彼は成長し、ノートルダムの鐘つきとなる。

パリにやって来た美しいジプシーの踊り子エスメラルダ(Esmeralda)に、聖職者であるフロロは心を奪われる。欲情に悩み、ついにはカジモドを使ってエスメラルダを誘拐しようとする。

しかしカジモドは捕らえられ、エスメラルダは衛兵フェビュス(Phoebus)に恋するようになる。フェビュスとエスメラルダの仲は深まるが、実はフェビュスは婚約者がいる不実な男だった。

捕らえられたカジモドは広場でさらし者になるが、ただ一人エスメラルダだけは彼をかばう。カジモドは人間の優しさを生まれて初めて知り、彼女に恋をする。フロロも彼女に想いを募らせるが、エスメラルダの心はフェビュスにある。フロロは逢引をするふたりをつけて行き、フェビュスを刺して逃げる。エスメラルダはフェビュス殺害未遂の濡れ衣を着せられ、魔女裁判の元に死刑が言い渡される。

カジモドはエスメラルダを救いノートルダム大聖堂にかくまう。しかし、エスメラルダはカジモドのあまりの醜さにまともに顔を見ることすらできなかった。

フロロはパリの暴動の矛先をノートルダム大聖堂に向けさせ、混乱の中エスメラルダを連れ出し、助命と引き換えに愛人になるよう迫るが、彼女はフェビュスを刺したフロロを拒んだ。フロロは彼女を衛兵に引き渡し、エスメラルダは兵士達に捕まり、処刑される。

大聖堂の塔の上からそれを見届けるフロロを、カジモドは塔から突き落として殺す。

数年後、処刑場を掘り起こすと、白い服装をしていた女性エスメラルダと思われる白骨に、異様な骨格の男の白骨が寄り添っており、それらを引き離そうとすると、砕けて粉になってしまった。



高村光太郎詩集


「雨にうたるるカテドラル」


おう又吹きつのるあめかぜ。

外套の襟を立てて横しぶきのこの雨にぬれながら、

あなたを見上げているのはわたくしです。

毎日一度はきっとここへ来るわたくしです。

あの日本人です。

けさ、

夜明方から急にあれだした恐ろしい嵐が、

今巴里の果てから果てを吹きまくっています。

わたくしにはまだこの土地の方角が分かりません。

イイルドフランスに荒れ狂っているこの嵐の顔がどっちを向いているかさへ知りません。

ただわたくしは今日も此処に立って、

ノートルダム ド パリのカテドラル、

あなたを見上げたいばかりにぬれて来ました。

あなたにさわりたいばかりに、

あなたの石のはだに人知れず接吻したいばかりに。


おう又吹きつのるあめかぜ。

もう朝のカフェの時刻だのに

さっきポンヌフから見れば、

セエヌ河の船は皆子犬のように川べりに繋がれたままです。

秋の色にかがやく河岸の並木のやさしいプラタンの葉は、

鷹に追われた頬白の群れのよう、

きらきらぱらぱら飛びまよっています。

あなたのうしろのマロニエは、

ひろげた枝のあたまをもまれるたびに

むく鳥いろの葉を空に舞い上げます。

逆に吹きおろす雨のしぶきでそれがまた

矢のように広場の敷石につきあたって砕けます。

流れる銀の水と金茶焦げ茶の木の葉の小島とで一ぱいです。

そして毛穴にひびく土砂降りの音です。

何かの吼える音きしむ音です。

人間が声をひそめると

巴里中の人間以外のものが一斉に声を合わせて叫び出しました。

外套に金色のプラタンの葉を浴びながら

わたくしはその中に立っています。

嵐は私の国日本でもこのようです。

ただ聳え立つあなたの姿を見ないだけです。


おうノオトルダム、ノオトルダム、

岩のような山のような鷲のようなうずくまる獅子のようなカテドラル、

こう気の中の暗礁

巴里の角柱、

目つぶしの雨のつぶてに密封され、

平手打ちの風の息吹をまともにうけて

おう眼の前に聳え立つノオトルダム ド パリ。

あなたを見上げているのはわたくしです。

あの日本人です。

わたくしの心は今あなたを見て身震いします。

あなたのこの悲壮劇に似た姿を目にして、

はるか遠くの国から来たわかものの胸はいっぱいです。

何の故かまるで知らず心の高鳴りは

空中の叫喚に声を合わせてただおののくばかりに響きます。

おう又吹きつのるあめかぜ。

出来ることならあなたの存在を吹き消して

もとの虚空に返そうとするかのようなこの天然四元のたけりよう。

けぶって燐光を発する雨の乱立つ。

あなたのいただきを班らにかすめて飛ぶ雲の鱗。

鐘楼の柱一本でもへし折ろうと執念くからみつく旋風のあふり。

薔薇窓のダンテルにぶつけ、はじけ、ながれ、羽ばたく無数の小さな光ったエルフ。

しぶきの間に見えかくれるあの高い建築べりのガルグェイユのばけものだけが、

飛びかわすエルフの群れを引きうけて、

前足を上げ首をのばし、

歯をむき出して燃える噴水の息をふきかけています。

不思議な石の聖徒の幾列は異様な手つきをして互いにうなづき、

横手の巨大なアルブウタンはいつもながらの二の腕を見せています。

その斜めに弧線をえがく幾本かの腕に

おう何というあめかぜの集中。

ミサの日のオルグのとどろきをそこに聞きます。

あのほそく高い尖塔の先の鶏はどうしているでしょう。

はためく水の幔幕が今は四方を張りつめました。

その中にあなたは立つ。


おう又ふきつのるあめかぜ。

その中で

八世紀間の重みにがっしりと立つカテドラル。

昔の信ある人々の手で一つづつ積まれ刻まれた幾億の石のかたまり。

真理と誠実との永遠への大足場。

あなたはただ黙って立つ、

吹きあてる嵐の力をぢっと受けて立つ。

あなたは天然の力の強さを知っている、

しかも大地のゆるがぬ限りあめかぜの跳梁に身をまかせる心の落ち着きを持っている。

おう錆びた、雨にかがやく灰色と鉄色の石のはだ、

それにさわるわたくしの手は

まるでエスメラルダの白い手の甲にふれたかのよう。

そのエスメラルダにつながる怪物

嵐をよろこぶせむしのクワジモトがそこらのくりかたの陰に潜んでいます。

あの醜いむくろに盛られた正義の魂、

堅靭な力、

傷つくる者、打つ者、非を行なおうとする者、軽蔑する者

ましてけちな人の口の端を黙って背にうけ

おのれを微塵にして神につかえる、

おうあの怪物をあなたこそ生んだのです。

せむしでない、奇怪でない、もっと明るいもっと日常のクワジモトが、

あなたの荘厳なしかもおおいかばう母の愛に満ちたやさしい胸に育まれて、

あれからどのくらい生まれたことでしょう。

おう雨にうたるるカテドラル。

息をついて吹きつのるあめかぜの急調に

俄然とおろした一瞬の指揮棒、

天空のすべての楽器は混乱して

今そのまわりに旋回するラン乱舞曲。

おうかかる時黙り返って聳え立つカテドラル、

嵐になやむ巴里の家々をじっと見守るカテドラル、

今此処で、

あなたの角石に両手をあてて熱い頬を

あなたのはだにぴったり寄せかけている者をぶしつけとお思い下さいますな。

酔える者なるわたくしです。

あの日本人です。





意志の力。。。






2012年02月10日

まさに・・・。



最近またブログを書き始めて朝パソコンに向かう時間がおおくなったなぁ・・・。

うん。

思い当たる節もある。

書くことは素人だけど、でもたかがブログにしても書くには書くなりの衝動が必要だ。

自分にもその衝動があったのだ。

そして、まだその衝動の余韻が残っているのだ。


今日も書こう。。。



高村光太郎詩集。「へんな貧」という詩。

この詩は自分の生活と妙にリンクする。

読んでいるとなるほど分かる分かる。

で、ある。


「へんな貧」

この男の貧はへんな貧だ。

有る時は第一等の料理をくらい。

無い時は菜っ葉に芋粥。

取れるうではありながらさっぱり取れず、

勉強すればするほど仕事はのび、

人はあきれて構いつけない。

物を欲しいとも思わないが

物の方でも来るのをいやがる。

中ほどといううまいたづきを

生まれつきの業がさせない。

妻なく子なきがらんどうの家に

つもるのは塵と埃と木っ端ばかり。

袖は破れ下駄は割れ、

ひとり水をのんで寒風に立つ。

それでも自分を貧とは思えず、

第一等と最下等とをちゃんぽんに

念珠のように離さない。

何だかゆたかな有りがたいものが

そこら中に待っているようで

この世の深さと美しさとを

身に余る思いでむさぼり見る。

この世に幸も不幸もなく、

ただ前方へ進むのみだ。

天があり地面があり、

風があり水があり、

そうして太陽は毎朝出る。

この男のへんな貧を

この男も不思議におもう。

2012年02月08日

白熊

高村光太郎詩集

「白熊」

ザラメノような雪の残っている吹きさらしブロンクス、パアクに、

彼は日本人(ジャップ)らしい唖のような顔をして

せっかくの日曜を白熊の檻の前にたっている。

白熊も黙って時々彼を見る。

白熊という奴はのろのろとしているかと思うと

雹として飛び、身を震はして氷を砕き、水を浴びる。


岩で出来た洞穴に鋭いつららがさがり

そいつがプリズム色にひかって

彼の頭に憤怒に似た爽快な旋回率絶えず奏でる。

七ドルの給料から部屋代を払ってしまって、

鷲のついた音のする金が少しばかりポケットに残っている。

彼はポケットにてをいれたまま黙りこくって立っている。


二匹の大きな白熊は水から出て、

北極の地平を思わせる一文字の背中に波打たせながら、

音もさせずに凍ったコンクリートの上を歩き回る。


真っ正直な平たい額とうすくれないの貪欲な唇と、

すばらしい腕力を匿した白鎧鎧の四肢胴体と

そうして小さな異邦人的な燐火の眼と。


彼は柵にもたれて寒風に耳をうたれ。

しょう条たる魂の氷原に

故知らぬたのしい壮烈の心を燃やす。

白熊という奴はついに人に馴れず。

内に凄まじい本能の十字架を負わされて、

ニューヨークの郊外にひとり北洋の息吹をふく。


教養主義的温情のいやしさは彼の周囲に満ちる。

息のつまる程ありがたいキリスト教的唯物主義は

夢みる者なる一日本人(ジャップ)を殺そうとする。


白熊も黙って時々彼を見る。

一週間目に初めてオウライの声を聞かず。

彼も沈黙に洗われて膨大な白熊の前に立ち尽くす。




入塾して二年目。

私達富良野塾はニューヨークで舞台公演を行いました。

確かに、連れて行ってもらった。

ニューヨークに。

倉本先生の意志の力だった、のだろう。

どういう経緯でニューヨークに行けたのか?

当時塾生だった私にその経緯をしるよしもないが。

とにかく、私達はニューヨークのオフオフブロードウェイと呼ばれる場所で、

ラ、ママシアターという劇場で、

「今日、悲別で」を上演した。

私も、ブロードウェイを歩き、五番街を歩いた。

現役の塾生の時に。

一種の奇跡でしょ・・・。


あれから20年。

夏。

「明日、悲別で」


また、そろそろ奇跡が起きるのかもしれないぞ。

2012年02月07日

根付の国



この国はどこへ行くんですかね。。。

わたしは、この先どうなるんですかね。。。

半世紀を生きて、最近は考える事が少し変わってってきた。



高村光太郎詩集。


「根付の国」


放骨が出て、唇が厚くて、眼が三角で、名人三五郎の彫った根付の様な顔をして

魂を抜かれたようにぽかんとして

自分を知らない、こせこせした

命のやすい

見栄坊な

小さく固まって納まり返った

猿のような、狐のような、ももんがあのような、だぼはぜのような、めだかのような、

鬼瓦のような、茶碗のかけらのような日本人。





どうあがいても俺も茶碗のかけらのような日本人なんだよなぁ・・・・・。


ちっきしょう!!!

2012年02月04日

always三丁目の夕日‘64見て来ました。

  



映画見るのは何ヶ月ぶりかな。

嫁さんと2人で。

旭川のシネプレックス。

実は、50歳オーバーで夫婦でいくと映画がシニア料金。

いやーっ・・・。

「always三丁目の夕日‘64」

良かった!

泣けました!!

掘北真希ちゃんの役がまた六子って言って

鈴木オート役の堤真一さんが、劇中 「ロク!」「ロク!!」「おいロク!!!」って呼ぶんです。

なんだか自分が呼ばれてるみたいで。。。

六子は鈴木オート(車の修理工場)で働いている従業員でそこの社長さんが堤真一。

通称鈴木オート。

鈴木オートは六子を娘のように可愛がってる。

その奥さん役の薬師丸ひろ子さんが「ロクちゃんはね」って優しく呼ぶんです。

も〜う。

なんだか自分が・・・。

まっいいですけどそんなことは。

「殺すぞ!!!」

「ロクを幸せにしなかったら!!」

「俺がお前を殺すぞ!!」

結婚を申し込みに来た。

菊池役の森山未来に鈴木オートの堤真一が言うんですよ。。。

泣けた。

堤真一いいなぁーっぁ。。。

しかも、こういう映画で、何故か?

妖怪にも変身するし。

堤真一みたいな髪型にしようかなって、ちょっと思ってます。

他にも、泣き所、笑い所満載。

まだ見ていない方々のために、あとは見てのお楽しみ。


うん、面白かった。



帰りには、「丸亀製麺」本場の讃岐うどん食べて。

丸亀製麺が北海道に上陸してたのは知ってたんですが。

札幌だとばかり思ってまして。

まさか旭川に出来たとは、全然知らなくて。

見つけたときは、小躍りして喜びました。

実家のあった福山には二軒あったのでよーく食べに行ってたものですから。

香川で本場の讃岐うどん食べて以来たまらんですね!!

讃岐うどん。

釜揚げうどんの並と天ぷら2個。

これでもダイエット中なので控えめに。

とってもいい感じのOFでした。



しかし、堤真一はいいは。












2012年02月03日

こんな人が…。



マロースこぼれ話。


実は、マロース上演中にブログに載せようと写真撮っておいたンですが。


うっかり忘れてまして…。


マロースの舞台観られたかたは分かると思いますが?


森のバックの絵がありましたよね。


あの絵は、滝川の杉吉貢さんという絵師のかたの作品で、富良野塾17期生杉吉結の父親でもある方です。


照明の当たりぐわいで、ホントに深い森に見えるバック幕一面の大きな絵です。


真意は分かりませんが。


絵師の遊び心か、その大きな絵の中に手のひら程の大きさの写真の人がいるんですよ。


最初見たとき誰かに似てるなって思って、多分、皆さんもそう思ったンじゃないですか?


2008のニングルの舞台から使ってるみたいだから、僕が知らなかっただけかも知れませんが…。


まあ、ちょっとこぼれた話です。

2012年02月01日

「明日、悲別で」に向けて



ダイエット宣言。

2月1日現在。

体重79kg。

3ヶ月で9kg落とします。

「悲別で」ご先祖さまやれって、

「4倍速のスローモーション六できるか?」って倉本先生に言われて

「ハイできます」

と答えてしまったンですね。。。

ホントは出来ないかも???

だって、体重重いもん!?

もうこれは・・・!!!

体重落とすしか手はない。

一大決心です。

さあて、、、

9kg落とせるものでしょうか。

挫折するのか。

完遂できるのか。

決めたからにはやり抜くぞ。

自分でも、ちょっと楽しみであります。

途中経過適当に報告しますね。

乞うご期待。。。




今日は、まだ高村光太郎でいきます。

高村光太郎詩集


「生けるもの」


何事も戯れにして、何事も戯れならず

戯れならずと言はむにはあまりに幼し

戯れなりと言わば自ら悲し

我も生けるものなり

公園に散る新聞紙の如く

貧しく、あぢきなく、たよりなく

雨にうたるるまで

生けるものをして望むがままに生かしめよ