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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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万事塞翁が馬、だから今を懸命に生きる [2019年09月30日(Mon)]
Good or bad, hard to say.
人間万事塞翁が馬

To me, the story is not about looking on the bright side
or waiting to see how things turn out.
It's about how eager we can be to label a situation,
to put concrete around it by judging it.

But reality is much more fluid,
and good and bad are often incomplete stories that we tell ourselves.
The parable has been my warning
that by gripping tightly to the story of good or bad
,
I close down my ability to truly see a situation.
I learn more when I proceed and loosen my grip
and proceed openly with curiosity and wonder.


Heather Lanier; Good and bad are incomplete stories we tell ourselves

松下幸之助『道をひらく』より――
「心を通わす」
古人曰く、人生はあざなえる縄の如し。
まことにこの世の中、長い人の歩みのなかには、よいこともあればわるいこともある。
うれしいこともあれば悲しいこともある。
そして、よいと思ったことが実はわるくて、わるいと思ったことが実はよくて、
つまりはあれこれと思いまどうことは何もなくて、
はじめから素直に謙虚に歩んでおればそれでよかったと、
人の知恵の浅はかさに、いまさらのように胸打たれることがしばしばある


はじめからしまいまで徹底的にわるいということもなければ、
また徹底的によいということもないのである。
それでもなお人は、わるいと思うときには自分で自分の心を閉ざし、
よいと思うときにはまたおごりの心で人をへだてる。
心を閉ざし、人をへだて、心と心とが通い合わぬ姿からは、
おたがいに協力も助け合いも生まれてはこない。
心ひらかぬ孤独の人びとばかりになるであろう。

有為転変のこの世の中、よいときにもわるいときにも、
いかなるときにも素直に謙虚に、おたがいに心を通わし、
思いを相通じて、協力し合っていきたいものである。


「心配またよし」
何の心配もなく、何の憂いもなく、何の恐れもないということになれば、
この世の中はまことに安泰、きわめて結構なことであるが、
実際はそうは問屋が卸さない。人生つねに何かの心配があり、憂いがあり、恐れがある

しかし本当は、
それらのいわば人生の脅威ともいうべきものを懸命にそしてひたすらに乗り切って、
刻々と事なきを得てゆくというところに、人間としての大きな生きがいをおぼえ、
人生の深い味わいを感じるということが大事なのである。
この心がまえがなければ、この世の中はまことに呪わしく、
人生はただいたずらに暗黒ということになってしまう。

憂事に直面しても、これを恐れてはならない。しりごみしてはならない。
「心配またよし」である。
心配や憂いは新しくものを考え出す一つの転機ではないか、
そう思い直して、正々堂々とこれと取り組む。力をしぼる。知恵をしぼる。
するとそこから必ず、思いもかけぬ新しいものが生み出されてくるのである。
新しい道がひらけてくるのである。
まことに不思議なことだが、この不思議さがあればこそ、
人の世の味わいは限りもなく深いといえよう。


「人間万事塞翁が馬」
「禍福は糾える縄の如し」
―― だから、「今」を懸命にそして素直に正々堂々と生きるひらめき

Connecting the Dots.(点と点をつなげる)
将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。
できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々は
今やっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶと信じるしかない
(Steve Jobs, CEO of Apple Computer, on June 12, 2005)

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

「今日を完全に生きれば明日が見える」
 今日を懸命に生きる/稲盛和夫『心を高める、経営を伸ばす』

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「生死事大、光陰可惜、無常迅速、慎勿放逸」
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
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この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
横田慎太郎さんの引退試合&セレモニー [2019年09月29日(Sun)]
阪神タイガース24番、横田慎太郎さんが引退を決断されました。
s-IMG-5565.jpg(スポニチ/2019.9.22)

視覚障害者で全盲の小山さんとは、一緒に24番のユニフォームを着て走り、
そして朝イチでハッピーバースデイを歌って横田さんのお誕生日をお祝いしました。
IMG_0776.jpg(2018.6.9)去年のお誕生日

62100069_345778832798401_4535880601567232000_n.jpg
(2019.6.9)今年のお誕生日
同い年の小山さんと「2人合わせて124歳」から「24歳」へ、
124番から24番に復帰・復活を願って朝も早よからハッピーバースディるんるん
録画時間もピッタシ24秒です(^^)


朝7時に小山さんと梅田駅で待ち合わせて虎の聖地、鳴尾浜へ。
大安吉日、雲一つない青空の好天気晴れ
われらが横田慎太郎さんの引退そして新たな門出を祝うに相応しい素晴らしい一日でした。

いつもの通り、練習開始30分前に開門し、
9時から練習開始、いきなり「栄光の架け橋」でするんるん
全体練習の後、我らが横田さんはセンターの守備位置についてノックを受けた後、
ベンチ前でキャッチボール。その後、球場外に出てランニング練習。
再び球場に戻ってこられてバッティング練習。
もしや引退試合では守備だけでなく打撃も見られるかもと心密かに期待です。
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s-IMG-5604.jpg

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試合前の練習もいつも通り懸命に取り組み、
試合中の攻守交代では真っ先にベンチを出てチームメイトを迎え、
チームメイトが守備に向かう時も真っ先にベンチを出てキャッチボールの相手をする。
いつもながら見ていて清々しいです。

そして待ちに待った8回の表、平田監督が登場して守備交代を告げて
スコアボードに「一番センター横田」です。
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実のところ、試合開始前の練習ではコーチのノックはゆるゆるのフライかゴロだったので、
横田さんが外野の守備についた時は
ボールが飛んできてほしいような、飛んできてほしくないようなドキドキ気分。
けど、いきなりセンターの頭を超えた長打を追っかけて内野に返球する姿を見て、
次のバッターのセンター前ヒットでは「行け〜!」って心の中で叫びました。

脳腫瘍の闘病で1096日ぶりの公式戦だというのに見事なバックホーム。
セレモニー目当てで球場開門前から並んでバックネット裏の席に陣取ってたこともあり、
横田さんのバックホームのボールがまっすぐ飛び込んできて、
隣に座ってた小山さんに「やったよ!」と叫んで喜びを分かち合いました。

横田さんは「打球がきれいに見えず、練習なら一歩下がる打球なのに、前に出られた。
神様が背中を押してくれたとしか思えない。あきらめないでよかった」
と涙ぐんだそうですが、まぐれでも偶然でもない。
本当の奇跡や幸運は、懸命に努力を積み重ねてきた者だけに与えられるを実感です。

「幸運とは準備が機会に出会うこと」(オプラ・ウィンフリー)
Luck is a matter of preparation meeting opportunity.(Oprah Winfrey)


横田さんの見事なバックホームで逆転を阻止。その裏、タイガースが2点を奪って勝利。
個人的には、阪神の攻撃が8回で終わらないで9回の裏まで回れば、
横田さんがバッターボックスに入るチャンスあり、
そして横田さんの一打で阪神勝利なんて身勝手な物語を描きましたが、
横田さんの引退試合をチームの皆さんのおかげで勝利で喜びを分かち合い、
そして何より、横田さんも素晴らしい守備でチームの勝利に貢献できて大満足です。

試合後は引退セレモニー。
昨日の鳴尾浜は外野も解放されて多くの観客に見守られ、
そして一軍の矢野監督や主力選手も参加して行われました。
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ピッチャーマウンドとホームベースの間にマイクが立っているのに、
横田さんがセンターのポジションに向かって走って行くのでどこへ行くんやと思ったら、
4人のチームメイトが横田さんに近づいて騎馬になって横田さんを担いで登場。
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ユニフォームの背番号は124でなく、栄光の24番ですexclamation×2
スコアボードが2016年の開幕スタメンの高山、横田、ヘイグ、福留に変わっていたとは
気づきませんでした。騎馬を組んだのは中央が北條さん、両脇が高山さんと中谷さん、
そして後ろが梅野さんだったようです。

ホークスの選手たちも並んでホークスの二軍監督から花束、
タイガースからは同期入団の梅野さんから花束、そして矢野監督から花束、
さらにご両親やお姉さまから花束。
ご家族からの花束には横田さんも色んな事が思いだされて感極まったのでしょう。
花束を抱えたまま背を向けてしばらく立ち尽くされ、
こちらももらい泣き(というか、この日はずっと涙腺が弱かったかも)
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その後、監督やコーチ、選手、スタッフの皆さんによる胴上げ。
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一軍で華々しい活躍はできず、半年間の厳しい闘病を経て
この2年間は登録から外れて育成扱いだったのに、
チームの皆んなから愛された素晴らしい選手だったことを実感です。

そして、ずらっと並んだチームメイト一人ひとりと握手して
引退セレモニーは終わりました。
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セレモニー後、ご家族との記念撮影。
ご両親やご家族も色々と大変だったと思いますが、
今日の横田慎太郎さんを見て誇らしく思っておられることでしょう。
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ほんと素晴らしい一日でした。

引退セレモニーの後、球場に来られたファンの一人ひとりとハイタッチのお見送り。
球場にかけつけた多くのファンが並んだので、みんなハイタッチだけなのに、
小山さんは横田さんの黄金の左手で右肩をぽんぽんと軽くたたいていただきました。
もしかすると小山さんの白杖が横田さんの目に留まったのかもしれず、
横田さんの人間的魅力を感じました。
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ありがとう、横田慎太郎さん。縁あって横田さんと出会い、
明るい希望にあふれた時も、先の見えない苦しい時も、ずっと応援してきて幸せでした。

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太陽は 夜が明けるのを待って 昇るのではない
太陽が昇るから 夜が明けるのだ(東井義雄)

横田慎太郎はわれらが誇り、
今まさに横田慎太郎さんの夜明け。

神倉神社(新宮)2011.10.25

これからも楽しみです。引き続き、応援しまっせexclamation
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◆横田慎太郎選手引退セレモニーを実施/阪神タイガース(2019.9.27)
この記事の一番最後の写真、横田さんの笑顔が最高にすてきですぴかぴか(新しい)

阪神タイガース、逆転CS進出そして日本一に向かって、
チーム一丸で最後まで全力尽くして頑張れ
exclamation×2


この続きはまた明日四つ葉
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会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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横田慎太郎さん、ありがとう! [2019年09月23日(Mon)]
阪神タイガース24番、横田慎太郎さんが引退を決断されました。
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(スポニチ/2019.9.22)

ご本人の決断で、球団からの引退勧告ではありません。
阪大病院を退院して虎風荘に戻って2年、不屈不撓で懸命に頑張ってくれました。
自分自身が多くの人に支えられて生かされていることを励みに、
24番を取り戻して甲子園で再び大暴れするためにひたすら努力した2年間でした。
スポニチの記事にも少し書かれているように、体力や気力の問題ではなく、
脳腫瘍の診断を受けて手術する時から覚悟していたとはいえ残念です。

横田さんといえば高卒1年目のウエスタンリーグ公式戦(姫路)の1試合3本塁打ぴかぴか(新しい)
そして迎えた3年目のシーズン(2016年)はオープン戦で素晴らしい成績をあげ、
開幕一軍のスタメンを勝ち取りましたが、壁にぶつかって二軍落ちするも、
掛布二軍監督のもと不動の四番で育成。翌シーズンの活躍が期待されましたが、
2017年2月の沖縄キャンプを離脱。

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「闇と苦」 坂村真民
闇があるから
光がある
苦があるから
楽がある
闇を生かせ
苦を生かせ

再びユニフォームを着れる日が必ず来ることを信じて静かに待ち続けてきましたが、
いざ実現すると感無量でした。本当によかった。
イチからやり直しになったけど復帰復活を信じて応援してきました。
甲子園で大暴れの夢は叶わず残念ですが、ご本人が何より一番悔しくて無念なはずです。
なのに、引退会見の一問一答の素晴らしい対応は、
今回の試練によって横田さんが一段と成長されておられるのを感じます。

人生に無駄なことは何一つないを実感です。

この2年間、懸命に頑張ったものの、実戦復活はなりませんでしたが、
全体練習では、いつもチームの先頭に立っても元気な声を出して走っていたし、
別メニューの練習は汗まみれの泥だらけで取り組んでいました。
試合に出られなくても攻守交替の時はベンチから出てチームメイトを迎えたり、
外野とキャッチボールしたり、常に明るく清々しかったです。

色々とサポートいただいたタイガース球団には心から感謝です。
一軍では活躍できずこの2年間は育成扱いだったのに、
引退セレモニーや引退後のプランまで検討していただいているようですし、
昨日の甲子園では先発投手の望月さんが
横田さんの闘病復活後の登場曲「栄光の架け橋」でマウンドに登場するなど
チームの皆さんからも横田さんの引退を惜しんでいただいている。

横田さんが明るい希望にあふれた時も、先の見えない苦しい時も、
ずっと応援してきてファンの一人として心から幸せ、ご縁に感謝しかありません。

先日の丹後ウルトラ(9/15)では、
厳しい暑さに心折れてリタイアの誘惑に簡単に負けそうな私を完走に導いてくれたのは、
背負ったザックの左側ショルダーベルトの缶バッジでした。
「24番・不屈不撓」が100キロ14時間の道のりを支えてくれました。
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横田さんの公式戦初ホームランで封を切って飲み明かす予定だった焼酎は
横田さんの新しい門出の祝い酒でするんるん
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阪神タイガース、逆転CS進出そして日本一に向かって、
チーム一丸で最後まで全力尽くして頑張れ
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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
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この続きはまたいつか四つ葉
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70歳台でタイタン達成 [2019年09月20日(Fri)]
制限時間ギリギリとはいえ、丹後ウルトラマラソンを2年連続で完走を果たした後、
「8年後の70歳でTI-TAN(100キロの部を10回完走)達成」とデカい口を叩いてたら、
過去に70歳台でタイタン達成された方がおられたとの情報をいただきました。

自分の励みにさせていただきたいと大会事務局に問い合わせたところ、
過去の大会で当時76歳の方がタイタン達成されたことを教えていただきました。
お名前は教えていただけませんでしたが、その年のタイタン達成者と同じお名前の方が
同じ年に海外で開催されたフルマラソンで75+yearsの1位になっておられました。
おそらくこの方でしょう。

その方が76歳でタイタン達成されたタイムは、私の去年や今年の記録より格段に早い。
さらにビックリしたのは、72歳での記録がなんと12時間23分30秒。スゴイです。
今のままでは10年後の自分にこんなタイムは出せない。いや、完走すら厳しい。
制限時間ギリギリのゴールで浮かれているようでは話にならない。

ガツンと一撃に覚醒。これを励みに本気で自分と切磋琢磨です。

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』より――
個々のタイムも順位も、見かけも、人がどのように評価するかも、
すべてあくまで副次元的なことでしかない。
僕のようなランナーにとってまず重要なことは、
ひとつひとつのゴールを自分の脚で確実に走り抜けていくことだ。
尽くすべき力は尽くした、耐えるべきは耐えたと、自分なりに納得することである。
そこにある失敗や喜びから、
具体的な――どんなに些細なことでもいいから、なるたけ具体的な――教訓を
学び取っていく
ことである。
そして時間をかけ歳月をかけ、そのようなレースをひとつずつ積み上げていって、
最終的にどこか得心のいく場所に到達することである。
あるいは、たとえわずかでもそれらしき場所に接近することだ
(うん、おそらくこちらの方がより適切な表現であろう)。

走り終えて自分に誇り(あるいは誇りに似たもの)が持てるかどうか
それが長距離ランナーにとっての大事な基準になる。
同じことが仕事についても言える
自分の設定した基準に到達できているかいないかというのが
何よりも大事になってくるし、
それは簡単には言い訳のきかないことだ。
他人に対しては何とでも適当に説明できるだろう。
しかし自分自身の心をごまかすことはできない
モチベーションは自らの中に静かに確実に存在するものであって、
外部にかたちや基準を求めるべきではない。
村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、
間違いなく一生走れなくなってしまう。
走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、
走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。
僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」を
ひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。
暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。
村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

僕は走りながら、ただ走っている
村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
走る理由 [2019年09月19日(Thu)]
村上春樹さんの『走ることについて語るときに僕の語ること』を初めて読んだのは、
私にとって最初のレース、大阪マラソンのチャレンジラン8.8キロに挑戦した後でした。

スロージョギングと出会って、走れないと思っていた自分が走れることを知り、
半ば冷やかしでエントリーした大阪マラソンのチャレンジランに当選したのを機に、
毎朝、自宅近くの全長7キロのウォーキングコースを50分ほどかけて走るようになり、
そして挑んだ本番で完走を果たしてメダルを首にかけてもらい、
頑張った自分に誇りが持てて「自分で自分をほめたい」と思いました。
P1030218.jpg(2014.10.26)

そんな当時の私が共感した村上さんのメッセージを懐かしく思い出しながら、
村上春樹さんの『走ることについて語るときに僕の語ること』を再読しています。

以下、同書より――
世間にはときどき、日々走っている人に向かって
「そこまでして長生きをしたいかね」と嘲笑的に言う人がいる。
でも思うのだけれど、
長生きをしたいと思って走っている人は、実際にはそれほどいないのではないか。
むしろ「たとえ長く生きなくてもいいから、
少なくとも生きているうちは十全な人生を送りたい」と思って走っている人の方が、
数としてはずっと多いのではないかという気がする。
同じ十年でも、ぼんやりと生きる十年よりは、しっかりと目的を持って、
生き生きと生きる十年の方が当然のことながら遥かに好ましいし、
走ることは確実にそれを助けてくれる
と僕は考えている。
与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、
それがランニングというものの本質だし、それはまた
生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。
このような意見には、おそらく多くのランナーが賛同してくれるはずだ。

はい、賛同です。

僕は走りながら、ただ走っている
村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

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Miracle on the Tango(丹後の奇跡)続 [2019年09月18日(Wed)]
一昨々日の日曜日(9/15)、丹後ウルトラマラソンに参加し、
昨年に続いて今年も100キロに挑んできました。

今年の私の記録は13時間58分57秒、
制限時間14時間まで残りわずか1分3秒。ぎりぎりゴールで、
ランナーズアップデートの記録によると私の順位は951位でした。
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昨日(9/17)、大会の公式サイトに結果が公表されました。
男子100キロの完走率は54.32%でした(去年は56.5%)。

申込者1,887人(去年は1,977人)に対して
当日のレースに出走したのは1,758人(1,818人)で出走率は93.16%(91.96%)
そのうち完走者は955人(1,027人)、
完走率(完走者÷出走者)は54.32%でした(56.5%)。

今までなら、率(%)しか目に留まらないところですが、
今回は自分自身が制限時間ギリギリでゴールを果たしたこともあり、
「%」より、「個々の人」が他人事とは思えず、気になって確認しました。

私が13時間58分57秒で951位、
そして59分台に4名おられて完走者は955人。
その955位の次のタイムは14時間0分1秒、わずか1秒ですがDNFです。

この結果に至るには、14時間のレース中だけでなく、レースを迎える前夜を含めて、
身体のコンディションやメンタルなど色んな事情があったにせよ、
わずかに1秒足らずでDNFの結果は、本人にとって悔やんでも悔やみきれないはず
共に14時間を走り抜いて戦った一人として他人事とは思えず、残念です。

今年は暑さが厳しかったこともあって、
私と同等レベルでは碇高原の登り坂を走ってる人はほとんどいませんでした。
そこで、登りのロスを下りで挽回しようと思われた方が多かったのかもしれませんが、
私は去年、力もないのに駆け下りてダメージ残って苦しんだ経験あるので
今年は丁寧に下ったおかげで最後まで踏ん張れました。

その意味で、去年は後先考えずにがむしゃらに走っても最後に帳尻合わせられましたが、
今年は我慢くらべだったように思います。

同時に公表された年代別ランキングでは60歳代で47位。最下位ですが、
前日に配布された大会プログラムによると男子100キロの60歳代の申込者は159名で、
全体の出走率(出走者÷申込者)93.16%を乗じると148名になり、
そのうちの完走者が47名ということは完走率は31.76%で3人に1人です。

たらればの話ですが、もし目標にしていた13時間切りをクリアできてたら18位でした。
全体の出走率を乗じて算出した出走者148名に対して12.16%で8人に1人
でかい口を叩くのは簡単ですが、容易ならぬ目標と受け止めました。

去年は男子100キロに70歳代の申込者が16名おられましたが、今年はゼロ。
70歳で完走すれば年代別ランキングの1位でした。

TI-TAN(100キロの部を10回完走)達成者には黒い特別のゼッケンが用意され、
ゼッケン番号も別枠で、60歳代の完走者にも多くおられますが、
私が8年後の70歳でTI-TANになるのはかなり厳しいです。
けど、過去に70歳台でTI-TAN達成された方がおられたとの情報あり、
まだまだ可能性あるので健康や怪我に留意して挑戦する価値ありと心密かに無謀な野望。

今年の丹後ウルトラマラソン、90キロを過ぎてラスト10キロの走りは、
今年3月3日にサブ4を達成した篠山マラソンのラスト10キロを再現できたと自画自賛。
しかも距離は格段に長いし、気温も格段に高いので、自信になりました。

6月初めに左膝を痛めてから思うように練習できず、メンタル面も含めて不調が続いて、
神鍋ハーフ(6/16)、函館マラソン(7/7)に出走するも結果を残せず。
8月になって練習再開し、お盆休みからロング走に取り組んで本番を迎えました。

篠山マラソンのラスト10キロの再現で100キロ完走を果たして完全復活宣言ぴかぴか(新しい)
秋から冬のレースに向かって自分と切磋琢磨です。
-------------------
今シーズンも最終目標は、篠山マラソン(3/1)
この本命レースに向かって現在エントリー済みの年内のレースは、
・舞鶴赤れんがハーフ(10/14)
・あいの土山(11/3)
・大阪(12/1)
・加古川(12/22)

僕は日々走りながら、あるいはレースを積み重ねながら、
達成規準のバーを少しずつ高く上げ、それをクリアすることによって、
自分を高めていった。
少なくとも高めようと志し、そのために日々努めていた
僕はもちろんたいしたランナーではない。
走り手としてはきわめて平凡な――むしろ凡庸というべきだろう――レベルだ。
しかしそれはまったく重要な問題ではない。
昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、
それが何より重要なのだ。
長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、
それは過去の自分自身なのだから。

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

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Miracle on the Tango(丹後の奇跡) [2019年09月17日(Tue)]
一昨日の日曜日(9/15)、丹後ウルトラマラソンに参加し、
昨年に続いて今年も100キロに挑んできました。

結果の記録は13時間58分57秒で、
制限時間14時間まで残りわずか1分3秒。ぎりぎりゴールです。
s-20190915.jpg
ランナーズアップデートの記録によると私の順位は951位。

気温が30度を越える中での大会ということもあってか、
男子100キロの参加者が1,864名だったので
今年の完走率は50%をわずかに超える程度と思われます。
(去年の男子100キロの完走率は56.5%)

去年も記録は13時間53分42秒でしたが、制限時間に駆け込むランナーが団子状態で
大会MCのわかちゃんからゴールで名前を呼んでもらえませんでした。
けど、今年は制限時間内のゴールめざして走るランナーが少なかったこともあって、
ゴール前からわかちゃんに残り時間とともに私のゼッケンナンバーと名前のコールがあり、
そしてゴールでも再び名前を呼んでいただき、思わずガッツポーズでゴール。
最後まで力を振り絞れたし、ゴールを果たせて嬉しかったです。

一緒に参加した長居わーわーずのラン仲間も、私の帰りを待ってくれていましたが、
私のゼッケンナンバーと名前のコールに大声援をあげて出迎えてくれました。
去年に続いて今年もゴールが遅くなり、
みんなお疲れなのに大阪に戻るのが夜遅くなって申し訳なかったです。
でも、完走の喜びを仲間と分かちあえて本当によかった。ありがとうございます。

走る前は自分の制限時間を13時間に設定して、12時間台でのゴールを目指していました。
サッカー少年によるマッサージを3箇所すべて受けたロスタイムなど去年の反省点や、
この一年間それなりに走りこんだりレース経験を積んだことを考えると、
決して無謀な目標設定ではなかったはずなんですが・・・。

スタート後の10キロは七竜峠の登り下りも含めて予定通りのキロ6分半ペースで走れ、
久美浜までの次の10キロもトイレに並んだロスタイムを除けば6分半ペースを維持。
快調に走れていたのですが、太陽が昇って陽射しを感じ出すようになると
ペースが落ち出し(特に登り坂)、エイドでのロスタイムが増えてきました。

再び七竜峠から下る途中の42.195キロ通過の時計が9時41分29秒(5時間11分29秒)。
想定以上の遅れに気持ちを入れ直して前へ前へと進もうとするのですが、
暑さのダメージはきつく、そんなにきつくない登り坂もついつい歩いてしまう。

去年の初挑戦では走った距離より残っている距離を過剰に意識して
走るモチベーションを維持するのが大変でした。しかし、
昨日は暑さで身体はきつくてスピードは維持できなかったけど、
走っている間はゴールするまで前へ前への気持ちは途切れず維持できました。
最終的にはこれが完走の一番の要因だったかもです。

レース後半は制限時間との戦いでした。
54キロの第二関門の弥栄公民館は制限時刻の35分前に出発したのに、
72キロの第三関門の碇高原では制限時刻の25分前に到着。
碇高原へのハードな登りは多くのランナーが最初から歩き出し、
私も去年は早歩きできたのにペースが上がらず、
歩きながら暑さでふらふらしている人もおられました。

碇高原にたどり着いたものの余力ありませんでしたが、
リタイアのバスの誘惑を振り切って、シャツを着替えて次の関門を目指して下山。
体力的に関門通過は厳しいと思われましたが、
沿道の景色を楽しみながら走り続け、エイドも関門一つ手前はパスしてひたすら前へ。

時間との戦いの中で沿道の声援を力に
ようやく85キロの最終関門の白い建物が見えたのですが、
関門手前の信号で引っ掛かって残りわずか3分。
最後はダッシュして最終関門の制限時刻に間に合いました(16時25分)。

関門閉鎖後10分以内に出発しなければリタイアとみなすのアナウンスが流れる中を、
リタイアのバスの時刻表を眺めながら、エイド名物のつみれ汁をおかわり。
心は完全にリタイアでしたが、大会関係者から
「残り15キロを2時間、登り坂は一箇所だけだから」と言われ、
坂は一箇所どころじゃないのにと思いながらも
心を決めてゴールを目指して走り続けることにしました。

その後は残りの距離ではなく、残り時間との戦い。
90キロ地点で残り78分、キロ8分では間に合いません。
まだ登り坂が残っているし、信号もあるし、
ゴールは厳しいと思われましたが、諦め悪く、ただひたすら前へ。

90キロを過ぎたエイドでホースの水を頭からぶっ掛けてもらった後は
残るエイドに立ち寄らず、信号も青信号の点滅でくぐり抜け、
ゴールまで足を止めることなく走り続けました。

残り5キロ、4キロ、3キロ、制限時間までの残り時間と割り算しても
ゴールまで余裕のない状態は変わらず、足を止めたら終わりの崖っぷちでした。
残り1キロで初めてこれで間に合うと確信し、
最後の力を振り絞ってゴールに向かってダッシュ。
諦めが悪いのが性分とはいえ、最後まで諦めずに走ってよかったです。

TI-TAN(100キロの部を10回完走)まで残り8回。
70歳でTI-TAN認定は、まだまだはるか彼方の夢物語ですが、
去年より一歩近づけました。はい、来年も走ります。
来年はタイムを大幅に向上して同行の仲間を待たせる時間の短縮を目指します。
s-IMG-5548.jpg スタート1時間前のお月さま(満月)

Miracle on the Tango(丹後の奇跡)ぴかぴか(新しい)
あの暑さの中、リタイアの誘惑を振り切って制限時間ギリギリで完走。
私の走力では「奇跡」といっても過言ではないでしょう。

ランナーズアップデートの10キロごとのラップタイムを確認すると、
70キロの碇高原から一気に坂を駆け下りる70〜80キロより、
次の80〜90キロ、さらに90〜100キロへと
72キロ、85キロの関門のエイドでのロスタイムを考慮しても
10キロごとのラップタイムは速くなっていました。

それだけの余力が残っているなら、
出し惜しみせずに走れば最後に苦しまずに済んだのですが、
それは今後の課題として、今は最後まで諦めずに走った自分を褒めたいです。

リタイアの誘惑に負けなかったこと。
碇高原の関門(72キロ)を目指して力を振り絞っていた時には
関門に着いたらリタイアのバスでゴールに戻ろうと思ったのですが、
いざ碇高原の関門に着いてリフレッシュしていると
せっかくだからもう一つ先の関門まで行ってみようと再び走り出しました。

そして次の関門に向かう途中の坂を走れずに歩いて登っていたら(80キロあたり)
大会関係の車が私の横に停まって「乗りますか?」と声をかけられました。
とても走り続けられそうにないと思われたのでしょう。
「ありがとう、もう少し頑張ってみます」と返事し、
自らの気持ちを奮い立たせて再び走り出しました。

最終関門(85キロ)はギリギリ間に合いましたが、
エイドでつみれ汁をいただきながらお世話いただく方と楽しくおしゃべりし、
リタイアバスの時刻表を見て時刻を確認。心は完全にリタイアでした。
が、その一方で、なぜ自分は辛い思いをして走っているのか
ここでリタイアして本当に悔いないのか、といった気持ちが湧いてきて、
心を決めて再び走り出しました。

そこからはひたすら前へ、前へ
自分を信じて最後まで諦めない、諦めたらその時点で終わり。
立ち止まればリタイアの誘惑だらけ、立ち止まらずに前を向いて「ただ走る」。

私と同じように懸命に走るランナーに「まだ間に合います。頑張りましょう」と
何度か声をかけて一緒に走ることがあったのですが、
私はエイドに立ち寄っても水を頭にぶっかけたらさっさと出て行くのに、
けっこう長居される方が多かったです。おそらく間に合ってないでしょう。
長居は無用、前へ前への気持ちを奮い立たせるが大事だと思いました。

また、90キロを過ぎて坂を登りきった所に信号があったのですが、
坂を登りながら見上げる信号は青でした。
赤信号に変わると思えば、登り坂だし、走るのをやめて歩いて信号に向かうでしょう。
けど、そうすると信号ひとつだけ確実に時間が遅れます。
そこで、登り坂でしたが力を振り絞って懸命に走ったのですが、
坂を登りきったタイミングで青信号が点滅になり、信号で停まらずに通過し、
そのまま下り坂で呼吸を整えながら進んで行けました。

このようなことは「奇跡」というほど大げさなものではないかもしれないですが、
奇跡は起きるのではなく、自分を信じる力で起こすものであり、
だからといって、奇跡を起こすことを目標にはできないと実感しました。
奇跡は、(日々の練習も含めて)自分と切磋琢磨した結果の話です。
・決して諦めない
・自分を信じる
・心を決めたら立ち止まらず、ひたすら前を向いて、ただ走る

それとともに実感したのが、制限時間の有り難さ。
制限時間が設定されているから、残る力を振り絞ってゴールを目指せました。
もし制限時間が設定されていなければ、そんな無茶はしなかったでしょう。
ゴールの制限時間を過ぎても走り続けてゴールを目指すことも素晴らしいですが、
完走メダルを手にすると「制約は武器である」を実感です。

制約は見方を変えれば武器である
資源が制限されると、それでなんとかしなければならなくなる。
そこには無駄の余地はなく、創造性が求められる。
創造性を持つことで驚くべき結果を得られる
自らに制約を課すことで、
あいまいな形のサービスを生み出さないようにする。
『小さなチーム、大きな仕事〔完全版〕』

現状は「制約を受け入れてる」レベルですが、
今後は「自らに制約を課す」レベルに引き上げて自らを高める。

年齢は確実に毎年一つずつ増えていきます。
加齢に伴う体力の低下という制約を受け入れる一方で、自らに時間の制約を課し、
どうすればできるかを考えて実行です。

「苦しなったら顔あげて、奥歯折れるまでかみしめて、笑うんやで」
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(映画『ありがとう』DVDの裏面)
◆苦しなったら顔あげて、/2018.9.15
◆丹後ウルトラマラソン100キロ完走♪/2018.9.18

愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
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この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
常により高いものを目指して死力を尽くす [2019年09月14日(Sat)]
先日(9/4)、大阪で開かれたラグビーの清宮克幸さんの講演会に参加。

ワールドカップ開催で前執行部の続投が既定路線だったはずが、
大どんでん返しで一気に若返って清宮さんもラグビー協会の副会長に就任。
放送中のテレビドラマの「ノーサイドゲーム」や
息子の日本ハムファイターズの清宮幸太郎くんの話題もあり、
また、ご実家が松下幸之助さん創業の地の大開ということもあって、
興味ある話は尽きませんでしたが、そのなかでも特に印象に残ったのが
ラグビーのワールドカップが日本で開催される発端の話と、
清宮さんが業績悪化のリストラで廃部寸前だったヤマハ発動機の監督に就任し、
チームをどん底から日本一に改革する過程の話。
いずれも強烈なインパクトを受け、多くの気づきと学びを得ました。

ラグビーワールドカップが日本で開催される発端の話で登場するのは、奥克彦さんです。
1958年1月に宝塚で生まれ、県立伊丹高校で花園に出場し、早稲田の政経学部に進学。
早稲田でも2年までラグビー部に所属するも、外交官を目指すため退部。
その後、外交官になられてオックスフォード大学に留学し、
留学先のオックスフォード大学のラグビー部でレギュラーとして活躍。

私と年齢はわずかに一歳ちがい、育った場所も近くですが、
奥さんは勉強も運動もできて別世界の存在です。

その後も外交官として活躍されていましたが、
2003年にイラクでテロにあい銃撃されて殉職(45歳)。
オックスフォードに留学してラグビー部で活躍されたことや
2001年からイギリスの日本大使館に赴任されたことが
今回のラグビーワールドカップの日本開催につながったことを知りました。


清宮さんの講演後、奥克彦さんを偲ぶため、
清宮さんの『究極の勝利−アルティメット・クラッシュ』を読み直すとともに、
奥さんの評伝を買い求めて読みました。

松瀬 学『日本を想い、イラクを翔けた ラガー外交官・奥克彦の生涯』
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以下、同書より抜書き
2000年4月、早稲田ラグビー部の入部式での奥さんの講演より――
(…)
で、みんなにまず、この一年間かな、あるいはきょう一日でもいいですけど、
ぜひ守ってもらいたいことは、
いつもそのときの自分よりも上のものを目指す」ということです。
(…)
だから、いましかできないことに全力を尽くしてほしい
冒頭で言ったように、より高いものを求めてくれ
こういう目標っていうのは、立てるのは簡単なんだ
でも、なかなか実践のなかで活かされてこない
あるいはきょうやるパス、きょうやるキック、きょうやるタックル、
今日やるスクラムのなかになかなか活かされてこない。
(…)
より高いものを目指して死力を尽くす」。その気持ちだけは忘れないでほしい。
そうすると、技術的にもおのずといろんなことが考えられてくるんです。
(…)
最近、スクラムが弱いとか、ラックの集散が遅いとか
いろいろなこと言われていますけれども、重要なのは
結論としてどうかということじゃなくて、なぜできないのかということ

これはわかる人にしか、わからないところがあると思う。
それを突き止めて欲しい。
そのために、自分にできないようないろんな高度なプレイをたくさん見て欲しい。
同じ人間がやっているんだと考えれば、
そのやり方を習得する方法があるかもしれないし、
出来ないのには何か原因があるかもしれない。
そういうことを四六時中、考えてほしい
ちょっと技術的なことを言いましたけれど、そういうイメージを持ってほしい。
それを支えているのは、さらに高いものを目指して、
本当に全力を尽くしているかどうか
です。
(…)
今日伝えたかったのは、常に高いものを目指すということ。
常に高いものを目指すために死力を尽くすこと。
死力を尽くして結果が出るように、自分の頭で考えて研究すること。
(…)
自分は今日、ほんとうにこれ一点に絞ってやってやろうというのを決めて、
試合に出てほしい。おれが言いたいのは、受けを狙うとかじゃなくて、
そういう積み重ねによって「より高いもの」を目指して
いって、
世界の選手をやっつけてやろう」「こいつらと勝負してやろう」というところまで
持っていってくれ。今日はそういうことができるスタートの日だ。
がんばってください。

---------------------

森喜朗にとって、奥克彦は大事な男だった。
その思いを引き継ぐこともあって、
ワールドカップ日本招致委員会の会長を引き受けた。
日本ラグビー協会会長にも就任した。声が湿り気を帯びる。
ワールドカップを日本でやりたいといった奥くんの思いがあるんだよ。
 奥くんの気持ちを大事にしてお手伝いするのが天命なのだ。
 ワールドカップ、それは、ぼくらの、日本ラグビーの夢なんだ」

---------------------

早稲田ラグビーは2002年度、『アルティメット・クラッシュ』を精神的支柱として、
大学日本一へ駆け上り、13年ぶりの美酒を味わった。
監督の清宮は、今でも目を閉じると、奥克彦の野太い声がよみがえると言う。
いま、何をなすべきなのか」
「キヨしかできない、ワセダしかできないことは何なのか」
何のためにやっているのか」
いま、やらなければ、いつやるんだ」

---------------------

きのうよりきょう、きょうよりあすへと、常によりよきものを生み出していく。
松下幸之助『実践経営哲学』

愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
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まっちゃん、銀メダルおめでとう! [2019年09月09日(Mon)]
やりましたexclamation
カザフスタンのアティラウで開催された「IBSAアジア&オセアニア柔道選手権大会」、
100キロ級に出場した我らがまっちゃん、松本義和さんが銀メダルです(2019.9.7)

まっちゃん、おめでとうexclamation×2
よう頑張ったもんな、ほんまおめでとう!
見事です。我らが誇り、メチャ嬉しいです。おおきに、ありがとう!

松本さんは、2000年のシドニーパラリンピックの柔道100キロ級で銅メダル、
2004年のアテネパラリンピックでは日本選手団の旗手です。
そんなまっちゃんが、来年開催の東京パラリンピックに
アテネ以来16年ぶりの出場を目指しておられます。現在57歳、
東京パラ出場が叶えば58歳での出場です。がんばれ、まっちゃん!

悲願の東京パラ出場を果たすには、
世界大会に出場して勝ち進んでポイントを積上げる必要があり、
今回のIBSAアジア&オセアニア柔道選手権大会でも結果を出すことが求められました。

まっちゃんとは視覚障害者の伴走練習会「長居わーわーず」のご縁。
カザフスタンに出かける前に有志で壮行会をし、
そして、IBSAのYouTubeチャンネルでライブ配信の試合を応援です。

まっちゃんが出場する100キロ級はエントリーが5人だったため、
予選・敗者復活戦を勝ち残った者によるセミファイナル、ファイナルではなく、
総当たり戦で雌雄を決することになりました。
日本からはそれぞれのクラスに2人の選手がエントリーしていることもあり、
東京パラ出場のために負けられない戦いが続きます。

まっちゃんは、初戦で強敵のウズベキスタンのSharif Khalilovさんに負けましたが、
残り3試合を勝って3勝1敗で銀メダルです。
同じ100キロ級に出場した石川さんも2勝2敗で銅メダルです。

表彰式もIBSAのYouTubeチャンネルでライブ配信されました。
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銀メダルを手にしたまっちゃんが何度も手を上げて喜びあふれる姿を見ると、
懸命な努力が報われて本当によかったと思い、心から嬉しかったです。
まっちゃん、おめでとう!
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表彰台で銀メダルのまっちゃん、笑顔が最高ですぴかぴか(新しい)
IBSA JudoのFacebook投稿写真から

一年前にインドネシアで開催のアジアパラ2018では、
2000年シドニーパラ以来18年ぶりの世界大会でのメダル獲得で銅メダルでした。
一年後の今回は銀メダルです。ひらめき
悲願の東京パラ出場へ一歩も二歩も近づいたことでしょう。
東京パラリンピックの観戦チケットを申し込みました。
まっちゃんの東京パラ出場を期待して、
そして、来年はもう一つ違う色のメダルを期待して、

アスリートの多くは企業や学校などの組織に所属しておられますが、
まっちゃんの所属は自ら営むアイワ松本治療院で
スポンサーもサポートもなく自分がすべて。
そんな環境でも、決して不平や不満を言ったり、弱音を吐いたりすることなく、
自分と切磋琢磨して結果を出したまっちゃん、ほんと素晴らしいです。ぴかぴか(新しい)

昨年3月の篠山マラソンで私が無様なレース展開でお粗末な結果に終わった日に、
同じレースを走ったまっちゃんらと一緒に大阪に戻っての反省会で、
東京パラを目指すためのスポンサーやサポートについて話題も出たのですが、
言い出しっぺの私の力不足で何も形になってません。申し訳ないです。

カザフスタンでの試合の日、朝から神戸に出かけた帰り、
梅田の阪急百貨店で開催中の蔵元まつりに立ち寄って試飲し、旨い酒を見つけました。
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純米大吟醸「柔道 Judo」、姫路の灘菊酒造さんの輸出専用商品です。
s-IMG-5528.jpg s-IMG-5527.jpg

姫路といえば、日本チームがカザフスタンに行く前に強化合宿した所ですし、
2020年東京オリンピックのフランス柔道チームの事前合宿地です。

フランス柔道の父と呼ばれる川石酒造之助(みきのすけ)さんの生誕地ということで
姫路がフランスチームの事前合宿地に決定したようですが、
川石酒造之助さんは灘菊酒造の創業者の実弟で、1899年に姫路で生まれ、
早稲田大学を卒業後フランスに渡って柔道普及に生涯つとめられ、
フランスで亡くなられたとのこと。

世界を相手に正々堂々と戦うまっちゃんにぴったりのお酒、勝利の美酒に決定。
ラッピングのリボンはもちろんゴールド、金色でお願いしました。
まっちゃん、おめでとう! 旨い酒が銀メダルのお帰りを待ってるからね。

来年の東京パラ出場めざし、みんなで応援でするんるん
がんばれ、まっちゃん!

重要なことは、できないことではなく、できることである。(ドラッカー)


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会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
貪らず、愚直に、ただ点を打ち続ける [2019年09月04日(Wed)]
昨夜、2016年10月放送のNHK・アナザーストーリーズ運命の分岐点
知られざるスティーブ・ジョブズ〜伝説のスピーチの真実〜」の録画を見る。

Stay Hungry. Stay Foolish.
Steve Jobs, CEO of Apple Computer, on June 12, 2005.
「ハングリーであれ。愚か者であれ」スティーブ・ジョブズ
◆スピーチ全訳/日経新聞

『宝鏡三昧』より――
潜行密用 如愚如魯  潜行密用は、愚の如く魯の如し、
只能相続 名主中主  只能く相続するを、主中の主と名づく、
―― 愚か者のように、間抜けのように、ひたすら同じ事を続ける者こそ、

受け止めたメッセージは「愚直ひらめき
――「いつか点はつながる」と信じる
結果を求めず、ただ点を打つ
たた打つ、自分を信じて(覚悟)、点を打ち続ける
・なにごとがあっても、自分(信念)を失わず、己の内なる心の声に耳を傾ける
・自らの仕事を愛し、前に進み続ける
Stay Hungry. Stay Foolish.
貪らず(hungry)、簡素に(simple)、絞り込み(focus)、愚直に(foolih)
 ただ点を打ち続ける


自分たちの窮状を訴え、作品の売れない苦しさから、
「何とかして売る道がつかないものでしょうか」とお尋ねしたときだった。
私の作家生活において、生涯忘れることの出来ない言葉を聞いたのである。
諸君は、売れるようなものをお作りになるから売れない。
売れないものをお作りなさい。必ず売れます

目の洗われるような思いであった。
売れるようなものを作ろうとするのは、もうすでにものにとらわれた姿である。
何とかして売れるものをつくろうとすればするほど、心はくもる。
そんな世事世俗にまみれた心から、良い作品は生まれるはずがない
そういう「はからい」は捨てよ、そして捨てようとする意識さえも捨てきれ
――岡倉先生(岡倉天心)は、そこを突かれたのであろう。
大西良慶・平櫛田中『人間ざかりは百五歳』
s-P1030535.jpg
田中苑(岡山県井原市)2012.3.31

毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いわば同じことだ
ということを「葉隠」は主張している。
われわれはきょう死ぬと思って仕事をするとき、
その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない

現代に生きる「葉隠」/三島由紀夫『葉隠入門』

P1030315.jpg「生死事大、光陰可惜、無常迅速、慎勿放逸」
圓光寺(京都市左京区)2014.11.20

とかく、わたくしどもは、
結果を求めることばかり焦って、脚下がお留守になり、
今日のつとめを怠りがちでありますが、そこに失敗の原因があります

その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば、
未来の成功はおのずから席をあけて待っておるのであります。
「太閤さんの心がけ」/山田無文『白隠禅師坐禅和讃講話

平成19年(2007)9月29日に亡くなられたアシックス創業者の鬼塚喜八郎さん
同年11月22日付の日経新聞に掲載されたアシックス社の全面広告
ころんだら、起きればよい。鬼塚喜八郎「失敗の履歴書」
P1030451.jpg
(…)
何かを始めたらトコトンやらなければ気がすまなかった。
ムズカシイものから始めれば、あとは何でもできるが口癖だった。
だますより、だまされるほうがいい。人に愚直の見本と言われてきた。
面白みがないのは性分と居直ってきた。
なんでも食べ、どこでもよく寝て、くよくよしなかった。
まっ正直に生きてきた。走りに走りつづけてきた89年だった。
不器用な人だった。最後まで頑固な靴屋の親父だった。
周囲を幸せにして初めて自分も幸せになれる
会社を家族的運命共同体と呼んだ。
その家族の父が、2007年9月29日、突然、この世から消えた。(…)

P1010032.JPG
旧豊郷小学校(滋賀県豊郷町)2012.12.26

道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それがたとえ遠い道のように思えても、
休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる

「道」松下幸之助

愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
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きのうときょうは同じではない [2019年09月01日(Sun)]
松下幸之助「一日一話」より――
青い空に、ゆったりと白い雲が流れていく。
常日ごろ、あわただしさのままに、意識もしなかった雲の流れである。
速くおそく、大きく小さく、白く淡く、高く低く、
ひとときも同じ姿を保ってはいない
崩れるが如く崩れざるが如く、一瞬一瞬その形を変えて
青い空の中ほどを、さまざまに流れてゆく
これはまさに、人の心、人のさだめに似ている。
人の心は日に日に変わっていく
そして、人の境遇もまた、きのうときょうは同じではないのである。
喜びもよし、悲しみもまたよし、人の世は雲の流れの如し
そう思い定めれば、そこにまた人生の妙味も味わえるのではないだろうか
「人の世は雲の流れの如し」11月1日
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PHP友の会カレンダー(2019/9)

今日から9月。
思えば今から3ヶ月前の6月2日、徳島に出かけた時の朝ランで眉山に登った帰りに、
舗装された道でなく登山道を駆け下りたのがよくなかったのか、
それから左膝が痛んで屈伸もできませんでした。
そんな状態でレースに出ても、練習もしてないし、
何より走る前に気持ちで負けているので、結果は当然ダメでした。
ようやく先月から朝ラン復活。
怪我の功名というか、今までは何も考えずにただ走ってたのが、
走る姿勢や足の着地に気をつけたり、ストレッチもするようになったり、
ちょっぴり賢く練習するようになりました。
スピードはまだまだ遅いですが、走る楽しさ前向きな気持ちは復活です。
この3ヶ月の不調を乗り越え、3ヶ月後の大阪(12/1)、
さらに3ヶ月後の篠山(3/1)で再び奇跡を起こすぞ!なんて計らいは捨て、ただ走る。
行雲流水、人生の妙味を楽しむ。

あきらめろと言うのではない
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、
ともかくもこの道を休まず歩むことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられているかけがいのないこの道ではないか。

他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、
道はすこしもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。

それがたとえ遠い道のように思えても、
休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。

「道」松下幸之助

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