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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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★経営のための会計★
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困難が多いからこそ生きがいのある時代 [2017年10月11日(Wed)]
松下幸之助『思うまま』より――
「千載一遇の好機」
これまでの歴史の中で、困難な時代というのは幾度もあったろう。
しかし、ある意味では今日ほど、むずかしい、たいへんな時代はないのではなかろうか。
(…)
だから、今日に生きるわれわれは文字どおり一寸先はヤミとでもいう状態である。
平穏無事の世の中なら、安心してそれぞれの仕事に専心し、
自分の畑だけをたがやしていればそれでいい。
ところが、社会の姿がこのように流動し、変転きわまりなくては、
せっかくの自分の働きなり努力も十分な成果を生みえないかもしれないし、
その成果すらも一瞬にして無に帰しかねない。
考えてみれば、実に頼りないというか心もとない気がする。
こういう状況では、だれしも不安を感じ、動揺するのは一面当然すぎるほど当然である。

だが、しかし、ここで考え方を変えてみたい。
「こんな時代に生まれあわせたことはまことに幸せではないか」と。
困難であり、不安定な時代である。
それだけにこれと対決し、事をなしてゆくということは、非常にむずかしいけれども、
それはまた実におもしろい、やりがいのあることではないだろうか。
見方によっては、われわれはいま千載一隅の好機に恵まれている。
困難が多いからこそまことに生きがいのある時代なのだ。
そういうところに思いを定めて、
これに対処してゆくことが大切なのではないだろうか。

松下幸之助『道をひらく』より――
「困っても困らない」
ひろい世間である。長い人生である。
その世間、その人生には、
困難なこと、難儀なこと、苦しいこと、つらいこと、いろいろとある。
程度の差こそあれだれにでもある。自分だけではない。

そんなときに、どう考えるか、どう処置するか、
それによって、その人の幸不幸、飛躍か後退かがきまるといえる。
困ったことだ、どうしよう、どうしようもない、そう考え出せば、
心が次第にせまくなり、せっかくの出る知恵も出なくなる。
今まで楽々と考えておったことでも、
それがなかなか思いつかなくなってくるのである。
とどのつまりは、原因も責任もすべて他に転嫁して、
不満で心が暗くなり、不平でわが身を傷つける。

断じて行えば、鬼神でもこれを避けるという。
困難を困難とせず、思いを新たに、決意をかたく歩めば、
困難がかえって飛躍の土台石となる
のである。
要は考え方である。決意である。困っても困らないことである。

人間の心というものは、孫悟空の如意棒のように、まことに伸縮自在である。
その自在な心で、困難なときにこそ、
かえってみずからの夢を開拓するという力強い道を歩みたい。

天は自ら助くる者を助く
Heaven helps those who help themselves.

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今朝の鯉城(広島城)

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旧豊郷小学校
横や後ろを見ず、前を見て一歩一歩力強く進む足跡

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
過ちは繰り返さない [2017年10月10日(Tue)]
今朝の平和記念公園(広島)
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安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから

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この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
ただペダル踏む。四国遍路(2-4) [2017年10月09日(Mon)]
「同行二人」の四国巡礼の旅、私にとって二度目です。
前回は50歳を機に区切り打ちで歩き遍路を始め(2007年2月)、
翌年のお盆に結願しました(2008年8月)。
あれから10年、還暦を迎えて再び歩いてみようと...足跡
10/9(月)
前泊で広島に出張する機会にちょっと寄り道して松山へ
駅前でレンタサイクルをお借りして(2-2)の続き
IMG_8815.jpg(50番札所・繁多寺)

50番、51番(石手寺)とお参りした後、道後から宝巌寺へ...
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「色里や 十歩はなれて 秋の風」子規
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坂村真民さんのお墓にお参り
IMG_8828.jpg「念ずれば花ひらく」

IMG_8834.jpg(52番札所・太山寺)

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スーパージェット(松山〜呉〜広島)

(10/9)50〜51〜宝巌寺〜52

「苦しみつつなお働け、安住を求めるな、人生は巡礼である」
高倉健さんが著書『旅の途中で』に引用された
山本周五郎さんが深い感銘を受けたストリンドペリーの言葉

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
大阪マラソンまで7週間♪ [2017年10月08日(Sun)]
本日(10/8)の長居公園、銀杏の葉は色づいていますが、
朝から陽射しは厳しく夏を思わせる陽気晴れ
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久々に参加の長居わーわーずの練習会は、マラソンシーズンに向けて4時間走。
われらも1ヶ月後の淀川市民マラソン(11/5)に向けて、
キロ7分半のイーブンペースで走り続けて30キロ走破を目標にスタートしたものの、
途中でアクシデント発生。大事には至りませんでしたが、
ご一緒した皆さんにご心配やご迷惑をおかけしましたことを心からお詫びします。

予兆というか、前兆というか、後から思えば兆しはありました。
ガイドとしてその兆しに対する判断が甘かった。
いや、判断の適否の問題以前に、ガイドの使命や責任に対する認識が甘かったです。

本番のレースでの完走を目指して、その都度の目標を掲げて練習を積み重ね、
一歩一歩前に進めてそれなりの成果を得て喜びを感じていましたが、
前に進むことに心が向きすぎて、変化への対応がお留守になっていました。

多様なリスクを回避し、チャンスの前髪をつかんで逃がさないためにも、
その日のお天気やコースコンディション、そして体調の変化など兆しを注意深く捉え、
的確に判断して主体的に導いて行動しなければなりません。
そして、状況によっては「やめる」決断も・・・(とても勇気のいることですが)

伴走をなめていたわけではありませんが、事故が起きてからでは遅いです。
走力のみならず、ガイドの使命や技能も含めてもっと精進せねば・・・。
大事に至らなかったこと、そして共に走る仲間の力強い存在に心から感謝です。


淀川市民マラソンの伴走(11/5)まで4週間位置情報
大阪マラソン(11/26)まで残り7週間位置情報


P1010032.JPG
旧豊郷小学校
横や後ろを見ず、前を見て一歩一歩力強く進む足跡

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
店をおこすのはカネやない [2017年10月07日(Sat)]
毎週木曜日の夜にテレビ東京系列で放送の「カンブリア宮殿」
今週は、北海道土産の定番のお菓子「夕張メロンピュアゼリー」のホリさん。

多くの気づきを得ましたが、あえて一言で要約すると「心を通わす」ぴかぴか(新しい)
(番組に登場した順で)
お菓子をお買い求めいただくお客様と「心を通わす」
お菓子の原料の作り手である北海道各地の産地の生産者と「心を通わす」
親子、兄弟、家族が共に「心を通わす」
共に働く正社員、パート社員が互いに「心を通わす」

心が通い合えば、
互いに「おかげさまで」「ありがたい」と心からの感謝の言葉がでるし、
そして、心からの「笑顔」が生まれ、共に幸せを分かち合える。

かつて炭鉱で栄えた北海道の砂川でお父さまが始められた煎餅屋さんが、
子どもに店の後を継がせられないと薬大に行かせて薬剤師の資格をとらせたものの、
炭鉱閉山が相次いで店が経営難になるや息子たちは会社を辞めて砂川に戻り、
親子3人が力を合わせて商品づくり。
そして札幌や帯広の有力な菓子メーカーを相手に、
人口わずか1万7千人の砂川のホリさんが年商100億円に...

まさに「店が菓子をつくるんやない、菓子が店をつくるんや」、
お菓子にこめられた「心意気」に魂を揺さぶられました。
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NHKの朝の連続テレビ小説『あすか』を覚えておられますでしょうか?

京都の老舗の和菓子屋「扇屋一心堂」を舞台にしたドラマで、
主人公は和菓子職人のあすか(竹内結子さん)。
1999年10月から2000年3月までの半年間の放送でした。

何がきっかけだったのか思い出せませんが、
いつしか朝7:30から始まるBSでの放送を見るようになり、
エンディングで語りの有馬稲子さんの「続きはまた明日」を聞いて
仕事に出るのが毎日の習慣になりました。

印象的なシーンが多く、放送から16年以上経った今でも色々と思い出されます。
その中でも一番印象深いシーンが、
「店が菓子をつくるんやない、菓子が店をつくるんや」

260年続いた京都の老舗の和菓子屋「扇屋一心堂」。

ジリ貧状態を打開すべく、経営コンサルタントのアドバイスを受けて、
元禄創業の時から店を支えてきた「おかめ饅頭」に代わる和菓子作りに着手。
新商品「葛ぽんち」は大ヒット、機械による量産、新しい工場を建設して取り組む。
しかし、「葛ぽんち」の人気は続かず、更なる新商品「葛とろりん」を開発。

あすか自らテレビCMに出演して「葛とろりん」を売り出したものの、
金策が尽きて手形を決済できずにあえなく倒産。
店も、おかめ饅頭の商標も、すべてを失って、 残ったのは借金だけ。

「離れ離れになっても心はひとつやで」とみんなで再起を誓ったものの、
誰もが日々の暮らしに追われ、再起の夢はいつしか消えていった。

それから10年。店は創作料理屋「うまいもんや」に変わっていた。
店の中はすっかり変わり、かつての工場は厨房に。
しかし、その壁には扇屋一心堂が掲げていた「一生一品」の額が……

「一生一品」の額を見たあすかは、もう一度やり直そうとみんなに声をかける。
しかし、誰も動こうとはしない。
「うちひとりやったら何もできへん」

「菓子を作っても店がなければ売れん」と言うあすかに、
父親の禄太郎はさとす。
「昔な、四条河原町に饅頭屋の屋台が出た。おかめ饅頭の始まりや。
 祇園のお客さんがぎょうさん買いに来てくれはった。
 たった一代で店をこしらえはった。
 たった一つの菓子が扇屋一心堂をおこしたんや」
「店をおこすのはカネやない、たった一つの菓子や!」 

再起の夢を求めて、10年ぶりの菓子作り。
愛する家族に支えられ、たった一人で再建に踏み出した。

売る場所のないあすかに、逢坂屋の女将がデザート菓子を依頼。
10年ぶりに作った新作は、支えてくれる家族への思いを込めた「ピクニック」。

菓子の評判を聞きつけた客が逢坂屋へ食事に来た。
「ええもん作れば、店は勝手についてきますがな」

昔の仲間も、ひとり、ふたりと戻ってきた。

店の権利を取り戻すために、ライバルと勝負。
家族や仲間に支えられ、あすかは店をおこす菓子作りに取り組む。
あすかが情熱を込めた一生一品は「あすか」。

勝負に勝ち、店の権利は戻ってきた。
店の譲渡代金は300年のローン。
そこには「今後300年続く店になってほしい」と願う売り主の思いが込められていた。
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「PHP友の会」のカレンダー(2017/10)

松下幸之助『人生談義』の「物と心」より――
商売でもね、物が動いて、お金が動いて、それで一応は成り立つんです。
しかし、もう一つ根本的に大事なことは
物や金と共に、人の心もまたこれに乗って
移り動いていかなければならないということです

単に物をつくり、物を売り、そしてお金を得ているというだけなら、
商売とはまことにさくばくとしたものになってしまいますよ。
そうじゃないのですな、ほんとうは。
物とあわせて心をつくり、物と共に心を売り
そしてお金と共に心をいただく
つまり物や金が通いあうだけでなく
お互いの心というものがお客様との間に通い合うことが
きわめて大切なのです

そこに真の商売の喜びや味わいと言うものがあるのですね


自分が商売をする心の価値に自信を持ちたいものですね


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旧豊郷小学校
横や後ろを見ず、前を見て一歩一歩力強く進む足跡

この続きはまた明日四つ葉
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会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
心を通わす [2017年10月06日(Fri)]
PHP友の会のカレンダー、今月(2017/10)のメッセージは
松下さんの『道をひらく』から「心を通わす」の抜書き
201710.jpg

松下幸之助『道をひらく』より――
「心を通わす」
古人曰く、人生はあざなえる縄の如し。
まことにこの世の中、長い人の歩みのなかには、よいこともあればわるいこともある。
うれしいこともあれば悲しいこともある。
そして、よいと思ったことが実はわるくて、わるいと思ったことが実はよくて、
つまりはあれこれと思いまどうことは何もなくて、
はじめから素直謙虚に歩んでおればそれでよかった
と、
人の知恵の浅はかさに、いまさらのように胸打たれることがしばしばある

はじめからしまいまで徹底的にわるいということもなければ、
また徹底的によいということもないのである。
それでもなお人は、わるいと思うときには自分で自分の心を閉ざし、
よいと思うときにはまたおごりの心で人をへだてる。
心を閉ざし、人をへだて、心と心とが通い合わぬ姿からは
おたがいに協力も助け合いも生まれてはこない

心ひらかぬ孤独の人びとばかりになるであろう。

有為転変のこの世の中、よいときにもわるいときにも、
いかなるときにも素直謙虚に、おたがいに心を通わし
思いを相通じて、協力し合っていきたいものである


松下幸之助『人生談義』の「物と心」より――
商売でもね、物が動いて、お金が動いて、それで一応は成り立つんです。
しかし、もう一つ根本的に大事なことは
物や金と共に、人の心もまたこれに乗って
移り動いていかなければならないということです

単に物をつくり、物を売り、そしてお金を得ているというだけなら、
商売とはまことにさくばくとしたものになってしまいますよ。
そうじゃないのですな、ほんとうは。
物とあわせて心をつくり、物と共に心を売り
そしてお金と共に心をいただく
つまり物や金が通いあうだけでなく
お互いの心というものがお客様との間に通い合うことが
きわめて大切なのです

そこに真の商売の喜びや味わいと言うものがあるのですね


それに、商品の価格にしても、
サービスとかいろいろな便宜とか、
そうした心の面をも総合した価値判断で決めるベきで、
単によそがいくらだからウチはいくらにするというようでは
ほんとうの商売はできませんね
たとえば、よそが1万円のものを、場合によっては、10,500円で売る。
すると、お客さんは「なぜよそより高いのか」と聞かれる。
そんなとき、「同じ製品ですが、私の方はお添え物があるのです」
「何を添えてくれるのか」「魂をお添えするのです」といったことが言えるかどうか。
そのくらい、自分が商売をする心の価値に自信を持ちたいものですね。


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横や後ろを見ず、前を見て一歩一歩力強く進む足跡

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真剣ならば「転んでもただ起きぬ」 [2017年10月05日(Thu)]
北御堂さんの今月の言葉
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「たとえ つまずき転んでも そこは大地の上」

松下幸之助『道をひらく』より――
「転んでも」
「七転び八起き」ということわざがある。
何度失敗しても、これに屈せずふるい立つ姿をいったものである。
人生は長い。世の中は広い。だから失敗もする。悲観もする。
そんなとき、このことわざはありがたい。

だが、七度転んでも八度目に起きればよい、などと呑気に考えるならば
これはいささか愚である
一度転んで気がつかなければ、七度転んでも同じこと。
一度で気のつく人間になりたい。


そのためには転んでもただ起きぬ心がまえが大切。
このことわざは、意地きたないことの代名詞のように使われているが、
先哲諸聖の中で、転んでそこに悟りをひらいた人は数多くいる。
転んでもただ起きなかったのである。
意地きたないのではない。真剣だったのである

失敗する事を恐れるよりも
真剣でない事を恐れたほうがいい
真剣ならば、たとえ失敗しても、
ただは起きぬだけの充分な心がまえが出来てくる。
お互いに「転んでもただ起きぬ」よう真剣になりたい
ものです。

本田宗一郎『俺の考え』より――
「失敗は成功のもと」というたとえがあるが、
ほんとうに失敗を成功のもとにする人は何人あるか。
これは正しい理論を用いて反省する人にのみ与えられたる権利だと思う。
ただ単に進退伺いを出したりするような人には
絶対に、失敗が成功のもとになる資格はないはずだと私は心得ている。
「果報は寝て待て」ということわざがあるが、
あれは私の祖先かだれかそそっかしいやつが間違えたと思う。
あれは「果報は練って待て」で、反省して待つことだ。
いくら反省しても運否天賦ということがあるが、
よく反省して待つことがわれわれの問題だと思う。

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旧豊郷小学校
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互いに生かし合って進歩と調和を生み出す [2017年10月04日(Wed)]
松下幸之助『続・道をひらく』より――
「たしかめる」
自分の目で見、自分の手でたしかめる――これほどたしかなことはないけれど、
ともすればお互いに、自分の目のとどく範囲、手に触れる範囲のたしかさにとらわれて
これがすべてなり、これがまさに"世界"なりと速断しがちである

目で見、手でたしかめるたしかさにはまちがいがない。
しかし、自分の目のとどかないところ、手にふれえないところにも
さまざまの人がいてさまざまの考えを持ち
さまざまのものがあって、さまざまの働きをしている
これもまたまちがいのない"世界"なのである。

そうとすれば、お互いに今すこし謙虚でありたい
すくなくとも、自分の目と手のワクを超えた"世界"に対して、
謙虚に耳を傾け、これを吸収する柔軟な心を持ちたい。
これがすなわち自分をひらくことで、同時にまた
人をひらき、国をひらき、世界をひらく道にも通じてくる
のである。

果てしない対立に激動する昨今、
真の進歩と調和を生み出すために、
お互いに"たしか"と思っていることを、
もう一度たしかめあってみたいものである。


『松下幸之助の哲学』より――
「調和の思想」
平和を乱し、貧困を招くのは、
お互いが個々の思想や主義にとらわれているからであります。
個々のものは真理の一面を語っていますが
これを真理の全体としてとることは誤りであります

個々のものをそれぞれに生かし
高き秩序に従ってその力を活用するところに調和があり、
これによって真理が全面に働いてまいります

お互いの自覚と努力とによって、
すべてが調和される社会がつくられます。
その中におのずから繁栄、平和、幸福が醸成されてまいります。


“Peace and Happiness through Prosperity”(繁栄によって平和と幸福を)


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寛容の心で人も物もいっさいを生かす [2017年10月03日(Tue)]
松下幸之助『続・道をひらく』より――
「無限の宝庫」
この世の中に存在するものは、一つとしてムダなものはない。
ムダだと思うのは、その活かし方、使い方を知らないだけ。
活かし方を知らなければ、すべてのものがマイナスになる。

ムダだ、マイナスだと頭をかかえてばかりいたら、
不満に心が暗くなり、せっかくの天与の贈物も猫に小判。

黄金は、猫にとっては何の役に立たない無用の物かもしれないが、
その活かし方を知っている人間にとっては、天下の大宝。
その価値を知らぬ猫の愚を笑いたくもなるが、
笑ってばかりもいられないのがお互いの姿であろう。

無用と思われていたカビのようなものでも、
これを有効に使えば、貴重な働きをすることがわかってきた今日、
この世の中はまさに無限の宝庫である。
すべての物はもちろんのこと、マイナスでしかない人間など
本来この世にあろうはずがない

お互いに、もうすこし謙虚でありたい。
もうすこし勇気をもちたい。
そして、もうすこし寛容の心を持って、
すべての物が、すべての人が、時と処を得て、
その本来の値打ちが活かされるようつとめたいものである。


聖書「コリント人への第一の手紙」の12章14節〜26節を『バルバロ訳・聖書』より――
体は一つの肢体で成り立っているのではなく
多くの肢体で成り立っている
足が「私は手ではないから体に属していない」と言っても、
それだから体に属していないわけではない。
耳が「私は目ではないから体に属していない」と言っても、
それだから体に属していないわけではない。
もし全身が目であれば聞くところはどこなのか
全身が聞くところなら嗅ぐところはどこなのか
神は思召しのままに、体にそれぞれの肢体を置かれた
みなが一つの肢体なら体はどうなるのか。肢体は多いが体は一つである。
だから目は手に向かって「おまえは要らぬ」と言えないし、
頭は足に向かって「おまえは要らぬ」とは言えない。

体の中でもっとも弱く見える肢体はかえって必要である
体の中で卑しく思えるところを特に尊び
私たちの美しくないところはことに丁重にするが、
美しいところはその必要がない。
神は劣ったところにことに尊さを与えるように人の体をつくり上げられた
体のうちに切れ目がなく、肢体が互いに相助けるためである。
一つの肢体が苦しめばすべての肢体はともに苦しみ、
一つの肢体が尊ばれればすべての肢体がともに喜ぶ。

排除の論理で「おまえは要らぬ」と言うより、
寛容の心を持って、すべての物が、すべての人が、
時と処を得て、その本来の値打ちが活かされるよう努めたい。

松下幸之助『実践経営哲学』の「素直な心になること」より――
素直な心になれば、物事の実相が見える。それにもとづいて、
何をなすべきか、何をなさざるべきかということも分かってくる。
なすべきを行い、なすべからざるを行わない真実の勇気
そこから湧いてくる。
さらには、寛容の心、慈悲の心というものも生まれて、
だから人も物もいっさいを生かすような経営ができてくる。
また、どんな情勢の変化に対しても、柔軟に、融通無碍に順応同化し、
日に新たな経営も生み出しやすい。



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大阪マラソンまで8週間♪ [2017年10月02日(Mon)]
10月初日の昨日、朝6時過ぎに家を出て大阪城公園へるんるん
午前中は大阪ミントJCさん主催の「3時間リレーマラソンin大阪城」に参加。
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まずは、みんなでラジオ体操♪

朝9時にスタート、1周1.1キロのコースを4人で襷を繋いで
お昼12時までの3時間の走行距離を競い合います。
ご一緒した長居わーわーずからは、レッド、イエロー、グリーンの3チームが参戦。
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写真のテントは、わーわーず最長老の大吉さんが、女性メンバーの着替え用に
今回もご自宅から担いで持ってきてくださいました。
―― 脱帽!自分が走ることで精一杯で余裕のないわが身を反省です。

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わーわーずイエローの第一走者は、チキンラーメンのひよこちゃん♪

走る前は、今日の本番は午後から予定の淀川市民マラソンの試走20キロと
不埒な考えでしたが、いざチームでレースとなると
本気モードで真面目に懸命に走りました。
スタート前にジョギングで1周した後、
1周、2周、2周、2周、1周とたすきを繋いで走破し、
12時に号砲がなってレース終了(わーわーずイエローの公式記録は29周)。
走り終えた後は愉快に楽しくお弁当タイム、とても美味しかったです。
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みんなでレモンティ〜カメラ

午後からの淀川市民マラソン試走会は、
予定外に午前中がんばったこともあってハードな20.8キロでした。
そんな事態もすべてお見通しだったのか、
エスケープポイントをいくつも設定していただいたのですが、
ご一緒したパートナーは最後まで粘り抜いて走り続けて勘弁してくれず、
そして、ほかのガイドランナーもわれらを力強く支えていただいて無事に完走。
多くの気づきと学びを得て有意義な一日となりました。

長居わーわーずのご縁に心から感謝!
走力も根性も気配りも未熟なガイド初心者マークのみやちゃんですが、
引き続きのご指導よろしくお願いします。
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淀川市民マラソンの伴走(11/5)まで5週間位置情報
大阪マラソン(11/26)まで残り8週間位置情報


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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
一歩一歩の進歩を積み上げる [2017年10月01日(Sun)]
松下幸之助『初めに思いありき』より――
正直なところ、
私はそう遠い計画性を持ってやっておらなかったと思います。
まあ、その日その日を大事に仕事をしてきたということが
私をして今日を成さしめたように思うのであります。
ひとつ大きな工場を建ててやろうというような遠大な計画は、
当時を振り返ってみますと、私は持っておらなかったように思うのです。
創業当時は1日1円の売り上げが
2円になることを望み、2円が3円になるようにと

その日その日を熱心に努力したにすぎませんでした

青年にして大志を抱くこと、まことにけっこうですが、
しかしそれを達するには、
その日その日の仕事を大事にすることによって
そこに一歩一歩の進歩というものが積み上げられていく
それがついに大きな仕事となってくる

こう平凡に解釈していったらいいんじゃないかと思います

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雨上がりの朝、東大和南公園(2017.9.28)


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旧豊郷小学校
横や後ろを見ず、前を見て一歩一歩力強く進む足跡

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