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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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用意周到に計画し、迅速果断に実行 [2017年09月30日(Sat)]
松下幸之助『道は無限にある』より――
すべて物事は用意周到に計画を立てていったならば
いわゆる失敗というものはほとんど無い
、といってもいいと思うのです。
ところが実際には次つぎと失敗があるというのは、
これはやはりなすべきことを十分に考えていない
また考えてもなすべきことをしていない

というところに多く原因があるように思うのです。
だから、反省すべき点は他に求めずして
自分にあると考えねばならない

(…)
それだけの用意周到さをもって、ものを深く掘り下げて考え、
そして自分はこう思うが、なお多くの人はどう考えるか、
自分の考えが人に受け入れられるかどうか、ということを考える。
そして再三再四、自分の考えに過ちがないか足らざるものはないかと
くり返し反省していかなければならないと思うのです。
そういう点に熱意をもち、努力を重ねたならば、
私は物事というものはあまり行きづまることもない
のではないかと思うのです。

松下幸之助『道をひらく』より――
「判断と実行と」
どんな仕事でも、仕事をやるからには判断が先立つ
判断を誤れば、せっかくの労も実を結ばないことになろう。
しかし、おたがいに神さまではないのだから、
先の先まで見通して 、すみからすみまで見きわめて、
万が一にも誤りのない100パーセント正しい判断なんてまずできるものではない
できればそれに越したことはないけれど、100パーセントはのぞめない
それは神さまだけがなし得ること。
おたがい人間としては、せいぜいが60パーセントというところ。
60パーセントの見通しと確信ができたならば、その判断は
おおむね妥当とみるべき
であろう。

そのあとは、勇気である。実行力である。
いかに的確な判断をしても
それをなしとげる勇気と実行力とがなかったら
その判断は何の意味も持たない

勇気と実行力とが、60パーセントの判断で、
100パーセントの確実な成果を生み出していく
のである。
60パーセントでもよいから、おたがいに、謙虚に真剣に判断
それを100パーセントにする果断な勇気と実行力とを
持ちつづけていきたいものである


サイゼリヤ創業者の正垣会長の本
おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ』より――
同署の「はじめに」より――
この頃、私は経営に関わる本をむさぼるようにして読んでいた。
創業以来の苦楽を共にした仲間たちに十分な給料を払ってやれていなかったし、
これから雇うであろう社員たちにも今のままでは十分な給料を払えない
どうにか給与水準を自動車産業など他産業並みにしたい
社員たちに定年退職まで十分な給料を支払いたい
それが私の最優先の課題だった。
だから、どうすれば十分な利益を確保できるのか
懸命に考えた


同署の第二章「十分な利益を確保するには」より――
家族や従業員を幸せにするためには、十分な利益を確保し続けなければならない
だから、財務戦略や設備投資についても明確なルールを決めておくことが大切だ。

新規出店や改装など何らかの設備投資を行うときの判断基準として大切なのは、
ROI(投下資本利益率:利益÷投下資本×100)。
ROA(総資産利益率:利益÷総資産×100)という指標で考えてもいい。
利益は店段階の営業利益、投下資本は出店に要した総投資額
注意しなければならないのは、
店で働く経営者自身や家族の給料・残業代もきちんと経費としてカウントし、
営業利益を算出すること。そうしないと正しい現状把握ができない

私が新規出店の判断をする基準は、ROIの予測が30%に達するかどうか
出店後は少なくとも20%は絶対に確保しなければならないと思っているからだ。
商売はギャンブルではない
80%の確率でROIが30%以上確保できる見込みがないならば
金融機関から借金をしてまで店を出すべきではない

ROIの目標値を達成するために重要なのが、
ムダな投資をせず、設備投資の額(投下資本)を可能な限り減らすことだ。
内装や厨房機器、保証金など新規出店のコストはその気になれば半分にできる。
高性能の厨房機器が欲しければ、店がはやってから買い替えればいい
(運転資金(売上債権+在庫−仕入債務)の増加も加味したROIで判断する)
投資コストと同じく抑えなければならないのが、家賃だ。
この二つを低く抑えるからこそ、その分だけお値打ちな料理を提供し
店をはやらせることができる
逆に、初期投資や家賃にカネが掛かる店は
お値打ちな商品を提供する余力が残っていないから、すぐ潰れてしまう

だから、初期投資が少額で済み、家賃が低いという条件を満たす物件が見つかるまで、
立地は慎重に選ばなければならない
そして、立地で注意しなければならないのが、商圏内に見込み客がいるかどうかだ。

ROI(営業利益÷投下資本)
 = 投下資本回転率(売上高÷投下資本)× 売上高営業利益率(営業利益÷売上高)
ROIを20%以上の数値にするためには
年商は投下資本の2倍以上
営業利益率は10%以上を目指さなければならない
何らかの設備投資で投下資本が増えるときは
その投資額の2倍年商が増えるかが一つの目安となる
投資を検討する際にこの算式を意識するだけで、店のバランスシートは確実に良くなる

始末第一に、商売に励む」
近江商人・中井源左衛門

『40歳の教科書 親が子どものためにできること』より
ニトリHDの似鳥社長の特別講義「本当の豊かさは安さで実現される」より――
大事なのは「後始末より先始末」という意識。
計画性のない、勘や根性に頼ったビジネスはギャンブルと同じで、
後始末に追われるだけ
あとになるほど解決が難しくなる


先始末(先手管理)、後始末(後手管理)、不始末(・・・)

「失敗から学ぶ」がギャンブルや後始末の言い訳では論外パンチ


P1010032.JPG
旧豊郷小学校
横や後ろを見ず、前を見て一歩一歩力強く進む足跡

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
生産性を高め続けて高収益を実現する [2017年09月29日(Fri)]
サイゼリヤ創業者の正垣会長の本
おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ』より――

同署の「はじめに」より――
この頃、私は経営に関わる本をむさぼるようにして読んでいた。
創業以来の苦楽を共にした仲間たちに十分な給料を払ってやれていなかったし、
これから雇うであろう社員たちにも今のままでは十分な給料を払えない
どうにか給与水準を自動車産業など他産業並みにしたい
社員たちに定年退職まで十分な給料を支払いたい
それが私の最優先の課題だった。
だから、どうすれば十分な利益を確保できるのか
懸命に考えた


同署の第二章「十分な利益を確保するには」より――
適正な利益を確保するという意味で、
私が創業時から重視する経営指標が人時生産性だ。
人時生産性とは、一日に生じた店舗の粗利益を、
その日に働いた従業員全員の総労働時間で割ったものだ。
(人時生産性=一日の粗利益÷従業員の一日の総労働時間)
経営を安定させるには、この人時生産性を高める努力が欠かせない
当社の店長たちには売上高の目標は課せられていないが
一方で、効率的に働くことで
人時生産性を5000〜6000円にすることを求めている

(目標数字のために分母の時間をごまかすことは本末転倒)
勘違いしてはいけないのは、効率が悪かったとしても、
問題は「人」にあるのではない。「作業」にあるのだ。
仕事とは「作業」の集まり。その作業の中で、
時間のかかるものを短くできないか、無くせないかと考えることが、一番の効率化だ

食材の品質を落とすことで、仕入れ値を下げて利益を増やす――。
これは飲食店経営者が最もやってはいけないことだ。
私自身、食材の質を下げて利益を出そうと思ったことは一度もない
なぜなら料理の味の良し悪しの80%は食材の質で決まるからだ。
料理人の技能は15%、残りの5%が店内での食材の保管状態というところだろう。
だからこそ、食材の質にはこだわらなければならない。

粗利益率を一定に保つために何より大切なのは、料理の味を一定に保つことだ。
(いかなる状況でも提供するサービスの質を一定に保つ)
どんな日のどんな時間帯に食べても味が一緒でなければ
客数が下ブレをするので、粗利益率を一定に保てなくなる
毎日市場で仕入れる食材の質・価格は変動しているが、
それを可能な限り、一定の水準に抑えることは、
経営者兼料理人という「目利き」にしかできない仕事だ。
逆に客数が上ブレしてスケールメリットが出るなら
料理の値下げやポーションを増やすことでお客様に還元してくことを考えるべきだろう。

粗利益率は60%を超えない水準に保つことが望ましい(原価率は40%以上)。
獲得した粗利益のうち40%を人件費(教育研修費を含む)を振り分け、
家賃等の不動産関連費用(設備投資の減価償却費などを含む)に20%
水道光熱費など「その他の経費」に20%を使う。
そうすれば粗利益の20%が営業利益として残る。
saizeriya.jpg     
(付加価値率60%、労働分配率40%、営業利益率12%)
食材に十分なコストをかけることで、粗利益を過剰には取らず
お客様に還元するからこそ、店は長く続けられるのだ、と私は思う。
例えば、A店とB店がともに売上高営業利益率は12%だが、
粗利益率はA店が75%で、B店が60%だとすれば
A店の経営はB店より長期的には不安定な可能性が高い
利益水準だけ見ていると分からないが、A店には各種経費の圧縮や商品力アップなど、
やるべきことがたくさんあると気が付くだろう

企業分析レポート「サイゼリヤ」/日本生産性本部(2014.5)メモ
圧倒的な低価格と高い収益性を両立するサイゼリヤの取組み
高い生産性を支えるサイゼリヤ独自の事業モデル

40歳の教科書 親が子どものためにできること』より、
ニトリHDの似鳥社長の特別講義「本当の豊かさは安さで実現される」より――
大きなお店を少ない人数で回せるシステムをつくる
仮に一店舗10人で回していたとすれば、
5人で回せるような仕組み・システムを考える
そうすれば、その10人で2店舗を回せるようになるし、
単純に考えて売上も倍になる。結果として社員の給料を下げるどころか、
むしろ給料を大幅に増やすことができる
実際、以前は一人あたり20坪でしたが、いまは40坪を回しています。

発想を変えれば、
生産性を飛躍的に上昇させることは可能です。

毎日のように現場に入り、
今の生産性を5倍、10倍にすれば、高い利益率を実現できるはずです。
『稲盛和夫の経営塾』

金がないからできないという人は、
金があっても何もできない

(小林一三・阪急や東宝の創業者)

人がいないからできないという人は、
設備がないからできないという人は、
時間がないからできないという人は、
知識がないからできないという人は、
情報がないからできないという人は、
(…)
足らないのは、金でも、人でも、設備でも、時間でも、情報でもなく、
いまの仕事のやり方を改善して生産性を高める智恵、創意工夫、弛まぬ努力 


一の湯「生産性向上の取組み」ひらめき


P1010032.JPG
旧豊郷小学校
横や後ろを見ず、前を見て一歩一歩力強く進む足跡

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
素直な心で勘に頼らない経営をする [2017年09月28日(Thu)]
サイゼリヤ創業者の正垣会長の本
おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ』の帯(裏側)
 20150505.jpg
物事をありのままに見よ!
良いモノは売れる――
それは自分を中心に世界が回っていると
考える天動説
であり、易きに流れる思考法


本書「はじめに」に記されたこのメッセージの続き
自分たちにとって都合良く世界を見ようとするのではなく
物事をありのままに見ようと、我々は努力しなければならない
科学は実験を通して、自分の仮説(思い込み)が間違っていることを教えてくれる。
自分中心に物事を考える「天動説」の対極にあるものだ。

以下、第一章より抜書き――
何かの改善に取り組んだとき、
それが成功するのは正しい行動を取ったからだ。
私はそれを物事の「原理原則」に沿って行動した結果だと考えている。
しかし、この「原理原則」通りに経営するというのが非常に難しい。
なぜなら、人間は何かを考えるとき、先例や成功体験を前提に
自分にとって都合の良い、あるいは得をするような結論(経営判断)を
導き出してしまいがち
だからだ。
例えば、一番人気のある料理は「おいしいから売れている」と考えがちだ。しかし、
これは自分が店を切り盛りしてきた経験だけから導き出した一方的な結論にすぎない。
自分の店の料理は美味しいという自分にとって都合の良い結論を
無意識のうちに導き出してしまっている

自分本位に物事を考えてはならない――。

世に言う「勝利の方程式」も、その多くは、
過去の成功体験をベースに自分にとって都合の良い結論を導き出したものであり、
自らの経験でなく他人の成功事例を基に自らの勝利の方程式と称しているケースもある。
いずれも「易きに流れる思考法」ということか……

引き続き、同書より抜書き――
世間でずっと言われていることだが、
そうした失敗がなくなることは決してないだろう。ただし、
物事をありのままに見ることで「原理原則」を知り、
正しい経営判断ができる可能性を高めることはできる

そのためには、店で起きるあらゆる現象を観察し、
可能な限り、数値や客観的なデータに置き換えて
因果関係を考えることだ。

こうした考え方を前提にPDCAのサイクルを回し続けることが、
勘に頼らない科学的な経営をするということだ。
その際、心構えとして大切なのは自戒し続けること。


そうすれば、何が問題なのかを探るときに
「立地が悪い」とか「景気が悪い」とか外的要因のせいにしてしまって
判断を誤るケースは減るはずだ。
客観的な事実に基づいて仮説を立てて、実行し、検証する
これはサイエンス(科学)の手法そのものだ。
自分の無知を知り、
事実の前に謙虚でなければならない
のは
科学者も飲食店経営者も同じである。


PDCAのサイクルを回し続けて「勘に頼らない科学的な経営」をする位置情報
【P】仮説……「客観的な事実」に基づいて仮説を立てる
【D】実験…… 観察して「事実」を記録する
【C】検証……「記録した事実」に基づいて仮説を検証する
【A】判断…… 客観的かつ多角的に判断し、新たな仮説を立てる


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旧豊郷小学校
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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
見えないものを見る [2017年09月27日(Wed)]
福原義春『美 ―「見えないものをみる」ということ』より――

あるとき、会社の物故者の法要のために出向いたお寺の掲示板で、
「昼間の星は見えない」という言葉を見つけ、心に響いた。
(…)
昼間の星は見えなくとも、
だからといって存在しないわけではなく、確かにそこにある。
経済活動においても、見えない存在があることを、
つねに念頭に置いていることが大切ではないだろうか。
数字やデータに表れない情報、世界の本質に、
私たちは、もっと目を向けるべきなのだ。
みんなはデータにできるいくつかの指標を後生大事に、
忙しい中それだけを見ている。
しかし世の中にはデータにできない大切なことがいっぱいあるのだ。

人生にも、データに換算できない、見えないものを見る力が求められている
そして、美しさ、美意識のようなものも求められている
これからの時代、100メートルをいかに速く走るかより
いかに美しく走るかが重要になってくるのだ。
その意識は、社会のサステナビリティにもつながる。

ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。
いちばんたいせつなことは、目に見えない。

サン=テグジュペリ『星の王子さま』

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旧豊郷小学校
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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
あらゆる成功が努力の結果 [2017年09月26日(Tue)]
ジェームズ・アレン『新訳 原因と結果の法則』の第6章より――
(…)
思慮の足りない人、無知な人間、怠けものは
表にあらわれた「結果」だけに目を奪われて物の本質を見ません

そのために、あらゆる成功を幸運、運命、あるいは偶然などという言葉で
かたづけようとします。
(…)
彼らは、そのような運のいい人たちがより良い人生に向かって努力していた時、
多くの試練や苦闘に進んで立ち向かってきたことに気づきません。
成功した人たちが強い信念を維持し、数々の犠牲を払い、
ねばり強い努力を重ねてきた事も知りません。
そして、その人々が様々な困難を見事に乗り越えて、
自分の心のビジョンを実現した事も知りません。
成功した人々が体験した暗闇や心痛も知らないのです。

彼らはただ光の部分や喜びだけに目がいって
それを「運がいい」と呼んでいるのです
長く厳しい旅の中身を見ようともせずに、喜びに満ちた最終結果だけを見て
それを「幸運」の一言で片付けているのです
過程を理解せず、結果のみをとらえて
それを「偶然の産物」だと言っているのです


人間が達成するあらゆる成功が努力の結果なのです。
そして、努力の大きさが、成功の大小を決めているのです。
そこに偶然はありません


才能、能力、物質的、知的、霊的な資質のすべては努力の果実なのです。
それは成就した思い、達成された目標であり、現実化されたビジョンです。

心の中で賛美するあなたのビジョン、
あなたが心の中の王座につけたあなたの理想によって、
あなたは自分の人生を作るのです。
そして、あなたのビジョンは、あなたがやがてなるものなのです。

ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。
いちばんたいせつなことは、目に見えない。

サン=テグジュペリ『星の王子さま』

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映画『三度目の殺人』を観て [2017年09月25日(Mon)]
昨日(9/24)の夜、映画『三度目の殺人』を観ました。
色々と考えさせられることが多く、とても見応えありました。

「真実はどうだっていい。裁判で勝つか負けるか」と言い放って仕事に取り組む弁護士。
別の場面では、
「あなたみたいな弁護士が犯罪者が罪と向き合うのを妨げるんです」と言い放つ検事。
そして裁判の終盤で新たな「事実」が明らかにされても、
「訴訟経済」という裁判官の一言で新たな事実は検証されることなく刑が宣告される。
最後まで「真実」は解き明かされることなく・・・

法廷というのは究極の「社会正義の実現」の場と思っていましたが、
「訴訟経済」によって新たな事実の検証より「迅速性」が優先されることに違和感あり。
これが現実なのか、これでいいのか、

一方、弁護士が「群盲象を評す」の寓話を持ち出し、
「自分は象のどの部分を触っているのだろうか」と自らに問いかける。

一つ一つは「事実」であっても、
われら群盲の衆生に「真実」を解き明かすことはできないのだから
法廷で真実を解き明かすことは求められないということか、
ならば、法廷が「裁く」のは何で、何をもって「社会正義の実現」となるのか、

―― たとえ、群盲の衆生であっても、
いや、群盲の衆生だからこそ「素直な心になる」… 自戒

◆素直な心のない場合の弊害10ヶ条/松下幸之助
第1条 衆知が集まらない
第2条 固定停滞
第3条 目先の利害にとらわれる
第4条 感情にとらわれる
第5条 一面のみを見る
第6条 無理が生じやすい
第7条 治安の悪化
第8条 意思疎通が不十分
第9条 独善に陥りやすい
第10条 生産性が低下する

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旧豊郷小学校
横や後ろを見ず、前を見て一歩一歩力強く進む足跡

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
川崎、ぶらり散策♪ [2017年09月24日(Sun)]
明日(9/25)から東京で仕事、ちょっと寄り道
品川で新幹線から東海道線に乗り継いで絵JR川崎駅へ
下車した電車の発車メロディは「上を向いて歩こう」るんるん
IMG_8684.JPG(川崎駅前の歌碑)

ぶらり散策、川崎球場へ
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かつての野球場では、アメリカンフットボールの公式戦をしていましたが、
川崎球場といえば、1988年10月19日のロッテ対近鉄のダブルヘッダー。
近鉄が連勝すればパリーグ優勝が決まるということでテレビで応援、
第2試合の途中から近鉄ロッテ戦が全国中継になったことでも話題になりました。
阿波野さんが連投するも第2試合引き分けで優勝ならず。
事務所には当時の新聞や写真が掲示されていて懐かしく思い出しました。
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この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
しかし、久原さんはそうではなかった。 [2017年09月23日(Sat)]
松下幸之助『縁、この不思議なるもの』の
第17話「経営を改革した倉庫係・久原房之助さん」より――

久原房之助さんといっても若い方々のなかにはご存知ない方が多いと思いますが、
明治、大正、昭和の三代にわたって実業家、政治家として幅広く活躍された方です。
昭和40年に95歳というご高齢で亡くなられたのですが、
その久原さんについて、ぼくが非常に感銘を深くしたことがあります。

久原さんから直接にうかがったのではなく、他の人から聞いた話なのですが、
久原さんが大学を卒業して、ある会社に入ったばかりのころのことです。
まず命じられたのが支店の倉庫係という仕事でした。
新入社員が、倉庫係を命じられるということ自体はよくある例で、
とくにどうということではないのですが、
久原さんの場合は、その仕事ぶりが一味違っていたというのです。

というのは倉庫係の一員になってみると、
倉庫には売れないもののストックとか、
半端なもののストックとかが非常にたくさんあって、
それらが整理されないまま山積みされていました。
……(目の前の事実に「関心」がなければ問題に気づかない)

そういう姿を見て、久原さんは「これはひどい!」と思った。
そこで「どうしてこんなものがあるのですか。おかしいじゃないですか」と
倉庫主任に尋ねてみると、
「これは売れないから放ってあるのだ」という返事です。
……(目の前の事実に「これでいいのか」と問いかけるか否か)

そのときにまだ22、3歳の若い新入社員である久原さんとしては、
おそらく「ああそうですか」とすませてしまうこともできたでしょう。
けれども久原さんはそういう態度をとりませんでした。
どうしたかというと、
売れないから放ってあるというのは一応理屈として通るが
このままでは倉庫が狭くなるばかりだし、会社としても大きな損失ではないかと考え
整理もされないままに放置されたストックの山をいちいち自分で調べました
そして、これはこうしたらいい、あれはああしたらどうかといった具合に
その処分法を自分なりに考えて、それを支店長に提言したというのです。
(…)
しばらくすると、倉庫のなかはすっかり整理され、
ストックはすべて良品という姿になりました。
しかもそこには同時に、
その支店全体の経営精神がすっかり変わって、
ピシッとした仕事が行なわれるという姿も生み出されてきた
というのです。
つまり、支店長をはじめその支店の人びとが
いちばん新前の久原さんの提言によって
何をどう売らなければならないかといったことを
十分吟味して仕事を進めるようになった

その結果一年ほどの間にその支店の成績もすっかり変わってしまったのだそうです。

この話を聞いたとき、ぼくはさすがに久原さんという人は
偉い人だなあという感じがしたものでした。
もし久原さんが新入社員として
ただ単に上司から命じられるままに仕事をするということであったならば
そこには何も生まれてこなかったでしょう
また、これはいかんなと思っても
自分はまだ新前だから口出しする幕ではない、と黙っていたならば
これもやはり支店全体の改革を生むことにはならなかったと思います。

しかし、久原さんはそうではなかった。
考えてみますとこれは非常におもしろいことだと思います。
なぜ久原さんは他の人であれば何気なくみすごしてしまいがちなことに気づき
また、その解決策を敢然と主張し、実行できたのでしょうか

それは、一つにはやはり久原さんが
もともとすぐれた能力を持っておられたということによると思います。
(…)
しかし、いくら立派な素質や才能を持っていたとしても、それだけでは、
一介の倉庫係として支店の経営をすっかり変えてしまうほどの働きをすることは
むずかしいのではないでしょうか。

これはぼくの想像ですが、おそらく久原さんは、
自分の仕事というものに対する非常に強い責任感というか使命感というか
とにかく人一倍の熱心さを持っていたのではないかと思います。
会社の一員となったからには、自分なりに大いに役に立ちたい
という他のだれにもまけない熱意を持っていた

だからこそ、他のだれもが見のがしていたことにも気づき
その解決法を見い出すこともできたのだと思うのです。
(…)
世の中にはよく、自分はそういう地位には立っていないから、
また、そういう権限を持っていないから、
それで仕事ができないんだといったことを口にする人がいます。
たしかにそういうことも一面には言えるでしょう。
(…)
しかし、地位がないから、権限がないから仕事ができないというのは、
やはり熱意のない姿、勇気に欠けている姿だと言わざるを得ない
でしょう。
もし強い熱意というか使命感、責任感があるならば
そこからさまざまな創意工夫が生まれ、力強い説得力も生じてきて
たとえ地位も権限もない新入社員といえども
周囲の人たちの協力を得つつ、かなりの仕事ができる
そのことを久原さんの言動は私たちに示してくれているような気がします。

ぼくは、仕事にかぎらずお互いが何か事をなすにあたっては、
そのような自分の使命、責任の自覚と、
そこから生まれる勇気、熱意を持つということが基本だと思います。

もちろん、その使命感、責任感は、
血気にはやったり自分の利害にとらわれたりして、
何が正しいかということを十分に考えないものであっては困ります。

それでは失敗に終わる場合が多いでしょう。
しかし、そうではなく、
自分の欲望や利害を離れ、もっと広く高い視野からものの道理というものを考えて
これはやはり自分が言うべきことであり行うべきであると思ったならば
確固たる信念を持ってその使命、責任を果たしていく
それができるだけの勇気なり熱意なりを多少なりとも持たないならば、
私たちは何事もなし遂げることはできないと思うのです。

もっとも、いかに正しく強い使命感なり勇気を持っていたとしても、
実際に事を進めるにあたってのやり方もまた大切です。
自分は正しいのだからということだけで行動し、
周囲の反感を買い、協力を得られないというようなことでは、
せっかくの勇気も熱意も死んでしまいます。

そこには、たとえば言葉使いひとつにも、
周囲の人たちの気持ちを汲んだ、礼儀作法にかなったものが求められるわけですが、
ぼくはお互いが、ほんとうに私心のない高い使命感なり責任感を持ったならば
そこからは周囲の人への心くばりが行き届いた言動も
おのずと生まれてくる
ように思います。
自分の大切な責任を果たすために本当に一生懸命になるならば
その時々に必要な言動がかなり適切に考えだせるようになるでしょうし、
かりにそれが不十分であっても、
熱心で誠意ある私心のない態度は、
おのずと周囲の人びとの心に響いて、
それなりの協力を得られるのではないかと思います。

久原さんという方は、そんな態度を新入社員の時代から、
十分に発揮されたということではないでしょうか。
ぼくは、そういうところに久原さんの人並みはずれた偉大さがあるように思うのですが、
お互いに日々の生活のなかで、久原さんのような境地で
事にあたることが少しでもできるよう、努めていきたいものだと思います


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阪急宝塚線の山本駅(2017.9.21)
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旧豊郷小学校
横や後ろを見ず、前を見て一歩一歩力強く進む足跡

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
意欲、実行、反省 [2017年09月22日(Fri)]
昨日(9/21)の「熱意と誠意を持って取り組む」の続きメモ

松下幸之助『思うまま』より――
「意欲」
人間、何をやるにしても
ひとつやってやろうという意欲がなくてはならない
たとえば、そば屋さんでも、ひとつおいしいそばをつくって
お客さんに喜んでもらおうという意欲を持つことが大切だと思う。
そうすればどうなるか。
10軒のそば屋でも、みな味が違うもの。
ここはうまいと評判のそば屋へ行って自分で食べてみる。
ご主人につくりかたのコツを熱心に頼んで教えてもらう。そして、
あとは自分でやってみる。
どの道でも、事の成否は一つには
その人の意欲にかかっていると言えよう。

「実行してゆく」
どんなに大きなよい望みでも、工夫、努力が伴わなければ、
しょせんは小人の大言壮語に終わってしまう
だろう。
たとえ望みは小さくとも、
勇気と決断力を持って、これを実行していってこそ
その望みが実現できるのだと思う。
もちろん望みは大きくてよい。
ただその望みを実現するためには、
どんな小さなことにも工夫、努力を重ね
地道に一つ一つ実行してゆくことが大切なのである。

「意欲と失敗」
何事を行うにしても、意欲をもつということは大切である。
意欲なくしては進歩も成功もありえないといってもいいであろう。
しかし、意欲をたくましくしすぎると、
これは往々にして成功よりも失敗、没落に結びつく。
歴史における、ナポレオンやヒットラーなどはその好例である。
だから意欲を高めてゆく一方で、それ以上に謙虚な気持ちで
素直にみずからを反省する
ということが大切なのだと思う。
意欲なくして成功はないけれども、
謙虚、素直、反省の伴わない意欲は
これは失敗への道につながる
と言えるのではないだろうか。

松翁ある人に次のように言われた。
経営はその日その日の積み重ねである。
松下幸之助 『松翁論語』

松翁ある人に次のように言われた。
きょう一日を振り返ってみると、反省すべきことがいくらでもある。
その反省に徹したとき、
あらゆる面に革新が生まれてくる。

松下幸之助 『松翁論語』

朝に発意、昼に実行、夕べに反省
日々のそうした地道な活動の積み重ねが商売繁盛につながっていく。
松下幸之助「商いの心得十カ条」第十条

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旧豊郷小学校
横や後ろを見ず、前を見て一歩一歩力強く進む足跡

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
熱意と誠意を持って取り組む [2017年09月21日(Thu)]
昨日(9/20)の「誠実な熱意がものをいう」の続きメモ

松下幸之助『道をひらく』より――
「熱意をもって」
経営というものは不思議なものである。
仕事というものは不思議なものである。
何十年やっても不思議なものである。
それは底なしほどに深く、限りがないほどに広い
いくらでも考え方があり、いくらでもやり方がある
(…)
しかし、人に熱意がなかったら、
経営の、そして仕事の神秘さは消えうせる。
何としても2階に上がりたい。どうしても2階に上がろう。
この熱意がハシゴを思いつかす。階段をつくりあげる。
上がっても上がらなくても……
そう考えている人の頭からは、ハシゴは出てこない。

才能がハシゴをつくるのではない。やはり熱意である
経営とは、仕事とは、たとえばこんなものである。
不思議なこの経営を、この仕事を、
おたがいに熱意をもって、懸命に考えぬきたい。やりぬきたい

松下幸之助『人生談義』より――
「熱意ということ」
何かを生み出すために、何かをなし遂げるために、
何といっても大事なのは熱意ではないでしょうか。
もちろん、知恵や才能はあるに越したことはありませんよ。
しかし結局は熱意のあるなしが成否を決めるカギになってくると思いますな。

たとえば、「何としてでも二階に上がりたい」という熱意があれば、
ハシゴというものを考えつくんです。
ところが、ただなんとなく「上がってみたいな」と思うぐらいでは、
そこまでいかない。
「どうしても、何としてでも上がりたい。自分の唯一の目的は二階に上がることだ」
というくらいの熱意があった人が、ハシゴを考えついたと思うのですね。

熱意のたぎっているところ、人は必ず新しい道をひらきます
常識では考えられないことをやってのけるのですな。
(…)
常識というものはいわば先人の知恵の積み重ねですから、もちろん大事です。
けれども、新しいものを生み出すためには
一度常識から自分を解放しなければならない。
そのためには熱意が強く要請されるのです。
多くの知識を身につけた人ほどそれを越える強い熱意が必要だともいえますな

熱意と誠意を持って仕事に取り組んでいる人は、常に
「こうしたらどうだろう」「このつぎはこんな方法でお客さんに話してみよう」
というように工夫をこらし、いろいろ効果的な方法を考えますわな。
また、同じことを説明するにも、
その話し方に自然と熱がこもり、気迫があふれる。
お客さんもその熱心さにうたれ(…)

あたかも磁石が周囲の鉄粉を引きつけるように、
熱意が周囲の人を引きつけ、
周囲の情勢も大きく動かしていくのですね。
熱意はあらゆるものを生かし動かす原動力ともいえましょうな

いかに才能があっても、知識があっても、
熱意の乏しい人は画ける餅に等しい

「松下幸之助 一日一話」1月7日

何をするのでも、結局は誠実な熱意がものをいう。
いちばん肝心なのは、やはり誠意あふれる熱意だ。

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誠実な熱意がものをいう [2017年09月20日(Wed)]
松下幸之助『縁、この不思議なるもの』の
第二話「盲目の口入・五代五兵衛さん」より――
(※)第一話の松下さんが丁稚奉公されたお店のご主人(五代音吉さん)のお兄さん。

この五代さんの兄弟はみな立派な人で、
特に長兄の五兵衛さんは17歳で盲目になりながら弟妹を養い
土地、家屋の周旋までして
ついに大阪で初めての盲唖学校を私力で創立した人だ。
とにかく盲目の身で、一度家へ入るとその値打ちや古さが分かり、
周旋屋で大変な信用を得たというのだから大したものだ。
(松下さんの私の履歴者『夢を育てる』より)
(…)
ご自分の苦心談などをそれとなく話してくれました。
それをぼくは、子ども心に尊敬の念を覚えつつ聞いていたわけですが、
そのころはただ何気なく聞いていた話でも、あとになってみて
「ほんとうにその通りだな」と感じたことが実に数多くありました。
そのなかでも、とくに強く感じたことの一つは、やはり何をするのでも、
結局は誠実な熱意がものをいうということです。
お互いの仕事でも何でも、
それに臨む心がまえとして大事なことはいろいろありましょうが、
いちばん肝心なのは、やはり誠意あふれる熱意だと思います。
知識も大事、才能も大事であるには違いありませんが、
それらは、なければどうしても仕事ができないというものではありません。
たとえ知識が乏しく才能が十分でなくても、
なんとかしてこの仕事をやり遂げよう、なんとしてでもこの仕事をやり遂げたい、
そういう誠実な熱意にあふれていたならば、
そこから必ずいい仕事が生まれてきます。
その人自身の手によって直接できなくても、
その人の誠実な熱意が目に見えない力となって、
自然に周囲の人を引きつけます。
目に見えない磁石の力が、自然に鉄を引きつけるように、
誠実な熱意は、思わぬ加勢を引き寄せ、
事が成就するということが多いと思うのです。 
(…)
誠実な熱意というものは、時代を超えていつもきわめて大切なもので、
お互いにそれを持ち続けているかぎり
人生を生き抜く道は、いわば無限にあると言ってもいいように思うのです。

五代五兵衛さん、17歳で全盲になる身でありながら、
お父さんの病死で没落した五代家の長男として一家を支え、
そして私財を投じて大阪盲唖院を設立(1900年)
◆校長室の銅像/大阪府立大阪北視覚支援学校ぴかぴか(新しい)
◆渡邊祐介「社会企業家・五代五兵衛と私立大阪盲唖院」ひらめき
/論叢 松下幸之助・ 第10号


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何事でも感謝の心を持つ [2017年09月19日(Tue)]
松下幸之助『縁、この不思議なるもの』の
第一話「社会人としての出発点・五代音吉さんご夫妻」より――
(…)
考えてみますとぼくが今日あるのは、やはりこの店での6年間に、
ご主人と奥さんから実に親身で、またきびしい指導を受けて、
知らず知らずのうちにも商売の道というものを体得することができた、
そのおかげである面が大きいと思います。
(…)
よく昔の人は、お得意さんに対しては足を向けて寝ないということを
言ったものですが、五代さんはそれをしっかり実行する人であったのです。
つまり、販売とか集金というものは、商売ですから厳格に行なうけれども
お得意さんに対しては心からの感謝の念を持ち、何か事があったときには
いち早くかけつけてお手伝いするのが商売人としての務めである

という考えに立って、たえずお得意先のために奉公、奉仕していました
(…)
ほかにも形はいろいろありますが、折あるごとに
お得意先に対する感謝の気持ちを態度に表わしておられました。
ですからお得意さんも非常に満足されて、
同じものであれば五代の店から買おうということになって、
どんどん繁盛していったわけです。
ぼくが子どもの時分に、五代さんの店で
そうした商売の仕方を体験し、いろいろ教えられたことは、
先にも述べたように知らず知らずのうちに身についていたようで、
ぼくは後に独立して自分で商売を始めてからも、やはり五代さんと同じように
お得意先大事に徹するということを第一に心がけ、
それがお得意先の方がたに受け入られ、喜ばれて、
商売の発展に結びつく一つの大きな要因になった、ということができると思います。
これは結局、
何事でも感謝の心を持つことが大切だということだと思います。
感謝の心を持てば、それはいろいろな形になって自分に返ってきます
その自分に返ってくることを期待して感謝の心を持つというのではいけませんが
自分の置かれた立場なり他人からの恩恵なりに素直に感謝できる人
言いかえれば喜びを知る人というのは、非常にしあわせな人だと思います
(…)
これは、商売に限らず、私たちの人生すべての面にもあてはまる、
人間としての大事な基本と言えるのではないでしょうか。
五代音吉さんのお店での6年間に、ぼくが教えられ学んだことは、
そのように人生の基本に通ずることから、具体的な商売の進め方まで数限りなく、
とても言いつくせるものではありませんが、
いずれにしても五代さんのお店で奉公するということから
社会人としての出発ができたことは、ぼくにとってまことにありがたく、
心からの感謝を覚えずにはおれないことなのです。


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縁の力 [2017年09月18日(Mon)]
松下幸之助『縁、この不思議なるもの』
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――これまでにぼくが受けた恩恵のなかには、ある人に出会って、
その人の言動から直接間接にいろいろと教えられたということが、
いわば数限りなくあります。人生の折々に多くの人と出会い、
さまざまな指導や助言、協力をいただいたことが、
今日のぼくをあらしめている、という気がするのです。(…)
ぼくにとってはいずれも、
これまで生きてきたことの喜び、楽しさに通じる思い出です。
同書の「まえがき」より

松下さんが88歳のときに出版された本の文庫本です。
松下さんが人生の折々で出会った人々から学ばれたことが書き綴られていて、
登場されるのは20人、うちご夫婦が3組で、あとがきの2人を入れると全部で25人。
トップは松下さんが丁稚奉公された五代自転車店の五代さんご夫妻で、
トリは松下さんのご両親です。そして「あとがき」には、
社内で松下さんと共に松下電器の飛躍を支えてこられた同志の中からお二人、
中尾哲二郎さんと高橋荒太郎さんとの出会いが綴られています。

以下、「あとがき」より――
思い返してみますと、ぼくのこれまでの事業生活というものは、
そうしたありがたい人との出会いに次々と恵まれて、
それによって支えられてきたということができるように思います。
もちろんぼく自身は、何をなすにも結局大事なのは人だ、ということを
折々に感じていましたから、
いつのときにも、よい人を得たいという願い、思いを人一倍強く持っていました。
しかし、いかに強い思いを持っていたとしても、
それだけでは、そう次々といい人に出会うということにならなかったでしょう。
そこにはやはり、人の知恵や力を越えた、大きな縁の力というものが
働いていたように思います。
(…)
お互い人と人との間には、個人的な意志や希望を超えた縁の力が働いている。
だからその縁のあったことを謙虚に喜び、
その喜びの心でお互いのつながりを大事にし、さらに強めていきたい

そんな思いを味わっているのです。
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自分で自分の可能性を閉ざさない [2017年09月17日(Sun)]
母校の中学で毎年秋に開催される「先輩の授業」。
平成8(1996)年に創立50周年事業として第1回が開催されたので、
98年4月にスタートしたNHKの「ようこそ先輩」に先駆けた取り組みです。

2009年に一度やらせていただいています。
還暦を迎えたのを機に再び志願し、
今回の私の授業は「二度とない人生だから」をテーマに設定しました。

私の授業に参加する30名の後輩の皆さんとのご縁に感謝してシナリオを練りましたが、
私自身にとって有用な時間になりました。心からお礼を申し上げます。

大阪の千里丘陵で万国博覧会が開かれたのが1970年、
その前年の1969年に中学に入学しました。
まずは、懐かしいアルバムから当時の校舎の風景や集合写真をいくつか紹介。
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(↑)中学1年の集合写真(モザイク処理)、最後列の左から3人目
チビ、メガネ、坊ちゃん刈、スポーツも音楽もダメ、異性にモテる要素ほぼゼロでした。
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前半で伝えたかったのは、以下の3点。
自分勝手な思い込みや周りの評価にとらわれて「自分で自分の可能性を閉ざさない」
 ――「自縄自縛」や「無縄自縛」から解き放す
物語は偶然の出逢いから始まる
 ――「偶然」から物語が始まるか、何も始まらず何も変わらずか、すべては自分
共に学び、互いに高め合う
 ――「自分のため」から「自分以外の誰かと共に」に変わることで、より強くなれる

そして後半、まず後輩の皆さんに3つの質問をし、
考えた結果を発表していただきました。
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3つの質問の趣旨は
無関心では気づきは得られず、常日頃から色んなことに関心をもつ
ものの見方や考えかた(価値観)を高める
そして、見たまま、感じたままで終わらず、その背後の物語に関心を持つ
 ――「いちばんたいせつなことは、目に見えない」星の王子さま

「いちばんたいせつなことは、目に見えない」けど、見える人には見えるひらめき

そして、先日(9/9)の朝日新聞の記事で出逢った森敦史さんを紹介。
――生まれた時から「盲ろう」の森敦史さん(26歳)
高校を卒業後、大学へ進学し、そして今春から大学院へ
「盲ろう者の働く場所や施設がないなら、自分がこれから作りたいと思った」

最後に、本日の授業で皆さんにお伝えしたかったことをまとめました。
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自分で自分の可能性を閉ざさない。
見たまま、聞いたまま、感じたままでなく、その背後の物語を読み解く。
人と比べる必要なく、自分が自分と戦う。
他者の痛みに、想像力をもって寄り添う。
素直な心で謙虚に学び、互いに高め合う。
横や後ろを見ず、前を見て力強く一歩一歩。

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ウサギはウサギ、カメはカメ、
比べる必要も競争する必要もなく、互いに自分が自分と勝負する。
横や後ろを見ず、前を見て一歩一歩力強く進む。
できることは懸命にやり、できないことは工夫する。
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会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
商売は勝ち負けを争うものではない [2017年09月16日(Sat)]
松下幸之助『道をひらく』より―ー
「仕事というものは」
仕事というものは勝負である。一刻一瞬が勝負である。
だが、おたがいに、勝負する気迫をもって
日々の仕事をすすめているかどうか

まず普通の仕事ならば、ちょっとした怠りや失敗があったとしても、
別に命を失うというほどのことはない。
それでも、ともかく日は暮れて、その日の仕事はまず終わる。
だから、つい気がゆるむ。油断する。
きょうはきのうのくりかえし、あすもまた同じで、別段とくに変わったこともなし。
しかし、これではいい知恵はうかばない
創意も生まれなければ、くふうも生まれない
そして何の緊張もないかわりに、何の喜びもないということになる

平穏無事なときには、これでも日はすごせるが、しかしいつもそうはまいらない。
わが国の情勢は、世界の動きとともに今や刻々と変わりつつある。
一刻の油断もならぬ状態
におかれている。
このときにこそ、勝負する大勇気をもって仕事にあたらねば、
それこそ真の繁栄は生まれない
であろう。
仕事を勝負と心得る人と心得ない人とのちがいが、
ハッキリとあらわれてくるときではなかろうか。


松下幸之助『思うまま』より――
「勝負ではない」
世間ではよくあの会社とこの会社はライバル同士≠セとか、
あそこが勝った。ここが負けた≠ネどと興味本位で言ったりする。
しかし、商売はスポーツとか戦争のように
勝ち負けを争うものではない
はずである。
需要家の便宜を考え、業界共通の繁栄をも考えて、
常に共存共栄を図っていく、
それが商売というものだと思うのだが……。


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ウサギはウサギ、カメはカメ、
比べる必要なく、互いに自分が自分と勝負。
横や後ろを見ず、前を見て一歩一歩力強く進む。
できることは懸命にやり、できないことは工夫する。
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会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
自分が商売をする心の価値 [2017年09月15日(Fri)]
松下幸之助『商売心得帖』より―ー
「魂を入れた値段であれば」
先般、私どもの製品を販売していただいているお店の方と話をしたのですが、
こういうことを言われるのです。
「自分の店もおたくの製品を販売しているが、他の店でも販売している。
だから他の店で10,000円であれば、
自分の方も10,000円で売らなくてはならないということになる。
そうなると、やはり安く売るところに律せられて値段を下げざる得ない」
私はそれを聞いて、一面もっともだという感じがしました。
しかし、私は、そこがいちばん大事なところではないかという話をしたのです。
つまり、価格というものは、サービスとか配達とかいろいろな便宜だとか、
そういうものを総合した価値判断によって決めるべきで、
よそがいくらだからうちはいくらというようなことでは
ほんとうの商売はできない
と思うがどうですか、
ということをお話ししたのです。
そうすると、「それでもよそが安くするのに……」というようなことを言われる。

それで私は、
「そうすると、あなたのお店は、魂はタダですか」と言ったのです。
「私であれば、よそが10,000円のものを、
場合によっては10,500円で売ることに決めます。
するとお客さんが『なぜよそより高いのか』ときかれる。
そのときに、
『同じ製品ですが、私の方はお添え物(プラスアルファ)があるのです』
『何を添えてくれるのですか』
『私どもの魂を添えるのです』と申しあげたらいいと思うのです。
そのように、あなたのお店の魂をプラスして価格を決定することが
必要だと思いますが、いかがでしょうか」と。

そうすると、「なるほど、そこまでは考えていなかった」というわけです。
「私は、価格で競争するということが第一になっていました
が、いまお話を伺って、
なるほど自分の店の総合した「魂」というか「奉仕」、
そういうものが価格に計算されなくてはならない、
それを無料にすることはできない、
それを加算したものが価格なのだ
ということが、よく分かりました。
つまり、いかなる商品であっても、
私の店のものは私の方で値段を適当に決めるのだ、
それは安売りをしているところよりも高いという場合もある
その、高いという場合には、
自分の魂料が入っている、店の信用保証料が入っている。
だから、何かのときに私の方は責任をもちますよ、ということを
堂々と主張できるような商売でなくてはならないということですね」
と、非常に共鳴して、その後、力強く商売にあたって
顧客にも喜ばれつつ成果をあげておられます

自分が商売(仕事)をする心の価値に自信を持ちたい。
「物と心」/松下幸之助『人生談義』

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なぜこの店では、テレビが2倍の値段でも売れるのかひらめき


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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
価格以上の価値を認めていただく [2017年09月14日(Thu)]
松下幸之助『実践経営哲学』より―ー
「利益は報酬であること」
(…)
人々が物をある価格で買うのは、
その品物にその価格以上の価値を認めるからである。

たとえば100円の価格の物なら110円なり、120円の価値を認めるから、
100円の代金を支払って買うのであって、
80円なり90円の価値しかない物に100円を出すということは、
特別な事情でもあればともかく、原則としてはしないものである。
それを逆に物を供給している側から見れば、
110円なり120円の価値のある品物を100円で売るわけで、
そこに奉仕ともいうべきものがあるといえる。
その奉仕に対する報酬として利益が与えられるのである。

120円の価値のある製品をいろいろ努力して90円の原価でつくり、
それを100円で供給する。
そういう努力、奉仕に対する報酬がこの場合、
10円の利益として買手から与えられるということである。
だから、その企業が供給する物資なりサービスの中に含まれている
そうした努力、奉仕が多ければ多いほど

需要者や、社会に対する貢献の度合も大きく
したがってまたその報酬としての利益も多いというのが
原則だといえる


価格以上の価値(値打ち)を出して認めていただく
その価値を評価するのは相手であって、自分ではないひらめき
――「価格」は見えるが、「価値」は見える人にしか見えない(見える人には見える

他の不自由を満たすことが大きければ、
自分の幸福を得ることも
それに従って大きくなるのである。

だとすれば、どのような生業を行えば、
われらの力がよりよく他人の役に立つかを議論しなければならない。
明治2年(1869)正月/『丸屋商社之記

まず相手を喜ばすことが
自分の発展につながっている。

松下幸之助『人生談義』

商売(仕事)にはサービスがつきものである。
サービスを伴わぬ商売(仕事)は、もはや商売(仕事)ではない。
その意味においては、
サービスは商売人(働き者)にとっての一つの義務ともいえる。
しかし、これを単なる義務としてのみ受け取り、
しかたなしにやむをえずやっているとしたら、これほど疲れることはない。
こちらが疲れるだけでなく、
お客さま(相手)にもその「しかたなさ」が自然に通ってしまう。
サービスは相手を喜ばせるものであり
そしてまたこちらにも喜びが生まれてこなければならないものである
喜び喜ばれる姿の中にこそ真のサービスがあるといえよう。
お互いに、喜びをもってサービスにあたりたい。
躍動する心でサービスに専心したい。
真の商売(仕事)がそこから芽生えてくる。
『松下幸之助・経営の真髄』

僕らは「安くしよう」と思っているわけではない。
僕らの頭にあるのは、いつでも「値打ちを出そう」ということ
安さだけを追求していたら、
いちばん大切な継続ができなくなって、
どこかで頭打ちになってしまう。
そうなったら、どんどん質が下がってしまうし、
お客さんに喜んでもらえなくなり、
社会に貢献できる企業ではなくなってしまう。

正垣泰彦(サイゼリヤ創業者)

「お、ねだん以上。」ニトリ


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赤字で当然としない [2017年09月13日(Wed)]
本質的には「利益」というものは
企業の使命達成に対する報酬としてこれを見なくてはならない。
利益なき経営はそれだけ社会に対する貢献が少なく
その本来の使命を果たし得ていないという見方もできるといえよう。
「利益は報酬であること」/松下幸之助『実践経営哲学』

利益なき経営は企業の社会的責任に反する姿
松下幸之助『実践経営哲学』

松下さんのエピソード――
昭和33(1958)年1月、
扇風機事業部長が、創業者(松下幸之助さん)のところに
年間の生産・販売計画を説明に行った時のことである。
概況の報告が終わり、帰ろうとした事業部長に、創業者が聞いた。
「ちょっと君、先月の決算はどうやったんや」
事業部長はきっぱりと答えた。「赤字です
当時、扇風機は夏物季節商品の中心で、生産は年中行なっているが、
出荷は3月頃の年一回で、売上げの最盛期は6月から7月であった。
したがって、出荷も売上げもない月は赤字で当然だと考えていたのであった。
しかし、その言葉を聞いて創業者の目の色が変わった
「きみ、赤字とは大変やな」
何が大変なのかなと、きょとんとする事業部長に、創業者は言った。
「君な、先月欠損ということは、
道を歩くにも心して歩かんとあかんで。
道の真ん中を通ってきたらあかん
道の端の端の一番端っこを遠慮しながら
頭を下げて通ってこんとあかんで
(…)
それからまもなく、
事業部は年中商品として換気扇の開発に着手した。
「2008年創業者メモリアルウィーク特別展」の展示パネルよりメモ
/松下幸之助歴史館

松翁ある人に次のように言われた。
きょう一日を振り返ってみると、
反省すべきことがいくらでもある。
その反省に徹したとき、
あらゆる面に革新が生まれてくる。


松翁ある人に次のように言われた。
赤字のツケを他に転嫁してはならない。
別の仕事で吸収できるからというやり方ではなく、
一件ごとに採算を合わせよ。


松翁ある人に次のように言われた。
経営はその日その日の積み重ねである。
松下幸之助 『松翁論語』


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会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
利益は報酬である [2017年09月12日(Tue)]
松下幸之助『実践経営哲学』より―ー
「利益は報酬であること」
(…)
事業を通じて社会に貢献するという使命と
適正な利益というものは決して相反するものではない。
そうでなく、その使命を遂行し
社会に貢献した報酬として社会から与えられるのが
適正利益だと考えられる
のである。

(…)
その企業が供給する物資なりサービスの中に含まれている
そうした努力、奉仕が多ければ多いほど

需要者や社会に対する貢献の度合も大きく、したがって
またその報酬としての利益も多い
というのが原則だといえる。

(…)
本質的には利益というものは
企業の使命達成に対する報酬としてこれを見なくてはならない。
だから「利益なき経営」はそれだけ社会に対する貢献が少なく
その本来の使命を果たし得ていないという見方もできるといえよう。


利益なき経営は企業の社会的責任に反する姿
松下幸之助『実践経営哲学』

商売は世の為、人の為の奉仕にして、
利益はその当然の報酬なり

松下幸之助『商売戦術三十ヶ條』

課長、部長、社長も、包丁、盲腸、脱腸と同じだ。
要するに符丁なんだ。
命令系統をハッキリさせるために符丁があるんで、
人間の価値とはまったく関係ない。
人間の偉さというのは、
いかに世の中に奉仕したかということだ。

伊丹敬之『人間の達人 本田宗一郎』


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この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
商売の使命 [2017年09月11日(Mon)]
松下幸之助『思うまま』より―ー
「商売の使命」
商売というものは、利益を抜きにしては考えられない
しかし、利益を得ること自体が商売の目的ではないと思う。
やはり大事なことは、
暮らしを高めるために世間が求めているものを心を込めてつくり
精いっぱいのサービスをもって提供してゆくこと、
つまり、社会に奉仕してゆくということではないだろうか。
そこに商売の尊さがあり、使命があると言えよう。
そしてその使命に基づいて商売を力強く推し進めてゆくならば
いわばその報酬として
おのずと適正な利益が世間から与えられてくる
のだと思う。


ビジネスの役割は利益をあげることだと言うのは、
人間の役割は食事や呼吸をすることだと言うのと同じく無意味です。
損失を出す会社と同様、食事をとらない人間は死を迎えます
だからといって、人生の目的は食べることだということにはなりません
利益は生存に必要な条件ですが、
企業の目的は社会全体の利益に貢献することです。

『ダライ・ラマのビジネス入門』

利益は、企業や企業活動にとって目的ではなく、条件である。
ドラッカー『マネジメント』


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