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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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ぶらり函館(2) [2019年07月11日(Thu)]
嘉兵衛が上陸したときの箱館は人家はまだ400戸ほどにすぎない。
人口は2千人ぐらいであろう。
多くは漁師とその家族、あるいは交易の商人たちであった。
家並みも板ぶきか草ぶきの小屋のようなものがここかしこに建っていて、
集落の秩序というものは見られず、真夏の陽の下ながら、まことにさむざむとしている。
嘉兵衛がこの土地を土を踏んだ寛政8年(1796年)夏というのは、
ながい箱館の歴史からみて、ある時代の最後になろうとしている時期であった。
司馬遼太郎『菜の花の沖(3)』

函館山を背に立つ高田屋嘉兵衛の巨大な銅像
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「箱館開港100年を記念して昭和33年(1958年)に建てられた」

銅像の近くに、高田屋の屋敷跡の石碑あり
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「箱館の発展は、高田屋嘉兵衛によってその基礎が築かれたといっても過言ではない」

箱館高田屋嘉兵衛資料館
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私のハーフマラソンのデビュー戦は2015年2月のすもとマラソン、
高田屋嘉兵衛の生誕地の五色町都志で開催され、
前日に記念館を訪ねて嘉兵衛の埋葬地にもお参りし、
翌日は「気分は高田屋嘉兵衛」で走り抜けたのを思い出しました。

函館マラソン(7/7)当日の朝
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夜はライトアップされていました
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写真左下は函館山ロープウェイ山頂駅の灯り

船というのは船が動くのではない。風と潮とによって動かされるものだ。
風と潮さえ知れば、船が海に浮かんでいるかぎり、
世界中のどこへでもゆけるのではあるまいか。
司馬遼太郎『菜の花の沖(1)』

人として天下の益ならん事を計ず、
碌々として一生を過さんは禽獣にもおとるべし。
凡其利を窮るに、などか発明せざらん事のあるべきやはと。
金銭を費し工夫せられし事少なからず。
(工楽松右衛門)
司馬遼太郎『菜の花の沖(2)』

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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