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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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失敗にとらわれず、自己を確立する [2019年07月05日(Fri)]
長らく当然(当たり前)と思われてきた事柄に時々疑問を抱くのは、
あらゆる出来事において健全な判断である
バートランド・ラッセル

松下幸之助『実践経営哲学』より――
「必ず成功すると考えること」
物事がうまくいったときに、それを自分の力でやったのだと考えると、
そこにおごりや油断が生じて、つぎに失敗を招きやすい。
実際、成功といっても、それは結果の話であって
その過程には小さな失敗というものがいろいろある
それらは一歩過てば大きな失敗に結びつきかねないものであるが
おごりや油断があると、そういうものが見えなくなってしまう
けれども「これは運がよかったから成功したのだ」と考えれば、
そうした小さな失敗についても、一つひとつ反省することになってくる。

反対に、うまくいかなかったときに、
それを運のせいにして「運が悪かった」といことになれば、
その失敗の経験が生きてこない。
自分のやり方に過ちがあったと考えれば
そこにいろいろ反省もできて、同じ過ちはくり返さなくなり
文字どおり「失敗は成功の母」ということになってくる

そして、そのように「失敗の原因はわれにあり」という考えに徹するならば、
そうした原因を事前になくしていこうという配慮ができるようにもなる。
だから、それだけ失敗も少なくなって、
どういう状況下にあっても経営が順調にいくという姿になってくるわけである。
(…)
不況だから利益があがらなくても仕方がない、というのも一つの見方である。
しかし、現実に不景気の中でも利益をあげ、業績を伸ばしている企業がある
ということは、やはりやり方次第だということではないだろうか。
つまり、業績の良否の原因を、不況という外に求めるか
みずからの経営のやり方という内に求めるかである。
経営のやり方というものは、いわば無限にある。そのやり方に当を得れば必ず成功する
だから、不景気であろうと何であろうと、必ず道はあるという考えに立って、
それを求めていけば、やはりそれなりの成果はあがるものである。
(…)
そういう姿にしていくためにも、
やはり日ごろから「失敗の原因はわれにあり」という考えに徹して、
みずからの経営を厳しく吟味しつつ、なすべきことをなしていく
ことが大切である。
そういうことをしている企業は、
戦争とか大きな天変地異でもないかぎり、どんな状況にあっても隆々と発展して、
その使命、社会的責任を果たしていくであろう。

IMG_4862.jpg

人は必ず失敗します。しかし失敗を失敗で終わらせては何の意味もありません。
そこから何を学び、どう行動するのか、それが大切であると思います。
そこでこの度、私が変わるきっかけになった、
2007年、あの夏のことを振り返ることにしました。
石水創『「白い恋人」 奇跡の復活物語』

「失敗は成功のもと」というたとえがあるが、
ほんとうに失敗を成功のもとにする人は何人あるか。
これは正しい理論を用いて反省する人にのみ与えられたる権利だと思う。
ただ単に進退伺いを出したりするような人には絶対に、
失敗が成功のもとになる資格はない
はずだと私は心得ている。
「果報は寝て待て」ということわざがあるが、
あれは私の祖先かだれかそそっかしいやつが間違えたと思う。
あれは「果報は練って待て」で、反省して待つことだ。
いくら反省しても運否天賦ということがあるが、
よく反省して待つことがわれわれの問題だと思う。
本田宗一郎『俺の考え』

失敗すれば十分に反省し、原因を見極めて改めるべきを改める。
うまくいったときには、もっと成果をあげる方法はなかったかと見直してみる。
さらに、平穏無事な生活の中にも、謙虚な気持ちで常に反省を加える。
日々のそうした自省の積み重ねが、
昨日より今日、今日より明日へと、着実にみずからを高めていく
大きな力となる
のです。
「自省」松下幸之助/月刊PHP(2013/7)の見返し

司馬遼太郎『二十一世紀に生きる君たちへ』より最後の部分――
もう一度くり返そう。
さきに私は自己を確立せよ、と言った。
自分にきびしく、相手にはやさしく、とも言った。
いたわりという言葉も使った。
それらを訓練せよ、とも言った。
それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。
そして、「たのもしい君たち」になっていくのである。
以上のことは、いつの時代になっても、
人間が生きていくうえで、欠かすことができない心がまえというものである。
君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、
たかだかとした心を持たねばならない。
同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない
私は、君たちの心の中の最も美しいものを見つづけながら、以上のことを書いた。
書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。 

IMG_1485.jpg
太陽は 夜が明けるのを待って 昇るのではない
太陽が昇るから 夜が明けるのだ(東井義雄)

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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