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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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目的や本来の使命を見忘れてないか? [2018年09月06日(Thu)]
社員自らが働くことに価値を見出し
朝起きて仕事に出かけようとする意欲を持つことが、
唯一生産性を高める方法なのです。

リカルド・セムラー『奇跡の経営(The Seven-Day Weekend)』


小倉昌男『福祉を変える経営〜障害者の月給一万円からの脱出〜』の
「まえがき」より――
(…)
日本の行政官は、目的と手段を取り違えていることが多い
肝心の目的を忘れ、
手段に過ぎない事柄にこだわり、
目的がどこかに行ってしまっていることがままある

障害者問題にもそれがある。
障害者に対する行政の姿勢にも首を傾けたくなることが多い。
簡単に言えばいわゆる「箱もの行政」が横行している。
予算を取って施設を作ることには熱心だが
その施設を生かして何をするかという視点が忘れ去られている
あえて言わせてもらえば、行政の仕事のために福祉事業があるのであって、
肝心の障害者の幸せが忘れられているのである。それが現状である。
(…)
私はかねがね経営は理屈であると主張してきた。
つまり目的があり、それを実現するための手段を考える
手段として合理的かつ効率的な方法を見つけ、成果をあげるのが企業の経営である。
障害者施設の関係者の方々に申し上げたい。
出発点は目標の設定である。目的を見つけることである。
現状は障害者の月給1万円だけれども、
5万円、10万円と高めていき、
障害者が障害者年金と併せて自立できる収入を得られるようになる。
そんな日の来ることを熱望している次第である。

企業の利益というと、
それを何か好ましくないもののように考える傾向が一部にある。
しかし、そういう考え方は正しくない。
もちろん、利益追求をもって企業の至上の目的と考えて、
そのために本来の使命を見忘れ
目的のためには手段を選ばないというような姿があれば
それは許されないことである。
けれども、
その事業を通じて社会に貢献するという使命と
適正な利益というものは決して相反するものではない

そうでなく、その使命を遂行し、
社会に貢献した報酬として社会から与えられるのが
適正利益だと考えられるのである。
「利益は報酬である」/松下幸之助『実践経営哲学』

(使命)障害者の自立と社会参加
(目的)障害者が自らの働きで収入を得て生活できるようにする
(目標)障害者が障害者年金と併せて自立できる収入の確保(給料を上げる)
(手段)給料の元である付加価値の高い仕事に取組む(利益の追求)
そのために「だからどうする」を考え抜いて実行する

人々が物をある価格で買うのは、
その品物にその価格以上の価値を認めるからである。
たとえば100円の価格の物なら110円なり、120円の価値を認めるから、
100円の代金を支払って買うのであって、
80円なり90円の価値しかない物に100円を出すということは、
特別な事情でもあればともかく、原則としてはしないものである。
それを逆に物を供給している側から見れば、
110円なり120円の価値のある品物を100円で売るわけで、
そこに奉仕ともいうべきものがあるといえる。
その奉仕に対する報酬として利益が与えられるのである。
120円の価値のある製品をいろいろ努力して90円の原価でつくり、
それを100円で供給する。そういう努力、奉仕に対する報酬がこの場合、
10円の利益として買手から与えられるということである。
だから、その企業が供給する物資なりサービスの中に含まれている
そうした努力、奉仕が多ければ多いほど

需要者や社会に対する貢献の度合も大きく、したがって
またその報酬としての利益も多いというのが原則
だといえる。
本質的には利益というものは
企業の使命達成に対する報酬としてこれを見なくてはならない。
だから 「利益なき経営」はそれだけ社会に対する貢献が少なく、
その本来の使命を果たし得ていないという見方もできる
といえよう。
「利益は報酬である」/松下幸之助『実践経営哲学』

「箱もの行政」に限らず、「障害者雇用率」の問題も同根
 ―― 肝心の目的を忘れ、
手段に過ぎない事柄にこだわり、
目的がどこかに行ってしまっていることがままある

あげくに、水増しのでっち上げで偽る。それで本来の目的が果たせるのか?

「計画策定」も同じ
 ―― 計画は目標を達成するための手段にすぎない
自らの意思でコントロールできない要素について仮説をもって
仕事に取組み、その結果や過程を記録した事実に基づいて仮説を検証する。
仮説・実行・検証のプロセスを繰り返して目標に一歩一歩近づき、
その努力の結果として目的や使命を果たす

―― そんなプロセスを経ず、机上のパソコンの中で計画を策定しても
計画は仮説の固まり、実行して仮説の検証なければ値打ちなし
現状の価値を維持するのも、価値を高める(改善)のも、
そして新たな価値を創り出す(革新)のも、すべて実行からもたらされる。

僕らはエベレスト登山をしているんですね。
でもいきなりエベレストは無理なんで、
まず近所の300メートルとか500メートルの丘に上がってくれ。
風景が変わるので、
300の次は500、500の次は1000となります。
まず低い山に登ろう、
目標をつくろうということを考えなければいけない。
(…)
実行するときに一番失敗する例がある
たとえば3年計画で、
1年目は準備だけ、
2年目にちょっと損か大損して、
3年目に大成功というパターンを描く人がいる。
これがプロジェクトをうまく進められない人の特徴です。
なぜ最初からやらないのか。
計画をつくりながら実行していかなければならない。

司馬遼太郎『二十一世紀に生きる君たちへ』より最後の部分――
(…)
もう一度くり返そう。
さきに私は自己を確立せよ、と言った。
自分にきびしく、相手にはやさしく、とも言った。
いたわりという言葉も使った。
それらを訓練せよ、とも言った。
それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。
そして、「たのもしい君たち」になっていくのである。
以上のことは、いつの時代になっても、
人間が生きていくうえで、欠かすことができない心がまえというものである。
君たち。
君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。
同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。
私は、君たちの心の中の最も美しいものを見つづけながら、以上のことを書いた
書き終わって
君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。 

――「自己を確立せよ、自分にきびしく」・・・ 信はたていと、
「いたわり、相手にやさしく」・・・ 愛はよこ糸

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太陽は 夜が明けるのを待って 昇るのではない
太陽が昇るから 夜が明けるのだ(東井義雄)

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台風21号から一夜明けて(2018.9.5)

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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