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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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★経営のための会計★
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まず知らしむべし、依らしむべからず [2018年04月14日(Sat)]
昨日の記事「経営の分かる人を育てる」の続きメモ

人を育てるというのは、結局、
経営の分かる人、どんな小さな仕事でも
経営的な感覚をもってできる人を育てる
ことである。
そのためには、
何でもあれこれ命令してやらせるのではいけない。
それでは言われたことしかしない人ばかりになってしまう。
やはり仕事は思い切って任せることである。
そうすることによって、
その人は自分でいろいろ考え工夫するようになり、
そのもてる力が十分発揮されて、それたけ成長もしてくる。
松下幸之助『実践経営哲学』

松下幸之助『人事万華鏡』の「ガラス張りの経営」より――
私が事業を始めた当初は、個人経営であった。
けれども私は、ごくはじめのころから自分個人の会計と、
会社というか店の会計とは全く別にしていた。
月々一定のものを個人の会計としてとり、
店の会計を個人の用に使うということは一切しなかった。
そして、毎月店の決算をした
のである。

そういうことを、10人ぐらい人を使っているころからずっとやった
そして、その月々の決算を、
当時店員≠ニ呼んでいた従業員みんなに毎月発表した。
いわば末端の小僧さんにいたるまで公開したわけである。

決算というものは、株式会社であれば公開しなければいけないだろうが、
個人経営の間は別に公開しなくてもかまわない。
税務署さえ通れば、それでいいわけである。
けれども私は、それを社内に公開した
「今月はこれだけ売れたぞ。そしてこれだけ利益があがったぞ」
というように発表した。
その利益は、個人経営だから幾かは個人の生計にあて、
あとは店の資産として蓄積していく、
そういうことを、非常に公明正大にやった

そうすると、店員はみんな非常に明るい感じを持つようになった
これは面白いところだと思う。
別に店が儲かったからといって、10人前後の人が相寄ってやっているのだから、
それがそのまま自分のフトコロに入ることはもともとないだろう。
けれども、やはりそこにひとつの喜びというか
働き甲斐といったものを感じるのである。
それが店全体としての利益であっても、
自分の働きの結果、それだけ儲かったということはうれしいわけである。

そういうことがわからないと、なんとなく張り合いがない
「いくら儲かっているのか知らないが、ずいぶんこき使うな」
といった不満もでてくることになる。
まあ、このごろであれば、すぐに
「それだけ儲かったのなら、もっと給料を増やしてくれ」
ということになるのかもしれないが、その時分はあまりそういうこともなく、
店の発展に一つの精神的な喜びを覚えるという姿であった。
(…)
このことは会社全体だけでなく、
それぞれの部署においても同じことである。
一つの部なら部員全体、一つの課なら課員全体が、
自分の部署の方針なり仕事の実態を知ってこそ、
各人の自主的な力強い働きも期待できる。

だから、上に立つ人はつねにそういう心構えを持たなくてはならない。

昔の中国の賢人が「依らしむべし、知らしむべからず」ということを
いわれたそうである。
たしかに封建時代のように、権力者が独裁的に人民を支配している時であれば、
人民にいろいろと政治上のわずらわしいことなどは知らせずに、
自分のいうとおりにせよ、ということでも、
それなりにうまくいくということも考えられないではない。
しかし、今は民主主義の時代であり、
企業経営も民主的な姿において真に力強いものとなり得るのである。
単に、安易な依存心で上司のいうまま、
命これに従うということではいけないのであって、
各人の自主責任による働きがぜひとも要求されてくる。

そのためには、やはりまず知らせることが必要なのである
だから、今日の時代の企業経営においては
まず知らしむべし、依らしむべからず
といい直す必要があるのではないかと思う。

「特別にこれという理由があったわけではないが、
自分はただ、一緒に松下電器で苦労をしてくれる従業員の人たちに、
一カ月一生懸命働いてくれた成果がどうなったのか. を知らせるのは、
従業員の人たちに対する経営者としての礼儀やと思ったんや」

IMG_0023.jpg

『稲盛和夫の実学』より抜書き――
ところが日本では、それほど重要な会計というものが
経営者や経営幹部の方々から軽視されている
会計と言えば、
事業をしていく過程で発生したお金やモノにまつわる伝票処理を行い、集計をする、
後追いの仕事(処理、作業)でしかないと考えているのである。

会計というものは、
経営の結果をあとから追いかけるためだけのものであってはならない。
いかに正確な決算処理がなされたとしても、遅すぎては何の手も打てなくなる。
会計データは、現在の経営状態を
シンプルにまたリアルタイムで伝える
ものでなければ、
経営者にとっては何の意味もないのである。

企業の会計にとって
自社の採算向上を支えることは、もっとも重大な使命である。
採算を向上させていくためには、
売上を増やしていくことはもちろんであるが、
それと同時に製品やサービスの付加価値を高めていかなければならない
付加価値を向上させるということは、
市場において価値の高いものをより少ない資源でつくり出すということである。
また、それは、事業活動により従業員の生活を向上させていくと同時に、
社会の発展に貢献するための前提条件となるもの
でもある。

こで私は、われわれが日常働く中で生み出しているこの付加価値を
できるだけわかりやすく表現するために、
単位時間当りの付加価値を計算して「時間当り」と呼び、
付加価値生産性を高めていくための指標とした。
そして、「時間当り採算表」を管理部門に毎月作成してもらい、
現場で作業している従業員にも採算が簡単に理解できるようにしたのである。

まず大事なことは、経営は幹部から一般の社員に対してまで
「透明」なものでなければならない
ということである。
つまり、経営トップだけが自社の現状が手にとるようにわかるようなものではなく
社員も自社の状況やトップが何をしているのかもよく見えるような
ガラス張りのものにすべき
なのである。
会社は、決して経営者の私的な利益を追求する道具ではない。
会社の使命は、そこに働く従業員一人一人に物心両面の幸福をもたらすと同時に、
人類、社会の発展に貢献することである。
当然、経営者は率先垂範して、この会社の目的を達成するために
最大限の努力をしなくてはならない。
透明な経営を実践すれば、
この使命達成にトップが先頭に立って奮闘していることが、
社員の目からも一目瞭然になってくる

また、逆に(…)
透明な経営を行うためには、まず、経営者自身が、自らを厳しく律し、
誰から見てもフェアな行動をとっていなければならない。


社員が会社全体の状況やめざしている方向と目標、
また遭遇している困難な状況や経営上の課題について知らされていることは、
社内のモラルを高めるためにも、
また社員のベクトル(進むべき方向)を合わせていくためにも不可欠
なことである。
社員の力が集積されたものが会社の力なのであり、
社員の力が結集できなければ、
目標を達成することも、困難を乗り切っていくこともできない。
そのためには、トップに対してだけでなく、社員に対しても、
経営を限りなく透明にすることが最低限の条件
となる。

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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