素直な自問自答で謙虚に二省、三省
[2017年11月04日(Sat)]
自ら求めよ。
自ら求めるもののない人は何も得ることもない。
(福原義春)
明日のことをいうやつは
バカだというけれど、そうじゃない。
明日の約束をしないやつに希望は沸いてこない。
(本田宗一郎)
それは今日の課題であって、
明日の課題ではない。
われわれが明日という日をもつために、
われわれ自身が今日取り組まなければならない課題である。
ドラッカー『断絶の時代』のあとがき
夢のない人間は、死せる人間である。
大志を抱き、夢をもたなければ、
人間、生きる価値はない。
しかし、夢を見て現実を忘れるようなことがあってはならない。
やはりその日の仕事を大事にしていこうではないか。
あすはあすの風が吹く。
きょうを大事にしようではないか。
松下幸之助『松翁論語』
朝に発意、昼に実行、夕べに反省。
日々のそうした地道な活動の積み重ねが
商売繁盛につながっていく。
松下幸之助「商いの心得十カ条」第十条
自ら求めるもののない人は何も得ることもない。
(福原義春)
明日のことをいうやつは
バカだというけれど、そうじゃない。
明日の約束をしないやつに希望は沸いてこない。
(本田宗一郎)
それは今日の課題であって、
明日の課題ではない。
われわれが明日という日をもつために、
われわれ自身が今日取り組まなければならない課題である。
ドラッカー『断絶の時代』のあとがき
夢のない人間は、死せる人間である。
大志を抱き、夢をもたなければ、
人間、生きる価値はない。
しかし、夢を見て現実を忘れるようなことがあってはならない。
やはりその日の仕事を大事にしていこうではないか。
あすはあすの風が吹く。
きょうを大事にしようではないか。
松下幸之助『松翁論語』
朝に発意、昼に実行、夕べに反省。
日々のそうした地道な活動の積み重ねが
商売繁盛につながっていく。
松下幸之助「商いの心得十カ条」第十条
松下幸之助『道をひらく』より――
「なぜ」
こどもの心は素直である。
だからわからぬことがあればすぐに問う。「なぜ、なぜ」と。
こどもは一生懸命である。熱心である。
だから与えられた答えを、自分でも懸命に考える。
考えて納得がゆかなければ、どこまでも問いかえす。「なぜ、なぜ」と。
こどもの心には私心がない。とらわれがない。
いいものはいいし、わるいものはわるい。
だから思わぬものごとの本質をつくことがしばしばある。
こどもはこうして成長する。
「なぜ」と問うて、それを教えられて、
その教えを素直に自分で考えて、さらに「なぜ」と問いかえして、
そして日一日と成長してゆくのである。
大人もまた同じである。
日に新たであるためには、
いつも「なぜ」と問わねばならぬ。
そしてその答を、自分でも考え、また他にも教えを求める。
素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、「なぜ」と問うタネは随所にある。
それを見失って、
きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く、
十年一日の如き形式に堕したとき、
その人の進歩はとまる。社会の進歩もとまる。
繁栄は「なぜ」と問うところから生まれてくるのである。
だからわからぬことがあればすぐに問う。「なぜ、なぜ」と。
こどもは一生懸命である。熱心である。
だから与えられた答えを、自分でも懸命に考える。
考えて納得がゆかなければ、どこまでも問いかえす。「なぜ、なぜ」と。
こどもの心には私心がない。とらわれがない。
いいものはいいし、わるいものはわるい。
だから思わぬものごとの本質をつくことがしばしばある。
こどもはこうして成長する。
「なぜ」と問うて、それを教えられて、
その教えを素直に自分で考えて、さらに「なぜ」と問いかえして、
そして日一日と成長してゆくのである。
大人もまた同じである。
日に新たであるためには、
いつも「なぜ」と問わねばならぬ。
そしてその答を、自分でも考え、また他にも教えを求める。
素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、「なぜ」と問うタネは随所にある。
それを見失って、
きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く、
十年一日の如き形式に堕したとき、
その人の進歩はとまる。社会の進歩もとまる。
繁栄は「なぜ」と問うところから生まれてくるのである。
「自問自答」
自分のしたことを、他の人びとが評価する。
ほめられる場合もあろうし、けなされる場合もある。
冷やかに無視されることもあろうし、
過分の評価にびっくりすることもあろう。
さまざまの見方があって、さまざまの評価がある。
だから、うれしくなって心おどる時もあれば、
理解の乏しさに心を暗くする時もある。
一喜一憂は人の世の習い。
賛否いずれも、ありがたいわが身の戒めと受け取りたい。
だがしかし、
やっぱり大事なことは、
他人の評価もさることながら、
まず自分で自分を評価するということである。
自分のしたことが、
本当に正しかったかどうか、
その考え、そのふるまいにほんとうに誤りがなかったかどうか、
素直に正しく自己評価するということである。
そのためには、
素直な自問自答を、くりかえし行わねばならない。
みずからに問いつつ、みずから答える。
これは決して容易ではない。
安易な心がまえで、できることではないのである。
しかし、
そこから真の勇気がわく。真の知恵もわいてくる。
もう一度、自問自答してみたい。
もう一度、みずからに問い、みずからに答えたい。
ほめられる場合もあろうし、けなされる場合もある。
冷やかに無視されることもあろうし、
過分の評価にびっくりすることもあろう。
さまざまの見方があって、さまざまの評価がある。
だから、うれしくなって心おどる時もあれば、
理解の乏しさに心を暗くする時もある。
一喜一憂は人の世の習い。
賛否いずれも、ありがたいわが身の戒めと受け取りたい。
だがしかし、
やっぱり大事なことは、
他人の評価もさることながら、
まず自分で自分を評価するということである。
自分のしたことが、
本当に正しかったかどうか、
その考え、そのふるまいにほんとうに誤りがなかったかどうか、
素直に正しく自己評価するということである。
そのためには、
素直な自問自答を、くりかえし行わねばならない。
みずからに問いつつ、みずから答える。
これは決して容易ではない。
安易な心がまえで、できることではないのである。
しかし、
そこから真の勇気がわく。真の知恵もわいてくる。
もう一度、自問自答してみたい。
もう一度、みずからに問い、みずからに答えたい。
どうやってヒットを打ったのかが問題です。
たまたま出たヒットでは、なにも得られません。
たまたま出たヒットでは、なにも得られません。
イチロー(2002)/イチロー262のメッセージ
1994年、鈴木一朗からイチローに...その年の秋、200本安打達成
1994年、鈴木一朗からイチローに...その年の秋、200本安打達成
高い目標の達成を心に決め、――「やるぞ!」
どうすればできるかを考え抜き、
そして、辛抱強く、根気よく、事をつづけてやり抜く
辛抱強く、根気よく/2017.11.1
この続きはまた明日
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。