ムダの始末
[2017年07月18日(Tue)]
徹底的にムダを排除しなければならない。
しかし口で言うほどムダを探すのは簡単ではない。
ウチはこのムダ探しとムダの始末が
他社よりも上手だから業績がいいんだと思う。
大須賀正孝『やらまいか!』
しかし口で言うほどムダを探すのは簡単ではない。
ウチはこのムダ探しとムダの始末が
他社よりも上手だから業績がいいんだと思う。
大須賀正孝『やらまいか!』
なにが「無駄」か明確でなければ探しようがない。
――「きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く、十年一日の如き形式に堕したとき、
その人の進歩はとまる。社会の進歩もとまる」松下幸之助
「仕事」と「趣味」の違いは、
後者が「自分のため」にやることであるのに対して、
前者は「自分以外の誰かのため」、
ありていに言って「世のため人のため」にやることだ。
「仕事」というのは、自分を向いた事ではなく、
誰かのためにならなければいけないんです。
誰かに価値があって、誰かが儲かって初めて自分が儲かる。
そこが「趣味」と大きく違うところです。
後者が「自分のため」にやることであるのに対して、
前者は「自分以外の誰かのため」、
ありていに言って「世のため人のため」にやることだ。
「仕事」というのは、自分を向いた事ではなく、
誰かのためにならなければいけないんです。
誰かに価値があって、誰かが儲かって初めて自分が儲かる。
そこが「趣味」と大きく違うところです。
「趣味」、趣味的な「作業」、本当の「仕事」
自分以外の誰かに「価値」を届けてお役立ち(貢献)する
そのお役立ちに対する報酬として、利益(あるいは給料)をいただく
「価値」とはお客様にとってのメリット(判断するのは自分ではなくお客様)であり
それ以外(お客様にとって意味のないこと)はすべて「無駄」
経理や財務の仕事、あるいは人事の仕事をやっていても、
すべてはお客様のために仕事をやっているということ。
お客様にとって効果がまったく無い仕事は無意味だと思う。
「23条の経営理念」/柳井正『一勝九敗』
すべてはお客様のために仕事をやっているということ。
お客様にとって効果がまったく無い仕事は無意味だと思う。
「23条の経営理念」/柳井正『一勝九敗』
松翁ある人に次のように言われた――
仕事は自分のものではない。
世の中にやらせてもらっている仕事である。
そう考えてこそ、
責任感と使命感と謙虚で力強い活動が生まれてくる。
松下幸之助・述 『松翁論語』
仕事は自分のものではない。
世の中にやらせてもらっている仕事である。
そう考えてこそ、
責任感と使命感と謙虚で力強い活動が生まれてくる。
松下幸之助・述 『松翁論語』
「世の中にやらせてもらっている世の中の仕事」なのに、ムダを放置していいのか
ムダを徹底的に排除する
ムダを徹底的に排除するだけでは「価値」は生まれない
(穴の開いたバケツの穴をふさいだだけ)
有効に「活かす」ことによって新たな「価値」が生まれる
問題はそれらの資源(情報、お金、時間、人)が十分にあるかないかではなく、
仕事に有効に活かせているかどうかです。
鈴木敏文『朝令暮改の発想』
仕事に有効に活かせているかどうかです。
鈴木敏文『朝令暮改の発想』
この世の中に存在するものは、一つとしてムダなものはない。
ムダだと思うのは、
その活かし方、使い方を知らないだけ。
活かし方を知らなければ、すべてのものがマイナスになる。
松下幸之助
ムダだと思うのは、
その活かし方、使い方を知らないだけ。
活かし方を知らなければ、すべてのものがマイナスになる。
松下幸之助
始末第一に、商売に励む(始末してきばる)
始末と吝(しわ)きは違う。
無知な人は始末と吝き(ケチ)を同じように考えるけど、
ケチの光はすぐに消えてしまうが、
始末の光は満ちれば明るい未来が開ける。
中井源左衛門(近江商人)
始末と吝(しわ)きは違う。
無知な人は始末と吝き(ケチ)を同じように考えるけど、
ケチの光はすぐに消えてしまうが、
始末の光は満ちれば明るい未来が開ける。
中井源左衛門(近江商人)
大事なのは「後始末より先始末」
後始末に追われる「ムダ」を未然に防いで
本来なすべき「値打ちある価値」の創出に注力する(きばる)
先始末(先手管理)、後始末(後手管理)、不始末(末路哀れ)
この続きはまた明日
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。