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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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八風吹けども動ぜず [2015年03月29日(Sun)]
先日(3/16)、仕事帰りに立ち寄ったお寺の暗がりの参道で
掲示板に掲げられた「聖語」に目が留まりました。
 20150329.jpg
「八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり」
 =八つの風=
人の心を動揺させるものに利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽の八つがあり、
それを風に譬えられています。
そして、これらの風が吹いても、平常心を保てる人間のことを賢人と呼ぶとされます。
ですから賢人とは、どんな時も人として謹み深く、
他者を敬うことのできる美しい心の持ち主のことです。
◆今月の聖語(2014.10)/日蓮宗

◆八風吹けども/うゐの奥山(25)/玄侑宗久公式サイト
「風吹不動天辺月」八風吹けども動ぜず天辺の月

順風にも逆風にも動じることなく、平常心を保ち、今を生きる四つ葉
 
艱難汝を玉にす [2014年12月21日(Sun)]
今週木曜日(12/17)、仕事帰りに立ち寄ったお寺の暗がりの参道で
掲示板に掲げられた「聖語」に目が留まりました。
20141221.png
「天の御はからいとをぼすべし」
  =苦難と魂=
私たちは悪いこと、辛いことがあると歎き悲しみます。
しかし、「艱難汝を玉にす」という言葉があるように、
宝石も原石のままでは輝きません。
身を削り磨かれてこそ、その魅力が、ようやく生まれてくるのです。
ですから、すぐには信じられませんが、
苦難との出会いもお導きなのです。そう信じる魂にこそ正しい力が宿るのです。
そして、この力は安穏な社会を照らす光のエネルギーの源となっていきます。
◆今月の聖語(2014.9)/日蓮宗

偶然に出逢った言葉に勇気づけられて合掌四つ葉
 
すべてに時がある [2014年11月09日(Sun)]
バルバロ訳・聖書本
「コヘレットの書」(伝道の書)第3章より――

この世には、すべてに時があり、それぞれ時期がある。
生まれる時、死ぬ時がある、
植える時、抜く時がある。
殺す時、治す時がある、
倒す時、建てる時がある。
泣く時、笑う時がある、
嘆く時、踊る時がある。
石を投げる時、拾う時がある、
抱擁する時、抱擁をやめる時がある。
さがす時、失う時がある、
守る時、捨てる時がある。
裂く時、縫い合わせる時がある、
黙る時、話す時がある。
愛する時、憎む時がある、
戦う時、和睦する時がある。
(…)
咲くも無心
散るも無心
花は嘆かず
今を生きる(坂村真民「今を生きる」)
 
知識の広さと智恵の深さ [2014年09月10日(Wed)]
立ち寄ったお寺の参道の掲示板に掲げられた聖語、
その解説に目が留まりました。
20140910.jpg
  =知識の広さと智恵の深さ=
《井の中の蛙大海を知らず》とは、よく知られた言葉ですが
《されど空の深さを知る》と続くとは、あまり知られていません。
知識は広さを求めるものですが
広くなればなるほど、深い智恵を持たなければなりません
知識に振り回されてしまうからです
インターネットによって
とてつもなく広い知識を手に入れることができる現代社会は、
より《空の深さを知る智恵》が必要なのです。
◆今月の聖語(2014.6)/日蓮宗

知識は得るものでインプット、
これに対して智恵は絞るものでアウトプット、
そのように自分なりに解釈していましたが、
それぞれに「求められるもの」の違いについて、
この聖語の解説(知識の広さと智恵の深さ)に納得です。

この続きはまたいつか四つ葉
 
極楽、地獄の岐れ路<不幸を自分で造る人> [2014年07月22日(Tue)]
昨日の記事(極楽、地獄の岐れ路<幸福への近道>)の続きメモ

西国第廿九番札所 松尾寺さんの
「極楽(しあわせ)、地獄(ふしあわせ)の岐れ路」より

   不幸を自分で造る人
心の暗い人 不愉快に暮す人
絶えず不満や愚痴の多い人
やる気がなくよくサボル人
無責任な人 法規を守らぬ人
時間も「物」も無駄にする人
陰口が多く人の和を乱す人
卑下する人 自信なく焦る人
信仰心がなく自我の強い人
神佛に無理な願いをする人
心が狭くすぐ腹を立てる人
暴飲暴食自分を粗末にする人
お金を浪費し賭事をする人
悪友も道楽閑も多すぎる人
公徳心なく迷惑を掛ける人
利己的気儘自分本位の人
迷いも取越苦労も多い人
欲の深い人 自惚れの強い人
依頼心の強い人 苦労に負ける人
義理より権利を主張する人
貴重な一生を無為に過ごす人


matsunoodera.jpg
一歩、一歩、もう一歩足跡
 
極楽、地獄の岐れ路<幸福への近道> [2014年07月21日(Mon)]
西国第廿九番札所 松尾寺さんの
「極楽(しあわせ)、地獄(ふしあわせ)の岐れ路」より

   幸福への近道
早起きする人 熟睡できる人
感謝して真剣に努力する人
仕事を趣味に能率を計る人
義務も責任も進んで果す人
時間を守る人 礼儀正しい人
頼もしい人 融和を計る人
人も自分をも尊敬できる人
常に反省し素直に改める人
何事も善意に解釈する人
注意深い人 決断の速い人
心身の健康を心掛ける人
質素で金を活かして使う人
孝心深い人 恩に報いる人
親切で人の為によく尽くす人
良心と優しい愛情に満ちた人
恥を知る人 偽りのない人
信念に徹した人 辛抱強い人
どんな苦難にも悠々耐える人
生き甲斐を求め精進する人
夢と希望に笑顔で生きる人


丁寧に生きる [2014年06月29日(Sun)]
午後に京都で研修参加の予定があり、その前に午前中は相国寺の承天閣美術館足跡
「伊藤若冲の名宝展」が開催中です(〜9/23)。
P1020542.jpg

P1020549.jpg

道中、「出町ふたば」さんの店先には今朝も早くから生菓子を求めるお客様の列、
私も列に並んで、名代の「豆餅」と季節の生菓子「みな月」を買い求めました。

私が、伊藤若冲と出逢ったのはまだ2週間前のこと、
相国寺の観音懺法会法要のために方丈一面に掛けられた文殊・普賢の仏画2幅と動植綵絵30幅(観音懺法のため正面の仏画は若冲の釈迦像ではなく別の作者の観音像)の複製画に圧倒され、魂を揺さぶられて心惹かれました。

若冲の画に魅せられて読んだ佐藤康宏著『もっと知りたい伊藤若冲・改訂版本0934.jpg

そのカバー見返りと本文p.37に紹介されている若冲の言葉は、
私自身の「生きる姿勢」を問いただす頂門の一針――
いまの画(え)というものは、みな手本をもとに描くばかりで、
いまだ物を描けたのもを見たことがない。
そして技術によって売れることばかりを求めていて
技術以上に進むことができたものがない
自分が人と違っているのはこの点だけなのだ。


今回の名宝展では、
鹿苑寺(金閣寺)大書院の障壁画の50面がすべて展示されていますので、
部屋の間取り図に自分を置いて若冲の世界にどっぷりと…
また、釈迦三尊像(文殊菩薩、釈迦如来、普賢菩薩)も展示されていますが、
先日の方丈で拝見した複製と同じ大きさなのに、ずっと大きく見えます。
天井の高さの違いでしょう。圧倒された動植綵絵30幅の感動がよみがえります。
そのほかにも、群鶏蔬菜図押絵貼屏風(六曲一双)に描かれた鶏のユーモラスな姿など、
動植綵絵とは違った若冲の世界をたっぷり愉しませていただきました。

その一方で、先日からずっと感じていた疑問、
さまざまな動植物が描かれているのですが、「人」の姿が…
今回の名宝展でも売茶翁像の画が展示されていたぐらいでしょうか

そんな疑問を感じながら、美術館の売店で有馬頼底管長の本のページをめくると、
その「おわりに」に管長様がお考えを示してくださっているのを発見。
jizairyoku.jpg
午後からの予定を終え、早速、帰りの車中に読みましたが、
語りかけてくださる言葉の一つひとつがありがたい限り。

人は丁寧に生きてこそはじめて、人生と呼べるものを与えられる。
(…)
丁寧に生きるというのは、
心を込めて生きるということにほかならない。
(…)
丁寧にモノを扱ったり丁寧にものごとを行なうことは、
結局、人間関係をも丁寧なものにしていくのです。
だからこそ、いっそ丁寧に心を込めて人と接するということを
心がけたい
ものです。
「丁寧に生きることで、新しく生まれ変わる」より
 
まず自ら自分の心を守る [2014年06月23日(Mon)]
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家庭は心と心がもっとも近く触れあって住むところであるから、
むつみあえば花園のように美しいが、
もし心と心の調和を失うと、
激しい波風を起こして、破滅をもたらすものである。
この場合、他人のことは言わず、
まず自ら自分の心を守って
ふむべき道を正しくふんでいなければならない。
「清風匝地」 [2014年06月01日(Sun)]
昨日の記事の続きメモ

私が坐禅のご指導をいただいている佐々木奘堂和尚様の晋山式は、盛大かつ厳粛に行われ、無事に式を終えて、和尚様からお手伝いをさせていただいた私たちにご褒美、
臨済宗相国寺派の管長で金閣寺や銀閣寺の住職も兼ねられている有馬管長の書です。
今の私に何よりの言葉です。
ありがとうございます。額に入れさせていただきました。
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清風匝地有何極(「碧巌録」第一則)
せいふうそうち なんのきわまりかあらん
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「慎独」独りを慎む [2014年05月23日(Fri)]
以下、森信三著『修身教授録』よりメモ

気品」というものは、ある意味からは、人間の値打ちの全てを言い表すと言ってもよいでしょう。人間の人格的価値を言い表す上において、この気品という言葉ほど適当なものは、ちょっと外にはないでしょう。

実際、気品というものは、その人から発する、いわば内面的な香りとも言うべきもので、ここぞと、形の上にいって捉えることのできないものです。

花などでも、なるほど見た目の美しさということも大切でしょうが、しかし真の床しさということになりますと、どうしても色や形よりも香りということになりましょう。

同様に、人間の人格的な価値というようなものも、その人が、かようかようなことをしたとか、言ったとかいうよりも、そうした見えるものを越えて香る気品の床しさにこそ、その根本はあると言えましょう。

われわれが気品のある人間になるためには、何よりも根本のこころの曇りを拭うようにしなければならぬと申したわけですが、しかしさらに大切なことは「慎独」すなわち、人間がただ一人いる場合にも、深く己を慎むということです。

他人と相対する場合、わが内心の曇りをはらって、常にそのこころの清らかさを保つということも、もとより大切ですが、しかし気品を高める上から申せば、独りを慎むということの方が、ある意味では大切だとも言えましょう。

真に独りを慎むということは、結局はを相手にしなくてはできない
――「お天道様が見ている」ということか

そこで諸君らも今日から、どうしたら気品を高めることができるかということを、常に心の根本に置いていただきたいと思うのです。それには只今も申すように、まず慎独ということを、その中心にされるとよいでしょう。
第2部・第8講「気品」/『修身教授録』本

君子必慎其獨也。小人闍鐘ィ不善、無所不至。
/『大学』伝六章
(君子は必ずその独りを慎むなり、
小人 閑居して不善をなす、至らざる所なし)


「人を相手にせず、天を相手にせよ」(西郷南洲遺訓)


正しきものは強くあれ [2014年05月18日(Sun)]
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東日本大震災の年(2011年)の夏に読み、魂を揺さぶられました。
序章では、私がこの本を読むきっかけとなった週刊文春(2011年8月4日号)のグラビアページのエピソードが、より詳しく記されています。

1カ月3万円での生活。「清貧の人」と言われた土光は、太平洋戦争に突入する直前に建てられたこの家に住み続けた。石川島播磨重工業、東芝の社長、さらには経団連会長、第二臨調(第二次臨時行政調査会)会長になっても、この家で朝を迎えた。(序章より)

本書は単なる箴言集ではなく、その言葉のバックグラウンドが記されているので、一つひとつの言葉についてより深く考えることができます。

松下さんや稲盛さんのような創業者ではなく、サラリーマン出身の経営者ですが、
その経営や人生に対する真摯な考え方(哲学)と実践されてきた行動に、深い感銘を受け、心を強く動かされました。

誰にも皆、火種はある。必ずある。
他の人から、もらい火するようではなさけない。
自分の火種には、自分で火をつけて燃え上がらせよう。


が、あれから3年、日々の雑事にかまけて惰眠を貪り、
お粗末にも、せっかくの火種を自分で消してしまっていました。

先日、仕事帰りにぶらり立ち寄った書店で、文庫化された本書と出逢い、再読。
幸いにも消し炭状態だったようで、すぐに着火。今度はしっかり燃やし続けます。


「正しきものは強くあれ」

無依の道を歩む [2014年02月01日(Sat)]
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(…)
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

(…)

天正寺(天王寺区)の坐禅会で佐々木奘堂和尚のご指導を受け、
その帰りに梅田の書店で茨木のり子さんの詩集を買い求めて読む。
しなやかに、凛として、そして力強い

できあいの思想、宗教、学問、いかなる「人惑」にも囚われず、
随処に主となり、自分の足足跡で立って、力強く完全に生き抜く――随処作主 立処皆真

無依の道の徹底足跡
――今年のテーマです
 
「何もしない」ことに全力を傾注する [2013年04月27日(Sat)]
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 河合隼雄先生曰く――
 「何もしない」というのは、一見非生産的に見えますけれども、実は新しいものを創造する前の大事な過程なんですね。
 何もしない状態の中からこそ、普通の状態では容易に動かないものが動く可能性が出てくるわけですよ。普段僕らが考えることといったら、例えば何かを手に入れたいからお金をどこから工面しようとか、どうやって値引きしてもらおうとか、そんなことですね。つまり目に見える方向性があって、そればかり考えている。そういう時は、どんなに一生懸命考えてもその方向性に関係することしか動かないわけです。
 ところが「何も方向性がない」「何も目標がない」という状態からは、普段では考えつかない途方もないことが出てくる可能性があるわけですよ。その途方もないことが起きるのが面白いわけです。
 将棋の場合でもそうでしょう。定跡を知っていないと話にならないけれど、定跡にこだわっていたら面白い将棋にならない。それを全部取っ払うから面白い手が出てくるんですね。だから、なんにもこだわらない状態というのが大切なんです。(本書p.146)

「無為であること」、
すなわち「何もしないこと」に全力を傾注するひらめき
 
「直指人心、見性成仏」 [2013年01月25日(Fri)]
 本日の研修を終えて、すたすた渋谷へ...電車
 お目当てはBunkamuraで開催中の「白隠展」、大阪に戻る前にちょっと道草です。

 慈悲の心で語りかける白隠の書画の数々と向き合う至福の時に大満足です。
 その中からあえて3つ選ぶと……
 ■直指人心、見性成仏
  ビジュアルツアーの0:53から始まる<達磨>コーナーの《半身達磨》とその賛

 ■富士大名行列
  ビジュアルツアーの2:51から始まる<戯画>コーナーの最初に登場

 ■(とく)」
  ビジュアルツアーの3:42から始まる<墨蹟>コーナーで《百寿福禄寿》の次にチラッと登場
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――いくら稼いで金を残しても、子孫は使ってしまう。いくら本を残しても読まぬ。それよりは、人知れず善行を行い、陰徳を積むことだ。それが子孫繁栄の方策だぞ、ということが書いてある。誰にもわかる徳目だが、行う人は少ない。白隠は徳を「悳」と書く。善行善心のことである、それが「直き心」である。
「やってみなはれ みとくんなはれ」 [2012年08月25日(Sat)]
昨日まで広島に出張。
そのお供は、『やってみなはれ みとくんなはれ』(新潮文庫)本

 それが最大のピンチであったといわれるけれども、危機はそれだけではなかった。
 何度も乗り越えてきた。それが開拓者の歩む道である。社長といい、部長といい、平社員といっても同志なのである。
 苦難の道は去っていない。なぜならば、サントリーは自ら苦難の道を求めているからである。
 ここにおいて、社内や社員全般に熱気が溢れているのは、私には当然のことのように見えてくるのである。
 「やってみなはれ。やらなわからしまへんで」
(同書・『青雲の志について』(山口瞳)より抜書き)

 「初心忘るべからず」という教訓を再体得するまでにサントリーは5年間、莫大な費用と汗を流したのだった。これはとほうもなくにがく、どえらくつらいことであった。
 けれどこの経験のために組織体は血液を更新した。徳を回復した。人に訴えるにあたって絶対欠かしてはならぬ何事かをつかんだのである。小国の悲痛から出発することをようやく大国がさとったのだったともいえようか。
 エンジンはふたたび点火された。
 全速、発進!……
(同書・『やってみなはれ』(開高健)より抜書き)

これや!
 
「困難は克服されるためにある」(梅棹忠夫) [2012年08月11日(Sat)]
 今回の金沢出張(8/8〜9)の供は、『梅棹忠夫 語る』本

 民博(国立民族学博物館)の広瀬浩二郎先生の本やご講演の中で、民博の初代館長である梅棹先生の「ものとの対話」が印象に残ったのが、きっかけ。
――民博の初代館長・梅棹忠夫は「ものとの対話」を強調し、展示資料はガラスケースに入れず露出のまま並べ、解説文も必要最小限の文字数とすることを原則としました。展示物をじっくりみて、その背景にあるストーリーを来館者が自由に思い描く鑑賞法を推奨したのです。(広瀬浩二郎著『さわっておどろく!』p.51)

 本書(『梅棹忠夫 語る』)は、梅棹先生の最後のメッセージ。
 多くの力強い気づきを得ましたが、その中から2箇所だけ抜き書き・・・

あのとき、供給が需要を生むんだと言いたかった。
供給してみい、そうしたら需要がでてくる
それが当たった。(p.180)

前から、それは言ってたやろ。困難はなんぼでも出てくる
けど、困難は克服されるためにあるんや
ほんまに、いろんなことを乗り越えた。腕力で乗り越えた。(p.190)
――あきらめたらあかんのです!
 
「お世話様です」 [2012年07月13日(Fri)]
s-img123.jpg月刊PHPの表紙の裏面(見返し)は松下さんの揮毫とメッセージです。今月号(2012/8)は共存共栄――

人と人とがつながりあっているこの世の中で、
自分だけを大事にして生きていくことはできません。

誰もが自分さえよければと考え、行動すれば、
対立や衝突を生み、社会を混乱させて、
結局は自らの幸せも損ねることになるでしょう。

自分を大事にするとともに他人も大事にする
共に生き、共に栄える道を求めていきたいものです。


 そして、今号(2012/8)最初のエッセイ(p.12〜14)、
 その言葉は私の胸へ静かに沁みわたったで始まる出雲遥さん(仮名)のお話に、深い感銘を受けました。
「お世話様です」
私を支え、魂を揺さぶった言葉である。

読み終えて私の魂も揺さぶられました。ありがとうございます。
第44回PHP賞を受賞されたこの作品、ぜひご一読を!
月刊PHP/2012年8月号本
 
「今」 [2012年07月10日(Tue)]

 地下鉄御堂筋線・本町駅からオフィスに向かう時、北御堂さんの前を通ります。
 正面階段の横にある掲示板の今月の言葉……

明日がある
あさってがあると
思っている間は
なんにも ありはしない。
かんじんの「今」さえ
ないんだから
(東井義雄)

 頂門の一針に感謝!
深い「自己反省」と強い責任感 [2012年06月24日(Sun)]
michi.jpg
何でもかんでも、わるいことはすべて他人のせいにしてしまったら、
これほど気楽なことはないだろう。
すべて責任は相手にあり、都合のわるいことは知らぬ存ぜぬである。
だがしかし、
みんながみんなこんな態度で、責任の押しつけ合いをしていたならば、
この世の中、はたしてどうなることか。

理屈はどうにでもたてられる。責任をのがれる理屈は無数にあろう。
また法律上は、無関係、責任なしということもあり得ることである。
しかしこれは理屈や法律だけのこと。
人と人とが相寄って暮らしているこの世の中、
どんなことに対しても、自分は全く無関係、自分は全く無責任――そんなことはあり得ない。
一見何の関係もなさそうなことでも、まわりまわってわが身につながる。
つながるかぎり、それぞれに深い自己反省と強い責任感が生まれなければならないであろう。

すべてを他人のせいにしてしまいたいのは、人間の常であろうけれども、
それは実は勇気なき姿
である。心弱き姿である。
そんな人びとばかりの社会には、自他とも真の繁栄も真の平和も生まれない。
おたがいに一人前の社会人として、責任を知る深い反省心大きな勇気を持ちたい。
「わが身につながる」/松下幸之助著『道をひらく』本

松翁ある人に次のように言われた。
――政府を頼り、他人を頼り、責任を他に転嫁するというかたちにおいては
真の繁栄への道 [2012年06月17日(Sun)]
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朝起きたら顔を洗う。家の前をはいて水を打つ。しごくあたりまえのこと

ものをもらえばありがとう。お世話になったらすみません。
とりちらかしたら、あとかたづけ。
別にむつかしい理屈も何もない。犬や猫ならいざ知らず、
人間としてなすべき、もっとも平凡な、もっともあたりまえのことである。

ところがこれに理屈がつく。
手前勝手な理屈がつくと、いつのまにやらあとかたづけ不要。
顔も洗わず、水も打たず。
平凡なことが何やらむつかしいことになって、何をなすべきか右往左往
そんなことが、きょうこのごろはあまりにも多すぎはしないか。

それもこれも、つまりは自分なりの都合のよい道を求めてのことであろうけれども、
自他ともの真の繁栄への道は、本当はもっと平凡なところにある
みんなが納得するしごくあたりまえのところにある
別にむつかしく考える必要はないのではないか。

もう一度考え直してみたい。
水が低きに流れるように、夏がすぎたら秋がくるように、
「自然の理」にかえって、もう一度「素直な心」で考え直してみたい
「もっとも平凡な」/松下幸之助著『道をひらく』本

松翁ある人に次のように言われた。
――素直な心は、力強く積極的なものだ
自然の理法に基づいた心が、弱く消極的なものであるはずがない
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