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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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「この子らを世の光に」(糸賀一雄) [2013年01月14日(Mon)]
 私が糸賀先生のことを知ったのは、昨年末に読んだ『あきないと禅』(春秋社)です。
 先生の最後の講義「愛と共感の教育」から引用して紹介されていました。
……
やがて意識が回復されると、繰りかえし繰りかえして、おっしゃったことは、
「もう少しだったのに、もう少しだからやりましょう。大丈夫、大丈夫……この子らを世の光に……」
そのお声は、もう力強く気魄がこもっていました。よほど、「この子らを世の光に」という言葉のもつ重い意味をお話になりたかったのでしょう。
その「を」が「に」と逆になれば、この子どもたちは憐れみを求める可哀そうな子どもになってしまいます。しかし、この子らは、みずみずしい生命にあふれ、むしろまわりの私たちに、そして世の人々に、自分の生命のみずみずしさを気づかせてくれるす素晴らしい人格そのものであるのだということを、おっしゃりたかったのだと思います。
この子らこそ「世の光」であり、「世の光」たらしめるべく、私たちは努力せねばならないのだということを、園長先生は最後に、そして一番訴えられたかったのでしょう。

 糸賀先生の生き様に心惹かれた私は、先生の本を図書館で借りて読みました。
 そして、先生の最後の講義録を出版社(中川書店・福岡)から取り寄せて読みました。

 先生の本(『この子らを世の光に』)、そして最後の講義録を読んで感じたのは、
「使命感」の高さ、
「情熱」の強さ、
そして、日々の「実践」

 実践なき言葉は空虚で、共感することはなく、魂を揺さぶりません。―― 自省
 共感することで自覚し、自覚することで責任を負い、新たな行動が生まれる。
 「自覚するということは責任を負うということ」との先生の言葉に納得です。

 以下、『この子らを世の光に』(柏樹社刊)本より写経
 自分もこの問題は以前から真面目に考えていた。一辺の義理や興味で、この社会事業に乗り出すべく自分は余りに分別をもちすぎている。自分がこの事業にのり出すとすれば、それは、一生の問題でなければならない。そして、一生つづく情熱の問題でなければならない。情熱は収容の対象である子ども達に対して、そしてこの事業そのものに対して。そして祖国再建への最も具体的な道であるとするこの事業に対する信念が問題である。自分は静かに考えさせられた。(同書p.7)
――終戦の翌年、昭和21年9月の先生の日記の一節、先生は当時32歳です。

 凡ての人がこの事業の重大性を認めている。しかし果たして誰人が自ら進んで、この事業に当たろうというのか。私にとっては、もはや、ただ前進あるのみという決定的な問題となってしまっている。自分の中にたぎり湧く情熱は、もはや如何なる冷却にあおうとも冷えることのできぬ状態に達しているのである。私は自分の将来の進路として官吏生活が如何にあきたらぬものであるかを、もう問うまい。自己一身の進路として、あれこれの選択をなす対象として、この事業を考えることは冒涜ではないだろうか。可哀想な、忘れられ捨てられた子たちへのひたむきな愛情が、それが国家の将来の課題を解決するための一助ともなるに違いないのだが、この愛情が、ひたむきにこの事業に注がれねばならなくなったという一事のみで十分である。そのための前途に横たわるであろう幾多の困難は、恐らく私をふるいたたせこそすれ、私の意志を豪もゆるがすことはできないだろう。おおげさだが、ちょうど、初代キリスト教徒が、あの迫害の中で敢然として信仰の表白に身を挺したごとく、私は自分の心の中に、子どもたちへの愛を通じて、神への、キリストへの信仰が漸く感じられようとしているのである。久しく忘れていた神のこと、キリストのこと、私は私なりに復活しようとしている。私は信仰をえて、しかる後愛の事業に突進するのではない。私を推進せしめるものは、只私の身内に湧出する情熱である。しかもこの情熱は何処より来たり、何処へ連れゆかんとするのであろうか。私はそれを説明することができない。(同書p.12〜13)
――同じく、昭和21年9月の先生の日記の一節です。

 およそひとつの仕事が歴史のなかでその位置を占めるためには、なんとたくさんの要素がはたらいているものであろうか。そこには、支えや協力だけでない。若い芽をつみとろうとする暴力、悪意、ねたみなど人間的なあまりにも人間的な臭気さえ立ちこめるものである。そういう背景や環境のなかで、ひとりの人間が、そして多くの同志たちが、戦い、結合を深め、支えあって仕事がすすめられる。しかし、同志といわれ、内わのものといっても生ま身の人間である。考え方や生き方の相違があり、発展がある。喜びもあれば絶望もある。われわれは何時も、はじめにもどり、めざすものは何であったか、自らに問い、人にも問い、確かめあって、今日まで辿ってきたのであった。(同書p.19)
――本書が出版されたのが昭和40年9月、近江学園20年の記録です。「明日」に向かって「初心」に立ちかえって考えることの意義を受け止めました。

 それにしても、私たちはその経営をなんとしても独立自営にもっていきたかった。公的な援助をうけないというのではない。また一般の寄附を排除するというのでもない。ただ自分たちの額に汗して生活を支えるという基本的な構えのないところに、社会事業の発展はないというふうに、私たちは確信していたのである。そういうことがじっさいに可能かどうか。それは三津浜学園でも石山学園でも、これまでの3年間の経験では自信のないことであった。しかし、理想としては民間の社会事業が、この生産性を確保していないことには、思いきった仕事ができないのではないか。それは経営的な経済の問題ばかりではない。お布施で生きている人間が、子どもたちの社会的な自立の根性を養ってやることができるものであろうか。この世のなかに何のたよるものもなく、風呂敷ひとつもあるかなしの天涯の孤児たちに、ひとりでりっぱに世の中に生きていくのだとはげます資格があるといえるだろうか。お布施にすがったり、月給にたよっていて、何ができるというのか。こういった反省が強く迫ってくるのであった。寄付にたよれば卑屈になり、公費にたよれば官権におさえつけられることにもなろう。この自前の生産性を求めるのは、理想であるかも知れないしたがって理想に到達するまでの現実は寄付にも公費にも依存しなければなるまいしかしそれだからといって卑屈になったりおさえつけられたりすることはまっぴらごめんである。そういった願いを私たちは抱いていたのである。そこでこの気持を「趣意書」には盛りこんでおくことにした。そのほか従来の社会事業が陥りやすかったいくつかの問題点をこの際しっかりと見詰めてみることにした。教育、医学、心理学、生産、経営、職業養成などといった諸問題がうかびあがってきた。
 9月28日の夜、私は一気に原稿用紙13枚に、近江学園設立の趣意書を書き上げた。その主なところを次にかかげてみよう。(同書p.58〜59)
――以下、趣意書の抜粋が先生の解説とともに続きますが、ただただ感銘です。

 しかしこの事件は、私たちに、いろいろな意味で、大きな教訓であった。
 ひとつには、どんなに自分が正しいからといっても、ただやりまくればよいといったものではなく、「鳩のごとく柔和に蛇のごとく慧(さと)く」あらねば、思わぬ障害をまねくものであるということ。そしてもうひとつは、迫害のきびしい時は、同志の結合はいよいよ固くなる反面、それと矛盾するようであるが、分裂の危機も同時にはらんでいるものであるということである。平穏無事のときにはわからなかった人間性が、四面楚歌という極限状況のときには、はっきりとあらわれてくるものである。そこに数多い職員のひとりひとりの主体性の問題が横たわっているのである。(同書p.138〜139)
――設立後2周年を迎えた昭和23年の秋に生じた最大の試練。その後も様々な艱難辛苦を経験されながら自らの思いを高め、深めていかれました。

最後に、本書のあとがきから
 「世の光」というのは聖書の言葉であるが、私はこの言葉のなかに、「知的障害といわれる人たちを世の光たらしめることが学園の仕事である。知的障害な人たち自身の真実な生き方が世の光となるのであって、それを助ける私たち自身や世の中の人々が、かえって人間の生命の真実に目覚め救われていくのだ」という願いと思いをこめている。近江学園20年の歩みとは、このことを肌身に感じ確かめさらに深く味わってきた歩みといえるのである。(同書p.301)

あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。
また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。
そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。
人々が、あなたがたの立派な行いを見て、
あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。(マタイ 5:14〜16)

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。(ヨハネ 1:1〜5)

(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988


◆この子らを世の光に/ラストメッセージ(第6集)/NHKスペシャル

ラストメッセージの第4集は、私が尊敬する植村直己さん、
(このブログのプロフィールを参照)
第5集は、“信はたていと、愛はよこ糸”の岡崎嘉平太さん、
(ブログのタイトル下の挨拶を参照)
そして糸賀一雄さん、共感できる人との出逢いに心から感謝!

54歳でそのご生涯を閉じられた先生の見事な生き様にひきかえ、
今月の誕生日で56歳になる我が人生を深く反省です。
 
朗読劇 『兄のランドセル』(12/15・大阪) [2011年09月30日(Fri)]
 今朝(9/30)の朝日新聞(大阪本社版)の朝刊で、山本ゆき・著『兄のランドセル いのちの政治家・山本孝史物語』(朝日新聞出版)の朗読劇が開催されることを知りました。

 今年の1月、この本を読み、魂を揺さぶられる感動を受けました。

 12月15日(木)の「朗読劇 兄のランドセル、待ち遠しいですハート3(大きい&小さい)
 ――「ルビコンの決断」(TV東京系列)で山本孝史さんを演じられた田中健さんも出演され、
    そして、本のp.284〜5に登場される六代目笑福亭松喬師匠もトークショーに出演されます。

★詳細は、山本孝史さんの公式サイト<いのちのバトン>で
http://www.ytakashi.net/
 
宮崎建樹さん(へんろみち保存協力会) [2011年01月29日(Sat)]
朝から光心館道場へ。土曜の朝稽古は「息心の行」汗
16日の講習会(「氣の呼吸法」&「息心の行」)で学んだことを実践です。


 さてさて、今日の朝日新聞の夕刊で、宮崎建樹さん(へんろみち保存協力会代表)が昨年12月に亡くなられたことを知りました。

 歩き遍路のバイブル『四国遍路ひとり歩き同行二人』には、私もずいぶんお世話になりました。
 この地図や道しるべに助けられ、そして勇気づけられました。四国遍路を安心して最後まで一人で歩き通せたのも、宮崎さんのおかげです。心からお礼を申し上げます。

◆代表 宮崎建樹のお別れ会の開催なし について
/へんろみち保存協力会


ありがとうございました。これからも私たちを見守り続けてください。よろしくお願いします。
 
「いのちをかけて、いのちを守る。」 [2011年01月09日(Sun)]
 金曜日に金沢出張から大阪に戻り、書店で『いのちの政治家・山本孝史物語 兄のランドセル』(山本ゆき著/朝日新聞出版)を買いました。そして、読みました。

 ようやく読み終えました。
 そして、山本孝史さんの最後の著書となった『救える「いのち」のために――日本のがん医療への提言』(朝日新聞出版)を読み直しました。
      

ありがとうございます。

 私は、山本孝史さんとボランティア活動をご一緒したこともなければ、山本孝史さんの講演会に参加したこともありません。山本孝史さんの活動をテレビや新聞・雑誌などを通じて間接的に知るだけ、そしてその良識と行動力に共感し、選挙で山本孝史さんに一票を投じるだけでした。

 生前の山本孝史さんとご縁がなかったことは残念ですが、それは、山本孝史さんが自らの使命感でいのちを賭けて取り組まれた問題に対し、私が「自分のこととして考えて行動する」力に決定的に欠けていた証です。

 本を読んで多くのメッセージを受け止めましたが、その感動は簡単に言葉に表せません。ただ、私の投じたささやかな一票が役に立ったことを実感でき、それが何より嬉しかったです。

 しかし、これで終わらせるわけにはいきません。しばらくはこの本を持ち歩き、何度も繰り返し読み直します。そして、自分ができることを考え、行動していきます。
 山本孝史さんの志の何か一つでも継いで、「いのちのバトン」をつないでいくために・・・

はい、覚えています [2010年12月15日(Wed)]
あの国会議員を覚えていますか?



はい、覚えています。

そして、尾辻さんの追悼演説も覚えています。感動で魂が揺さぶられました。



 あれから、まだ3年なんですね。

 先日(2010/12/11)の朝日新聞・朝刊の「記者有論」で、星浩(ほし・ひろし)さんが山本さんのことを書いておられました。

 山本さんの妻ゆきさんが書き綴られた『いのちの政治家・山本孝史物語―兄のランドセル』(朝日新聞出版)が近日刊行されるとのこと。

 その出版を記念して、山本さんの命日である来週22日、東京で山本さんを偲ぶトークイベントが開かれます。

 大阪でも開きたいですね。ぜひ・・・

寺内さん、ありがとう! [2010年05月29日(Sat)]
 <非営利組織>に関する情報をネットで色々と調べている中で、ドラッカーの『非営利組織の経営』の読書会の開催案内を見つけました。


 寺内さんのブログに書かれた案内を読み、寺内さんの問題意識もさることながら、読書会の運営が素晴らしい!と思いました。

 ドラッカー先生の『非営利組織の経営』をテキストに、これ1冊をしっかり読み込み、読書会の参加者が各自の組織に当てはめて考え抜き、そして行動する。そのために、参加者は毎回1部ずつ(全部で5部)を事前に読み込んで参加。さらには事前課題もあり、なかなか骨太の勉強会との印象を受けました。

 これが私と寺内さんとの出逢い、先週の土曜日、1週間前のことです。

 ブログの案内によると、昨年7月21日に第1回が開催され、今年3月まで全5回の開催予定とのこと。読書会のその後の顛末が知りたくて寺内さんのブログを確認しました。すると・・・


 驚きました。YouTubeも拝見しました。繰り返し、読み、拝見しました。


   寺内さんへ
はじめまして、宮です。私は、寺内さんと同学年のようです。
縁あって、昨年3月からこのCANPANにブログを開設させていただいています。
 
私がCANPANを選択したのは、無料にも関わらず、目障りな広告がなかったからです。
でも、CANPANにブログを開設したおかげで、
私自身の考え方が少しずつ進化しているのを感じます。

私がこのような「考え方の進化」を楽しむことができたのも、
寺内さんが決して諦めることなく、粘り強く取り組んでくださったおかげだったのですね。
心からお礼を申し上げます。ありがとうございます。

「あなたは何をもって覚えられたいか?」を問い続けなければならない
ドラッカー先生のこの教えに、寺内さんは
「公益コミュニティサイトを立ち上げ、活力ある運営で日本を元気にする!」と
答え続けてこられたのですね。素晴らしいです。

私たちは、寺内さんのおかげで
CANPANという公益コミュニティサイトの井戸の水をいつでも飲めます。
ありがとうございます!
井戸を掘ってくださった寺内さんのことを私たちは忘れません。

お体お大事になさって下さい。
北竜町(ほくりゅうちょう)は“ひまわり”で有名ですね。

ずいぶん昔のことですが、一度出かけたことがあります。
松嶋菜々子さん主演のNHKの朝ドラ「ひまわり」のタイトルバックに感動して、
出かけたのですが、、、
一面黄色のはずのひまわり畑が緑一色でした。(^_^ゞ
ネットで情報発信されている今なら、こんな失敗することないでしょうが、、、
気が向いたら出かけるかもしれません。その時にはぜひお付き合いください。

CANPANを通じて日本を元気に! 寺内さん、これからも引き続きよろしく♪
 
マザー・テレサは生きている☆マザー・テレサ写真展 [2010年04月01日(Thu)]
午後から神戸に出かけてきましたました。 ★マザー・テレサ生誕100年記念写真展

 マザー・テレサの写真もさることながら、写真撮影者である片柳神父さまの講演をお聴きするのが楽しみだったのですが、スタート時間の1時には少し遅れてしまいました。(^_^ゞ
 冷たい雨雨が降る中でしたが、講演会の会場は既に満員で立ち見もでる盛況です。

 片柳神父さまのお話は期待どおりでした。
 お話と撮影された写真に深く感銘し、生き方に共感して、神父さまが書かれた本を2冊買いました。

 大学生だった片柳神父さまが、自らの人生に迷って衝動的にインドに出かけられた1994年から95年にかけてのお話です。マザーとの運命的な出逢い、マザーテレサの下でボランティア活動、
 そして神父の道へと進まれる、、、

 片柳神父さまが自らのブログ『道の途中で』に連載執筆された「カルカッタ報告」をベースに1冊の本にまとめらたものです。カルカッタでの「マザーテレサゆかりの地」を訪ねる詳細な地図も掲載されています。

 この2冊の本には、会場に展示されている写真も載っていて、撮影された時の状況や神父さまの思いも記されていますのでおススメです。

 3時から再び講演会があり、厚かましくも二度目の聴講。ありがたい限りです。(^_^)
 15日間の会期中、休みなしでの開催。 神父さまのブログを拝見すると、神父さまも連日ご講演をされているとのこと、お疲れも溜まっておられることと思います。お体に気をつけて下さい。
★マザー・テレサ生誕100年記念写真展(神戸)★ 4月8日(木)まで


kouza.pdf
 このPDFは写真展の会場で配布されたチラシです。
 片柳神父さまのキリスト教講座、今年度は「マザー・テレサの言葉を読む」。
 カトリック六甲教会で毎週火曜日の午後に開催される(火曜講座)のとは別に、
 第一、第三金曜の夜に三宮でも開催される(金曜講座)とのこと。
 講義の内容はカトリック六甲教会のホームページや片柳神父さまのブログにも随時アップされるでしょうが、せっかくのご縁ですから勉強会に参加して学ばせていただこうと思っています。

 <4月1日> take a photo
わたしは写真を撮られるのが好きではありません。
でも、わたしはどんなことでも、
神の栄光のために使うことにしています。
カメラマンに写真を撮ることを許すたびに、
イエスさまに、
だれかひとり、天国に入れてくださるようお願いしています。

写真を通して、“生きているマザー・テレサ”との出逢い
喜びは伝染します。2010年4月1日
はい、しっかり伝染しました。顔1(うれしいカオ)
 
マザー・テレサ生誕100年記念写真展(神戸)3/25〜4/8 [2010年03月05日(Fri)]
 昨日(3/4)、“マザー・テレサ映画祭”の特別上映作品『すばらしいことを神さまのために
 〜Something Beautiful For God〜
』を観ました。
 今回の映画祭で上映されている7本のドキュメンタリーの中で一番古い作品です。このドキュメンタリーが1969年にBBCで放送されると、大きな反響を呼び、マザー・テレサの活動が全世界に知られるようになりました。
 繁栄の社会から取り残された最も貧しい人びとに仕えてこられたマザー・テレサ。映画の中でインタビューに答える彼女の言葉の一つ一つに込められたメッセージをしっかり受け止めました。

 “マザー・テレサ映画祭”、大阪での開催は4月2日までの予定です。
 なお、東京ではアンコール上映の開催が決まっています。(3/20〜4/11)

 一方、神戸では、『マザー・テレサ生誕100年記念写真展』が開催されます。(3/25〜4/8)

 写真展の会場で開催される講演会の講師のお一人である片柳神父さま(カトリック六甲教会)のブログ「道の途中で」に、写真展の開催の経緯や準備の様子が詳細に記載されています。
 写真展閉幕まで続くようですが、現時点までの記事は(1)〜(6)です。

 片柳神父さまのブログ「道の途中で」は、記事も、写真も素晴らしくて、読み応えがあります。

 私はクリスチャンではありませんが、かつて公認会計士を目指して受験勉強に励んでいた頃、朝の散歩のついでに、自宅の近くにあったカトリック箕面教会の早朝ミサに通っていたことがあります。
 当時のカトリック箕面教会には、ドイツ人のフベルト神父様とスペインのバスクから来られたアントニオ神父様がおられました。
 アントニオ神父様は、被昇天短大で短大生に聖書を教えておられたこともあって、私にも勉強会のお誘いをいただき、短大の授業のリハーサルを兼ねた神父様と二人での勉強会が始まりました。

 将来展望が見えず不安な思いを抱えて受験勉強をしていた私にとって、心の安らぐひとときでした。片柳神父さまのブログを読ませていただいていると、当時のことが懐かしく思い出されました。
 写真展でのミニ講演会では、片柳神父さまも3日間登場されるとのこと。ぜひ片柳神父さまがお話される日に出かけて、お話をお伺いしたいと思います。とても楽しみです。
 
マザー・テレサ映画祭<大阪> [2010年02月26日(Fri)]
 先月から東京で開催されていた『マザー・テレサ映画祭』、明日(2/27)から大阪でも公開です。

 東京では2月14日まで開催されましたが、アンコール上映の開催が決まりました。(3/20〜4/11)

 大阪は、シネ・ヌーヴォ(大阪・九条)にて、明日(2/27)から4月2日(金)までの開催予定です。
◆マザー・テレサ映画祭/シネ・ヌーヴォ(大阪・九条)
(1日の上映本数が徐々に減りますのでご注意ください)

 東京へ出張した時に『マザー・テレサ:母なることの由来』と生誕100年特別記念作品の『マザー・テレサと生きる』の2本を観ましたが、ほかの作品も含めて大阪での上映が楽しみです。
 <2月26日> greater aim
あなたや、わたしは、
もっとすばらしいことのために創られているのです。
この人生を何の目的もなく通り過ぎるために、
創られたのではありません。
そのもっともすばらしい目的とは、
人間は、生き、そして愛されるということなのです。
対象が何であれ、知らなければ愛することはできません。
知ることが愛へ導き、愛は奉仕に導きます。

 
『閉ざされた国 ビルマ』(宇田有三著) [2010年01月29日(Fri)]
『閉ざされた国 ビルマ』(宇田有三著)/高文研
 昨年12月にこのブログ(2009/12/18)でご紹介した宇田有三さんの新刊 閉ざされた国 ビルマ−カレン民族闘争と民主化闘争の現場をあるく』が出版されました。

 実のところ、私がビルマについて知ることと言えば、1991年のノーベル平和賞を受賞された「アウンサンスーチー」さん(「アウンサン・スーチー」でも、「アウン・サン・スー・チー」でもないこともこの本で知りました)ぐらいです。 新聞・雑誌やテレビなどで、「ビルマ」が「ミャンマー」と呼ばれ、その首都だった「ラングーン」が「ヤンゴン」と呼ばれるようになっても、特に関心を持つことはなく、首都がネピドーに移ったことすら知りませんでした。

 著者の宇田さんは、1993年からビルマに通い続け、カレン民族闘争と民主化闘争の現場を自分の足で歩いて取材されています。

 現場の撮影に力を置くのはもちろんのことだが、それでも目の前の現象や現実だけに振り回されるだけのフォトジャーナリストは、私の目指す道ではなかった。鳥の目を持って空の上から地球を俯瞰し、蟻の歩みでもって地上を這い、人びとの暮らしを肌で感じる。そういう感覚で問題に取り組みたかった。 (同書・「はじめに」より P.9)

 人名の表記(姓名の姓がない)や国名表記を変更した背景などのビルマに関する基本的知識や、ビルマ国内各地やタイ国境の難民キャンプに暮らす人びとの生活や思いなどが、素敵な写真とともにわかりやすい文章で書かれていて、とても読みやすい本です。
 ビルマという国の「現実」について私自身が何も知らない(“無関心”)ことを痛感させられました。

 ビルマに関わりはじめて思いがけないほどの年月が過ぎ去った。知らぬ間に自分の頭にも白いものが目立つようになってきた。そして今、日本に帰るたびに、日本の社会が徐々に、「少数者」を排除する社会に、ビルマのように自由にモノを言えない雰囲気になっているような気がしてならない。ビルマを追いながら、日本の行く末も気になる。

 フリーランスの、しかも写真を中心としたフォトジャーナリストの仕事は厳しい時代の局面を迎えている。だが、ジャーナリストとしての仕事や写真家としての仕事は、社会や人に関わる限りその役目は消えることはないと信じている。時に意気消沈することがあるが、その時は、ビルマで出会った人びとを思い起こし、前を向いて行こうと思う。

(同書・「おわりに」より P.237〜238)

 本書を読み、ビルマの現実について知識を得ただけでなく、多様な民族や個人がそれぞれに生き生きとした自己を確立し、そのアイデンティティを互いに尊重することの意義を改めて認識しました。

 宇田さんの今後ますますのご活躍が楽しみです。
愛はつづく◆マザー・テレサ映画祭 [2010年01月19日(Tue)]
「愛の反対は憎しみではなく、無関心です。」

「私たちの働きは、大海の一滴の水にすぎないかもしれません。
  でも、大きな海も、一滴の水なしには大海にならないと思うのです。」


―― あまりにも有名なマザー・テレサの言葉。
マザー・テレサ生誕100年を記念して、『マザー・テレサ映画祭』が東京で開催されています。

 新春早々の朝日新聞(1/7)と日経新聞(1/8)の記事を読み、マザー・テレサの生き様やその遺志を継ぐ世界各地の皆さんの活動について関心を持ち、東京出張のタイミングを利用して出かけました。

「大切なのは私たちが何をするのかではなく、どれだけの愛をその行いにこめるかです。
 小さなことも大きな愛をもって

 
 生誕100年記念の映画『マザー・テレサと生きる』で、シスター・クリスティが日本人ボランティアに対して「愛」について語られた言葉がとても印象に残りました。
 ―― 「日本のコルカタをあなたの目と心で探してください」

 マザー・テレサが自らの生き様を通じて示し続けた「」の意味するところ、そして数ではなく一滴の「」の尊さ、、、ドキュメンタリー映像を通じてマザー・テレサの「言葉」と「行い」から学びました。

ロビーでシスターにお薦めの本をお尋ねし、買い求めました。
 <1月19日> being unwanted
この世界には、
肉体的、物質的、そして精神的な多くの苦しみがあります。
苦しみのあるものについては、
他人の欲深さを責めることができるでしょう。
肉体的、物質的な苦しみは、
飢えや、帰る家がないこと、さまざまな病気からくる苦しみです。
けれど、もっと大きな苦しみは、
だれもそばにいてくれない、孤独で愛されていないことなのです。
だれからも愛されないこと、
これこそが、人類が経験することの中で、
最悪の病気だということを、
わたしはますます確信するようになりました。

 この最悪の病気を治すのが「」 ―― マザー・テレサのメッセージを通じて「隣人を自分のように愛しなさい」の意味するところが少しわかったような、、、ならば実践ですね。

★★★大阪でも2月27日(土)からシネ・ヌーヴォ(大阪・九条)で公開されます★★★
 
宇田有三さん◆『閉ざされた国 ビルマ』 [2009年12月18日(Fri)]
 本日(12/18)の朝日新聞の「ひと」欄は、宇田有三さん(フォトジャーナリスト)
 私にとって宇田さんのお名前を拝見するのは久しぶりです。
 私がかつてメンバーとして所属していた「大阪ワイズメンズクラブ(⇒YMCAの活動を支援する国際奉仕クラブ)」の月例会で、宇田さんがゲストスピーカーとして来られました。

 フォトジャーナリストとしての強い使命感を感じさせるお話とスライドがとても印象に残っています。
 その後に宇田さんから送っていただいたポストカードは今も私の宝物。私の一番のお気に入りは、「難民キャンプで学ぶカレン族の少女」の写真です。(↓こちらの写真です。ぜひご覧下さい)

 送っていただいた封筒の消印を見ると1996年10月。阪神大震災の翌年、私もまだ30代でした。
あれから13年も経つのに今もすごく印象に残っているのは、宇田さんの生き様を通じて発せられた熱いメッセージがそれだけ強烈だったからでしょう。

 早速、ネットで検索すると、宇田さんはフォトジャーナリストとしての強い「使命感」を燃やして活動を続けておられました。(私が知らなかっただけのこと)

 宇田さんの写真集と本を、(財)アジア・太平洋人権情報センターに出向いて買ってきました。











 朝日新聞の「ひと」で紹介されている『閉ざされた国ビルマ』も、年明けには販売されるとのこと。楽しみです。


ちょっと道草◆掛川(その2) [2009年08月01日(Sat)]
 掛川で“道草”するもう一つのきっかけは、2007年3月17日(土)の日経新聞の朝刊です。
 その月の『私の履歴書』は宮城まり子さんでしたが、その16回目に私は深い感銘を受けました。

 ミュージカル『なにもしないで出世する法』で脳性マヒの少女を演じることになった宮城まり子さん
 稽古の待ち時間や休憩の間、そして夜中も私は考え続けました。どう演じたらいいのだろう?
 病気のために思い通りに手足が動かず、勝手に動いてしまう少女。形だけならうまくやるのは演技者として当たり前ですが、それで見ている人が笑い、拍手をしてくれたらどうしようと私は思いました。人の悲しい形で笑いをとるのは品がないと信じていました。それは芸ではないと。
(中略)

 役者である前に、優しい、思いやりのある人間でありたいと思いました。(中略)

 翌日が初日でした。私はアテトーゼのない健康な子でやることに決め、歌い、踊り、演技をしました。(中略)

 カーテンコールのときに出演者全員でお客さまのそばにあいさつに行ったら、私は脚をつかまれました。見ると15歳くらいの女の子がお父さんに抱かれて舞台のそばに来て、口を大きく開けて「まーりーこさん」と呼んでいました。
 お父さんは目にいっぱい涙をため、「この子はまり子さんが大好きなのです。飛び出してすみません」と言われました。その子は私が演じるはずだったアテトーゼの子でした。満面に笑みを浮かべ、けれど笑えば笑うほどゆがんでいる顔。必死で抱きしめているお父さん、お母さんの顔。私はもしアテトーゼの演技をしていたらと、気が遠くなる思いでした。
(中略)

 1ヶ月の公演中、私は拍手をもらえませんでした。でもあの子一人のためにも演じなくてよかったと思いました。楽屋のドアを閉め、ありったけ泣きました。役者としては失格ですもの。大声で泣いている私に、菊田先生から使いが来ました。「泣くな。おれもつらい」

あの子は私に一生の仕事を決断させてくれたのです。

(『私の履歴書/宮城まり子』16)

 読みながら、涙が止まりませんでした。
 そして、同じ年の6月、六本木ヒルズの美術館でこどもたちの絵の展覧会に感動し、ぜひ現地に行ってみたいと思いました。
(新聞の切抜きと展覧会のチラシ、自宅の壁に貼っています)

 本日の“道草”で、2年越しの思いがようやく実現しました。

足跡 掛川駅からバスバスで約20分。
 終点の「ねむの木学園」に着いたらお昼過ぎだったので、まずは腹ごしらえ。森の喫茶店「MARIKO」でカレーセットをいただきました。

 ベランダのフェンス越しに、ねむの木が赤い花を咲かせていました。

 食後のコーヒーをいただいた後、「ねむの木村」を散策。
 途中から雨が降り出し、傘を差しての散策になりましたが、ねむの木こども美術館(どんぐり、ねむの木緑の中)、そして吉行淳之介記念館と、まったりと過ごさせていただきました。

 不思議なことに、六本木ヒルズの展覧会でこどもたちの絵を見ているとウルウルしたものですが、ねむの木村でランチを食べても絵を見てもウルウルしてきません。
 逆に、凹んでいた私の心に、元気なエネルギーをいっぱい補給音符
こどもたちとの楽しいオシャベリがそうさせてくれたのでしょうね。
 ありがとう! また、きます足跡
ただ地図をつくるために◆映画『剱岳 点の記』 [2009年06月21日(Sun)]
 話題の映画『剱岳 点の記』を観てきました。
 昨日から全国ロードショーでしたが、私が観に行く予定の梅田ブルク7では、本日(6/21)の2回目の上映を終えた後に“舞台挨拶”(木村大作監督、浅野忠信さん、松田龍平さん)があるとのこと、それに合わせました。
 お目当ては「映画」でしたが、初めて経験した「舞台挨拶」もよかったです。 スケジュールの関係で、上映前に舞台挨拶する映画館もあるようですが、やっぱり映画を観て感動した後でしょうね。

 私がこの映画を知ったのは、おそらく2年前の秋だと思います。 東京・高田馬場のカモシカスポーツ本店の入口に映画のチラシが置いてあり、そのチラシの裏面には「映画『剱岳 点の記』始動!」と記されています。 映画のチラシを見て、早速、カモシカで原作の『剱岳<点の記>』(新田次郎著・文春文庫)を買って読み、映画の公開を心待ちにしていました。

人がどう評価しようとも、何をしたかではなく、
何のためにそれをしたかが大事です
悔いなくやり遂げることが大切だと思います

 所属する陸軍の威信をかけたプレッシャーの中、数々の試練とぶつかり、自分は何のために剱岳を目指しているのか迷う主人公・柴崎に対して、古田は励ましのメッセージを送る。「地図とは・・・」
 その励ましを受けて、柴崎は再び挑む。「ただ地図をつくるために・・・」

 この映画を観るにあたって原作を再び読んだのですが、日経新聞(2007年11月22日)の最終ページ(文化面)の切り抜きが文庫本に挟んでありました。 以下、その要約・・・
 柴崎測量官が測量のために登頂を果たしてから97年経った2004年、ようやく剱岳に三角点が建つ。しかも、長さ79センチ、重さ63キロの標石は山頂までヘリコプターで運ばれ、三角点が設置された後にGPSで測定した数値は柴崎測量官が計算した数値に極めて近かった

 原作を読んで間もなくこの記事を読んだと思うのですが、先人が成し遂げた偉業のスゴさに改めて感動しました。 この話は、『剱岳に三角点を!』(山田明著・桂書房)として出版されています。

名誉のためでもなく、利のためでもなく、
ただ地図をつくるために、、、

(追記) 今年の夏はこの映画を観て「剱岳」に出かけようと思っていたのですが、映画を見終えると剱岳ではなく「穂高」に行きたくなりました。で、穂高岳山荘のHPを確認すると、内田修先生の写真展を開催されるとのこと。今年の夏の山行は奥穂に決定です。朝日
佐々井秀嶺師◆インド仏教徒の頂点に立つ日本人 [2009年06月18日(Thu)]
佐々井秀嶺(しゅうれい)師をご存知ですか?

 私が佐々井師の存在を知ったのは、先週土曜日(6月13日)のことです。
 たまたま巡りあったミクシィーのコミュニティで「佐々井秀嶺」さんについて語られているのですが、どうやらとてもすごい方らしいけど、何がすごいのか私にはピンときません。
 しかし、その日の朝日新聞の夕刊で「佐々井秀嶺」さんの44年ぶりの帰国を紹介する記事を読み、あらためてミクシィやブログをチェック...

 翌日には、『破天―インド仏教徒の頂点に立つ日本人』(光文社新書)を買い求めましたが、新書といっても600ページの大作で、読み終えるのに3日がかり。

 1965年8月8日、日本からタイへ旅立ち。 2年間のタイ留学を経てインドへ。 そして、1968年8月8日、日本に戻る決意をした最後の夜...
 「汝速やかに南天竜宮城へ行け」とのお告げを受け、航空券の払戻しを受け、ナグプールへ、、、
 インド憲法の父であり、インド仏教の再興者であるアンベードカル博士(1891〜1956)の遺志を継いで、現在は1億人を超えるともいわれるインド仏教徒の頂点に立って仏教発祥の地で仏教復興運動を指導。

 この度、44年ぶりに帰国(4/21)。 でも、今月下旬には再びインドに戻られるとのこと(6/23)。
 その前に佐々井さんのお話をお聞きできる機会があればと願ってミクシィに書き込んだところ、佐々井秀嶺師の活動を支援する『大日如来南天鉄塔記念協会』をご紹介いただきました。


090618.pdf
 本日(6/18)の龍谷大学(京都)での講演会(右PDF参照)が、今回の最終講演。
 5日前に師の存在を知ったばかりの俄か者ですが、この機会を逃してはならじと、講演会に出かけてきました。

 30分前には会場に着いたのですが、既に机のある席は満席で椅子席へ。 最終的には多くの方が立ち見、さらには会場にも入りきれずにロビーで聴講されていた方もおられたようです。

 波乱万丈の人生もさることながら、日本人でありながら何故ここまでインドの人々に信頼され、慕われ、そしてインドの社会を変えることができたのか・・・
 (『破天』でも、インド国籍を取得した後の第三部では“佐々井”ではなく、“ササイ”です)

 “44年ぶりの帰国”が意味するもの―、師が「汝速やかに南天竜宮城へ行け」とのお告げを受けてから41年間の闘いの裏にある強い「使命感」、そして深い「愛」こそが師の“行動”のエネルギー源であることを、師の力強い声からしっかりと受け止めました。
 本を読むだけでなく、直接お話をお聞きできてよかったです。 このような機会を得られたご縁に心から感謝します。

 ご講演中、外では激しい雷雨だったようですが、雷鳴も師のお話を盛り上げているかのように感じられました。 また、講演では厳しいお話が続きましたが、その後の質疑応答では、若い学生たちからの質問に見せられた師の笑顔が印象的でした。

 短期間でしたが本や講演を通じて受け止めた師のメッセージに対して、「だからどうする」をよく考え、行動していきます。 ありがとうございます。

(追) 佐々井秀嶺師の日本行脚については、同行されているフォトジャーナリストの山本宗補氏が自らのHPの「雑記帳」に密着取材記を掲載しておられます。
 また、山本宗補氏が執筆された新聞や雑誌の記事もPDFで提供されています。 どれも素晴らしいですが、特に『月刊PLAYBOY』の記事と写真(P.1〜6)はおススメです。