佐々井秀嶺師◆インド仏教徒の頂点に立つ日本人
[2009年06月18日(木)]
佐々井秀嶺(しゅうれい)師をご存知ですか?
私が佐々井師の存在を知ったのは、先週土曜日(6月13日)のことです。
たまたま巡りあったミクシィーのコミュニティで「佐々井秀嶺」さんについて語られているのですが、どうやらとてもすごい方らしいけど、何がすごいのか私にはピンときません。
しかし、その日の朝日新聞の夕刊で「佐々井秀嶺」さんの44年ぶりの帰国を紹介する記事を読み、あらためてミクシィやブログをチェック...
翌日には、『破天―インド仏教徒の頂点に立つ日本人』(光文社新書)を買い求めましたが、新書といっても600ページの大作で、読み終えるのに3日がかり。
1965年8月8日、日本からタイへ旅立ち。 2年間のタイ留学を経てインドへ。 そして、1968年8月8日、日本に戻る決意をした最後の夜...
「汝速やかに南天竜宮城へ行け」とのお告げを受け、航空券の払戻しを受け、ナグプールへ、、、
インド憲法の父であり、インド仏教の再興者であるアンベードカル博士(1891〜1956)の遺志を継いで、現在は1億人を超えるともいわれるインド仏教徒の頂点に立って仏教発祥の地で仏教復興運動を指導。
この度、44年ぶりに帰国(4/21)。 でも、今月下旬には再びインドに戻られるとのこと(6/23)。
その前に佐々井さんのお話をお聞きできる機会があればと願ってミクシィに書き込んだところ、佐々井秀嶺師の活動を支援する『大日如来南天鉄塔記念協会』をご紹介いただきました。
本日(6/18)の龍谷大学(京都)での講演会(右PDF参照)が、今回の最終講演。
5日前に師の存在を知ったばかりの俄か者ですが、この機会を逃してはならじと、講演会に出かけてきました。 30分前には会場に着いたのですが、既に机のある席は満席で椅子席へ。 最終的には多くの方が立ち見、さらには会場にも入りきれずにロビーで聴講されていた方もおられたようです。
波乱万丈の人生もさることながら、日本人でありながら何故ここまでインドの人々に信頼され、慕われ、そしてインドの社会を変えることができたのか・・・
(『破天』でも、インド国籍を取得した後の第三部では“佐々井”ではなく、“ササイ”です)
“44年ぶりの帰国”が意味するもの―、師が「汝速やかに南天竜宮城へ行け」とのお告げを受けてから41年間の闘いの裏にある強い「使命感」、そして深い「愛」こそが師の“行動”のエネルギー源であることを、師の力強い声からしっかりと受け止めました。
本を読むだけでなく、直接お話をお聞きできてよかったです。 このような機会を得られたご縁に心から感謝します。
ご講演中、外では激しい雷雨だったようですが、雷鳴も師のお話を盛り上げているかのように感じられました。 また、講演では厳しいお話が続きましたが、その後の質疑応答では、若い学生たちからの質問に見せられた師の笑顔が印象的でした。
短期間でしたが本や講演を通じて受け止めた師のメッセージに対して、「だからどうする」をよく考え、行動していきます。 ありがとうございます。
(追) 佐々井秀嶺師の日本行脚については、同行されているフォトジャーナリストの山本宗補氏が自らのHPの「雑記帳」に密着取材記を掲載しておられます。
また、山本宗補氏が執筆された新聞や雑誌の記事もPDFで提供されています。 どれも素晴らしいですが、特に『月刊PLAYBOY』の記事と写真(P.1〜6)はおススメです。
私が佐々井師の存在を知ったのは、先週土曜日(6月13日)のことです。
たまたま巡りあったミクシィーのコミュニティで「佐々井秀嶺」さんについて語られているのですが、どうやらとてもすごい方らしいけど、何がすごいのか私にはピンときません。
しかし、その日の朝日新聞の夕刊で「佐々井秀嶺」さんの44年ぶりの帰国を紹介する記事を読み、あらためてミクシィやブログをチェック...
翌日には、『破天―インド仏教徒の頂点に立つ日本人』(光文社新書)を買い求めましたが、新書といっても600ページの大作で、読み終えるのに3日がかり。
1965年8月8日、日本からタイへ旅立ち。 2年間のタイ留学を経てインドへ。 そして、1968年8月8日、日本に戻る決意をした最後の夜...
「汝速やかに南天竜宮城へ行け」とのお告げを受け、航空券の払戻しを受け、ナグプールへ、、、
インド憲法の父であり、インド仏教の再興者であるアンベードカル博士(1891〜1956)の遺志を継いで、現在は1億人を超えるともいわれるインド仏教徒の頂点に立って仏教発祥の地で仏教復興運動を指導。
この度、44年ぶりに帰国(4/21)。 でも、今月下旬には再びインドに戻られるとのこと(6/23)。
その前に佐々井さんのお話をお聞きできる機会があればと願ってミクシィに書き込んだところ、佐々井秀嶺師の活動を支援する『大日如来南天鉄塔記念協会』をご紹介いただきました。
![]() 090618.pdf |
5日前に師の存在を知ったばかりの俄か者ですが、この機会を逃してはならじと、講演会に出かけてきました。 30分前には会場に着いたのですが、既に机のある席は満席で椅子席へ。 最終的には多くの方が立ち見、さらには会場にも入りきれずにロビーで聴講されていた方もおられたようです。
波乱万丈の人生もさることながら、日本人でありながら何故ここまでインドの人々に信頼され、慕われ、そしてインドの社会を変えることができたのか・・・
(『破天』でも、インド国籍を取得した後の第三部では“佐々井”ではなく、“ササイ”です)
“44年ぶりの帰国”が意味するもの―、師が「汝速やかに南天竜宮城へ行け」とのお告げを受けてから41年間の闘いの裏にある強い「使命感」、そして深い「愛」こそが師の“行動”のエネルギー源であることを、師の力強い声からしっかりと受け止めました。
本を読むだけでなく、直接お話をお聞きできてよかったです。 このような機会を得られたご縁に心から感謝します。
ご講演中、外では激しい雷雨だったようですが、雷鳴も師のお話を盛り上げているかのように感じられました。 また、講演では厳しいお話が続きましたが、その後の質疑応答では、若い学生たちからの質問に見せられた師の笑顔が印象的でした。
短期間でしたが本や講演を通じて受け止めた師のメッセージに対して、「だからどうする」をよく考え、行動していきます。 ありがとうございます。
(追) 佐々井秀嶺師の日本行脚については、同行されているフォトジャーナリストの山本宗補氏が自らのHPの「雑記帳」に密着取材記を掲載しておられます。
また、山本宗補氏が執筆された新聞や雑誌の記事もPDFで提供されています。 どれも素晴らしいですが、特に『月刊PLAYBOY』の記事と写真(P.1〜6)はおススメです。





最新ブログに追いついたら宮先生へコメントしようと思っていたのですが、大槻さんの名前を見つけちゃったものですから
続き、しっかり読みマース!!しかし、何にでも挑戦される宮先生には
頭が下がります。まだまだチャレンジ精神は衰えていないようで、うらやましいですね!!
」、校長のお怒りの厳しい声がしっかり届きました。 怠け癖のついた心根を校長の愛のムチで叩き直していただくため、今年もヨットスクールに参加します。事前説明会で久しぶりにお会いできるのが楽しみです
(宮)
メモ程度の下書き状態とか、タイトルだけとかのブログが増える一方で、なかなか公開まで至らず,,,
昨日(7/23)も、お知らせ
メールは読むだけやなく実践もよろしくね