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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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受け身から脱出し、自らが主となる [2019年10月03日(Thu)]
荒木香織『ラグビー日本代表を変えた「心の鍛え方」』より――
受け身であることから脱出することは、
マインドセットを変えることの重要なステップのひとつでした。
そう、エディさんに私は要求されていたのです。
マインドセットを変えてほしい
マインドセットとは、考え方の基本的な枠組みのこと。
エディさんはよく言っていました。
「日本人選手は練習中に『はい』『はい』と返事をするけれど、
 伝えたはずのことを理解していないことがよくある」
質問もないから、わかったのだと思って、いざグラウンドでやってみるとできない。
それでいつも怒っていました。言い換えれば、
表面的に監督やコーチの言いなりになっているだけということです。

欧米では、選手は監督やコーチに質問するだけでなく
積極的に自分の主張を伝えるし、要求もします。監督やコーチもそれを歓迎する
そうやってチームをつくりあげていくのがふつうです。
選手としてどのようにコーチをされると、自分たちの能力が発揮できるのかを
知るスキル―-―これを「コーチアビリティ」といいます。
これもスキルですから、練習すれば身に付きます。
大切なメンタルのスキルのひとつです。それなのに、
日本の選手の多くはコーチアビリティについて考えてみることをしない。
監督の言うことを、言われたとおりにこなそうとするだけで、会話が成立しない

あるとき、堀江選手が、突然やってきたエディさんに
「疲れているか?」と聞かれ、「はい疲れてます」と答えたことがあります。
すると、エディさんは激怒しました。
「このくらいで疲れているなら、もう今日は練習しなくていいから帰れ!」
堀江選手はもちろん、それを見ていたほかの選手もポカーンとしていました。
当然です。「疲れてるか?」と聞かれて、
「疲れてます」と答えただけなのですから……。
でも、エディさんのなかでは、疲れていたとしても、
「昨日のあの練習で、いまはちょっと疲れていますけれども、
 今日は全力を尽くします」というような会話があっていいはずだと。
「疲れたか?」という自分の質問に対して、なんの説明もなく、
「疲れた」と答えるだけでいいのか、ということで怒ったようなのです。

これは極端な例としても、エディさんは、
言われたことだけを従順にこなすという態度をもっとも嫌っていました
「がんばります」と言うだけの選手のコメントは大嫌いでした。
自分で具体的な課題をみつけ、考え、向上しようとする姿勢をつねに忘れない
選手にはそうあってほしいと考えていたのです。


本の読み方にも二通りあって、
一つは同じ読むと言っても、そうかそうかと本から始終受ける読み方です。
これは読むのではなくて、読まれるのです。書物が主体で、自分が受け身になっている。
こっちが書物から受けるのである、受け取るのである。つまり吸収するのです。
自分が客で、書物が主。英語で言えばpassiveです。
もっと上品に古典的に言うと「古教照心」の部類に属する。
しかしこれだけではまだ受け身で、積極的な意味に於て自分というものの力がない
そういう疑問に逢着して、自分で考え、自分が主となって
今まで読んだものを再び読んでみる。今度は自分の方が本を読むのです。
虎関禅師は「古教照心、心照古教」と言っておるが、
まことに教えられ考えさせられる、深い力のある言葉です。
自分が主体になって、
自分の心が書物の方を照らしてゆく

(…)
こういうふうに学問というものは、
先ず自分が主体になって、自分が積極的に始めなければならない。
つまり生きた学問、いわゆる活学をやらなければならない。
心が照らされるのではなくて
心がすべてを照らしてゆくような学問をしなければならないのであります。
安岡正篤『哲学としての東洋思想』

スポーツも、本の読み方も、学問も、仕事も、日々の暮らしも、
受け身から脱出し、自らが主(主人公)となるひらめき

ダニエル・ピンク『モチベーション3.0』より――
人間は単に、鼻先にぶら下がるニンジンを追いかけて走るだけの馬とは違う
とわたしたちは知っている。自分が最高に輝いている姿を思い起こせば、
受け身で命令に従うだけの従順な姿勢が人間の本来の姿ではないとわかる。
人間は本来、活発に積極的に活動するようにできている。
人生でもっとも豊かな体験は、他人からの承認を声高に求めているときではない
自分の内なる声に耳を傾けて、意義あることに取り組んでいるとき
それに没頭しているとき、大きな目的のためその活動に従事しているときだ
とわたしたちは知っている。

愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
mampo.jpg

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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