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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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経営は生きた総合芸術である(1) [2019年08月24日(Sat)]
“It is in Apple's DNA that technology alone is not enough.
− it's technology married with liberal arts, married with the humanities,
that yields us the results that make our heart sing.”
Steve Jobs Keynote March 2 2011.JPG

松下幸之助『実践経営哲学』の
「経営は創造であること」より――
私は「経営」というものはきわめて価値の高いものだと考えている。
それは一つの芸術といってもいいほどのものである。
経営を芸術などというと、あるいは奇異な感じをもたれるかもしれない。
ふつう一般に芸術といえば、絵画、彫刻、音楽、文学、演劇などといったものを指し、
いわば精神的で高尚なものと考えられている。
それに対して、事業経営は物的ないわば俗事という見方がされている。
しかし、芸術というものを一つの創造活動であると考えるならば、
経営はまさしく創造活動そのものである。
(…)
一つの事業の構想を考え、計画を立てる。それにもとづいて、資金を集め、
工場その他の施設をつくり、人を得、製品を開発し、それを生産し、
人々の用に立てる。その過程というものは、
画家が絵を描くごとく、これすべて創造の連続だといえよう。
なるほど、かたちだけ見れば単に物をつくっていると見えるかもしれないが、
その過程には、いたるところに経営者の精神がいきいきと躍動しているのである。
その意味において、
経営者の仕事は、画家などの芸術家の創造活動と軌を一にしており、
したがって経営はまさしく芸術の名にふさわしいものだといえる。

さらに、経営というものは、いろいろ複雑多岐にわたる内容をもっている
分野ということ一つをとってみても、さまざまである。
研究したり開発する部門、それにもとづいて製造する部門、
できあがった製品を販売する部門、あるいは原材料の仕入れ部門、
そのほか経理とか人事といった間接部門がある。
そうした経営における一つひとつの分野がみなこれ創造的な活動である。そして、
それを総合し、調整する全体の経営というものもこれまた大きな創造である
そうしてみると、経営は芸術であるといっても、
それは絵画であるとか、彫刻であるといったように一つの独立したものでなく、
いわば、その中に絵画もあれば彫刻もある、音楽もあれば文学もあるといったように、
さまざまな分野を網羅した総合芸術であると見ることもできる。

しかも経営というものは絶えず変化している。
経営をとりまく社会情勢、経済情勢は時々刻々に移り変わっていく。
その変化に即応し、それに一歩先んじて次々と手を打っていくことが必要なわけである。
だから、たとえば絵画のように、描き終えたら一枚の絵が完成するというのとは
趣を異にしている。いわば経営には完成ということがないのであって、
絶えず生成発展していくものであり、その過程自体が一つの芸術作品だともいえよう。
そういう意味において、経営は生きた総合芸術であるともいえる。
(続く)

「経営」―― 創造活動(芸術)
総合芸術
完成のない芸術
生きた総合芸術

学ぶ過程で「真似」はあっても(守・破・離)、
経営が「創造活動」であるなら「真似」や「模倣」は経営(芸術)ではなく、
独創性」や「創意工夫」、「日に新た」でなければ経営(生きた総合芸術)ではないひらめき

ホンダは、夢と若さを持ち、理論と時間とアイデアを尊重する会社だ。
とくに若さとは、
困難に立ち向かう意欲
枠にとらわれずに新しい価値を生む知恵
であると思う。(…)
社是の冒頭にある「世界的視野」とは、
よその模倣をしないことと、
ウソやごまかしのない気宇の壮大さを意味する。
本田宗一郎『夢を力に』

松下幸之助『人生談義』の
「“学ぶ”ということ」より――
どんなことでも、ものごとを学んでいく場合、
子が親のマネをするように、最初は模倣から入っていくものです。
しかし、単に模倣にとどまらず、
それを吸収消化し、ほんとうに自分のものとしていく
ことが、
やはり大事でしょうね。
そうすれば、何か新たな独自のものを生み出す可能性も出てくる
師をそのまま模倣するだけでは師以上にはなれないけれど、
その考えをよく吸収消化して自ら励んでいけば、
師以上の人物になれるかもしれませんね。
そのためには、生きた心というか、
みずから学びとるのだという心がまえが必要でしよう。
それがないと、教えてもらえなければ不平も出てくるでしょうし
決して、力はつきません
(…)
つまりね、みずから開拓していこうという熱意にみちて、
心してものごとを見、そこから学びとろうとするなら、
道は無限にひらかれている。
心がまえ次第で、立派な師は無数にあるということだと思うのです。
(…)
生涯、みずから新しいものを吸収し、勉強するという態度、
よろこんで人びとの教えを受けていくという態度、
そういうような態度を持ちつづける人には、
進歩はあっても停滞はない

一歩一歩、年をへるにつれて着実に伸びていきます。
一年たてば一年の実力が養われ、二年たてば二年の実力が養われる。
さらに十年、二十年とたてば、それぞれの年限にふさわしい力が養われる。
そういう人がほんとうの大器晩成というのでしょうな。

森永に競争をいどむといったが、
何も初めからそんな大それたことを考えたのではない。
しかし、行く行くは森永と競争するところまで発展したいし
発展させなければならぬ
そのとき、グリコはグリコとして独特なものををもっていて
あれは森永の真似をしたのだといわれたくなかった
どこまでも私は商売人としての独創性を誇りたかったのである。
単なる人真似で行きたくはなかった
のである。
江崎利一『商売に生きる』

mampo.jpg

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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