『野村メモ』の読書メモ(9)
[2019年05月17日(Fri)]
野村克也『野村メモ』
「野村ノート」の原点がここにある
―― 結果を出す人の「気づき」を「実行」に昇華させる技術
野村克也『野村メモ』より――
「プロ野球で生き残るための15カ条」
「野村ノート」の原点がここにある
―― 結果を出す人の「気づき」を「実行」に昇華させる技術
◆感謝報恩の念が人と組織を成長させる/2019.5.5
◆理をもって接する。理をもって戦う/2019.5.6
◆(why)なぜメモするのか/2019.5.7
◆(why not)なぜメモしないのか/2019.5.8
◆理をもって接する。理をもって戦う/2019.5.6
◆(why)なぜメモするのか/2019.5.7
◆(why not)なぜメモしないのか/2019.5.8
野村克也『野村メモ』より――
「プロ野球で生き残るための15カ条」
第1条 人と同じことをやっていては、人並みにしかなれない
投手は内角球の使い方がうまくなければならない
――(報われるとは限らないが)明日のために「不屈不撓」で人の何倍も努力する
第2条 目的意識と目標意識を持つことがもっとも重要である――「チーム」の目的と目標、「個人」の目的と目標、役割と貢献、使命と責任
第3条 常に自信をもって挑む――「限界」はどこにある?「自信」はどこにある?
第4条 「プロ意識」を持ち続ける――「プロフェッショナル」とは何か?(プロの条件)
第5条 人真似(模倣)にどれだけ自分のαをつけ加えられるか―― 単に真似るだけでなく、自分の頭で考えて「プラスα」する
第6条 戦いは理をもって戦うことを原則とする―― 結果を出すために「なすべきこと」をなし、「なすべからざること」をしない
第7条 状況の変化に対し、鋭い観察力、対応力を持っていること――「前兆」をとらえ(鋭い観察)、「迅速かつ適切」に対応(臨機応変)
第8条 セールスポイントをひとつ以上持っていること――「売り物」はなにか?「強み」を徹底して磨き込んで勝負する
第9条 自己限定人間は生き残れない―― 常識や過去の経験などの思い込みにとらわれない「自縄自縛」「無縄自縛」
第10条 打者は相手投手に内角(球)を攻める恐怖を持たせ、投手は内角球の使い方がうまくなければならない
―― 守りに入らず「攻める姿勢」を貫き、積極果敢に挑み続ける
第11条 鋭い勘を日頃から鍛えておく―― 経験の積重ねと「データの裏打ち」で勘の精度を高め、ギャンブルにしない
第12条 常に最悪を想定して対策を練り、備えておく―― 想定の範囲をひろげて「用意周到に準備」
第13条 仕事が楽しい、野球が好きだ、の感覚を持て―― 好きこそものの上手なれ「一心不乱」「無我夢中」
第14条 時期にやるべきことを心得ている―― 明日を変えるのは明日ではなく今(今なすべきこと、今なすべからざること)
第15条 敗戦や失敗から教訓を学ぶこと―― 失敗から学ぶ(why not? なぜ成功できなかったか、どうすれば成功できるか)
われわれの商売(仕事)というものを考えてみますと、
これはいうまでもなく本業です。アマチュアでなくプロなのです。
とすると、アマチュアの人が余技に打ちこむ以上に、
自分の本業に打ちこまなくてはウソだとはいえないでしょうか。
いささか厳しいいい方をすれば、本業に全身全霊をささげて、
そこに喜びが湧いてこないというようなことでは、
その本業から去らなければならないという見方もできると思います。
能力の問題ではありません。
それに全身全霊を打ちこむ喜びをもつかもたないかの問題です。
力が及ばない、という人はたくさんあると思います。
しかし、及ばないなりに一心に打ちこむならば、
その姿はまことに立派なものがあると思うのです。
そういう姿が、人に感銘を与え、人を動かすことになります。
そこに知恵と力とが集まって、成果を生むことができるようになってきます。
ところが、そういうものがなかったら、いくら力があったとしても、
それだけにとどまって、大きな成果はあげられないと思います。
ですから、そういう意味で、本業に全身全霊を打ちこんで、
なお興味が湧かないというのは許されないことだといえましょう。
「プロの自覚」/松下幸之助『経営心得帖』
天は自ら助くる者を助く
Heaven helps those who help themselves.
松翁ある人に次のように言われた。
きょう一日を振り返ってみると、反省すべきことがいくらでもある。
その反省に徹したとき、あらゆる面に革新が生まれてくる。
松下幸之助・述 『松翁論語』
松翁ある人に次のように言われた。
経営はその日その日の積み重ねである。
松下幸之助・述 『松翁論語』
これはいうまでもなく本業です。アマチュアでなくプロなのです。
とすると、アマチュアの人が余技に打ちこむ以上に、
自分の本業に打ちこまなくてはウソだとはいえないでしょうか。
いささか厳しいいい方をすれば、本業に全身全霊をささげて、
そこに喜びが湧いてこないというようなことでは、
その本業から去らなければならないという見方もできると思います。
能力の問題ではありません。
それに全身全霊を打ちこむ喜びをもつかもたないかの問題です。
力が及ばない、という人はたくさんあると思います。
しかし、及ばないなりに一心に打ちこむならば、
その姿はまことに立派なものがあると思うのです。
そういう姿が、人に感銘を与え、人を動かすことになります。
そこに知恵と力とが集まって、成果を生むことができるようになってきます。
ところが、そういうものがなかったら、いくら力があったとしても、
それだけにとどまって、大きな成果はあげられないと思います。
ですから、そういう意味で、本業に全身全霊を打ちこんで、
なお興味が湧かないというのは許されないことだといえましょう。
「プロの自覚」/松下幸之助『経営心得帖』
天は自ら助くる者を助く
Heaven helps those who help themselves.
松翁ある人に次のように言われた。
きょう一日を振り返ってみると、反省すべきことがいくらでもある。
その反省に徹したとき、あらゆる面に革新が生まれてくる。
松下幸之助・述 『松翁論語』
松翁ある人に次のように言われた。
経営はその日その日の積み重ねである。
松下幸之助・述 『松翁論語』
この続きはまた明日
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。