開かれたコミュニケーションの保障
[2019年02月10日(Sun)]
福島智『ぼくの命は言葉とともにある』より――
「光」が認識につながり、「音」が感情につながるとすれば、
「言葉」は魂と結び付く働きをするのだと思う。
私が幽閉された「暗黒の真空」から私を解放してくれたものが「言葉」であり、
私の魂に命を吹き込んでくれたものも「言葉」だった。(p.17)
---------------------
盲ろうの世界は宇宙空間に一人だけで漂っているような状態だと言いました。
しかし、それは単に見えない聞こえないという状況を説明しているだけでなく、
自分の存在さえも見失い、
認識できなくなるような状況で生きていることをも意味しています。
周囲の世界が徐々に遠のいていき、
自分がこの世界から消えていってしまうように感じられるのです。
その真空に浮かんだ私をつなぎ止め、
確かに存在していると実感させてくれるのが他者の存在であり、
他者とのコミュニケーションです。つまり、他者に対して照射され、
そこから反射して戻ってくる「コミュニケーションという光」を
受け止めることによって初めて、自分の存在を実感することができる。
他者とのかかわりが自分の存在を確かめる唯一の方法だ、
ということです。(p.21)
---------------------
指点字というコミュニケーションの手段を手にした私は、
学校に戻りました。盲ろう者としての新たな人生の始まりでした。
学校の仲間たちに受け入れてもらえるのか、私は心配でしたが、
それは杞憂でした。皆すぐに指点字のやり方を覚え、
私にどんどん話しかけてきてくれたのです。
私は閉じ込められていた地下の牢獄から解放されたような気持ちになりました。
ところが、
仲間たちが指点字でコミュニケーションを図ってくれるのにもかかわらず、
私はすぐに再び深い孤独を味わうことになるのです。というのも、
一対一の会話なら何とかなるのですが、私以外に二、三人がいる場面になると、
たとえ誰かが私に指点字を打ってくれていたとしても、
途端に周囲の状況がさっぱりつかめなくなってしまったからです。(p.23)
(…)
周りのようすも、周りの人たちが交わす会話の内容もつかめない状態でした。
(…)
やはり、私はみんなと相容れないんだと思ったものです。
一度、希望を見つけて浮上してきただけに、
再び絶望のどん底に突き落とされたショックはとても大きなものでした。
そんな状況を変えてくれたのが
盲学校の先輩で、全盲の女性のMさんでした。(p.25)
---------------------
盲ろうとなって私がぶつかった第一の壁は、
コミュニケーション手段の確保でした。
第二の壁は、そのコミュニケーション手段を実際に用いて、
持続的に会話する相手をつくること。つまり、
他者とのコミュニケーション関係を形成することです。
そして、第三の壁は、周囲の「コミュニケーション状況」に
私が能動的に参加できるようにすること。言わば、
「開かれたコミュニケーション空間」を私の周囲に生みだすことだったのです。
Mさんが始めたやり方は、指点字通訳の原則として、その後定着していきました。
そして、このように開かれたコミュニケーションが保障された時、
私は盲ろうになって初めて、「自分は世界の中にいる」と実感できたのでした。
こうして私の新たな人生が始まりました。(p.28)
「言葉」は魂と結び付く働きをするのだと思う。
私が幽閉された「暗黒の真空」から私を解放してくれたものが「言葉」であり、
私の魂に命を吹き込んでくれたものも「言葉」だった。(p.17)
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盲ろうの世界は宇宙空間に一人だけで漂っているような状態だと言いました。
しかし、それは単に見えない聞こえないという状況を説明しているだけでなく、
自分の存在さえも見失い、
認識できなくなるような状況で生きていることをも意味しています。
周囲の世界が徐々に遠のいていき、
自分がこの世界から消えていってしまうように感じられるのです。
その真空に浮かんだ私をつなぎ止め、
確かに存在していると実感させてくれるのが他者の存在であり、
他者とのコミュニケーションです。つまり、他者に対して照射され、
そこから反射して戻ってくる「コミュニケーションという光」を
受け止めることによって初めて、自分の存在を実感することができる。
他者とのかかわりが自分の存在を確かめる唯一の方法だ、
ということです。(p.21)
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指点字というコミュニケーションの手段を手にした私は、
学校に戻りました。盲ろう者としての新たな人生の始まりでした。
学校の仲間たちに受け入れてもらえるのか、私は心配でしたが、
それは杞憂でした。皆すぐに指点字のやり方を覚え、
私にどんどん話しかけてきてくれたのです。
私は閉じ込められていた地下の牢獄から解放されたような気持ちになりました。
ところが、
仲間たちが指点字でコミュニケーションを図ってくれるのにもかかわらず、
私はすぐに再び深い孤独を味わうことになるのです。というのも、
一対一の会話なら何とかなるのですが、私以外に二、三人がいる場面になると、
たとえ誰かが私に指点字を打ってくれていたとしても、
途端に周囲の状況がさっぱりつかめなくなってしまったからです。(p.23)
(…)
周りのようすも、周りの人たちが交わす会話の内容もつかめない状態でした。
(…)
やはり、私はみんなと相容れないんだと思ったものです。
一度、希望を見つけて浮上してきただけに、
再び絶望のどん底に突き落とされたショックはとても大きなものでした。
そんな状況を変えてくれたのが
盲学校の先輩で、全盲の女性のMさんでした。(p.25)
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盲ろうとなって私がぶつかった第一の壁は、
コミュニケーション手段の確保でした。
第二の壁は、そのコミュニケーション手段を実際に用いて、
持続的に会話する相手をつくること。つまり、
他者とのコミュニケーション関係を形成することです。
そして、第三の壁は、周囲の「コミュニケーション状況」に
私が能動的に参加できるようにすること。言わば、
「開かれたコミュニケーション空間」を私の周囲に生みだすことだったのです。
Mさんが始めたやり方は、指点字通訳の原則として、その後定着していきました。
そして、このように開かれたコミュニケーションが保障された時、
私は盲ろうになって初めて、「自分は世界の中にいる」と実感できたのでした。
こうして私の新たな人生が始まりました。(p.28)
「指先の宇宙」 福島智
ぼくが光と音を失ったとき
そこにはことばがなかった
そして世界がなかった
ぼくは闇と静寂の中でただ一人
ことばをなくして座っていた
ぼくの指にきみの指がふれたとき
そこにことばが生まれた
ことばは光を放ちメロディーを呼び戻した
ぼくが指先を通してきみとコミュニケートするとき
そこに新たな宇宙が生まれ
ぼくは再び世界を発見した
コミュニケーションはぼくの命
ぼくの命はいつもことばとともにある
指先の宇宙で紡ぎ出されたことばとともに
そこにはことばがなかった
そして世界がなかった
ぼくは闇と静寂の中でただ一人
ことばをなくして座っていた
ぼくの指にきみの指がふれたとき
そこにことばが生まれた
ことばは光を放ちメロディーを呼び戻した
ぼくが指先を通してきみとコミュニケートするとき
そこに新たな宇宙が生まれ
ぼくは再び世界を発見した
コミュニケーションはぼくの命
ぼくの命はいつもことばとともにある
指先の宇宙で紡ぎ出されたことばとともに
この続きはまた明日
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。