ほんものは続く、続けるとほんものになる
[2018年08月17日(Fri)]
松下幸之助『続・道をひらく』より――
「春がきた」
「ほんものは続く、続けるとほんものになる」
―ー にせものは続かない、続けないからほんものにならない
「拝まない者も おがまれている 拝まないときも おがまれている」
/東光寺(東井義雄先生のご生家)
「春がきた」
春がきた。
夏がきて秋がきて、冬がきてまた春がきた。
同じことのくりかえしのようにも見えるけれど、
樹々は一まわり大きくなった。それぞれに、それだけ生長している。
決して同じではない。くりかえしではない。
山にのぼる道が、ぐるりぐるりと山をまわっている。
東に行ったら西に行って、また同じ東の景が見えてきて、
同じところをぐるぐる回っているように思えるけれど、
ぐるりとまわったら、一段も二段も高くなっている。
決して同じ道のくりかえしではない。
毎日が同じことのくりかえしのように思えることがある。
しかし、きのうよりはきょうの方が、
それだけの体験を深め、それだけ賢くなっているのである。
人生には、日とともに高まりはあっても、くりかえしはない。
世界の動きが、また同じくりかえしのように見えることがある。
しかし決してくりかえしではない。
さまざまの歴史の体験を経て、
人類は一段一段、賢くなっているのである。
くりかえしと思ったとき、進歩への道をみずから閉ざす。
くりかえしはないのである。
夏がきて秋がきて、冬がきてまた春がきた。
同じことのくりかえしのようにも見えるけれど、
樹々は一まわり大きくなった。それぞれに、それだけ生長している。
決して同じではない。くりかえしではない。
山にのぼる道が、ぐるりぐるりと山をまわっている。
東に行ったら西に行って、また同じ東の景が見えてきて、
同じところをぐるぐる回っているように思えるけれど、
ぐるりとまわったら、一段も二段も高くなっている。
決して同じ道のくりかえしではない。
毎日が同じことのくりかえしのように思えることがある。
しかし、きのうよりはきょうの方が、
それだけの体験を深め、それだけ賢くなっているのである。
人生には、日とともに高まりはあっても、くりかえしはない。
世界の動きが、また同じくりかえしのように見えることがある。
しかし決してくりかえしではない。
さまざまの歴史の体験を経て、
人類は一段一段、賢くなっているのである。
くりかえしと思ったとき、進歩への道をみずから閉ざす。
くりかえしはないのである。
努力だけは人一倍やってきたという自負はある。
野球に対して絶対に手抜きはしなかったし、決して逃げ出さなかった。
「無理だな」と思わず、あえて目標を高く持ち、
100%の力を注いで真面目にやって短所を長所に変える方法を学んだ。
うまくいかなくて当たり前と、くさることもしなかった。
今日より明日、明日より明後日……。
一歩でも、半歩でも向上していくよう努力を尽くしてきた。
ただ努力をしたからといって報われるとは限らない。
チャンスがめぐってきたときのために、今を努力するのだ。
山本昌『継続する心 それが力を生むんだ』
野球に対して絶対に手抜きはしなかったし、決して逃げ出さなかった。
「無理だな」と思わず、あえて目標を高く持ち、
100%の力を注いで真面目にやって短所を長所に変える方法を学んだ。
うまくいかなくて当たり前と、くさることもしなかった。
今日より明日、明日より明後日……。
一歩でも、半歩でも向上していくよう努力を尽くしてきた。
ただ努力をしたからといって報われるとは限らない。
チャンスがめぐってきたときのために、今を努力するのだ。
山本昌『継続する心 それが力を生むんだ』
どうか最後のお願い、どんなつまらないことでもよろしいから、
ここまで続けたという自慢話になるような自慢を育てていただきたい。
簡単なことでいいんです。
今ままで続けてきた人は、さらにそれをどこまでも続けてみせていただきたい。
ほんものは続く、続けるとほんものになる。
東井義雄『私を私に育てる責任者は私』
ここまで続けたという自慢話になるような自慢を育てていただきたい。
簡単なことでいいんです。
今ままで続けてきた人は、さらにそれをどこまでも続けてみせていただきたい。
ほんものは続く、続けるとほんものになる。
東井義雄『私を私に育てる責任者は私』
「ほんものは続く、続けるとほんものになる」
―ー にせものは続かない、続けないからほんものにならない
ただ同じことをくりかえすだけでは、ほんものにならない
昨日より今日、今日より明日、明日より明後日、、、
決してあきらめることなく挑み続け、努力を積み重ね、日々進化させる。
昨日より今日、今日より明日、明日より明後日、、、
決してあきらめることなく挑み続け、努力を積み重ね、日々進化させる。
「拝まない者も おがまれている 拝まないときも おがまれている」
/東光寺(東井義雄先生のご生家)
この続きはまた明日
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。