意味のないものの存在意義
[2017年12月16日(Sat)]
養老孟司『遺言。』より――
意味のあるものだけに取り囲まれている(意味しか存在しない社会)と、
いつの間にか、意味のないものの存在が許せなくなってくる。
―― 雑草、雑木、雑魚、雑穀、雑音、雑事、雑用、雑務、雑談、雑誌、雑念、、、
意味のあるものだけに取り囲まれていると、
いつの間にか、意味のないものの存在が許せなくなってくる。
その極端な例が神奈川県相模原市で生じた19人殺害事件であろう。
障害があって動けない人たちの生存に、
どういう意味があるのか、そう犯人は問うた。
その裏には、すべてのものには意味がなければならない、
という(暗黙の)了解がある。
さらにその意味が「自分にわかるはずだ」という、これも暗黙の了解がある。
前段の「すべてのものには意味がなければならない」までは
信仰として許される。
しかし第二段の暗黙の了解が問題である。
「私にはそういうものの存在意義がわかりません」
そう思うのが当然なのに、
自分がわからないことを「意味がない」と勝手に決めてしまう。
その結論に問題がある。
なぜそうなるかというと、
すべてのものに意味があるという、都市と呼ばれる世界を作ってしまい、
その中で暮らすようにしたからである。
意味のあるものしか経験したことがない。そういってもいい。
山に行って、虫でも見ていれば、
世界は意味に満ちているなんて誤解をするわけがない。(p.36~37)
いつの間にか、意味のないものの存在が許せなくなってくる。
その極端な例が神奈川県相模原市で生じた19人殺害事件であろう。
障害があって動けない人たちの生存に、
どういう意味があるのか、そう犯人は問うた。
その裏には、すべてのものには意味がなければならない、
という(暗黙の)了解がある。
さらにその意味が「自分にわかるはずだ」という、これも暗黙の了解がある。
前段の「すべてのものには意味がなければならない」までは
信仰として許される。
しかし第二段の暗黙の了解が問題である。
「私にはそういうものの存在意義がわかりません」
そう思うのが当然なのに、
自分がわからないことを「意味がない」と勝手に決めてしまう。
その結論に問題がある。
なぜそうなるかというと、
すべてのものに意味があるという、都市と呼ばれる世界を作ってしまい、
その中で暮らすようにしたからである。
意味のあるものしか経験したことがない。そういってもいい。
山に行って、虫でも見ていれば、
世界は意味に満ちているなんて誤解をするわけがない。(p.36~37)
意味のあるものだけに取り囲まれている(意味しか存在しない社会)と、
いつの間にか、意味のないものの存在が許せなくなってくる。
―― 雑草、雑木、雑魚、雑穀、雑音、雑事、雑用、雑務、雑談、雑誌、雑念、、、
商売でもね、物が動いて、お金が動いて、それで一応は成り立つんです。
しかし、もう一つ根本的に大事なことは、物や金と共に、
人の心もまたこれに乗って、移り動いていかなければならないということです。
単に物をつくり、物を売り、そしてお金を得ているというだけなら、
商売とはまことにさくばくとしたものになってしまいますよ。
そうじゃないのですな、ほんとうは。
物とあわせて心をつくり、物と共に心を売り、
そしてお金と共に心をいただく、
つまり物や金が通いあうだけでなく、
お互いの心というものがお客様との間に通い合うことがきわめて大切なのです。
そこに真の商売の喜びや味わいと言うものがあるのですね。
それに、商品の価格にしても、
サービスとかいろいろな便宜とか、
そうした心の面をも総合した価値判断で決めるベきで、
単によそがいくらだからウチはいくらにするというようでは、
ほんとうの商売はできませんね。
たとえば、よそが1万円のものを、場合によっては、10,500円で売る。
すると、お客さんは「なぜよそより高いのか」と聞かれる。
そんなとき、「同じ製品ですが、私の方はお添え物があるのです」
「何を添えてくれるのか」「魂をお添えするのです」といったことが言えるかどうか。
そのくらい、自分が商売をする心の価値に自信を持ちたいものですね。
「物と心」/松下幸之助『人生談義』
しかし、もう一つ根本的に大事なことは、物や金と共に、
人の心もまたこれに乗って、移り動いていかなければならないということです。
単に物をつくり、物を売り、そしてお金を得ているというだけなら、
商売とはまことにさくばくとしたものになってしまいますよ。
そうじゃないのですな、ほんとうは。
物とあわせて心をつくり、物と共に心を売り、
そしてお金と共に心をいただく、
つまり物や金が通いあうだけでなく、
お互いの心というものがお客様との間に通い合うことがきわめて大切なのです。
そこに真の商売の喜びや味わいと言うものがあるのですね。
それに、商品の価格にしても、
サービスとかいろいろな便宜とか、
そうした心の面をも総合した価値判断で決めるベきで、
単によそがいくらだからウチはいくらにするというようでは、
ほんとうの商売はできませんね。
たとえば、よそが1万円のものを、場合によっては、10,500円で売る。
すると、お客さんは「なぜよそより高いのか」と聞かれる。
そんなとき、「同じ製品ですが、私の方はお添え物があるのです」
「何を添えてくれるのか」「魂をお添えするのです」といったことが言えるかどうか。
そのくらい、自分が商売をする心の価値に自信を持ちたいものですね。
「物と心」/松下幸之助『人生談義』
この続きはまた明日
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
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会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。