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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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価値と価格の関係 [2017年03月01日(Wed)]
先週の土曜日(2/25)、八尾の「珈琲だけの店」ミュンヒさんで珈琲をいただきましたるんるん
20170225_1.jpg
◆「珈琲だけの店」ザ・ミュンヒ/2017.2.26


日本中、いや世界中の人々が、
本物の価値を見失って久しいように思えてならないのである。
なぜそうなったか。
それは、価値と価格の関係を混同してしまったからだ。
価値が高いから価格が高いのか。価格が高いから価値が高いのか。
そこには本末転倒が起きているのだ。

福原義春『美』

松下幸之助『実践経営哲学』の「利益は報酬であること」より――
企業の利益というと、
それを何か好ましくないもののように考える傾向が一部にある。
しかし、そういう考え方は正しくない。
もちろん、利益追求をもって企業の至上の目的と考えて、
そのために本来の使命を見忘れ、
目的のためには手段を選ばないというような姿があれば、
それは許されないことである。
けれども、その事業を通じて社会に貢献するという使命と
適正な利益というものは決して相反するものではない

そうでなく、その使命を遂行し
社会に貢献した報酬として社会から与えられるのが
適正利益
だと考えられるのである。

それはこういうことである。
人々が物をある価格で買うのは
その品物にその価格以上の価値を認めるからである
たとえば100円の価格の物なら110円なり、120円の価値を認めるから、
100円の代金を支払って買うのであって、
80円なり90円の価値しかない物に100円を出すということは、
特別な事情でもあればともかく、原則としてはしないものである。
それを逆に物を供給している側から見れば
110円なり120円の価値のある品物を100円で売るわけで
そこに奉仕ともいうべきものがあるといえる
その奉仕に対する報酬として利益が与えられるのである
120円の価値のある製品をいろいろ努力して90円の原価でつくり、
それを100円で供給する。そういう努力、奉仕に対する報酬がこの場合、
10円の利益として買手から与えられるということである。
だから、その企業が供給する物資なりサービスの中に含まれている
そうした努力、奉仕が多ければ多いほど
グッド(上向き矢印)
需要者や、社会に対する貢献の度合も大きくグッド(上向き矢印)
したがってまたその報酬としての利益も多いグッド(上向き矢印)というのが原則だといえる。
(…)
本質的には利益というものは
企業の使命達成に対する報酬としてこれを見なくてはならない

だから 「利益なき経営」はそれだけ社会に対する貢献が少なく
その本来の使命を果たし得ていないという見方もできるといえよう


商売は世の為、人の為の奉仕にして、
利益はその当然の報酬なり

松下幸之助『商売戦術三十ヶ條』

課長、部長、社長も、包丁、盲腸、脱腸と同じだ。
要するに符丁なんだ。
命令系統をハッキリさせるために符丁があるんで、
人間の価値とはまったく関係ない。
人間の偉さというのは、
いかに世の中に奉仕したかということだ。
伊丹敬之『人間の達人 本田宗一郎』

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
 
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