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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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■ご挨拶(ブログ開設にあたって)

岡崎嘉平太さんをご存知でしょうか?

私もそんなに詳しく存じ上げているわけではありませんが、 全日空の第2代社長をはじめ多くの会社の社長をされた方です。また、日中の国交回復に多大な貢献をされるなど、その功績は高く評価されています。1972年に日中の国交が回復した際には、中国の周恩来総理から「水を飲むときには井戸を掘った人を忘れない」と岡崎さんも特別招待を受けられました。

岡崎さんのご出身は岡山県賀陽町(現・吉備中央町)。先日、吉備中央町へ出張した時に泊まったホテルに隣接して『岡崎嘉平太記念館』がありました。しかし、出張した火曜日は休館日。 翌日も岡山に戻るバスの便は少なく、8:50発の次は15:29までありません。記念館の見学は諦めていたのですが、係りの方が開館の準備のために出勤されたのでちょっと覗かせていただきました。

記念館に入って最初に目に付いたのが、“信はたていと、愛はよこ糸”と書かれた色紙。まもなくバスが来たので、自分へのお土産として色紙の複製を買い求めました。何となく心惹かれるものがあったのですが、その時はこの言葉に込められたメッセージをそんなに深く考えていませんでした。確かに「信」と「愛」は人の世に大切ですが、なぜ「信」がたて糸で、「愛」がよこ糸なのか・・・

自宅に戻り、記念館のHPを拝見すると、昭和45年(大阪で万博が開かれた年です)に岡崎さんが書かれた文章の中に、岡崎さんが信条とするこの言葉に込められた思いを見つけました。『岡崎嘉平太記念館だより(第1号)2004.7』の1ページ。
その最後の部分をご紹介します。

そこで私は、信というのはどうしても貫かねばならないのでたて糸、愛情というのはその時どきでいろいろな愛があるからよこ糸にして模様を出そうというわけです。
しかも、たて糸とよこ糸は、そのどちらが欠けても布は織りあがりません。信は徹底しなければいけない、愛は燃え上がらなければいけない、というのが私の考えです。

岡崎さんが信条とされたこの言葉に込められたメッセージに、私はとても深い感銘を受けました。たて糸の「信」は信用や信頼よりも“信念”のイメージで解することにしました。そして、「愛」がなぜよこ糸なのか、また、たて糸だけでもよこ糸だけでも美しい布は織りあがらないこともよくわかりました。

ブログを戦略的に活用するにはブログのタイトルは極めて重要で、一目で何のブログかわかり、キーワードも具体的で誰もが検索ワードに選びそうなものが良いとのこと。確かに一理あります。一方で、私は、「何をするか」よりも、「何のためにするか」を大切にしたいと考えます。また、「言葉の力」を強く意識したいと考えます。そこで、この度ブログを開設するにあたり、岡崎さんが信条とされていた“信はたていと、愛はよこ糸”をブログのタイトルに使わせていただくことにしました。

遅ればせながら(自分としては「時が来た」と思っているのですが)ブログデビューです。不慣れなために要領を得ず、また不勉強のために誤った理解や言葉足らずな点も多々あると思われます。これら完成度の低さは、見直しの頻度でカバーしていきますので、お気づきの点があればご指摘ください。よろしくお願いします。
皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して…位置情報
2009年3月吉日
 
しかし、久原さんはそうではなかった。 [2017年09月23日(Sat)]
松下幸之助『縁、この不思議なるもの』の
第17話「経営を改革した倉庫係・久原房之助さん」より――

久原房之助さんといっても若い方々のなかにはご存知ない方が多いと思いますが、
明治、大正、昭和の三代にわたって実業家、政治家として幅広く活躍された方です。
昭和40年に95歳というご高齢で亡くなられたのですが、
その久原さんについて、ぼくが非常に感銘を深くしたことがあります。

久原さんから直接にうかがったのではなく、他の人から聞いた話なのですが、
久原さんが大学を卒業して、ある会社に入ったばかりのころのことです。
まず命じられたのが支店の倉庫係という仕事でした。
新入社員が、倉庫係を命じられるということ自体はよくある例で、
とくにどうということではないのですが、
久原さんの場合は、その仕事ぶりが一味違っていたというのです。

というのは倉庫係の一員になってみると、
倉庫には売れないもののストックとか、
半端なもののストックとかが非常にたくさんあって、
それらが整理されないまま山積みされていました。
……(目の前の事実に「関心」がなければ問題に気づかない)

そういう姿を見て、久原さんは「これはひどい!」と思った。
そこで「どうしてこんなものがあるのですか。おかしいじゃないですか」と
倉庫主任に尋ねてみると、
「これは売れないから放ってあるのだ」という返事です。
……(目の前の事実に「これでいいのか」と問いかけるか否か)

そのときにまだ22、3歳の若い新入社員である久原さんとしては、
おそらく「ああそうですか」とすませてしまうこともできたでしょう。
けれども久原さんはそういう態度をとりませんでした。
どうしたかというと、
売れないから放ってあるというのは一応理屈として通るが
このままでは倉庫が狭くなるばかりだし、会社としても大きな損失ではないかと考え
整理もされないままに放置されたストックの山をいちいち自分で調べました
そして、これはこうしたらいい、あれはああしたらどうかといった具合に
その処分法を自分なりに考えて、それを支店長に提言したというのです。
(…)
しばらくすると、倉庫のなかはすっかり整理され、
ストックはすべて良品という姿になりました。
しかもそこには同時に、
その支店全体の経営精神がすっかり変わって、
ピシッとした仕事が行なわれるという姿も生み出されてきた
というのです。
つまり、支店長をはじめその支店の人びとが
いちばん新前の久原さんの提言によって
何をどう売らなければならないかといったことを
十分吟味して仕事を進めるようになった

その結果一年ほどの間にその支店の成績もすっかり変わってしまったのだそうです。

この話を聞いたとき、ぼくはさすがに久原さんという人は
偉い人だなあという感じがしたものでした。
もし久原さんが新入社員として
ただ単に上司から命じられるままに仕事をするということであったならば
そこには何も生まれてこなかったでしょう
また、これはいかんなと思っても
自分はまだ新前だから口出しする幕ではない、と黙っていたならば
これもやはり支店全体の改革を生むことにはならなかったと思います。

しかし、久原さんはそうではなかった。
考えてみますとこれは非常におもしろいことだと思います。
なぜ久原さんは他の人であれば何気なくみすごしてしまいがちなことに気づき
また、その解決策を敢然と主張し、実行できたのでしょうか

それは、一つにはやはり久原さんが
もともとすぐれた能力を持っておられたということによると思います。
(…)
しかし、いくら立派な素質や才能を持っていたとしても、それだけでは、
一介の倉庫係として支店の経営をすっかり変えてしまうほどの働きをすることは
むずかしいのではないでしょうか。

これはぼくの想像ですが、おそらく久原さんは、
自分の仕事というものに対する非常に強い責任感というか使命感というか
とにかく人一倍の熱心さを持っていたのではないかと思います。
会社の一員となったからには、自分なりに大いに役に立ちたい
という他のだれにもまけない熱意を持っていた

だからこそ、他のだれもが見のがしていたことにも気づき
その解決法を見い出すこともできたのだと思うのです。
(…)
世の中にはよく、自分はそういう地位には立っていないから、
また、そういう権限を持っていないから、
それで仕事ができないんだといったことを口にする人がいます。
たしかにそういうことも一面には言えるでしょう。
(…)
しかし、地位がないから、権限がないから仕事ができないというのは、
やはり熱意のない姿、勇気に欠けている姿だと言わざるを得ない
でしょう。
もし強い熱意というか使命感、責任感があるならば
そこからさまざまな創意工夫が生まれ、力強い説得力も生じてきて
たとえ地位も権限もない新入社員といえども
周囲の人たちの協力を得つつ、かなりの仕事ができる
そのことを久原さんの言動は私たちに示してくれているような気がします。

ぼくは、仕事にかぎらずお互いが何か事をなすにあたっては、
そのような自分の使命、責任の自覚と、
そこから生まれる勇気、熱意を持つということが基本だと思います。

もちろん、その使命感、責任感は、
血気にはやったり自分の利害にとらわれたりして、
何が正しいかということを十分に考えないものであっては困ります。

それでは失敗に終わる場合が多いでしょう。
しかし、そうではなく、
自分の欲望や利害を離れ、もっと広く高い視野からものの道理というものを考えて
これはやはり自分が言うべきことであり行うべきであると思ったならば
確固たる信念を持ってその使命、責任を果たしていく
それができるだけの勇気なり熱意なりを多少なりとも持たないならば、
私たちは何事もなし遂げることはできないと思うのです。

もっとも、いかに正しく強い使命感なり勇気を持っていたとしても、
実際に事を進めるにあたってのやり方もまた大切です。
自分は正しいのだからということだけで行動し、
周囲の反感を買い、協力を得られないというようなことでは、
せっかくの勇気も熱意も死んでしまいます。

そこには、たとえば言葉使いひとつにも、
周囲の人たちの気持ちを汲んだ、礼儀作法にかなったものが求められるわけですが、
ぼくはお互いが、ほんとうに私心のない高い使命感なり責任感を持ったならば
そこからは周囲の人への心くばりが行き届いた言動も
おのずと生まれてくる
ように思います。
自分の大切な責任を果たすために本当に一生懸命になるならば
その時々に必要な言動がかなり適切に考えだせるようになるでしょうし、
かりにそれが不十分であっても、
熱心で誠意ある私心のない態度は、
おのずと周囲の人びとの心に響いて、
それなりの協力を得られるのではないかと思います。

久原さんという方は、そんな態度を新入社員の時代から、
十分に発揮されたということではないでしょうか。
ぼくは、そういうところに久原さんの人並みはずれた偉大さがあるように思うのですが、
お互いに日々の生活のなかで、久原さんのような境地で
事にあたることが少しでもできるよう、努めていきたいものだと思います


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阪急宝塚線の山本駅(2017.9.21)
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旧豊郷小学校
横や後ろを見ず、前を見て一歩一歩力強く進む足跡

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
意欲、実行、反省 [2017年09月22日(Fri)]
昨日(9/21)の「熱意と誠意を持って取り組む」の続きメモ

松下幸之助『思うまま』より――
「意欲」
人間、何をやるにしても
ひとつやってやろうという意欲がなくてはならない
たとえば、そば屋さんでも、ひとつおいしいそばをつくって
お客さんに喜んでもらおうという意欲を持つことが大切だと思う。
そうすればどうなるか。
10軒のそば屋でも、みな味が違うもの。
ここはうまいと評判のそば屋へ行って自分で食べてみる。
ご主人につくりかたのコツを熱心に頼んで教えてもらう。そして、
あとは自分でやってみる。
どの道でも、事の成否は一つには
その人の意欲にかかっていると言えよう。

「実行してゆく」
どんなに大きなよい望みでも、工夫、努力が伴わなければ、
しょせんは小人の大言壮語に終わってしまう
だろう。
たとえ望みは小さくとも、
勇気と決断力を持って、これを実行していってこそ
その望みが実現できるのだと思う。
もちろん望みは大きくてよい。
ただその望みを実現するためには、
どんな小さなことにも工夫、努力を重ね
地道に一つ一つ実行してゆくことが大切なのである。

「意欲と失敗」
何事を行うにしても、意欲をもつということは大切である。
意欲なくしては進歩も成功もありえないといってもいいであろう。
しかし、意欲をたくましくしすぎると、
これは往々にして成功よりも失敗、没落に結びつく。
歴史における、ナポレオンやヒットラーなどはその好例である。
だから意欲を高めてゆく一方で、それ以上に謙虚な気持ちで
素直にみずからを反省する
ということが大切なのだと思う。
意欲なくして成功はないけれども、
謙虚、素直、反省の伴わない意欲は
これは失敗への道につながる
と言えるのではないだろうか。

松翁ある人に次のように言われた。
経営はその日その日の積み重ねである。
松下幸之助 『松翁論語』

松翁ある人に次のように言われた。
きょう一日を振り返ってみると、反省すべきことがいくらでもある。
その反省に徹したとき、
あらゆる面に革新が生まれてくる。

松下幸之助 『松翁論語』

朝に発意、昼に実行、夕べに反省
日々のそうした地道な活動の積み重ねが商売繁盛につながっていく。
松下幸之助「商いの心得十カ条」第十条

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旧豊郷小学校
横や後ろを見ず、前を見て一歩一歩力強く進む足跡

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
熱意と誠意を持って取り組む [2017年09月21日(Thu)]
昨日(9/20)の「誠実な熱意がものをいう」の続きメモ

松下幸之助『道をひらく』より――
「熱意をもって」
経営というものは不思議なものである。
仕事というものは不思議なものである。
何十年やっても不思議なものである。
それは底なしほどに深く、限りがないほどに広い
いくらでも考え方があり、いくらでもやり方がある
(…)
しかし、人に熱意がなかったら、
経営の、そして仕事の神秘さは消えうせる。
何としても2階に上がりたい。どうしても2階に上がろう。
この熱意がハシゴを思いつかす。階段をつくりあげる。
上がっても上がらなくても……
そう考えている人の頭からは、ハシゴは出てこない。

才能がハシゴをつくるのではない。やはり熱意である
経営とは、仕事とは、たとえばこんなものである。
不思議なこの経営を、この仕事を、
おたがいに熱意をもって、懸命に考えぬきたい。やりぬきたい

松下幸之助『人生談義』より――
「熱意ということ」
何かを生み出すために、何かをなし遂げるために、
何といっても大事なのは熱意ではないでしょうか。
もちろん、知恵や才能はあるに越したことはありませんよ。
しかし結局は熱意のあるなしが成否を決めるカギになってくると思いますな。

たとえば、「何としてでも二階に上がりたい」という熱意があれば、
ハシゴというものを考えつくんです。
ところが、ただなんとなく「上がってみたいな」と思うぐらいでは、
そこまでいかない。
「どうしても、何としてでも上がりたい。自分の唯一の目的は二階に上がることだ」
というくらいの熱意があった人が、ハシゴを考えついたと思うのですね。

熱意のたぎっているところ、人は必ず新しい道をひらきます
常識では考えられないことをやってのけるのですな。
(…)
常識というものはいわば先人の知恵の積み重ねですから、もちろん大事です。
けれども、新しいものを生み出すためには
一度常識から自分を解放しなければならない。
そのためには熱意が強く要請されるのです。
多くの知識を身につけた人ほどそれを越える強い熱意が必要だともいえますな

熱意と誠意を持って仕事に取り組んでいる人は、常に
「こうしたらどうだろう」「このつぎはこんな方法でお客さんに話してみよう」
というように工夫をこらし、いろいろ効果的な方法を考えますわな。
また、同じことを説明するにも、
その話し方に自然と熱がこもり、気迫があふれる。
お客さんもその熱心さにうたれ(…)

あたかも磁石が周囲の鉄粉を引きつけるように、
熱意が周囲の人を引きつけ、
周囲の情勢も大きく動かしていくのですね。
熱意はあらゆるものを生かし動かす原動力ともいえましょうな

いかに才能があっても、知識があっても、
熱意の乏しい人は画ける餅に等しい

「松下幸之助 一日一話」1月7日

何をするのでも、結局は誠実な熱意がものをいう。
いちばん肝心なのは、やはり誠意あふれる熱意だ。

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横や後ろを見ず、前を見て一歩一歩力強く進む足跡

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
誠実な熱意がものをいう [2017年09月20日(Wed)]
松下幸之助『縁、この不思議なるもの』の
第二話「盲目の口入・五代五兵衛さん」より――
(※)第一話の松下さんが丁稚奉公されたお店のご主人(五代音吉さん)のお兄さん。

この五代さんの兄弟はみな立派な人で、
特に長兄の五兵衛さんは17歳で盲目になりながら弟妹を養い
土地、家屋の周旋までして
ついに大阪で初めての盲唖学校を私力で創立した人だ。
とにかく盲目の身で、一度家へ入るとその値打ちや古さが分かり、
周旋屋で大変な信用を得たというのだから大したものだ。
(松下さんの私の履歴者『夢を育てる』より)
(…)
ご自分の苦心談などをそれとなく話してくれました。
それをぼくは、子ども心に尊敬の念を覚えつつ聞いていたわけですが、
そのころはただ何気なく聞いていた話でも、あとになってみて
「ほんとうにその通りだな」と感じたことが実に数多くありました。
そのなかでも、とくに強く感じたことの一つは、やはり何をするのでも、
結局は誠実な熱意がものをいうということです。
お互いの仕事でも何でも、
それに臨む心がまえとして大事なことはいろいろありましょうが、
いちばん肝心なのは、やはり誠意あふれる熱意だと思います。
知識も大事、才能も大事であるには違いありませんが、
それらは、なければどうしても仕事ができないというものではありません。
たとえ知識が乏しく才能が十分でなくても、
なんとかしてこの仕事をやり遂げよう、なんとしてでもこの仕事をやり遂げたい、
そういう誠実な熱意にあふれていたならば、
そこから必ずいい仕事が生まれてきます。
その人自身の手によって直接できなくても、
その人の誠実な熱意が目に見えない力となって、
自然に周囲の人を引きつけます。
目に見えない磁石の力が、自然に鉄を引きつけるように、
誠実な熱意は、思わぬ加勢を引き寄せ、
事が成就するということが多いと思うのです。 
(…)
誠実な熱意というものは、時代を超えていつもきわめて大切なもので、
お互いにそれを持ち続けているかぎり
人生を生き抜く道は、いわば無限にあると言ってもいいように思うのです。

五代五兵衛さん、17歳で全盲になる身でありながら、
お父さんの病死で没落した五代家の長男として一家を支え、
そして私財を投じて大阪盲唖院を設立(1900年)
◆校長室の銅像/大阪府立大阪北視覚支援学校ぴかぴか(新しい)
◆渡邊祐介「社会企業家・五代五兵衛と私立大阪盲唖院」ひらめき
/論叢 松下幸之助・ 第10号


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何事でも感謝の心を持つ [2017年09月19日(Tue)]
松下幸之助『縁、この不思議なるもの』の
第一話「社会人としての出発点・五代音吉さんご夫妻」より――
(…)
考えてみますとぼくが今日あるのは、やはりこの店での6年間に、
ご主人と奥さんから実に親身で、またきびしい指導を受けて、
知らず知らずのうちにも商売の道というものを体得することができた、
そのおかげである面が大きいと思います。
(…)
よく昔の人は、お得意さんに対しては足を向けて寝ないということを
言ったものですが、五代さんはそれをしっかり実行する人であったのです。
つまり、販売とか集金というものは、商売ですから厳格に行なうけれども
お得意さんに対しては心からの感謝の念を持ち、何か事があったときには
いち早くかけつけてお手伝いするのが商売人としての務めである

という考えに立って、たえずお得意先のために奉公、奉仕していました
(…)
ほかにも形はいろいろありますが、折あるごとに
お得意先に対する感謝の気持ちを態度に表わしておられました。
ですからお得意さんも非常に満足されて、
同じものであれば五代の店から買おうということになって、
どんどん繁盛していったわけです。
ぼくが子どもの時分に、五代さんの店で
そうした商売の仕方を体験し、いろいろ教えられたことは、
先にも述べたように知らず知らずのうちに身についていたようで、
ぼくは後に独立して自分で商売を始めてからも、やはり五代さんと同じように
お得意先大事に徹するということを第一に心がけ、
それがお得意先の方がたに受け入られ、喜ばれて、
商売の発展に結びつく一つの大きな要因になった、ということができると思います。
これは結局、
何事でも感謝の心を持つことが大切だということだと思います。
感謝の心を持てば、それはいろいろな形になって自分に返ってきます
その自分に返ってくることを期待して感謝の心を持つというのではいけませんが
自分の置かれた立場なり他人からの恩恵なりに素直に感謝できる人
言いかえれば喜びを知る人というのは、非常にしあわせな人だと思います
(…)
これは、商売に限らず、私たちの人生すべての面にもあてはまる、
人間としての大事な基本と言えるのではないでしょうか。
五代音吉さんのお店での6年間に、ぼくが教えられ学んだことは、
そのように人生の基本に通ずることから、具体的な商売の進め方まで数限りなく、
とても言いつくせるものではありませんが、
いずれにしても五代さんのお店で奉公するということから
社会人としての出発ができたことは、ぼくにとってまことにありがたく、
心からの感謝を覚えずにはおれないことなのです。


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縁の力 [2017年09月18日(Mon)]
松下幸之助『縁、この不思議なるもの』
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――これまでにぼくが受けた恩恵のなかには、ある人に出会って、
その人の言動から直接間接にいろいろと教えられたということが、
いわば数限りなくあります。人生の折々に多くの人と出会い、
さまざまな指導や助言、協力をいただいたことが、
今日のぼくをあらしめている、という気がするのです。(…)
ぼくにとってはいずれも、
これまで生きてきたことの喜び、楽しさに通じる思い出です。
同書の「まえがき」より

松下さんが88歳のときに出版された本の文庫本です。
松下さんが人生の折々で出会った人々から学ばれたことが書き綴られていて、
登場されるのは20人、うちご夫婦が3組で、あとがきの2人を入れると全部で25人。
トップは松下さんが丁稚奉公された五代自転車店の五代さんご夫妻で、
トリは松下さんのご両親です。そして「あとがき」には、
社内で松下さんと共に松下電器の飛躍を支えてこられた同志の中からお二人、
中尾哲二郎さんと高橋荒太郎さんとの出会いが綴られています。

以下、「あとがき」より――
思い返してみますと、ぼくのこれまでの事業生活というものは、
そうしたありがたい人との出会いに次々と恵まれて、
それによって支えられてきたということができるように思います。
もちろんぼく自身は、何をなすにも結局大事なのは人だ、ということを
折々に感じていましたから、
いつのときにも、よい人を得たいという願い、思いを人一倍強く持っていました。
しかし、いかに強い思いを持っていたとしても、
それだけでは、そう次々といい人に出会うということにならなかったでしょう。
そこにはやはり、人の知恵や力を越えた、大きな縁の力というものが
働いていたように思います。
(…)
お互い人と人との間には、個人的な意志や希望を超えた縁の力が働いている。
だからその縁のあったことを謙虚に喜び、
その喜びの心でお互いのつながりを大事にし、さらに強めていきたい

そんな思いを味わっているのです。
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自分で自分の可能性を閉ざさない [2017年09月17日(Sun)]
母校の中学で毎年秋に開催される「先輩の授業」。
平成8(1996)年に創立50周年事業として第1回が開催されたので、
98年4月にスタートしたNHKの「ようこそ先輩」に先駆けた取り組みです。

2009年に一度やらせていただいています。
還暦を迎えたのを機に再び志願し、
今回の私の授業は「二度とない人生だから」をテーマに設定しました。

私の授業に参加する30名の後輩の皆さんとのご縁に感謝してシナリオを練りましたが、
私自身にとって有用な時間になりました。心からお礼を申し上げます。

大阪の千里丘陵で万国博覧会が開かれたのが1970年、
その前年の1969年に中学に入学しました。
まずは、懐かしいアルバムから当時の校舎の風景や集合写真をいくつか紹介。
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(↑)中学1年の集合写真(モザイク処理)、最後列の左から3人目
チビ、メガネ、坊ちゃん刈、スポーツも音楽もダメ、異性にモテる要素ほぼゼロでした。
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前半で伝えたかったのは、以下の3点。
自分勝手な思い込みや周りの評価にとらわれて「自分で自分の可能性を閉ざさない」
 ――「自縄自縛」や「無縄自縛」から解き放す
物語は偶然の出逢いから始まる
 ――「偶然」から物語が始まるか、何も始まらず何も変わらずか、すべては自分
共に学び、互いに高め合う
 ――「自分のため」から「自分以外の誰かと共に」に変わることで、より強くなれる

そして後半、まず後輩の皆さんに3つの質問をし、
考えた結果を発表していただきました。
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3つの質問の趣旨は
無関心では気づきは得られず、常日頃から色んなことに関心をもつ
ものの見方や考えかた(価値観)を高める
そして、見たまま、感じたままで終わらず、その背後の物語に関心を持つ
 ――「いちばんたいせつなことは、目に見えない」星の王子さま

「いちばんたいせつなことは、目に見えない」けど、見える人には見えるひらめき

そして、先日(9/9)の朝日新聞の記事で出逢った森敦史さんを紹介。
――生まれた時から「盲ろう」の森敦史さん(26歳)
高校を卒業後、大学へ進学し、そして今春から大学院へ
「盲ろう者の働く場所や施設がないなら、自分がこれから作りたいと思った」

最後に、本日の授業で皆さんにお伝えしたかったことをまとめました。
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自分で自分の可能性を閉ざさない。
見たまま、聞いたまま、感じたままでなく、その背後の物語を読み解く。
人と比べる必要なく、自分が自分と戦う。
他者の痛みに、想像力をもって寄り添う。
素直な心で謙虚に学び、互いに高め合う。
横や後ろを見ず、前を見て力強く一歩一歩。

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ウサギはウサギ、カメはカメ、
比べる必要も競争する必要もなく、互いに自分が自分と勝負する。
横や後ろを見ず、前を見て一歩一歩力強く進む。
できることは懸命にやり、できないことは工夫する。
心を定めてGo! image.jpeg

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
商売は勝ち負けを争うものではない [2017年09月16日(Sat)]
松下幸之助『道をひらく』より―ー
「仕事というものは」
仕事というものは勝負である。一刻一瞬が勝負である。
だが、おたがいに、勝負する気迫をもって
日々の仕事をすすめているかどうか

まず普通の仕事ならば、ちょっとした怠りや失敗があったとしても、
別に命を失うというほどのことはない。
それでも、ともかく日は暮れて、その日の仕事はまず終わる。
だから、つい気がゆるむ。油断する。
きょうはきのうのくりかえし、あすもまた同じで、別段とくに変わったこともなし。
しかし、これではいい知恵はうかばない
創意も生まれなければ、くふうも生まれない
そして何の緊張もないかわりに、何の喜びもないということになる

平穏無事なときには、これでも日はすごせるが、しかしいつもそうはまいらない。
わが国の情勢は、世界の動きとともに今や刻々と変わりつつある。
一刻の油断もならぬ状態
におかれている。
このときにこそ、勝負する大勇気をもって仕事にあたらねば、
それこそ真の繁栄は生まれない
であろう。
仕事を勝負と心得る人と心得ない人とのちがいが、
ハッキリとあらわれてくるときではなかろうか。


松下幸之助『思うまま』より――
「勝負ではない」
世間ではよくあの会社とこの会社はライバル同士≠セとか、
あそこが勝った。ここが負けた≠ネどと興味本位で言ったりする。
しかし、商売はスポーツとか戦争のように
勝ち負けを争うものではない
はずである。
需要家の便宜を考え、業界共通の繁栄をも考えて、
常に共存共栄を図っていく、
それが商売というものだと思うのだが……。


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ウサギはウサギ、カメはカメ、
比べる必要なく、互いに自分が自分と勝負。
横や後ろを見ず、前を見て一歩一歩力強く進む。
できることは懸命にやり、できないことは工夫する。
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この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
自分が商売をする心の価値 [2017年09月15日(Fri)]
松下幸之助『商売心得帖』より―ー
「魂を入れた値段であれば」
先般、私どもの製品を販売していただいているお店の方と話をしたのですが、
こういうことを言われるのです。
「自分の店もおたくの製品を販売しているが、他の店でも販売している。
だから他の店で10,000円であれば、
自分の方も10,000円で売らなくてはならないということになる。
そうなると、やはり安く売るところに律せられて値段を下げざる得ない」
私はそれを聞いて、一面もっともだという感じがしました。
しかし、私は、そこがいちばん大事なところではないかという話をしたのです。
つまり、価格というものは、サービスとか配達とかいろいろな便宜だとか、
そういうものを総合した価値判断によって決めるべきで、
よそがいくらだからうちはいくらというようなことでは
ほんとうの商売はできない
と思うがどうですか、
ということをお話ししたのです。
そうすると、「それでもよそが安くするのに……」というようなことを言われる。

それで私は、
「そうすると、あなたのお店は、魂はタダですか」と言ったのです。
「私であれば、よそが10,000円のものを、
場合によっては10,500円で売ることに決めます。
するとお客さんが『なぜよそより高いのか』ときかれる。
そのときに、
『同じ製品ですが、私の方はお添え物(プラスアルファ)があるのです』
『何を添えてくれるのですか』
『私どもの魂を添えるのです』と申しあげたらいいと思うのです。
そのように、あなたのお店の魂をプラスして価格を決定することが
必要だと思いますが、いかがでしょうか」と。

そうすると、「なるほど、そこまでは考えていなかった」というわけです。
「私は、価格で競争するということが第一になっていました
が、いまお話を伺って、
なるほど自分の店の総合した「魂」というか「奉仕」、
そういうものが価格に計算されなくてはならない、
それを無料にすることはできない、
それを加算したものが価格なのだ
ということが、よく分かりました。
つまり、いかなる商品であっても、
私の店のものは私の方で値段を適当に決めるのだ、
それは安売りをしているところよりも高いという場合もある
その、高いという場合には、
自分の魂料が入っている、店の信用保証料が入っている。
だから、何かのときに私の方は責任をもちますよ、ということを
堂々と主張できるような商売でなくてはならないということですね」
と、非常に共鳴して、その後、力強く商売にあたって
顧客にも喜ばれつつ成果をあげておられます

自分が商売(仕事)をする心の価値に自信を持ちたい。
「物と心」/松下幸之助『人生談義』

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なぜこの店では、テレビが2倍の値段でも売れるのかひらめき


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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
価格以上の価値を認めていただく [2017年09月14日(Thu)]
松下幸之助『実践経営哲学』より―ー
「利益は報酬であること」
(…)
人々が物をある価格で買うのは、
その品物にその価格以上の価値を認めるからである。

たとえば100円の価格の物なら110円なり、120円の価値を認めるから、
100円の代金を支払って買うのであって、
80円なり90円の価値しかない物に100円を出すということは、
特別な事情でもあればともかく、原則としてはしないものである。
それを逆に物を供給している側から見れば、
110円なり120円の価値のある品物を100円で売るわけで、
そこに奉仕ともいうべきものがあるといえる。
その奉仕に対する報酬として利益が与えられるのである。

120円の価値のある製品をいろいろ努力して90円の原価でつくり、
それを100円で供給する。
そういう努力、奉仕に対する報酬がこの場合、
10円の利益として買手から与えられるということである。
だから、その企業が供給する物資なりサービスの中に含まれている
そうした努力、奉仕が多ければ多いほど

需要者や、社会に対する貢献の度合も大きく
したがってまたその報酬としての利益も多いというのが
原則だといえる


価格以上の価値(値打ち)を出して認めていただく
その価値を評価するのは相手であって、自分ではないひらめき
――「価格」は見えるが、「価値」は見える人にしか見えない(見える人には見える

他の不自由を満たすことが大きければ、
自分の幸福を得ることも
それに従って大きくなるのである。

だとすれば、どのような生業を行えば、
われらの力がよりよく他人の役に立つかを議論しなければならない。
明治2年(1869)正月/『丸屋商社之記

まず相手を喜ばすことが
自分の発展につながっている。

松下幸之助『人生談義』

商売(仕事)にはサービスがつきものである。
サービスを伴わぬ商売(仕事)は、もはや商売(仕事)ではない。
その意味においては、
サービスは商売人(働き者)にとっての一つの義務ともいえる。
しかし、これを単なる義務としてのみ受け取り、
しかたなしにやむをえずやっているとしたら、これほど疲れることはない。
こちらが疲れるだけでなく、
お客さま(相手)にもその「しかたなさ」が自然に通ってしまう。
サービスは相手を喜ばせるものであり
そしてまたこちらにも喜びが生まれてこなければならないものである
喜び喜ばれる姿の中にこそ真のサービスがあるといえよう。
お互いに、喜びをもってサービスにあたりたい。
躍動する心でサービスに専心したい。
真の商売(仕事)がそこから芽生えてくる。
『松下幸之助・経営の真髄』

僕らは「安くしよう」と思っているわけではない。
僕らの頭にあるのは、いつでも「値打ちを出そう」ということ
安さだけを追求していたら、
いちばん大切な継続ができなくなって、
どこかで頭打ちになってしまう。
そうなったら、どんどん質が下がってしまうし、
お客さんに喜んでもらえなくなり、
社会に貢献できる企業ではなくなってしまう。

正垣泰彦(サイゼリヤ創業者)

「お、ねだん以上。」ニトリ


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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
赤字で当然としない [2017年09月13日(Wed)]
本質的には「利益」というものは
企業の使命達成に対する報酬としてこれを見なくてはならない。
利益なき経営はそれだけ社会に対する貢献が少なく
その本来の使命を果たし得ていないという見方もできるといえよう。
「利益は報酬であること」/松下幸之助『実践経営哲学』

利益なき経営は企業の社会的責任に反する姿
松下幸之助『実践経営哲学』

松下さんのエピソード――
昭和33(1958)年1月、
扇風機事業部長が、創業者(松下幸之助さん)のところに
年間の生産・販売計画を説明に行った時のことである。
概況の報告が終わり、帰ろうとした事業部長に、創業者が聞いた。
「ちょっと君、先月の決算はどうやったんや」
事業部長はきっぱりと答えた。「赤字です
当時、扇風機は夏物季節商品の中心で、生産は年中行なっているが、
出荷は3月頃の年一回で、売上げの最盛期は6月から7月であった。
したがって、出荷も売上げもない月は赤字で当然だと考えていたのであった。
しかし、その言葉を聞いて創業者の目の色が変わった
「きみ、赤字とは大変やな」
何が大変なのかなと、きょとんとする事業部長に、創業者は言った。
「君な、先月欠損ということは、
道を歩くにも心して歩かんとあかんで。
道の真ん中を通ってきたらあかん
道の端の端の一番端っこを遠慮しながら
頭を下げて通ってこんとあかんで
(…)
それからまもなく、
事業部は年中商品として換気扇の開発に着手した。
「2008年創業者メモリアルウィーク特別展」の展示パネルよりメモ
/松下幸之助歴史館

松翁ある人に次のように言われた。
きょう一日を振り返ってみると、
反省すべきことがいくらでもある。
その反省に徹したとき、
あらゆる面に革新が生まれてくる。


松翁ある人に次のように言われた。
赤字のツケを他に転嫁してはならない。
別の仕事で吸収できるからというやり方ではなく、
一件ごとに採算を合わせよ。


松翁ある人に次のように言われた。
経営はその日その日の積み重ねである。
松下幸之助 『松翁論語』


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利益は報酬である [2017年09月12日(Tue)]
松下幸之助『実践経営哲学』より―ー
「利益は報酬であること」
(…)
事業を通じて社会に貢献するという使命と
適正な利益というものは決して相反するものではない。
そうでなく、その使命を遂行し
社会に貢献した報酬として社会から与えられるのが
適正利益だと考えられる
のである。

(…)
その企業が供給する物資なりサービスの中に含まれている
そうした努力、奉仕が多ければ多いほど

需要者や社会に対する貢献の度合も大きく、したがって
またその報酬としての利益も多い
というのが原則だといえる。

(…)
本質的には利益というものは
企業の使命達成に対する報酬としてこれを見なくてはならない。
だから「利益なき経営」はそれだけ社会に対する貢献が少なく
その本来の使命を果たし得ていないという見方もできるといえよう。


利益なき経営は企業の社会的責任に反する姿
松下幸之助『実践経営哲学』

商売は世の為、人の為の奉仕にして、
利益はその当然の報酬なり

松下幸之助『商売戦術三十ヶ條』

課長、部長、社長も、包丁、盲腸、脱腸と同じだ。
要するに符丁なんだ。
命令系統をハッキリさせるために符丁があるんで、
人間の価値とはまったく関係ない。
人間の偉さというのは、
いかに世の中に奉仕したかということだ。

伊丹敬之『人間の達人 本田宗一郎』


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商売の使命 [2017年09月11日(Mon)]
松下幸之助『思うまま』より―ー
「商売の使命」
商売というものは、利益を抜きにしては考えられない
しかし、利益を得ること自体が商売の目的ではないと思う。
やはり大事なことは、
暮らしを高めるために世間が求めているものを心を込めてつくり
精いっぱいのサービスをもって提供してゆくこと、
つまり、社会に奉仕してゆくということではないだろうか。
そこに商売の尊さがあり、使命があると言えよう。
そしてその使命に基づいて商売を力強く推し進めてゆくならば
いわばその報酬として
おのずと適正な利益が世間から与えられてくる
のだと思う。


ビジネスの役割は利益をあげることだと言うのは、
人間の役割は食事や呼吸をすることだと言うのと同じく無意味です。
損失を出す会社と同様、食事をとらない人間は死を迎えます
だからといって、人生の目的は食べることだということにはなりません
利益は生存に必要な条件ですが、
企業の目的は社会全体の利益に貢献することです。

『ダライ・ラマのビジネス入門』

利益は、企業や企業活動にとって目的ではなく、条件である。
ドラッカー『マネジメント』


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会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
人生即遍路 [2017年09月10日(Sun)]
金曜日(9/8)、その日の仕事を終えてバスで徳島へ...
3ヵ月ぶりの徳島です。
お月さんがとてもきれいでした。
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翌朝(9/9)、始発の列車に乗って南へ...
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昇る朝日に車窓から合掌
海部で阿佐海岸鉄道に乗り継いで甲浦へ
そして甲浦から国道55号線をジョギングで室戸岬へ...
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国道ですが、コンビニもなく、そして「最終自販機」
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徳島県庁?から123.4キロ
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中岡慎太郎像(室戸岬)
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24番霊場「最御崎寺」
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「人生即遍路」山頭火

「苦しみつつなお働け、安住を求めるな、人生は巡礼である」
高倉健さんが著書『旅の途中で』に引用された
山本周五郎さんが深い感銘を受けたストリンドペリーの言葉


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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
光は私たちのすぐ隣にある [2017年09月09日(Sat)]
一寸先は闇でも、
その一寸先にはがある。

いつも前を見て、倒れるときも前のほうに倒れる。
そんな生き方を理想に、生きていきたい。
やなせたかし『明日をひらく言葉』

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「一寸先は闇ではなくである」坂村真民

人生いつも順風満帆というわけにはいかない。
人生順調な時があり、不遇な時がある。
不幸に見える時があり、幸福に見える時がある。
いずれにしても絶望する必要もなければ有頂天になる必要もない。
いつの日もは私たちのすぐ隣にあると信じたい。
三浦綾子『小さな一歩から』

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「闇と苦」坂村真民
闇があるから
がある

苦があるから
楽がある

闇を生かせ
苦を生かせ


Never Lose Hope決して希望を失わない
We can never be completely free from anguish and worry.
But even in your worst moment, try not to lose your cheerfulness
and hope for tomorrow.
私たちは決して苦痛や悩みから解放されることはありません。
しかし最悪のときでさえも、明るさを失わず、
明日に希望を持つように努力する
ことはできるのです。

稲盛和夫『成功への情熱―PASSION―』より

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
今を生きる [2017年09月08日(Fri)]
日野原重明『いのちの使いかた』の
「いのちという時間」より―ー
(…)
では、いのちとはいったいなんでしょうか。
いのちは、生きているだれもが持っているものです。
でも、いのちは目で見ることも、手で触ることもできませんね。
いのちとは、今、あなたが持って使っている「時間」のこと、僕はそう考えています。
(…)
生きている人はだれでも、めいめいが自分の時間を持っている。
存在しているのは、今のあなたに与えられた1日、24時間、1440分、86,400秒です。
今日も一日生かされたという感謝の気持ちの連続の中に、いのちは宿っています。
いのちを持っているということは
使える時間が与えられているということです。
自分が使うことのできる時間こそがいのちであり
それを何に使うかが、生きていくということ
時間の使いかたは、そのままいのちの使いかたになります。
(…)
その体験をもとに書かれたのが『夜と霧』です。フランクルは言います。
人生に何を期待するかではなく、
人生から自分が何を期待されるかを考える。

つまり、これまで人生から受け取ってきたたくさんのものを考えれば、
求めるばかりでなく、自分のいのちを使って
だれかのためにその恩恵を返すことがあってもいいはずです。
それこそが生きがいであり、いのちの使命だと思います。
人は、いのちの使命が何かを知ることで、フランクルのように苦難を耐え
つらい状況の中でも未来を見つめ、生きることができるのではないか。
耐える覚悟が生まれたなら、
その一歩として接する人に感謝のほほえみを返す。
それだけで、その人のいのちの時間は輝き、
人生はどんなにか豊かなものになるでしょう。

(…)

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そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!

今を生きる ことで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ
ほほえんで

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのはいやだ!

忘れないで 夢を
こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ
どこまでも

そうだ おそれないで
みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

時は はやく すぎる
光る星は 消える
だから 君は いくんだ
ほほえんで

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ どんな 敵が あいてでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため
アンパンマンのマーチるんるんやなせたかし

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いけ! みんなの夢 まもるためぴかぴか(新しい)

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この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
なすべきことをなす [2017年09月07日(Thu)]
ヴィクトール・フランクル『夜と霧』より―ー
(…)
すでに述べたように、強制収容所の人間を精神的に奮い立たせるには、
まず未来に目的を持たせなければならなかった。
被収容者を対象とした心理療法や精神衛生の治療の試みがしたがうべきは、
ニーチェの的を射た格言だろう。
「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」
(…)
ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。
わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、
むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、
ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。
哲学用語を使えば「コペルニクス的転回」が必要なのであり、
もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、
わたしたち自身が問いの前にたっていることを
思い知るべきなのだ。
生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。
わたしたちはその問いに答えを迫られている。

考え込んだり言語を弄することによってではなく、
ひとえに行動によって、適切な態度によって、
正しい答えは出される。
生きるとはつまり、
生きることの問いに正しく答える義務、
生きることが各人に課す課題(使命)を果たす義務、
時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。

この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する
したがって、生きる意味を一般論で語ることはできないし
この意味への問いに一般論で答えることもできない
ここにいう生きることとはけっして漠然としたなにかではなく、
つねに具体的ななにかであって、
したがって生きることがわたしたちに向けてくる要請も、とことん具体的である。
この具体性が、ひとりひとりにたったの一度
他に類を見ない人それぞれの運命をもたらすのだ

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「闇と苦」坂村真民
闇があるから
光がある

苦があるから
楽がある

闇を生かせ
苦を生かせ


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この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
一寸先は光 [2017年09月06日(Wed)]
ヴィクトール・フランクル『夜と霧』より―ー
(…)
強制収容所にいる人間に、そこが強制収容所であってもなお、
なんとか未来に、未来の目的にふたたび目を向けさせることに意を用い
精神的に励ますことが有力な手立てとなる
被収容者の中には、本能的にそうした者たちもいた。
その人たちは、おおむねよりどころとなるものをもっていた。
そこにはたいてい、未来のなにがしかがかかわっていた。
人は未来を見すえてはじめて、いうなれば永遠の相のもとにのみ存在しうる
これは人間ならではのことだ
(…)
しかし未来を、自分の未来をもはや信じることができなかった者は
収容所内で破綻した

そういう人は未来とともに精神的なよりどころを失い
精神的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破綻していったのだ。
(…)
勇気と希望、あるいはその喪失といった情調と、
肉体の免疫性の状態のあいだに、どのような関係がひそんでいるのかを知る者は、
希望と勇気を一瞬にして失うことがどれほど致命的かということも熟知している。
(…)
医長によると、
この収容所は1944年のクリスマスと1945年の新年のあいだの週に
かつてないほど大量の死者を出したのだ。これは、医長の見解によると、
過酷さを増した労働条件からも、悪化した食料事情からも、気候の変化からも、
あるいは新たにひろまった伝染性の疾患からも説明がつかない。
むしろこの大量死の原因は、
多くの被収容者が、クリスマスには家に帰れるという、
ありきたりの素朴な希望にすがっていたことに求められる
、というのだ。
(…)
すでに述べたように、強制収容所の人間を精神的に奮い立たせるには
まず未来に目的を持たせなければならなかった
被収容者を対象とした心理療法や精神衛生の治療の試みがしたがうべきは、
ニーチェの的を射た格言だろう。
なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える

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「一寸先は闇ではなくである」坂村真民

「希望」・・・ 明日を信じて今を生きる目的<なぜ生きるか>
(あこがれや希望的観測でなく、強い意志)


Never Lose Hope決して希望を失わない
We can never be completely free from anguish and worry.
But even in your worst moment, try not to lose your cheerfulness
and hope for tomorrow.
私たちは決して苦痛や悩みから解放されることはありません。
しかし最悪のときでさえも、明るさを失わず、
明日に希望を持つように努力する
ことはできるのです。

稲盛和夫『成功への情熱―PASSION―』より

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
一寸先は光 [2017年09月05日(Tue)]
以下、今年8月12日の記事を再掲メモ

日野原重明『いのちの使いかた』の
「耐えた経験は必ず生きる」より―ー
(…)
予期せぬ災難に見舞われるのが不幸ではなく
そのときに、希望を見失ってしまうことが不幸なのだ
と、僕は思います。
人間は、希望を胸に抱くことができなくなると、
いのちをあきらめてしまいがちです。
このつらい状況が終わることなく永遠に続くと思えば、
それは耐えがたいに違いありません。
しかし、嵐や逆風はいつまでも続くわけではない。いつか必ずやむ日がくる。
ですから、その日を信じて、じっと耐える
困難の時期を耐え抜くことが大切なのです。
(…)
僕は希望というのは自分の中に持つ「耐える心」だと思います。
今は苦しくても
いつかが見えてくることを信じて待つ心
だと思います。
神様は人に病むこと、つらいこと、苦しいことなど、いくつもの試練を与えました。
でも、時間の経過や人との触れ合い、そして自然とのかかわりを通して、
耐える心が育まれる計(はか)らいもしておられます。
そういういくつもの経験を通して僕たちの心が支えられ、
明日を信じて今日を過ごすことができる。
それが小さな、しかし大切な希望となり
いろいろな困難にぶつかったとき、希望を持ち続ける力になるのだと思います。
(…)
心も体も元気なとき、
人間は自分の内面を深く考えようとはしないものです。
病を得たり、何かにつまずいたりしたとき、
初めて自分のこれまでを振り返り、自分の内面に向かって下りていく。
このときが人として、いのちについて、その使いかたについて考える、好機なのです。
いつかだれかのために、あなたの持っているいのちという時間を差し出すときに、
あなたの耐えた経験が必ず生きる。
ですからそのためにも、耐えることをあきらめてはなりません。
(…)
そしてひとつ言い添えたいのは、何かの痛みを知る人は、
その同じ痛みについてはほかの人よりもよくわかっているけれど、
別の痛みについてはわかっていないかもしれないということ。
常に他者の痛みに、相続力をもって
謙虚に寄り添おうとする態度を忘れてはならない
と思います。
(…)
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「一寸先は闇ではなくである」坂村真民

「希望」・・・ 明日を信じて今を生きる目的
(あこがれや希望的観測でなく、強い意志)

Never Lose Hope決して希望を失わない
We can never be completely free from anguish and worry.
But even in your worst moment, try not to lose your cheerfulness
and hope for tomorrow.
私たちは決して苦痛や悩みから解放されることはありません。
しかし最悪のときでさえも、明るさを失わず、
明日に希望を持つように努力する
ことはできるのです。

稲盛和夫『成功への情熱―PASSION―』より

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この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
闇を生かせ、苦を生かせ [2017年09月04日(Mon)]
横田慎太郎さん(阪神タイガース24番)のファンの一人として、
この日が必ず来ることを信じて静かに待ち続けてきましたが、
いざ実現すると感無量です。本当によかった。

今年2月のキャンプ離脱から半年あまり、
多くの人に支えられて再びユニフォームを着て野球できる喜びを糧に、
一段と成長して飛躍されることでしょう。楽しみです。
身体に気をつけて頑張ってください。

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「闇と苦」坂村真民
闇があるから
光がある

苦があるから
楽がある

闇を生かせ
苦を生かせ



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この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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