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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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宮 直史
自分たちの会社は自分たちで守る (11/09) 清水 洋一郎
自分たちの会社は自分たちで守る (11/09) 宮 直史
宮ゼミ、本日スタート (06/12)
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■ご挨拶(ブログ開設にあたって)

岡崎嘉平太さんをご存知でしょうか?

私もそんなに詳しく存じ上げているわけではありませんが、 全日空の第2代社長をはじめ多くの会社の社長をされた方です。また、日中の国交回復に多大な貢献をされるなど、その功績は高く評価されています。1972年に日中の国交が回復した際には、中国の周恩来総理から「水を飲むときには井戸を掘った人を忘れない」と岡崎さんも特別招待を受けられました。

岡崎さんのご出身は岡山県賀陽町(現・吉備中央町)。先日、吉備中央町へ出張した時に泊まったホテルに隣接して『岡崎嘉平太記念館』がありました。しかし、出張した火曜日は休館日。 翌日も岡山に戻るバスの便は少なく、8:50発の次は15:29までありません。記念館の見学は諦めていたのですが、係りの方が開館の準備のために出勤されたのでちょっと覗かせていただきました。

記念館に入って最初に目に付いたのが、“信はたていと、愛はよこ糸”と書かれた色紙。まもなくバスが来たので、自分へのお土産として色紙の複製を買い求めました。何となく心惹かれるものがあったのですが、その時はこの言葉に込められたメッセージをそんなに深く考えていませんでした。確かに「信」と「愛」は人の世に大切ですが、なぜ「信」がたて糸で、「愛」がよこ糸なのか・・・

自宅に戻り、記念館のHPを拝見すると、昭和45年(大阪で万博が開かれた年です)に岡崎さんが書かれた文章の中に、岡崎さんが信条とするこの言葉に込められた思いを見つけました。『岡崎嘉平太記念館だより(第1号)2004.7』の1ページ。
その最後の部分をご紹介します。

そこで私は、信というのはどうしても貫かねばならないのでたて糸、愛情というのはその時どきでいろいろな愛があるからよこ糸にして模様を出そうというわけです。
しかも、たて糸とよこ糸は、そのどちらが欠けても布は織りあがりません。信は徹底しなければいけない、愛は燃え上がらなければいけない、というのが私の考えです。

岡崎さんが信条とされたこの言葉に込められたメッセージに、私はとても深い感銘を受けました。たて糸の「信」は信用や信頼よりも“信念”のイメージで解することにしました。そして、「愛」がなぜよこ糸なのか、また、たて糸だけでもよこ糸だけでも美しい布は織りあがらないこともよくわかりました。

ブログを戦略的に活用するにはブログのタイトルは極めて重要で、一目で何のブログかわかり、キーワードも具体的で誰もが検索ワードに選びそうなものが良いとのこと。確かに一理あります。一方で、私は、「何をするか」よりも、「何のためにするか」を大切にしたいと考えます。また、「言葉の力」を強く意識したいと考えます。そこで、この度ブログを開設するにあたり、岡崎さんが信条とされていた“信はたていと、愛はよこ糸”をブログのタイトルに使わせていただくことにしました。

遅ればせながら(自分としては「時が来た」と思っているのですが)ブログデビューです。不慣れなために要領を得ず、また不勉強のために誤った理解や言葉足らずな点も多々あると思われます。これら完成度の低さは、見直しの頻度でカバーしていきますので、お気づきの点があればご指摘ください。よろしくお願いします。
皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して…位置情報
2009年3月吉日
 
精神的に自立する [2019年02月19日(Tue)]
渡辺 一史『なぜ人と人は支え合うのか』より――
s-IMG_3501.jpg

従来、自立というのは、
他人の助けを借りずに、自分で何でもできること(身辺自立)、
あるいは、自分で収入を得て自分で生きていくこと(経済的自立)
を意味していました。
しかし、もしそうであるなら、ロバーツのような障害者は一生、
『自立できない人』ということになります。
そうではなくて、自立というのは、自分でものごとを選択し
自分の人生をどうしたいかを自分で決めることであり(自己選択・自己決定)、
そのために他人や社会から支援を受けたからといって、
そのことは、なんら自立を阻害する要因にならない。
ましてや、その人の人格が侵されることもない――。
ロバーツが主張した「自立観」は、
それまで世間から「自立できない」と思われていた障害者の自立宣言として、
社会に大きなインパクトを与えました。
-----------------
「アメリカでは、『何ができないか』ということよりも、
『何ができるか』が問題なのだ。だから、
『できる』と主張する人には、どんな援助をしてもそうさせるだろう」
(…)
「エドさんにとって、自立とはどういうことなんですか」
「自立とは、誰の助けも必要としないということではない。
どこに行きたいか、何をしたいかを自分で決めること。
自分が決定権をもち、そのために助けてもらうことだ。
だから、人に何か頼むことを躊躇しないでほしい。
健康な人だって、いろんな人と助け合いながら暮らしている。
一番だいじなことは、精神的に自立することなんだ」

できることは一生懸命やり、できないことは工夫する
それでもダメなときは割り切って、助けが欲しいと伝える勇気を持つ。

―― 4歳の時に交通事故で両腕を失ったが
中学で英語の教師をされている小島裕治さんのことば

強みよりも、弱みに目を向ける者をマネージャーに任命してはならない。
できないことに気づいても、できることに目のいかない者は、
やがて組織の精神を低下させる

ドラッカー『マネジメント』

松下幸之助『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』より――
「力強い中小企業」
「そういうことを考えると、
中小企業は弱いどころか、ある面では大企業よりも強いということにもなりますね。
それを、社会も中小企業は弱いと考え、みずからも弱いと考えたのでは、
本来のよさが発揮されずに、ほんとうに弱い姿になってしまうと思うのです。
ですから、中小企業自身も社会全体としても
中小企業は決して弱くない、いちばん強いのが中小企業だ』というような考え方を
しっかり持つことが大切ではないでしょうか」
「そうかもしれませんな。いや私どもでは、そういう点、むしろ
中小企業は弱いものだからこれを保護しなくてはならない』ということばかり考えて、
かえって中小企業を弱くしてしまったきらいがあるようです。
これは早速改めなければ・・・」

――「中小企業は弱い」と考えるか 「中小企業は強い」と考えるか
★「弱い」と考えれば「守る、保護する」ことが主眼になって「進化する可能性を閉ざす」
★「強い」と考えれば「どうしたら強くなれるか」が主眼で「可能性を見い出し、伸ばす」


この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
準備こそが重要で、君の助けは欠かせない [2019年02月18日(Mon)]
思うところあって、
映画『英国王のスピーチ』をDVDで見ました。
父ジョージ5世の代理として演説を行ったヨーク公アルバート王子だったが、
吃音症のため演説は悲惨な結果に終わり、聴衆も落胆する。
ヨーク公の妃エリザベスに導かれて、
言語療法士のライオネル・ローグのオフィスを訪ねる。
オーストラリア出身の平民に指図されたことに反発して帰ったヨーク公だったが、
その帰り際にローグが録音した自分の声を聞いてローグを再訪。
様々なトレーニングを受けるともに、
子供の頃から抱えるコンプレックスの原因を分かち合えるようになる。
父亡き後、兄がエドワード8世として即位するも一年で退位(1936/1/20〜12/11)。
自分が望まぬままにジョージ6世として国王に即位。
その戴冠式での宣誓にあたって、
大司教は、ローグは医師でもなく公的な資格もなく実績もないので、
ちゃんとした専門家の治療を受けるようアドバイスするが、
国王は「これは自分の問題だ」と公的資格や身分などに囚われず、
自らが信頼するローグと共に取り組み、宣誓を成功させる。
そしてドイツのポーランド侵攻を受けて英国はドイツに宣戦布告。
ジョージ6世はローグのサポートを受けて国民を鼓舞する大演説の放送を行う。

封切りされた2011年に映画館で観たときは
感銘を受けたのは障害を克服したジョージ6世で、ローグにはさほど意識がなく、
最初の出会いで帰りかけた王子と賭けをして王子に声を録音させて
そのレコードをプレゼントするシーンとかは印象に残っていませんでした。

準備の仕事が重要なのだ。
そのとき、君の助けは欠かせない。

マーク・ローグ『英国王のスピーチ−王室を救った男の記録』

マーク・ローグ『英国王のスピーチ−王室を救った男の記録』のp.228より――
何年も前に言語療法を始めたころ、設定させていただいた陛下の目標は、
つまずかずにスピーチを行うことができるようになること、
マイクを恐れずに放送ができるようになることでした。
おっしゃるとおり、この二つの目標はすでに達成されました。
いまや、陛下が(私の)立ち会いなしにこれらのことができるようになられたのを
うれしく思わないとすれば、わたしは人間ではありません。
診察に訪れるあらたな患者には、たいてい
「国王陛下のように話せるようになるでしょうか?」と問われ、こう答えます。
「そうです。陛下のように努力を重ねればできます」。
知性ある人なら、だれでも陛下のように努力すれば治療できます。
いま、陛下は最初になさった極めて困難な作業の果実を手にしておられるのですから」

―― 去年の7月、公認会計士制度70周年の記念講演で
ファーストリテイリング会長兼社長の柳井さんの厳しい叱咤激励に
魂を揺さぶられたのを思い出しました。

中小企業は弱いどころか、ある面では大企業よりも強い。
それを、社会も中小企業は弱いと考え、みずからも弱いと考えたのでは、
本来のよさが発揮されずに、ほんとうに弱い姿になってしまう。
「力強い中小企業」/松下幸之助『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
あなたはどの立場に立つのか [2019年02月17日(Sun)]
中西正司・上野千鶴子『当事者主権』の序章「当事者宣言」より――

当事者が「自分のことは自分で決める」というとき、
まっさきにあがるのは「主観的」という批判である。その反対が
「客観的」であり、その判定をするのが専門家や第三者であるとされてきた。
当事者主権の考え方は、何よりもこの専門家主義への対抗として成立した
専門家とはだれか。専門家とは
当事者に代わって,当事者よりも本人の状態や利益について
より適切な判断を下すことができると考えられている第三者のことである。
そのために専門家には、ふつうの人にはない権威や資格が与えられている
そういう専門家が
「あなたのことは、あなた以上に私が知っています。
 あなたにとって、何がいちばんいいかを、私が代わって判断してあげましょう」
という態度をとることを、パターナリズム(温情的庇護主義)と呼んできた。
パターナリズムはパーター(父親)という語源から来ており、
家父長的温情主義とも訳す。
夫が妻に「悪いようにはいないから、黙ってオレについてこい」とか、
母親が受験生の息子に
「あなたは何も考えなくていいのよ、お母さんが決めてあげるから」というのも、
パターナリズムの一種である。
(…)
専門家は「客観性」の名において、当事者の「主観性」を否定してきた
当事者学があきらかにするのは、当事者でなくてはわからないこと
当事者だからこそわかることがある、という主観的な立場の主張である。
したがって当事者主権とは、社会的弱者の自己定義権自己決定権とを、
第三者に決してゆだねない、という宣言でもある。
専門家が「客観性」の名においてやったことに対する批判が、ここにはある。
というのも「客観性」や「中立性」という名のもとで、
専門家は、現在ある支配的な秩序を維持することに貢献してきたからである。
むしろ当事者学は、
あなたはどの立場に立つのか、という問いを聞く人に突きつけるといってよい。

今の日本社会は、その人なりによくやったという褒め方はせず、
立場や境遇とは無関係の実績だけが問題にされる。
3メートルしか歩けなかった人が、100メートル歩いたら、
それはエベレストに登ったことと同じかもしれない。
人にはそれぞれの山頂がある
神はそれを個別に見守る役である。
神の評価で見ると、その人は最高の登山者なのだ。
「山頂物語」/曽野綾子『それぞれの山頂物語』

―― 去年の7月、公認会計士制度70周年の記念講演で
ファーストリテイリング会長兼社長の柳井さんの厳しい叱咤激励に
魂を揺さぶられたのを思い出しました。

中小企業は弱いどころか、ある面では大企業よりも強い。
それを、社会も中小企業は弱いと考え、みずからも弱いと考えたのでは、
本来のよさが発揮されずに、ほんとうに弱い姿になってしまう。
「力強い中小企業」/松下幸之助『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
才能がハシゴをつくるのではない [2019年02月16日(Sat)]
中西正司・上野千鶴子『当事者主権』の序章「当事者宣言」より――
ニーズを持ったとき、人はだれでも当事者になる
ニーズを満たすのがサービスなら、
当事者とはサービスのエンドユーザーのことである。
だからニーズに応じて、人はだれでも当事者になる可能性を持っている。
当事者とは、「問題をかかえた人々」と同義ではない。
問題を生み出す社会に適応してしまっては、ニーズは発生しない
ニーズ(必要)とは、欠乏や不足という意味から来ている。
私の現在の状態を、こうあってほしい状態に対する不足ととらえて
そうではない新しい現実をつくりだそうとする構想力を持ったときに
はじめて自分のニーズとは何かがわかり、人は当事者になる
ニーズはあるのではなく、つくられる
ニーズをつくるというのは、もうひとつの社会を構想することである。

必要は発明の母なり」という言葉があるが、
必要のあるところ必ずその要望に沿う発明が生まれるものである。
要望があれば、必ずその目標に向かって人びとは努力し
いかにしてそれを達成するかを考え、その結果、新しい創意と工夫が生まれ
その要望を満たすことになる
そこに各自の能力が伸び
困難な仕事も、それをやりこなすようになるものである。
したがって、適切な要望が強ければ強いほど
その伸びも早く、難しい仕事を消化する能力も育成されていくのである。
責任の衝にある者は、常に強い適切な要望を部下に与え、
各自がそれぞれの持ち場において、
積極的に創意工夫を生み出すようにすることを忘れてはならない。
高橋荒太郎『わが師としての松下幸之助』

よく「寝食を忘れて打ち込む」と言いますが、
自転車用のランプを造ったときの私は、まさにそんな状態だったように思います。
しかし、つらいとか苦しいといったことは少しも感じませんでした。
それはやはり私が、それまでの自分の体験なり世の人びとの姿から、
このままでは不便だ、何とかより便利なものを造り出したいという強い願いを持ち、
と同時に私が、そのような仕事が非常に好きだったからだと思います。
必要は発明の母」という言葉がありますが、
新しい物を生み出すためには、その必要性を強く感じ、その実現のために
一生懸命打ち込むことが大切
だと、そのとき、しみじみと感じました。
『松下幸之助一日一話』/4月18日

ニーズ(必要)があっても、
意識が客体(与えられる側)で「お客さま」では何も変わらず、何も生まれない
――「ニーズはあるのではなく、つくられる
だれによって?
――「当事者」… 自分が解決する自分の問題(お客様ではなく、自分が主人公)
だから
――「寝食を忘れて取り組む

中西正司・上野千鶴子『当事者主権』より――
障害を障害と感じずにすむ社会のしくみづくりは、
非障害者にとってものぞましいはずであろう。(p.30)
―― 電話(発明者のベルは聴覚障害者とのコミュニケーションをとるため考案)
タイプライター(障害があっても文字が書けるように)
リモコン(自由に動くことができない人のために)
パソコンやスマホの音声認識や音声対話
映画やテレビの字幕
駅のエレベーター、エスカレーター、ホームドア(転落防止柵)
階段の手すり、スロープ
クルマの自動運転、などなど

何としても2階に上がりたい。どうしても2階に上がろう。
この熱意がハシゴを思いつかす。階段をつくりあげる。
上がっても上がらなくても…そう考えている人の頭からは、ハシゴは出てこない。
才能がハシゴをつくるのではない。やはり熱意である。
経営とは、仕事とは、たとえばこんなものである。
不思議なこの経営を、この仕事を、
おたがいに熱意をもって、懸命に考えぬきたい。やりぬきたい。
熱意をもって/松下幸之助『道をひらく』

人の言いなりになるつもりなら、
死ねといわれれば死ぬのか
伊丹敬之『人間の達人 本田宗一郎』

「随処作主 立処皆真」臨済禅師
(ずいしょにしゅとなれば りっしょみなしんなり)

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
人はニーズを持ったとき、当事者になる [2019年02月15日(Fri)]
中西正司・上野千鶴子『当事者主権』の序章「当事者宣言」より――
ニーズを持ったとき、人はだれでも当事者になる
ニーズを満たすのがサービスなら、
当事者とはサービスのエンドユーザーのことである。
だからニーズに応じて、人はだれでも当事者になる可能性を持っている。
当事者とは、「問題をかかえた人々」と同義ではない。
問題を生み出す社会に適応してしまっては、ニーズは発生しない
ニーズ(必要)とは、欠乏や不足という意味から来ている。
私の現在の状態を、こうあってほしい状態に対する不足ととらえて
そうではない新しい現実をつくりだそうとする構想力を持ったときに
はじめて自分のニーズとは何かがわかり、人は当事者になる
ニーズはあるのではなく、つくられる
ニーズをつくるというのは、もうひとつの社会を構想することである。
(…)
当事者主権は、何よりも人格の尊厳にもとづいている。
主権とは自分の身体と精神に対する誰からも侵されない自己統治権、
すなわち自己決定権をさす。
私のこの権利は、誰にも譲ることができないし、誰からも侵されない、
とする立場が「当事者主権」である。
(…)
当事者主権の要求「私のことは私が決める」というもっとも基本的なことを、
社会的な弱者といわれる人々は奪われてきた。それらの人々とは、
女性、高齢者、障害者、子ども、性的少数者、患者、精神障害者、不登校者、
などなどの人々である。
この社会のしくみにうまく適応できないために「問題がある」と考えられ、
その処遇を自分以外の人によって決められてきた人々が、声をあげ始めた。
(…)
私たちがあえて、当事者主権ということばを選ぶのは、
何よりも受け身の「お客様」扱いに対する抵抗からである。
サービスの主人公は、それを提供する側ではなく、それを受けとる側にある、
という考え方は、生産優位から消費優位への市場の構造の転換と対応しているが、
同時に、「利用者本位」、「お客様本位」というフレーズが、
「お客様」のどのような無理難題にも応じなさいという、
サービス労働者の搾取に結びついてきたことも、考慮しなければならない。
当事者主権とは、サービスという資源をめぐって
受け手と送り手のあいだの新しい相互関係を切りひらく概念でもある。

―― 社会の「お客様」ではなく、「主人公」、つまり「当事者」になるひらめき
当事者主権……人間としての尊厳、当事者の主体性を尊重(自己選択、自己決定)


人の言いなりになるつもりなら、
死ねといわれれば死ぬのか
伊丹敬之『人間の達人 本田宗一郎』

「随処作主 立処皆真」臨済禅師
(ずいしょにしゅとなれば りっしょみなしんなり)

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
その支援は「介護」か「介助」か [2019年02月14日(Thu)]
渡辺 一史『なぜ人と人は支え合うのか』より――
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現在、「介助」と「介護」という言葉の一般的な使い分けの状況をいうと、
「介助」が一つひとつの具体的な手助け(食事介助、入浴介助、排泄介助など)
という意味で使われるのに対して、「介護」という言葉は、
要介護者(高齢者や障害者など)の生活全体を視野に入れて、
専門家の目線で「介助し、保護し、指導する」というニュアンスがあり、
より総合的な上位概念として用いられることが多くなっています
それだけに、障害のある当事者にとっては
「介護」に反発や嫌悪感を抱く場合があることを知っておいてほしいと思います。
「介護」という言葉には、「要介護者は、保護・指導されるべき存在」という
“上から目線”のニュアンスが色濃いためです。
日本を代表する障害者運動のリーダーで、本書の第3章に登場する中西正司さんは、
その著書『当事者主権』(岩波新書、共著)の中にこう書いています。
介助では主体はあくまで当事者であるのに対し、介護では当事者は客体である
障害者自立運動では、当事者主権を強調するために
この二つの用語を使いわけてきた
そのため、当事者の主体性を尊重して行われるのが「介助」、
高齢者や障害者を保護や世話の対象として行うのが「介護」
と使い分け、
障害者の自立生活においては「介助」を自覚的に用いるのが一般的となっています。
【NOTES】「介護」と「介助」はどう違うの?
/第一章「障害者は本当にいなくなったほうがいいか」

松下幸之助『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』より――
「力強い中小企業」
「そういうことを考えると、
中小企業は弱いどころか、ある面では大企業よりも強いということにもなりますね。
それを、社会も中小企業は弱いと考え、みずからも弱いと考えたのでは、
本来のよさが発揮されずに、ほんとうに弱い姿になってしまうと思うのです。
ですから、中小企業自身も社会全体としても
中小企業は決して弱くない、いちばん強いのが中小企業だ』というような考え方を
しっかり持つことが大切ではないでしょうか」
「そうかもしれませんな。いや私どもでは、そういう点、むしろ
中小企業は弱いものだからこれを保護しなくてはならない』ということばかり考えて、
かえって中小企業を弱くしてしまったきらいがあるようです。
これは早速改めなければ・・・」

――「中小企業は弱い」と考えるか 「中小企業は強い」と考えるか
★「弱い」と考えれば「守る、保護する」ことが主眼になって「進化する可能性を閉ざす」
★「強い」と考えれば「どうしたら強くなれるか」が主眼で「可能性を見い出し、伸ばす」


この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
質の高い情報の提供 [2019年02月13日(Wed)]
福島智『ぼくの命は言葉とともにある』より――
s-img418.jpg

「光」が認識につながり、「音」が感情につながるとすれば、
「言葉」は魂と結び付く働きをするのだと思う。
私が幽閉された「暗黒の真空」から私を解放してくれたものが「言葉」であり、
私の魂に命を吹き込んでくれたものも「言葉」だった。(p.17)
---------------------
盲ろうとなって私がぶつかった第一の壁は、
コミュニケーション手段の確保でした。
第二の壁は、そのコミュニケーション手段を実際に用いて、
持続的に会話する相手をつくること。つまり、
他者とのコミュニケーション関係を形成することです。
そして、第三の壁は、周囲の「コミュニケーション状況」に
私が能動的に参加できるようにすること。言わば、
「開かれたコミュニケーション空間」を私の周囲に生みだすことだったのです。
Mさんが始めたやり方は、指点字通訳の原則として、その後定着していきました。
そして、このように開かれたコミュニケーションが保障された時
私は盲ろうになって初めて、「自分は世界の中にいる」と実感できたのでした。
こうして私の新たな人生が始まりました。(p.28)(p.28)

(第一の壁)コミュニケーション手段の確保
・点字 … 視覚障害者の「文字」(点字を書く、点字を読む)
・指点字 … 盲ろう者のための「話し言葉」

(第二の壁)おしゃべりの相手をつくる(一対一の会話)
・指点字の習得

(第三の壁)開かれたコミュニケーションの保障盲ろう者の「目」と「耳」の代わり
状況説明(周りの様子、周りの人たちの会話、そのニュアンスや表情など)
・話者の発言は話された内容をそのまま伝える「直接話法」で伝える
 ――「直接話法」で伝えることで、盲ろう者は生き生きとした会話が可能
盲ろう者に伝わる「情報の質」はまるで違う

目と耳の両方に障害のある盲ろう者は、
「コミュニケーション」「情報入手」「移動」の面に大きな困難を抱えている。
これらの困難を解消するため、
通訳・介助者は、盲ろう者の目と耳の代わりになって、
移動介助をしつつ、その場にいる人たちの会話や周囲の状況を伝えて、
様々な場面で盲ろう者の移動やコミュニケーションを支援する。
通訳・介助者は、あくまで盲ろう者の「目」と「耳」の代わりであって
何かを決定するのは盲ろう者自身であるから、
盲ろう者が自分で選択し、判断し、行動できるよう
その判断材料となる情報の提供を心がける
――「盲ろう者通訳・介助者養成研修」の受講テキストより

指点字や触手話などの情報提供手段を用いて、
困難を抱える盲ろう者が「主体的、能動的に行動」できるよう
その判断材料となる「質の高い情報を提供」するひらめき

私は見えなくなって、聞こえなくなった時に、何が一番しんどかったかというと、
人とのコミュニケーションがとれなくなったことでなんです。
そういう中で、母の考え出した指点字を通じて
再び人とコミュニケーションをとることができるようになって、
コミュニケーションというのは
私たちの命を輝かせる上ですごく大きな意味がある
ことを実感しました。
ですから、見えて聞こえてる一般の皆さんも
コミュニケーションの持つ非常に深く、重い意味というのを
一度あらためて考えていただきたい
命は言葉とともにあって、
言葉は命とともにある
ということを、
私の特殊な体験を通じて、読者の皆さんに考えていただけたらと、
そうすれば、人生を別の光で照らせるかもしれません。
福島智『ことばは光』の最終章「【対談】自分を主語にして生きる」より
s-img419.jpg

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
盲ろう者の目と耳の代わり [2019年02月12日(Tue)]
福島智『ぼくの命は言葉とともにある』より――
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「光」が認識につながり、「音」が感情につながるとすれば、
「言葉」は魂と結び付く働きをするのだと思う。
私が幽閉された「暗黒の真空」から私を解放してくれたものが「言葉」であり、
私の魂に命を吹き込んでくれたものも「言葉」だった。(p.17)
---------------------
盲ろうとなって私がぶつかった第一の壁は、
コミュニケーション手段の確保でした。
第二の壁は、そのコミュニケーション手段を実際に用いて、
持続的に会話する相手をつくること。つまり、
他者とのコミュニケーション関係を形成することです。
そして、第三の壁は、周囲の「コミュニケーション状況」に
私が能動的に参加できるようにすること。言わば、
「開かれたコミュニケーション空間」を私の周囲に生みだすことだったのです。
Mさんが始めたやり方は、指点字通訳の原則として、その後定着していきました。
そして、このように開かれたコミュニケーションが保障された時
私は盲ろうになって初めて、「自分は世界の中にいる」と実感できたのでした。
こうして私の新たな人生が始まりました。(p.28)(p.28)

(第一の壁)コミュニケーション手段の確保
・点字 … 視覚障害者の「文字」(点字を書く、点字を読む)
・指点字 … 盲ろう者のための「話し言葉」

(第二の壁)おしゃべりの相手をつくる(一対一の会話)
・指点字の習得

(第三の壁)開かれたコミュニケーションの保障盲ろう者の「目」と「耳」の代わり
状況説明(周りの様子、周りの人たちの会話、そのニュアンスや表情など)
・話者の発言は話された内容をそのまま伝える「直接話法」で伝える
 ――「直接話法」で伝えることで、盲ろう者は生き生きとした会話が可能
盲ろう者に伝わる「情報の質」はまるで違う

私は見えなくなって、聞こえなくなった時に、何が一番しんどかったかというと、
人とのコミュニケーションがとれなくなったことでなんです。
そういう中で、母の考え出した指点字を通じて
再び人とコミュニケーションをとることができるようになって、
コミュニケーションというのは
私たちの命を輝かせる上ですごく大きな意味がある
ことを実感しました。
ですから、見えて聞こえてる一般の皆さんも
コミュニケーションの持つ非常に深く、重い意味というのを
一度あらためて考えていただきたい
命は言葉とともにあって、
言葉は命とともにある
ということを、
私の特殊な体験を通じて、読者の皆さんに考えていただけたらと、
そうすれば、人生を別の光で照らせるかもしれません。
福島智『ことばは光』の最終章「【対談】自分を主語にして生きる」より
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この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
命は言葉とともにあり、言葉は命とともにある [2019年02月11日(Mon)]
福島智『ぼくの命は言葉とともにある』より――
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「光」が認識につながり、「音」が感情につながるとすれば、
「言葉」は魂と結び付く働きをするのだと思う。
私が幽閉された「暗黒の真空」から私を解放してくれたものが「言葉」であり、
私の魂に命を吹き込んでくれたものも「言葉」だった。(p.17)
---------------------
盲ろうとなって私がぶつかった第一の壁は、
コミュニケーション手段の確保でした。
第二の壁は、そのコミュニケーション手段を実際に用いて、
持続的に会話する相手をつくること。つまり、
他者とのコミュニケーション関係を形成することです。
そして、第三の壁は、周囲の「コミュニケーション状況」に
私が能動的に参加できるようにすること。言わば、
「開かれたコミュニケーション空間」を私の周囲に生みだすことだったのです。
Mさんが始めたやり方は、指点字通訳の原則として、その後定着していきました。
そして、このように開かれたコミュニケーションが保障された時
私は盲ろうになって初めて、「自分は世界の中にいる」と実感できたのでした。
こうして私の新たな人生が始まりました。(p.28)(p.28)

私は見えなくなって、聞こえなくなった時に、何が一番しんどかったかというと、
人とのコミュニケーションがとれなくなったことでなんです。
そういう中で、母の考え出した指点字を通じて
再び人とコミュニケーションをとることができるようになって、
コミュニケーションというのは
私たちの命を輝かせる上ですごく大きな意味がある
ことを実感しました。
ですから、見えて聞こえてる一般の皆さんも
コミュニケーションの持つ非常に深く、重い意味というのを
一度あらためて考えていただきたい
命は言葉とともにあって、
言葉は命とともにある
ということを、
私の特殊な体験を通じて、読者の皆さんに考えていただけたらと、
そうすれば、人生を別の光で照らせるかもしれません。
福島智『ことばは光』の最終章「【対談】自分を主語にして生きる」より

「点字」… 視覚障害者の「文字」(点字を書く、点字を読む)
「指点字」… 盲ろう者のための「話し言葉」


福島智「障害・コミュニケーション・社会」―公開講座「想像力」2012
/東大TV

「指先の宇宙」 福島智

ぼくが光と音を失ったとき
そこにはことばがなかった
そして世界がなかった

ぼくは闇と静寂の中でただ一人
ことばをなくして座っていた

ぼくの指にきみの指がふれたとき
そこにことばが生まれた
ことばは光を放ちメロディーを呼び戻した

ぼくが指先を通してきみとコミュニケートするとき
そこに新たな宇宙が生まれ
ぼくは再び世界を発見した

コミュニケーションはぼくの命
ぼくの命はいつもことばとともにある
指先の宇宙で紡ぎ出されたことばとともに

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
開かれたコミュニケーションの保障 [2019年02月10日(Sun)]
福島智『ぼくの命は言葉とともにある』より――
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「光」が認識につながり、「音」が感情につながるとすれば、
「言葉」は魂と結び付く働きをするのだと思う。
私が幽閉された「暗黒の真空」から私を解放してくれたものが「言葉」であり、
私の魂に命を吹き込んでくれたものも「言葉」だった。(p.17)
---------------------
盲ろうの世界は宇宙空間に一人だけで漂っているような状態だと言いました。
しかし、それは単に見えない聞こえないという状況を説明しているだけでなく
自分の存在さえも見失い
認識できなくなるような状況で生きていることをも意味しています
周囲の世界が徐々に遠のいていき、
自分がこの世界から消えていってしまうように感じられるのです。
その真空に浮かんだ私をつなぎ止め
確かに存在していると実感させてくれるのが他者の存在であり
他者とのコミュニケーションです。つまり、他者に対して照射され、
そこから反射して戻ってくる「コミュニケーションという光」を
受け止めることによって初めて、自分の存在を実感することができる。
他者とのかかわりが自分の存在を確かめる唯一の方法だ、
ということです。(p.21)
---------------------
指点字というコミュニケーションの手段を手にした私は、
学校に戻りました。盲ろう者としての新たな人生の始まりでした。
学校の仲間たちに受け入れてもらえるのか、私は心配でしたが、
それは杞憂でした。皆すぐに指点字のやり方を覚え、
私にどんどん話しかけてきてくれたのです。
私は閉じ込められていた地下の牢獄から解放されたような気持ちになりました。
ところが、
仲間たちが指点字でコミュニケーションを図ってくれるのにもかかわらず、
私はすぐに再び深い孤独を味わうことになるのです。というのも、
一対一の会話なら何とかなるのですが、私以外に二、三人がいる場面になると、
たとえ誰かが私に指点字を打ってくれていたとしても、
途端に周囲の状況がさっぱりつかめなくなってしまったからです。(p.23)
(…)
周りのようすも、周りの人たちが交わす会話の内容もつかめない状態でした。
(…)
やはり、私はみんなと相容れないんだと思ったものです。
一度、希望を見つけて浮上してきただけに
再び絶望のどん底に突き落とされたショックはとても大きなものでした
そんな状況を変えてくれたのが
盲学校の先輩で、全盲の女性のMさんでした。(p.25)
---------------------
盲ろうとなって私がぶつかった第一の壁は、
コミュニケーション手段の確保でした。
第二の壁は、そのコミュニケーション手段を実際に用いて、
持続的に会話する相手をつくること。つまり、
他者とのコミュニケーション関係を形成することです。
そして、第三の壁は、周囲の「コミュニケーション状況」に
私が能動的に参加できるようにすること。言わば、
「開かれたコミュニケーション空間」を私の周囲に生みだすことだったのです。
Mさんが始めたやり方は、指点字通訳の原則として、その後定着していきました。
そして、このように開かれたコミュニケーションが保障された時
私は盲ろうになって初めて、「自分は世界の中にいる」と実感できたのでした
こうして私の新たな人生が始まりました。(p.28)

「指先の宇宙」 福島智

ぼくが光と音を失ったとき
そこにはことばがなかった
そして世界がなかった

ぼくは闇と静寂の中でただ一人
ことばをなくして座っていた

ぼくの指にきみの指がふれたとき
そこにことばが生まれた
ことばは光を放ちメロディーを呼び戻した

ぼくが指先を通してきみとコミュニケートするとき
そこに新たな宇宙が生まれ
ぼくは再び世界を発見した

コミュニケーションはぼくの命
ぼくの命はいつもことばとともにある
指先の宇宙で紡ぎ出されたことばとともに

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
意味があるからこそ生きられる [2019年02月09日(Sat)]
福島智『ぼくの命は言葉とともにある』より――
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私は18歳で盲ろうになりました。そのときに、
「どうして自分はこんな苦悩を経験しなければならないのか」と自問しました。
その結果、
「理由はわからないけれど、この苦悩には何か意味があるんだ」
「これは自分の将来を光らせるために必要なものなんだ」
と考えることにしようと決めたのです。
自分がなぜ生きているのかわからないけれど、
自分を生かしている何ものかがいるとすれば、
その何ものかが私にこの苦悩を与えているのだろう。ならば、
私に与えられている苦悩には何ものかの意図・意志が働いているはずだ、
と思ったのです。(p.40)

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
何ごとも行動が伴わなければ意味はない [2019年02月08日(Fri)]
大阪府の盲ろう者通訳・介助者養成研修を受講し、
すべての研修課程を修了し、登録証の交付を受けました。

ヘレン・ケラーの本を子どもの頃に読んだ記憶はありますが、
盲ろう者を特に意識することはありませんでした

盲ろう者として初めて大学に進学された福島智さんを知ったのは2012年8月です。
2012年7月に民博の映画会に出かけた時、
エントランスホールで点字体験をさせていただいて点字に関心を持ち、
広瀬浩二郎先生の最新刊『さわっておどろく!』を買って読んだのがきっかけで、
福島先生のお母様が書かれた本『さとしわかるか』を読みました。

本を読んで深い感銘を受けましたが
指点字に具体的な関心を持つこともなく、点字を学ぶこともありませんでした

2015年11月から伴走練習会「長居わーわーず」に参加。
視覚障害者のランナーの伴走をさせていただくようになり、
盲ろう者のランナーともご一緒する機会ができました。

視覚障害ランナーとはコミュニケーションができるのですが、
盲ろうランナーとは伴走できたとしても、
走る前や後にどうやってコミュニケーションすればいいのかわからず、
なかなか伴走の手を上げられなかったし、声もかかりませんでした。
その後、盲ろうの方の伴走をされている人のお話をお聞きして
手話に興味をもちました

が、手話を学ぶことはありませんでした

2017年9月に母校の中学で後輩の皆さんにお話しする機会をいただいた時、
朝日新聞の記事で出逢った盲ろう者の森敦史さんを紹介しました。
が、後輩の皆さんに紹介するだけで
私自身が行動することはありませんでした

昨年4月、自宅近くの千里中央公民館で点字を学ぶ機会を得て、
広瀬浩二郎先生と三上洋先生に点字の基本を実践的にご指導いただきました(全10回)

そして、今回、盲ろう者通訳・介助者養成研修に参加。
手話も点字もできないので悪戦苦闘でしたが、
講師の皆さんの講義や盲ろう者の皆さんと接する機会から
多くの学びや新たな気づきを得ることができました。心から感謝です。
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盲ろう者通訳・介助者としてお役立ちできるにはまだまだこれからですが
更に学び、色々と経験を積んで、一歩一歩前に進んでいきます。

先月(2019/1)、まだコミュニケーションは取れませんが、
練習会の伴走依頼を受け、伴走させていただきました。
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手話も教えていただけるとのこと、ありがたい限りです。

何ごとも行動が伴わなければ意味はない。
ドラッカー『経営者に贈る5つの質問』

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
盲ろう者通訳・介助者養成研修を修了 [2019年02月07日(Thu)]
大阪府の盲ろう者通訳・介助者養成研修を受講し、
すべての研修課程を修了し、登録証の交付を受けました。
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受講資格は、
・盲ろう者福祉に熱意があり、盲ろう者通訳・介助者として活動する意思のある方
・大阪府内の市町村において盲ろう者向け通訳・介助者として活動することを希望し、
 すべてのカリキュラムを指定された日時に受講できる方

手話や点字を習熟していることが受講要件でなかったので受講を申し込んだものの、
参加者の中でダントツにレベルが低く、最後まで続くかどうか危ぶまれましたが、
講師の皆さんや共に学ぶ仲間のサポートのおかげで無事に修了することができ、
心から感謝です。

研修修了に伴って盲ろう者通訳・介助者として名簿に登録されましたが、
その実力は、職員の方から「宮さん、平日でもお願いできますか?」と尋ねられて
「滅相もない」と腰が引けているのが実情、お粗末さまです。

力の養成はともかく(受講者の責任)、研修そのものはとても有意義でした。
多くの盲ろう者と接する機会をいただいて色々な経験を通じて学び、
見え方や聞こえ方がそれぞれに違う皆さんを相手に
手話や点字ができなくて四苦八苦しながらも通じた時は嬉しかったです。
(本当は通じてなかったかも・・・)
また、視覚障害や聴覚障害に限らず障害や高齢社会について深く考えることもでき、
コミュニケーションの役割や重要性について認識を高めることもできました。

そもそも、私がこの研修を受講した動機は、
伴走練習会でご一緒する盲ろうランナーとコミュニケーションしたかったから。

過去のブログの記事を確認すると、2017年5月に、
皆さんと一緒にマラニックを走り終えて汗を流した後の打ち上げで
盲ろうの方の伴走をされている人のお話をお聞きして手話に興味をもちました。

あれから1年半。順序が後先になりますが、手話や点字をしっかり学びます。
そして、この研修で学んだことを活かして、
ろう者の皆さんとコミュニケーションできるよう頑張ります。

この続きはまた明日四つ葉
◆何ごとも行動が伴わなければ意味はない/2019.2.8

会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
サーバントであれ、奉仕して導く [2019年02月06日(Wed)]
北御堂さんの今月の言葉(2019年2月)
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「歳はとりたくない。しかし、長生きはしたい。この虫のよい私」
―― 親鸞聖人は、『正信念仏偈』に「貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天」とお示しです。
貪愛というむさぼり、瞋憎といういかりは、雲や霧のように常に私を覆っています。
都合のいいことなら手に入れたい、都合の悪いことならあっちにいけ。
しかし、どれだけ欲を満たし、邪魔ものを排除しても、
次から次へと満たされない心が生まれます。
同じところをグルグル回っているだけで、
新しい生き方が生まれないことに気づかない迷いの私だからこそ、
阿弥陀さまのお慈悲は、この世の迷いを超えた生き方をお勧めくださいます。

「長生き」はしたいけど、「歳」はとりたくないものなのかexclamation&question

平成21年11月6日の天皇皇后両陛下の記者会見から
天皇陛下のお言葉――
今日,日本では高齢化が進み,厳しい経済情勢とあいまって,
人々の暮らしが深く案じられます。
そのような中で,高齢者や介護を必要とする人々のことを心に掛け,
支えていこうという人々が多くなってきているように感じられ,
心強く思っています。皆が支え合う社会が築かれていくことを願っています

皇后陛下のお言葉――
高齢化・少子化・医師不足も近年大きな問題として取り上げられており,
いずれも深く案じられますが,
高齢化が常に「問題」としてのみ取り扱われることは少し残念に思います
本来日本では還暦,古希など,その年ごとにこれを祝い,また,
近年では減塩運動や検診が奨励され,長寿社会の実現を目指していたはずでした。
高齢化社会への対応は様々に検討され,きめ細かになされていくことを願いますが,
同時に90歳,100歳と生きていらした方々を
皆して寿(ことほ)ぐ気持ちも失いたくないと思います
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グリーンリーフ『サーバントであれ――奉仕して導く、リーダーの生き方』

あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。
また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。
そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。
人々が、あなたがたの立派な行いを見て、
あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。
(マタイ 5:14〜16)
(C) 共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(C) 日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

「幸」というものは、直接つかめるものではない。
人を幸せにすることの反応として、自分が幸せを感じる
周囲がすべて幸せになっていれば当然、自分もいつのまにか幸せになっていく
これは、商売でいうと奉仕優先、消費者優先という思想である。
自分だけが幸せになりたいということで、
人を押しのけてもと自分の利益ばかり追う自己優先の考え方は、
こうした点からいっても間違っている。
私は人生訓を「最もよく人を幸せにする人が、最もよく幸せになる」としている。
であるから、お互いの立場としては、
社会が、お得意先が、さらに消費者が優先である。
これなくして企業の繁栄もないし
企業の繁栄なくしては、お互いの幸せもあり得ない
立石一真『人を幸せにする人が幸せになる』
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この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
レースは自分を表現できる喜び [2019年02月05日(Tue)]
NHK-BS「奇跡のレッスン」(2019年2月2日放送)
走れ!苦しみの向こうへ 陸上 長距離 レナート・カノーバ』より――

陸上がほかのスポーツと比べていいのは、
自分の記録を正確に測定できるところ。
常に今の自分を知り、自分を超えようとすることができる
君たちの記録は二つのことの結果だ。
一つは才能、でももっと大事なのはトレーニングのやり方
トレーニングは苦しいが、苦しみが大きいほど大きな達成感が得られる。
言い訳は通用しない。審判はいない。結果はすべて君たち次第だ。
--------------
やる前にできないと決めつけてはいけない。
頭で怖いと思ってはダメだ。体に委ねよう。
できるかどうかは、頭じゃなく、身体が決める
--------------
レースを試験だと思わず、自分を表現できる喜びと考える。
--------------
速い子が遅い子に合わせてしまうと能力を伸ばせないリスクがあります。
コーチの役割は一人ひとりの記録を伸ばすこと。
同じトレーニングをさせるだけでなく、ときには区別することも大事。
--------------
20キロを1時間以内で走れ(1キロ3分のペース)と指示。
ヨーロッパの選手は20キロを1時間では走れないから
少しペースを落として走ろうと考え、1キロ3分10〜20秒で1時間走る。
アフリカの選手は1キロ3分を守って走り、40分ぐらいで限界に達して止まる。
しかし、アフリカ人のような練習を10回繰り返すと、
1キロ3分で1時間走れるようになる。
ペースを落として練習しても、できるようにならない
速くなりたければ、速く走らなければならない
速いスピードの練習はとてもつらいもの、
でも、その苦しさに慣れることができれば、
苦しみと共に前に進めるようになる。―― 苦しさに慣れ、苦しみと共に進む
--------------
レースは攻めるだけではダメ、
よーく考えて走らなければ勝てない。
負けた選手はエネルギーの配分を間違えたため体力が最後までもたなかった。
--------------
結果を怖がって自分にプレッシャーをかけるより、
どんなレースをするかに集中しよう。
苦しむ準備ができていれば、苦しみは耐えられる
走る前に集中して、これからのレースをイメージしよう。
そして、自分が向き合うことになる苦しみを楽しむ覚悟を決めるんだ。
苦しみに向き合えば、自分の力を知ることができる。
それに打ち勝つことで強くなることができる。(自分に打ち勝つ・・・「克己」)
だから、自分から苦しみを求めよう。結果はそのあとについてくる。
―― 苦しみを求めよう、結果はあとからついてくる
--------------
いかに自分の走りをよくするか
自分の中にある力をうまく使って走り切るそれだけに集中する。
陸上は10分で1位になるよりも、9分20秒で6位の方が価値がある競技、
ほかの人と比べないで自分を伸ばすことだけを考えるんだ。

篠山の雪辱戦(3/3)まで残り4週間
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私の今年の一文字は「攻」

成し遂げたことではなく、
成し遂げられたはずのことを基準に自分を測る。

ジョン・ウッデン『育てる技術』


この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
篠山の雪辱戦まで残り4週間 [2019年02月04日(Mon)]
篠山の雪辱戦(3/3)まで残り4週間
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昨日(2/3)は、京都木津川マラソンに出走。
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記録は4時間9分47秒(ネットタイム)ぴかぴか(新しい)
今までの自己ベストが昨年12月の奈良マラソンの4時間32分57秒でしたから、
前回のフルマラソンから2ヶ月で23分余り自己ベスト更新です。

30キロは2時間49分37秒(奈良マラソンの時は3時間4分38秒)、
平均ラップ5分39秒でサブ4も狙えるタイムでしたが、
私の今の実力では限界でスピードを維持できず、残念ながら失速。
しかし、2ヶ月前の奈良では15キロまでだったのが、
今回は30キロまでキープできました。

レース終盤の失速を恐れてチャレンジしなければスピードは上らないし、
試してみることに失敗はないし、おかげで新たな課題が見えました。
来月の篠山に向けてGo!

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私の今年の一文字は「攻」

成し遂げたことではなく、
成し遂げられたはずのことを基準に自分を測る。

ジョン・ウッデン『育てる技術』


この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
数字に熱を込めて伝える [2019年02月03日(Sun)]
昨日の記事「意思決定に感情は邪魔、熱は要らない」の続き

森岡毅・今西聖貴『確率思考の戦略論』の第4章「数字に熱を込めろ!」より――
戦略家は、戦略をつくったら終了ではなく
ようやくスタートした合図だと考えるべきです。
どうしてもやるべきもう一つの大きな仕事があるからです。
-----------------
戦略がある程度正しいことは、成功するための必要条件ですが、
それだけでは全く十分ではないのです。
戦略だけでは決して成功しない。ビジネスにおける最終的な成功確率は
戦略と戦術の両方を合わせて決まるのです。
「戦術的勝利」がなければどれだけ優れた戦略でも絵に描いた餅で終わります。
(…)同じ勝ちでも、
戦術の出来具合によっては勝ちの度合い(戦果)に雲泥の差が生まれるのです。
だから戦術が何としても大切。戦術で勝たねばなりません。
-----------------
私にとって、最前線の現場を頻繁に視察して指示を出す最大の目的は、
戦術の重要性を組織全体に浸透させて、
戦術局面に従事する人々の志気を高めて良い仕事をしてもらうことです。
私自身がどれだけ戦術を重要視しているか、
私自身の勝ちへの執念、その「熱量」を現場に伝えるためです。
(…)
だから私は人々を動かすために戦術の現場に出るのです。
端的に言えば「人に良い仕事をさせる」のが私の仕事です。
-----------------
「熱」は人に伝わるのです。
だからリーダーは戦術のど真ん中へ出向いて、
彼らが達成すべき目的が何なのか、彼らの困難が何のためなのか、
彼らの頑張りが組織の未来にとってどれだけ大切か、
「熱」を伝えなくてはいけません
できるだけ現場の直面している困難やバリアを理解して、
彼らが良い結果を出しやすいように「決めること」や、
場合によっては「援軍(追加リソース)」を送り込むことが重要です。
絶対に勝つのだという気迫とともに。
-----------------
戦術の現場において、彼らの仕事が目的からズレれている、
あるいは期待値に達していない場合は、冷酷な鬼にもならなければなりません。
(…)
誰が泣こうがキレようが、重要なことは決して妥協してはならないのです。
なぜならば、目的に対して純粋に正しい選択をしないと
勝つ確率が大幅に下がるからです。
会社というところは結局、結果を出さないと
部下や同僚の涙ぐましい努力に報いることができないし、
結果がないと彼らを守ることもできないのです。
-----------------
人をどこかへ連れて行きたい人は、
誰よりも「熱」を持っていなければならないと思います。
(…)
氷のような戦略の行きつく先にあるのは、
できる限りのあらゆる「熱量」を注ぎ込んでいく戦術なのです。
そうやって成功する確率(戦略+戦術)をできる限りギリギリまで上げてから、
人事を尽くして天命を待つのです。
-----------------
合理的に準備して、精神的に戦うのです。
(…)
100%は絶対にない世界で、
残りの数%なり数十%なりの不確定さや想定外の困難を乗り越えていくのは、
ギリギリまで戦術にこだわって確率を高めていく、
戦略家本人の意志の力であり情熱の力です。
それが「数字に熱を込める」ということ。
左手には数字に裏打ちされた氷のような冷徹さを、
右手には涸れることのな執念を燃やしたマグマのような情熱を、
それぞれ両手に備えて、ようやく困難なゴールに辿り着く、
私はそう考えています。

数字(情緒を排した成功確率の高い戦略)
熱と共に伝わってこそ価値を持つ

マーケター・森岡毅/NHKプロフェショナル仕事の流儀

社員が会社全体の状況やめざしている方向と目標、
また遭遇している困難な状況や経営上の課題について知らされていることは、
社内のモラルを高めるためにも、
また社員のベクトル(進むべき方向)を合わせていくためにも不可欠なことである。
社員の力が集積されたものが会社の力なのであり、
社員の力が結集できなければ、
目標を達成することも、困難を乗り切っていくこともできない。

そのためには、トップに対してだけでなく、社員に対しても、
経営を限りなく透明にすることが最低限の条件となる。
『稲盛和夫の実学』


<ダメな店の3条件>
1.動かない 2.考えない 3.自分を不満に思わない

川勝宣昭『日本電産 永守重信社長からのファクス42枚』

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私の今年の一文字は「攻」

経営は論理の積み重ねである。
常に論理的に考え、攻める姿勢が必要なのだ。
自分の頭で考えないで他人の真似をするのが、経営者として一番危険な人なのである。
論理的に考える人は、その結論を導き出した経緯について筋道立てて説明できる。
また説明をしているうちに考え方を論理的に整理することもある。
他に対して説明する能力も経営者にとって大事な資質である。
『小倉昌男 経営学』

ことしは去年のままであってはならない
きょうは昨日のままであってはならない、そして
明日はきょうのままであってはならない
万物は日に新た。
人の営みもまた、天地とともに日に新たでなければならない。
「この日この朝」/松下幸之助『続・道をひらく』

日に新たであるためには、いつも「なぜ」と問わねばならぬ。
そしてその答を、自分でも考え、また他にも教えを求める。
素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、
「なぜ」と問うタネは随所にある。

それを見失って、きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く、
十年一日の如き形式に堕したとき、その人の進歩はとまる。
社会の進歩もとまる。
繁栄は「なぜ」と問うところから生まれてくるのである。
「なぜ」/松下幸之助『道をひらく』


この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
意思決定に感情は邪魔、熱は要らない [2019年02月02日(Sat)]
昨日の記事「数字は熱と共に伝わってこそ価値を持つ」の続き

森岡毅・今西聖貴『確率思考の戦略論』の第4章「数字に熱を込めろ!」より――
以前NHKのドキュメンタリー番組『プロフェショナル仕事の流儀』が
私を特集してくださった際に(2014年9月1日放送)、
この言葉(数字に熱を込めろ)を番組中で紹介してくれました。
さまざまな解釈で世の中に伝わったと思いますが、
意味を逆にとられている人もいるようです
決して熱に数字を込めてはいけないのです。
(…)
数字によって導かれた確率の高い戦略を見極めて
純粋に最も正しい選択肢を、一切の感情を圧し殺して意思決定できるかどうか
そしてその戦略を実現させるための戦術段階では
情熱的に人を巻き込んでいく圧倒的な熱量を
絶やすことなく燃やし続ける
ことができるかどうか

-----------------
数学は客観の塊です。様々な数字ツールを使うことで、
まずは何が正しいか知ろうと「客観のメス」をいれ、
現象という混沌や闇を切り拓いて真理に向けて突き進むことができるのです。
「数字に熱を込めろ」の「数字」とは、
情緒を排した成功確率の高い戦略のこと
を意味しています。
-----------------
何かを決めることは痛いのです。それは選ぶことだから
全員を喜ばせることができればいいのですが、
ほとんどの場合はそうはいきません。
意思決定とは、目的のために正しいことを選ぶことだからです。
笑う人と泣く人が必ず出てきます。
そして現状の組織を改革しようとすれば、泣く人の方が多いものです。
大多数が望むのは、自己保存であり現状維持ですから。
全体の方向性を大きく変える時には
とりわけ激しい痛みを覚悟しなくてはならないのです。しかし、
その痛みを自分で背負うことができない人は、
より大切な目的のために、大切な別の何かを切り捨てることができません。
だから結局は何も変えることができない
のです。
-----------------
意思決定そのものに「熱」は要りません
むしろ「熱」は邪魔になります。
極めて冷徹に、目的に対して純粋に確率が高いものを選ぶだけです。
熱量が要るのはその後、
決定した方向に人を説得したり、戦術を実施したりする次の段階です。

偶然に起こってるように見える中から勝つための法則を見つける技術
それから、
その正しい方向へ 人びとを みんなを引っ張っていく情熱
その能力を自分以外の誰かのために使う、それがプロフェショナルだと思います。
マーケター・森岡毅/NHKプロフェショナル仕事の流儀


<ダメな店の3条件>
1.動かない 2.考えない 3.自分を不満に思わない

川勝宣昭『日本電産 永守重信社長からのファクス42枚』

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私の今年の一文字は「攻」

経営は論理の積み重ねである。
常に論理的に考え、攻める姿勢が必要なのだ。
自分の頭で考えないで他人の真似をするのが、経営者として一番危険な人なのである。
論理的に考える人は、その結論を導き出した経緯について筋道立てて説明できる。
また説明をしているうちに考え方を論理的に整理することもある。
他に対して説明する能力も経営者にとって大事な資質である。
『小倉昌男 経営学』

ことしは去年のままであってはならない
きょうは昨日のままであってはならない、そして
明日はきょうのままであってはならない
万物は日に新た。
人の営みもまた、天地とともに日に新たでなければならない。
「この日この朝」/松下幸之助『続・道をひらく』

日に新たであるためには、いつも「なぜ」と問わねばならぬ。
そしてその答を、自分でも考え、また他にも教えを求める。
素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、
「なぜ」と問うタネは随所にある。

それを見失って、きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く、
十年一日の如き形式に堕したとき、その人の進歩はとまる。
社会の進歩もとまる。
繁栄は「なぜ」と問うところから生まれてくるのである。
「なぜ」/松下幸之助『道をひらく』


この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
数字は熱と共に伝わってこそ価値を持つ [2019年02月01日(Fri)]
NHKプロフェショナル仕事の流儀(2014年9月1日放送)
マーケター・森岡毅「ナニワの軍師、再起のテーマパーク」より――

森岡は、マーケターという仕事をこう例える。
―― 客の心をつかむ科学者
「モノが売れる仕組みを作るのがマーケティングの仕事。
モノが売れるためには、なぜモノが売れてるのか科学的に分析しなくちゃダメで、
数字にある裏側を読むんですよ。
―― 単に数字を「見る」のではダメで、意図を持って数字を「診る」
マーケティングに必要なのは、創造力やセンスではなく、
データを積み重ね、分析していく粘り強さ。
その日常は、サイエンティスト(科学者)に近いと森岡は言う。
数字を元に戦略を構築する、会社を勝たせる仕事
これがマーケターだと思いますね」

森岡がヒットを生んできた裏には、戦略に加えて、もう一つ秘密がある
(…)森岡は戦略を立てるマーケターでありながら、
現場を足しげく歩き、細かい指示を飛ばす。
マーケティングで得た戦略は、あくまでmo
成功の可能性が高いというだけ

それを本当にヒットさせるためにあることを心に刻んでいる。
―― 数字に“熱”を込めろ
「戦略に100%は無いんですよ。気持ちの中でそこを埋めていく。
残りの数%なり数十%を埋めていくのは、意志の力、情熱の力
数字に熱を込めるということだと思うんです。
人をどこかへ連れて行きたい人は、
誰よりも熱を持っていないとダメだと思うんです」
戦略は熱と共に伝わってこそ価値を持つ
それが森岡の揺るぎない信念だ。

「絶対なんかないですから
確率とか数学とか統計とかやってる人が
絶対なんて言葉を信じてるはずがないんですよ
でも絶対にあっちだって、みんなには言うわけですね
で、あっちに連れて行くわけですよ
これが失敗してたらやばいなと思うんだけど、
勝つためには どこかに向かってみんなが一生懸命走らなあかんじゃないですか
全力で走らなあかんわけですよ
だから、誰かがあっちだって言い切らなあかんわけですよ
どれだけ自分の胃の裏側がヒヤヒヤしても言い切らないとダメで
失敗したときには それは その覚悟はありますよ」

森岡の仕掛けた大勝負は順調なスタートを切った。
「途切れない笑顔は最高ですよね。
ここから始まるんですけどね。ここからまた
大きな重い一歩一歩を歩いていかなくちゃいけないので、これからですね」
息つく間もなく、改善点を探す
マーケターの意地に賭けて、この山を登ってみせる本当の闘いはこれからだ
プロフェショナルとは――
偶然に起こってるように見える中から勝つための法則を見つける技術
それから、その正しい方向へ 人びとを みんなを引っ張っていく情熱
その能力を自分以外の誰かのために使う、それがプロフェショナルだと思います」

良い採算制度があるから採算が上がるのではなく、
現場の人たちが採算を上げようと思うから上がるのである。
そのためには
経営者自身が、必要なエネルギーを現場の人たちに直接注ぐことが大切となる。
私はそれを「魂を注入する」と呼んでいる。
そうして初めて、社員も心からやる気になってくれる。
経営者が魂を注入しなければ、
どんなにすぐれた経営管理システムであっても、
社員を動かし、会社を向上させていくことはできない。
『稲盛和夫の実学』

物事をありのままに見ることで原理原則を知り、
正しい経営判断ができる可能性を高めることはできる。
そのためには、
店で起きるあらゆる現象を観察し
可能な限り、数値や客観的なデータに置き換えて、因果関係を考えることだ。
こうした考え方を前提にPDCAのサイクルを回し続けることが、
勘に頼らない科学的な経営をするということだ。
その際、心構えとして大切なのは自戒し続けること。
そうすれば、何が問題なのかを探るときに
立地が悪いとか景気が悪いとか外的要因のせいにしてしまって
判断を誤るケースは減るはずだ。
客観的な事実に基づいて仮説を立てて、実行し、検証する
これはサイエンス(科学)の手法そのものだ。
自分の無知を知り、事実の前に謙虚でなければならないのは
科学者も飲食店経営者も同じである。
正垣泰彦『おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ』

<ダメな店の3条件>
1.動かない 2.考えない 3.自分を不満に思わない

川勝宣昭『日本電産 永守重信社長からのファクス42枚』

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私の今年の一文字は「攻」

経営は論理の積み重ねである。
常に論理的に考え、攻める姿勢が必要なのだ。
自分の頭で考えないで他人の真似をするのが、経営者として一番危険な人なのである。
論理的に考える人は、その結論を導き出した経緯について筋道立てて説明できる。
また説明をしているうちに考え方を論理的に整理することもある。
他に対して説明する能力も経営者にとって大事な資質である。
『小倉昌男 経営学』

ことしは去年のままであってはならない
きょうは昨日のままであってはならない、そして
明日はきょうのままであってはならない
万物は日に新た。
人の営みもまた、天地とともに日に新たでなければならない。
「この日この朝」/松下幸之助『続・道をひらく』

日に新たであるためには、いつも「なぜ」と問わねばならぬ。
そしてその答を、自分でも考え、また他にも教えを求める。
素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、
「なぜ」と問うタネは随所にある。

それを見失って、きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く、
十年一日の如き形式に堕したとき、その人の進歩はとまる。
社会の進歩もとまる。
繁栄は「なぜ」と問うところから生まれてくるのである。
「なぜ」/松下幸之助『道をひらく』


この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
守備シフトに対する規制 [2019年01月31日(Thu)]
トラヴィス・ソーチック『ビッグデータ・ベースボール』(Big Data Baseball
副題は「20年連続負け越し球団ピッツバーグ・パイレーツを甦らせた数学の魔法」
Math, Miracles, and the End of a 20-Year Losing Streak)
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ロサンゼルス空港(2016.2.11)
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NOW!
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Move forward. With confidence.

<ダメな店の3条件>
1.動かない 2.考えない 3.自分を不満に思わない

川勝宣昭『日本電産 永守重信社長からのファクス42枚』

今までと同じやり方では、同じ結果で進歩なし ―― 20+1年連続負け越し
常識や過去を捨て、新しいやり方で戦いを挑む ―― 退路を断って前進あるのみ
(×戦いに挑む、○戦いを挑む)
2019.jpg
私の今年の一文字は「攻」

経営は論理の積み重ねである。
常に論理的に考え、攻める姿勢が必要なのだ。
自分の頭で考えないで他人の真似をするのが、経営者として一番危険な人なのである。
論理的に考える人は、その結論を導き出した経緯について筋道立てて説明できる。
また説明をしているうちに考え方を論理的に整理することもある。
他に対して説明する能力も経営者にとって大事な資質である。
『小倉昌男 経営学』

本書カバーのそで(表紙側)
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「今日を変えていこう。愛を込めて。クリント」

そんななかでも大事なことは、
ことしは去年のままであってはならないということ、
きょうは昨日のままであってはならないということ、そして
明日はきょうのままであってはならないということである。
万物は日に新た。
人の営みもまた、天地とともに日に新たでなければならない。
「この日この朝」/松下幸之助『続・道をひらく』

日に新たであるためには、いつも「なぜ」と問わねばならぬ。
そしてその答を、自分でも考え、また他にも教えを求める。
素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、
「なぜ」と問うタネは随所にある。

それを見失って、きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く、
十年一日の如き形式に堕したとき、その人の進歩はとまる。
社会の進歩もとまる。
繁栄は「なぜ」と問うところから生まれてくるのである。
「なぜ」/松下幸之助『道をひらく』


この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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