A:背中を押してもらって「プチ修羅場」に跳び込む
放っておいたら、どこまでも自分を甘やかす。
やるべきことほど、いつまでも先送りにする。
悲しいかな、これこそが「ヒトの行動様式の基本」なのかもしれません。まずはこうした「自分の心の弱さ」に気づき認めることから「見る前に飛ぶ」新しい習慣の体得は始まります。
もちろん、私も例外ではありません。子供時代を振り返れば、親から二言目には「ものぐさで困る」と叱られていたのです。きっと「何もかもめんどくがって、なかなか行動を起こさない」タイプの子供だったのでしょう。
今でこそ縁者からは「いつ寝るのか?」と聞かれるほど行動的になりました。社長業から大学講師、執筆、講演、社会貢献まで、日々忙しく幅広く活動しています。他人から見たら目まぐるしい暮らしも、今や私にとって当たり前の生活サイクルです。特に無理もなければ疲れも感じません。
「ものぐさだった子供=私」の劇的な変化は、いつどんな形で起こったのでしょう?
思い起こすと、残念ながら「自力」で獲得できたのではないことに気づきます。幸か不幸か、私の半生は、自分自身で今すぐやらざるを得ない「プチ修羅場」の連続でした。他人に背中を押されて突き出されて、やむなく動かされたというのが実感です。
身も心も「なまくら学生」だった私は、今思えば「やればできる活動」の何分の一も動いていなかったのです。
私の「ものぐさ」は、悲しいかな、大学にそのままエスカレータ式に進学できる付属高校に入ったことで磨きがかかりました。厄介なことに、学歴を盾に「裏付けのない自信」を秘めた「頭でっかち」になっていました。お受験が裏目に出たわけです。そのまま社会人になるまで「修羅場らしい修羅場」を味わったこともなければ、そこに近づこうともしなかったのです。
しかし、創業間もないベンチャー「イマジニア株式会社」に入社して創業者の神蔵 孝之さんに出会って、突然、背中を押されることになります。新卒第一期で入社して、いきなり「プチ修羅場」に突き出されたのです。
マニュアルも顧客リストも無いまま、おもちゃ屋さんにファミコンソフトの跳び込みセールスをすることになりました。ここでは、これまでの学歴も大学のゼミで学んだことも全く役に立ちません。門前払いに遭うか、売れ残ったソフトを前に罵倒される日々が続きました。しかし、逃げるわけにもいきません。創業期のソフト会社は「出すゲームが全て売れなければ存続も危うい」ので、なんとしてでも売って帰らねばなりません。
やがて、社員が一人二人と抜け始めて人手が足りなくなり、昼は「跳び込みセールス」、夜は「ゲームのシナリオ製作」という二重生活まで強いられます。ほぼ毎日終電まで会社にいて、普通の新入社員の二倍は働いたと思います。もともと私は文系でゲームにも詳しくないにも関わらず、昼も夜も「不得手な仕事」に追い込まれたわけです。
知識も経験もなければ、興味もなかった仕事。
研修もマニュアルもなくて、ぶっつけ本番。
目標が高い上、〆切りだけはしっかり決まっている。
自分自身で解決し、行動しなければ何も始まらない。
これぞ、言わば「プチ修羅場」そのものでした。もちろん、ものぐさでありながらプライドが高い私は、最初の半年ほどは毎日イヤでツラくて仕方がなかったのです。
しかし、ある日、「プチ修羅場」の中で初めて見えた「風景」や「感覚」があることに気づきました。何より驚きだったのは、自分が「最もふさわしくないと思っていた場所」で、これまでにないほど「生き生きとしている自分」に気づいたことです。
そして、いつしか「シンドイはずの二重の修羅場生活」も辛くなくなっていて驚きました。むしろ、自分からやるべきことを探して実行するようになっていました。もはや、誰かに背中を押してもらう必要もなくなっていたのです。
もっと驚いたことに、次々に現れる「プチ修羅場」を楽しめるようにもなってきました。逆境に反応する自分に気づいたからです。自分も知らない新しい可能性を発見し、潜在能力を引き出し伸ばすのに役立つかもしれないと思いはじめていました。
この「プチ修羅場」は、思い返せばわずか1年ほどにすぎませんでした。たった1年、いや半年ほどガマンして続けただけでした。後戻りできない「非日常体験」の中で、「頭を使う前に行動する」ことを毎日強いられました。そのおかげで「自分」が変わりはじめたのです。本来の「自分」を取り戻す「道」に戻ったといった方がいいかもしれません。
なぜ、そうなるのかはわかりません。プチ修羅場に身を置いて、悩む間もなく忙しくしていた結果、「眠っていた自分が反応しはじめた」のかもしれません。
若い社会人や学生と話をしていると「自分らしさ」という言葉が良く出ることがあります。しかし、「やるべきことを先送り」して「ものぐさ」している人に、真の「自分らしさ」などわかるはずもありません。かといって、そんな人は、自分の力だけで変えることもままなりません。「頭でっかち」で「行動が停滞」しているからです。
だからこそ、まずは、あえて誰かに背中を押してもらって、あえて「自分らしくないプチ修羅場」に「自分を跳び込ませる」ことが必要なのです。
私の場合は、某コンサルタント会社に内定が決まっていたにも関わらず、神蔵社長(現会長)に出会って人生が変わりました。「馬には乗ってみよ」と言われて、厳しい現場に放り出されました。
今思えば神蔵社長にとっては、私以上に辛い日々が続いていたはずでしょう。しかし、松下政経塾で松下幸之助翁の「大忍」の教えを学んだからでしょう。「死んでさえいなければ、やり直せる」と繰り返し教えてくださいました。失敗にもめげない前向きな態度を目の当たりにして、言葉以上に学ぶところが大きかったのです。
だからこそ、特に10代20代に、これはという達人=師匠に出会ったら、教わろうとしてはいけません。背中を押してもらって「プチ修羅場」に跳び込んで、自分で解決するのです。それでこそ「本当の自分の一端」に出会いたいものです。
自分自身が想定しなかったような、むしろ「ふさわしくない」とさえ思えるような、そして多くの人が近づきたがらないような
1)会社や団体に就職する
2)職種を希望する
3)勉強会のメンバーになる
4)社会貢献活動をする
5)道を極める稽古事を始める
ことが、人生を変える転機になるでしょう。
いきなり仕事を変えることは難しくても、「プチ修羅場」を作ることはできるのです。仕事が忙しいから....と言い訳をするのは簡単です。しかし、「時間がない中で新しい挑戦を始めること」そのものが自分を磨く「プチ修羅場」になるのです。やがて「修羅場」と思っていた一大事が、10年後は「プチ修羅場」にさえなかったことに気づくでしょう。自分を一番甘やかしていたのは自分であることに気づくはずです。
世に出回る自己啓発本や時間管理本でテクニックを学ぶ前に、「プチ修羅場」に跳び込みましょう。「安住の地」や「中途半端なストレス」の元で、いくら自己発見や自己啓発を試みても、何も始まらないのです。1年間、本を読む間もなくがむしゃらに実践して、自分の体質と気質が変えることこそが大切なのです。
Posted by 久米 信行 at 09:46 | 第一章ルーティン編 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)