なぜあの時もっと...[2008年01月08日(火)]
「あの時、即座に『はい』と答えられたら」
「もう一言、本当の気持ちを言えていたら」
「思いきってすぐに行動できていたら」
仕事、学校、家族、恋愛、友人関係...。
あらゆる場面で、誰しも、
そんな「後悔すべき体験」をお持ちでしょう。
もちろん、私も例外ではありません。
いつも「余計な一言」を漏らして失敗しているくせに、
なぜか「大切な一言」はしっかり伝えられていない。
「無意味な時間」を気にも留めずに過ごしているのに、
「今ここでやるべき」ことをつい先送りしてしまう。
その「なさけなさ」「もったいなさ」に気づいて、
そう「今できることは、まず今すぐ行動」するようになったのは、
実のところ、人生の折り返し点を過ぎた
つい最近のことなのです。
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久米 信行
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明治大学の教え子たちに欠けているのは...[2008年01月09日(水)]
そんな未熟な私が、なぜか2006年から明治大学商学部で
「ベンチャービジネス論」「起業プランニング論」
(略称「ブログ起業論」)の講師を務めることになりました。
毎週1単元で半期ずつ、1年間にわたる長丁場です。
難しい机上の理論よりも、まず第一に行動を重んじて
「あきんど体験」の実習をする参加型の授業を行っています。
「ほれ込んだ商品を見つけて一年間ブログでネット行商をする。
その一押し商品を生み出した社長にお会いしてご縁を結ぶ」
それが講義のすべてなのです。
講義を通じて、若い人たちの好きなものやことを知り、
新しい考え方やライフスタイルに触れることができたのは、
私にとって大きな喜びであり収穫でした。
しかし、少なからずショックを
受けたこともありました。
「好きなものやことが見つけられない」
「毎週1回のブログ発信でさえ続かない」
「会いたい相手にメールや電話ができない」
「相手に会う約束を取り付けられない」
「相手に会えても何を話してよいかわからない」
「相手に何か言われるとすぐにへこんでしまう」
「一度や二度の失敗であきらめてしまう」
「せっかくお会いできてもお礼をしない」
「再度連絡をしたり会ったりしない」
講義では毎回のように進捗発表をお願いしたのですが、
多くの学生が、やりたいことが頭ではわかっていても
なぜか「踏み出せない」のでした。
あと「一押し」するだけで、憧れの方とお会いできたのに、
もう「一歩踏み出す」だけで、生涯のご縁が結べたのに....。
そんな残念な発表を、毎週の様に聞かされることになりました。
なんとも「さびしく」「もったいない」ことです。
1年間かかって私は「各人の輝き」を垣間見ることができました。
誰もが素晴らしい可能性を秘めた、素直な学生たちなのです。
しかし、それを「会いたい人」に認めてもらうための
自己表現力やコミュニケーション能力に欠けているのです。
これでは「一期一会」の感謝の気持ちを表わすどころか
すべてが「一度限りのおつきあい」になってしまうでしょう。
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久米 信行
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「見る前に跳ばされた」20代のありがたさ[2008年01月11日(金)]
もちろん、私の大学生時代を思い返せば、
似たような「ためらい」や「恥じらい」もありました。
たとえ将来のこと、自分のこと、そして世界のことを
自分なりに考えてはいたとしても....
わざわざ言葉にして発表して、
社会人と本音で交流することなど思いもしませんでした。
しかし幸運なことに、厳しくも優しい生涯の恩師に出会って
「なぜ?」「あなたの言いたいことを一言で言うと?」と
毎回毎回、問い詰められました。
今思えば、参考書丸暗記、コピーペースト型の私を
「自分の頭で考え自分の言葉で発言できる」ように
鍛えていただいていたのです。
また、社会に出てからもベンチャー企業と大企業の両方で
「見る前に跳ばされる」修羅場の数々に遭遇しました。
その前例なき窮状の中で、上司やお客様にも恵まれたおかげで、
私もいつしか「見る前に跳ぶこと」が苦にならなくなりました。
そして、今となっては、跳ばされて....跳んで良かったと
しみじみ思うのです。
だからでしょうか。
学生たちの発表で「もったいないタメライ」が見られた時には、
無意識のうちに背中を押したくなるのです。
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久米 信行
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跳びたいけど跳べない人のためのストレッチ[2008年01月16日(水)]
なにより、一年間の講義を終えた後の感想を読んで驚きました。
講義の内容以上に「見る前に跳ぶ」勇気が得られたことへのお礼や、
「一歩踏み出せない自分」に対する悩みが綴られていたのです。
さらに、足がすくんでしまっているのは学生だけではなく
聴講してくださった社会人にまで及んでいることもわかりました。
そこで、講義に一年間ご参加くださった
日本実業出版社 佐藤 聖一さんにご助言をいただきました。
学生たちに無意識のうちにアドリブで伝えてきた
「見る前に跳ぶ技術」について一冊にまとめよう、
ブログでも発信しようということになりました。
表題にこそ「見る前に跳ぶ技術」とありますが、
その内容は「技術」というより、
むしろ「心がまえ」「考え方」に近いものです
「頭で考えると難しい」
「体を動かすとやさしい」
しかし....「体が動かない」
そんな人のための頭と心のストレッチです。
もともと私は体が固い体質ですが、
それでも毎日少しずつ気持ち伸ばして行けば
柔らかくなることを知っています。
学生たちも、たった1年の
ちょっとした心構えで変わりました。
ですから、
「気が弱い人でも、気の持ちようで
安心して踏み出せる、跳び込めるようになる」
と確信しています。
先天的な性格や、特別な能力は、
一切必要としておりませんので、どうぞご安心ください。
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久米 信行
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ありがちな質問に一問ずつ答えていきます[2008年01月16日(水)]
目次をご覧いただければおわかりの通り、
このブログ=本は、学生たちのありがちな悩みに
一問一問答える形で進んで行きます。
ここに並んだ悩みは、学生だけのものではありません。
多くの社会人にも、もちろん私にも共通するものです。
私自身も、時には知識や経験がじゃまをして
「見る前に跳ぶ」ことが難しくなっていることも
あるかもしれません。
この問いに答えるのを好機に、
今一度、自分を見つめ直してみます。
そして、誰もが気軽に一歩前に進めるような
心のあり方を再考してみたいと思います。
ご一緒に「見る前に跳ぶ」勇気と反射神経を
身につけて参りましょう。
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久米 信行
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目次案〜50の問い・悩みをお示しします〜[2008年01月16日(水)]
日本実業出版社の佐藤聖一さんと考えた目次案は次の通りです。
うまく答えられるでしょうか?!
この他にも、リクエストがあればコメントでお知らせください。
■第1章 ルーティン編
1 やるべきことをつい先延ばしにしてしまう
2 もう間に合わないと諦めてしまう
3 前もっての準備がなかなかできない
4 いきなり電話をかけられない
5 最初のメールをどう書けばよいかわからない
6 自分から積極的にあいさつできない
7 動く前から失敗する可能性が高いと判断
8 効率性の低い、成果のでない仕事はやりたくない
9 先輩や上司に聞かないと決断できない
10 忙しそうな先輩・上司に声をかけられない
11 まずインターネットで調べないと行動できない
12 職場や業界の常識にのまれてしまう
■第2章 コミュニケーション編
13 知識・経験のなさが露呈することが怖い
14 一番最初に手が挙げられない、質問できない、口火を切れない
15 会議・講演などで後ろの席に座ってしまう、一番前に座れない
16 違うと思っていても偉い人や大勢の意見に流されてしまう
17 上司や同僚と“ケンカ”できない
18 部下や後輩にダメ出しできない
19 飛び込み営業ができない
20 自分の提案が否定されると「終了」してしまう
21 初対面の相手と何を話せば良いかわからない
22 用件以外の話ができない
23 「買ってください」の一言が言えない。
24 出会いが一見で終わってしまう。
25 パーティ・懇親会などの場が苦手、積極的に動けない
26 相手が迷惑ではないかと遠慮してしまう
27 自分ごときが相手にされるわけがないと思ってしまう
28 熱意をうまくアピールできない
■第3章 キャリア編
29 夢がもてない、または気づかない
30 心のどこかで自分にブレーキをかけてしまう
31 周囲にがんばっている自分を見せたくない
32 商人になりきれない
33 自分の会社・仕事に自信と愛着が持てない
34 どうしても無難な選択をしてしまう
35 転職したいという漠然とした願望だけをもっている
36 安定している現状に満足してしまう
37 成果を焦ってばかりで行動できない
■第4章 行動指針編
38 一人でああでもない、こうでもないと思い悩む
39 苦手意識のせいで行動できない
40 もう少し早く動いていればと後悔
41 自分からよい人間関係を構築できない
42 「お金がかかるから……」と諦めてしまう
43 いつも自分から折れてしまう
44 自分がつまらない人間に思えてしまう
45 周囲の目が気になり、遠慮してしまう
46 過去の失敗を引きずってしまう
47 即座に物事を判断できない
48 やらない口実をつくってしまう
49 失敗が怖い、怒られることがイヤだ
50 よい失敗の仕方がわからない
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久米 信行
at 21:19
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やるべきことをつい先延ばしにしてしまう[2008年02月25日(月)]
Q:やるべきことほどつい先延ばしにしてしまう
A:背中を押してもらって「プチ修羅場」に跳び込む
放っておいたら、どこまでも自分を甘やかす。
やるべきことほど、いつまでも先送りにする。
悲しいかな、これこそが「ヒトの行動様式の基本」なのかもしれません。まずはこうした「自分の心の弱さ」に気づき認めることから「見る前に飛ぶ」新しい習慣の体得は始まります。
もちろん、私も例外ではありません。子供時代を振り返れば、親から二言目には「ものぐさで困る」と叱られていたのです。きっと「何もかもめんどくがって、なかなか行動を起こさない」タイプの子供だったのでしょう。
今でこそ縁者からは「いつ寝るのか?」と聞かれるほど行動的になりました。社長業から大学講師、執筆、講演、社会貢献まで、日々忙しく幅広く活動しています。他人から見たら目まぐるしい暮らしも、今や私にとって当たり前の生活サイクルです。特に無理もなければ疲れも感じません。
「ものぐさだった子供=私」の劇的な変化は、いつどんな形で起こったのでしょう?
思い起こすと、残念ながら「自力」で獲得できたのではないことに気づきます。幸か不幸か、私の半生は、自分自身で今すぐやらざるを得ない「プチ修羅場」の連続でした。他人に背中を押されて突き出されて、やむなく動かされたというのが実感です。
身も心も「なまくら学生」だった私は、今思えば「やればできる活動」の何分の一も動いていなかったのです。
私の「ものぐさ」は、悲しいかな、大学にそのままエスカレータ式に進学できる付属高校に入ったことで磨きがかかりました。厄介なことに、学歴を盾に「裏付けのない自信」を秘めた「頭でっかち」になっていました。お受験が裏目に出たわけです。そのまま社会人になるまで「修羅場らしい修羅場」を味わったこともなければ、そこに近づこうともしなかったのです。
しかし、創業間もないベンチャー「イマジニア株式会社」に入社して創業者の神蔵 孝之さんに出会って、突然、背中を押されることになります。新卒第一期で入社して、いきなり「プチ修羅場」に突き出されたのです。
マニュアルも顧客リストも無いまま、おもちゃ屋さんにファミコンソフトの跳び込みセールスをすることになりました。ここでは、これまでの学歴も大学のゼミで学んだことも全く役に立ちません。門前払いに遭うか、売れ残ったソフトを前に罵倒される日々が続きました。しかし、逃げるわけにもいきません。創業期のソフト会社は「出すゲームが全て売れなければ存続も危うい」ので、なんとしてでも売って帰らねばなりません。
やがて、社員が一人二人と抜け始めて人手が足りなくなり、昼は「跳び込みセールス」、夜は「ゲームのシナリオ製作」という二重生活まで強いられます。ほぼ毎日終電まで会社にいて、普通の新入社員の二倍は働いたと思います。もともと私は文系でゲームにも詳しくないにも関わらず、昼も夜も「不得手な仕事」に追い込まれたわけです。
知識も経験もなければ、興味もなかった仕事。
研修もマニュアルもなくて、ぶっつけ本番。
目標が高い上、〆切りだけはしっかり決まっている。
自分自身で解決し、行動しなければ何も始まらない。
これぞ、言わば「プチ修羅場」そのものでした。もちろん、ものぐさでありながらプライドが高い私は、最初の半年ほどは毎日イヤでツラくて仕方がなかったのです。
しかし、ある日、「プチ修羅場」の中で初めて見えた「風景」や「感覚」があることに気づきました。何より驚きだったのは、自分が「最もふさわしくないと思っていた場所」で、これまでにないほど「生き生きとしている自分」に気づいたことです。
そして、いつしか「シンドイはずの二重の修羅場生活」も辛くなくなっていて驚きました。むしろ、自分からやるべきことを探して実行するようになっていました。もはや、誰かに背中を押してもらう必要もなくなっていたのです。
もっと驚いたことに、次々に現れる「プチ修羅場」を楽しめるようにもなってきました。逆境に反応する自分に気づいたからです。自分も知らない新しい可能性を発見し、潜在能力を引き出し伸ばすのに役立つかもしれないと思いはじめていました。
この「プチ修羅場」は、思い返せばわずか1年ほどにすぎませんでした。たった1年、いや半年ほどガマンして続けただけでした。後戻りできない「非日常体験」の中で、「頭を使う前に行動する」ことを毎日強いられました。そのおかげで「自分」が変わりはじめたのです。本来の「自分」を取り戻す「道」に戻ったといった方がいいかもしれません。
なぜ、そうなるのかはわかりません。プチ修羅場に身を置いて、悩む間もなく忙しくしていた結果、「眠っていた自分が反応しはじめた」のかもしれません。
若い社会人や学生と話をしていると「自分らしさ」という言葉が良く出ることがあります。しかし、「やるべきことを先送り」して「ものぐさ」している人に、真の「自分らしさ」などわかるはずもありません。かといって、そんな人は、自分の力だけで変えることもままなりません。「頭でっかち」で「行動が停滞」しているからです。
だからこそ、まずは、あえて誰かに背中を押してもらって、あえて「自分らしくないプチ修羅場」に「自分を跳び込ませる」ことが必要なのです。
私の場合は、某コンサルタント会社に内定が決まっていたにも関わらず、神蔵社長(現会長)に出会って人生が変わりました。「馬には乗ってみよ」と言われて、厳しい現場に放り出されました。
今思えば神蔵社長にとっては、私以上に辛い日々が続いていたはずでしょう。しかし、松下政経塾で松下幸之助翁の「大忍」の教えを学んだからでしょう。「死んでさえいなければ、やり直せる」と繰り返し教えてくださいました。失敗にもめげない前向きな態度を目の当たりにして、言葉以上に学ぶところが大きかったのです。
だからこそ、特に10代20代に、これはという達人=師匠に出会ったら、教わろうとしてはいけません。背中を押してもらって「プチ修羅場」に跳び込んで、自分で解決するのです。それでこそ「本当の自分の一端」に出会いたいものです。
自分自身が想定しなかったような、むしろ「ふさわしくない」とさえ思えるような、そして多くの人が近づきたがらないような
1)会社や団体に就職する
2)職種を希望する
3)勉強会のメンバーになる
4)社会貢献活動をする
5)道を極める稽古事を始める
ことが、人生を変える転機になるでしょう。
いきなり仕事を変えることは難しくても、「プチ修羅場」を作ることはできるのです。仕事が忙しいから....と言い訳をするのは簡単です。しかし、「時間がない中で新しい挑戦を始めること」そのものが自分を磨く「プチ修羅場」になるのです。やがて「修羅場」と思っていた一大事が、10年後は「プチ修羅場」にさえなかったことに気づくでしょう。自分を一番甘やかしていたのは自分であることに気づくはずです。
世に出回る自己啓発本や時間管理本でテクニックを学ぶ前に、「プチ修羅場」に跳び込みましょう。「安住の地」や「中途半端なストレス」の元で、いくら自己発見や自己啓発を試みても、何も始まらないのです。1年間、本を読む間もなくがむしゃらに実践して、自分の体質と気質が変えることこそが大切なのです。
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久米 信行
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もう間に合わないと諦めてしまう[2008年03月04日(火)]
Q:もう間に合わないと諦めてしまう
A:「セカンドウインド」「ワーカーズハイ」まで続けてみる
もう間に合わないと不安がよぎった時は、人生の小さな分岐点に立っているのです。ここで諦めてしまうか、何とかやりとげてしまうかが分かれ目となります。その積み重ねが、やがて大きな差となって現れます。
その差は、単に技量や能力だけの問題とも思えません。本人の気質や性格の問題として片付けるのも乱暴すぎます。むしろ「ある特別な『身心』の状態」になれるかどうか、それまで「自分を信じて続けてみる習慣」があるかないかの問題に思えます。
あえて「心身」ではなく「身心」と書いたのは、心(あたま)よりも身(からだ)の方が大切だと考えているからです。「禅」でも、同じ意味を込めて「身心」と書くように教えています。
ところが、現代人は、とかく「からだ」よりも「あたま」の方が大切だと考えがちです。「からだ」が悲鳴を上げる前に、「あたま」が悲鳴を上げてしまいます。運動部で練習に耐えたことがある方なら「肉体的な限界」よりも「精神的な限界」の方が先に感じられることを体感しているでしょう。「あたま」でっかちの人ほど、「からだ」が動かず、行動が停滞しがちになるのも同じ理由に思えます。
間に合わないと諦めてしまう状態も、まさに「頭でっかち」の人によく見られる症状でしょう。まずは、考える前に行動して持続する習慣と、持続して成し遂げた体験に欠けているのです。
長距離走を楽しむランナーなら、「セカンドウインド」という言葉をよくご存知のはずです。走り始めてしばらくは呼吸が苦しく、とても長くは走れないと感じます。しかし、「長距離のランニングで、走りだして15分ぐらいたつと心搏(しんぱく)数や血圧が安定して楽になる状態(小学館「大辞泉」より)に至るのです。「酸素の需要量と供給量のバランスがとれた状態」になれば「快適にランニングなどを継続することができる(三省堂「大辞林」より)」わけです。
つまり、「からだ」がその気になるには一定の時間がかかり、そこまでは辛いのが常なのです。しかし、しばらく「からだ」を動かしているうちに、あるところからは、その気になった「からだ」が自然に動いてくれるようになるのです。
似たようなスポーツ用語で、「ランナーズハイ」という言葉もあります。これは「長時間のランニングなどの際に経験される陶酔状態(大辞泉)」「ランニングの途中で、苦しさが消え、爽快な気分になる現象(大辞林)」を表わします。
「からだ」がその気になれば、不思議と「こころ」までが爽快になり、ますます長く続けられる。どうやら、私たちの「からだ」と「こころ」は、とてもシンプルで合理的な仕組みで、設計されているようです。
何より素晴らしいことには、時間や程度の差こそあれ、走り続けさえすれば、誰にでも「セカンドウインド」や「ランナーズハイ」は訪れるということです。そして、その喜びを知れば、さらに走り続けることができますし、さらに爽快な気分も味わえる、楽しいスパイラル効果が生まれるのです。
これは、もちろん、締め切りのある仕事やライフワークにも通じる話でしょう。「ランナーズハイ」転じて「ワーカーズハイ」と呼んでも良さそうです。
間に合わないと諦めている人は、「セカンドウインド」や「ランナーズハイ」の状態を知る前に「走るのをやめてしまったランナー」のように見えます。あと5分続けて走るだけで=もう一踏ん張り仕事を続けるだけで、これまで味わったことの無い感覚を知ることができたかもしれないのに、本当にもったいないことです。
しかし、「ランナーズハイ」を知らない「万年途中リタイアのランナー」が「ランニングの達人」を見れば、「何が楽しくて毎日ランニングしているんだ」としか思えないでしょう。これは「ワーカーズハイ」を知らない人が「仕事の達人」を見れば、「何が楽しくて毎日仕事を繰返しているんだ」と思うのに似ています。
一方、「ランナーズハイ」を知っている達人から見れば、なぜ「こんなに気持ちが良いのに、毎日走らないでよく我慢をしているな」と、途中リタイア組を可哀想に思っているはずです。
私が尊敬する縁者には、まさに「仕事が道楽」で毎日楽しくてしょうがないという人生の達人がたくさんいらっしゃいます。いつも、楽しそうに仕事をしていて、いつ寝ているんだと不思議に思うほどです。そして、ここぞという時には、休みもとらず、一晩や二晩の徹夜だって平気です。
この状態こそ「ワーカーズハイ」です。
残念ながら「この感覚」は、いくら達人が言葉で伝えたところで伝わりません。本人が「見る前に跳ぶ」感覚で目の前のレースに参加し、最初は苦しくとも、たとえマイペースでも、とにかく「続けること」で初めて実感できるのです。その爽快感や、完走した時の達成感を、「からだ」で実感できれば、途中で諦めてしまう「もったいなさ」を「あたま」も理解することでしょう。
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久米 信行
at 10:41
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ここぞという時にアイディアが浮かばない[2008年03月06日(木)]
Q:ここぞという時にアイディアが浮かばない
A:課題をインプットしたら忘れる。人に会う
国際競争が厳しくなる中、これからの日本では「創造性や独自性を問われる仕事」が重要視されます。業種や職種を問わず、「できる人財」には、独創的なアイディアを次々に生み出すことが求められるでしょう。
しかし、手帳やTO DO LISTにいくら予定を入れたところで発想は生まれません。単純な反復作業やトレーニングなら、毎日少しずつ行えば、それに比例して効果が出るでしょう。しかし、知性や感性を総動員する独創的な仕事では、ただ毎日同じ時間に机に座っているだけではダメなのです。まじめたからといって、必ずしも良い成果が生まれるわけではないのです。
私も、毎日のように独創的な発想を求められています。本業の経営においても、月間十数本の連載においても、斬新な着想を練り続けなければなりません。
もちろん、経営計画や原稿を書く時間は予定に入れてあります。しかし、そこに書く題材や内容をひらめく時間まで予定しておくことは難しいのです。むしろ、決めていた作業時間や仕事場以外でひらめくことの方が多いのです。
それは、通勤中や商談中の時もあれば、食事中や入浴中の時もあります。誰かとさりげない会話を交わしている最中に、ふと思いつくこともあります。思いがけないご縁に恵まれて助言をいただき、自ずと目標が達成されてしまうことも少なくありません。
ですから、独創性を問われる仕事で追いつめられた時には、あせり過ぎたり、あわて過ぎたりしてはいけません。過度なストレスは、良い発想の「敵」なのです。かといって、呑気に構えすぎても困ります。「適度なプレッシャー」がかかっていながら「ほどよくリラックス」している状態こそが最適です。それこそ、創造性に富む発想を生み出しやすい「境地」なのです。
その境地に入る前準備として、まず課題を心の片隅にしっかりインプットしておくことが大切です。同時に、締め切りも意識しておきましょう。これが「適度なプレッシャー」です。
その上で、ひとまずは忘れることが「ひらめきを育む下準備」になります。忘れるといっても、ただ休むことはお勧めできません。他の仕事、それも単純作業に没頭したり、趣味や運動などに集中すると良いでしょう。さらに、仕事場以外の場所に出かけ、多くの人に会うなど、発想のきっかけとして新たな刺激を浴びることも大切でしょう。
こうした「やわらかく集中する=執着しない」境地にすっと入れるようになればしめたものです。思いがけない場所で思いがけない時に「ふとひらめく」独特の体験に恵まれやすくなるでしょう。
ひらめく確率は「その境地」に入る体験を繰返すほどに高まって行くはずです。無意識のうちにひらめきを得られる体験は、決して偶然のたまものではないのです。反復練習をすればするほど、危機的状況の下でもひらめきを得られる潜在能力に自信が持てるようになるでしょう。
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久米 信行
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元気で愛想の良いあいさつができない[2008年03月16日(日)]
問:元気で愛想の良いあいさつができない
答:見知らぬ人への「毎日あいさつレッスン」を10日間×100人
初対面の方やご縁のまだ浅い方に「元気で愛想の良いあいさつができない人」が増えています。「親密な人づきあい」以前に「あいさつさえ苦手」なようでは、ビジネスの成功はおろか、心安らかで豊かな人生を送ることは難しいでしょう。
家族でも地域でも「あいさつに始まり、あいさつに終わる」。そんなコミュニケーションの基本習慣が失われつつあることと、あいさつができない人が増えていることは無縁ではないでしょう。
たとえ見知らぬ人であっても、目が合えば笑顔であいさつをして互いに微笑み合う。私が生まれ育った東京の下町では、それが当たり前でした。かつては日本中どこででも見られた風景かもしれません。
しかし、今では、学校でも地域でも「危ないから知らない人にあいさつをするな」と教えていると聞きます。幼い頃から「あいさつの習慣」を身につけていなければ、積極的に話しかけて仲良くなるのが苦手な人が増えるのは当然です。
そこで、明治大学商学部の私の講義では、「起立と礼」から始め「起立と礼」で終わることにしています。しかもお客様である学生からではなく、講師の私から「ようこそいらっしゃいました」とごあいさつをしてから、受講生に反復していただいています。
この「大学では異例の光景」を、馬鹿馬鹿しく思う人もいるかもしれません。しかし、1年間の講義を終えた学生の感想では好評価なのです。「あいさつができるようになってよかった」「この講義に出た学生同士で顔を合わせるとあいさつするようになった」という声が目立つのです。
たかが「あいさつ」と思うなかれ。あいさつは、まさに「体で覚えるコミュニケーション入門」の第一歩です。そして「見る前に跳ぶ」レッスンでもあるのです。
しかし、面識がある人、既に親しい人にあいさつができても、それはレッスンにはなりません。ですから、私のおすすめは、「毎日顔を合わせるけれど、あいさつをしたことの無い人たち」に、元気にあいさつをしてみる練習です。
交番のおまわりさんや新聞・牛乳配達のおにいさん。バスの運転手さんや駅員さん。警備員さんや清掃のおじさんおばさん。食堂やカフェの店員さん....。
こうした方々にあいさつするのは、最初は恥ずかしく、ちょっとした勇気がいるかもしれません。しかも、相手がびっくりして当初は返事をしてくれない可能性もあります。
しかし、それでも毎日あいさつをし続けることが大切です。返事が戻ってこなくとも、明るくあいさつを続けましょう。
そうすれば、きっと10日もしないうちに効果は現れるでしょう。やがて、自然な笑顔であいさつを返してくれるようになるはずです。さらに、ちょっとした対話が弾むようになったら、これこそが小さな成功体験になります。
この10日間の練習を、見知らぬ100人を目標に繰返すのです。
100人というと大変に思えるかもしれません。しかし、毎日顔を合わせる人に必ずあいさつすることを1年も続ければ達成できるでしょう。そして、100人にあいさつをしたころには、あいさつが当たり前の習慣になっていることでしょう。
どんな人にでも、優しい笑顔で、親しみのある声であいさつを繰返せば、いずれ打ち解けることができる。そんな確信を持てるようになれば「見る前に跳ぶ」行動の基本になるはずです。
Posted by
久米 信行
at 07:35
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