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アタマではわかっているけれど...
カラダがついていかない...ココロがとまどってしまう...

そんな、かつての自分のような若き人たちに

リスクと隣り合わせで波瀾万丈の人生を楽しむ
中小企業経営者 兼 明治大学起業論講師が
ココロをこめて「喝」を入れるメッセージ集

(近日出版予定)
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考えすぎて動けない人のための「すぐやる!技術」発刊[2008年08月31日(Sun)]
おかげさまで、このブログを元に、イラストを交えてわかりやすく編集した
新著「すぐやる!技術」(日本実業出版社)が発売になりました。

よろしければ、ご一読いただき、
コメントやレビューをいただければ幸いです。



■考え過ぎて動けない若者たち

この本は、明治大学商学部の教え子たちに、
半ば「教えられて」書いたものです。

  

私が、20年ぶりに大学に足を踏み入れて出会ったのは、
「考え過ぎて動けない」
「気が引けて想いを伝えられない」若者たち
でした。

キラリと光る素質を持っているのに、
本当は伝えたいことを抱えているのに、
うまく行動に踏み出せないのです。

 「目と目を合わせられない」
 「元気なあいさつができない」
 「人前でプレゼンができない」
 「ネットで自分を発信できない」
 「電話がかけられない」
 「対話のきっかけがつかめない」
 「自分の意見をぶつけられない」

そんな言葉にならない悩みが、毎週の講義で
学生たちのプレゼンを聞くたびに感じられました。

よく考えれば、それは、少年期に「ものぐさ」
親から言われ続けた「かつての私の姿」でもありました。

そこで、ささやかな経験を交えながら、
思いつくままに短い助言を重ねていったのです。


■1年で見違えた学生が社会に巣立つ喜び

このちょっとしたアドバイスを通じて、
心構えを少しだけシフトしてくれる学生が現われました。

簡単なチャレンジを試みた成果も=成功であれ失敗であれ=、
みんなで分かち合いました。

すると、思いがけず「目に見える変化」が現われました。
たった1年で「顔つきや話し方まで見違えた人」が続出したのです。

心ある経営者会報ブロガーの社長様方とネット上で毎週問答を繰り返したり、
懇親会で実際に交流して、元気な経営者と対話を実践できたことも、
大きな学びと自信につながったようです。

何よりうれしかったのは、
その変化を受講生本人が一番喜んでくれたことです。

そして、社会人になっても新しい情報発信やコミュニケーションの方法を
実践し続けてくれていることこそ、私の大きな喜びでした。


■学生と1年間受講してくれた佐藤さんの提案

とはいえ、このアドリブに近い助言集が、
まさか本になるとは夢にも思いませんでした。

本のあとがきにも正直に書きましたが、
この講義は、自己啓発本やマニュアル本を読むなら
「現場に行って元気な人に会おう」と提言していたからです。

ところが、私以上に「学生たちの変化」に気づいて注目していたのが、
一年間講義を聴講してくれた日本実業出版社の佐藤 聖一さんでした。

そして、驚くべき助言をしてくれたのです。

講義の中でアドリブで伝えていた助言をまとめて、
若者たちに自分の「一歩進む力」に気づいてもらう

そんな本を作ろうと提案してくださいました。

そんな大それた本を書ける資格は私などにはないと、
その時は思いました。(今でもそう思っています。)

しかし、もともと「引っ込み思案」だったという
佐藤さんご自身が熱意と確信を持って
私にその必要性を説いてくれました。

まさに「すぐやる」=「自分の想いを相手に伝えて動かす」
良いお手本を示してくれたのです。

佐藤さんの真摯な想いに応えなくては、
私が伝えてきたことも嘘になってしまいます。

そこで、果たして自分にできるかどうか悩みつつ
私自身も「見る前に跳ぶ」ことになりました。


■過去の自分と教え子たちを思い浮かべながら


とは言ってみたものの、その場その場で思いつきで話していた
学生たちの助言をすべて思い出すことなど不可能です。
 
そこで,佐藤さんが学生たちの悩みを箇条書きにした「目次案」を
作ってくれました。

その「悩み」にひとつ一つ答える形で、
時間を見つけては回答をしたため、
ブログにアップしていきました。

かつての「ものぐさな自分」や、
「1年で見違えた教え子たち」を思い浮かべながら....。

もともと思いつきで話した内容を
ひらめいた時にブログに書いていくのですから、
話が重複したり前後したりすることもしばしばでした。

ゴールもわからず走っているような
気分になったこともありました。

おそらく、相当な編集をしなければ、
一冊の本として読むに値するものには
ならないでしょう。

それでも、この本を一番愛読してくれるであろう
最初の読者にして発案者・編集者である
佐藤さんを信頼してブログに書き続けました。


■手直しをして並べ替えてイラストを加えて

ブログに書いてしばらくすると、佐藤さんから返信が届く。
そんなネット上のキャッチボールが、半年ほど続きました。

書きながら、読みながら、当初の目次案を見直しました。
テーマ毎の分量や表現方法も少しずつ改めました。

そんな紆余曲折の原稿作成を繰り返して、
ようやく夏休みごろ第一稿が届きました。

それでも改めて読み直すとわかりにくい点もありました。
そこで、イラストや図表を付け加えようということになりました。

目次の順番も何度も並べ替えて、
ようやく全体が見通せるようになりました。

文体も多くの人たちに読みやすいように書き直したつもりです。

こうして、佐藤さんはじめ編集チームの力で完成した本は、
ブログよりも読みやすくわかりやすいもの」になったのです。

もはや、私が書いた本という感じさえしなかったのです。


■1時間で読める→1日3分の実践×3ヶ月が効果的


この本は、おそらく1時間ほどで読破
できるはずです。

31の問答=レッスンの1つ1つは、
2〜3分もあれば読めますでしょう。

しかし、慌てて読んだだけで「できたような気分」になっても、
実際には効果が期待できないはずです。

ですから、まずは
「この悩みをなんとかしたい」「これならできそう」
というレッスンを1つ選んで試してください。

そして「意識しなくとも自然にできる」ようになってから、
はじめて次に進んで
いただければ効果的だと思います。

この本の主題でもある「見る前に跳ぶ」ということは、
準備もなしに不用意に始めることではありません。

心構えをリセットして、新しい行動に挑むことで、
「自然に体が覚え動くようになること」
「頭でブレーキをかけないこと」

を目指しているのです。


■みなさまの「すぐやる!技術」と「成功体験」を

私が、この出版プロジェクトを通じて、
ひそかに期待していることが2つあります。

1つは、すぐやることで人生を切り開いてきた先輩諸氏や、
私よりも身も心も若いチャレンジャーの方々が実践している
それぞれの「すぐやる!技術」を、
このブログに寄せていただきご紹介することです。

そうすれば、私の経験不足を補う知恵が集まって、
次代を担う若い人たちの道しるべになるでしょう。

もう1つは、この本やブログがきっかけとなって、
自分が変わった「成功体験」を寄せていただくことです。

そうすれば、その体験談に勇気づけられて、
見る前に跳ぶ人たちが少しずつ増えていくことでしょう。

おそらくこの本は、私の力不足、見識不足で、
、前著「メール道」「ブログ道」以上に賛否両論となって、
多くのお叱りをいただくことになるでしょう。

それでも、一石を投じようと思ったのは、
この本がきっかけになって、

若い人たちを勇気づける情報が
ネットに集まり交わされること


を期待してのことなのです。

ですから、みなさまのご意見やご体験を
このブログにぜひともお寄せいただければ幸いです。

ご投稿を心からお待ちいたしております。
ご高導の程、どうぞよろしくお願いいたします。


 ▼「すぐやる!技術」応援ブログ
  https://blog.canpan.info/suguyaru/

 ▼考えすぎて動けない人のための 「すぐやる!」技術
  http://www.amazon.co.jp/dp/4534044259/


久米 信行

Posted by 久米 信行 at 23:23 | 出版と書評 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(1)

周囲の眼が気になり行動できない[2008年06月29日(Sun)]
Q:周囲の眼が気になり行動できない
A:人は思うより無関心で無責任。同志の眼だけ気にしよう。


「こんな大胆なことをしたら何て思われるか不安」
「私がブログを書いたら変な書き込みがありそう」

 このように、自信も行動力も無いのに「なぜか自意識だけは過剰」な若い受講生によく会うのです。

 かのマザーテレサが嘆いたように、現代は「愛情」のかわりに「無関心」という病にむしばまれています。試しに、どこかの駅前で歌を歌おうが踊ろうが、ちらっと見るだけで通り過ぎる人たちがほとんどでしょう。

 新入社員時代の私は、街頭でのビラまきから百科店でのデモ販売、さらにはテレビの公開番組の後ろでプラカードを持って飛び跳ねることまで、およそ恥ずかしい体験を重ねてきました。しかし、たとえ冷たい視線であれ、こちらを見てくれるとしたら、それだけで感謝感激だったのです。

 誰かに真剣に興味を持ってもらうことは、それぐらい難しいものです。1回や2回行動したぐらいでは、とても注目してもらえないのです。ブログでもメルマガでも、ちゃんとしたリピーターがつくには、3年がかりで発信しつづける必要があるのと同じです。

 ましてや、時代を先取りした新しいことや、真っ当でまっすぐなことほど、それを始めた時には滑稽に見えるものです。ですから、冷笑されても気にする必要はありません。先が読めない人や、次世代に責任感を持たない人ほどよく笑い、やがて笑ったことさえ無責任に忘れるものです。

 無責任な野次馬の風評を、いちいち気にしていたら身が持ちません。また、時間の無駄でだえもあります。むしろ、多くの人に笑われたら、「これは新しい意義深いことだ」と確信するぐらいでいいでしょう。

 もしも本当に意味のあることであれば、どんなに馬鹿げて見えていても、情報発信と行動をやめてはいけません。いつか必ず理解者が現れるからです。しかも、感度の高い、影響力のある人ほど、いちはやく共感してくれるものです。

勇気を出して発信したメッセージや行動に気づいて縁を結ぼうとしてくれている「同志」がいれば安心です。たとえ数は少なくとも応援してくれれば心強いでしょう。きっと、お互いの夢も近く、それぞれ実現するために助け合うパートナーになることでしょう。

 たまたま周囲にいただけかもしれない「一見仲の良い友だち」が笑われても気にする必要はありません。たかが一瞬だけ、先が見えない隣人に笑われることを恐れて、本来やりたいことやるべきことを行動に移すのを躊躇するのは寂しいことです。さらに、その夢を応援してくれたり、一緒に成し遂げてくれたりする「未来の同志」に出会えなくなるとしたら、もったいないことです。

 むしろ、笑いたい人には笑ってもらいましょう。そして、笑った人にも怒らず、こちらも一緒に笑えるぐらいの心の余裕を持ちたいものです。

 私もこれまで、夢のようなことを唱えては笑われ続けてきましたが、そんな時は、大好きなジョン・レノンの名曲イマジンの一節を思い出すのです。

 You may say I'm a dreamer, but I'm not the only one.
I hope someday you'll join us. And the world will be as one.

 夢見る人は、決して自分ひとりではないのです。きっといつか一緒に夢を追いかけてくれる人が現われるはずです。

 この本を最後まで読んでくださったみなさんが、大きな夢を私にも熱く語ってくださり、最初の一歩を踏み出してくれたとしたら、こんなに嬉しいことはありません。

 そして、ゆっくりあせらず失敗を繰り返しながら、一緒にそれぞれの夢を実現していきましょう。






 

Posted by 久米 信行 at 18:06 | 第三章キャリア編 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(1)

過去の失敗を引きずってしまう[2008年06月29日(Sun)]
Q:過去の失敗を引きずってしまう
A:若い頃の失敗は財産。勝負の仕方がわかれば怖くない


「この挑戦は過去にして失敗した」
「同じ過ちを繰り返したくない」

 こうした気持ちを持っていても、若い頃は、何度も失敗を繰り返すものです。思えば、私も人並み以上の失敗と挫折感を味わってきました。もちろん、今でさえ失敗することも少なくありません。

 しかし、失敗体験の積み重ねを通じて、同世代の人よりも打たれづよい精神力、人の痛みがわかる対人感受性、失敗のリスクを直感し想像する力が育まれたと思います。

 もし、人生半ばを過ぎるまで成功ばかり体験してきたら、いつか初めての失敗を味わった時に大いにへこんで立ち直れないかもしれません。仮に成功し続けたとしても、失敗した人を思いやる気持ちも、目に見えないリスクに気づく感性も、人並み以下のままでしょう。

 ましてや、若い頃の失敗は前向きな挑戦の結果であるとも言えます。挑戦した数に失敗の数も比例するのですから、勲章のようなものでしょう。

 だからこそ、若い頃に重ねた失敗体験は、個人のバランスシートの中では立派な資産になっていると思うのです。

 ただし、同じ失敗を繰り返す「負けグセ」をつけてしまってはつまりません。また、失敗を恐れて「怖じ気づいて」も困ります。勝負をを繰り返すたびに、知らず知らずのうちに、知情意の力が高まるような戦い方を学ぶ必要があります。

 もしも、負けてばかりいるとしたら、自分が弱すぎる×相手が強すぎる×環境が悪すぎるということでしょう。逆に、勝ち過ぎたら勝ち過ぎたで問題です。自分が強すぎる×相手が弱すぎる×環境が良すぎるということですから、自分を磨くにふさわしい挑戦がされていないことになります。

 ですから、野球に例えると、チームの成績なら勝率5割から6割をねらい、個人の成績なら打率2割から3割をねらえるような「ほどよい真剣勝負」を繰り返せば、いずれ強くなれるはずです。

 こうした「自分を磨ける有意義な勝負」をするための心得や方策も、スポーツにたとえるとわかりやすいでしょう。

1.勝負するゲームを選ぶ:
  自分が得意で、生涯続けたい種類のゲーム=仕事を選び

2.勝負するフィールドを選ぶ:
  時代の波に乗って、これからブームになりそうな場所で

3.勝負する相手を選ぶ:
  時に勝ち時に負ける良きライバルたちと勝負する

4.勝負の回数をなるべく増やす:
  できる限り多くの勝負を繰り返し

5.モデルとなる達人を見つけて真似る:
  勝ち続け負け方もうまい目標となる選手を真似しつつ

6.良いコーチを探して素直に学ぶ:
  戦略や戦術、自分の超短所に詳しいコーチに学び

7.勝負の後で分析や研究を欠かさない:
  どんな時に勝ち、どんな時に負けるかを知る

 何より最悪なのは、失敗を恐れて「勝負を避ける」ことです。特に若い時は、失敗を引きずれないほどに、意味のある勝負を繰り返すことが大切です。

 そして、一回ごとに小さな学びを重ねて行けば、きっと勝率も打率も上がってくることでしょう。そして、毎回の勝ち負けを超えて、より長期的なゴールを目指す境地にも達することでしょう。

Posted by 久米 信行 at 18:05 | 第三章キャリア編 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

経済的な理由で行動できない[2008年06月29日(Sun)]
Q:経済的な理由で行動できない
A:経済は大切。しかし今ほどお金に困らない時代はない。


「教育など、自分に投資したくともお金が」
「転職するにも、起業するにも元手がいる」

 何をするにもお金は必要です。やりたいことを始めるために必要なお金を工面することが重要なことは疑うまでもありません。

 しかし、今の日本は、お金の面でも大変恵まれているのです。戦後、焼け野原から、学歴も資金もないままに裸一貫で商売を始めた先人が見たら、現代は「自己実現の楽園」に見えるでしょう。

 まずは、教育と自己投資に必要なお金について考えてみましょう。経済的な制約が10年前20年前よりも、はるかに少なくなっていることに気づくはずです。

1)図書館、博物館、美術館などの公共施設の充実

 まずは、図書館に行けば、古今東西の名著を無料で読むことができます。大企業に勤めながら、毎朝の早朝通勤時間に図書館で借りた本を毎日読んでは書評をネット配信した達人もいます。要職にありながら数多くの著書は出版して、大学の先生にまでなった松山しんのすけさんです。

 また、博物館や美術館に数千円の年会費を払って友の会員になれば、百年前なら王侯貴族しか見られなかった世界の至宝や国宝に毎日でも触れて、感性を磨くこともできます。ただ、そのありがたさを知らない人や、実践している人が少ないだけなのです。

2)インターネットで居ながらにして情報収集

 さらに、今や世界でも一番安いと言われるインターネット環境を活用しない手はありません。それこそ、世界中の新聞や雑誌の情報はもちろんのこと、専門家や有識者のメールマガジンやブログをほとんど無料で読むことができます。

 それどころか、マスメディアの発行人や、先生と呼ばれるような人に、直接メールをしたりコメントをしたりすることまで許されているのです。私も経験がありますが、まともな意見を礼儀正しく伝えれば、思いがけず返信をいただけることや、交遊が始まることも少なくないのです。

3)学会や勉強会で低コストで一流の人材と交流

 わざわざ大学やビジネススクールに通わずとも、自分が関心のあるテーマの学会や勉強会を探すことは難しくありません。そこに行けば、様々な大学や企業から集まった前向きで優れた先駆者の方々と直接交流して、学び合うことができるのです。

 もし10年前に経営情報学会に入れていただかなかったら、ネットで知り合った方々が主宰する様々な勉強会に参加していなかったら、今の私は無いはずです。せいぜい、年1〜数万円のコストしかかかりませんから、大学に通う百分の一のコストです。月1〜数回の会合なら時間的な負担にもならないでしょう。
 

 こうして、自己投資や研鑽の成果が現れたら、転職や起業をしたくなる人もいるでしょう。そんな時も、昔では考えられなかったような、省マネーの経済的工夫ができることに注目です。

1)安価で便利な外部サービスを活用する

 例えば、インターネットのアフィリエイト・ドロップシッピングなどの便利なサービスを使えば、今の仕事を続けながらお手軽な副業や起業もできます。在宅で就業時間外に、社員も雇わず、在庫も仕入れず、即ちお金をかけずにひとりで商売できる仕組みが用意されているのです。

 また、もう少し本格的に仕事を始めるにしても、インターネットの電子商店・ブログ・メルマガなどの情報発信・広告宣伝・営業サービスや、宅急便などの物流サービス、クレジットや代引きなどの決済サービスを活用できます。昔のようにヒト、モノ、カネを使わなくとも、素早く効果的に起業して、経営できるのです。

2)夫婦で稼げるならば、片方で固定収入を得る。

 昔に比べて、夫婦とも高学歴で高収入の仕事についているケースも増えているはずです。また、大家族の子だくさんで、育児や家事に忙殺されることもないでしょう。

 ならば、夫婦のうち安定的に高収入が得られそうな方が、家計を支える固定収入を得て、もう一人が大胆な転職や起業をすることもできます。そうすれば、転職や起業にも、ある程度安心できて大胆に挑めるはずです。またつとめを続けながら家計を支える方も、伴侶の挑戦を支援すれば、組織勤めだけでは得られない満足が得られるはずです。

3)住宅に対する考え方を変える

 勤め先の信用で住宅ローンを組んで家を持つと、あとあと大変なので、あえて避ける若い人が増えています。定年時の退職金でローンを返済するまで、会社の言いなりになることを嫌っているわけです。銀行に勤めている友人でさえ、あえて有利な社内金融制度を使わないと言っているほどです。

 例えば、家はローンを組んで買わずに賃貸で済ますと考えただけで、人生の選択肢もお金の使いみちも変わってきます。さらに少子化で、家持ちの一人っ子同士で結婚すれば、ローンを組むどころか、家を一つ売っても良いケースまであるでしょう。 


 つまり、うまく知恵を使えば、自己投資にも転職・起業にも、昔ほどお金が必要ないのです。

 とは言え、転職や起業など「夢を追うこと」を真剣に考えている人なら、今も昔も若いうちの積立が欠かせません。生活や自己投資のコストを抑えて、その分コツコツと積み立てて「夢の原資」を貯めておく必要があるでしょう。

 ここでも、現代はただ積立貯金をするだけではなく、10年後20年後に伸びそうな企業数社の株式を、毎月少しずつ積み立てる「るいとう」を活用することもできます。有望な企業を選び投資する勉強と、日々の細かい株価の動きを忘れる心の訓練は、きっと、金融資産と知的精神的資産を同時に殖してくれることになるでしょう。

 もしも、こんなに恵まれた中でも「経済的な理由で行動できない」というなら、それは「新しい現実」を知らない勉強不足、わかっていてもできない勇気不足としか言いようがないのです。



Posted by 久米 信行 at 18:03 | 第三章キャリア編 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

安定する現状に満足してしまう[2008年06月29日(Sun)]
Q:安定する現状に満足してしまう
A:安定は幻想で危険。動き続ける現状に対応するのが安全。


「社会のルールは変わらない」
「大企業や老舗企業はつぶれない」

 現状のままで満足してしまう背景は、「新しいことをするのは面倒だ」と思う気持ちだけではないでしょう。このままでも何となく切り抜けられるのではないかと「思い込んでいる」ところがあるはずです。

 世界経済が絡み合い、インターネットで瞬時につながる現代では、3年後の為替や株価といった短期の部分的な見通しでも難しくなっています。ましてや、若い世代が、定年や平均寿命を意識して、これから30年先さらには50年先を展望するなら、「今の常識がまったく通用しない」「それどころか正反対になっているかもしれない」と考える必要があるでしょう。

 例えば、私が生業とするTシャツメーカー=繊維製品の製造業は、半世紀前は、低い賃金と円安を背景にした「米国向けの輸出産業」だったのです。ところが、今は、高い賃金と円高に変わって「中国からの輸入産業」に一変してしまいました。

 また、今でも忘れられませんが、大学時代、あるOB会で先輩方の世代別の勤務先を見て驚いたことがあります。その時々の花形産業に入っている先輩が多かったので、まさに日本の成長産業が衰退していく歴史を見るようだったからです。

 しかし、この教訓を生かさず、私たちの世代の成績優秀者の多くは、当時大人気だった銀行や保険会社などに就職しました。その後、「誰もつぶれると夢想だにしなかった」金融機関が倒産したり合併を繰り返したことは記憶に新しいでしょう。

 企業は変化対応業と言われます。有力企業の優秀な経営者なら、誰しも「変化の予兆を見つめて、対応すること」を肝に銘じているはずです。それなのに、倒産したり、吸収合併されてしまう時代なのです。まさに社員には寝耳に水だったかもしれません。

 だからこそ、企業よりも弱い一個人が、迫り来る変化に対応して、自分を変革しないで良いはずがありません。社会に選ばれて残る企業が時代と共に変わるように、求められる人材像も変わっていくのです。特に、能力や人脈の蓄積が足りない若い世代が安穏としていられるはずはありません。

 ですから、現状に満足して「この場」にとどまって何もしない方が、「短期的には安心」できても「長期的には危険」なのです。

 こんな話を聞くと「大変だ」と心が重くなる人もいるかもしれません。

 そこで、私が最も尊敬している心の師、大雄山最乗寺 故余語翠厳(よごすいがん)老師の教えをご紹介しましょう。

 「『法』という字は、水偏(さんずい)に去ると書きます。つまり、本来「自然の法」は、常に流れ去っていき、一瞬たりとも同じ姿がないということです。ところが、「人間の法」は、それを文字にしたり形にとどめようとするから、悩みが生まれてしまうのです。」

 時代がゆったりと、しかし確実に流れていく川だとすると、今の場所にしがみついていることは、かえって気力や体力を必要とします。むしろ、流れるに身を任せながら、行き先を見きわめてて泳いでいく方が、実は楽なのです。

 時には、石にぶつかることもあるかもしれません。流れにうまく乗れないこともあるでしょう。それでも、泳いでいくうちに、もっと遠くを見通せるように、もっと楽に速く泳げるようになるでしょう。

 川岸で見ている人や、岩に懸命につかまっている人には、流れに乗って泳ぐ人は、奇人変人か、特別な達人に見えるかもしれません。そして、なんて危険な行動をしていると思っていることでしょう。

 しかし、実際には、誰もが使おうと思えば使える「自然な流れ」に身を任せて、泳ぎ続けているだけなのです。

Posted by 久米 信行 at 09:34 | 第三章キャリア編 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

プレッシャーがかかると勝負から降りてしまう[2008年06月23日(Mon)]
Q:プレッシャーがかかると勝負から降りてしまう
A:リラクゼーションの基本を体得すれば、いつでもどこでも大丈夫


 いつもはできるのにプレッシャーがかかるとうまくできない。
 だからプレッシャーのかかる勝負はしない。

 これは、よくありがちな「成長停止の悪循環」です。この悪循環が恐ろしいのは、正しいやり方で反復練習すれば鍛えられる「本来の潜在能力」を埋もれさせてしまうことです。腹筋などの筋力トレーニングよりは複雑なのは、「ある心の状態」に保つメンタルトレーニングとセットで鍛える必要があることですが、それとて「慣れ」以外の何者でもありません。

 実は、私も最初から果敢に挑戦するタイプではありませんでした。飛び込みセールスに始まり、いきなりセミナー講師や企業経営者という「極限のプレッシャー下」に放り込まれて大いに戸惑った苦い思い出があります。

 今でこそ、先輩経営者が数百人も集まる前で講演をしようと動じなくなりましたが、最初は、たった一人のお客様の前でも緊張したものです。

 なぜ、私が変わることができたのか。

 それこそ、基本を守りながら「見る前に跳ぶ」ことを繰り返しているうちに、体が反応するようになったとしか思えません。

 中小企業の経営者は、たとえ分不相応な勝負であっても、降りられないことばかりです。会社をやめるわけにも、他の人に代わってもらうわけにもいきません。

 たとえ最初は負け試合になろうと、得失点差を減らそうともがくしかないのです。嫌々でも試合を繰り返すうちに、少しずつ実戦的な対応力がついて「たまたま勝てた」から「時々勝てる」ように進化しました。勝率が高まってくると、勝負が面白くなってきます。

 すると、いつしか「勝負から降りる」「勝負をしない」という「逃げの発想」自体が無くなってくるから不思議です。

 ただし、プレッシャーにさらされながら、嫌な失敗体験ばかりを繰り返すと逆効果になってしまうこともあります。

 そこで、まずは、一番リラックスした状態で一人コツコツと練習します。この一番良い状態を自分の体に覚えこませていくのです。あとは、実際の勝負でも「そのリラックスした最良の状態」になれるトレーニング=リラクゼーションの方法を探して反復すれば良いのです。

 人類がプレッシャーやストレスに悩まされてきた歴史は長いので、先人の英知に学ぶべきことがたくさんあります。

 日本古来の禅、武道、茶道、華道をはじめ、ヨガなど海外の方法や、自律訓練法など新しい方法も、書店やネットで簡単に見つけられるでしょう。カルチャースクールやコミュニティスクールなどで、気軽に安価に試してみることもできます。

■3つの基本1:調身

 私も色々なリラクゼーションを試みましたが、どれも基本は相通じるところがあります。
 まずは調身が大切です。肩に力が入っていたり、背筋が曲がっていては、本来の力を発揮できません。背伸びをしてから、すっと脱力。全身に力を入れてから、すっと脱力。
 こうした「すぐ自然体になる」トレーニングは、慣れれば決して難しくありません。

■3つの基本2:調息

 続いて調息が重要です。緊張している状態は、呼吸が浅くなっている状態だからです。
 多くのリラクゼーション法は、深く息を吐き出して、ゆっくり呼吸を繰り返すことを勧めています。
 呼吸がゆったりとしてくれば、自然体となった体も、さらにリラックスして、胸のドキドキも収まるでしょう。

■3つの基本3:調心

 最後に調心ができれば、準備は万端です。身体と呼吸が整ったら、半ば、心も落ち着いてきているでしょう。
 調心の方法は、リラクゼーションの流儀によって様々です。呼吸を数える、絵や点を見つめる。音に耳を傾ける。声を出す。何かの動作に集中する。
 人それぞれ好みがありますので、自由に選んでいただければ良いのですが、いつでもどこでもできる方法がお薦めです。

 自分なりの「調身×調息×調心=リラクゼーション法」の基本が体得できたら、これをいつでどこでもできるように磨いて、さらに応用できるようにします。


■応用1:一番プレッシャーがかかった状態をリセットする練習

 続いて、究極のプレッシャーがかかった状態のイメージで、「リラックスできるスイッチ」が入るような条件反射を作ります。
 「おおきく振りかぶって」という野球アニメで、究極のプレッシャー環境=3塁にランナーがいる状態を見てから、「調身×調息×調心=リラクゼーション法」のトレーニングをするようにコーチが指導していました。このチームのピッチャーは3塁に逆転のランナーがいても目が合うと心が落ち着き、バッターは3塁ランナーを見れば力まず本来のバッティングができるようになったのです。
 例えば、これを講演やプレゼンテーションに応用するならば、舞台の袖で聴衆がこちらを注視している様子を目に焼き付けたり、その写真を注視してから、いつものリラクゼーション法を行うということでしょう。そうすれば、聴衆を目にすると逆にリラックスできるスイッチが入るのです。
 
■応用2:本来の性格とは別の人格を演じる
 俳優や芸人には、実はシャイな人が多いと聞きます。舞台に上がる前に、本番用の堂々とした自分=別の人格になりきるスイッチを入れることで、リラックスできるのです。
 人前に出るのが苦手だったり、自分の意見を主張するのが苦手な人は、俳優や芸人に習って、自分と正反対の人格を作って演じてみるのも良いでしょう。自分が考えている自分と、正反対の人格を強調することを勧めて、ベストセラー作家を輩出している出版社のあるそうです。
 自分を決めつけずにあえて別人格で勝負するのも、リラクゼーションの一種ですから、それが向いている人は試してみると良いでしょう。

■応用3:ベストの状態をイメージするトレーニング
 自分の能力を最大限に発揮して勝利する。それを事前に脳裏に焼き付けるイメージトレーニングは、一流のスポーツ選手なら既に当たり前のように実践しています。
 しかし、ベストの状態がイメージできない、体感できないうちは、なかなかうまくできないものです。イメージがうまくできない=身心共に練習不足=では失敗する可能性が高いので「イメージトレーニングは効かない」と早とちりしてしまうかもしれません。
 ですから、これは3つの基本をしっかり体得して、小さな成功体験を積み重ねてから行うと良いでしょう。
 

 いずれにせよ、プレッシャーのかかる状況こそ、自分を最大限に伸ばすチャンスであることは間違いありません。それを避けて降りてしまうことは、人生を棒に振ることにも近い行為であり、もったいないことです。

 もっと言うならば「もう一人の本当の自分に申し訳ないこと」でしょう。もう一人の自分は、毎日基本トレーニングを重ねて欲しいと願っているのです。本来の力を発揮したくて、うずうずしているかもしれないのです。

Posted by 久米 信行 at 22:06 | 第三章キャリア編 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

一気に加速できない。ブレーキをかける[2008年06月16日(Mon)]
Q:一気に加速できない。ブレーキをかける
A:外の力を使って加速する。反復練習でスピードを楽しむ。


 初心者なら「スピード」を出すと怖くて危険だと思うでしょうが、「スピードに慣れた上級者」にとっては、ある程度加速してスピードを出した方が楽で安全なのです。

 私は、スピード・加速・ブレーキなどについては、30年以上も続けているスキーから多くのことを学びました。

 ひょっとしたら、スキーと、仕事やコミュニケーションは違うと思われるかもしれません。

 しかし、「怖い」斜面やスピードに自分を追い込んで、自分の壁を自ら超えるという点で、その心意気はほとんど共通していると思えてなりません。


1 スピードを出すなら外の力をうまく使う

 多くの人は、スピードを出すのに自分の力が主体だと考えているでしょう。しかし、スキーを加速させるには、重力や遠心力といった外の力をいかにうまく使うかがポイントなのです。

 大きな仕事を成し遂げる際にも、自分以外のパートナーや組織の力を使ったり、時流をうまくとらえることが「自力」以上に大切でしょう。


2 無駄な動きやズレがなければ加速する

 スキーの上手な人ほど、無駄な動きがありません。突然、大きな力を加えたりすれば、スキーがズレて減速してしまうと知っているのです。外の力と自分の力を上手に調和させながら、流れるように滑ります。

 これは仕事でも同じでしょう。自分が自分がと力んでしまい、必要以上に主張をすれば、プロジェクトの調和も乱れて、進むものも進まなくなるのです。


3 上級者ほど、眼に見えないリカバリーを繰り返す

 上級者はバランスを崩さないというのは嘘です。より難しい斜面で速く高度に滑るので、普通の人よりもバランスを崩しやすいのです。しかし、素人の眼に見えないのは、大きく崩れる前に、細かいリカバリーを繰り返しているからです。

 仕事においても、達人がミスをしないことはありません。人よりもチャレンジするだけミスも多くなりますが、致命傷にはならないように、水面下で素早い対応をしているのです。


4 急斜面でスピードを出して転ばねば、壁を超えられない

 不思議なもので、一度滑ることができた急斜面や高速ターンは、次回からは簡単に感じられます。つまり、技術的な壁よりも、心理的な壁の方が、スキーの上達に大きく作用するのです。

 仕事も同じです。難しい仕事や大きな仕事に挑戦して成功すれば、そこまでは楽に取り組めるようになるでしょう。だからこそ、より難しい仕事に挑戦して、成功するまで続けることが大事なのです。


5 無心の時に会心の滑りができ、我に返ると転ぶ。

 時には、自分でも驚くほど上手に滑れる時があります。そんな時は、まさに無心に近い状態で「ただ滑って」斜面と一つになっています。しかし、残念ながら、この時に「自分はこんなに巧かったか?」と不安がよぎると、余計なことをして次の瞬間に転んでしまいます。

 仕事では「慢心は禁物」だと教えられますが、用心しすぎも問題です。自然体で取り組めている時は、それを続けた方が、長く好調が続くことも心得ましょう。


6 怖さと面白さは紙一重である

 なぜ、私がスキーを30年以上も続けているかというと、爽快で面白いからです。しかし、その爽快さは簡単な斜面でゆっくり滑っている時では味わえません。自分の限界に近いような「怖いスピード」で滑るからこそ、爽快感と達成感が味わえるのです。

 何度やっても同じ良い結果がでるような仕事は楽かもしれません。しかし、一度でも「自分の限界に挑戦するような仕事」を、ハラハラドキドキしながら、手痛い失敗も繰り返しながら、成就することができたら、もう元には戻れなくなるはずです。


7 意識して繰り返すうちに自動的にできるようになる

 スキーは一朝一夕にはうまくなりません。自分の不得手な滑りを改めるには、指摘された欠点を意識して、繰り返し練習するしかないのです。そのうち、自分の悪い癖は克服されて、わざわざ意識しなくとも自動的に滑れるようになり、スピードも怖くなくなります。

 この素晴らしい脳と体の仕組みがわかれば、仕事に置いてもやるべくことは明らかです。苦手なことを、意識しなくともできるまで、徹底的に反復練習すれば、いつしか加速するのも怖くなくなります。


 そして、自分以外の力をうまく活用して、楽に加速できるようになるでしょう。そして、せっかく加速しかけているのにブレーキをかけることもなくなるでしょう。

Posted by 久米 信行 at 22:30 | 第三章キャリア編 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

相手が大物だとびびってしまう[2008年06月16日(Mon)]
Q:相手が大物だとびびってしまう
A:大物だからこそ真摯な対応を評価してくれる


 「大物」と「小物」。どちらと接するのが難しいか、気に入られるのが大変かと尋ねられたら、間違いなく「小物」だと、私は答えるでしょう。

 この一見すると正反対にも思える答えに驚かれるかもしれません。しかし、これこそが、多くの「大物」に接して叱咤激励を受けた私の経験則です。むしろ「大物」と一緒にいる時の方が、心得次第ではリラックスできて自分を表現しやすいのです。

 なぜなら、見かけ倒しの「名前だけの大物」は別としても、「本当の大物」は、大きな度量と鑑識眼をお持ちの方が多いので「安心」できるからです。

 私がご縁をいただいた「大物」が、まさに「大物」たる資質をあえてあげてみます。

1)年齢・性別・地位・役職を気にせず、その人の本質を評価する
2)自分の地位よりも、理念や本質を理解してくれる人を評価する
3)しっかり事前準備をしていて、結論や論旨が明解な人を評価する
4)夢、理念、情熱を持って、熱く語れる挑戦者を評価する
5)どんな話であっても新味と誠意があれば耳を傾けてくれる
6)取巻きの多さと比例して孤独で、心通う友や弟子を求めている
7)心に響くお礼ブログやお礼状を出せば、返信をいただける

 ですから、「見る前に飛ぶ技術」を習慣にしている人なら、何も恐れる必要はないのです。お会いする前に、相手の大きな度量と鑑識眼にかなう努力をすればするだけ「評価していただける可能性」が高まるはずです。

 実際に、私が経験したことや実践していることを見れば、そんなに難しいないと感じていただけるでしょう。

1)大物にお会いする際も、ありのままの自分を表現すれば良いので飾ることはしません。今よりも若輩の私が、たとえTシャツ姿で参上しても、それが生業だと知るや面白がって評価してくださいました。

2)会社の業績や知名度などの表面的なことよりも、インタビュー、伝記、ブログなどに書かれたご本人ならではのメッセージに注目します。そして、自分の言葉で「感動した点と感想」をお伝えした方が「お世辞」より喜ばれるのです。

3)お会いする方のことを、ネット、雑誌、本などを通じて、できる限り事前に調べておくようにします。相手のご希望と当方の強みが共に生かせる提案を冒頭で簡潔にお伝えすると、効率が良い議論ができて喜ばれました。

4)大物を前にしても恐れず、現在の力不足を承知しながらも、将来の夢、理念を熱く語りました。もちろん、苦言を呈されて辛いこともありましたが、これも期待されてのこととめげずにお礼をすると評価してくださいました。

5)大人物ほど「この話は聞いたことがある」「昔試した」などと、話の腰を折ることはせずに傾聴してくれるものです。そして、適確な助言をくださり、そのアドバイスに従った善後策を報告すると、誰より喜んでくださるのです。

6)大物ほど孤独な方が多いのは最初不思議でした。より大所高所から見えるために真意を理解してもらえなかったり、地位に群がる心ない人が増えたりするからかもしれません。だからこそ、おべんちゃらやお世辞よりも、その方が真にやりたいことに共鳴した方が話が弾むのです。

7)多忙な大物ほど、お礼状にご返信やお電話をいただけるのは驚きでした。そんな心配りや筆まめさがあったからこそ大物にもなれたのでしょう。だからこそ、お会いしたときに感動した教えも盛り込みながら、お礼ブログやお礼状を出すと本当に喜んでくださいました。


 このように、むしろ「小物」よりも「大物」にお会いする方が、実際には気が楽なのです。できる限りの準備と心配りをした上で堂々と自己主張をすれば、賞賛であれ叱咤激励であれ、期待以上のレスポンスが返ってくるはずです。

 きっと「大物」には会えば、「大物」たるゆえの「人間性」を体感することができるでしょう。真似できるところから真似したくなるはずです。お会いした人生の中の一瞬、わずか30分や1時間が、自分の生き方を変える、劇的な瞬間になるかもしれないのです。

 だからこそ、ふだん「小物」に振り回されて、誤解や厭味でモラルダウンしている人こそ「大物」に会う機会を自ら作りたいものです。「ググってウィキして会いに行ける」時代になった今、それは決して難しくないのです。

 

Posted by 久米 信行 at 22:28 | 第三章キャリア編 | この記事のURL | コメント(1) | トラックバック(0)

人にお願いや働きかけができない[2008年06月09日(Mon)]
Q:人にお願いや働きかけができない
A:権力や知力より、夢と情熱を熱くも謙虚に語る力


 誰かにお願いや働きかけをして、動いてもらうには勇気が要ります。

 最近は同僚や部下にさえ「お願い」をするのに気が引けてしまい、勢い自分で済ませてしまう人が多いと聞きます。

 しかし、自分ひとりでできることは、ごく限られています。その仕事が長期的で社会的な大プロジェクトであればあるほど、自分より目上の人、年上の人や、実力で勝る人に賛同してもらって、協力を仰ぐことが必要不可欠になります。

 むしろ「自分よりも優秀な人をどれだけ集められるか」こそが、「仕事ができる人」の必要条件だと言っても良いでしょう。

 そんなことを言われても、「自分には権力も無ければ知力も無い」「お金もなければコネも無いので無理だ」と「できない理由」を並べ立て、やる前から諦めてはいないでしょうか?

 もちろん、「権力」「知力」「財力」「人脈」....などは、あるに越したことはありません。

 しかし、もっと大切なことがあるのです。

 まず一番大切なこと、必要とされることは、人々の思いを結集してベクトルを一つにするだけの「大きな夢」を見る力でしょう。それも、目上の人、年上の人までも驚かせ唸らせるほど大きな夢が重要なのです。2:6:2の原則によれば、2割の人に呆れられ反対されるぐらいの夢であれば、逆に2割の人が大いに共鳴してくれる可能性があります。

 しかも、単なる思いつきや願望ではなく、稚拙で未完成ではあっても、自分なりに考えに考え抜いた痕跡が感じられることが大切です。実現可能性がたとえ低くとも「ゼロではない」と思わせるような、実行案も考えられていなければなりません。

 だからこそ、無謀ではあっても「同じ夢を見てみたい」と感じてもらえる人が出てくるのです。

 そんな「夢のあるお願い」ならば、かつて夢を追った経験のある人生の先輩からは、「面倒」や「迷惑」だと思われることはないでしょう。むしろ「楽しみ」「ときめき」の種をもらったと、ワクワクしてくださるかもしれません。

 これは、たとえ目先の「小さなお願い」をする時であって同じです。その先に「大きな夢=ゴール」があることを、繰り返し語り続ければ、きっと応援してくれる人が出てくるでしょう。

 次に大切なのは「情熱」です。その夢に心からほれ込み、自分を賭けていれば、自ずと情熱が生まれます。考えに考え抜くうちに、その夢が叶うイメージも浮かぶようになって、情熱がさらに燃え盛ることでしょう。

 自らの心が燃えることならば、「この道は遠く辛いけれども、その折々で楽しいこともあり、何よりやりがいと達成感がある」と確信できるはずです。この情熱の火を人にも燃え移したいと感じるでしょう。

 わき起こる情熱こそが「お願い」の言葉に命を吹き込み、聴いた人を衝き動かす原動力となります。大きな夢=斬新なプロジェクトにつきものの心ない冷笑や思いがけない挫折にめげないためにも、情熱は欠かせません。

 ですから、誰かにお願いをする時には、権力や実力を背景にして命令するよりも、夢と情熱をもって参加を呼びかける方が良いのです。その方が、自分自身にとってもお願いをされる人にとっても楽しく、お互いにやる気と新たな発想が湧いてくるのです。

 しかし、この時、もう一つの重要な美徳を忘れてはなりません。それは「謙虚さ」です。

 謙虚だからこそ、自分の無力さを思い知り、大きな夢とのギャップを感得できます。謙虚だからこそ、多くの力を結集しなければ、目標を達成できないと痛感します。謙虚だからこそ、大きな夢ほど、自分の欲得を超えて達成しなければならないと直観できるのです。

 それゆえ、自分よりも力のある先輩に臆したり、後輩にも無用な見栄をはったりすることなく、自然にお願いをすることができるのです。そして、頼まれた実力者も、熱く夢を語りながも謙虚な人柄に惹かれ、手を差し伸べたくなるのです。

 夢や情熱を熱く語ることと謙虚さとは、一見すると相反するように見えます。しかし、魅力的な人物を目指すなら、どちらも車の両輪として欠かせないことを忘れてはなりません。この二つの力が調和することではじめて、心に響くお願いができるのです。

Posted by 久米 信行 at 22:50 | 第三章キャリア編 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

本当の自分がわからない[2008年06月03日(Tue)]
Q:本当の自分がわからない
A:目の前の山道を登り続けてこそわかる自分もある


 書店の自己啓発本コーナーや、流行歌の歌詞カードには、「自分だけの生き方」「本当の自分」という言葉が、当たり前のように並んでいます。

 まるで「本当の自分」なるものが「誰にでも眼に見える形」で存在しているように錯覚してしまいそうです。これでは「自分だけの生き方」を理解して実践しなければいけないような強迫観念を抱いてしまいます。

 恥ずかしながら、私も「本当の自分」など未だにわかっていません。もっと言うなら、これから「わかりたい」とも思っていません。

 なぜなら、「本当の自分」などわからずとも、これまで十分に楽しく生きてこれたからです。また、学生時代や20代30代に、それぞれ「本当の自分」だと思っていた「自分」が、「本当の自分」のごく一部にしか過ぎなかったことを知ったからです。例えば、ゲーム嫌いがゲームデザインを楽しみ、株嫌いが相場道に感銘し、IT嫌いが本やコラムを書いているのです。その一方で、まったく見当違いの「あるべき自分」に憧れたり、裏付けなく「うぬぼれ」たりしていたことに赤面します。

 それだけではありません。

 一見すると正しい「本当の自分を探す」という大義名分を、「自分の知らないことや嫌いなことはやらない」「続けるのが辛い修行をやめる」という方便に使って「現実逃避」している人が、たくさんいることにも気づいたのです。

 それは、ひとつの仕事が三年も続かない若者や、フリーター生活に甘んじている若者が急増していることを見てもわかるでしょう。
 
 これは、どう考えても「もったいない」ことです。

 先日、脳科学に詳しいエンジニアとお話をしていたら「石の上にも三年」という格言は、脳の回路ができる仕組みにも適っていると教えてくれました。一つのことを三年も続けていれば、不器用な人の脳にも専用の回路が作られて、それなりにできるようになるというのです。

 即ち、「本当の自分」を探す暇がなどあったら、何でも良いから三年我慢をして続ければ良いのです。そうすれば「本当の自分」の一部が見えてくるかもしれません。三年前の自分とは違う見識が芽生えていることにも気づくでしょう。きっと人生の見晴らしが良くなっているはずです。

 見晴らしの良い絶景を見たければ、まずは山に登らなければなりません。目の前に登山道があったら、あれこれ選ばず、まずは登ってみれば良いのです。それぞれ紆余曲折はあるでしょうが、いずれは、どの登山道も山頂に導いてくれるはずです。どの道を選ぶかよりも、生涯をかけて高みを目指して登り詰めることこそが大切なのです。

 しかし、多くの若き登山家は、「自分だけの道」探しに明け暮れて、山のふもとを右往左往しているように見えます。これだという道を見つけても、少し登って景色が晴れないと、またすぐ下山して別の道を探します。こうして、「道探し」で人生を浪費しているうちに、いつしか樹海に迷い込んでしまうのです。

 どんな登山道であれ、三年も登るうちには、小さな見晴し台に出るでしょう。そして、三年前には見えなかった景色に気づくでしょう。ふと振り返れば、思いがけず高いところまで登っていることにも驚くかもしれません。

 とはいえ山頂はまだ先です。再び深い林に入ったり尾根を下ったりして、先が見えなくなることもあります。それでも、先ほどの見晴し台よりも、さらに美しい景色を求めて登り続けます。

 その時「本当の自分」など考えている暇も必要もありません。それでも、気がつけば、前より息が楽につけているはずです。無駄な力を使わずに歩けてもいましょう。はた目には辛そうな瞬間瞬間を、静かに楽しめている自分にも気づきます。

 何といっても、いつしか「手段だったはずの登山」が「目的そのものになっている」ことに驚くでしょう。

 「本当の自分」は、それぞれの山頂を目指して一歩一歩前に進んでいる時に見え隠れするものです。しかし「山を登る楽しさ」に気づいた今、それをわざわざ確認しようとも思わなくなっているはずです。

 「本当の自分」に出会いたかったら、まずは「目の前の道」を三年歩んで、脳や体に覚えこませることから始めましょう。そして、「本当の自分」の一部が目覚めて面白さを感じたら、また十年、二十年と極めていきましょう。その気力と体力と技があれば、今度こそ、どんな道でも歩めて、そこかしこで思いがけない底力を発揮する「本当の自分」に感動するはずです。

Posted by 久米 信行 at 15:15 | 第三章キャリア編 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

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