バイオグラフィ
| 1999頃 | 広島駅前エールエールの運営コンサルを担当しました。
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| 2000 | 台湾苗栗県のテーマパークYE-MAYの運営コンサルを担当しました。 |
| 1997頃 | キャナルシティ博多の運営コンサル・・・完成後の使われ方を想定して設計設備計画に反映する・・をしました。
ハウステンボス計画で修行したことを、今度は主体となって20年先までを想定して企画するわけですから緊張の連続でしたが、プロはそれを表には出せません。 この実績が私の以後の人生を決めました。 |
| 1998頃 | 沖縄県平和祈念資料館の運営コンサルを担当しました。
完成後、沖縄サミットの出席者がここを訪問することになったとき、提出済みの運営計画書に「VIP/不良客対応」を盛込んでいたため、担当者から感謝されました。 |
| 1995〜 | 地域活性化人材育成セミナーの講師をしています。主催元
は総務省経済省ブロック都道府県などです。対象者は行政職員地方議員など。 |
| 2004 | 福井市北の庄商店街活性化アドバイザを務めました。 |
| 2005 | わが町筑紫野市の第四次総合計画審議会委員を務め、コンサル任せのあまりの後進性ぶりに、驚きあきれて、待っていてもよかまちにはならんバイと思いました。 |
| 1995 | 総務省所管の地域情報化アドバイザに認定されました。
情報化を「始めに機器あり」で捉えず、地域課題解決のためには、役に立つなら機器を使うことも一方策と捉えるべしと助言しています。 |
| 1995 | 経済省所管の地域情報化アドバイザに認定されました。
直方市をまず担当しました。 |
| 2003 | 福岡県まちづくりアドバイザに認定されました。ハード志向の先生ばかりでは、地域活性化につながらないというのが選定理由です。大げさな認定証をいただきました。 |
| 2005 | 中小企業基盤整備機構の新連携アドバイザに認定されました。異業種の中小企業が連携し、新たな商品や価値を産み出すことを支援します。 |
| 2005.12.15 | 政治団体「道永哲郎後援会」を県選管に届出ました。金をかけずに、最大の効果を上げるまちづくり研究会です。
「先入観にとらわれない大胆さ」が売りです。 その後「道永哲郎まちづくり塾」に名称変更しました。 筑紫野市議選は06.4.21の予定。無所属新当選といきたいものです。 |
| 1999.9.21 | 台湾台中市でマグニチュード7.6が2回という大地震に遭遇しましたが、幸い無事でした。以後、「今しかない」ということを強く意識するようになりました。 |
| 2006.6 | 九州経済局のまちづくりアドバイザに認定されました。経済局ですから、観光産業、コミュニティビジネス、環境ビジネス、中心市街地活性化などの実績を評価されたものです。 |
| 2006.8 | 六反副区長も8年目となり、最後の一年です。05/12は定年退職し別のボランティア活動をする予定です。生活現場知らずの議員が大半なので市議会に出ようと考えています。地元の突き上げを断れないのが本音です。 |
| 2006.12 | 37年近く在職した富士通鰍退職し、市議選に備えました。母の貸家が空いていましたので、事務所として無償提供ということもあり、2007.4自己資金20万円で当選。
後で税金からの補助があったため、実質0円。そのかわり地域の人々の無償支援は大なるものでした。自称大物も何人かいましたが、あくまで自称。彼らは動こうとしません。黙って動く人たちに支えてもらいました。 票読み、配布物など先輩議員からの助言は一切無視し自分のやり方を貫けば費用はかかりません。 「まちづくりのプロ」はちょっと不遜に思われるかなとも思いましたが、各地のアドバイザに指導していたわけだからと思って、使ってみました。 |
| 2007.6〜 | 議員に不可欠な政策提案力が他の議員から感じられません。このまちでしかできないことをという概念が皆無。
まちづくりとはハコモノ整備のことと思っている議員も数多いと感じました。 |
| 2007.6〜 | 年4回の本会議では、税金のより効果的な使い方のため、発想の転換・あるものさがし・もったいないなどで組み立てた政策提案をしています。
事前通告制度のため、議場では他の議員は執行部と打合せた原稿を朗読します。中には「何を質問したらよいか」と執行部に聞きに回る議員もいます。 私だけが原稿なし。講演会で講師経験豊富ですから原稿棒読みは恥と思っています。 |
| 2007.6〜 | 市会議員徽章・・バッジは本会議場では着用義務がありますので、しかたなく着けますが、出たらすぐはずします。そう決めているだけです。 |



