厳かな気分
[2012年02月01日(Wed)]
【地域活性の最新記事】
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東郷郷土学検定(道草ぶんこう区)の参加ご案内
地域再生に郷土学検定で 地域の再生を図るには、他を見習った形で勧めなくても良いのではないだろうか。地域の背景つまり、私たちの祖先が培ってきた歴史とそれに伴って築いた文化が貴重な宝であり、その個性・特徴を打ち出して行くことではないだろうか。 形として見えるものよりも、形として見えないもの様々な文化、里山の恵まれた地域資源を活用した食文化、囲炉裏を中心とした家族団らん文化、里山の厳しい生活から生まれた地域の人々の芸術文化等々、様々な貴重な文化が今廃れよう失われようとしています。 21世紀に入った今、これらの貴重な地域文化を確認し、私たちの次世代に伝承していかなければなりません。伝承のリレーを一緒に走りましょう。 地域興しには、地域の若者、地域の女性、地域のばか者、そして地域外のよそ者の知恵と情熱が、地域の可能性を引き出します。 今年度の東郷検定弟2回目は下記の要領で開催致します。どうぞ、道草ぶんこうが取り組みます地域再生の取り組みに、皆さんの知恵と力を貸して下さい。 今回の郷土学検定のポスターです 実施要綱は下記のとおりです
岩円地蔵様
岩に中に地蔵様と水神様 ![]() 金山町において、私たちの祖先が人為的に培ってきた名跡があります。民衆信仰として特筆しなければならないのが片貝地区の岩円地蔵でございます。 片貝の人家を後にして沢沿いの田んぼを通り抜けると、いよいよ杉山に入り、さらに奥に進むとやはり、相当数前から整備されてきたのであろう。鬱蒼とした杉林でも地面のコケのじゅうたんの緑がまばゆく訪れる人々の疲れをほぐしてくれるのである。 「サラサラ」と、沢を降りてくる水の音、野鳥たちのさえずり、巨木の間から射す木漏れ日が何とも形容しがたく生きている喜びを味わえるのです。 巨岩が大きな口を開けており、その中に御神体が私たちを待っているのでないか。巨岩の中から水が湧き出てきているのです。しばらくはこの世でなく、違った世界にいるのかと感じる程、奇異なのです。どうぞ、現地に赴いて体感されることをお勧めします。
伝統文化の伝承
決して失ってはならない 地区の宝 安沢歌舞伎 安沢歌舞伎は、元禄年間、新庄藩第2代藩主戸沢上総介正誠公が修復した安沢地区の青龍寺に、赤穂藩主とその元藩士たちの冥福を祈るために建てた数十基の供養塔に多くの参拝者が集まるようになった頃が起源といわれます。 ![]() 安沢歌舞伎の全盛期は、明治末から昭和初期であり、地区の若衆が「東安座」を結成し、夜を徹して演じられていました。現在の保存会は、昭和63年に結成され、伝統ある農村歌舞伎の保存・伝承・演目の復活を図るために活動を展開しております。
蔵のある生活
蔵のある家 ![]() 地形的にもこの地区は農地に適した土地が多く、江戸時代から盛んに開墾が行われてきました。他地域よりも農地が広く収穫量も多く、その保存のために土蔵が建てられました。土蔵の室温は夏冬も一定の温度です。また、火災も防ぐことができます。米の他に。冠婚葬祭時に使用する食器・お膳・衣服・代々伝わる物など大切なものを保存しています。 ![]() 上記写真は、質問を受け路上で説明する地区の副区長さん
現在でも飲めるきれいな水
きれいな水の楢台堰 ![]() 東郷地区は、奥羽山脈の支稜台山(1077m)を水源とする上台川が貫流しています。上流から蒲沢・田茂沢そして安沢と流れていて、この楢台堰は安沢地区では町水道が敷設されるまでは、生活用水として使用していました。もちろん飲料水としても活用され、堰のいたるところにバイカモが水の中で白い花を咲かせています。バイカモを私たちはマツボとも言っています。以前はこのマツボを熱湯を通して食べており、舌ざわりが良かったと記憶しています。 このように上台川はとても水質が良くきれいで、流域の米は、金山町内、山形県内でも美味しい米の産地であります。全国の消費者の皆さんから多くの注文をいただいております。 ![]()
鐘つき堂のある薬師堂
鐘つき堂のある薬師堂 安沢地区は久保と安沢に分かれていて、30メートル位の高さの小森山によって区分されています。とて急峻な階段を上っていくもので、もし、中途で足を踏み外したら恐らく最下段まで滑って落ちてくる程、急な参道です。 ![]() ![]() この神社は、当地区の豪農が江戸の末期に田を鋤き込んでいた時に、土の中から見つけたもので、薬師如来と刻まれている文字が読み取れたそうであります。多分、平安中期か鎌倉時代もしくは室町の戦乱で逃げ回っている最中に落としていったものなのか、あるいは、一時埋めてそのままになってのであろうか、定かな説はないのである。 冶兵衛家(現当主 星川治司氏)の治郎作が仏の導きによって掘り当て、何世紀ぶりかに日のあたる場所に出現した13仏様なので、自家の仏壇で夕な朝なにお供え拝んだものなのです。そのころ家族で病のために目の見えなかった目が、信心を重ねるうちに見えるようになりましたそうです。 冶兵衛家は地区きっての篤農家で、自家だけでなく地区の人々にも良いことがあるようにと、現在地に地区の守り神・目の神様として建立し、広く信仰されているものであります。明治の中頃に梵鐘と石段が整備され善男善女で賑わったと伝えられています。 ![]() 金山町内でも梵鐘がある神社はこの薬師堂だけであると思います。今でも親しまれています。安沢地区のすごさはここにも見つけることができました。
独特の世界観
死後の世界のさばきを下す十王堂 中世ドイツが幾つもの小さい国家で成り立っていて、その小さい国家が独自の文化を培っていました。 安沢地区もそうであって、安沢地区の素晴らしさは、歴史の深さはこの十王堂が証明してくれます。御堂で待っている十王十体の13の仏様とお釈迦様で生存 していた行いによって、あなたの死後の世界を決めます。戸を開けると仏様たちとお釈迦様の鋭い視線が私の身体を射抜きます。覚悟をしていかないとその場に立ちすくんで、金縛りにあったようになります。やはり、悪いことはできないものです。 ![]() ![]()
道中の安全祈祷の清龍寺
青龍寺 神室山を中心とした山岳信仰の宿坊が開かれた地区でありまして、新庄最上地区でもかなり古い地区の一つです。そんな歴史のある地区であることはあまり知られていません。歴史に興味のある方なら知っているかもしれません。今回の郷土学検定は、ウオークラリー方式を採用し、実際に地区の中を体感してもらい、クイズ・樹木の撮影・俳句を詠む・水温を推測・地区の人々から話を聞く等々かなり工夫を加えました。これはできるだけ地区民との交流が図られるように考えたものです。チエックポイント(関門)10箇所を設定し、その中の数箇所を紹介致します。 青龍寺は平安時代に建立され、修験者が神室山参りの道中の安全を祈る祈祷寺として当時はとてもにぎわった寺です。そのずーっと後の新庄戸沢藩主戸沢正盛公により修復され椿山一帯が赤穂四十七士の供養塔その他の神々等一日の参拝行程として整備され、茶店、商人もでて賑わったと伝えられています。その民衆信仰の中心的な青龍寺は今は安沢公民館敷地内に縮小して当時の面影を残しております。出発する地元から参加のシルバーチーム。 ![]()
兄妹でくらしの文集特選
ぼくの宝もの 道草ぶんこう お父さん 早く元気になって 一つの学校がなくなると言う事は、行政側や教育を携わる方々にとっては現代は何の変わり映えのしない現象であって、それが失なう側の地域の住民にとっては、精神の支柱を外されることである。 私たちの旧田茂沢分校もそうであった。があまりにも、現実過ぎて涙も出なかったのである。これでこの地区も過疎化に拍車がかかる。こう思ったものであった。ちょうど時同じくして,近いうちに解体される運命であろう校舎を、アトリエとして活用したい。こんな申し入れがありました。 文字通り地域に開かれた学校「道草ぶんこう」が開校されたのである。その精神・目指すところはこのブログの中で参照されたい。 10年になりました。「道草ぶんこう」として。道草ぶんこうの開学の精神が本当に機能しているのか。地域の人々は、また、子供たちにどう写っているか。 きらやか銀行主催の山形県「くらしの文集」で3年間でこの地区の子供2人が特選に輝きました。このことはまぐれや偶然ではなく、子供たちが、自然の中でのたたずみ、ふれあい、観察や人と人のつながりを大切にする体験を通して感じ取る力・感性が備わってきているが所以であると、思うのです。まさしく、地区の宝です。 もっと早く紹介すべきでありましたが、生来の怠け癖が邪魔をしまして遅れてしまいました。下記のPDF記号をクリックして2人の作文をご覧になって下さい。
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