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2008年04月25日

「世界を変える社会起業家」〜民報サロン寄稿.その6


福島民報新聞「民報サロン」への寄稿コラム、最終回分です。

6回に渡って執筆させていただきましたが、新聞というメディアで自分の思いや会津の新しい動きなどを発信することで、いろんな方から反響をいただいたり、自分の立ち位置や考えを整理するいいきっかけになりました。

このような機会を与えていただいたことに感謝です。

さて、最終回は自分の仕事について、書いてみました。

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「世界を変える社会起業家」


(掲載日:2008年2月27日(水))


私は三年前に「若者がチャレンジできる地域を創りたい」「伝統工芸を元気にしたい」という二本の柱で起業した。

少しずつだが事業内容とネットワークを大きくしていく中で、社会を変えたいという理念を共有する全国の仲間や先輩たちと出会い「時代の先っちょ」に触れていると、最近「新しい社会の変化」の足音が聞こえてきた気がしている。

その変化は新しいパラダイムの始まりと言っても言い過ぎではないのかもしれない。

福岡県飯塚で活動している起業家の大先輩は、今起きつつある時代の変化を「部分最適を繰り返した結果、様々な歪みが生じてきたことに全体最適をかけ直す作業」と言った。

歪みとは、例えば一握りの人間たちの豊かさという部分最適を優先した結果の環境問題や途上国の貧困問題だったり、自社の利益という部分最適を優先したことによる食品偽装だったりする。

様々なところで「森を見ずに木を切り続けてきた」結果、地球や社会全体が悲鳴をあげている。

そのような中で、様々な角度からバランスや持続可能性をもう一度取り戻そうと本気で取り組みはじめている新しい動きがある。

具体的な事例を二つ紹介したいと思う。

一つは、今「社会起業家」と呼ばれる人たちがいる。

社会変革の担い手(チェンジメーカー)として、社会の課題を事業により解決する人のことを言う。
事業型NPOの場合もあるし株式会社の場合もあるが、私もそうだが組織の形態はあまり重要ではなく「社会や地域を良くしていくことを仕事として創り上げていく」ことを目指している。
利益の追求よりも社会を良くすることにやりがいを感じるが、一方でその活動が成果を出すまで継続させていくために収益事業として自立も目指している。
日本でも病児保育や葉っぱビジネス、フェアトレードなど様々な分野の社会起業家が生まれてきている。

もう一つは、今急速に進んでいるCSRの動きである。

CSRと言うと地方ではまだまだ企業によるボランティア活動や本業以外での社会貢献と捉えられていて、取り組みがなかなか進んでいない現状があるが、本質的には企業を取り巻く全ての人の視点を取り入れて企業活動に反映させることで、企業の持続的な発展に繋がっていくというものである。
江戸時代の商人の知恵である「三方良し(売り手良し、買い手良し、世間良し)」にまさに通じるものである。
来年に迫った「ISO26000シリーズ」の発効により、この動きはさらに加速し、CSRに取り組む企業は好評価やブランド力向上に繋がり、例えば不法労働や自然環境に悪影響のある企業などは取り引きが減っていく。

このように、今、社会活動とビジネスの境界線は消えつつある。
その動きと理念こそが新しいパラダイムになり得ると予感を感じている。

「まちづくり」とはまさに全体最適を目指すことだと思う。

例えば福島県なら福島県だけ潤えばいい、会津なら会津だけ人が来ればいい、うちの特産品だけ売れればいいという考え方は古い概念になりつつある。

行政区分の話を超えて、むしろ私たち民間や市民は「この地域からどう世界や地球を変えていくか?」を考えたいと思う。新しい社会においては、それが最終的に自分たちの利益としておつりがくる。

私はそんなまちづくりを目標に、本当の「社会起業家」になることを目指していきたいと思う。

2008年04月23日

「伝統工芸の未来に向かって」〜民報サロン寄稿.その5

福島民報新聞「民報サロン」への寄稿コラム、第5回分です。

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「伝統工芸の未来に向かって」


(掲載日:2008年2月5日(火))


会津の伝統工芸を元気にしたいという想いで会社を立ち上げて三年になるが、ここ数年で「伝統工芸」というものを取り巻く雰囲気や匂いが確実に変化している。

最近、「伝統工芸の先」がごそごそと動きだしている気がしている。

弊社が会津本郷焼を舞台に三年前から実施している「芸術系インターンシップ」には、「東京や先端のITベンチャーなどではなく、伝統工芸の産地だからこそ、学生時代の自分のチャレンジの地として選んだ」という学生がたくさん集まってきている。

また最近、メールやネットを通して、三十代や四十代の女性の方からの会津漆器などに関する問い合わせも良く受けるようになった。

それは、一言で言えば「古臭い」から「かっこいい」への変化であるし、少なくとも若者の世代や女性にこそ、その胎動ははっきりしている。

流行歌の歌詞に「今はすべて肌を見せたって 世界は驚かない 刺激に慣れすぎてから 随分たってる」というのがあったが、きっと戦後から五十年かけて、もう「文化の流入」には、だれも興奮しなくなってきているのではないかと思う。

六十年代の「アメリカンスタイル」や、近年の「アジアンテイスト」、それに「北欧スタイル」などなど、いろんな国のスタイルがこの国には輸入されてきたけれども、 それらは日本人の生き方のスパイスや一時のブームにはなっても、それがその人の生活スタイルの基盤になっていくような、そんな感じはあまりしなくなってきている。

日本にはないそれらの国の文化を味わいたければ、その国に行けばいいし、それが実際に出来るようになっている。

むしろ、海外に行ったときに日本のことをたずねられて意外に答えられない自分に気づいたり、異文化の中で日本人である自分を見つめなおしたりする機会が多くなり、「日本人である自分って何だろう」という思いや「日本ってやっぱりいいよね」という素直な感情が社会の中で潜在的に共有化されつつあるのかなと思う。

当然、生活は西欧化しているけれども、家の中で靴を脱ぐのが日本人だし、温泉に入れば落ち着くし、食事の時は器を持って感触も味わって食べるのが日本人だと思う。

最近の美術雑誌の特集のタイトルに「そろそろ、うるし」というのがあったが、それを見たときに、「ああ、この感覚だな」と思った。

「日本人の使命として、伝統工芸は守っていかねばならぬのです」というようなお題目ではなく、自然な雰囲気として、この言葉が刺さるようになってきた日本の文化の成熟に少し嬉しくなった。

そして、それは決して「逆行」や「慕情」といったものではなく、もっとポジティブな感情だと感じている。

そのような中で、会津漆器では、今、新しい取り組みが始まっている。

プロジェクトの名前は「會's NEXT(あいづねくすと)」。

会津漆器の職人さんたちが集まり、全国から公募した若手デザイナーや若手アーティスト、そしてインテリアメーカーやコスメ関係のプロデューサーなど「売りのプロ」たちと一緒に、新しい時代に合った漆の商品開発や魅力の伝え方に取り組んでいる。

プロジェクト名に込めたのは、「昨日と明日の出会い」。

古き良きものの精神はそのままで、でもそれにあぐらをかくことのない高い志を持った職人たちとプロフェッショナルな若者の「出會い」によって、会津の伝統工芸はネクスト・ステージへ向かおうとしています。

素晴らしい伝統を残したい。しかし古いままではいられない。この難しい問題に、私たちは挑戦しています。

興味を持たれた方は、是非HPをご覧になっていただければ幸いです。
http://aizu-next.com/

2008年04月17日

「若者が創る地域の未来」〜民報サロン寄稿.その4


2007年11月〜2月まで、福島民報新聞のコラム「民報サロン」に全6回で連載寄稿していました。

ブログにも順次アップしています。

今日は第4回分です。

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「若者が創る地域の未来」


(掲載日:2008年1月16日(水))



弊社では、「若者が挑戦できる地域づくり」をテーマにインターンシップ(学生の実践的な社会体験)のコーディネートを行っています。今回は、その中で生まれた二つの物語をお話したいと思います。

東北最古の窯業の産地である会津美里町本郷地区から、昨年の夏、一冊の本が生まれました。
その本のテーマは、「町に恋するきっかけ本」です。

制作したのは、内田宝花さんと星野友里さんという二人の学生でした。山形の東北芸術工科大学でそれぞれ漆と陶芸を専攻する二人は、伝統工芸の現場で自分を磨いてみたいと、二年前、弊社のインターンシップに参加し、会津本郷焼で窯元さんに弟子入りしたり店舗の改装などに取り組んだりしました。

そして、年が明け、自分たちで書いたある一つの企画書を持って、二人が町に戻ってきました。

二人はこう話しました。
「お世話になった町の人に恩返しがしたい。自分たちが陶芸や漆を制作していられるのは、本郷のような伝統工芸を大事に守り続けてきた町があったからだと思う。だから、もっと多くの人たちがこの町を好きになってくれるような本を自分たちの手で作りたいんです。」

二人は、山形から本郷まで、往復5時間の道を30回以上も町に足を運んで、取材や町の人たちとの打ち合わせを重ね、川越や大内宿などの景観づくりの先進地にも赴き、東京のコピーライターに意見を聞きに行きました。時には授業を削って徹夜を重ね、バイトで貯めたお金もこの活動にあててきました。

既存のガイドブックに載っている観光情報はあえて掲載せず、窯元の裏手、小川が流れる横に陶器が積んである風情のある場所や、ろくろ作業用に窓が低くなった蔵などを、若者の新鮮な感性を活かした写真と文章で綴りました。

発刊された本は非常に好評で、地元の中学生から「本を読んで自分の住んでいる町の風景が全く違って見えました」というメールをいただいたりしました。

会津大学に通う浅井渉さんという学生は、会津の株式会社デザイニウムでインターンシップを行い、会津の地場産品にITで新しい価値を生み出す取り組みを続けています。
デザイニウム社は、私と同い年(28歳)の前田諭志社長が経営しているITベンチャー企業ですが、ホームページを通した新しいブランドづくりにはとても定評があります。

その会社で、浅井さんは、会津の桐製品を扱う店舗のホームページ管理を任されました。浅井さんは、お店の人と共にどういうサイトであれば新しいお客さんにPRできるか、コンセプトや見せ方の企画を考え、その中で桐製品をどう売るかという課題に取り組んでいます。

「桐下駄って古臭いようで意外とカッコいいんですよ」という話からヒントを得て、インターネットの強みを活かして、お客さんがホームページ上で自分の好きな鼻緒と台をオーダーメイド感覚で組み合わせて注文できるシステムを制作・管理したり、いろいろな層に向けた桐製品の使い方を提案したりしながら、結果、少しずつ売上を伸ばしながら大きな目標を達成しつつあります。

弊社では、このように若者が会津の地で実践的なチャレンジを通じて成長し、さらに地域の活力に繋がっていく活動を、これからも続けていきたいと考えています。


<参考URL>
・東北芸術工科大学の内田さん・星野さんの物語り
http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/etic.cfm?i=20070824cp000cp

・会津大学の浅井さんが手がけた桐下駄のHP
http://www.kirigeta.com/

2008年04月15日

「クリスマス・イブの明日に」〜民報サロン寄稿.その3


2007年11月〜2月まで、福島民報新聞のコラム「民報サロン」に全6回で連載寄稿していました。

ご要望をいただいたので、ブログにも順次アップしています。

今日は第3回分です。(多少、季節はずれなのはご容赦ください。)

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「クリスマス・イブの明日に」


(掲載日:2007年12月23日(日))


数年前、インドを訪れた時のこと。

にぎやかなショッピングセンターを抜けると、大きな通りに出た。絶え間なくクラクションを鳴らし続ける車の群れ、人をぎゅうぎゅうに詰め込んで走るバスと舞い上がる排気ガス。そして歩道の真ん中には死んだように横たわっている痩せこけた老人と一匹の犬。そんな光景にも見慣れてきた私は宿泊先への帰りの道を急いだ。すでに日は落ちていた。

その時、半ズボンを履いただけの少年が二人、走り寄ってきた。何かと思って立ち止まると、黒ずんだ手を差し伸べてくる。

「やっぱり」と思った。

インドに来て二週間、コルカタの町を歩けば、必ずといっていいほど、少年たちが集まってきて、「バクシーシ(喜捨)」と言ってお金をせがんでくる。お金を貰えなければ、何百メートルだってついてくる。

このような子供たちにお金を与えるのは賛否両論がある、と旅の本には書いてある。というのも、その哀願した表情につられてお金をあげるとその子はツーリスト専用のおモライ君になってしまうというのだ。しかし、彼らの手にする現金が貧しい彼らの家の貴重な収入源になっているのも現実なのだ。インドに来てスラム街の様子に心を打たれたら、少々のお金をやるくらい誰も責められないだろう。つまりはその旅行者の考え方次第だと、その旅の本には書かれてあった。

私も最初は断って、それでもついてくるようなら、あげるようにしていた。あげた後の反応は様々だった。とても喜び人懐っこい笑顔で“Bye”と言って帰っていく子供、その反対に無表情で走り去ってしまう子供。どんなに貧しくても、ちゃんと一人一人個性があるという当たり前のことに気づかされてはっとする。

私もこの時は最初はダメダメと手を振って歩き続けた。

しかし、やっぱりついてくる。

百メートルぐらい行ったところで、ポケットの中を探してみた。一ルピーコインが一枚あった。私は立ち止まり、それを少年の一人に手渡し、“Bye”と言って再び歩き始めた。するともう一人の少年が「僕も僕も」と服を引っ張って強い調子でねだってきた。私は「君たち二人で一ルピーだよ」と身振り手振りで伝えた。すると少年は「違う違う、僕たちは一緒じゃない。僕にもちょうだい」とさらに手を突き出してきた。その強い調子に、私はため息をつきながら財布の中を見た。コインは五ルピーコインしかなかった。少し多いかなと思いながらも、この状況では仕方ないので、それを小さな手のひらに乗せてあげた。その瞬間、少年は飛び上がって喜んだ。

しかし、今度は一ルピーの方の少年がすごい勢いで抗議してきた。

「僕にも五ルピーちょうだい!」

その顔は本気だった。

その時の私はこの現実から一刻も早く逃げ出したかった。私はなおも強くねだってくる少年に強く一言“No”と言った。私の表情から貰えないことを悟った少年は、明らかに怒った表情でくるっと背を向けた。そして、逃げるように歩き出した僕の背中に、五ルピーを貰った少年の笑い声が突き刺さった。

私は全てが嫌になった。そして腹が立った。それは、この少年たちにではなく、彼らからしたら天国のような満たされた生活を送っていて、日本にいたら道に落ちている五円玉など拾わないのに、偉そうにインドの子供たちにお金を与えている自分に対してである。こういうのを「偽善」というのだろうと思った。

また、彼らと自分との間にあるどうしようもない壁のようなものにも腹が立った。同じ人間なのに、生まれた場所がたまたま違っただけで、なぜかわいい子どもたちがこんなことをしなければならないのか?
そして、その責任は日本人である自分にもあるような気がした。

マザー・テレサは「愛の反対は憎しみではなく無関心だ」と言った。

明日はクリスマス・イブ。ケーキを囲みながら、ほんの一瞬でも、日本の子供たちが彼らのことにも思いを馳せてくれたら、さらにいい夜になるような気がしている。

2008年04月05日

「伝統産業の世界地図」〜民報サロン寄稿.その2

福島民報新聞の「民報サロン」への寄稿コラムの第2回目です。

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「伝統産業の世界地図」


(掲載日:2007年12月2日(日))


私の会社は会津の伝統工芸の新しいチャレンジを応援することを仕事にしているが、今年十月に中国の景徳鎮(けいとくちん)を訪問する機会に恵まれた。

海外では陶磁器のことを「チャイナ」と呼ぶが、その名の通り世界の陶磁器の源流は中国にあり、その中でも景徳鎮は世界有数の一大産地である。

今回の訪問では、伝統的な窯元から先進的な企業、そして陶芸家を育てている大学まで見せていただいたが、焼き物が伝統工芸としてではなく、町の基幹産業・成長産業として存在しているという事実にただただ圧倒された旅であった。

行政の施策や投資、産地としての未来へのビジョンなど、日本とは全ての考え方が軽く二桁は違う現実をまざまざと見せつけられ、本気で世界の焼き物の中心地になろうとしていることが伝わってきた。そしてそれが夢物語ではなく、現実的に外資企業も含めて懐深く取り込みながら拡大しており、その証左として地元の大学からは毎年千五百人の陶芸家たちが生まれ、その就職先がきちんと存在しているという事実があった。

一番驚いたのが、非常に精巧で上品なテーブルウェア商品を作っている会社の工場を見学した時であった。

商品の素晴らしさを見て、どんな老練な職人が作っているのだろうと思っていたら、なんと工場にいたのは中学生ぐらいの子供たちであった。しかも、衛生的な工場で活き活きと働いており、私たちが想像しがちな「アジアの国で子供たちが酷い環境で働かされている」というイメージとは全く逆の光景がそこにはあった。

聞くと、陶芸家として本当のプロに育てるためには、手首が固まる十五歳ぐらいまでにしっかりと技術を教え込む必要があり、彼らは企業が用意した学校に通いながら働いているとのことだった。

この話を聞いて、愕然とすると共に、今までの自分を恥ずかしく思った。
私はこれまで日本の伝統工芸の課題を語る際に、「中国の安価で大量生産のものづくりに押され・・」という言葉を判を押したように口にしていた。しかし、本質的な現実を知らずに、その言葉をいかに安易に使っていたか、そして、その言葉の裏にある中国のものづくりへの自分の偏見を思い知った。

今回の旅をご用意いただいた九谷焼の陶芸家さんの言葉が強烈に頭に残っている。「日本では伝統工芸が、税金を使う側になってしまっている。しかし、景徳鎮のように税金を払う側として存在している場所も世界にはある。その中で日本の伝統産業がどう生きていくかは、もっと広い視点で考える必要がある。」

私は伝統工芸とはただの消費の対象としての“モノ”ではないと思っている。物質としての価値を超え、その土地その土地の文化や歴史が凝縮されたものだからこそ、どうしても守り続けたい。

そして、日本の文化が唯一無二なものである以上、それは中国のものづくりにも決して負けないものがあるはずだ。

日本の伝統工芸が未来に向かって生きていくために、景徳鎮のような世界的な産地や市場への挑戦を探っていくことも大事かもしれないし、観光や食と組み合わせて世界の産地とは違う道を探っていくことも一つの方法かもしれない。または、「消費者を育てていく」という視点で考えると伝統工芸の分野ならではの可能性が見つかるかもしれない。

私は、工芸品の世界地図の中で、世界の流れと自分たちの立ち位置をしっかり見つめながら、一つ一つ新しいチャレンジを会津の伝統工芸に生み出していくことをしていきたいと思う。

2008年04月02日

「順送り」〜民報サロン寄稿.その1

2007年11月〜2月まで、福島民報新聞のコラム「民報サロン」に全6回で連載寄稿していました。

ご要望をいただいたので、ブログにも順次アップしていきたいと思います。

今日は第1回分です。

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「順送り」
  

(掲載日:2007年11月11日(木))


会津に来て五年目になるが、ひとつ忘れられない思い出がある。

一昨年の秋、喜多方で開催された「場所文化フォーラム」というイベントで旧山都町の民宿に泊まったことがあった。

全国から地域活性化に取り組んでいる方々などが集まったそのイベントは、当然のように夜の懇親会も大盛り上がりで、地域の未来について語り合い、お酒を酌み交わした。大変だったのは、次の日の朝だった。調子に乗って飲みすぎてしまった私は、起きあがることも出来ないような重度の二日酔いが体を襲い、人生で一番辛い朝を迎えるはめになってしまった。しかも、その日の午後からは仕事に戻らなくてはいけない状況であった。

ほとんど思考停止状態の頭でどうしたものかと思案に暮れながら床で伏せっていると、宿の女将さんが現れ「これ飲んでみらんしょ」とつまようじの上に乗った黒い小さな固まりを差し出してくれた。

震える手でようじを受け取り、口に含むと、舌の奥まで痺れるようなすっぱさが口に広がった。何回かに分けてそれを飲んでいると、どうだろう。二時間ぐらいでさっきまでの悪夢が嘘のようにすっきりとしてきたではないか。

聞くと、古くから伝わる民間の胃腸薬で、青梅を細かくすり潰し、絞り汁を煮詰めたものとのことだった。作るには大変な手間がかかり、私がいただいた数口でも何十個もの青梅が使われているという。

その時に思い出した。幼いころ、よくお腹を壊していた私に、祖母が出してくれたのもこれだった。

幼少の頃の祖母の記憶と宿のおばちゃんのあたたかい笑顔が重なり、身も心も回復して午後の仕事に向かうことが出来た。女将さんのあたたかい心遣いに今でも本当に感謝している。

実は同じような経験がもう一度ある。学生時代、インドに行き、ホームステイさせていただいた時のこと。インドの水にあたってしまい、苦しんでいた私にステイ先のお母さんが飲ませてくれた手作りの甘辛い飲み物があった。その時もそれを飲むと、それまでの腹痛が嘘のように治ってしまった。

その甘辛い飲み物は生理食塩水に何かのスパイスを入れたものとのことだったが、前述の青梅の胃腸薬同様、どこかあたたかい味がした。

私は今、会津でまちづくりや伝統工芸活性化の企画・運営をする仕事をしている。「まちづくり」というととても漠然としているし、その言葉を使うだけで何となく「いいこと」をしているような気になってしまい、大事なことを忘れがちになる。また、どうしても観光戦略的に目立つものや地域経済に分かりやすく寄与するものに目が行きがちになってしまう。

そんな時にこれらの出来事を思い出すようにしている。地域の文化を大事にしましょうと言ったときに、なにも建物や遺産を残すことや、観光とセットで戦略的に語られるものだけが大事ではない。

派手に光が当たるわけではなくても、その地域の家庭の中で脈々と受け継がれているもの。そういうものをカタチだけではなくてココロも一緒に次世代に「順送り」していけるかどうかもとても大事だと思う。(この「順送り」という言葉も会津の方に教えていただいたものである。)

私のまちづくりの心の師匠は「漠然としている『まちづくり』ということを突き詰めると、『そこで(子どもを)産みたい』と思える地域を作れるかどうかだ」と語っていた。この言葉と会津の方から受けたご恩を胸に刻んで、今後も会津の活性化に取り組んでいきたいと思う。