• もっと見る
<< 2015年02月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
大切な思い出を届けました[2011年06月16日(Thu)]
大切な思い出を届けてきました。

 昨年9月に実施した宮城英語ストリーコンテストで優秀賞になった菊地里帆子さん。閖上小学校6年生。学校も自宅も津波で流されてしまった。自宅で流された自宅で一生懸命に探していたのが、コンテストで入賞したメダルだった。何度も探しにいったが見つからずがっかりした。その様子を見たお母様から再発行のお願いは出来ないか、とご連絡を頂きました。
メダルは佐賀県の業者に昨年度と同じものを依頼したところ、業者の社長さんから
今回は無償でご提供頂きました。遠く佐賀のおじさんから、思い出届けます。
とのメッセージ付きで贈られてきました。
 
メダル・賞状・副賞・参加賞と、9月23日同じように表彰しました。

 里帆子さんのキラキラ輝くような笑顔とお母さんの安堵した笑顔と印象的でした。

 お母さん
  また、がんばろうね
 里帆子さん
  うん。
Posted by at 11:33 | この記事のURL
戸倉小・戸倉中[2011年06月07日(Tue)]
登米の旧善王寺小学校の校舎を利用して学校を再開している戸倉小・中学校へ再び行って参りました。今回は学校から直接リクエストをいただいた物資で、小学校へは赤白帽、中学校へは書道セットです。
たいていの物資は十分に足りている、とやはりこの戸倉小学校のホームページにも記載されていました。他のどこの被災学校でも同じような状況です。しかし、必要なものが必要なところに届いているのかは別のようです。本当に必要なものだけを送りたいと思っていた私たちに、直接希望のものを連絡くださったことは大変ありがたく、お役に立てることがこんなにもありがたいことなのだとあらためて思いました。

今回写真がなくてみなさんごめんなさい。でも、小学校の校長先生、中学校の校長先生それぞれとお話をさせていただき、今後も必要な形で的確に支援させていただきたい旨お話ししてまいりました。またご連絡いただけるとのことでした。うれしいですね。

大勢の方からの支援の気持ちが、形になりつつあります。みなさんありがとうございます。今後も引き続き支援くださればそれだけたくさんの長い支援ができると思うし、必ずやりとげることをお約束したいと思います。
これから出来る支援を考える[2011年05月29日(Sun)]
塩竈市の離島にある「浦戸第2小学校/浦戸中学校」は全校生徒合わせて
26名の小さな学校です。
学校は高台にあり津波被害を免れましたが、生徒の多くの自宅が津波の被害
にあった事を知り、中学校に通う父兄の方に「Teacher's for Japan」の活
動をお話しして、早速文具セットを船で運んでいただく事になりました。

仙台市近郊の沿岸部は、日一日と街の灯が増えていくのがわかります。
中心部にいる時には震災があった事が夢だったように感じる、と話される
方も多いです。

その一方で復興という言葉すら出せない地域がある現実も。

月曜日に伺った南三陸町の戸倉中学校の校長先生の
「先の事は今は考えられない。今やらなきゃない事だけ考えてやってる。」
という言葉は重く心に残りました。

今、私達に出来るのは希望のあった物資を届ける事だけかもしれません。
でも、例えば先々小学校で行われる英語の授業のサポートや教材提供など、
もしかしたら違った形でお役に立つ事ができるのではないだろうか・・・
そんな事を室さんと話したりしています。
Posted by rinko at 17:24 | この記事のURL
大事な練習の成果を[2011年05月26日(Thu)]
私たちの手の届く活動も広がりつつあります。
塩竃の小学校のPTAからもお話があり、文具などを届ける予定にしています。

何よりも、昨年みーさが主催しておこなわれた英語暗唱コンテスト(第7回)で、見事、2位入賞した児童のメダルや賞状など、本人がとっても大事にしていたものが流されてしまった、何とかならないものかという話がありました。
さっそく、当日のうちにメダルなどを手配しましたので、届き次第、主催者代表である私(土佐)から、再度、表彰したいと思います。

地域に密着して、息の長い支援をという私たちの思いが、学校が始まったことによって、真価が出てきたように思います。

いずれにしても、支援してくださる世界各国の心ある人々、学校や団体、に感謝です。

ありがとうございます。



 
Posted by at 12:40 | この記事のURL
南三陸町へ[2011年05月26日(Thu)]
23日月曜日、教室を臨時休校にし理事2人とノートやペンなどを志津川高校(南三陸町)に届けてきました。ALTつながりの先生(英語科)からのお話で届けましたが、部活の生徒達が荷下ろしを行い直ぐ終わりました。また、 愛知学院大学の学生の皆さんから宮城の生徒へメッセージが送られて来ていましたが、英文だったので英語の先生にお渡ししました。

高校へ行く道は、まだまだ瓦礫が残っており津波の破壊力の凄さを感じましたが、生徒達の笑顔に、日本の未来に大きな期待を覚えました。






 その後、戸倉中学校小野寺校長先生を訪ねました。気仙沼・南三陸町で唯一震災した中学校であり、ご自身も震災に会われましたが昔と変わらぬ明るさでお迎え頂きました。
 登米市の廃校となった小学校校舎を借り、戸倉小学校と同居しているそうで、玄関には小中学校の看板が掲示されてありました。スクールバスの巡回によって登校するとのこと。校舎全体に小学生の元気な声が響いており、児童生徒は元気な様子を窺うことができました。
 校長先生には文具等十分に揃っているとのお話を伺っていましたので、文具を注文した際に同封して頂いた筆、墨汁、糊などをお渡ししました。
Posted by at 12:00 | この記事のURL
情報2[2011年05月19日(Thu)]
南三陸町の志津川高校の先生と連絡がとれました。現在は登米高校に本部を置いて、施設を有効利用するために火曜〜土曜で授業を行っているそうです。緊急に必要な文具はあるものの、今後ノートがまだ必要であるとのことで、来週ノート他を携えてお訪ねする予定です。

また、高校時代の友人や後輩たちと、私が仙台に来て以来の15年以上に渡る友人Kさん(東京在住)が私宛に個人的に託してくださったNPOへの支援金を使って、支援物資として蛍光ペン約400名分を購入させていただきました。ありがとうございます。

また、アメリカの運送会社の方から英語教材関係のご寄付をいただけるとのこと!小さな箱ですが37箱分!をいっぱいにして送ってくださるそうです。何度も内容についての希望を聞いて調整くださっており、小学校英語活動に役立ちそうな教材類もいくつかリクエストさせていただきました。ありがたいです。
再会の涙[2011年05月19日(Thu)]
教室再開1週間が過ぎました。
この1週間はお互いの無事を喜び合う涙、涙の連続でした。
そして既に退会している子ども達や父兄がひょっこり現れたり・・・
みんな心配してくれていたんだね、ありがとう。

子ども達がレッスン中、お母さん達に「Teacher's for Japan」の
活動をお知らせして、実際に被災された近隣のお子さんへ文具セット
をお渡ししたいとお話したらやはり大喜び!!
まだまだ増え続けそうです。やはり支援物資はどこかの体育館で滞っ
ているんですね。
Posted by rinko at 00:15 | この記事のURL
何か違う・・・[2011年05月16日(Mon)]
英会話教室が再開してからというもの、自宅が津波被害にあった子どもの父兄から
驚きの事実が伝えられてきます。

ある生徒の自宅は完全に津波で流され、着の身着のままで親戚の家に避難したものの
ようやくアパートを見つけても、家財道具はもちろん、歯ブラシ1つない状態。
震災当時は開いているお店も少なくて開いていても大行列で並んでも充分な買い物が
い物は出来るはずもなく、近隣の避難所に物資を分けてもらえないかを頼んだところ
「お宅は避難所に住んでいないから物資はあげられません」
と言われたそうです。
他の父兄も同様の扱いを受け、鉛筆一本頂いていないそうです。

私達みーさの理事が回った避難所はどこも支援物資がいっぱいで、職員またはボラン
ティアの方々も持て余しているように見受けられました。
どこへ行っても
「もう間に合っていますから」とお断りされていたのですが、それはあくまで避難所
にいる方々の分は充分間に合っているという意味だったんですね。

実際には津波で浸水した多くの方々は自宅の2階などに住んでいるようで、給水以外
の支援物資は行き届いていないということがわかりました。

それとは違った例で、ある中学校では支援物資が余っているからと全員に配られたと
のこと・・・何かちょっとちがうぞ。。。

今後ますます顔の見える支援が必要になるように感じます。
Posted by rinko at 00:33 | この記事のURL
笑顔で喜ぶ子ども達・・・[2011年05月13日(Fri)]


子どもの笑顔に勇気をもらいますね。

支援してくださる世界中に、この笑顔をお届けします。

支援ありがとうございます。
Posted by at 08:40 | この記事のURL
笑顔[2011年05月12日(Thu)]
私事ですが、
津波で浸水した私の経営する小さな英会話教室が、震災から丁度2ヶ月目の昨日11日
ついに再開することができました。
教室の周辺はまだ歩道もぐちゃぐちゃ、街頭も信号も点いていない状態なのですが・・・
少したくましくなった子ども達が次々やって来て、それぞれに体験したこの2ヶ月間の
出来事を帰る時間を忘れるほど熱く語ってくれています。

「自宅の2階から津波で流されていく車を見ていた。」
「親が仕事先から戻れず、みんなで学校に泊まった。」
「黒い水の山に追いかけられながら祖父母と車で逃げた。」

きっと子ども達はもっともっと話したくて、聞いてもらいたくているんですよね。

自宅が浸水した家庭では避難所に入らず、自宅の2階などにそのまま住んでいる場合も
多く、全国から届く支援物資をわざわざ誰かが届けてくれることもないようです。

そんな子ども達に
「これは全国から皆を応援してくれている人たちからの贈り物だよ。」
と文具セットをプレゼントした時の笑顔、最高でした。
Posted by rinko at 23:23 | この記事のURL
プロフィール

特定非営利活動法人 宮城英語教育支援協会さんの画像
リンク集
https://blog.canpan.info/meesa/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/meesa/index2_0.xml