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フーバー大統領回顧録を論ずから  1941年7月の日本に対する全面制裁は、弾を撃たない戦争であった。 [2017年09月15日(Fri)]
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日本は、当時(1941年)で石油輸入依存度は92%であり、そのうち 81%がアメリカからの輸入に依存していた。 (資料により若干%は変わるが70%以上であることには変わらない)

日本は石油という動力源を絶たれることになる。ヨーロッパは すでに戦乱となっており、アメリカに代わる輸入先にはならなかった。

対米貿易が一方的になくなった後、それに代わるべき貿易がない という事態にアメリカによって追い込まれた。

日本がアメリカに害を与えるようなことは何もしていないのにも 関わらずである。

日本にとってアメリカは貿易相手として輸出で第2位、輸入で第1位 であったため、日本経済の再生産は極めて厳しい状況となった のである。

フーバー大統領回顧録を論ずから引用

1941年7月の全面制裁は、弾を撃たない戦争であった。 戦争を仕掛けたのはアメリカのルーズベルト側にあったと、 フーバー大統領は回顧録にまとめて書いている。‘p256

第8番目のルーズベルトが犯した壮大な誤りは、1941年7月、 つまりスターリンとの陰然たる同盟関係になったその1ケ月後に、 日本に対して全面的な経済制裁を行ったことである。

その経済制裁は、弾こそ撃っていないが、本質的には戦争であった。

ルーズベルトは自分の腹心の部下からも再三にわたって、 そんな挑発をすれば遅かれ早かれ(日本)が報復のための戦争を 引き起こすことになると警告を受けていた。
(引用終わり)
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E・H・カー
歴史とは何か、歴史とは現在と過去との対話である。
現在に生きる私達は、過去を主体的にとらえることなしに未来への展望をたてることはできない。

北朝鮮への経済制裁・石油の禁輸  北朝鮮のミサイル実験の強行、歴史から何を学ぶのか。
Posted by ゆう東洋医学研究所 at 10:26 | 戦争と平和 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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