不況を原因にして手を打たない
また、ある事業所は、周辺の産業の状況が悪いことを理由に、 メイン商品に固執し、景気が悪いのでサブ商品は売れない、多角化はできない、 黒字化は不可能と堂々と言うのです。
それではどうするのか、対策はないと言い切るのです。そこは貸主に返却しました。 この事業所も設備の追加投資の時期に来ていたので、投資してそれで採算が 向上するかどうか、貸主との賃貸料の値切り交渉の末、 採算が見合うかどうかの判断の上の 結論でした。
とくにこの事業所は累損が最も大きく、決断が必要でした。 当社を辞めて、他社に就職した者が、”勤めていたときは厳しいと 思っていたが、他社に勤めてみると、他社はもっと厳しく、いい会社だったことが 判った。”と言っているのを後日聞きました。
他にも不採算の事業所があり、継続してヒヤリングを行いました。
文章にすると、たいしたことはないようですが、 実際はひとつの小説が書けるくらい複雑で波乱万丈で、大変なことでした。 3社合併も規則、給与など異なり簡単ではありません。
経営はスピードだ
そしてスピードが求められます。もたもたしていると赤字が積み上がり 再建が難しくなります。時間との競争でしたから少々荒っぽい進め方な面も あったかもしれません。
反対者は必ずいる
改革に反対する人もおり、再建を推し進めていくと、必ず陰で、 トップ排斥運動がおこります。それとの闘いも必要です。 再建し会社を存続させるため、苦渋に満ちた努力が必要でした。
それを乗り越えられたのは、トップが本気で再建に取り組んでいることが 社員にもわかり、本気でやらねば会社、自分の職場が危ないという認識・自覚が 出てきたからだと思います。
(それにしても、今にしても不思議に思うのは、沈みつつある”船”で、 懸命に浸水した水をくみ出す 努力をし、浸水口を塞ごうとしているのを妨害するヒトがいた事です。 自分が乗っている”船”は絶対沈まないと信じていたわけでもないと思うのですが。
結果として、 それらの勢力のヒトは、自分の立場だけで、 そして、益になる仕事はせずということでいたので、 多くの人の支持を得ることはできず、孤立していきました。
後日談ですが、その後、なんとか沈まないようにした”船長”が 交代した後、後任の”船長”は、沈没を防ぐための手を打たなかったため、 5年にして本当に”沈没”してしまいました。)
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