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総じてけっこうな時代  読書のすすめ 『逝きし世の面影』渡辺京二氏 [2018年04月17日(Tue)]
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総じてけっこうな時代

福祉予算は削られる。長い不況を経て、社会の格差は広がるばかり。少子高齢化による縮小社会にも直面している。なるほど現代社会の問題はいまなお少なくありません。

さらには、いまの社会が「右傾化している」とか「ネトウヨが」とかいう言葉もよく目にします。

安倍(晋三)首相のもと憲法9条が改正されたら、日本は戦争する国になってしまうから戦前に後戻りしてしまうなどと、不安がる声も聞こえてきます。

だから、メディアではいまの日本が危機にあるような言説もある。

でも、本当にそうでしょうか。

2018年という現在を評価するなら、総じてけっこうな時代だと私は思います。

熊本市の自宅。思想史家の渡辺京二氏は微笑むように語る。

幕末から明治にかけて日本を訪れた西洋人の膨大な文献をもとに、当時の日本の姿を鮮やかに描き出した『逝きし世の面影』。

1998年に刊行した同書は江戸から明治に移っていく在りし日の日本を描き、ロングセラーとなった。

渡辺氏は同書で訪日外国人の目を借りて、明治という近代社会が江戸時代という文明の滅亡のうえに生まれ出たことを論じた。
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Posted by ゆう東洋医学研究所 at 15:16 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
明治維新は西洋による外発的な変革   今年は「明治150年」。 夏目漱石も明治の歴史は一種の潮流に押し流されてきただけだ [2018年04月16日(Mon)]
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明治維新は西洋による外発的な変革

『逝きし世の面影』で、渡辺氏は江戸期の日本を「遅れた」国ではなく、訪日英国人エドウィン・アーノルドが「その美術は絶妙であり、その神のようにやさしい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは謙譲ではあるが卑屈に堕することなく」(1889(明治22)年)と形容したように魅力的だった姿を浮き彫りにした。

今年は「明治150年」。

政府も関連施策を推進しているが、渡辺氏の目にはあの近代の変革がどのように映っているのか。


『逝きし世の面影』は現代を相対化することを試みたのだという。(撮影:宮井正樹)

50年前の1968年、「明治維新から100年」と言われました。

当時は高度経済成長の真っただ中で前向きな声もありましたが、今回の明治150年はどうでしょう。

いまも「明治維新をすごい」とたたえる声もあるのかもしれませんが、明治維新の実質を言えば、西洋という外圧による外発的な変化でした。

そのことについては、夏目漱石も明治の歴史は一種の潮流に押し流されてきただけだとし、1911(明治44)年、和歌山県での講演でこう語っています。

<西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後、外国と交渉を付けた以後の日本の開化は大分勝手が違います。

(中略)つまりは何でもない、ただ西洋人が我々より強いからである。

(中略)しかも自然天然に発展して来た風俗を急に変える訳にいかぬから、ただ器械的に西洋の礼式などを覚えるより外に仕方がない。

(中略)我々のやっている事は内発的でない、外発的である。これを一言にして云えば現代日本の開化は皮相上滑りの開化であると云う事に帰着するのである>(『現代日本の開化』)

つまり、情勢に迫られてやっただけのこと。ウェスタン・インパクトによる緊急避難が明治維新だったのです。
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Posted by ゆう東洋医学研究所 at 17:14 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
読書のすすめ 決断できない日本 ケビン・メア 2011年8月 第1刷 自滅するな日本 ケビン・メア 2012年3月 第1刷 アメリカの日本担当者がどのように 日本を見ていたのか  再掲 [2018年01月17日(Wed)]
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アメリカの前オバマ大統領の時代の、日本を実質的に支配していた一人と見なされる人の書いたものである。現在はトランプ時代となって、彼らは表舞台から姿を消している。

実はあまり読書をすすめたくない本ではある。

だが、アメリカの日本担当者がどのように 日本を見ているのかという、アメリカのホンネを考察する資料となるという観点から 冷静に読んでみる価値がある。

とくに2冊目の“自滅するな日本”は対談形式となっており、田原総一朗との対話は面白い。

“自滅するな日本”の題名は多分“自滅する日本”であったのに“な”をつけたしたという 印象を受ける。

この2冊とも、3・11大震災直後に書かれていること、民主党政権当時に書かれ ていて、民主党政権を暗に批判して、いわば民主党政権では日本は自滅するぞというアメリカの 主張を柔らかく打ち出しているとも読める。

ケビン・メアはアメリカ国務省 日本部長などを務め、在日アメリカ大使館、沖縄総領事などを 務めてきている。

2011年3月11日以前に、アメリカ国務省内でアメリカの大学のアメリカ人学生を 相手にオフレコで日本と沖縄についてレクチャーしたことが、アメリカの学生からすっぱ抜かれて 大問題となり、本人が国務省を辞職するまでの事態となったことは記憶されている。

その内容は“決断できない日本”の中で前半に本人は否定しているがどうも説得力はない。 論点となる項目ごとに反論しているのではない。”日本文化はゆすりの文化”などと発言したことは触れていない。

”沖縄の人は怠け者でゴーヤも作れない”という件は反論しているが、 取材方法がおかしいなどという論点にすり替えて反論しているにすぎない。

注 この文は以前に掲載したもので、いったん削除したが、再掲するものである。
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Posted by ゆう東洋医学研究所 at 10:35 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
読書のすすめ 大東亜戦争とスターリンの謀略 三田村武夫 瞬発と残響 埴谷雄高対話集 埴谷雄高 日米開戦の正体 孫崎享 副題 史上最悪の愚策を解き明かす 日米戦争を起こしたのは誰か。フーバー大統領回顧録を論ず 副題 ルーズベルトの罪状 加瀬英明、稲村公望、等 [2017年12月21日(Thu)]
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埴谷雄高が“瞬発と残響”の中で書いている。

“ええ、検察当局が転向させようとしますね。不思議なことはとにかく天皇が存在する ということを認める上申書を出しさえすればいいんです。

天皇制の存在を認めれば マルクス主義を奉じてもいいという時代だったのですね。ぼくは上申書を書いたのですが ーー以下略“、上申書を出した埴谷は釈放されている。(p167)

昔、検察当局に転向させられて、右翼に転じて対米戦争を主張していた人々を嘲笑する人 もいた。

だが、偽装共産主義者はコミンテルンのテーゼに従い、資本主義国同士の戦争を すすめ敗戦革命を目指していた。

だから日本とアメリカの戦争開始に積極的であった ということであったということであったのかもしれない。

必ずしも軽薄であったから左から右に揺れたとか極端から極端に走るとかとみるのは 誤りであったと考えるべきであろう。

この本は、どういう立場をとるにしても一読することをお勧めしたい。歴史の流れが 見えてくることの指標の一つとなるだろう。

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そして“フーバー回顧録を論ず”という、フーバー・アメリカ元大統領の認識も 合わせてみることである。

歴史認識の目のうろこが取れるほど価値観が変わるであろう。

現在の強力なロシアと中国を生み出したのは、アメリカのルーズベルトであった といってもおかしくない。

ロシアと中国は核戦争の危機があった国境紛争、中ソ論争を経て、 中国とロシアの同盟がこの2国の長大なる国境線の不安を解消し、 大陸の中央部に巨大な経済園を構築してしまった。

アメリカの失政・失策のつけが、これからアメリカに回っていくだろう。
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Posted by ゆう東洋医学研究所 at 11:04 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
真珠湾攻撃 東京裁判のときアメリカは日本の先制攻撃を断罪できなかった [2017年12月16日(Sat)]
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注 アメリカ軍第七艦隊の編成 イメージ写真

真珠湾攻撃
真珠湾攻撃について、本書でも触れているので、下記に引用しておく。

日米戦争は、真珠湾攻撃により始まった(その前から日中戦争があるが) といえるわけなのでこだわりたい。

東京裁判-(極東国際軍事裁判)にて、日本の真珠湾攻撃は、アメリカが 最も裁判で日本を糾弾・弾劾すべきであったろうに、それに触れられ なかったことである。

なぜなら、アメリカのルーズベルト他アメリカの首脳がすでに 日本が仕掛けてくることを知っていたからと指摘している。

少し長いが以下に引用したい。

東京裁判のときアメリカは日本の先制攻撃を断罪できなかった
半藤一利

“アメリカは、真珠湾攻撃のことは、戦争中にすでにやっているのですよ。

なぜ日本に奇襲攻撃されたのか、と。これを戦争中にやっているから、 東京裁判の判決の中で、真珠湾攻撃は一つも追及されていないんです。

日本の真珠湾攻撃を、本当は、アメリカは徹底的に犯罪として追及する つもりだったんだけれども、連合国側は、アメリカが持ってきた資料を 見ると、なんだ、アメリカの指導層はみんな日本が攻撃を仕掛けてくる のを知っていたんじゃないか、とわかったんです。

というのも、戦争中に彼らはもう責任の追及をやっていた。欧米諸国 というか、歴史を大事にする国はみんな、きちんとそういうことを やっている。

日本人は、歴史を大事にしない国民なんですね。
ですから、反省して、きちんと文章に残すことは、いままで聞いた ことがないですね。“p143

データ
ハル回顧録(当時のアメリカ国務長官)にて,ハルは1年も前に日本が真珠湾を奇襲攻撃するということを知っていたと明記している。当然、ルーズベルトも知っていた。

また、外交無線の暗号も解読していて、ハルが野村大使から文書を受け取ったときはその内容は知っていたとも書いている。

直前にも、正確に日本海軍の奇襲時間も知っていたということである。

オレンジ計画―アメリカの対日侵攻プランーの中で”日本はおろかにも攻撃してきた”と記述されている。”愚かにも”ーーーということであった。

読書のすすめ 日本海軍はなぜ誤ったのか 2011年12月初版
       海軍反省会400時間の証言より 
       澤地久江、半藤一利、戸高一成

追記 オレンジ計画 p252 正確に引用すると下記となる。

”日本が愚かにも戦端を開けば、ここに集結する艦隊が必ずや西太平洋を制圧し、フイリピン侵攻の機先を制する。”
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Posted by ゆう東洋医学研究所 at 12:34 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
読書のすすめ 英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄 ヘンリー・S・ストークス著 2013年12月10日初版  [2017年12月09日(Sat)]

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イギリス人から見た戦後日本
 ヘンリー・S・ストークス著 

イギリス人から見た戦後日本が描かれている。

日本が、 アメリカによる、 極東軍事裁判(東京裁判)という茶番により、日本が犯罪国家であるという ということにされ、、そのアメリカが創った日本悪者史観に、 日本人並びに世界の 人々が洗脳されてしまったということを書かれている。

イギリス人の立場から見て、敗戦後、日本がいかにアメリカに属国として 扱われてきているかということも厳しく糾弾している。

戦争は特に情報も戦争の道具

韓国による慰安婦の問題、中国の南京虐殺の問題を取り上げている。

戦争は特に情報も戦争の道具であり、アメリカの南京特派員の報道も、 本人が,虐殺されている現場にいたかどうかは不明であり,いたとしても 全市で虐殺が行われている現場にいることはできないと記者の立場から 指摘している。

特派員の報道も戦争のその一つの道具であるという 側面を見落ならない。ということを教えている。

左翼系の人は、慰安婦とか南京虐殺とかの問題を否定的にいうことは、右翼系の言葉として最初から受け付けない傾向があるが、歴史をもう一度見直す平衡感覚が必要であろうと思う。

アメリカは、日本の戦後に、日本人の教育=洗脳として、日本悪者論という教育プログラムをつくり、日本人をアメリカの都合の良いように教育したという側面をこの本は指摘している。

Posted by ゆう東洋医学研究所 at 16:44 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
主人公のスタブローギンは、悪を悪として認識し、その悪を実行するという確信犯的 人物  ドストエフスキーの目 悪霊 [2017年12月05日(Tue)]
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悪を悪として認識

主人公のスタブローギンは、悪を悪として認識し、その悪を実行するという確信犯的 人物として描かれている。

そして指嗾―教唆と黙過、であり、悪を認識しながら 実行ししていく。或いは黙過しながら。

スタブローギンは、未来への希望とか、 将来の光などということを一切信じていない人物であり、そして、最後は自殺する。

ドストエフスキーの目
“ドストエフスキーの目は、確実に、人間ひとりひとりの個性や運命に 向けられている。

しかも彼は、ついに”悪霊”の悪霊たるを明らかにすることはしなかった。 登場人物の全てが、革命という悪魔的観念の虜となって破滅するわけではない。

本来なら牧歌的で喜劇で終わるはずのドラマが 得体のしれない悪霊に飲み込まれてしまった。

悪霊は文字どうりすべての人々の心に 住み着いたが、悪霊の悲劇は、決してひとりのスタブローギンのものではなく、 スタブローギンさえも飲み込んだ悪霊が存在することが分かった。 という“(亀山郁夫)

ルカによる福音書
”ルカによる福音書”によると、”悪霊が人から出て豚に入ると、豚の群れは崖より湖にかけおり て溺れ死んだ”というという福音書の文脈にドストエフスキーは忠実であろうとしたのだ。

この”悪霊”では、主な登場人物の3分の一が非業の死をとげるというすざまじい小説である。
これだけ多くの人が非業の死となる小説はないだろう。

正直、読むのに疲れるが、その残響は大きい。じっくりと自分のうちにあるかもしれない、 あるであろう、 ”悪霊”というものを考えてみる機会を与えてくれる。

読書をすすめる所以である。
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Posted by ゆう東洋医学研究所 at 10:54 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
読書のすすめ ドストエフスキー 悪霊 [2017年12月04日(Mon)]
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古典を読むのは、それだけでも疲れる。小説であってもしかりであろう。 特にロシア文学は、その歴史的背景がよく理解していないだけに読みずらい ということがある。

この悪霊は、ロシアで起こったネチャーエフ事件という内ゲバ事件をその題材 の素としており、それゆえ、ソビエト時代には長く禁書払いとされていた。

革命運動を誹謗する文書としてであるが、反革命の書としてどこまでが規定 できるものであろうかということもあるが。

革命前のロシア社会

本の内容をほんの一部を紐解くと、 革命前のロシア社会の中で、階級社会の、貴族と庶民との生活の違いという ものから、最後は庶民ののびやかな生き方を描くことにより、階級社会が終焉に 向かっていることを暗示しているように読み取れた。

革命運動を、5人組という形で描かれているが、その革命運動というもの事態が、 美しい理想などによるものではなく、革命の大義をかかげての決断が、個人の どす黒い欲望、憎悪などに突き動かされているだけであるという恐ろしい矛盾が あるということを読者に突き付けている。


社会主義という哲学がどこまで理解されていた かということもあいまいのままの、 準主人公のピエートルの抱いている革命像は、まさに破壊とカオスのさなかに 生まれる愚者の楽園ともいうべき社会であり、破壊とカオスそのものが 自己目的化されていたというふに見事に描かれている。
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Posted by ゆう東洋医学研究所 at 11:06 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
常に備えを怠るな 愚かなものは備えを十分にする知恵がなかった [2017年11月13日(Mon)]
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前日のブログのその2 常に備えを怠るな 
キリスト者の注釈からの引用です。しかし、小生の私見では、 このたとえは、やはり常に備えを怠るなという教訓でしょう。

愚かなものは備えを十分にする知恵がなかったということで、 愚かなものになるなということを示していると思います。

キリスト教は、砂漠と岩山と乏しい耕地しかないところから 生まれた宗教で、灼熱の太陽のもとで、しかも肉食を主とする種族 (白人)の荒々しい生きざまを制御するための教訓と戒律を 定めたもとと読み取れます。

人生を生きていく上での訓戒と歴史を表した神話とも読めます。

海と、豊かな緑と、清らかな河川と、豊かな耕地と、雨にも恵まれ 四季の季節感がある地域から生まれた宗教とは発生の背景が 異なるのでしょう。しかも農産物(米)を主食としています。

日本は、多くの神に守られているという信仰が風土の中にあり、それが多神教というべき、それぞれの神を敬う風習が、日本人の心の底に流れています。

いかなるときも、常に備えを怠るな という教訓は必要なことであり、日本人を守るのは日本人しかないということを認識し、常に備え(自衛)を怠るなという教訓を生かしていきましょう。
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Posted by ゆう東洋医学研究所 at 10:41 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
常に備えを怠るな 他の人に分けることができる ものとできないものがあるということ [2017年11月12日(Sun)]
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常に備えを怠るな
何らかの偉大な存在がランプの手入れをして 火が燃えつずけるようにしておく。

聖書マタイ伝第25章―13節
ランプを手入れし火が燃えつずけるようにすることとは 常に備えを怠らないようにという教え。

婚礼の日に花婿を向かえて式場に案内する役を言いつかった 10人の乙女のうち賢明な5人はランプ用の灯油を用意したが、 愚かな5人は用意してなかったので、花婿が遅れて到着した 頃にはランプが消えかかっていた。

そのため灯油を用意してなかった愚かな乙女たちは式場への 扉を主に閉ざされてしまった。

注目しなくてはならないポイントがあります。
油を用意していた 五人は 他の五人に油を分けてあげなかった、ということです。

人道的には明らかに間違っ ているでしょう。
共に分かち合い、 ランプの数を減らしてでも一緒に迎えたらよ さそうなものです。

 しかし私たちはここに、お互いの人生における厳粛なる一面を 見なくてはなら いのです。

つまり、他の人に分けることができる ものとできないものがあるということです。

他の人に代われること と代われないことがあるということです。
人 の人生の道筋は他の人 が代われないものなのです。代わりに生きることはできません。

そして、最終的に神が用意した大きな喜びに与るのか、それとも 与り損な うのかということも、他の人が代わりになれないのです。

「代わりに祝宴に入り ます」「代わりに祝宴の外に閉め出されます」 ということはできないのです。
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Posted by ゆう東洋医学研究所 at 12:01 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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